勇者連隊戦記   作:バグスター

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帝国歴232年1月末


第4節 帝都へ

ベルノ駐屯地の朝は、厳しい冷え込みに包まれていた。

 

 まだ薄暗い営庭には、浸透偵察小隊の隊員たちが整列していた。その傍らには補給部隊、測量隊、工兵部隊から選抜された兵士たちの姿もある。

 

 ベルノ連隊の中部戦線派遣。その第一陣として、彼らは本隊より一足早く出発することになっていた。

 

 隊員たちは冬季装備を身につけ、小銃と背嚢を携えている。

 

 高橋もエレナ班の仲間たちと並んでいた。

 

「馬はどうしたんですか?」

 

 高橋が隣のエレナに尋ねる。

 

「昨日のうちに駅へ運んであるわ。列車に乗せる準備も済んでいるはずよ」

 

「じゃあ、駅までは歩きですか」

 

「そういうこと。たいした距離じゃないでしょう」

 

 エレナは笑った。

 

 山中訓練で何十キロも歩かされたことを思えば、確かにベルノ駅までの行進など散歩のようなものだった。

 

 やがて連隊本部の建物から、オリヴィエ大佐がアウレリア大尉を伴って姿を現した。

 

 ヴァルター少佐が前に進み出る。

 

「浸透偵察小隊、ならびに先遣支援部隊、出発準備完了しております」

 

 オリヴィエは整列した兵士たちを見渡した。

 

「今回の遠征は、ベルノ連隊にとって久しぶりの大規模な前線派遣となります」

 

 その声は、冷たい朝の空気によく響いた。

 

「第一陣の任務は、本隊に先行して現地の状況を確認し、受け入れの準備を整えることです。工兵、測量、補給の各部隊は、互いに協力して任務を遂行してください」

 

 オリヴィエは一度言葉を切った。

 

「まずは帝都アウグステンへ向かい、そこから前線へ移動します。詳細は現地での指示に従うこと」

 

 そしてヴァルターに視線を向けた。

 

「ヴァルター少佐、第一陣の出発を命じます」

 

「はっ!」

 

 ヴァルターが敬礼する。

 

 オリヴィエも答礼した。

 

「諸君の健闘を祈ります」

 

 短い訓示だった。

 

 ヴァルターは隊列へ向き直った。

 

「先遣隊、出発準備!」

 

 号令が伝わり、兵士たちが背嚢を背負い直す。

 

「前へ、進め!」

 

 雪を踏む軍靴の音が、一斉に響いた。

 

 こうしてベルノ連隊第一陣は、駐屯地を後にした。

 

 ベルノの街は、ようやく朝の活動を始めたところだった。

 

 通りには雪が残り、石畳のあちこちが白く染まっている。

 

 商店の軒先では店主が雪を片づけ、荷馬車がゆっくりと通りを進んでいた。

 

 軍装の一団が現れると、人々は道を開けて立ち止まった。

 

「兵隊さんたち、また戦争に行くのかい?」

 

 店先にいた年配の女性が声をかけてきた。

 

「ええ、ちょっと遠出です!」

 

 列の端にいた兵士が答える。

 

「気をつけて行っておいでよ!」

 

 女性は大きく手を振った。

 

 高橋も軽く頭を下げた。

 

 街の人々にとって、軍隊が前線へ向かう光景は珍しいものではないのだろう。

 

 だが、高橋にとっては違った。

 

 去年の七月、突然この世界に召喚されてから半年あまり。

 

 厳しい訓練も受けた。実際に人を撃ったこともある。

 

 それでも、こうして部隊の一員として遠征に出発するとなると、どこか落ち着かない気持ちになる。

 

「高橋、どうしたの? 少し緊張してる?」

 

 近くを歩いていたフリーダが声をかけた。

 

「少しだけ」

 

「まだ戦場に着いたわけじゃないんだから。今からそんな顔してたら疲れちゃうわよ」

 

「そうですね」

 

「それに、最初は帝都でしょう? せっかくだから列車の旅くらい楽しみなさい」

 

 フリーダはそう言って笑った。

 

 隣を歩くイルマも口を開く。

 

「寝ている間に結構進むからね。歩かなくていいだけ楽だよ」

 

「それは助かります」

 

 高橋が答えると、周囲から小さな笑い声が上がった。

 

 やがて通りの先に、ベルノ駅の建物が見えてきた。

 

 ベルノ駅には、すでに長い軍用列車が停車していた。

 

 先頭には大きな蒸気機関車。

 

 その後ろに客車、貨車、馬匹輸送用の車両が連なっている。

 

 機関車の煙突からは黒い煙が立ち上り、足元では白い蒸気が噴き出していた。

 

 駅構内は出発準備で慌ただしい。

 

 補給兵たちが貨車の扉を閉め、工兵が資材の積み付けを確認している。

 

 測量隊の兵士たちは、細長い三脚や測量器具を入れた木箱を運んでいた。

 

 馬匹車の方からは、馬のいななきが聞こえてくる。

 

「おお……」

 

 高橋は思わず声を上げた。

 

 目の前の蒸気機関車は、想像していた以上に大きい。

 

 黒く塗られた巨大な車体。むき出しの連結棒。大きな動輪。

 

 高橋は東京で何度も電車に乗っていたが、蒸気機関車をこれほど間近で見るのは初めてだった。

 

「高橋、珍しい?」

 

 エレナが尋ねた。

 

「はい。日本では電車ばかりでしたから。蒸気機関車は初めてです」

 

「デンシャ?」

 

「電気で走る列車です。僕が住んでいた東京では、普通に走っていました」

 

「電気でこんな大きなものを動かすの?」

 

「そうですよ」

 

「へえ。日本って面白いところね」

 

 エレナは感心した様子だった。

 

 駅員と軍の輸送担当者が書類を照合し、各部隊の乗車する車両を指定していく。

 

 浸透偵察小隊には数両の客車が割り当てられていた。

 

 各班がそれぞれ指定された車両へ向かう。

 

「エレナ、私たちの席は隣みたいね」

 

 フリーダが乗車票を確認しながら言った。

 

「あら、そうなの? それなら行き来しやすいわね」

 

「ええ。何かあったら声をかけて」

 

 エレナは頷き、自分の班員たちを振り返った。

 

「じゃあ、みんな乗りましょう」

 

 高橋たちは順番に客車へ乗り込んだ。

 

 車内に足を踏み入れると、外の寒さが嘘のように暖かかった。

 

 片側に細い通路があり、その反対側には四人掛けの区画が並んでいる。

 

 向かい合わせの二人掛けの座席で、窓際には小さなテーブルが備えられていた。

 

「ここが私たちの席ね」

 

 エレナが座席番号を確認した。

 

 高橋とエレナが向かい合わせに座り、アルノーとミレーナもそれぞれ席についた。

 

「なかなかいい車両ですね」

 

 高橋は周囲を見回した。

 

「日本の列車と比べてどう?」

 

 エレナが尋ねる。

 

「そうですね。日本の電車とはずいぶん違います。こういう古い感じの車両は、写真でしか見たことがありません」

 

「座り心地は悪くないだろう?」

 

 アルノーが言った。

 

「ええ。でも、帝都までずっと座っているんですか?」

 

「いや、夜は寝台になるぞ」

 

「寝台車なんですか? でも、ベッドがありませんよ?」

 

「上だよ」

 

 アルノーが天井近くを指さした。

 

「夜になったら分かるさ」

 

 高橋は頭上を見上げたが、どうやって寝台になるのか、まだよく分からなかった。

 

 やがて車内に出発を告げる声が響いた。

 

 遠くで汽笛が鳴る。

 

 ガタン。

 

 車両が小さく揺れた。

 

 続いて、ガタン、ガタン、と連結器が引っ張られる音が伝わってくる。

 

 窓の外のホームが、ゆっくりと後方へ流れ始めた。

 

 駅の建物が遠ざかっていく。

 

 高橋は窓の外に目を向けた。

 

 見送りの兵士たちが小さくなり、やがてベルノの街並みも遠ざかっていった。

 

 列車は次第に速度を上げていく。

 

 車輪が線路の継ぎ目を通過するたび、規則正しい音が響いた。

 

 ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。

 

「どう? 蒸気機関車は」

 

 エレナが笑顔で尋ねる。

 

「思っていたより揺れますね」

 

「あら、そう?」

 

「でも、面白いです」

 

 高橋はしばらく窓の外を眺め続けた。

 

 雪に覆われた畑、遠くの森、小さな集落。

 

 見慣れたベルノの景色が、次々と後方へ流れていく。

 

 自分が本当に遠くへ向かっているのだという実感が、少しずつ湧いてきた。

 

 ベルノを出発して数時間が過ぎた。

 

 列車は雪に覆われた平原を走り続けていた。

 

 最初こそ窓の外の景色に夢中になっていた高橋だったが、似たような風景が続くうちに、少し退屈になってきた。

 

「高橋、暇そうね」

 

 向かいに座っていたエレナが声をかけてきた。

 

「ええ、まあ。まだ帝都までは遠いんですよね?」

 

「そうね。明日の朝までかかるわ」

 

 エレナは鞄から一冊のノートを取り出した。

 

「じゃあ、せっかくだからエルフ語の勉強でもしましょうか」

 

「あ、お願いします」

 

 高橋も自分のノートを取り出した。

 

 浸透偵察小隊に配属されて以来、高橋はエルフ語の勉強を続けていた。

 

 帝国共通語はある程度理解できるようになっていたが、エルフ語はそうではない。

 

 小隊では作戦中の連絡にエルフ語を使用している。

 

 高橋も簡単な指示や単語は覚えたものの、まだ日常会話には程遠かった。

 

「それじゃあ、前に教えたところから復習ね」

 

 エレナはノートを開いた。

 

 最初は方向や距離、人数などの単語だった。

 

 高橋が発音すると、エレナがその場で訂正する。

 

「違う違う。そこはもう少し舌を丸めるの」

 

「こうですか?」

 

「うーん、惜しいわね。もう一回」

 

 高橋は何度も繰り返した。

 

 隣で本を読んでいたアルノーが顔を上げた。

 

「高橋、その発音じゃ別の意味になるぞ」

 

「えっ、そうなんですか?」

 

「ああ。まあ、戦場で使う言葉じゃないから大丈夫だが」

 

 アルノーが笑った。

 

「何て意味なんです?」

 

「知らない方がいい」

 

「ええ……」

 

 ミレーナまで笑い始めた。

 

「アルノー、変なこと教えないでよ」

 

 エレナが呆れたように言った。

 

「俺は何も教えてないぞ」

 

「まったく……。高橋、もう一回ね」

 

 こうして高橋のエルフ語の授業は続いた。

 

 途中からはエレナがエルフ語で簡単な質問をして、高橋が答える練習になった。

 

 聞き取れないと、エレナがゆっくりと言い直してくれる。

 

 それでも分からなければ、アルノーやミレーナが横から助け舟を出した。

 

 高橋はノートに新しい単語を書き込みながら、何度も発音を繰り返した。

 

 いつの間にか、かなりの時間が過ぎていた。

 

「はい、今日はここまでにしましょう」

 

 エレナがノートを閉じた。

 

「ありがとうございました」

 

「だいぶ上達したわね。最初のころより、ずっと聞き取れるようになってる」

 

「でも、まだ全然ですよ」

 

「焦らなくていいのよ。毎日少しずつ覚えればいいんだから」

 

 エレナは優しく微笑んだ。

 

 高橋もノートを閉じ、窓の外に目を向けた。

 

 雪景色の向こうに、遠く山並みが見えていた。

 

「そういえば、高橋」

 

「はい?」

 

「帝都には一泊する予定なのよね」

 

「そう聞いています」

 

「だったら、買い物に行きましょうよ」

 

「買い物ですか?」

 

「ええ。帝都には大きなお店がたくさんあるのよ。ベルノでは手に入らないものもあるし」

 

 エレナは楽しそうに言った。

 

「私、買いたいものがいくつかあるの。高橋も一緒に行かない?」

 

「いいですよ。僕も帝都を見てみたいですし」

 

「決まりね!」

 

 エレナは嬉しそうに笑った。

 

 それを聞いていたミレーナが顔を上げた。

 

「あら、二人でお買い物?」

 

「ええ、そうよ」

 

「ふうん」

 

 ミレーナは微笑んだ。

 

「何よ、その顔」

 

「別に。楽しんできてね」

 

 エレナは少しだけ眉を上げたが、それ以上は何も言わなかった。

 

 アルノーは本から顔を上げずに口を挟んだ。

 

「高橋、荷物持ちを頑張れよ」

 

「えっ、僕、荷物持ちなんですか?」

 

「違うわよ。そんなにたくさん買うつもりはないもの」

 

 エレナが否定すると、アルノーが笑った。

 

「そう言っているうちは、まだ分からんぞ」

 

「もう、アルノーまで!」

 

 四人の席に笑い声が広がった。

 

 高橋は再び窓の外へ目を向けた。

 

 帝都アウグステン。

 

 この世界に来てから、ベルノ以外の大きな都市を訪れるのは初めてだった。

 

 どんな街なのだろう。

 

 少し楽しみになってきた。

 

 夕食を終えるころには、窓の外はすっかり暗くなっていた。

 

 列車は相変わらず規則正しい音を立てながら走り続けている。

 

 車内の照明が灯され、兵士たちはそれぞれ談笑したり、本を読んだりして過ごしていた。

 

「さて、そろそろ寝る準備をしましょうか」

 

 エレナが立ち上がった。

 

「高橋、寝台を作るから手伝って」

 

「はい。でも、どうやるんですか?」

 

「初めてだったわね。アルノー、お願い」

 

「はいはい」

 

 アルノーは慣れた手つきで座席の上にある金具を外した。

 

 すると、天井近くに折り畳まれていた寝台が、ゆっくりと下りてきた。

 

「おおっ!」

 

 高橋が思わず声を上げる。

 

 アルノーは寝台を水平にすると、支えの金具を固定した。

 

「これで上段は完成だ」

 

「なるほど、こうなっていたんですね」

 

「下段も作るぞ。そっちを持ってくれ」

 

 向かい合わせの座席を操作すると、背もたれが倒れ、座面と合わせて平らな寝床になった。

 

 エレナとミレーナも手伝い、反対側の寝台を組み立てる。

 

 こうして、先ほどまで四人が向かい合って座っていた場所に、上下二段、合わせて四つの寝台ができあがった。

 

「すごいですね。昼間は座席で、夜はベッドになるんですか」

 

「長距離列車では普通よ」

 

 エレナはそう言いながら、寝台の毛布を整えた。

 

 高橋は興味深そうに金具を眺めていた。

 

 東京の電車とはまるで違うが、よく考えられた仕組みだった。

 

「高橋、そんなに珍しいか?」

 

 アルノーが笑った。

 

「ええ。日本にも寝台列車はありましたけど、僕は乗ったことがなかったので」

 

「そうか。まあ、慣れれば快適なものだぞ」

 

 それぞれの寝台にはカーテンが備えられており、閉めれば小さな個室のようになる。

 

 寝台の割り当ては、エレナとミレーナが下段、アルノーと高橋が上段となった。

 

「高橋、上で大丈夫?」

 

「はい、問題ありません」

 

「夜中に降りるときは気をつけてね。列車が揺れるから」

 

「分かりました」

 

 隣のボックスでも、フリーダ班が寝台の準備を始めていた。

 

「イルマ、そっちの留め金をお願い。リーナは反対側を見てくれる?」

 

「はい」

 

「ゾフィー、寝具を出しておいてね」

 

 フリーダは落ち着いた口調で指示を出しながら、自分も上段の寝台を引き下ろしていた。

 

 金具を固定し、寝台が水平になったことを確かめる。

 

「はい、これで大丈夫ね」

 

 四人は慣れた様子で作業を進めていた。

 

 高橋が隣を覗くと、すでに寝台の展開はほとんど終わっていた。

 

「早いですね」

 

「あら、高橋。何度も乗ってるからね。もう慣れちゃったわ」

 

 フリーダは笑いながら答えた。

 

「そっちはどう?」

 

「アルノーさんに教えてもらって、何とかできました」

 

「最初はちょっと戸惑うわよね。でも、覚えれば簡単よ」

 

 そこへエレナが顔を出した。

 

「フリーダ、そっちはもう終わったの?」

 

「ええ、ちょうど終わったところ。エレナたちは?」

 

「こっちも終わったわ。高橋が珍しがって、あちこち見ていたけど」

 

「ふふっ、初めてなんだもの。仕方ないわよね」

 

 フリーダは高橋の肩を軽く叩いた。

 

「明日は帝都よ。今夜はゆっくり休んでね」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「おやすみ、高橋」

 

 高橋とエレナは自分たちのボックスへ戻った。

 

 やがて兵士たちはそれぞれの寝台に入り始めた。

 

 高橋も上段へ登った。

 

 天井が近く、座っていると少し窮屈だったが、横になれば十分な広さがある。

 

 毛布をかぶり、カーテンを少し閉めてみる。

 

 周囲の視線が遮られると、不思議と落ち着いた。

 

「高橋、どう?」

 

 下からエレナの声がした。

 

「思ったより快適ですね」

 

「そうでしょう。揺れにもすぐ慣れるわよ」

 

 向かいの上段では、アルノーが早くも横になっていた。

 

「明日は帝都だからな。寝坊するなよ」

 

「分かってますよ」

 

 高橋が答える。

 

「それはお前に言ってるんじゃない。エレナに言ってるんだ」

 

「ちょっと、どういう意味よ!」

 

 エレナが抗議すると、ミレーナが笑った。

 

「エレナ、買い物の日は朝から元気だものね」

 

「いいじゃない。久しぶりの帝都なんだから」

 

 その声を聞きつけたのか、隣からフリーダが顔を出した。

 

「あら、明日は買い物に行くの?」

 

「ええ。高橋と行く約束をしたの」

 

「そう、いいわね。久しぶりの帝都だもの。楽しんできなさいよ」

 

「ありがとう。フリーダは?」

 

「私は補給品を少し確認しておきたいの。時間があったら街も歩いてみるつもりよ」

 

「相変わらず真面目ね」

 

「ふふっ。それ、エレナが言う?」

 

 二人は顔を見合わせて笑った。

 

「じゃあ、また明日ね」

 

「ええ。おやすみ、フリーダ」

 

 フリーダは軽く手を振り、自分のボックスへ戻っていった。

 

 やがて照明が落とされ、通路には夜間用の小さな灯りだけが残った。

 

 車輪の音が、いっそう大きく聞こえる。

 

 ガタン、ゴトン。

 

 ガタン、ゴトン。

 

 高橋は毛布の中で寝返りを打った。

 

 昼間、エレナから習ったエルフ語を頭の中で繰り返してみる。

 

 方向、距離、人数。簡単な報告の言葉。

 

 覚えなければならないことは、まだたくさんあった。

 

「高橋、まだ起きてる?」

 

 下からエレナの小さな声がした。

 

「はい」

 

「明日、楽しみね」

 

「ええ。帝都って、どんなところなのか楽しみです」

 

「私のお気に入りのお店にも案内してあげる」

 

「はい、お願いします」

 

「それじゃ、おやすみなさい」

 

「おやすみなさい、エレナさん」

 

 高橋はカーテンを閉じた。

 

 東京にいたころ、寝台列車に乗って旅をすることなど考えたこともなかった。

 

 それが今は、異世界の軍用列車で、エルフの仲間たちと一緒に眠ろうとしている。

 

 妙なものだと思った。

 

 そして列車の心地よい揺れに身を任せ、ゆっくりと目を閉じた。

 

 軍用列車は夜の雪原を走り続けていた。

 

*

 

 翌朝。

 

 高橋が目を覚ますと、窓の外はすでに明るくなっていた。

 

 寝台から下りると、エレナが窓の外を眺めていた。

 

「おはよう、高橋」

 

「おはようございます」

 

「もうすぐ帝都よ」

 

 高橋は窓へ近づいた。

 

 昨日までの田園風景とは違い、線路の周囲には大きな建物が増えていた。

 

 工場の煙突が何本も立ち、広い操車場には貨車が何列も並んでいる。

 

 列車が進むにつれ、街並みはさらに大きくなっていった。

 

「すごいですね……」

 

 高橋がつぶやく。

 

「ここはまだ帝都の外れよ」

 

 エレナは笑った。

 

 やがて列車は速度を落とし、いくつもの分岐器を通過していった。

 

 遠くから汽笛が聞こえる。

 

 貨物列車、客車、軍用車両。

 

 広大な駅構内には無数の線路が延びていた。

 

 そして、長いホームが見えてきた。

 

 車内に到着を告げる声が響く。

 

「まもなく、アウグステン軍用駅に到着します。各部隊は降車準備を行ってください」

 

 高橋は荷物棚から背嚢を下ろした。

 

 エレナが班員たちに声をかける。

 

「みんな、忘れ物はないわね?」

 

「大丈夫だ」

 

 アルノーが答えた。

 

「じゃあ、降りましょう」

 

 列車がゆっくりとホームへ滑り込む。

 

 車輪が軋み、やがて完全に停止した。

 

 高橋は窓の外を見た。

 

 そこには見渡す限りの駅施設と、大勢の軍人たちの姿があった。

 

 帝都アウグステン。

 

 帝国の政治と軍事の中心地。

 

 高橋にとって初めての寝台列車の旅は、ここでひとまず終わった。

 

 駅構内には何本もの線路が並び、貨車の入れ替えや物資の積み下ろしが行われていた。

 

 先遣隊の兵士たちはホームに降り、部隊ごとに整列した。

 

 ヴァルター少佐が全員を見渡す。

 

「本日は帝都で一泊する。明朝八時に再集合だ。遅刻した奴は尻を蹴り飛ばすからな」

 

 兵士たちの間から笑いが漏れた。

 

「装備の管理は各班長の責任とする。外出する者は行き先を報告しろ。以上、解散!」

 

 号令とともに兵士たちが動き出した。

 

 特に用事のない兵士たちは、軍用駅に併設された兵舎で寝泊まりすることになっていた。

 

 高橋たちも割り当てられた兵舎へ向かい、荷物を置いた。

 

 昼前には自由時間となった。

 

「高橋、行きましょうか」

 

 エレナが声をかけてきた。

 

「はい。どこへ行くんですか?」

 

「まずは市場ね。買いたいものがあるの」

 

 二人は兵舎を出て、帝都の街へ向かった。

 

 帝都アウグステンは、ベルノとは比較にならないほど大きな街だった。

 

 広い石畳の道路には馬車が行き交い、通りの両側には何階建てもの建物が並んでいる。

 

 冬の冷たい風が通りを吹き抜けていたが、街には大勢の人々が行き交い、活気に満ちていた。

 

 商店の軒先では店員たちが声を張り上げ、荷馬車から商品を降ろす男たちが忙しそうに働いている。厚手の外套を着た女性たちが買い物袋を提げ、子供たちがその間を走り回っていた。

 

 高橋は物珍しそうに周囲を見回していた。

 

「すごいですね。ベルノとは全然違います」

 

「帝都だもの。これでもまだ中心部じゃないのよ」

 

 エレナは慣れた足取りで歩いていく。

 

 しばらくすると、大きな市場に出た。

 

 屋根のある商店街には、衣類、食料品、雑貨など、さまざまな商品が並んでいた。

 

「まずはこっちね」

 

 エレナが入ったのは衣料品店だった。

 

 棚には下着や靴下、肌着などが整然と並べられている。

 

「下着ですか?」

 

「そうよ。前線では洗濯も思うようにできないことがあるから、予備が必要なの」

 

 エレナは生地を指先で確かめながら商品を選んでいく。

 

「ここの品物は質がいいのよ。少し高いけど、長持ちするわ」

 

「なるほど」

 

「高橋も買っておいたら? 軍から支給されるものだけじゃ不便でしょう」

 

「そうですね。せっかくだから」

 

 高橋も何枚か選ぶことにした。

 

 エレナは生地の厚さや縫い目を確かめながら、高橋の分まで品物を見てくれた。

 

「これなんかいいんじゃない?」

 

「じゃあ、それにします」

 

「ちゃんと大きさを確認しなさいよ」

 

「はい」

 

 高橋は少し照れくさそうに答えた。

 

 買い物を終えると、次は食料品を扱う店へ向かった。

 

 エレナは塩、胡椒、乾燥させた香草を少しずつ購入していく。

 

「調味料ですか?」

 

「ええ。軍の食事って、どうしても単調になるでしょう?」

 

「そうですね」

 

「こういうものが少しあるだけで、ずいぶん違うのよ」

 

 エレナは小さな包みを高橋に見せた。

 

「特に香草は便利よ。干し肉でもスープでも使えるから」

 

 高橋は感心して頷いた。

 

 店を出ると、通りの向こうを軍用の荷馬車が通り過ぎていった。

 

 幌をかけた荷台には木箱が高く積まれ、車体の側面には軍の標章が描かれている。

 

 その後ろには、銃を肩にかけた兵士たちが数人歩いていた。

 

 高橋は何となく、その姿を目で追った。

 

 ここは帝国の首都だった。

 

 市場には豊富な商品が並び、街の人々はごく普通の生活を送っている。

 

 けれど、その一方で、何千キロも離れた前線では今も戦争が続いている。

 

 自分も明日には、そこへ向かう列車に乗るのだ。

 

「高橋?」

 

 エレナに呼ばれ、高橋は振り返った。

 

「あ、はい」

 

「どうしたの?」

 

「いえ、何でもありません」

 

「そう?」

 

 エレナは少し高橋の顔を見たが、それ以上は聞かなかった。

 

「じゃあ、最後にコーヒーを買っていきましょう」

 

「はい」

 

 最後にエレナが立ち寄ったのは、コーヒー豆を扱う店だった。

 

 店内には香ばしい匂いが漂っている。

 

 エレナは店主と少し話し、豆の入った袋を手に取った。

 

「これも買うんですか?」

 

「もちろん」

 

 エレナは笑った。

 

「あるとないとじゃ違うのよね」

 

「エレナさん、コーヒー好きですもんね」

 

「そうよ。特に寒い朝は、温かいコーヒーが飲みたくなるの」

 

 エレナは満足そうに袋を受け取った。

 

 高橋は、その様子を見て少し笑った。

 

 普段は厳しい訓練を指揮する班長だが、こうして買い物をしている姿は、まるで別人のようだった。

 

 一通り買い物を終えた二人は、市場の外にある小さな広場で休むことにした。

 

 広場の中央には石造りの噴水があったが、冬のため水は止められていた。水盤には薄く雪が積もり、その縁には氷が張りついている。

 

 周囲にはベンチが並び、買い物帰りの人々が腰を下ろしていた。

 

 広場に面したパン屋からは焼きたてのパンの匂いが漂い、少し離れた場所では子供たちが雪を丸めて遊んでいる。

 

 高橋は荷物を足元に置き、ベンチに腰を下ろした。

 

「結構買いましたね」

 

「そうね。でも必要なものばかりよ」

 

 エレナも隣に腰を下ろした。

 

 高橋は手袋を外し、冷たくなった指先を擦り合わせた。

 

 広場の向こうでは、小さな子供が母親に手を引かれながら歩いていた。

 

 子供はパン屋の店先に並んだ菓子を指さし、何かをねだっている。母親は困ったように笑いながら、子供の手を引いて店に入っていった。

 

 高橋はその姿をぼんやりと眺めていた。

 

 東京にいたころも、こんな光景はどこにでもあった。

 

 学校へ行き、友人と話し、家に帰る。

 

 そんな生活が当たり前だった。

 

 それが今では、軍服を着て、銃を持ち、戦場へ向かおうとしている。

 

 七月に召喚されてから、わずか半年。

 

 ずいぶん遠いところまで来てしまった。

 

 山中訓練では実際に銃を撃った。訓練とは違う緊張も味わった。

 

 それでも、目の前にいる相手を狙って撃つことと、砲弾が降り注ぐ戦場に身を置くことは、まったく違うはずだった。

 

 夜間訓練で聞いた百二十ミリ砲の轟音を思い出す。

 

 あの砲弾が自分のいる場所へ飛んできたら、どうなるのだろう。

 

 敵がどこにいるのかも分からないまま、突然砲撃を受けるかもしれない。

 

 塹壕の中で身を伏せていても、必ず助かるとは限らない。

 

 自分は本当に、そんな場所で生き残れるのだろうか。

 

「高橋」

 

 エレナの声で、我に返った。

 

「はい?」

 

「戦場へ行くの、怖い?」

 

 突然の質問だった。

 

 高橋は少し考えてから答えた。

 

「……はい。怖いです」

 

 エレナは黙って続きを待った。

 

「訓練では何度も教わりましたけど、本当の戦場がどんなところなのか、まだ分かりませんし」

 

「そうね」

 

「砲撃とか、敵の攻撃とか……。考えると手が震えます」

 

 高橋は自分の手を見つめた。

 

 先ほどまで冷たさのせいだと思っていた指先が、かすかに震えていた。

 

「訓練では、いつもエレナさんたちがいますから。何かあっても、どうすればいいか教えてもらえますし」

 

 高橋は言葉を探した。

 

「でも、戦場では何が起こるか分からないんですよね」

 

「ええ。そうね」

 

「自分がちゃんと動けるのか……正直、自信がありません」

 

 エレナは静かに頷いた。

 

「怖くて当たり前よ」

 

「エレナさんもですか?」

 

「もちろん。私だって怖いわ」

 

 高橋は意外そうに顔を上げた。

 

「そうなんですか?」

 

「そうよ。死にたくないもの」

 

 エレナはあっさりと言った。

 

「長く兵隊をやっているからって、怖くなくなるわけじゃないのよ」

 

「……そうなんですね」

 

「それに、怖いと思うことは悪いことじゃないわ。慎重になるから」

 

 エレナは広場の向こうへ目を向けた。

 

 子供たちが笑いながら走り回っている。

 

 その向こうを、軍服姿の兵士が二人、買い物袋を提げて歩いていった。

 

「戦場ではね、怖がらない人より、怖さを知っている人の方が長生きすることもあるのよ」

 

 高橋は黙って聞いていた。

 

「でも、怖がってばかりでも疲れてしまうでしょう?」

 

「はい」

 

 エレナは高橋の顔を見た。

 

 そして、ふっと微笑んだ。

 

「そうね……少し忘れさせてあげようか」

 

「え?」

 

 高橋が聞き返すと、エレナは立ち上がった。

 

「ほら、行きましょう」

 

「どこへですか?」

 

「いいから」

 

 エレナは高橋の手を取った。

 

 高橋は慌てて荷物を持ち上げ、引かれるままに歩き出した。

 

 市場の喧騒が遠ざかり、二人は人通りの少ない通りへ入った。

 

 建物の間から差し込む冬の日差しが、石畳を淡く照らしていた。

 

 エレナは高橋の手を引いたまま、一軒の宿屋の前で足を止めた。

 

 高橋が看板を見上げる。

 

 振り返ったエレナと目が合った。

 

 高橋は少し顔を赤らめたが、つないだ手を離さなかった。

 

 エレナは微笑むと、宿屋の扉を開けた。

 

 二人はそのまま中へ入っていった。

 

*

 

 

 部屋に案内されると、エレナは買い物の荷物をテーブルに置いた。

 

 高橋は少し緊張した様子で、部屋の中を見回していた。

 

 エレナは高橋のそばへ歩み寄った。

 

「ねえ、高橋。こっちを向いて」

 

 高橋が振り向くと、エレナは両手を彼の肩に置いた。

 

「今は私のことだけみてて」

 

 そう言って、優しく口づけた。

 

 高橋は戸惑いながらも、彼女を抱きしめた。

 

 エレナもその背中に腕を回した。

 

 二人はしばらくそのまま抱き合っていた。

 

 

*

 

 部屋の中は静かだった。

 

 窓の外から、遠くを走る馬車の音がかすかに聞こえてくる。

 

 高橋はベッドに横になったまま、天井を見つめていた。

 

 隣ではエレナが、穏やかな表情でくつろいでいる。

 

「ねえ、高橋」

 

「はい?」

 

「どうだった?」

 

 高橋は少し考えた。

 

「……なんか幸せな気持ちです」

 

 その答えを聞いて、エレナは優しく微笑んだ。

 

「そう。ならよかったわ」

 

 そう言うと、エレナは身を寄せ、高橋の唇にそっとキスをした。

 

 高橋は照れくさくなり、少し離れて毛布をかぶった。

 

「あら、高橋。何をそんなに離れてるの?」

 

「えっ、いや……」

 

「こっちに来なさい」

 

 エレナは毛布を少し持ち上げた。

 

「裸で抱き合って寝るの、気持ちいいのよ。ほら、おいで」

 

 高橋は少し迷ったが、エレナの方へ身体を寄せた。

 

「そうそう」

 

 エレナは高橋を優しく抱き寄せた。

 

「ほら、温かいでしょう?」

 

「……はい」

 

「ふふっ。そんなに緊張しなくていいのよ」

 

 高橋もおずおずとエレナの背中に腕を回した。

 

「そう。それでいいの」

 

 しばらく二人は、そのまま抱き合っていた。

 

「エレナさん……ありがとうございます」

 

「もう、またお礼?」

 

 エレナはくすりと笑った。

 

「お礼はいいわ。亘一、あなたは私の男よ。意味、わかる?」

 

「えっ……」

 

 高橋は思わず顔を上げた。

 

「私の男。つまり、そういうことよ」

 

 エレナは高橋の頬に手を添えた。

 

「それとも、水野がよかった?」

 

「えっ、先生ですか?」

 

 突然出てきた名前に、高橋は目を丸くした。

 

「そうよ。胸、大きいものね」

 

 エレナはいたずらっぽく微笑んだ。

 

「男の人って、やっぱりああいうのが好きなんでしょう?」

 

「い、いや、そんなこと……」

 

「あら、違うの?」

 

「先生は先生ですよ!」

 

 慌てて答える高橋を見て、エレナはとうとう声を出して笑った。

 

「あははっ! ごめんなさい。ちょっと意地悪しちゃった」

 

「もう、勘弁してくださいよ……」

 

「ふふっ。高橋って、からかうと本当に面白いわね」

 

 エレナは笑いながら、高橋をもう一度抱き寄せた。

 

「でもね、亘一」

 

「はい?」

 

「たぶん私たち、うまくいくわ」

 

 先ほどまでとは違う、穏やかな声だった。

 

「……そうですか?」

 

「ええ。わかるもの」

 

 エレナは高橋の目をじっと見つめた。

 

「あなたと一緒にいると、私も安心するの。無理に何か話さなくてもいいし、こうしているだけで気持ちがいいわ」

 

 エレナは少しだけ顔を近づけた。

 

「今度は、あなたからキスして」

 

 高橋は一瞬ためらった。

 

 これまではエレナの方からキスしてくれていた。自分からとなると、どうしても緊張してしまう。

 

「ほら、遠慮しないで」

 

 エレナは目を閉じた。

 

 高橋はそっと彼女の頬に手を添え、顔を近づけた。

 

 二人の唇が静かに重なった。

 

 しばらくして唇が離れると、エレナは満足そうに微笑んだ。

 

「うん。上手にできたわね」

 

「……子供扱いしてません?」

 

「あら、そんなことないわよ」

 

 そう言いながら、エレナはもう一度、高橋に口づけた。

 

 今度は高橋もためらわず、彼女を抱き寄せた。

 

「あら?」

 

 エレナは高橋の様子に気づき、いたずらっぽく微笑んだ。

 

「あら、元気ね」

 

「えっ、いや、その……」

 

「ふふっ。そんなに慌てなくてもいいのよ」

 

 エレナは高橋の頬を優しく撫でた。

 

「時間はあるわ。ゆっくり私を感じて」

 

 高橋は黙って頷いた。

 

 エレナは優しく微笑み、彼を抱き寄せた。

 

 窓の外では、帝都の夜が静かに更けていった。

 

*

 

 

 翌朝、帝都アウグステンの軍用駅は、早くから大勢の兵士たちで賑わっていた。

 

 ホームには中部戦線へ向かう軍用列車が停車している。

 

 貨車への物資の積み込みはほぼ終わり、輸送係の兵士たちが最後の確認を行っていた。

 

 浸透偵察小隊も集合を終え、班ごとに整列していた。

 

 高橋はエレナ班の列に並んでいた。

 

 隣にはアルノーとミレーナ、その少し先にはフリーダ班の姿も見える。

 

 前夜、駅の兵舎に戻らず市内で外泊したのは、エレナと高橋の二人だった。

 

 小隊の者たちは皆、そのことを知っていた。

 

 だが、誰も二人に余計なことは聞かなかった。

 

 やがてヴァルター少佐が姿を現した。

 

 各班長から人員の報告を受けると、ヴァルターは整列した隊員たちをぐるりと見渡した。

 

「よし! 野郎ども、揃ってるな!」

 

 大きな声がホームに響き渡った。

 

「次は戦場だ! 乗り込め!」

 

「了解!」

 

 隊員たちが一斉に答えた。

 

 ヴァルターの号令で、浸透偵察小隊は各班ごとに列車へ乗り込み始めた。

 

「さあ、私たちも行きましょう」

 

 エレナが高橋たちに声をかけた。

 

「はい!」

 

 高橋は背嚢を背負い直し、エレナの後に続いた。

 

 客車に乗り込むと、再び四人掛けの区画へ向かった。

 

 アルノーが荷物棚に背嚢を上げ、ミレーナも自分の席に腰を下ろした。

 

 高橋が荷物を片づけていると、通路をヴァルター少佐が歩いてきた。

 

「エレナ班、全員揃っているな?」

 

「はい、少佐」

 

「よし」

 

 ヴァルターは軽く頷くと、高橋に目を向けた。

 

「高橋、ちょっといいか」

 

「はい」

 

 高橋が通路に出ると、ヴァルターは少し身をかがめ、小声で言った。

 

「いい顔になったな。生き残れよ」

 

 高橋はヴァルターを見上げた。

 

 いつもの豪快な笑顔ではなかった。

 

「……はい!」

 

 ヴァルターは高橋の肩を軽く叩くと、何事もなかったように次の区画へ歩いていった。

 

 高橋はその後ろ姿を見送った。

 

 席に戻ると、エレナが微笑んだ。

 

「さあ、高橋。いよいよ戦場ね」

 

「はい」

 

 高橋はしっかりと頷いた。

 

 やがて汽笛が鳴り響いた。

 

 列車がゆっくりと動き始める。

 

 帝都アウグステンの軍用駅が、少しずつ遠ざかっていった。

 

 ベルノ連隊第一陣は、いよいよ中部戦線へ向けて出発した。

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