勇者連隊戦記   作:バグスター

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帝国歴232年2月・サラミス


第3節 五十メートル

第1歩兵中隊を乗せた列車がサラミス駅に到着したのは、午前中のことだった。

 

蒸気機関車が白い蒸気を吐き出し、長い客車がゆっくりとホームに滑り込んでくる。

 

駅の構内には軍需物資を積んだ貨車が何本も停車していた。線路の向こうでは兵士たちが木箱を貨車から降ろし、荷馬車へと積み替えている。

 

石炭の煙と油の匂いが漂い、時折、積み荷を固定する金具の音が響いていた。

 

列車から降りた兵士たちは、冷たい風に襟を立てながら、各小隊ごとに整列を始めた。

 

その中に、井上翔太二等兵の姿があった。

 

背は低く、小太りの少年だった。

 

半年余りの軍事訓練で多少は身体が引き締まったものの、腹回りには相変わらず肉が残っている。眼鏡をかけた顔にはニキビが目立ち、顎には剃り残した無精ひげが生えていた。

 

日本にいた頃から、容姿にはあまり恵まれていなかった。

 

それでも、この半年間で体力がついたことは嬉しかった。

 

最初の頃はついていくだけで精一杯だった行軍も、今では何とかこなせるようになっている。

 

長距離行軍では相変わらず遅れがちだったが、訓練を休んだことはほとんどない。

 

軍事オタクだった井上にとって、実際の軍隊生活には興味深いことが多かった。

 

日本では写真や動画でしか見たことのなかった兵器が、ここでは実際に使用されている。

 

G11小銃も、G12機銃も、四十五ミリ速射砲も。

 

訓練は厳しかったが、新しいことを覚える楽しさもあった。

 

井上が背嚢を背負い直していると、前方で号令が響いた。

 

「各小隊、整列!」

 

兵士たちは慌ただしく隊列を整えた。

 

ほどなくして、中隊本部の将校が兵士たちの前に立った。

 

「これから名前を呼ばれる者は、一歩前へ出ろ!」

 

将校が手にした書類を読み上げ始めた。

 

名前を呼ばれた兵士たちが、次々と列から抜けていく。

 

「井上翔太二等兵!」

 

「はい!」

 

井上は慌てて一歩前へ出た。

 

結局、第1歩兵中隊から選ばれたのは十名ほどだった。

 

将校は全員が揃ったのを確認すると、説明を始めた。

 

「お前たちは軍団司令部の命令によって、新型兵器の講習を受けることになった。このままサラミスに残留しろ!」

 

井上は思わず顔を上げた。

 

新型兵器。

 

その言葉だけは、聞き間違えようがなかった。

 

「講習終了後の移動については改めて指示する。残りの者は予定どおり前線へ向かう!」

 

選抜された兵士たちは、それぞれ荷物を持って隊列から離れた。

 

井上は背嚢を地面に置き、眼鏡を押し上げた。

 

新兵器の講習。

 

いったい何を使うのだろう。

 

新型の機関銃か。それとも、まだ見たことのない対戦車砲だろうか。

 

思わず口元が緩んだ。

 

「おい、井上!」

 

声をかけてきたのは、同じ第1中隊の川崎晴斗だった。

 

「お前、残るのか?」

 

「ああ。何か新兵器の講習だってさ」

 

「へえ。お前、そういうの好きだもんな」

 

川崎は笑った。

 

「頑張ってこいよ」

 

「おう。そっちもな」

 

川崎が隊列へ戻っていくと、今度は別の日本人兵士が近づいてきた。

 

「井上、お前も選ばれたのか」

 

第18期召喚者の飯島仁上等兵だった。

 

「はい。飯島上等兵は、この講習について何か知ってますか?」

 

「新兵器のことか?」

 

「はい!」

 

井上は期待を込めて尋ねた。

 

飯島は少し考えてから答えた。

 

「さっき現地の軍曹が何か説明してたんだが……」

 

「どんな兵器ですか?」

 

「それが、よくわからんのだ」

 

飯島は困ったように頭をかいた。

 

「何か爆薬を使う兵器らしいんだけどな」

 

「爆薬ですか?」

 

「ああ。聞いたことのない言葉が出てきてな。日本語で何と言うのか、さっぱりわからん」

 

「砲弾とか、手榴弾とかじゃないんですか?」

 

「だから、わからんって」

 

飯島は苦笑した。

 

「爆発の仕方がどうとか、そんな説明だったと思うんだが……」

 

「うーん……」

 

井上は首を傾げた。

 

爆薬を使う兵器など、いくらでもある。

 

砲弾なのか、地雷なのか、それとも何か特殊な爆薬を使う兵器なのか。

 

それだけでは、まったく見当がつかなかった。

 

「まあ、講習を受ければわかるだろ。お前、そういうの詳しいじゃないか」

 

「それはそうですけど……」

 

「しっかり勉強してこいよ」

 

「はい!」

 

飯島は井上の肩を軽く叩くと、本隊の集合場所へ戻っていった。

 

やがて出発の号令が響き、第1中隊の兵士たちが再び列車へ乗り込んでいった。

 

井上は、他の選抜兵たちとともにホームの端に立っていた。

 

蒸気機関車が長い汽笛を鳴らす。

 

車輪がゆっくりと動き始め、客車が次々と目の前を通り過ぎていった。

 

窓から川崎が顔を出した。

 

「井上! また後でな!」

 

「おう!」

 

井上は大きく手を振った。

 

やがて列車は速度を上げ、駅の向こうへと姿を消した。

 

冬の空へ、黒い煙が長く伸びていく。

 

列車が行ってしまうと、ホームは急に広く感じられた。

 

井上は眼鏡を押し上げた。

 

これから自分たちは、軍団の新兵器を教えてもらえるのだ。

 

そう思うと、前線へ向かう仲間たちと別れた寂しさよりも、好奇心の方が勝っていた。

 

* * *

 

選抜された兵士たちは、軍団から派遣された案内兵に従い、駅から少し離れた兵舎へ向かった。

 

サラミスの町は、ベルノよりも軍人の姿が目立った。

 

通りには軍用馬車や牽引車が行き交い、補給物資を積んだ荷車が石畳を軋ませながら進んでいく。

 

道路脇には除雪された雪が積み上げられ、軒先からは細長い氷柱が垂れ下がっていた。

 

通りの角を曲がると、軍服姿の一団とすれ違った。

 

井上は周囲の様子を興味深そうに眺めていた。

 

ベルノの駐屯地とは規模がまるで違う。

 

軍団というものが、これほど大きな組織なのだと改めて実感した。

 

案内された兵舎は、軍団司令部の施設の一角にあった。

 

二段ベッドが並んだ部屋に荷物を置き、井上たちは講習について簡単な説明を受けた。

 

講習の開始は、他の歩兵中隊から選抜された兵士たちが到着してからになるという。

 

それまでは宿舎で待機するよう命じられた。

 

夕方、井上は食堂で他の兵士たちと夕食を取った。

 

大きな鍋から盛り付けられた煮込み料理が、湯気を上げている。

 

第1中隊から選ばれた十名は、それぞれ別の小隊や分隊に所属している者も多かった。

 

食事の席では、当然のように新兵器の話になった。

 

「何の講習なんだろうな」

 

「対戦車兵器だって話を聞いたぞ」

 

「本当か?」

 

「いや、俺も詳しくは知らん」

 

井上も話に加わろうとしたが、現地兵たちが帝国共通語で早口に話し始めると、途端についていけなくなった。

 

半年以上学んできたとはいえ、井上の語学力はまだ十分ではなかった。

 

日常的な命令や、訓練で繰り返し使う軍事用語なら理解できる。

 

しかし、知らない単語がいくつも続くと、話の内容がわからなくなる。

 

井上は黙って食事を口に運んだ。

 

日本語なら、いくらでも兵器の話ができるのに。

 

食堂の窓ガラスには、室内の灯りが映り込んでいた。

 

その向こうでは、細かな雪が音もなく舞っている。

 

対戦車兵器。

 

その言葉だけが、妙に気になった。

 

戦車を相手にする兵器ということは、今度の前線には魔族の戦車がいるのだろうか。

 

だが、そのときの井上には、まだ実感がなかった。

 

頭に浮かぶのは、軍事雑誌や古い戦争映画に出てきた戦車ばかりだった。

 

* * *

 

翌日、第2歩兵中隊がサラミスに到着した。

 

こちらでも第1中隊と同じように新兵器講習の受講者が選抜され、その中には岡田修平二等兵の姿があった。

 

岡田は背が高く、整った顔立ちの爽やかな少年だった。

 

日本ではサッカー部に所属しており、もともと運動能力には自信があった。

 

半年余りの軍事訓練を経て、今では軍服姿もすっかり板についている。

 

訓練への取り組みも真面目で、現地の兵士たちとの付き合いもよい。

 

帝国共通語もそれなりに上達しており、日常会話ならさほど困らなくなっていた。

 

上官や同僚からの評価も高かった。

 

そのため、新兵器の講習を受ける兵士に選ばれたときも、本人はそれほど驚かなかった。

 

もっとも、何の兵器なのかは知らされていなかったが。

 

指定された宿舎に到着した岡田は、荷物を抱えて建物の中へ入った。

 

廊下にはすでに何人もの兵士が集まっていた。

 

その中に、見覚えのある小柄な日本人がいる。

 

「……あれ、井上?」

 

名前を呼ばれた井上が振り返った。

 

「おお、岡田じゃないか!」

 

井上は嬉しそうに目を見開いた。

 

「お前も選ばれたのか?」

 

「ああ。さっき第2中隊で選抜された」

 

「そうか! 俺は昨日からここにいるんだ」

 

同じ第20期の日本人が来たことで、ようやく気兼ねなく話せる相手ができた。

 

「ところで井上、何の講習なんだ?」

 

「それが、よくわからないんだよ」

 

「え? 昨日からいるんだろ?」

 

「そうなんだけどさ」

 

井上は困ったように頭をかいた。

 

「新兵器らしい。爆薬を使うとか、対戦車兵器だとか、いろいろ聞くんだけど……」

 

「対戦車兵器?」

 

「ああ。でも、まだ実物を見てないんだ」

 

岡田は首を傾げた。

 

「対戦車砲なら、うちにもあるじゃないか」

 

「四十五ミリ速射砲だろ? それとは違うらしいんだ」

 

「ふうん」

 

岡田は肩をすくめた。

 

「まあ、実物を見ればわかるだろ」

 

「お前も飯島上等兵と同じこと言うなあ」

 

井上は苦笑した。

 

「でも、楽しみなんだよ。新兵器なんて、そうそう触れるものじゃないし」

 

「そういうの、本当に好きなんだな」

 

岡田は笑った。

 

二人が話しているところへ、案内の兵士がやってきた。

 

「第2中隊の選抜兵は、こちらで宿舎の割り当てを受けろ!」

 

岡田は帝国共通語で返事をすると、兵士のところへ歩いていった。

 

井上はその後ろ姿を眺めていた。

 

岡田は背が高く、姿勢もよい。

 

将校から説明を受ける態度も自然で、帝国共通語の受け答えにもほとんど詰まらない。

 

同じ高校生だったのに、ずいぶん差がついたものだ。

 

井上は少しだけ羨ましく思った。

 

もっとも、軍事知識なら自分の方が上だ。

 

そう考えると、少し気が楽になった。

 

* * *

 

その後、第3、第4歩兵中隊からも講習の受講者が到着した。

 

四個中隊から集められた兵士たちは、軍団の兵器講習所へ案内された。

 

講習所は、サラミスの市街地から少し離れた場所にあった。

 

周囲には広い演習場があり、その一角には低い土塁と射撃用の標的が並んでいる。

 

兵器を保管する倉庫もいくつか建てられていた。

 

朝の冷え込みは厳しく、地面には昨夜降った雪が薄く残っていた。

 

兵士たちの軍靴が凍った地面を踏むたびに、ざくざくと乾いた音がする。

 

井上と岡田は、他の受講者たちとともに演習場の一角に整列した。

 

前方には軍団所属の教官が立っている。

 

その後ろには、木箱がいくつか並べられていた。

 

井上は気になって仕方がなかった。

 

あの箱の中に、新兵器が入っているのだろうか。

 

やがて教官が口を開いた。

 

「本日より、諸君には新型対戦車兵器G13の取り扱いを教育する!」

 

井上は耳をそばだてた。

 

G13。

 

聞いたことのない名前だった。

 

教官は部下に合図した。

 

兵士たちが木箱を開け、中から細長い金属製の筒を取り出した。

 

さらに、先端が大きく膨らんだ弾体が並べられる。

 

井上は思わず身を乗り出した。

 

「……え?」

 

見覚えがあった。

 

教官が兵器を持ち上げ、その全体が見えるようにすると、井上は隣に立つ岡田の腕をつついた。

 

「おい、岡田」

 

「何だよ」

 

「あれ……」

 

井上は声を潜めた。

 

「パンツァーファウストじゃないか?」

 

「パンツァー……何だって?」

 

岡田が怪訝な顔をした。

 

「ドイツ軍の対戦車兵器だよ! 第二次世界大戦の!」

 

「知らないよ、そんなの」

 

岡田はあっさり答えた。

 

「でも、何か違うな……」

 

井上は再び兵器を見つめた。

 

形はよく似ている。

 

しかし、教官は筒と弾体を別々に扱っている。

 

どうやら、あの筒は使い捨てではないらしい。

 

「……再装填式なのか?」

 

「おい、井上。静かにしろ」

 

岡田が小声で注意した。

 

「すまん」

 

井上は慌てて姿勢を正した。

 

しかし、頬には笑みが浮かんでいた。

 

本や写真で見たことのある兵器に、こうして実際に触れられるとは思わなかった。

 

それも、地球とはまったく違う世界で。

 

不思議な気分だった。

 

教官はG13を掲げながら、帝国共通語で説明を続けていた。

 

井上には、ところどころ意味のわからない言葉があった。

 

特に弾体の構造について説明している部分は、ほとんど理解できない。

 

聞いたことのない単語が、何度も繰り返されていた。

 

井上は眉をひそめた。

 

一方、岡田は教官の説明を聞きながら、時折頷いていた。

 

「岡田、今のわかった?」

 

井上が小声で尋ねた。

 

「全部じゃないけどな」

 

「何て言ってた?」

 

「普通の爆発とは違って、爆発の力を狭いところに集めるとか……そんな感じだと思う」

 

「へえ……」

 

「俺だって、細かいところはわからないぞ」

 

岡田は肩をすくめた。

 

井上は少し悔しかった。

 

知識はあるのに、言葉がわからない。

 

しかし、目の前には実物がある。

 

見て、触れて、実際に使えば、きっと理解できる。

 

そう思うと、また少し楽しくなった。

 

やがて教官は説明を終え、G13を肩に構えて見せた。

 

「この兵器は歩兵が携行し、敵の装甲車両に対して使用するものだ」

 

その程度の帝国共通語なら、井上にも理解できた。

 

「発射時には後方にも危険がある。取り扱いを誤れば、味方を負傷させることになる。必ず教官の指示に従え!」

 

兵士たちの間に緊張が走った。

 

教官は続けた。

 

「また、この発射筒は繰り返し使用する。製造にも費用がかかるため、発射後に勝手に投棄してはならない!」

 

井上は小さく頷いた。

 

やはり、使い捨てではないらしい。

 

地球の兵器と似ているようで、違う。

 

その違いを一つずつ知ることが、井上には面白かった。

 

やがて教官は、演習場の奥に設置された装甲板を指さした。

 

「これから実際に発射して見せる!」

 

兵士たちがざわめいた。

 

井上は思わず笑みを浮かべた。

 

いよいよ実演だ。

 

* * *

 

演習場の奥には、厚い鋼板を取り付けた標的が置かれていた。

 

鋼板の周囲には土塁が築かれ、離れた場所からでも標的が見えるようになっている。

 

冬の日差しが、鋼板の表面を鈍く照らしていた。

 

教官は受講者たちを安全な場所へ下がらせた。

 

別の兵士がG13を準備し、射撃位置に立つ。

 

井上は岡田の隣から、その様子をじっと見つめていた。

 

「すごいな。あんな小さい兵器で装甲板を撃ち抜けるのか」

 

「さあ。これからやるんだろ?」

 

岡田は落ち着いた様子だった。

 

井上は眼鏡を押し上げた。

 

射手が構えを取り、教官が周囲を確認する。

 

号令が響いた。

 

次の瞬間、鋭い発射音が演習場に響いた。

 

井上は思わず肩をすくめた。

 

発射位置の後方で雪混じりの土埃が舞い上がり、少し遅れて標的の方から爆発音が聞こえた。

 

白っぽい煙が立ち上り、土煙が風に流されていく。

 

「おお……!」

 

井上は思わず声を上げた。

 

岡田も目を丸くしていた。

 

「すげえ音だな」

 

煙が薄くなると、教官たちは標的の確認へ向かった。

 

しばらくして、受講者たちも順番に鋼板を見せてもらうことになった。

 

井上は前の兵士たちの肩越しに、何とか標的を覗き込もうとした。

 

「見えない……」

 

「お前、もう少し待てよ」

 

岡田が苦笑した。

 

やがて順番が回ってきた。

 

鋼板には、穴が開いていた。

 

周囲には弾着の跡が残っているが、井上が想像していたような大きな破壊ではなかった。

 

「へえ……」

 

井上は顔を近づけた。

 

「爆発で板を吹き飛ばすわけじゃないのか」

 

「穴が開いてるな」

 

岡田も興味深そうに眺めていた。

 

教官が鋼板を指し示しながら説明を始めた。

 

爆発の力を一点に集中させ、厚い装甲を貫通する。

 

どうやら、そういう仕組みらしい。

 

井上は、ようやく何となく理解できた。

 

言葉だけではわからなかったが、実物を見ると話が違う。

 

「ああ、なるほど……」

 

軍事関係の本や写真で見た知識が、少しずつつながっていく。

 

ただし、細かな仕組みまで理解できたわけではなかった。

 

岡田が隣から尋ねた。

 

「なあ井上。これ、そんなにすごい兵器なのか?」

 

「ああ。歩兵が持てる対戦車兵器っていうのは、かなり便利なんだよ」

 

「ふうん」

 

「普通の小銃じゃ、戦車にはどうしようもないからな」

 

「それはわかるけど」

 

岡田は穴の開いた鋼板を見た。

 

「これなら敵の戦車も倒せるってことか?」

 

「まあ、当たればな。たぶん……」

 

井上はそう答えた。

 

そのときは、まだ新兵器への興奮が冷めていなかった。

 

むしろ、実射を見てますます興味が湧いていた。

 

自分も撃ってみたい。

 

できれば、何発か試してみたいものだ。

 

そんなことまで考えていた。

 

* * *

 

実射を終えた兵士たちは、再び講習所へ戻ってきた。

 

教室には長机と椅子が並び、正面には大きな黒板が設置されている。

 

窓から差し込む冬の日差しが、板張りの床に長い影を落としていた。

 

室内は暖房が効いており、外の寒さで冷えた身体には心地よかった。

 

井上は岡田の隣に腰を下ろすと、眼鏡を外して曇ったレンズを拭いた。

 

先ほどの鋼板に開いた穴が、まだ目に焼き付いていた。

 

あの小さな兵器で、あれだけの威力がある。

 

やはり、新兵器というものは面白い。

 

井上は頭の中で、地球の兵器との違いを考えていた。

 

やがて教官が入室し、講習が再開された。

 

「それでは、G13の実際の運用について説明する!」

 

教官は黒板に簡単な図を描きながら、説明を始めた。

 

敵戦車の正面装甲には効果が期待できないこと。

 

側面や後部を狙う必要があること。

 

そして、有効射程が五十メートル程度しかないこと。

 

「……五十メートル?」

 

井上は思わず顔を上げた。

 

聞き間違いかと思い、隣の岡田に尋ねる。

 

「おい、岡田。今、五十メートルって言った?」

 

「ああ。そう言ったな」

 

「射程が?」

 

「そうだろ?」

 

井上は黙り込んだ。

 

五十メートル。

 

学校のプールなら、長い方の端から端までの距離でしかない。

 

「……近すぎないか?」

 

「まあ、近いな」

 

岡田はあっさりと答えた。

 

「近いなんてもんじゃないぞ……」

 

井上は小さく呟いた。

 

先ほどまで感じていた興奮が、少し薄れていく。

 

五十メートルでは、敵の戦車に相当近づかなければならない。

 

しかも、正面装甲には効果がないという。

 

もちろん、地球の歩兵用対戦車兵器にも射程の短いものはあった。

 

頭では知っていた。

 

だが、こうして教官から具体的な数字を聞かされると、急に心細く感じられた。

 

鋼板に穴を開けたときは、あれほど頼もしく見えたのに。

 

井上は机の上に置いた両手を見つめた。

 

あれを自分が使うとしたら、どうなるのだろう。

 

「次に、諸君が実際に相手にする魔族軍の戦車について説明する」

 

教官の声に、井上は顔を上げた。

 

部下に合図すると、二人の兵士が大きな紙筒を運び込んできた。

 

紙筒から取り出されたのは、何枚もの写真だった。

 

いずれも大判に引き伸ばされたもので、教官たちはそれを黒板に一枚ずつ貼り付けていった。

 

黒板の上に、灰色がかった写真が広がっていく。

 

「これが最近確認された魔族軍の主力戦車だ」

 

井上は前方の写真に目を向けた。

 

そして、思わず息を呑んだ。

 

「……え?」

 

写真には、大きな戦車が写っていた。

 

幅広の履帯。

 

低く構えた車体。

 

大きな砲塔から前方へ突き出した長い砲身。

 

そして、何より井上の目を引いたのは、その装甲の形状だった。

 

車体の前面が、大きく傾斜している。

 

「……嘘だろ」

 

井上は思わず呟いた。

 

彼が想像していた魔族軍の戦車は、第一次世界大戦のイギリス軍が使用したマークIのようなものだった。

 

巨大な菱形の車体に履帯を巻き付け、側面に砲を備えた、初期の戦車である。

 

この世界では石油が貴重であり、自動車も決して多くない。

 

だから、戦車も地球の第一次世界大戦程度の技術水準ではないかと、勝手に思い込んでいたのだ。

 

しかし、写真に写っている戦車はまるで違った。

 

「……T-34じゃないか」

 

井上は小さく呟いた。

 

もちろん、地球のT-34そのものではない。

 

細かな形状は違うし、砲塔も少し異なる。

 

だが、車体の低さと傾斜した前面装甲は、井上が写真で見たことのあるソ連軍のT-34を強く連想させた。

 

「おい、井上」

 

岡田が小声で呼びかけた。

 

「どうしたんだよ?」

 

「いや……あれ、結構やばいぞ」

 

「何が?」

 

「装甲だよ。見ろよ、車体の前が斜めになってるだろ」

 

「それが?」

 

「傾斜装甲っていうんだ。ああいう形にすると、弾が当たっても跳ねやすくなるし、正面から見た装甲の厚さも実際より大きくなるんだよ」

 

「へえ……」

 

岡田は写真を眺めた。

 

「よく知ってるな」

 

いつもなら、井上は得意になって説明を続けるところだった。

 

しかし、今回は違った。

 

「……まさか、こんな戦車まであるとは思わなかった」

 

声に、先ほどまでの楽しそうな調子がなかった。

 

井上はもう一度、写真を見つめた。

 

魔族軍の技術水準を、完全に見誤っていた。

 

あのG13なら戦車を撃破できるかもしれない。

 

先ほどは、そう思った。

 

しかし、相手がこんな戦車だとしたら。

 

しかも、正面装甲には通用しない。

 

五十メートルまで接近し、側面を狙う。

 

井上は自分が教官から渡されたG13を抱えている姿を想像した。

 

あの写真の戦車に向かって、こんな短い筒を構えるのだ。

 

先ほどまで頼もしく見えた新兵器が、急に頼りなく感じられた。

 

「……何だよ、これ」

 

井上は小さく呟いた。

 

写真の戦車は、何も答えず黒板の上に収まっていた。

 

そのとき、写真のある部分が目に留まった。

 

「……ん?」

 

井上は眼鏡を押し上げた。

 

車体の側面に、何本もの金属製の棒が取り付けられている。

 

最初は工具か何かを固定するためのものかと思った。

 

しかし、よく見ると砲塔の側面にも似たようなものがある。

 

人間がつかまるのに、ちょうどよさそうな位置だった。

 

「……あれ?」

 

井上は身を乗り出した。

 

何か嫌な予感がした。

 

「おい、岡田」

 

「今度は何だよ」

 

「戦車の横に、棒がついてるだろ」

 

「ああ。何かついてるな」

 

「あれ……」

 

井上は言葉を切った。

 

知っている。

 

ああいう手すりが取り付けられた戦車の写真を、以前に見たことがある。

 

ソ連軍のT-34。

 

その車体に乗って移動する歩兵たち。

 

「……タンクデザント」

 

井上は思わず呟いた。

 

「タンク……何だって?」

 

岡田が振り向いた。

 

「タンクデザントだよ」

 

「何それ?」

 

「戦車の上に歩兵を乗せて移動するんだ」

 

「え? 戦車の上に?」

 

「ああ。戦闘になったら降りて、戦車と一緒に戦うんだよ」

 

岡田はもう一度写真を見た。

 

「へえ。そんなこともするのか」

 

しかし、井上は笑っていなかった。

 

もちろん、写真に写った手すりが、本当に兵士を乗せるためのものなのかはわからない。

 

だが、もしそうだとしたら。

 

戦車だけなら、まだいい。

 

いや、よくはないが、地形を利用して接近することはできるかもしれない。

 

しかし、戦車の上に歩兵が乗っているとしたら。

 

接敵前に歩兵が降り、戦車の周囲を警戒する。

 

茂みに潜んでいる敵兵を探し、戦車に近づこうとする者を小銃や機関銃で撃つ。

 

「……まずいぞ」

 

「何が?」

 

岡田はまだわかっていないようだった。

 

井上は写真を指さした。

 

「だから、戦車だけじゃないんだよ。歩兵も一緒に来るんだ」

 

「そりゃ、歩兵もいるだろ」

 

「そうじゃなくて! 戦車の近くに歩兵がいるんだよ。俺たちが戦車に近づこうとしたら、そいつらに見つかるだろ!」

 

岡田は少し考えた。

 

「……ああ、なるほど」

 

「しかも、あのG13は五十メートルまで近づかないと届かないんだぞ!」

 

井上は声を潜めながらも、必死に説明した。

 

「正面からは撃てない。側面か後ろに回り込まないといけない。そのうえ、戦車の周りには歩兵がいるかもしれないんだ」

 

岡田の表情も、ようやく少し真剣になった。

 

「……それは、危ないな」

 

「危ないなんてもんじゃないって……」

 

井上は小さく息を吐いた。

 

それきり、口を閉じた。

 

教官は黒板に貼った写真を指しながら、敵戦車の特徴を説明していた。

 

井上には、相変わらず聞き取れない単語も多かった。

 

だが、もう質問する気にはならなかった。

 

写真の中の戦車は、斜め前方から撮影されていた。

 

砲塔の機関銃も、車体の前面装甲も、はっきりと見える。

 

その写真を見ているうちに、井上は自分が何も知らなかったことを思い知らされていた。

 

戦車の名前なら、いくつも言える。

 

各国の戦車の形状も、それなりに知っている。

 

しかし、それは本や動画で覚えた知識だった。

 

実際に敵の戦車と戦ったことなど、もちろんない。

 

井上は膝の上で両手を握った。

 

指先が少し冷たくなっていた。

 

* * *

 

「では次に、射撃姿勢について説明する!」

 

教官の声が教室に響いた。

 

井上はようやく黒板の戦車から視線を外した。

 

教官はG13を手に取ると、訓練用の台の上に置いた。

 

「この兵器は、発射時に筒の後方から高温のガスが噴き出す。後方に人員がいれば、重大な事故につながる!」

 

教官は黒板に発射筒の簡単な図を描き、その後方に広がる危険範囲を示した。

 

井上は眼鏡を押し上げた。

 

「……バックブラストか」

 

「何だって?」

 

隣の岡田が小声で尋ねた。

 

「後ろに爆風が出るんだよ」

 

「ああ、そういうことか」

 

岡田は頷き、教官の説明に耳を傾けた。

 

「後方の安全確認は必ず行え! また、地面に伏せたまま無理に発射しようとすると、後方の噴流が地面に当たり、射手自身にも危険が及ぶ!」

 

教官は実際にG13を構えて見せた。

 

片膝をついた姿勢で、発射筒を肩に載せている。

 

「基本的にはこの姿勢、あるいは立った姿勢で射撃する。遮蔽物を利用する場合も、後方の安全を確保しなければならん!」

 

井上はその姿を見つめた。

 

そして、嫌なことに気づいた。

 

「……ちょっと待てよ」

 

岡田が振り向いた。

 

「どうした?」

 

「伏せて撃てないのか……?」

 

「さっき、危ないって言ってただろ」

 

「いや、それはわかるんだけど……」

 

井上は口を閉じた。

 

今まで、何となく考えていたことがあった。

 

自分がG13を使うとしても、塹壕や草むらに隠れて戦車を待てばいい。

 

地面に伏せていれば、そう簡単には見つからないだろう。

 

敵が近づいてきたところを撃つ。

 

そうすれば、何とかなるかもしれない。

 

だが、今の説明で、その考えも怪しくなった。

 

後方爆風がある。

 

地面に伏せたまま撃つのは危険だ。

 

射撃のためには、身体を起こさなければならない。

 

「…………」

 

井上は教官の姿を見つめていた。

 

片膝をつき、G13を肩に載せる。

 

銃よりもずっと太い発射筒。

 

その姿勢は、射手の上半身を大きく露出させるように見えた。

 

ふと、頭の中に戦場の光景が浮かんだ。

 

荒れた大地。

 

砲撃で倒れた木々。

 

地面にはいくつもの穴が開き、ところどころに黒い煙が漂っている。

 

その中を、魔族の戦車がゆっくりと進んでくる。

 

幅広の履帯が土を踏み潰し、大きな砲塔が左右に動く。

 

井上は草むらに身を潜め、G13を抱えていた。

 

戦車との距離は、五十メートル。

 

近い。

 

あまりにも近い。

 

エンジンの音が腹の底に響く。

 

履帯が地面を噛む音まで聞こえてくる。

 

戦車の上には魔族の歩兵が乗っていた。

 

やがて兵士たちが飛び降り、周囲を警戒しながら歩き始める。

 

井上は息を殺した。

 

見つかってはいけない。

 

だが、G13を撃つためには身体を起こさなければならない。

 

戦車が横を向く。

 

今だ。

 

井上は地面から上半身を起こし、G13を肩に載せた。

 

照準を合わせようとした、その瞬間。

 

戦車の砲塔が、こちらへ向いた。

 

ダダダダダッ!

 

機関銃が火を噴いた。

 

自分の身体に、何発もの銃弾が撃ち込まれる。

 

G13を発射する間もなく、地面に倒れる自分。

 

「……っ!」

 

井上は思わず肩を震わせた。

 

目の前には、講習所の黒板があった。

 

暖房の効いた教室。

 

机に並んだ兵士たち。

 

そして、G13を構えて説明を続ける教官。

 

すべて頭の中で想像しただけだった。

 

それなのに、心臓が激しく鳴っていた。

 

井上の顔から、みるみる血の気が引いていった。

 

眼鏡の奥の目が、落ち着きなく動いている。

 

額には、じっとりと汗が浮かんでいた。

 

隣に座っていた岡田は、そんな井上の様子に気づいた。

 

つい先ほどまで新兵器に興奮し、聞いてもいないことまで嬉しそうに説明していた男が、急に黙り込んでしまった。

 

それに、顔色も悪い。

 

「……おい、井上」

 

小声で呼びかけたが、返事がない。

 

「井上?」

 

「……え?」

 

ようやく井上が振り向いた。

 

岡田はその顔を見て、眉をひそめた。

 

「お前、大丈夫か?」

 

「……ああ」

 

井上は曖昧に頷いた。

 

「いや、でも……」

 

「どうしたんだよ。さっきから様子がおかしいぞ」

 

井上はもう一度、黒板に貼られた戦車の写真を見た。

 

「……岡田」

 

「何だ?」

 

「あの戦車、俺が思ってたよりずっと新しいんだよ」

 

「新しい?」

 

「ああ。あんなのが出てくるとは思わなかった」

 

岡田は写真を見上げた。

 

彼には、魔族の戦車がどれほど進んだものなのか判断できない。

 

ベルノで習った戦車の知識といえば、装甲が厚く、機関銃や大砲を備えていることくらいだった。

 

「でも、だから新しい兵器を使うんじゃないのか?」

 

「……そうなんだけどさ」

 

井上は力なく答えた。

 

「五十メートルだぞ。あんな戦車の横まで近づけって言うんだぞ。しかも歩兵まで乗ってるかもしれないんだ」

 

「……確かに危ないな」

 

岡田も少し考え込んだ。

 

「それにさ……」

 

井上は前方でG13を構える教官を見た。

 

「撃つとき、身体を起こさなきゃならないんだろ」

 

「ああ」

 

「五十メートル先には戦車がいて、周りには歩兵もいるかもしれない。そんなところで身体を起こしたら……」

 

井上は言葉を切った。

 

頭の中で、先ほどの機関銃の音が蘇った。

 

岡田は少し考えてから答えた。

 

「でも、遮蔽物の陰から撃つんじゃないのか?」

 

「そうだけどさ……」

 

井上は力なく答えた。

 

「都合よく隠れられる場所があるとは限らないだろ。それに、見つかったら終わりじゃないか……」

 

岡田は井上の顔を見た。

 

額には汗が浮かび、さっきから落ち着かない様子で何度も眼鏡を触っている。

 

「お前、本当に大丈夫か? 顔色悪いぞ」

 

「……俺さ」

 

井上は小さな声で言った。

 

「こういう兵器、昔から好きだったんだよ」

 

「知ってるよ」

 

「写真とか動画で見てさ。すげえなって思ってた」

 

井上は黒板のG13の図を見つめた。

 

「でも、自分が使うことになるなんて、考えたことなかった……」

 

岡田は黙って聞いていた。

 

教官は射撃姿勢についての説明を続けている。

 

周囲の兵士たちは真剣に話を聞き、何人かは熱心に質問していた。

 

井上も、いつもならその中に加わっていたはずだった。

 

だが、今は質問する気にもなれなかった。

 

これまで兵器の写真を見て、格好いいと思っていた。

 

戦車の性能を調べ、各国の兵器を比較するのが楽しかった。

 

しかし、そこで考えていたのは、兵器の性能や戦闘の勝敗ばかりだった。

 

その兵器を使う兵士が、どんな気持ちで敵を待っているのか。

 

自分がその兵士になることなど、考えたこともなかった。

 

井上は膝の上で握っていた拳を、ゆっくりと開いた。

 

指先が小さく震えていた。

 

軍事オタクとして知っていた戦争と、実際に自分が参加する戦争。

 

それは、まったく別のものだった。

 

岡田はしばらく考えてから、静かに言った。

 

「……まあ、まだ訓練だろ」

 

井上が顔を上げた。

 

「いきなり戦車と戦えって言われてるわけじゃないんだから」

 

「そうだけど……」

 

「まずは教官の話を聞こうぜ」

 

井上は小さく頷いた。

 

岡田は兵器について、井上ほど詳しくない。

 

だから、井上が何をそれほど恐れているのか、完全には理解できなかった。

 

それでも、友人が本気で怯えていることだけはわかった。

 

「何かわからないことがあったら、俺も一緒に聞くからさ」

 

「……ああ」

 

井上は机に目を落とした。

 

五十メートル。

 

傾斜装甲を備えた戦車。

 

随伴するかもしれない魔族の歩兵。

 

そして、G13を構えるために身体を起こした瞬間、機関銃に撃たれる自分。

 

その光景ばかりが、頭から離れない。

 

「……俺、詰んだのか……」

 

井上は口の中で小さく呟いた。

 

「何?」

 

「いや……何でもない」

 

岡田は心配そうに井上を見ていたが、やがて前へ向き直った。

 

教官が黒板を指しながら、声を張り上げた。

 

「よし! それでは各員、実際に構えてみろ!」

 

椅子が床を擦る音が、一斉に響いた。

 

兵士たちが立ち上がり、教官の指示に従って移動を始める。

 

岡田も席を立ち、隣の井上を見下ろした。

 

「ほら、行くぞ」

 

「……ああ」

 

井上はゆっくりと立ち上がった。

 

机に手をついたとき、自分の指先がまだ震えていることに気づいた。

 

窓の外には、薄く雪の積もった演習場が広がっていた。

 

冬の日差しの下、射撃用の土塁が長い影を落としている。

 

つい先ほどまで、あの演習場で珍しい新兵器を撃てることを楽しみにしていた。

 

今は、そこへ向かう足が重かった。

 

井上はもう一度、黒板に貼られた魔族軍の戦車を見た。

 

写真の中の戦車は、相変わらず無言のまま、砲身をこちらへ向けていた。

 

講習は、まだ始まったばかりだった。

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