第1節 戦死の知らせ
三上鈴音の戦死は、その日の夕方から翌朝にかけて、ベルノ連隊の各部隊へ伝わった。
第3中隊の高地陣地が敵の砲撃を受け、戦死者一名、負傷者一名。
戦死したのは第20期召喚者の三上鈴音二等兵。
負傷したのは、同じく第20期の伊藤千尋二等兵だった。
ベルノ連隊が前線に到着してから、初めての戦死者だった。
そして、第20期の日本人にとっては、初めて仲間が戦場で命を落としたことを意味していた。
* * *
砲兵中隊の予備陣地では、翌朝も工事が続いていた。
水野香織は、作業の合間に資材の確認をしていた。
そこへ、歩兵の山田直樹がやってきた。
第20期召喚者の一人で、現在は歩兵第4小隊に所属し、後方の警戒任務に就いている。
「先生……」
「山田くん? どうしたの?」
山田はひどく沈んだ顔をしていた。
いつものアニメの話をするときの、妙に元気な様子はどこにもなかった。
「三上さんが……亡くなったそうです」
「え?」
水野は手にしていた書類から顔を上げた。
「三上さんって……鈴音さん?」
「はい。昨日、第3中隊の高台が砲撃を受けて……」
「そんな……」
水野はしばらく言葉を失った。
「……千尋さんは?」
「伊藤さんも負傷したそうです。でも、命に別状はないと聞いています」
「そう……よかった……」
そう答えたものの、水野はすぐに自分の言葉に戸惑った。
千尋が助かったことは、本当によかった。
けれど鈴音は死んでしまった。
山田はうつむいたまま、ぽつりと言った。
「先生……この世界、ハードモード過ぎます……」
水野は山田を見た。
普段からアニメやゲームの話ばかりしている彼らしい言い方だった。
だが、今の言葉には冗談めいた響きがまったくなかった。
「異世界に召喚されるなんて、アニメじゃよくある話ですけど……こんなの、全然違いますよ」
山田は小さく息を吐いた。
「魔族と戦争して、逃げたら奴隷で……今度は仲間が死んで……」
水野は何も答えられなかった。
山田は顔を上げた。
「先生、俺たち……本当に十五年も生き残れるんですかね?」
「……山田くん」
答えようとして、水野は言葉に詰まった。
大丈夫だと言ってあげたかった。
けれど、その言葉には何の根拠もなかった。
山田もそれが分かっているのだろう。
「すみません。変なこと言っちゃって」
「ううん……」
山田は軽く頭を下げた。
「じゃあ、俺、警戒に戻ります」
「気をつけてね」
「はい」
山田はそう答えると、元の持ち場へ戻っていった。
水野はしばらく、その背中を見送っていた。
三上鈴音。
召喚されたばかりの頃、旧王宮で一緒に過ごした生徒の一人だった。
あの頃は、誰もが突然の出来事に戸惑っていた。
元の世界に帰れるのか。
家族に会えるのか。
ここでどうやって暮らしていけばいいのか。
不安を口にする生徒たちに、水野は教師として、できるだけ落ち着いて話しかけていた。
だが、自分自身も何一つ答えを持っていなかった。
そして今、生徒の一人が死んだ。
つい半年前まで、日本で普通に学校へ通っていた女の子だった。
水野は工事現場から少し離れた。
砲兵中隊の兵士たちは、いつもと変わらず働いていた。
木材を運ぶ者。
土を掘る者。
測量器具を覗き込む者。
誰も作業を止めない。
戦死者が出ても、軍隊は動き続ける。
それが当たり前なのだと、頭では理解していた。
水野は雪の積もった地面を見つめた。
「……こんなことになるなんて」
声に出した瞬間、涙がこぼれた。
水野は慌てて袖で目元を拭った。
ここは戦場だ。
泣いていたところで、鈴音は戻ってこない。
それでも、しばらくその場から動くことができなかった。
* * *
第1中隊では、川崎晴斗と井上翔太が朝食の席で知らせを聞いた。
「三上が……死んだ?」
川崎は、報告を伝えた兵士の顔を見つめた。
「昨日の砲撃だ。第3中隊の高台でやられたらしい」
「伊藤は?」
井上が尋ねた。
「負傷したが、生きているそうだ」
二人は顔を見合わせた。
これまでにも戦死者の話は聞いていた。
この戦線では毎日のようにどこかで戦闘が起こっている。
前任部隊にも多くの死傷者が出ていた。
だが、それらはどこか遠い出来事だった。
三上鈴音は違った。
同じ日本から召喚された仲間だった。
同じ訓練を受け、同じ食堂で食事をした。
「……昨日まで生きてたんだよな」
川崎がつぶやいた。
「そりゃ、そうだろ」
井上はそう答えたが、声に力がなかった。
川崎は黙ったまま食器を見つめた。
井上は軍事に詳しかった。
塹壕戦についても、砲撃についても、訓練中からいろいろなことを話していた。
砲撃を受けたら退避壕へ逃げ込む。
敵の観測を避ける。
陣地を分散させる。
知識としては理解していた。
だが、実際に知り合いが砲撃で死んだという事実は、そんな知識ではどうにもならなかった。
「井上」
「なんだ?」
「俺たちも、こうなるんだよな」
井上は答えなかった。
「昨日まで普通に飯食っててさ。次の日には死んでるかもしれないんだろ」
「……ああ」
しばらく沈黙が続いた。
やがて井上が口を開いた。
「砲撃って、相手が見えないんだよな」
「うん?」
「こっちが敵を見つける前に撃たれる。どこから撃ってるのかも分からない。それで……」
そこまで言って、井上は口を閉じた。
自分が何を説明しようとしているのか、分からなくなったのだ。
川崎は小さく息を吐いた。
「……怖いな」
「そうだな」
二人はそれきり黙って朝食を続けた。
いつもなら軍事談議を始める井上も、その日は何も話さなかった。
* * *
浸透偵察小隊にも、三上鈴音戦死の知らせが届いた。
高橋亘一は、その名前を聞いたとき、すぐに第3中隊の高台を思い浮かべた。
自分が初めて魔族を狙撃した場所だった。
石井軍曹の機銃分隊がいた。
伊藤千尋と三上鈴音も、そこにいた。
あの高台からは、魔族側の森林がよく見えた。
だからこそ、敵からも観測されやすかった。
「……三上が?」
高橋は聞き返した。
エレナが頷いた。
「昨日の砲撃よ。退避壕に入る前に砲弾が落ちたそうね」
「伊藤は?」
「負傷したけど、命は助かったそうよ」
高橋は黙った。
あの高台に自分もいた。
ほんの少し前まで、同じ場所で敵を探していた。
もし昨日もそこにいたら。
もし自分が退避壕に逃げ遅れていたら。
死んでいたのは、自分だったかもしれない。
「……俺、あそこで魔族を二体撃ったんだ」
「ええ」
「あのときは、自分が人を殺したことばかり考えてた」
エレナは何も言わずに聞いていた。
「でも、向こうも俺たちを殺そうとしてるんだよな」
「そうよ」
「……三上、死んじゃったんだな」
高橋の声は小さかった。
エレナはしばらく高橋を見つめていた。
「コウイチ。これが戦争よ」
そう言うと、エレナは高橋をそっと抱き寄せた。
高橋は何も言わず、エレナの胸に顔を埋めた。
エレナはその背中を優しく撫でた。
「死んだ人のことは忘れない。でも、生きている私たちは明日も仕事をしなくちゃならない」
「……うん」
「今は、それだけ覚えておきなさい」
高橋は小さく頷いた。
エレナはもうしばらく、高橋を抱きしめていた。
遠くから砲声が聞こえた。
今日も戦争は続いていた。
* * *
その日の午前。
連隊司令部では、オリヴィエ大佐が第3中隊の被害報告を読み返していた。
机の上には高地陣地の配置図が広げられている。
アウレリア大尉が、その隣に立っていた。
「戦死者一名、負傷者一名。砲撃による被害です」
「分かってるわ」
オリヴィエは短く答えた。
「問題は、なぜ防げなかったかよ」
報告書によれば、砲撃を受けた兵士たちは退避壕へ移動しようとしていた。
しかし、その途中で着弾があり、三上鈴音が死亡した。
「退避壕に入れなかったのね」
「はい」
「退避壕の構造に問題があったの?」
「直撃による破壊ではありません。詳細については現地で確認する必要があります」
オリヴィエは報告書を閉じた。
「見に行くわ」
「高地陣地へですか?」
「ええ。ダリオを呼んで。あんたも一緒に来なさい」
「承知しました」
アウレリアが敬礼する。
「ヴァルターには司令部に残ってもらうわ。昨日の偵察報告も整理しておきたいしね」
「では、少佐にはそのように伝えます」
オリヴィエは窓の外を見た。
冬の空は薄く曇っていた。
「せっかく高地を確保しているのに、敵に観測されて撃たれ続けるなんて、馬鹿げているわ」
「敵の観測位置は、現在も特定できていません」
「でしょうね。どこから見ているかも分からないんじゃ、こちらも対処が難しいわ」
オリヴィエは立ち上がった。
「まずは、兵隊が死なない陣地を考えましょう」
* * *
第3中隊の高地陣地。
オリヴィエ、アウレリア、工兵中隊長のダリオ・ベル大尉の三人は、陣地後方から徒歩で高台へ向かった。
敵の観測を避けるため、稜線上には出ず、連絡壕を通って移動する。
案内役の士官が先導した。
高台の塹壕は、数日前と変わらないように見えた。
だが、砲撃を受けた場所には新しい土が露出し、周囲の雪には泥が飛び散っていた。
「あそこです」
案内役が指さした。
オリヴィエは足を止めた。
三上鈴音が死亡した場所だった。
近くには退避壕の入口があった。
「随分近いじゃない」
オリヴィエが言った。
「はい。数歩の距離です」
「それでも間に合わなかったのね」
「着弾が早かったようです」
オリヴィエは黙って周囲を見回した。
塹壕。
退避壕。
兵士たちが食事をしていた場所。
確かに退避壕は近い。
しかし、砲撃が始まってから移動するには、ほんの数秒の差が生死を分けることになる。
「ダリオ、どう思う?」
ダリオ大尉は、周囲の地形と塹壕の配置を確認した。
「退避壕そのものよりも、陣地の位置に問題があります」
「というと?」
「この高地は敵側から観測しやすい位置にあります。稜線上に主力を配置したままでは、今後も砲撃による被害が出るでしょう」
アウレリアが尋ねた。
「退避壕を増設すれば改善しますか?」
「一定の効果はあります。しかし、それだけでは不十分です」
ダリオ大尉は地図を広げた。
「稜線陣地の後方、反斜面に新たな主陣地を構築することを提案します」
「反斜面?」
「はい。敵から直接観測されにくい高地の裏側です。普段は主力をそこに配置し、稜線陣地には必要最小限の監視兵だけを残します」
オリヴィエは地図を覗き込んだ。
「なるほどね。でも、それだと敵が森から出てきたとき、すぐに対応できないんじゃない?」
「そこで、主陣地と稜線陣地の間に複数の連絡壕を設けます。敵が接近した場合、主陣地で待機している兵士が速やかに稜線陣地へ展開できるようにするのです」
「稜線の陣地はそのまま使うわけね」
「はい。射撃陣地は維持します。敵の接近を確認したら、兵士たちは連絡壕を通って前進し、従来の陣地で迎撃します」
アウレリアが口を開いた。
「では、稜線の監視兵は砲撃を受け続けることになりませんか?」
「それについても改善が必要です。現在の監視位置を退避壕のすぐ近くへ移します。監視に必要な人数だけを配置し、砲撃を受けた場合は直ちに退避できるようにします」
「監視所そのものも小さくするのね」
「はい。監視兵の安全を優先します。ただし、敵の接近を見逃すわけにはいきませんので、視界を確保できる位置を選ぶ必要があります」
オリヴィエは腕を組んだ。
「つまり、普段は反斜面で待機して、敵が来たときだけ稜線に上がる。監視兵もすぐに退避できるようにするわけね」
「その通りです」
「連絡壕は一本じゃ駄目なの?」
「一本だけでは、そこを砲撃された場合に部隊の移動が妨げられます。複数設ければ、被害を受けた通路を避けて移動できます。また、各分隊がそれぞれの持ち場へ向かいやすくなります」
「分かったわ。理にかなっているわね」
オリヴィエは稜線の向こうを見た。
「ただ、かなりの工事になるんじゃない?」
「はい。新しい主陣地の構築に加えて、退避壕、複数の連絡壕、監視所の移設が必要です。工兵だけでは人手が足りません。歩兵の協力も必要になります」
「どれくらいかかる?」
「現地の地盤を調べ、必要な資材と人員を確認しなければ、正確には申し上げられません」
ダリオ大尉は続けた。
「また、工事中も現在の稜線陣地を使用し続けなければなりません。まず監視所と退避壕を改善し、並行して反斜面の主陣地を構築するのがよいでしょう」
オリヴィエは頷いた。
「よし、それでいきましょう。第3中隊長とも相談して、具体的な工事計画をまとめてちょうだい」
「はっ!」
「新しい主陣地が完成するまで、今の陣地も使うんだからね。工事中に余計な被害を出さないように気をつけて」
「承知しました」
オリヴィエは再び砲撃の跡を見た。
三上鈴音が死亡した場所だった。
第20期召喚者。
まだ十代の少女だった。
オリヴィエは彼女の顔を知らなかった。
だが、ベルノ連隊の兵士であることに変わりはない。
「……こんなところで死なせてしまったのね」
小さな声だった。
アウレリアだけが、その言葉を聞いた。
やがてオリヴィエは顔を上げた。
「アウレリア」
「はい」
「ここを直すだけじゃ駄目ね」
「と、おっしゃいますと?」
「敵にこちらの陣地を自由に観測させている限り、場所を変えてもまた撃たれるわ」
オリヴィエは敵側の森林を見つめた。
森の中には、浸透偵察小隊が発見した魔族の前進拠点が四か所ある。
その拠点を利用している魔族兵たちが、帝国軍の動きを監視している可能性は高い。
だが、どこから砲撃を観測しているのかは分かっていなかった。
「ヴァルターの報告をもう一度確認するわ」
「前進拠点の件ですね」
「ええ。あの森を敵に好き勝手使わせておくわけにはいかないもの」
オリヴィエは踵を返した。
「帰るわよ。ダリオ、工事計画をまとめてちょうだい。アウレリア、戻ったら連隊の各中隊長を集めて」
「連隊会議ですね」
「そうよ」
オリヴィエは足を止め、もう一度だけ高地を振り返った。
「守るだけじゃ、また誰かが死ぬわ」
そして二人を従え、連絡壕を歩き始めた。