その日の午後、ベルノ連隊司令部に各中隊長が集められた。
会議室には大きな机が置かれ、その上に前線周辺の地図が広げられている。
連隊長のオリヴィエ大佐と司令部付のアウレリア大尉。
歩兵第1中隊長ハンス大尉、第2中隊長リュート大尉、第3中隊長ミラ中尉、第4中隊長レア・ノム大尉。
砲兵中隊長グスタ大尉と工兵中隊長ダリオ・ベル大尉。
そして浸透偵察小隊長のヴァルター少佐。
さらに今回は、浸透偵察小隊からフリーダ軍曹、ゲルフ軍曹、エレナ伍長、ローラ伍長の四名が出席していた。
下士官が連隊の作戦会議に参加するのは珍しい。
だが、今回の議題について最も詳しいのは、実際に魔族の前進拠点を偵察してきた班長たちだった。
オリヴィエは全員が揃ったことを確認すると、口を開いた。
「始めましょうか。今日の議題は、我々の正面にある森林への対処よ」
アウレリアが地図を示した。
「現在、浸透偵察小隊によって魔族の前進拠点が四か所確認されています。いずれも森林内にあり、古い林道を利用して連絡していると考えられます」
ヴァルターが続けた。
「これらの拠点では、少数の魔族兵が交代しながら活動しています。補給物資の搬入も確認しました。また、無線機や観測器材と思われるものを運搬している姿も目撃しています」
「砲兵観測所ということですか?」
ミラ中尉が尋ねた。
「その可能性はあります。ただし、固定された観測所があるとは限りません」
ヴァルターは地図の森林を指した。
「砲撃の際だけ観測機材を持ち込んでいる可能性もあります。あるいは、偵察兵が着弾を確認して砲兵に修正を伝えているだけかもしれません」
グスタ大尉が頷いた。
「それでも砲撃の修正は可能です。目標に対して砲弾がどこに落ちたか分かれば、修正情報を送れますから」
「なるほどね。つまり、決まった観測所があるとは限らないわけね」
オリヴィエが言った。
「その通りです」
「だったら、観測所を探して壊せば終わり、という話じゃないわね」
「はい。敵の偵察活動そのものを妨害する必要があります」
オリヴィエは腕を組んだ。
「昨日、第3中隊では戦死者が出たわ。今日、現地を確認してきたけど、こちらの陣地は敵から見られやすい。工兵による改修を進めることにしたわ」
ダリオ大尉が頷いた。
「現在の稜線陣地は維持しながら、後方の反斜面に新しい主陣地を構築します。複数の連絡壕で両陣地を結び、監視兵を除く主力は反斜面で待機させる計画です」
「それで被害を減らせるとしても、根本的な解決にはならないわね」
オリヴィエは地図の森林を指さした。
「敵があの森を自由に使っている限り、こちらの動きは監視され続ける。砲撃だって一方的に受けることになるわ」
「砲兵で拠点を攻撃しますか?」
グスタ大尉が尋ねた。
「それも考えているわ。まず、現状を確認したいの」
オリヴィエはヴァルターを見た。
「少佐。あの四か所、攻撃できる?」
「できます」
ヴァルターは即答した。
「ずいぶん簡単に言うのね」
「発見した拠点はいずれも孤立気味です。林道で連絡しているとはいえ、互いを直接支援できる配置ではありません。攻撃目標としては難しくありません」
ハンス大尉が地図に身を乗り出した。
「敵の兵力は?」
「確認した時点では、各拠点に七、八体程度です。ただし、交代や移動があるので、常駐兵力も変化するでしょう。大規模な部隊が駐留している様子はありません」
「では、歩兵でも攻略可能ですな」
「ええ。十分可能だと考えています」
* * *
オリヴィエは四人の班長に目を向けた。
「あなたたちはどう思う? 遠慮はいらないわ。実際に見てきた者の意見を聞きたいの」
最初に口を開いたのはローラ伍長だった。
「夜襲であれば、かなり有利に戦えると思います」
「理由は?」
「敵はまだ我々の存在に気づいていません。拠点の周囲まで接近できます。一か所につき二個班を投入できれば、短時間で制圧できる可能性は高いと考えます」
「二個班ね」
「はい。ただし、敵の配置は変わる可能性がありますので、攻撃直前の確認は必要です」
フリーダ軍曹も頷いた。
「私もローラに賛成です。夜間なら歩兵の大部隊を移動させる必要もありません。敵が気づく前に攻撃できます」
ゲルフ軍曹が続けた。
「林道の監視さえできれば、増援が接近する前に撤収することも可能でしょう」
ヴァルターは最後にエレナへ顔を向けた。
「エレナ、お前はどう思う?」
「私も夜襲に賛成です。敵はこちらの存在に気づいていません。今なら十分に接近できると思います」
ヴァルターは頷いた。
「四人とも夜襲を支持するということですな」
オリヴィエは四人を見回した。
「なるほどね。現場の意見は一致しているわけね」
そして歩兵中隊長たちに向き直った。
「では、歩兵中隊長たちはどうかしら?」
ハンス大尉が口を開いた。
「昼間の攻撃でも制圧は可能でしょう。敵の兵力が少数なら、中隊の一部を投入するだけでも十分かもしれません」
リュート大尉も頷いた。
「砲兵の支援があれば、さらに確実です。ただし、森林内での移動は制約が大きい。林道以外の経路も確認したいところです」
ミラ中尉は少し考えてから発言した。
「私は敵の砲兵を警戒しています。前進する部隊を観測されれば、林道や森林の出口を砲撃される可能性があります」
「そうね。昨日のこともあるし、慎重になるのは当然よ」
オリヴィエが答えた。
レア大尉は地図上の旧耕作地を指した。
「歩兵を投入するなら、開けた場所の通過が問題になります。森林内に入ってしまえば、こちらも遮蔽物を利用できますが」
グスタ大尉が口を挟んだ。
「砲兵としては攻撃時の支援は可能です。ただ、森林内の目標を正確に破壊するには観測が必要です。事前砲撃だけで敵拠点を完全に潰せるとは限りません」
「砲撃だけで片づけるのは難しいわけね」
「はい」
オリヴィエは椅子に腰を下ろした。
「整理しましょう。浸透偵察小隊の夜襲なら、敵に気づかれずに接近できる。損害も少なく済む可能性が高い。一方、歩兵による昼間の攻撃も、砲兵の支援があれば成功の見込みは十分ある」
アウレリアが頷いた。
「どちらも実行可能ということですね」
「そういうことね」
* * *
オリヴィエはしばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「では、少し質問を変えるわ」
一同が顔を上げた。
「今回の目的は何かしら?」
ハンス大尉が答えた。
「魔族の前進拠点を排除することです」
「ええ。でも、それだけじゃないわ」
オリヴィエは地図の森林を指で叩いた。
「私が望んでいるのは、魔族がこの森を自由に使えなくなることよ。補給も、偵察も、観測も、今までどおりにはできないと思わせたいの」
ヴァルターが頷いた。
「継続的に活動を妨害するということですな」
「そうよ。一度拠点を潰したって、また作ってくるでしょうね。でも、そのたびに攻撃されるとなれば、向こうだって簡単には活動できなくなるわ」
「確かに」
「そこで問題よ。夜中に突然、拠点の兵士が殺されるのと、昼間に帝国軍の歩兵が攻めてくるのとでは、敵の受け取り方はどう違うかしら?」
今度はリュート大尉が答えた。
「夜襲であれば、敵は我々の浸透能力を警戒するでしょう。昼間の攻撃であれば、歩兵が森林内まで進出する能力があると認識するはずです」
「そうね」
オリヴィエはヴァルターを見た。
「少佐。敵はあなたたちの存在を知っているの?」
「少なくとも、今回の偵察では発見されていません。こちらの活動範囲や能力も把握されていないと考えています」
「ということは、今のところ魔族は、ベルノ連隊にこんな部隊があるとは知らないわけね」
「おそらくは」
「なら、答えは決まったわ」
オリヴィエは四人の班長を見回した。
「いい? あんたたちはベルノ連隊の切り札なのよ。簡単には切れないわ」
フリーダが少し驚いたように顔を上げた。
「でも、大佐。今回のような攻撃は我々の得意分野です」
「分かってるわ。だからこそよ」
オリヴィエは微笑んだ。
「まだ相手に見つかってないんでしょ。切り札は最後まで秘匿するものよ」
ヴァルターが小さく笑った。
「お嬢らしい考えですな」
「当然でしょう。あなたたちには、もっと重要な仕事をしてもらうつもりよ」
「ほう?」
「今は敵がこちらを観測している。でも、あなたたちは敵に気づかれずに、敵の奥まで見に行けるんでしょう?」
「ええ」
「なら、その能力をこんな小さな拠点の制圧で明かす必要はないわ」
エレナが頷いた。
「確かに、一度夜襲を仕掛ければ、魔族も森の中を警戒するようになりますね」
「そういうことよ。次からは今までのように簡単には近づけなくなるかもしれないわ」
ローラも納得したようだった。
「今回は歩兵に任せる、ということですね」
「ええ」
オリヴィエは歩兵中隊長たちに向き直った。
「昼間に歩兵を使うわ。ただし、無理な攻撃で損害を出すつもりはない。十分に準備してからよ」
ハンス大尉が頷いた。
「承知しました」
* * *
「それでは、具体的な目標を決めましょう」
アウレリアが地図の前に立った。
「魔族の前進拠点は四か所。全てを同時に攻撃することも考えられますが、部隊を分散することになります」
リュート大尉が発言した。
「まず一か所を制圧し、敵の対応を見るという方法もあります」
「しかし、それでは残りの拠点に逃げられる可能性があります」
レア大尉が指摘した。
ミラ中尉が続けた。
「それに、一度攻撃すれば敵の警戒が強まります。二度目は難しくなるでしょう」
オリヴィエは頷いた。
「そこが問題ね」
ヴァルターが地図を指した。
「四か所の拠点は林道でつながっています。敵の連絡と増援を妨害できれば、個別に攻撃することは可能です。ただし、逃走経路まで全て遮断できるかは分かりません」
「逃げられてもいいんじゃないかしら?」
オリヴィエの言葉に、全員が顔を上げた。
「私たちの目的は敵兵を一体残らず殺すことじゃないわ。森の中で安心して活動できなくすることよ」
ハンス大尉が頷いた。
「ならば、拠点を破壊した後に撤収するのではなく、森林の一部を継続的に監視できるようにするべきでしょう」
「そうね。ただし、森全体を占領するつもりはないわよ。そんな兵力はないもの」
オリヴィエは地図を見つめた。
「敵には、この森に入れば帝国軍の歩兵が攻めてくる、と思わせたいの。今までのように少人数で好き勝手に歩き回ることはできない、とね」
ダリオ大尉が口を開いた。
「それでは、攻撃後に森林内へ警戒陣地を設けますか? 継続的に監視するのであれば、前方への部隊配置も必要になりますが」
「そこまではやらないわ。私たちは地方軍なのよ」
オリヴィエは首を横に振った。
「森林地帯を占領するつもりはないわ。そんなところに兵隊を張り付けていたら、肝心の防御陣地が手薄になってしまうでしょう?」
「では、攻撃後は撤収するということですね」
「ええ。敵の拠点を潰したら引き揚げるわ。向こうがまた拠点を作ったら、そのときはそのときよ」
オリヴィエは地図の森林を指で叩いた。
「少なくとも、今までみたいに安心して活動できる場所じゃないと、思い知らせることはできるでしょう?」
ハンス大尉が頷いた。
「承知しました。では、攻撃後の陣地維持は考慮せず、撤収までを作戦に含めます」
「そうしてちょうだい。私たちの仕事は、この戦線を守ることなんだから」
グスタ大尉が尋ねた。
「砲兵は攻撃時の支援を担当するということでよろしいでしょうか?」
「ええ。でも、弾薬を無駄遣いしないでね。森林の中を適当に撃ったって仕方ないでしょう」
「その通りです。事前に射撃目標を決め、必要な場合に支援できるよう準備します」
アウレリアが手元の書類に書き込んだ。
オリヴィエは、改めて全員を見回した。
「では方針を決めるわ。魔族の前進拠点に対して、歩兵を主体とした攻撃を準備します。砲兵は支援、工兵は進出経路と必要な施設を確認してちょうだい」
「はっ!」
各中隊長が返事をした。
「ただし、攻撃する拠点の数と投入兵力は、もう少し検討しましょう。各中隊長は具体案を出して。無理をして戦死者を増やすことは許さないわ」
そしてヴァルターに向き直った。
「少佐。あなたたちは引き続き偵察よ。攻撃前に敵の兵力と配置をできるだけ確認してほしいの」
「承知しました」
「それと、もう一つ」
「何でしょう?」
「敵がどこから砲撃を観測しているのか、手掛かりが欲しいわ。固定された観測所がないとしても、何らかの方法で弾着を確認しているはずでしょう?」
「はい。前進拠点への人員や機材の出入りも含め、引き続き調べます」
「お願いね。魔族が観測や偵察を続けられるうちは、こちらも安心できないもの」
ヴァルターは頷いた。
「了解しました」
オリヴィエは椅子の背にもたれた。
「まったく、森の中からこちらを一方的に撃ってくるなんて、腹が立つわね」
アウレリアが苦笑した。
「大佐。お気持ちは分かりますが」
「分かってるわよ。だから、ちゃんと準備するんでしょう?」
会議室に小さな笑いが起こった。
だが、オリヴィエの表情はすぐに真剣なものへ戻った。
「昨日、初めて戦死者が出たわ。でも、これからもっと多くの兵士が死ぬかもしれない」
誰も口を開かなかった。
「私は、それを少しでも減らしたいの」
オリヴィエは地図を指さした。
「今度は、こちらから動くわよ」
* * *
会議が終わり、各中隊長たちが席を立った。
椅子を引く音と軍靴の足音が重なり、狭い会議室がにわかに騒がしくなる。
各中隊長たちは、それぞれ地図を指さして短い言葉を交わしながら退出していった。
工兵中隊長のダリオ大尉は、アウレリアと工事計画について二言三言確認すると、書類を抱えて部屋を出ていった。
やがて会議室には、オリヴィエとアウレリア、それに浸透偵察小隊の面々だけが残った。
窓の外には冬の鈍い日差しが差し込んでいた。
部屋の隅に置かれた鉄製のストーブから、薪のはぜる音が聞こえる。
オリヴィエは椅子の背にもたれ、長く息を吐いた。
「まったく、会議って疲れるわね」
アウレリアが書類を揃えながら微笑んだ。
「お疲れ様でした。ですが、まだ作戦計画を詰めなければなりませんよ」
「分かってるわよ。少しくらい休ませてちょうだい」
そのやり取りを横目に、ヴァルターは小さく笑った。
「では、お嬢。我々は失礼しますぞ」
「ええ。少佐、偵察の件は頼んだわよ」
「承知しました」
ヴァルターが敬礼し、四人の班長もそれに続いた。
一同が部屋を出ようとした、そのときだった。
「エレナ、ちょっと待って」
アウレリアが声をかけた。
エレナは足を止めて振り返った。
「はい?」
「オリヴィエ様に紹介しておきたいの」
「え? 私をですか?」
「ええ。今まで機会がなかったでしょう」
ヴァルターは二人の顔を交互に見て、何か察したように微笑んだ。
「では、我々は先に戻っております」
フリーダたちを連れて廊下へ出ていく。
扉が閉まると、会議室は急に静かになった。
アウレリアはエレナをオリヴィエの前へ連れていった。
「オリヴィエ様。こちらは浸透偵察小隊のエレナ・ヴァルデン伍長です。私のはとこなんですよ」
「あら、あなたがそうなのね」
オリヴィエは椅子から立ち上がり、改めてエレナを見た。
「アウレリアから、はとこが連隊にいるとは聞いていたけど、浸透偵察小隊だったのね」
エレナは姿勢を正して敬礼した。
「エレナ・ヴァルデン伍長です。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくね」
オリヴィエはにこやかに答えた。
そして、何かを思い出したように机の上の報告書へ視線を落とした。
「ああ、そういえば!」
再び顔を上げる。
「先日、第3中隊の高台で魔族を二体狙撃したのは、エレナ班だったわね?」
「はい、そうです」
「報告書を読んだわ。あれは見事だったそうじゃない」
「ありがとうございます。ただ、実際に撃ったのは班員の高橋です」
「高橋……ああ、日本人の狙撃手ね」
オリヴィエは机の上に積まれた報告書の一つを指で軽く叩いた。
「初めての実戦だったと書いてあったわね」
「はい。彼にとって初めての実戦でした」
「それで二体も仕留めたの? 大したものね」
感心したように頷いたあと、オリヴィエは楽しそうに笑った。
「ヴァルターが自慢するわけだわ」
エレナも思わず口元を緩めた。
「少佐は小隊のことになると、少し自慢が過ぎますから」
「あはは! あいつらしいわね!」
オリヴィエが声を上げて笑った。
その様子に、エレナは少し驚いた。
つい先ほどまで、オリヴィエは連隊長として各中隊長の意見を聞き、作戦の方針を決定していた。
若い女性でありながら、将校たちを前にして少しも臆するところがない。
ところが今は、気心の知れた相手と世間話を楽しんでいる、ごく普通の女性に見えた。
ヴァルターから、オリヴィエは堅苦しいことを嫌う気さくな人物だとは聞いていた。
だが、実際に会ってみると、想像していた以上だった。
そんなエレナの様子には気づかず、オリヴィエは懐かしそうに目を細めた。
「そういえば、ニケ王女はお元気かしら? 私、士官学校に入る前にお会いしたきりなんだけど」
エレナはにっこり笑った。
「おばあちゃんは元気ですよ。今はヴァルデンの屋敷にいます」
「あら、そう。よかったわ」
オリヴィエは嬉しそうに頷いた。
「もうずいぶんお会いしていないのよね」
その表情には、先ほどまでの連隊長としての厳しさはなかった。
「それにしても、ニケ王女のお孫さんが、うちの連隊で伍長をしているなんてね」
「祖母も私が軍人になったことは知っていますよ」
「そうでしょうね。でも、まさか浸透偵察小隊にいるとは思わなかったわ」
オリヴィエは感心したようにエレナを見つめた。
エレナは少し照れくさくなって、小さく笑った。
「あら、どうしたの?」
「いえ、失礼しました」
「何かおかしいことでもあった?」
エレナは少し迷った。
相手は連隊長であり、ベルノ伯爵でもある。
いくら気さくな人物とはいえ、初対面で失礼なことを言うわけにはいかない。
それでも、目の前のオリヴィエの表情を見ていると、つい本音が出てしまった。
「ヴァルター少佐から大佐のお人柄については伺っていたのですが、想像していた方とは少し違いましたので」
オリヴィエが眉を上げた。
「ヴァルター? あいつ、何て言ってたの?」
「堅苦しいことがお嫌いで、気さくな方だと」
「あら、あいつにしてはまともなことを言うじゃない」
オリヴィエは満足そうに頷いた。
それを聞いたアウレリアが、書類を整理する手を止めた。
「オリヴィエ様、ヴァルター少佐はいつもそのようにおっしゃっていますよ」
「そうなの?」
「ええ。もっとも、お嬢は昔から変わらない、とも」
「余計なことまで言ってるじゃない!」
オリヴィエはアウレリアを睨んだ。
だが、アウレリアは少しも気にした様子がない。
涼しい顔で書類を揃えると、何事もなかったように微笑んだ。
エレナは思わず吹き出しそうになり、慌てて口元を押さえた。
その様子を見たオリヴィエは、呆れたように肩をすくめた。
「まったく、あんたたちは……」
そう言いながらも、本人はどこか楽しそうだった。
エレナもようやく緊張が解けてきた。
アウレリアとオリヴィエの関係は、単なる上官と部下というだけではないらしい。
長年の付き合いがある者同士の、遠慮のない親しさが感じられた。
オリヴィエは再びエレナに向き直った。
「まあいいわ。エレナ伍長、これからもよろしく頼むわね」
「はい。ありがとうございます」
「それと、ニケ王女にもよろしく伝えてちょうだい」
「はい。祖母に伝えておきます」
エレナは姿勢を正して敬礼した。
「それでは、失礼いたします」
「ええ。ご苦労様」
オリヴィエが軽く手を振った。
エレナはもう一度アウレリアに会釈して、会議室を後にした。
* * *
廊下へ出ると、室内とは違う冷たい空気が頬に触れた。
窓の外には雪の積もった地面が広がっていた。
遠くから、かすかな砲声が響いてくる。
エレナは歩きながら、先ほどの出来事を思い返していた。
ヴァルターがオリヴィエのことを「お嬢」と呼ぶ理由が、少し分かった気がした。
あの気さくな性格。
アウレリアとの遠慮のないやり取り。
自分のような伍長に対しても、自然に笑いかけてくる。
それでいて、会議での判断は冷静だった。
浸透偵察小隊による夜襲が可能だと分かっていながら、その能力を秘匿することを優先した。
自分たちが気づかないところまで考えている。
単に気さくなだけの人物ではないのだ。
エレナは小さく微笑んだ。
(なるほど。少佐があれほど信頼しているわけね)
そして、浸透偵察小隊の宿舎へと戻っていった。