浸透偵察小隊による二度目の森林偵察が行われた。
各班からの報告を総合した結果、魔族の前進拠点は四か所でほぼ間違いないと判断された。各拠点の兵力は七、八体程度。これまでの情報を覆すような新たな発見もなかった。
ベルノ連隊は、予定していた掃討作戦を実行に移すことになった。
その日の午前中、各歩兵中隊の陣地では、普段より多くの狙撃兵が前方の監視に当たっていた。
支援に加わったのは、浸透偵察小隊のエレナ班、フリーダ班、イルム班である。
二度目の偵察から戻ったばかりのエレナ班も、休息を取る間もなく第3中隊の陣地へ向かった。
高橋たちの顔には、夜間偵察で施したフェイスペイントがそのまま残っていた。
「顔ぐらい洗ってくればよかったかな」
高橋が呟くと、エレナが笑った。
「いいじゃない。どうせまた汚れるんだから」
陣地に到着すると、エレナは歩兵小隊の指揮官に挨拶を済ませ、さっそく前方の監視に取りかかった。
高地の尾根上にある観測陣地は、引き続き使用されている。本陣地を反斜面へ移す工事も進められていたが、前方を監視する機能まで失われたわけではなかった。
エレナは双眼鏡を構えた。
眼下には雪の残る旧耕作地が広がり、その向こうには針葉樹林が続いている。
魔族兵は以前から、この開けた地域や森林の縁に姿を現していた。
帝国軍も発見するたびに銃撃を加えており、散発的な交戦は珍しいことではない。
ただし、今日は少し事情が違っていた。
歩兵中隊には、もともと狙撃兵が配属されている。今回は彼らに浸透偵察小隊の優れた索敵能力が加わったのだ。
「右の林縁、倒木の奥。何か動いたわ」
エレナの声に、隣の歩兵狙撃兵が双眼鏡を向けた。
「……どこです?」
「少し右。枝が三本に分かれている木の下よ」
「ああ、見えました。魔族ですね」
「そう。あそこから出てくると思うわ」
狙撃兵は銃を構えた。
しばらくして、魔族兵が木の陰から姿を現した。
一発の銃声が響く。
魔族兵はその場に倒れた。
「命中です」
「いい腕ね」
エレナが短く褒めた。
ほかの陣地でも、同じような射撃が始まっていた。
フリーダ班とイルム班も、それぞれ歩兵中隊の狙撃兵たちと協力し、前方に現れる魔族兵を探し出していた。
普段であれば見逃していたような遠方の動きも、目のよい偵察兵たちには捉えられる。
敵を発見するたびに、歩兵の狙撃兵が銃を構えた。
高橋もエレナの隣で銃を構えていた。
「高橋、あそこを見て」
エレナが森林の一角を指差した。
「倒れた木の左側。低い茂みのところ」
高橋は照準器を覗いた。
最初は何も見えなかった。
しかし、しばらく観察していると、茂みの陰で何かが動いた。
「……いました」
「見えた?」
「はい。一体です」
「距離は?」
高橋は目標までの距離を見積もり、照準を調整した。
魔族兵は茂みの陰から周囲を窺っていた。ときおり頭と上半身を見せるものの、なかなか全身を現さない。
高橋は焦らず待った。
「まだよ」
エレナが小さく言った。
数秒後、魔族兵が立ち上がり、林縁に沿って移動を始めた。
「今!」
高橋は引き金を絞った。
銃声が響き、魔族兵が前のめりに倒れた。
高橋はそのまま照準器を覗き続けた。
動かない。
「命中。よくやったわ」
エレナが双眼鏡を下ろした。
高橋は息を吐いた。
初めて魔族を撃ったときのように手が震えることはなかった。
だが、人を撃つことに慣れてしまったような気もして、少し嫌な気分になった。
「次を探しましょう」
エレナの声に、高橋は再び照準器を覗いた。
その後も各陣地から散発的な銃声が続いた。
魔族側も撃ち返してきたが、以前とは違って、姿を現すたびに正確な射撃を受けるようになっていた。
各陣地では迫撃砲による支援も準備されていたが、今のところ使用する必要はなかった。
しばらくすると、開けた地域から魔族兵の姿が消え始めた。
「引っ込んだみたいですね」
歩兵の狙撃兵が双眼鏡を下ろした。
エレナはなおも森林を見つめていた。
「そうね。少なくとも、見えるところには出てこなくなったわ」
高橋も周囲を探したが、動くものは見つからなかった。
普段から続いていた銃撃が、今日は少し激しくなった。
魔族側には、その程度の出来事に見えたかもしれない。
しかし、帝国軍の狙撃精度が上がったことで、前方に出ていた魔族兵たちは森林の奥へ一時的に退いたようだった。
陣地から確認できる範囲で、魔族の監視活動は明らかに弱まっていた。
そして、その後方では、すでに百二十名の古参兵たちが出撃の準備を整えていた。
* * *
今回の攻撃に参加するのは、各歩兵中隊から選抜された古参兵三十名ずつ、計百二十名である。
それぞれの攻撃小隊は、各中隊長が自ら指揮を執ることになっていた。
そして各部隊の先頭には、浸透偵察小隊から派遣された偵察班が付く。
ローラ班をはじめとする四個班が、それぞれの攻撃小隊を魔族の前進拠点まで案内する役目を担っていた。
今回の目的は、森林内に設置された四か所の魔族前進拠点を掃討することにある。
拠点を占領するつもりはない。敵が逃走した場合も深追いせず、掃討を終えた部隊から速やかに帰還する方針だった。
第3中隊の攻撃小隊には、ヴァルター少佐も同行することになっていた。
「少佐、本当にいらっしゃるんですか?」
第3中隊長が尋ねた。
「もちろんだ。せっかくの機会だからな」
ヴァルターは上機嫌だった。
「森の中のことなら、うちの連中がよく知ってる。心配はいらんさ」
「それは承知していますが……」
「なあに、指揮は中隊長に任せるよ。俺は見物についていくだけだ」
そう言って、ヴァルターは笑った。
もちろん、誰も本当に見物だけで済ませるとは思っていなかった。
ちょうどその頃、前方の狙撃位置からエレナ班が引き揚げてきた。
高橋たちは二度目の偵察から戻った後、そのまま狙撃支援に参加していた。顔にはまだフェイスペイントが残っており、疲労も隠せなかった。
陣地内の交通壕を歩いていると、前方からヴァルター少佐がやってきた。
「おう、エレナ。ご苦労さん。あとは休んでいていいぞ」
エレナは軽く敬礼した。
「そうさせてもらいます」
そして、ヴァルターの顔を見て少し笑った。
「なんか嬉しそうですね」
「ああ、わくわくするぜ。あとは任せろ」
ヴァルターは歯を見せて笑った。
そのままエレナたちとすれ違い、攻撃部隊の待つ前方へ歩いていく。
高橋は思わず、その後ろ姿を振り返った。
ヴァルター少佐は六十六歳だという。
日本なら祖父と呼ばれていてもおかしくない年齢だ。しかし、エルフである少佐の容姿は三十代前半ほどにしか見えない。
日本人の高橋には、エルフの見た目から実際の年齢を判断することなどできなかった。
しかも、その足取りは驚くほど軽い。
これから戦闘に向かうというのに、まるで遠足に出かける少年のように楽しそうだった。
「……少佐、本当に嬉しそうですね」
高橋が呟くと、エレナは苦笑した。
「昔からああいう人なのよ。こういう仕事になると、じっとしていられないんだから」
「大丈夫なんでしょうか」
「少佐のこと?」
「はい」
エレナは少し考えてから答えた。
「心配するだけ無駄よ。あの人、私たちよりずっと長く戦場にいるんだから」
ヴァルターの姿は、すでに交通壕の向こうへ消えていた。
その先では、第3中隊の選抜攻撃小隊が出発の準備を整えていた。
三十名の古参兵たちは装備を確認し、先導する偵察班の後ろに集まっている。
同じ頃、ほかの歩兵中隊でも攻撃部隊が出発の時を待っていた。
目標は、森林内にある四か所の魔族前進拠点。
四個の攻撃小隊は、それぞれの目標へ向かい、ほぼ同時に襲撃を開始する予定だった。
* * *
第3中隊から選抜された三十名の古参兵の中には、石井軍曹の姿もあった。
出発までまだ少し時間があった。
石井は装備を整えると、高地陣地の一角に設けられた待機所へ向かった。
陣地では反斜面への移設工事が続いていた。土を掘る音や兵士たちの掛け声が聞こえ、ときおり前方から乾いた銃声が響いてくる。
待機所の入口には、兵士たちが踏み固めた雪が残っていた。
石井が中へ入ると、薄暗い室内の片隅で伊藤千尋が腰を下ろしていた。
片腕にはまだ包帯が巻かれている。
先日の砲撃で負傷した千尋は、戦闘任務を外され、しばらく休養するよう命じられていた。
「おう、千尋。具合はどうだ?」
石井の声に、千尋が顔を上げた。
「あ、石井軍曹。だいぶ良くなりました。でも、まだ腕が痛くて」
「そうか。無理するなよ。傷が開いたら元も子もないからな」
「はい」
石井は千尋の向かいに腰を下ろした。
軍装を整え、小銃を肩に掛けた姿を見れば、これから出撃することは一目でわかった。
千尋もそれに気づいていた。
「軍曹、これから出撃ですか?」
「ああ。森の中の魔族を掃討してくる」
「聞いてます。古参兵の人たちだけで行くんですよね」
「そうだ。各中隊から三十人ずつだ。うちの中隊長も一緒だし、偵察小隊の連中が道案内してくれる。心配するな」
石井はいつもの調子で答えた。
千尋は小さく頷いた。
待機所の外から、兵士たちの話し声が聞こえてきた。出撃準備を終えた者たちが集まり始めているのだろう。
石井はしばらく黙っていたが、やがて千尋の顔を見た。
「三上の仇、とってくるからな」
千尋の表情が曇った。
三上鈴音。
日本では同じ教室で過ごし、召喚されてからも同じ部隊に配属された友人だった。
つい先日まで、二人は同じ陣地で寝起きしていた。
寒いだの、食事がまずいだの、そんな他愛もない話をしては笑い合っていた。
それが、たった一度の砲撃ですべて失われてしまった。
千尋は包帯の巻かれた腕に目を落とした。
自分はこうして生きている。
だが、鈴音はもう戻ってこない。
「……お気をつけて」
少し間を置いて、千尋はそう言った。
石井は力強く頷いた。
「ああ、任せておけ」
そして立ち上がると、肩に掛けた小銃の位置を直した。
「帰ってきたら、また顔を出すからな。それまでおとなしく寝てろよ」
「はい。待ってます」
石井は軽く手を上げ、待機所を出ていった。
外では、冬の弱い日差しが雪の残る陣地を照らしていた。
石井はほかの兵士たちと合流すると、何事もなかったように言葉を交わしながら歩いていった。
千尋は入口まで出て、その後ろ姿を見送った。
軍靴が凍った地面を踏む音が、次第に遠ざかっていく。
やがて石井の姿は、交通壕の向こうに消えた。
千尋はしばらくその場に立っていた。
鈴音の仇を討ってほしい。
その気持ちは確かにあった。
けれど、それ以上に、石井には無事に帰ってきてほしかった。
もう、誰かが帰ってこないのは嫌だった。
遠くで、また一発の銃声が響いた。
千尋は冷たい空気を吸い込み、静かに待機所へ戻った。