勇者連隊戦記   作:バグスター

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帝国歴232年2月 イジューム戦線


第4節 襲撃

第3中隊の選抜攻撃小隊は、ローラ班の先導で森林の奥へと進んでいた。

 

三十名の古参兵たちは、雪の残る針葉樹林を慎重に進んでいく。

 

頭上では木々の枝が重なり、冬の弱い日差しを遮っていた。地面にはところどころ雪が残り、倒木や低い茂みが行く手を塞いでいる。

 

風が吹くと、枝に積もっていた雪が音もなく落ちてきた。

 

隊列の先頭を歩くローラ伍長は、ときおり立ち止まって周囲を確認していた。

 

「もう少しよ。前に見つけた拠点は、この先にあるわ」

 

第3中隊長のミラ中尉が頷いた。

 

「了解した。ここからは分隊ごとに行動する」

 

今回の攻撃小隊は、古参兵三十名を十名ずつ三個分隊に分けていた。

 

目標の前進拠点を正面と左右から半包囲するためである。

 

ローラ班の隊員たちは手分けして各分隊を案内し、事前に確認していた地形を利用して配置へと導いていった。

 

石井軍曹も、自分の分隊を率いて移動した。

 

森の中では、わずかな距離でも木々に視界を遮られる。石井は先導する偵察兵の姿を見失わないようにしながら、部下たちを所定の位置へ導いた。

 

やがて、木々の間から魔族の前進拠点が見えてきた。

 

小さな天幕が一張り。その周囲には木箱や物資が置かれ、雪の少ない場所には焚き火の跡もあった。

 

魔族兵が数体、天幕の周囲で動いている。

 

ローラは身を低くし、双眼鏡を覗いた。

 

「八体ね。前回と変わっていないみたい」

 

「ほかには?」

 

「見える範囲にはいないわ。周辺も確認したけど、増援が来た様子はないわね」

 

ミラは頷いた。

 

「よし。各分隊、予定の位置へ」

 

兵士たちは小さく頷き、木々の陰へ姿を消していった。

 

* * *

 

やがて三個分隊の配置が完了した。

 

正面と左右の木々の陰に、合計三十名の古参兵が展開している。

 

敵は八体。

 

魔族兵たちは、目前の森林に帝国兵が潜んでいることに気づいていない様子だった。

 

ミラは左右の分隊に目を向けた。

 

左側の分隊から、準備完了の合図が返ってきた。

 

続いて右側からも合図が届く。

 

ローラが小さく頷いた。

 

「配置完了です」

 

ミラは腕時計に目を落とした。

 

今回の作戦では、四個攻撃小隊の指揮官が事前に時計を合わせ、攻撃開始時刻を決めていた。

 

ほかの拠点でも、同じ時刻に攻撃が始まる手筈である。

 

ミラの腕時計の秒針が、ゆっくりと進んでいく。

 

周囲は静かだった。

 

遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。

 

ミラはもう一度、木々の間に見える魔族の前進拠点を確認した。

 

天幕の前では魔族兵が一体、何かを食べている。別の一体は小銃を肩に掛け、木箱の上に腰を下ろしていた。

 

こちらの存在には、まったく気づいていない。

 

ミラは再び時計を見た。

 

あと十秒。

 

五秒。

 

三、二、一。

 

秒針が予定の位置を指した。

 

ミラは右手を振り下ろした。

 

「撃て!」

 

一斉に銃声が響いた。

 

乾いた発砲音が森林に反響する。

 

拠点の中央にいた魔族兵が倒れ、天幕の脇に立っていた別の魔族兵も崩れ落ちた。

 

生き残った魔族兵の一体が、突然、喉の奥から絞り出すような奇妙な叫び声を上げた。

 

何を言っているのかはわからない。しかし、その声に反応してほかの魔族兵たちが慌ただしく動き始めた。仲間に敵襲を知らせているらしい。

 

魔族兵たちは慌てて銃を取った。

 

だが、どちらへ撃ち返せばよいのかわからない。

 

正面から銃弾が飛んできたかと思えば、左右の木々の間からも発砲音が響く。

 

魔族兵の一体が木箱の陰に飛び込み、小銃を構えた。

 

しかし、発砲するより早く別の方向から銃撃を受け、その場に倒れた。

 

「撃ち続けろ!」

 

ミラの号令が響いた。

 

石井も木の幹に身を寄せ、小銃を構えていた。

 

天幕の陰から飛び出した魔族兵を狙い、引き金を引く。

 

一発、二発。

 

魔族兵が倒れた。

 

三十名の古参兵による銃撃を、わずか八体の魔族兵が受け止められるはずもなかった。

 

それでも魔族兵たちは反撃を試みたが、十分に射撃を続ける間もなく次々と倒されていった。

 

銃撃が始まってから、まだ一分も経っていなかった。

 

「逃げるぞ!」

 

誰かが叫んだ。

 

生き残った二体の魔族兵が、天幕の裏手から森の奥へ走り出した。

 

「追いますか!」

 

石井が尋ねた。

 

ミラは首を振った。

 

作戦では、逃走する敵を深追いしないことになっている。

 

「いや、追うな! 残敵を確認しろ!」

 

兵士たちは射撃を止め、慎重に周囲を確認し始めた。

 

倒れた魔族兵は六体。

 

残りの二体は、すでに木々の奥へ姿を消していた。

 

「六体確認。二体逃走です!」

 

報告を受けたミラは頷いた。

 

「わかった。周辺の警戒を続けろ」

 

そのときだった。

 

パンッ!

 

森の奥から、短い銃声が聞こえてきた。

 

兵士たちは顔を上げた。

 

少し間を置いて、もう一発。

 

パンッ!

 

「……なんだ?」

 

石井が呟いた。

 

今の音は小銃ではない。

 

拳銃の発砲音だった。

 

しばらくすると、前方の木々の間から一人の男が現れた。

 

ヴァルター少佐だった。

 

右手には拳銃を持っている。

 

まるで散歩でもしてきたかのような足取りで、こちらへ歩いてくる。

 

「おう、終わったか?」

 

ミラは呆気に取られた。

 

「少佐! どこへ行っていらしたんですか!」

 

「ん? ちょっと向こうにな」

 

ヴァルターは森の奥を親指で示した。

 

「逃げ道になりそうなところがあったんで、先に行って待ってたんだ」

 

「まさか、今の銃声は……」

 

「ああ。二体来たから片づけておいた」

 

ヴァルターは平然と答えた。

 

「これで全滅だな。すまんな、おいしいところいただいたわ」

 

石井は思わず笑いそうになった。

 

この少佐は、本当に戦闘を楽しんでいるらしい。

 

一方のミラは、困ったような顔をしていた。

 

「少佐、あまり危険なことはしないでください。大佐に怒られます」

 

「そう言うなよ。ちゃんと戻ってきたんだからいいじゃねえか」

 

ヴァルターは笑いながら拳銃をしまった。

 

「それに、あの二体を逃がしてもよかったんだろうが、せっかくだからな」

 

「……少佐」

 

「わかった、わかった。もう勝手なことはせんよ」

 

どうにも信用できない返事だった。

 

ヴァルターは拠点の方へ目を向けた。

 

「あ、拠点の物品は回収しとけよ。あと魔族の死体も持ち物を調べとけ」

 

「了解しました」

 

ミラは部下たちに指示を出した。

 

兵士たちは周囲を警戒しながら、天幕や木箱の中身を確認し始めた。

 

石井も倒れた魔族兵の一体に近づいた。

 

つい先ほどまで銃を持っていた魔族兵は、雪の上に横たわったまま動かない。

 

石井はその姿をしばらく見つめていた。

 

三上の仇。

 

出撃前、千尋にそう言ってきた。

 

目の前の魔族兵が、あの砲撃に直接関わっていたのかはわからない。

 

それでも、この拠点の魔族が再び高地を監視することはない。

 

石井は膝をつき、魔族兵の装備を調べ始めた。

 

そのとき、遠くからも銃声が聞こえてきた。

 

タタン、タタン……。

 

しばらくして、別の方角からも発砲音が響く。

 

ミラが顔を上げた。

 

「ほかの部隊もやっているようですね」

 

ヴァルターは耳を澄ませた。

 

「ああ。予定どおりなら、もう始まってるはずだ」

 

遠くの銃声は、しばらく続いていた。

 

森の中に散らばった四つの魔族前進拠点。

 

そのそれぞれで、ベルノ連隊の攻撃が始まっていた。

 

* * *

 

ほかの攻撃小隊も、おおむね予定どおりに行動していた。

 

浸透偵察小隊の各班は、事前に調べていた地形を利用し、選抜された歩兵たちを敵拠点の近くまで案内していた。

 

各小隊は三つの分隊に分かれ、敵拠点を半包囲する形を取っていた。

 

ミラ中尉の部隊を含む三個小隊は、ほぼ予定時刻どおりに攻撃を開始した。

 

突然、複数の方向から銃撃を浴びせられた魔族兵たちは、慌てて反撃を試みた。

 

しかし、相手は実戦経験の豊富な古参兵三十名である。

 

魔族兵が木々の陰に身を隠しても、別の方向から銃撃を受ける。

 

拠点によっては、最初の一斉射撃で戦闘の大勢が決まったところもあった。

 

一部の魔族兵は森林の奥へ逃走したが、帝国軍は深追いしなかった。

 

三個小隊の攻撃は、いずれも損害を出すことなく終了した。

 

しかし、最後の一か所だけは事情が違っていた。

 

第2中隊長リュート大尉が率いる選抜攻撃小隊である。

 

この部隊を先導していたのは、ゲルフ軍曹の班だった。

 

こちらも敵に発見されることなく、拠点の近くまで到達していた。

 

正面と左側の分隊は、すでに配置を終えている。

 

残る右側の分隊も、予定の位置まではあとわずかだった。

 

ところが、先導していたゲルフが突然立ち止まった。

 

後ろの兵士たちに、低く身を伏せるよう合図する。

 

前方に魔族の歩哨がいた。

 

小銃を肩に掛け、周囲を見回している。

 

その歩哨の視線が、ちょうど分隊の進む方向へ向けられていた。

 

ゲルフは兵士たちを停止させた。

 

ここで動けば見つかる。

 

かといって、別の経路に回り込む時間もない。

 

少し待てば、歩哨が別の方向を向くはずだった。

 

ゲルフは慎重に様子を窺った。

 

歩哨はしばらく森の中を眺めていたが、やがて体の向きを変えた。

 

その瞬間、ゲルフが手を振った。

 

「行け」

 

小声の指示に従い、兵士たちが移動を再開した。

 

倒木の陰を抜け、予定の位置へ滑り込む。

 

ようやく最後の分隊の配置が完了した。

 

一方、リュート大尉は腕時計を確認していた。

 

攻撃予定時刻が迫っている。

 

右側の分隊から合図が届かない。

 

リュートは待った。

 

秒針が進む。

 

そのときだった。

 

タタン、タタン……!

 

遠くから銃声が響いた。

 

ほかの拠点で攻撃が始まったのである。

 

リュートはもう一度時計を見た。

 

予定時刻を過ぎていた。

 

ほどなく、右側の分隊から準備完了の合図が返ってきた。

 

しかし、その十数秒の間に状況は変わっていた。

 

拠点の魔族兵たちも銃声に気づいたらしい。

 

それまで天幕の周囲で休んでいた魔族兵が立ち上がり、音の聞こえた方角へ顔を向けた。

 

一体が、喉の奥から奇妙な声を上げた。

 

何を言っているのかはわからない。

 

だが、その声を聞いたほかの魔族兵たちは、慌ただしく銃を手に取り始めた。

 

リュートは表情を引き締めた。

 

これ以上待っても状況は悪くなるばかりだった。

 

右手を上げる。

 

そして、振り下ろした。

 

「撃て!」

 

森林に一斉射撃の音が響いた。

 

魔族兵が数体倒れた。

 

しかし、すでに警戒していた敵も素早く反撃してきた。

 

木々の陰から銃弾が飛んでくる。

 

兵士たちの頭上で枝が砕け、樹皮が飛び散った。

 

「反撃だ! 伏せろ!」

 

リュートの声が響いた。

 

次の瞬間、一人の兵士が声を上げて倒れた。

 

「ぐあっ!」

 

すぐ近くの兵士が、倒れた仲間を木の陰へ引き寄せた。

 

別の場所でも兵士が被弾し、地面に崩れ落ちる。

 

「負傷者だ!」

 

「衛生兵!」

 

銃声が重なった。

 

さらに一人が撃たれた。

 

古参兵たちは怯まなかった。

 

木々を遮蔽物にして反撃を続ける。

 

「右側、撃ち続けろ!」

 

リュートの号令に応じて、右側の分隊からも銃撃が始まった。

 

三方向からの射撃を受け、魔族兵たちは次第に追い詰められていった。

 

最初の反撃こそ激しかったが、数の差は大きかった。

 

一体、また一体と倒れていく。

 

やがて生き残った魔族兵たちは、拠点を捨てて森林の奥へ逃げ出した。

 

「深追いするな! 残敵を確認しろ!」

 

リュートが命じた。

 

「負傷者の救護を急げ!」

 

兵士たちは周囲の警戒と救護に移った。

 

倒れた三名のうち、二名には意識があった。

 

衛生兵が応急処置を行い、仲間たちが後送の準備を始める。

 

しかし、残る一名は動かなかった。

 

衛生兵が傍らに膝をつき、状態を確かめる。

 

やがて、ゆっくりと首を振った。

 

「……駄目です」

 

リュートは唇を結んだ。

 

「そうか……」

 

しばらく戦死した兵士を見つめていたが、やがて顔を上げた。

 

「遺体も連れて帰る。置いていくな」

 

「はっ!」

 

兵士たちは戦死した仲間の遺体を運び出す準備を始めた。

 

ゲルフも、その様子を見つめていた。

 

ほんの十数秒。

 

それだけの差だった。

 

歩哨の視線を避けなければ、配置の途中で敵に発見されていたかもしれない。

 

だが、慎重に行動した結果、攻撃開始が遅れた。

 

そして、一人が死んだ。

 

ゲルフは小さく息を吐いた。

 

「……くそっ」

 

リュートが近づいてきた。

 

「ゲルフ軍曹」

 

「はい」

 

「撤収経路の確認を頼む。負傷者と遺体を運ぶから、帰りは少し時間がかかる」

 

「了解しました」

 

ゲルフは姿勢を正した。

 

リュートはそれ以上、何も言わなかった。

 

周囲では兵士たちが回収作業を進めていた。

 

ゲルフは最後まで拠点の周辺を警戒し、撤収する攻撃小隊を先導した。

 

* * *

 

四か所の魔族前進拠点は、すべて掃討された。

 

各部隊は周辺を警戒しながら、天幕や木箱、倒れた魔族兵の所持品を調べた。

 

小銃や弾薬、食料のほか、無線機や地図、観測用の測距儀なども見つかった。

 

無線機は大きく、付属する器材も少なくなかった。兵士たちは運搬できるよう荷物をまとめ、交代で担ぐことにした。

 

持ち帰れるものは回収し、各攻撃小隊は撤収を開始した。

 

帰路も浸透偵察小隊の各班が先導した。

 

三十名の古参兵たちは、雪の残る森林を抜け、次々と自分たちの陣地へ戻っていった。

 

最後に帰還したのは、リュート大尉の第2中隊選抜隊だった。

 

負傷者二名が後送され、戦死した兵士の遺体も陣地内へ運び込まれた。

 

ほかの三個攻撃小隊に損害はなかった。

 

こうして、ベルノ連隊による森林内の前進拠点掃討作戦は終了した。

 

* * *

 

連隊司令部では、オリヴィエ大佐が各中隊からの報告を待っていた。

 

机には森林地帯の地図が広げられ、四か所の魔族前進拠点が赤鉛筆で記されている。

 

アウレリア大尉が、届いたばかりの報告書を手に入ってきた。

 

「大佐、各中隊からの報告が揃いました」

 

「どうだった?」

 

「四か所すべての前進拠点を掃討しました。各攻撃小隊はすでに帰還しています」

 

「全部?」

 

「はい。四か所ともです」

 

オリヴィエの顔が明るくなった。

 

「やったじゃない! それで、敵の損害は?」

 

「確認された魔族の撃破数は二十八体です。ほかに八体から十体ほどが逃走した模様です」

 

「思っていたより多かったのね」

 

「はい。偵察時に確認されていた兵力より、実際には多くの魔族がいたようです」

 

「そう。それで、こちらの損害は?」

 

アウレリアは一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。

 

「……戦死者一名、負傷者二名です」

 

オリヴィエの笑顔が消えた。

 

「……戦死者が出たのね」

 

「はい」

 

「何があったの?」

 

アウレリアは報告書に目を落とした。

 

「最後に攻撃を開始した第2中隊の選抜隊です。リュート大尉が指揮し、ゲルフ軍曹の班が先導していました」

 

「リュートのところね」

 

「はい。攻撃開始時刻は合わせていましたが、三つに分かれた分隊のうち、一つが配置につくのに時間がかかったそうです」

 

「それで?」

 

「包囲が一部遅れ、攻撃開始も遅れました。十数秒ほどの差だったと報告されています」

 

「十数秒……」

 

オリヴィエは小さく呟いた。

 

「その間に、ほかの拠点で銃撃戦が始まりました。魔族側はその銃声を聞いて警戒していたようです。攻撃を開始した際には、すぐに反撃を受けたとのことです」

 

「……そう」

 

オリヴィエは机上の地図を見つめた。

 

四つの赤い印が付けられている。

 

「ほかの部隊は?」

 

「三個攻撃小隊とも損害はありません。第2中隊だけです」

 

「そう……」

 

オリヴィエは椅子の背にもたれ、小さく息を吐いた。

 

「作戦は成功よ。兵士たちはよくやってくれたわ」

 

アウレリアは頷いた。

 

「はい」

 

「でも、一人帰ってこなかったのね……」

 

しばらく沈黙が続いた。

 

やがてオリヴィエは顔を上げた。

 

「戦死者の名前と所属、それから家族のことを調べておいて。負傷者の手当てもお願いね」

 

「承知しました」

 

「それと、リュート大尉から詳しく話を聞きたいわ。ゲルフも一緒に呼んでちょうだい」

 

「はい、大佐」

 

* * *

 

その後、掃討作戦で回収された物品が連隊司令部へ運び込まれた。

 

小銃や弾薬、食料のほか、無線機や地図、観測用の測距儀なども見つかっていた。

 

兵士たちが次々と回収品を運び込んでくる。

 

その一団と一緒に、ヴァルター少佐も司令部へ戻ってきた。

 

「おう、お嬢。帰ったぞ」

 

いつもの陽気な声だった。

 

オリヴィエは顔を上げた。

 

「あんたねえ。第3中隊から報告は聞いてるわよ。拳銃で魔族を二体仕留めたんですって?」

 

「はっはっは! たまたま逃げてきたんでな。ついでに片づけておいた」

 

「ついでって……。あんた、自分が何歳だと思ってるのよ」

 

「まだまだ若いもんには負けんぞ」

 

ヴァルターは笑いながら、机の上に置かれた回収品を眺めた。

 

「それより、いい物が手に入ったじゃねえか」

 

「そうね。無線機に測距儀、おまけに地図まで。どうやら連中、あそこからうちの陣地を調べていたみたいね」

 

アウレリアが地図を広げた。

 

「魔族の文字はまだ解読できていませんが、こちらの陣地に関する情報が書き込まれているようです」

 

「ほう。そりゃ面白いな」

 

ヴァルターは地図を覗き込んだ。

 

「こりゃ、第3中隊の高地じゃねえか」

 

「やっぱりそう見える?」

 

「ああ。こっちの印も怪しいな。詳しく調べた方がいいだろう」

 

オリヴィエは頷いた。

 

「そのつもりよ」

 

だが、彼女の表情はまだ晴れなかった。

 

ヴァルターはその顔を見て、少し声を落とした。

 

「……戦死者が出たそうだな」

 

「ええ。一名。負傷者が二名よ」

 

「そうか」

 

「第2中隊のところよ。十数秒の遅れで、敵に反撃する時間を与えちゃったみたい」

 

ヴァルターは腕を組んだ。

 

「なるほどな」

 

「今、リュートとゲルフを呼んでいるところよ」

 

「そうか。なら、俺も話を聞かせてもらうとするか」

 

* * *

 

しばらくして、リュート大尉とゲルフ軍曹が司令部へ姿を見せた。

 

二人とも、戦闘から戻ったばかりだった。

 

リュートが敬礼する。

 

「大佐、第2中隊選抜隊の攻撃について、報告に参りました」

 

「ええ。ご苦労さま。まず、何があったのか聞かせてちょうだい」

 

リュートは頷いた。

 

「予定どおり三個分隊に分かれ、目標の半包囲を進めました。しかし、右側の分隊の配置が遅れました」

 

「どうして?」

 

ゲルフが一歩前に出た。

 

「申し訳ありません。敵の歩哨の視線があったもので、配置が遅れました」

 

オリヴィエはゲルフを見た。

 

「歩哨に見つかりそうだったの?」

 

「はい。ちょうど分隊が進む方向を見ていました。無理に移動すれば発見される危険があったため、いったん停止させました」

 

「それで?」

 

「歩哨が別の方向を向くのを待って移動を再開しました。そのため、予定の配置につくのが遅れました」

 

リュートが続けた。

 

「最後の分隊から配置完了の合図が届いた時点で、攻撃予定時刻を過ぎていました。十数秒ほどです」

 

「その間に、ほかの拠点で銃撃が始まったのね」

 

「はい。魔族兵たちも銃声に気づき、警戒を始めていました」

 

リュートは一度言葉を切った。

 

「それ以上待つことは不利と判断し、直ちに攻撃を開始しました。しかし、敵も素早く反撃してきました」

 

「……そう」

 

「結果として、戦死者一名、負傷者二名を出しました。申し訳ありません」

 

リュートは深く頭を下げた。

 

ゲルフも続いた。

 

「私が分隊を停止させました。申し訳ありません」

 

オリヴィエはしばらく二人を見つめていた。

 

「……ゲルフ。あんた、歩哨がこっちを見ていても進むべきだったと思う?」

 

ゲルフは一瞬、答えに詰まった。

 

「いえ……。あの状況では、発見される危険が高かったと思います」

 

「でしょうね」

 

オリヴィエは頷いた。

 

「それなら、待つしかなかったんじゃないの?」

 

「……はい」

 

「無理に進んで見つかっていたら、もっとひどいことになっていたかもしれないわ」

 

ゲルフは黙っていた。

 

オリヴィエは今度はリュートに向き直った。

 

「リュート大尉」

 

「はっ」

 

「よくやってくれました」

 

リュートは姿勢を正した。

 

「ありがとうございます」

 

「損害は仕方がない、とは言いたくないわ。でも、この結果は甘んじて受け止めましょう」

 

オリヴィエは静かに続けた。

 

「四か所すべての拠点を掃討できたのは、あなたたちが任務を果たしてくれたからよ。兵士たちもよく戦ってくれました」

 

「はい」

 

「戦死した兵士は本当に残念だったわ。負傷した二人も心配ね」

 

「負傷者はすでに治療を受けています」

 

「そう。それならよかった」

 

オリヴィエは二人を見渡した。

 

「十数秒の遅れが戦闘に影響したのは事実よ。でも、誰かが怠けていたわけでも、命令を無視したわけでもないんでしょう?」

 

「はい」

 

「だったら、そのことで自分たちを責めても仕方ないわ」

 

ゲルフは顔を上げた。

 

「大佐……」

 

「ただし、今回の経緯はきちんと調べましょう。次に同じような作戦を行うとき、何か改善できるかもしれないもの」

 

リュートが敬礼した。

 

「承知しました」

 

「二人とも、本当にご苦労さまでした。部下たちにもそう伝えてちょうだい」

 

「ありがとうございます」

 

リュートとゲルフが揃って敬礼した。

 

その様子を黙って見ていたヴァルターが、ようやく口を開いた。

 

「お嬢、あまりがっかりするなよ。戦争やってるんだ、損害ゼロなんて虫のいい話はないぜ」

 

オリヴィエは小さくため息をついた。

 

「わかってるわよ。そんなこと」

 

「四か所全部を掃討して、魔族を二十八体も倒したんだ。兵隊たちはよくやったじゃねえか」

 

「ええ。よくやってくれたわ」

 

オリヴィエは机に目を落とした。

 

「でもねえ、ヴァルター。十数秒よ。たった十数秒の差で一人死んじゃったのよ」

 

「そうだな」

 

ヴァルターも今度は笑わなかった。

 

「だがな、お嬢。森の中で四つの部隊を動かして、時間をぴったり合わせるなんて難しいんだ。いくら準備しても、予定どおりにいかないことはある」

 

「それはわかってるわ」

 

「それに、最後の部隊だって任務は果たした。仲間が倒れても逃げ出さず、ちゃんと敵を追い払って帰ってきたんだ。立派なもんじゃねえか」

 

ヴァルターはリュートとゲルフにも目を向けた。

 

「お前たちも、よくやったぞ」

 

「ありがとうございます、少佐」

 

リュートが答えた。

 

ヴァルターはオリヴィエに向き直った。

 

「俺は長いこと戦場にいるが、損害なしで終わる戦闘なんて、そうそうあるもんじゃねえ。今回だって、運が悪けりゃもっと死んでたさ」

 

「……そうね」

 

「死んだ兵隊が気の毒なのは俺も同じだ。だが、だからって今回の作戦が間違っていたわけじゃねえ」

 

ヴァルターは机の地図に記された四つの印を指差した。

 

「連中があそこで好き勝手やっていたら、今度はこっちの陣地で何人死んでいたかわからんだろう?」

 

オリヴィエは顔を上げた。

 

「……そうね。あのまま放っておくわけにはいかなかったもの」

 

「そういうことだ」

 

ヴァルターはいつもの笑顔に戻った。

 

「兵隊が死ぬのは嫌なもんだ。だが、お嬢が落ち込んだところで、死んだ兵隊は戻ってこねえ。だったら、今回の戦果を次につなげることを考えた方がいい」

 

オリヴィエはしばらく黙っていた。

 

やがて、小さく頷いた。

 

「……ええ。そうね」

 

そしてリュートとゲルフに向き直った。

 

「二人とも、今日はもう休んでちょうだい。詳しい報告書は明日で構わないわ」

 

「はっ」

 

「それから、戦死した兵士の仲間たちのことも気にかけてあげてね」

 

「承知しました」

 

リュートとゲルフは再び敬礼し、司令部を出ていった。

 

* * *

 

二人が出ていくと、オリヴィエは椅子の背にもたれた。

 

「……まったく、戦争って嫌なものね」

 

ヴァルターは肩をすくめた。

 

「今さらだな、お嬢」

 

「今さらでも嫌なものは嫌なのよ」

 

「そりゃそうだ」

 

ヴァルターは笑った。

 

オリヴィエは机の上に並べられた回収品に目を向けた。

 

「それにしても、ずいぶんいろいろ持っていたのね」

 

アウレリアが頷いた。

 

「はい。特に無線機と測距儀は注目すべきだと思います。単なる前方警戒所ではなかった可能性が高いですね」

 

「観測所も兼ねていたってこと?」

 

「おそらく。敵の砲兵との連絡にも使われていた可能性があります」

 

「なるほどねえ」

 

オリヴィエは測距儀を手に取った。

 

「これでうちの陣地を調べていたわけね」

 

「こちらの地図もご覧ください」

 

アウレリアが一枚の地図を広げた。

 

森林地帯と、その西側にある帝国軍の陣地周辺が描かれている。

 

地図には、いくつもの線や記号が書き込まれていた。

 

「魔族の文字なので、詳しい内容はまだわかりません。ただ、こちらの陣地について記載されているようです」

 

「どれどれ……」

 

オリヴィエは地図に顔を近づけた。

 

「これ、第3中隊の高地じゃない?」

 

ヴァルターも覗き込んだ。

 

「ああ。位置関係からすれば間違いなさそうだな」

 

「こっちの印も、うちの陣地かしら」

 

アウレリアが答えた。

 

「おそらく。ただし、何を意味する記号なのかは確認が必要です」

 

オリヴィエはしばらく黙って地図を見つめていた。

 

「……なるほどねえ」

 

高地陣地への砲撃が始まって以来、ベルノ連隊は敵の観測活動に苦しめられてきた。

 

その敵が、森林内の前進拠点から帝国軍の陣地を調べていた可能性が高まったのである。

 

「やっぱり、あの森を好き勝手に使わせておくわけにはいかなかったのよ」

 

オリヴィエは顔を上げた。

 

「地図は詳しく調べさせてちょうだい。魔族の文字も、わかる範囲で解読させて」

 

「承知しました」

 

「無線機と測距儀もね。何かわかるかもしれないわ」

 

アウレリアは頷いた。

 

「今回の作戦で、敵の前方監視活動には相応の打撃を与えられたと思います」

 

「そうね。でも、これで敵の観測所が全部なくなったとは限らないわ」

 

オリヴィエは地図に目を落とした。

 

「これからも監視は続けてちょうだい」

 

ヴァルターが頷いた。

 

「もちろんですとも」

 

オリヴィエは少し表情を和らげた。

 

「それにしても、あんたの部下たち、たいしたものね。どの攻撃小隊も敵に見つからずに拠点の近くまで行けたんでしょう?」

 

「はっはっは! そりゃあ、うちの自慢の連中だからな!」

 

「だからこそ、あんたたちは温存するのよ。今回みたいに案内だけで済むなら、それに越したことはないわ」

 

「はいはい。お嬢の言うとおりですとも」

 

「次も頼りにしてるわよ」

 

「任せとけ」

 

ヴァルターは胸を張った。

 

オリヴィエは机に広げられた地図を指で叩いた。

 

「これで魔族も、あの森が自分たちの庭じゃないってわかったでしょうね」

 

「しばらくは慎重になるだろうな。前進拠点を作り直すにしても、今までみたいにはいかんだろう」

 

「それで十分よ。こっちは森を占領するつもりなんてないんだから」

 

オリヴィエは満足そうに頷いた。

 

そして、ふと思い出したようにヴァルターを睨んだ。

 

「ところで、あんたの話はまだ終わってないわよ」

 

「ん?」

 

「何が『見物についていくだけ』よ。拳銃持って一人で敵の逃げ道に回り込むなんて、何考えてるの!」

 

「はっはっは! いやあ、面白そうだったんでな!」

 

「まったく、あんたって人は!」

 

アウレリアが横で苦笑していた。

 

「少佐、ミラ中尉も困っていたようですよ」

 

「そうか? あいつもまだ若いなあ」

 

「そういう問題じゃないわよ!」

 

オリヴィエは呆れたように首を振った。

 

それでも、先ほどまでの沈んだ表情は少し和らいでいた。

 

ヴァルターはいつもの調子で笑っている。

 

その姿を見て、オリヴィエも小さく笑った。

 

やがてアウレリアが回収品の調査について確認し、ヴァルターも偵察小隊の報告をまとめるために席を立った。

 

二人が部屋を出ていくと、司令部は静かになった。

 

オリヴィエは一人、机に広げられた地図を見つめていた。

 

四か所の魔族前進拠点には、すべて掃討完了の印が付けられている。

 

魔族二十八体撃破。

 

逃亡した魔族は八体から十体ほど。

 

ベルノ連隊の損害は、戦死一名、負傷二名。

 

戦果としては申し分ない。

 

だが、今朝まで生きていた兵士が一人、もう帰ってこない。

 

オリヴィエはしばらく地図を眺めていたが、やがて報告書を手に取った。

 

戦死した兵士の名前が、そこに記されていた。

 

彼女はその名前を静かに読み、もう一度確認した。

 

そして報告書を閉じた。

 

「……みんな、よくやってくれたわ」

 

小さく呟くと、オリヴィエは次の書類に手を伸ばした。

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