勇者連隊戦記   作:バグスター

52 / 53
帝国歴232年3月、イジューム戦線


第4節 着弾観測

ベルノ連隊司令部の天幕に、浸透偵察小隊からの電文が届いた。

 

通信兵が持ち込んだ電文に目を通したヴァルター少佐が、作戦地図の前に立つオリヴィエに声をかけた。

 

「お嬢、エレナの班からだ。敵の野砲陣地を二か所発見した。各四門、合計八門。位置も特定できたそうだ」

 

「本当!?」

 

オリヴィエが勢いよく顔を上げた。

 

「でかしたわ!」

 

その場にいたアウレリア大尉と砲兵中隊長も、地図へ視線を向けた。

 

「これまで散々やってくれたからね。最大火力で行くわよ!」

 

オリヴィエは地図の上に手を置いた。

 

ベルノ連隊は、数週間にわたって敵の砲撃に苦しめられてきた。

 

特に第3中隊の高地陣地では三上鈴音が戦死し、伊藤千尋をはじめ負傷者も出ている。その後も敵の砲撃は続き、三月に入ってからも負傷者が相次いでいた。

 

その敵砲兵の位置が、ようやく判明したのである。

 

しかし、砲兵中隊長が口を挟んだ。

 

「大佐、お待ちください。両翼に展開している計四門が射程外です」

 

「え?」

 

オリヴィエが地図に視線を落とした。

 

ベルノ連隊の120mm榴弾砲八門は、敵の砲撃による一挙壊滅を避けるため、二門ずつ四か所に分散配置されていた。

 

砲兵中隊長は地図上の陣地を指さした。

 

「中央寄りの四門は射程内ですが、両翼の四門は距離がありすぎます」

 

「お嬢、どうする?」

 

ヴァルターが尋ねた。

 

「移動させた場合、どれぐらいかかる?」

 

オリヴィエは砲兵中隊長に顔を向けた。

 

「牽引車がちょうど四台ありますし、中央の砲の予備陣地に展開すれば、一時間以内には大丈夫だと思います」

 

「予備陣地はもう出来上がっているのね?」

 

「はい。構築も測量も済んでおります。砲を据えれば射撃可能です」

 

オリヴィエは少し考えた。

 

「だったら決まりね。四門とも中央へ移動させなさい」

 

「了解しました!」

 

「せっかく敵の砲兵を見つけたんですもの。中途半端な攻撃はしたくないわ。八門全部使うわよ」

 

砲兵中隊長がうなずいた。

 

「ただし、敵陣地まで約十一キロあります。試射と着弾修正が必要になります」

 

「それはエレナたちに任せるわ」

 

オリヴィエはヴァルターを見た。

 

「少佐、エレナたちに伝えて。砲撃開始は一時間後。着弾観測をお願いするって」

 

「わかった。すぐに伝える」

 

ヴァルターは通信兵に向き直った。

 

「エレナ班へ返信。射撃開始、一時間後。それだけでいい」

 

「了解しました!」

 

通信兵が天幕を出ていった。

 

アウレリアが地図上の二つの印を見つめた。

 

「敵の野砲八門を無力化できれば、今後の戦況もずいぶん変わりますね」

 

「そうね」

 

オリヴィエの表情が引き締まった。

 

「それに、あの子たちは敵の後方まで入り込んでいるのよ。せっかく危険を冒して見つけてくれたんだから、私たちも仕事をしなくちゃ」

 

ヴァルターがうなずいた。

 

「ああ。あいつらが見つけた獲物だ。今度はこっちの番だな」

 

砲兵中隊長は敬礼し、急いで天幕を出ていった。

 

* * *

 

ベルノ連隊砲兵中隊の陣地にも、緊急命令が届いていた。

 

水野香織の所属する小隊では、砲の整備や弾薬の点検をしていた兵士たちが集められた。

 

「全員、聞け! これから両翼の砲兵陣地から二門が移動してくる。ここの予備陣地に展開させることになった!」

 

小隊長の言葉に、兵士たちが顔を見合わせた。

 

「二門も増えるんですか?」

 

水野が尋ねた。

 

「そうだ。残りの二門も別の中央予備陣地へ移動する。砲兵中隊の八門すべてを使って攻撃することになった」

 

「八門全部……?」

 

「砲が到着して射撃準備が整い次第、攻撃開始だ。それまでに弾薬を十分に用意しておけ。各砲の弾薬係は直ちに作業にかかれ!」

 

水野は驚いた。

 

まだ砲が到着していないうちから弾薬を集めろというのである。しかも、八門すべてを使うという。

 

「ずいぶん気合いが入ってますね」

 

隣にいた木田がつぶやいた。

 

「うん。司令部、相当本気みたい」

 

「そりゃ、目標が目標だからな」

 

「目標?」

 

水野が聞き返すと、小隊長が声を張り上げた。

 

「今回の目標は、敵の野砲陣地だ! 浸透偵察小隊が敵後方で発見した。野砲八門、位置も判明している!」

 

一瞬の沈黙。

 

次の瞬間、兵士たちから歓声が上がった。

 

「おおっ!」

 

「ついに見つけたのか!」

 

「今まで散々撃ってきやがって!」

 

「今度はこっちの番だ!」

 

水野も思わず木田と顔を見合わせた。

 

「やった! 敵の砲兵が見つかったんだ!」

 

「ああ。これで少しは仕返しができるな!」

 

これまで敵の砲撃に対し、思うような反撃ができなかった。

 

砲兵たちにも、仲間の死傷者を減らせない悔しさがあった。

 

そこへ、リン伍長の大声が響いた。

 

「砲兵中隊の見せ場だよ! 気合い入れろ!」

 

「おおっ!」

 

「いいかい! 砲弾が足りないなんて言わせないよ! どんどん運んできな!」

 

「了解!」

 

「水野! 木田! あんたたちもさっさと動く!」

 

「はいっ!」

 

二人は弾薬集積所へ駆け出した。

 

120mm砲弾は重い。運ぶだけでも一苦労である。

 

「よいしょっ!」

 

水野は木田と協力して砲弾を運んだ。

 

砲弾が次々と運び込まれ、陣地の所定の場所に並べられていく。

 

まだ一発も撃っていないのに、すでに大仕事が始まっていた。

 

「ねえ、木田君」

 

「なんだ?」

 

「これ、撃ち始めたら大変なことになりそうだね」

 

「ああ。八門全部だからな。相当撃つつもりなんじゃないか」

 

「その前に腕が疲れちゃいそう」

 

水野が苦笑すると、後ろからリンの声が飛んできた。

 

「水野! 口を動かす元気があるなら、手を動かしな!」

 

「は、はいっ!」

 

周囲から笑い声が上がった。

 

しかし、誰一人として作業の手を緩めなかった。

 

やがて、遠くから牽引車のエンジン音が聞こえてきた。

 

「来たぞ!」

 

誰かが叫んだ。

 

林道の向こうから、二台の牽引車が姿を現した。後ろには、それぞれ120mm榴弾砲が連結されている。

 

「予備陣地へ誘導しろ!」

 

砲兵たちが走り出す。

 

砲を所定の位置に据え、固定し、射撃準備を整えなければならない。

 

水野は額の汗を袖で拭い、到着した二門を見つめた。

 

今度こそ、あの忌々しい砲撃を止められるかもしれない。

 

「さあ、もうひと頑張りだよ!」

 

リン伍長が大きな手を打ち鳴らした。

 

「砲を据えたら、すぐに撃てるようにしておきな! 今日は忙しくなるよ!」

 

兵士たちの返事が、冬の森に響いた。

 

* * *

 

ベルノ連隊司令部では、オリヴィエが作戦地図を前に、砲兵中隊からの報告を待っていた。

 

敵の野砲陣地には、赤い印が二つ書き込まれている。

 

そこへ砲兵中隊長が入ってきた。

 

「大佐、砲兵中隊、全八門の射撃準備が完了しました。移動した四門も予備陣地への展開を終えています」

 

オリヴィエは腕時計を見た。

 

「あら、ずいぶん早いわね」

 

「ええ、敵砲兵陣地と聞いて、隊員もかなりやる気になっています」

 

「ふふっ、そうでしょうね。今まで一方的に撃たれてきたんですもの」

 

オリヴィエは満足そうに笑った。

 

「弾薬の準備は?」

 

「十分に用意しております。継続射撃にも対応できます」

 

「結構。では、始めましょうか」

 

砲兵中隊長が地図を指さした。

 

「まず北側の第一目標から攻撃します。一門で試射を行い、観測班からの修正を受けます。着弾位置が確認でき次第、全八門による効力射に移ります」

 

「二か所同時には攻撃しないのね?」

 

「はい。今回は敵後方の観測班との無線電信による連絡が頼りです。通信にも時間がかかりますので、一か所ずつ確実に叩きます」

 

「分かったわ。それでいきましょう」

 

オリヴィエはヴァルターに顔を向けた。

 

「少佐、エレナたちとの連絡は?」

 

「ああ、問題ない。通信班も待機してる。いつでも始められるぜ」

 

「よし。それじゃあ、始めましょうか」

 

ヴァルターは通信兵に指示を出した。

 

アウレリアは地図上の二つの印を見つめていた。

 

「敵の野砲八門……。これだけの砲を潰せれば、第3中隊の高地陣地もずいぶん楽になりますね」

 

「ええ。あの高地では戦死者まで出しているのよ」

 

オリヴィエの表情から笑みが消えた。

 

「これ以上、好き勝手に撃たせるつもりはないわ」

 

砲兵中隊長が姿勢を正した。

 

「大佐、射撃命令をお願いします」

 

オリヴィエはうなずいた。

 

「砲兵中隊、射撃開始!」

 

「了解!」

 

砲兵中隊長は敬礼すると、急いで天幕を出ていった。

 

その背中を見送り、ヴァルターが口を開いた。

 

「しかしまあ、うちの砲兵連中も相当頭に来てたみたいだな」

 

「当然よ。私だって頭にきていたんだから」

 

ヴァルターが小さく笑った。

 

「わかってるぜ、お嬢」

 

アウレリアも思わず苦笑した。

 

「二人とも、ずいぶん楽しそうですね」

 

「楽しくなんかないわよ!」

 

オリヴィエが即座に言い返した。

 

「ようやく反撃できるんだから、少しぐらい喜んだっていいじゃない!」

 

「ははっ、そういうところは昔から変わらねえな」

 

「うるさいわね!」

 

ヴァルターは肩をすくめた。

 

アウレリアは二人のやり取りを聞きながら、静かに笑っていた。

 

オリヴィエは再び作戦地図に視線を落とした。

 

「さあ、エレナ。あとはあなたたちの腕の見せどころよ」

 

* * *

 

魔族陣地の後方、森林に覆われた丘。

 

エレナ班の四人は、朝から観測を続けていた場所で味方の砲撃を待っていた。

 

ミレーナが無線電信機の受信内容を確認した。

 

『第一、試射開始』

 

「第一目標への試射を始めるそうよ」

 

「了解。高橋、アルノー、観測準備」

 

エレナは双眼鏡を構えた。

 

「高橋は着弾位置を見て。アルノーは敵の砲煙との位置関係を確認してちょうだい。私も地図と照合するわ」

 

「了解」

 

高橋は双眼鏡を目に当てた。

 

丘の北側には、森林に囲まれた谷が広がっている。

 

敵の野砲は、その樹林の中に隠されていた。

 

砲そのものは木々や地形に遮られ、ほとんど見えない。しかし、発射のたびに樹冠の上へ白煙が立ち上り、その位置から八門の所在を突き止めることができた。

 

最初の攻撃目標は北側の四門。

 

もう一か所、北東側に展開する四門は、その後に攻撃する予定だった。

 

「そろそろ来るわね」

 

エレナがつぶやいた。

 

高橋は息を潜めて、森林の向こうを見つめた。

 

そのときだった。

 

森の奥で、突然、茶色い土煙が噴き上がった。

 

少し遅れて、鈍い爆発音が届く。

 

「着弾!」

 

高橋が声を上げた。

 

「目標より奥です! 右にもずれています!」

 

「アルノー?」

 

「俺も確認した。右奥だな」

 

エレナは地図と照合した。

 

「高橋、距離は?」

 

「三百メートルくらいだと思います!」

 

「分かった。ミレーナ、第一、右奥三百」

 

「了解」

 

ミレーナは短い電文を打った。

 

『第一、右奥三百』

 

送信を終えると、受信に切り替えた。

 

敵地での無線電信は危険を伴う。送信時間を少しでも短くするため、電文は必要最小限に抑えられていた。

 

エレナは再び双眼鏡を構えた。

 

敵野砲の発射煙は、相変わらず木々の間から上がっている。

 

「まだ撃ってますね」

 

高橋が言った。

 

「そうね。あの一発だけじゃ、自分たちが狙われているとは思わないかもしれないわ」

 

やがて、返信が届いた。

 

『第一、第二射』

 

「次が来るわよ」

 

ミレーナの声に、高橋は双眼鏡を構え直した。

 

しばらくして、再び森林の中で爆発が起きた。

 

「着弾! 今度は近いです!」

 

高橋が声を上げた。

 

「目標の少し手前、左側です!」

 

「俺も同じだ!」

 

アルノーが答えた。

 

エレナは着弾位置を確認し、ミレーナに告げた。

 

「第一、左手前」

 

『第一、左手前』

 

再び短い電文が送られた。

 

「だいぶ近づいてきましたね」

 

高橋が言った。

 

「ええ。次で決まるかもしれないわ」

 

エレナは地図に二発目の着弾位置を書き込んだ。

 

一発目は目標の右奥、二発目は左手前。

 

敵の砲煙の位置を基準にして、少しずつ着弾を近づけている。

 

しばらくして三発目が飛来した。

 

今度は、敵野砲の発射煙が上がっていた場所のすぐ近くで爆発が起こった。

 

「着弾! 目標付近です!」

 

「確認した!」

 

アルノーも声を上げた。

 

土煙が樹冠を越えて噴き上がり、枝葉が舞い散った。

 

「いいわ!」

 

エレナは満足そうにうなずいた。

 

「ミレーナ、第一、目標付近。効力射可」

 

『第一、目標付近。効力射可』

 

短い送信が終わった。

 

高橋は双眼鏡を下ろし、大きく息を吐いた。

 

「ようやくですね」

 

「ええ。ここからが本番よ」

 

エレナは腕時計に目を落とした。

 

「ベルノの砲兵が、どれだけやれるか見せてもらいましょう」

 

やがて、ミレーナが顔を上げた。

 

『第一、効力射開始』

 

「効力射開始よ。全八門で撃つそうよ!」

 

「八門全部か」

 

アルノーが口元を緩めた。

 

「ずいぶん気合いが入ってるな」

 

「当然よ。今まで散々撃たれてきたんだから」

 

エレナは双眼鏡を構え直した。

 

「高橋、しっかり観測してね」

 

「はい!」

 

四人は敵砲兵陣地へ視線を集中させた。

 

やがて、森林の中で最初の爆発が起きた。

 

続けて二発、三発。

 

ほとんど間を置かずに、次々と土煙が噴き上がる。

 

「うわっ!」

 

高橋が思わず声を上げた。

 

それまでの試射とは、まるで違った。

 

最初の爆発が収まらないうちに次の爆発が起こり、森のあちこちから土煙が立ち上っていく。

 

「四発……五発……!」

 

アルノーが着弾を数えていた。

 

「六、七、八! 八発確認!」

 

敵砲兵陣地の一帯が、土煙と白煙に包まれた。

 

「すごい……」

 

高橋は双眼鏡をのぞいたまま、つぶやいた。

 

「これが八門の一斉射撃……」

 

エレナも目標を確認した。

 

「着弾はおおむね良好ね。ミレーナ、第一、着弾良好」

 

『第一、着弾良好』

 

ミレーナが電鍵を叩いた。

 

ところが、その送信が終わるか終わらないかという頃だった。

 

「……あれ?」

 

高橋が声を上げた。

 

再び、森林の中で爆発が始まった。

 

一発、二発。

 

「早いな! もう第二斉射か!」

 

アルノーが驚いたように言った。

 

「ちょっと、ベルノの砲兵って、こんなに早く撃てたかしら?」

 

エレナも驚いていた。

 

試射の間は一発ごとに長く待たされていたのに、効力射に移った途端、砲弾が次々と降り注いでいる。

 

「すごいですね! ほとんど休んでいないみたいです!」

 

高橋がそう答えた、その瞬間だった。

 

敵砲兵陣地の一角で、突然、巨大な火柱が立ち上がった。

 

「うわっ!」

 

高橋が思わず身を引いた。

 

それまでの砲弾の爆発とは、明らかに規模が違っていた。

 

赤い炎が樹冠より高く噴き上がり、続いて黒い煙が一気に広がった。

 

少し遅れて、腹に響くような轟音が丘まで届いた。

 

「な、何だ今のは!」

 

アルノーが叫んだ。

 

「弾薬に引火したのかしら!」

 

エレナも双眼鏡を構え直した。

 

爆発した場所では、黒煙が空高く立ち上がっている。

 

その周囲では、第二斉射の残りの砲弾が次々と炸裂していた。

 

さらに第三斉射、第四斉射が降り注いだ。

 

すでに第一目標は大量の煙に包まれ、どこに砲弾が落ちているのか判別することも難しくなっていた。

 

「すごい……」

 

高橋は呆然とつぶやいた。

 

「敵の弾薬が爆発したんでしょうか?」

 

「おそらくね。でも、まだ分からないわ」

 

エレナは双眼鏡から目を離さなかった。

 

やがて砲撃が止み、黒煙が風に流され始めた。

 

爆発した場所の様子が少しずつ見えてくる。

 

「……あれ?」

 

高橋が声を上げた。

 

「エレナ伍長、見てください! 木が!」

 

「どうしたの?」

 

「木が倒れています! 陣地の周りの木が、なくなっています!」

 

エレナは双眼鏡を向けた。

 

先ほどまで鬱蒼とした森林に覆われていた場所が、ぽっかりと開けていた。

 

大爆発の爆風によって、周囲の木々がなぎ倒されていたのである。

 

折れた幹や枝が散乱し、その向こうに、今まで見えなかったものが姿を現していた。

 

「……野砲だわ!」

 

エレナが声を上げた。

 

「高橋、見える?」

 

「はい! 見えます!」

 

高橋は双眼鏡をのぞき込んだ。

 

確かに野砲だった。

 

倒木の間に長い砲身が見える。別の場所にも、車輪と砲架らしきものがあった。

 

「あっ、あの砲、傾いています!」

 

「どれ?」

 

「右側です! 砲身が変な方向を向いています!」

 

エレナも確認した。

 

野砲の一門は、明らかに不自然な姿勢になっていた。周囲の土塁も崩れ、陣地の原形をとどめていない。

 

「これは……相当やったわね」

 

アルノーも双眼鏡をのぞき込んでいた。

 

「すごいな」

 

「弾薬が誘爆したんでしょうね。間違いなく大きな損害を与えているわ」

 

エレナは確信した。

 

何門が破壊されたのかまでは分からない。倒木や煙に遮られ、見えない部分も多かった。

 

それでも、敵砲兵陣地が大きな被害を受けたことは明白だった。

 

「アルノー、もう一つの陣地はどう?」

 

「ちょっと待ってくれ」

 

アルノーが双眼鏡を北東側へ向けた。

 

「……ああ、見えた。まだ撃ってるぞ。発射煙が上がってる」

 

「四門とも?」

 

「そこまでは分からない。でも、少なくとも二か所から煙が上がった」

 

エレナはうなずいた。

 

「よし。次はあっちね」

 

「第一目標はもういいんですか?」

 

高橋が尋ねた。

 

「十分な損害を与えたわ。もちろん、まだ使える砲が残っているかもしれない。でも、今はもう一か所を叩く方が大事よ」

 

エレナは北東側の森林を見つめた。

 

「あちらも、この砲撃には気づいているはず。逃げ出す前に攻撃したいわ」

 

エレナはミレーナに声をかけた。

 

「第一目標は損害大。第二目標への変更を要請して」

 

「了解」

 

ミレーナは電文を短くまとめた。

 

『第一、大爆発。損害大。第二へ変更要請』

 

電鍵を叩き終えると、すぐに受信へ切り替えた。

 

エレナは双眼鏡を北東側へ向けた。

 

そちらの森林には、まだ大きな変化がなかった。

 

時折、木々の間から白煙が上がっている。

 

「向こうの連中、どう思ってるんでしょうね」

 

高橋がつぶやいた。

 

「さあね」

 

エレナは少し笑った。

 

「でも、隣の砲兵陣地があんなことになったんだから、気が気じゃないでしょうね」

 

「俺なら逃げるな」

 

アルノーが言った。

 

「私もそうするわ」

 

エレナはあっさりと答えた。

 

「だから急がないと」

 

しかし、次の砲撃はすぐには始まらなかった。

 

目標変更の指示を受けた砲兵中隊では、新しい座標に合わせて射撃諸元を計算し直さなければならない。

 

さらに、分散した八門への命令伝達も必要だった。

 

エレナたちは、その間も敵の野砲陣地を監視し続けた。

 

「なかなか始まりませんね」

 

高橋が腕時計を見た。

 

「仕方ないわ。砲兵の方でも準備があるんでしょう」

 

エレナは双眼鏡を下ろさずに答えた。

 

「それに、こちらから何度も無線を使うわけにはいかないもの」

 

十分ほど経過した頃、ようやくミレーナの無線電信機に返信が入った。

 

『第二、試射開始』

 

「第二目標への試射を始めるそうよ」

 

「了解。高橋、アルノー、観測準備」

 

「了解!」

 

高橋は双眼鏡を握り直した。

 

第二目標への最初の一発は、敵野砲陣地のやや手前に落ちた。

 

「着弾! 目標手前です!」

 

エレナが双眼鏡で確認する。

 

「ミレーナ、第二、手前二百」

 

『第二、手前二百』

 

短い電文が送られた。

 

しばらくして、二発目が飛来した。

 

今度は敵野砲の発射煙が上がっていた場所の近くで爆発が起きた。

 

「目標付近です!」

 

「アルノー、どう?」

 

「いいと思う。ほぼ合ってるぞ」

 

「よし。ミレーナ、第二、目標付近。効力射可」

 

『第二、目標付近。効力射可』

 

ミレーナが送信を終えた。

 

やがて返信が届いた。

 

『第二、効力射開始』

 

「始まるわよ!」

 

エレナの声に、高橋とアルノーが双眼鏡を構え直した。

 

しばらくして、北東側の森林で爆発が起きた。

 

一発、二発、三発。

 

続けざまに土煙が噴き上がり、敵野砲陣地の周囲が煙に包まれていく。

 

「相変わらず早いな!」

 

アルノーが感心したように言った。

 

「ほんとね。うちの砲兵、なかなかやるじゃない」

 

エレナも満足そうだった。

 

第一斉射が終わると、ほどなく第二斉射が始まった。

 

再び森林の中で爆発が続く。

 

そのうち、高橋が異変に気づいた。

 

「あっ! 火が出ています!」

 

「どこ?」

 

「目標の右側です! 木の間から炎が見えます!」

 

エレナが双眼鏡を向けると、確かに森林の一角から赤い炎が上がっていた。

 

「火災が発生したみたいね」

 

さらに第三斉射が降り注いだ。

 

火は少しずつ広がり、木々の間から黒い煙が立ち上り始めた。

 

「おっ、また爆発したぞ!」

 

アルノーが声を上げた。

 

燃えている場所の一角で、砲弾の着弾とは異なる小さな爆発が起きた。

 

しばらくすると、別の場所でも爆発が起こった。

 

「弾薬が燃えているんでしょうか?」

 

高橋が尋ねた。

 

「その可能性は高いわね。小さな爆発が続いているもの」

 

エレナは双眼鏡を動かしながら答えた。

 

第四斉射、第五斉射。

 

ベルノ連隊の砲兵中隊は、なおも砲撃を続けた。

 

第一目標のような巨大な爆発こそ起きていないが、第二目標の森林では火災が広がり、ときおり炎の中から爆発が起きていた。

 

「ミレーナ、第二、火災発生。断続的爆発」

 

『第二、火災。断続的爆発』

 

短い電文が送られた。

 

「それにしても、よく燃えるわね」

 

エレナがつぶやいた。

 

「砲弾が燃えてるんですかね?」

 

「弾薬かもしれないし、積んであった資材かもしれないわ。ここからでは分からないけど、砲兵陣地としては相当な被害でしょうね」

 

さらに第六斉射が着弾した。

 

爆発のたびに、燃えている木々の間から新たな煙が噴き上がった。

 

「まだ撃つんですね」

 

高橋が言った。

 

「ええ。第一目標と違って、決定的な大爆発が起きていないもの。確実に叩いておきたいんでしょう」

 

そして第七斉射。

 

八門の榴弾砲から放たれた最後の砲弾が、次々と森林の中で炸裂した。

 

敵砲兵陣地の一帯は、すっかり煙に覆われていた。

 

「これで七斉射か……」

 

アルノーがつぶやいた。

 

「五十六発も撃ち込んだんですね」

 

高橋が答えた。

 

「それだけ撃てば、かなりの損害でしょうね」

 

エレナは双眼鏡を動かした。

 

敵野砲の発射煙は、もはや確認できなかった。

 

ただし、砲撃と火災による煙が視界を遮っているため、実際に敵の砲撃が止まったかどうかまでは分からない。

 

「ミレーナ、第二、損害大。射撃終了要請」

 

『第二、損害大。射撃終了要請』

 

短い電文が送られた。

 

アルノーが北側へ双眼鏡を向けた。

 

「あっちもまだ煙が上がってるぞ」

 

第一目標の森林には、巨大な爆発によって生じた黒煙が残っていた。

 

そして第二目標では、砲撃によって発生した火災が続いている。

 

二か所の敵野砲陣地が、そろって煙を上げていた。

 

「エレナ伍長、敵の砲撃は止まったんでしょうか?」

 

高橋が尋ねた。

 

「今のところ発射煙は確認できないわね。でも、火災と砲撃の煙で見えなくなっているだけかもしれない」

 

エレナは慎重だった。

 

「何門破壊できたかは分からない。でも、両方の陣地に大きな損害を与えたのは確かよ」

 

「やりましたね!」

 

高橋の声が弾んだ。

 

「ええ。よくやってくれたわ、ベルノの砲兵たち」

 

エレナは満足そうに笑った。

 

そして、双眼鏡を別の方向へ向けた。

 

「……そうだわ」

 

「どうしました?」

 

「ついでに、あのアンテナも壊しましょう」

 

エレナが指さした先には、以前から確認していた魔族のアンテナが立っていた。

 

森林の中から高く突き出した、鉄塔のような構造物だった。

 

「あれも撃つんですか?」

 

「ええ。あれだけ大きなアンテナなら、通信にも相当使われているはずよ。壊しておいて損はないわ」

 

アルノーが笑った。

 

「今日は徹底的にやるつもりだな」

 

「せっかくここまで来たんだもの。使える機会は使わなくちゃ」

 

エレナは地図を広げた。

 

「ミレーナ、アンテナの砲撃を要請して」

 

「了解」

 

ミレーナは位置を確認し、必要な座標と短い符号だけを送信した。

 

「それにしても、今日は砲兵中隊が大活躍ですね」

 

高橋が言った。

 

「本当ね。帰ったら褒めてあげなくちゃ」

 

「その前に、こっちが無事に帰らないとな」

 

アルノーの言葉に、エレナが笑った。

 

「そのとおりよ。まだ敵の後方にいるんだから、浮かれてはいられないわね」

 

再び待つことになった。

 

目標の座標が変われば、砲兵中隊は射撃諸元を計算し直さなければならない。

 

エレナは腕時計に目を落とした。

 

最初の試射が始まってから、すでにかなりの時間が経っている。

 

その間、四人はほとんど同じ姿勢で双眼鏡をのぞき続けていた。

 

やがてミレーナが顔を上げた。

 

『第三、試射開始』

 

「アンテナへの砲撃、始まるそうよ」

 

「了解。高橋、アルノー、観測準備」

 

エレナは双眼鏡を構えた。

 

「ずいぶん目立つものを建てたわね」

 

「まさか、ここまで砲弾が飛んでくるとは思ってなかったんでしょうね」

 

アルノーが答えた。

 

やがて、アンテナの手前で砲弾が炸裂した。

 

「着弾! 手前です!」

 

「ミレーナ、第三、手前」

 

『第三、手前』

 

短い電文が送られる。

 

次弾はアンテナの右側に落ちた。

 

「右です!」

 

「確認したわ。第三、右」

 

再び修正情報が送られた。

 

三発目は、アンテナの根元近くで炸裂した。

 

土煙が上がり、周囲の木々が大きく揺れた。

 

「近い!」

 

アルノーが声を上げた。

 

アンテナはまだ立っていた。

 

だが、エレナは満足そうにうなずいた。

 

「いいわ。ミレーナ、第三、目標付近。効力射可」

 

『第三、目標付近。効力射可』

 

返信が届くと、再び砲撃が始まった。

 

今度は八門の砲弾が、アンテナの周囲で次々と炸裂した。

 

「一発、二発……!」

 

高橋が着弾を追う。

 

土煙が塔の下部を覆い隠した。

 

続いて第二斉射が降り注いだ。

 

そのときだった。

 

「あっ!」

 

高橋が叫んだ。

 

アンテナの上部が、ゆっくりと傾き始めた。

 

「倒れる!」

 

アルノーも声を上げた。

 

高い鉄塔が途中で折れ曲がるように傾き、やがて支えを失った。

 

そのまま周囲の木々を巻き込みながら倒れ込んでいく。

 

「やった! 倒れました!」

 

高橋が歓声を上げた。

 

「確認したわ!」

 

エレナも笑みを浮かべた。

 

「見事ね。あんな細い目標まで倒してしまうなんて」

 

「うちの砲兵、今日は絶好調だな!」

 

アルノーが笑った。

 

エレナはミレーナに振り向いた。

 

「第三、アンテナ倒壊。送ってちょうだい」

 

『第三、アンテナ倒壊』

 

ミレーナが短い電文を送信した。

 

高橋は双眼鏡を下ろした。

 

「これで敵の通信も困るんでしょうか?」

 

「少なくとも、あのアンテナは使えなくなったわ。どれだけ影響が出るかは分からないけどね」

 

エレナは北側の森林へ双眼鏡を戻した。

 

第一目標では、大爆発の跡から黒煙が立ち上っている。

 

第二目標では、いまだに火災が続き、ときおり小さな爆発が起きていた。

 

そして、先ほどまで森林の上にそびえていたアンテナは、もう見えなくなっていた。

 

「敵野砲陣地二か所に、通信施設が一つ……」

 

アルノーが数えるように言った。

 

「今日は大戦果だな」

 

「ええ」

 

エレナはうなずいた。

 

「でも、まだ喜ぶのは早いわ。私たちは敵の後方にいるんだから」

 

高橋も周囲の森を見回した。

 

最初の試射が始まってから、すでに一時間近くが経過していた。

 

敵が何らかの反応を示しても不思議ではなかった。

 

「そろそろ引き揚げますか?」

 

アルノーが尋ねた。

 

エレナは倒れたアンテナの方向をもう一度確認した。

 

「そうね。十分な成果は得られたわ」

 

そしてミレーナに声をかけた。

 

「連隊本部に観測終了を報告して。これから帰還するわ」

 

「了解」

 

ミレーナが最後の電文を打った。

 

『観測終了。帰還開始』

 

送信を終えると、無線電信機の電源を切った。

 

エレナは地図を畳み、双眼鏡をしまった。

 

「さあ、みんな。今度は無事に帰るのが仕事よ」

 

四人は装備を確認し、撤収の準備を始めた。

 

* * *

 

ベルノ連隊砲兵中隊、中央砲兵陣地。

 

「射撃終了! 全砲、射撃止め!」

 

小隊長の号令が響いた。

 

最後の砲声が森の向こうへ消えていく。

 

それまで轟音と怒号に包まれていた砲兵陣地に、ようやく静けさが戻ってきた。

 

「お、終わったぁ……」

 

水野香織はその場にへたり込んだ。

 

「もう……無理……」

 

隣では木田も膝に手をつき、肩で息をしていた。

 

「腕が……上がらん……」

 

「私も……足が動かない……」

 

二人とも汗だくだった。

 

三月とはいえ、イジュームの森にはまだ雪が残っている。それなのに、水野の軍服は汗でぐっしょりと濡れていた。

 

朝からずっと動きっぱなしだった。

 

最初は弾薬の準備だった。

 

敵の野砲陣地が発見されたと聞き、砲兵中隊全体が沸き立った。水野も興奮して、木田と一緒に弾薬を運び始めた。

 

ところが、運んでも運んでも終わらない。

 

さらに、両翼から移動してきた二門の受け入れ準備まで重なった。

 

ようやく射撃準備が整ったと思ったら、今度は砲撃開始である。

 

試射の間はまだよかった。

 

だが、効力射に移った途端、陣地の様子が一変した。

 

「次弾、準備!」

 

「装填!」

 

「せいっ!」

 

「撃て!」

 

轟音とともに砲が火を噴く。

 

「次!」

 

「おりゃー!」

 

「せいっ!」

 

次から次へと砲弾が運び込まれ、装填され、発射されていく。

 

八門による全力射撃。

 

最初の目標には三十五発。

 

次の目標には五十八発。

 

最後のアンテナには十九発。

 

砲兵中隊全体で、合計百十二発。

 

水野は弾薬置場と砲の間を何度往復したのか、もう覚えていなかった。

 

一発の砲弾を送り出せば、すぐに次の準備が始まる。

 

目標変更や試射の間も休めない。次の効力射に備えて弾薬を揃え、残弾を確認し、砲の周囲を整える。

 

そして再び効力射が始まれば、全員が全力で動き回った。

 

まるで朝からずっと全力疾走を続けているようだった。

 

「……こんなの、初めてだよ」

 

水野がつぶやいた。

 

「何が?」

 

木田が息を切らしながら尋ねた。

 

「こんなに大変だったこと……。訓練でもなかったよ……」

 

「ああ……俺もだ……」

 

水野は砲兵中隊に配属されて以来、何度も厳しい訓練を経験してきた。

 

冬の夜間実弾射撃、繰り返される陣地変換。重い砲弾を運び、寒さの中で榴弾砲を扱う訓練は、決して楽ではなかった。

 

だが、今日の忙しさは別物だった。

 

朝から重い砲弾を運び続け、砲撃が始まれば全力で動き回る。そして、それが一時間近くも続いたのである。

 

体力だけでなく、集中力も使い果たしていた。

 

ほかの砲の周囲でも、兵士たちが座り込んだり、砲架にもたれかかったりしていた。

 

「水……誰か水をくれ……」

 

「自分の水筒はどうした……」

 

「空っぽだ……」

 

「俺もだ……」

 

あちこちから疲れ切った声が聞こえてくる。

 

そこへ、リン伍長がやってきた。

 

「なんだい、あんたたち! だらしないねえ!」

 

いつもの大声だった。

 

だが、そのリンも額に汗を浮かべ、肩で息をしていた。

 

水野が顔を上げた。

 

「リン伍長……もう勘弁してください……」

 

「何言ってんだい。まだ終わってないよ!」

 

「……え?」

 

リンは腰に手を当て、兵士たちを見回した。

 

「陣地変換だよ! いつまでそこに座ってるつもりだい!」

 

「えええっ!」

 

水野と木田が同時に情けない声を上げた。

 

周囲からも、うめき声が上がった。

 

「まだやるんですかぁ……」

 

「当たり前だろ! あれだけ派手に撃ったんだ。敵に位置を知られたかもしれないんだよ!」

 

「でも……敵の野砲を攻撃したんですよね?」

 

水野が尋ねた。

 

「そうだよ」

 

「だったら、もう反撃してこないんじゃ……」

 

「ばか言うんじゃないよ! 敵の砲が全部壊れたなんて、誰が言ったんだい?」

 

「……誰も言ってません」

 

「そういうことさ!」

 

ベルノ連隊砲兵中隊では、各砲に三か所から四か所の予備陣地が用意されていた。

 

いずれも事前に構築、測量を済ませた陣地である。

 

敵に砲兵陣地の位置を知られた場合、速やかに移動できるよう準備されていた。

 

そして今回は、八門すべてが大量の砲弾を撃ち込んでいる。

 

射撃位置を敵に察知された可能性は十分にあった。

 

ちょうどそのとき、小隊長の号令が響いた。

 

「全員、陣地変換準備! 各砲、指定予備陣地へ移動!」

 

「了解!」

 

兵士たちが重い体を引きずるように立ち上がった。

 

「木田君……」

 

「なんだ……」

 

「私、もう動けない……」

 

「俺だって同じだよ……」

 

「誰か代わってくれないかな……」

 

「全員同じこと考えてるだろ……」

 

二人は顔を見合わせ、力なく笑った。

 

しかし、命令が下った以上、動かなければならない。

 

砲の点検を済ませ、牽引準備に取りかかる。

 

「駐鋤を上げろ!」

 

「了解!」

 

「せーの!」

 

「おりゃー!」

 

「せいっ!」

 

いつもの掛け声が響いた。

 

だが、さすがに朝のような勢いはなかった。

 

「声が小さいよ!」

 

リンが怒鳴った。

 

「もっと気合い入れな!」

 

「は、はいっ!」

 

「せーの!」

 

「おりゃー!」

 

重い砲架を動かす。

 

「せいっ!」

 

「よし! その調子!」

 

リンも自ら作業に加わった。

 

その顔にも疲労の色が濃く浮かんでいたが、手を休めることはなかった。

 

やがて、牽引車のエンジン音が響いた。

 

砲兵中隊の牽引車は四台。

 

八門すべてを一度に移動させることはできない。

 

あらかじめ決められた順序で四門ずつ移し、牽引車を戻して残りの砲を移動させる。

 

「よし! 牽引準備完了!」

 

「移動開始!」

 

重い120mm榴弾砲が、ゆっくりと動き始めた。

 

水野はそれを見ながら、深いため息をついた。

 

「……まだ終わらないんだね」

 

「そうだな……」

 

木田が答えた。

 

砲を移動させれば終わりというわけでもない。

 

新しい陣地では砲を据え、再び射撃可能な状態に戻さなければならない。弾薬や装備の移動も残っている。

 

水野は、もう何度目になるか分からないため息をついた。

 

「今日って……何時になったら休めるのかな……」

 

「さあ……」

 

木田も遠い目をした。

 

そこへリンがやってきた。

 

「ほら、水野! 木田! ぼさっとしてないで移動準備!」

 

「はーい……」

 

「返事に元気がないねえ!」

 

「はいっ!」

 

水野は残った力を振り絞って返事をした。

 

リンは満足そうに笑った。

 

「よし! それでいいんだよ!」

 

そして、少しだけ声を落とした。

 

「まあ、今日はよくやったよ、あんたたち」

 

「え?」

 

「敵の砲兵陣地を攻撃できたんだ。今まで散々撃たれっぱなしだったんだからね」

 

水野はうなずいた。

 

第3中隊の高地陣地で戦死した三上鈴音の顔が、ふと頭に浮かんだ。

 

一月の新年休暇には、旧王宮の広場で一緒に笑っていた女の子だった。

 

あのときは、こんなに早く彼女が死んでしまうなんて思いもしなかった。

 

今日の砲撃で、敵の野砲を何門破壊できたのかは分からない。

 

それでも、あの砲撃を少しでも減らせたのなら。

 

「……頑張ってよかった」

 

水野が小さくつぶやいた。

 

「ん? 何か言ったかい?」

 

リンが尋ねた。

 

「いえ、何でもありません」

 

水野は笑った。

 

「だったら、あとひと頑張りだよ!」

 

「はい……」

 

先発の牽引車が、砲を引いて林道へ進んでいく。

 

その後ろを、装備を抱えた兵士たちが続いた。

 

水野も重い足を引きずりながら歩き始めた。

 

「木田君……」

 

「なんだ?」

 

「明日、絶対筋肉痛だよ……」

 

「俺はもう全身痛い……」

 

「私も……」

 

二人は力なく笑った。

 

朝から弾薬を運び続け、百十二発の砲撃に全力を尽くし、今度は陣地変換。

 

水野にとって、これほど過酷な一日は初めてだった。

 

だが、ベルノ連隊砲兵中隊の一日は、まだ終わらない。

 

砲撃が終わっても、砲兵の仕事は終わらないのである。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。