勇者連隊戦記   作:バグスター

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帝国歴232年3月後半、イジューム戦線


第13章 対戦車戦闘
第1節 不穏な兆候


エレナ班が敵陣地への浸透偵察から帰還して、二日が経過していた。

 

ベルノ連隊の司令部に、師団司令部から一通の命令書が届いた。

 

連隊長オリヴィエ大佐に対する出頭命令だった。

 

「師団司令部から?」

 

命令書に目を通したオリヴィエは、わずかに眉をひそめた。

 

傍らにいたアウレリア大尉が顔を上げる。

 

「何かあったのでしょうか」

 

「詳しいことは書かれていないわ。各連隊長を招集するそうよ。緊急の作戦会議ですって」

 

オリヴィエは命令書を机に置いた。

 

「嫌な予感がするわね」

 

ベルノ連隊が担当する戦線では、ここ数日、魔族軍の砲撃が減少していた。

 

浸透偵察小隊の報告に基づいて敵砲兵陣地を攻撃した成果とも考えられたが、敵軍全体の動きについては不明な点が多かった。

 

そして、エレナ班が帰還直前に発見した履帯痕。

 

幅の広い林道に残されたその痕跡は、戦車が通行した可能性を強く示していた。

 

「アウレリア、一緒に来てちょうだい」

 

「はい。すぐに準備いたします」

 

二人は連隊司令部を出発し、後方に設けられた師団司令部へ向かった。

 

師団司令部は、前線から離れた集落の建物を利用して設置されていた。

 

会議室には、すでに師団隷下の各連隊長と参謀たちが集まっていた。

 

壁には第7軍団の担当戦域を示す大きな地図が掲げられている。

 

師団長は平民出身の少将だった。

 

貴族の後ろ盾を持たず、軍歴と実績によって将官まで昇進してきた人物である。華美な装飾を嫌い、制服にも階級章以外の目立った飾りはなかった。

 

オリヴィエたちが着席すると、少将は集まった将校たちを見渡した。

 

「全員そろったな。始めよう」

 

参謀が地図の前に立つ。

 

「本日、各連隊長に集まっていただいたのは、軍団司令部から重要な情報が届いたためです」

 

少将が言葉を引き取った。

 

「結論から言おう。軍団司令部は、近いうちに第7軍団正面で魔族軍による戦車部隊を主力とした攻勢が行われる可能性が極めて高いと判断している」

 

会議室が静まり返った。

 

「戦車部隊ですか」

 

一人の連隊長が口を開いた。

 

「根拠は?」

 

「二つある」

 

少将は地図に視線を向けた。

 

「まず、敵軍の無線通信だ。軍団の通信解析部門が傍受した通信の中で、ある単語の出現頻度が急激に増えている」

 

少将は一度言葉を切った。

 

「グリモフだ」

 

オリヴィエの表情が変わった。

 

隣に座るアウレリアも、思わず顔を上げた。

 

グリモフ。

 

七年前、戦車部隊を率いて第7軍団の防衛線を突破した魔族の将軍。

 

その突破によって生じた戦線の混乱は、やがて旧ベルノ旅団の壊滅へとつながった。

 

少将は続けた。

 

「無線の内容を完全に解読できたわけではない。だが、グリモフという音がこれほど頻繁に現れるのは、通常の通信とは明らかに異なる」

 

「本人が戦線に戻ってきたということですか」

 

「その可能性がある。ただし、現時点では断定できん」

 

少将はそう答えてから、オリヴィエへ視線を移した。

 

「もう一つの根拠は、ベルノ連隊からの報告だ」

 

参謀が地図上の森林を指し示した。

 

「ベルノ連隊の浸透偵察小隊が、敵軍後方の林道で履帯痕を発見しました。報告では、戦車によるものと考えられています」

 

「オリヴィエ大佐、詳しく説明してもらえるか」

 

「はい」

 

オリヴィエは立ち上がった。

 

「我が連隊の浸透偵察小隊が、敵主陣地後方で偵察活動を実施しました。その帰還途中、幅の広い林道で複数の履帯痕を発見しています。ただし、戦車そのものを目撃したわけではありません。車両の数も不明です」

 

「履帯痕の状態は?」

 

「比較的新しいものと報告されています。少なくとも、最近になって装軌車両が通行した可能性は高いと考えます」

 

少将はうなずいた。

 

「軍団司令部も、その報告を重視している」

 

オリヴィエが着席すると、少将は再び全員を見渡した。

 

「グリモフの名前が頻繁に使われ始めたこと。そして、敵後方に戦車のものと考えられる履帯痕が発見されたこと。この二つが重なった」

 

少将は地図を指した。

 

「軍団司令部は、敵が戦車部隊を集結させ、我々の戦線を突破する準備を進めている可能性が極めて高いと判断した」

 

会議室の空気が重くなった。

 

七年前の敗戦を知る将校も少なくない。

 

グリモフの名は、単なる敵将の名前ではなかった。

 

「では、こちらの対策を説明する」

 

少将の言葉で会議は次の議題に移った。

 

「軍団司令部は、軍団および各師団が保有する対戦車砲を、可能な限り前線に配備する方針を決定した」

 

参謀が配備予定を記した資料を配った。

 

「ただし、第7軍団の担当戦域は広大です。全正面に十分な数の対戦車砲を配置することはできません」

 

オリヴィエは手元の資料に目を落とした。

 

ベルノ連隊への配備予定数は、わずか二門だった。

 

「二門……」

 

思わず声が漏れた。

 

少将がオリヴィエを見る。

 

「少ないことは承知している」

 

「我が連隊の担当正面は約五キロメートルあります。敵戦車の進撃路と考えられる林道も複数あります。二門だけでは、とても全てを防御できません」

 

「その通りだ」

 

少将はあっさり認めた。

 

「しかし、他の連隊も事情は同じだ。軍団全体で対戦車砲が不足している」

 

「敵がどの経路から進撃してくるか、現時点では分からないのですね?」

 

「分からん。だからこそ各連隊で予想進撃路を選定し、防御計画を立ててもらう必要がある」

 

アウレリアが地図を見つめていた。

 

ベルノ連隊の担当正面には、森林を抜ける複数の古い林道が存在する。

 

戦車が通行できる場所は限られるとしても、その全てを二門の対戦車砲だけで守ることは不可能だった。

 

オリヴィエが再び口を開いた。

 

「対戦車砲の追加が難しいのであれば、他の装備で補う必要があります」

 

少将はうなずいた。

 

「その点については、軍団司令部とも協議済みだ」

 

参謀が別の書類を示した。

 

「対戦車地雷とG13対戦車兵器について、追加配備を実施します。ベルノ連隊にも優先して補充を行う予定です」

 

「地雷とG13ですか」

 

オリヴィエは腕を組んだ。

 

G13は歩兵が携行できる対戦車兵器だった。

 

だが、有効射程はわずか五十メートル。

 

敵戦車をその距離まで引きつけなければならず、正面装甲に対しても十分な威力を期待できない。

 

「地雷で敵戦車の進撃を妨害し、対戦車砲とG13で撃破する。そういうことですね」

 

「基本的にはそうなる」

 

少将は答えた。

 

「ただし、敵がどこに主力を投入してくるか分からない以上、兵器を均等に配置するだけでは意味がない。地形を利用して、戦車の進撃を阻止できる場所を選ぶ必要がある」

 

「対戦車砲の配置は各連隊の裁量でしょうか」

 

「そうだ。各連隊長が判断してくれ。師団としても、敵の攻撃方向が判明すれば可能な限り支援を集中させる」

 

オリヴィエは資料を閉じた。

 

「承知しました。ベルノ連隊でも直ちに対策を進めます」

 

少将は全員に向き直った。

 

「諸君。七年前のような突破を、二度と許すわけにはいかん」

 

その声は静かだった。

 

「グリモフ本人が現れるかどうかは、まだ分からない。だが、敵が戦車による突破を企図しているのであれば、我々はそれに備えなければならん」

 

少将は地図を見た。

 

「各連隊は、直ちに対戦車防御計画を見直してくれ」

 

会議を終えたオリヴィエとアウレリアは、師団司令部を後にした。

 

帰路の車中、しばらく二人とも口を開かなかった。

 

先に沈黙を破ったのはアウレリアだった。

 

「グリモフ……本当に戻ってきたのでしょうか」

 

「分からないわ」

 

オリヴィエは窓の外を見ながら答えた。

 

「でも、軍団司令部があそこまで警戒しているのなら、相応の根拠があるのでしょうね」

 

「対戦車砲は二門だけですね」

 

「ええ。少なすぎるわ」

 

オリヴィエはため息をついた。

 

「五キロの正面を二門で守れですって。ずいぶん無茶を言ってくれるわね」

 

アウレリアも苦笑した。

 

「地雷とG13が追加されるだけでも、まだ救いがあります」

 

「そうね。でも、G13は五十メートルまで引きつけなければならないのよ」

 

オリヴィエはアウレリアに顔を向けた。

 

「戦車を五十メートルまで近づけるということは、その距離で戦う兵士が必要になるということだわ」

 

アウレリアは答えなかった。

 

二人とも、その意味を理解していた。

 

「戻ったら、すぐに連隊会議を開くわ」

 

「浸透偵察小隊にも参加させますか?」

 

「ええ。敵の進撃路を確認する必要があるわ。エレナたちが見つけた林道だけとは限らないもの」

 

「ヴァルター少佐にも報告を求めます」

 

「お願いするわ」

 

オリヴィエは再び窓の外へ視線を向けた。

 

雪の残る大地が、ゆっくりと後方へ流れていく。

 

七年前、ベルノ旅団は魔族の戦車部隊によって包囲され、壊滅した。

 

今度は自分たちが、その戦車部隊を迎え撃つことになるのかもしれない。

 

「……同じことを繰り返すつもりはないわ」

 

オリヴィエは小さくつぶやいた。

 

アウレリアには、その声がはっきりと聞こえていた。

 

その頃、浸透偵察小隊の宿営地では、エレナ班の四人に休暇が与えられていた。

 

敵陣地への浸透偵察から帰還して二日。魔族軍の厚い巡回網をかいくぐり、四人全員が無事に帰還できたことに、ヴァルター少佐も安堵していた。

 

森の中の天幕では、ミレーナとアルノーが気を利かせて外へ出ていた。

 

残されたエレナと高橋は、寝台の上で毛布にくるまり、抱き合っていた。

 

「落ち着いた?」

 

エレナが高橋の髪を撫でながら尋ねた。

 

「はい。緊張から解放されると性欲が増すって、本当だったんですね」

 

エレナはくすりと笑った。

 

「男だけじゃないわ。女もよ。生存本能が刺激されるんでしょうね」

 

そして、少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 

「それにしても亘一、激しかったわね」

 

「すいません。なんだか異常に昂ってしまって……」

 

高橋は照れくさそうに目をそらした。

 

「いいのよ。私もよかったから」

 

エレナは笑いながら高橋の頬に口づけした。

 

「私だって、ずいぶん興奮していたもの。お互い様よ」

 

「エレナさんもですか?」

 

「当たり前でしょう。あんなに怖い思いをしたんだから」

 

エレナは高橋の胸に頬を寄せた。

 

「本当に、今回は帰れないかもしれないと思ったわ」

 

「僕もです。あの巡回兵の数は……」

 

「ええ。何度も行く手を塞がれたものね。よく誰にも見つからなかったと思うわ」

 

高橋は帰還途中の光景を思い出した。

 

敵の砲兵陣地が砲撃を受けてから、魔族軍の警戒は一気に厳しくなった。

 

南へ大きく迂回したものの、巡回兵は至る所にいた。敵が通り過ぎるまで身を潜め、ようやく移動を再開したと思えば、また別の巡回に行く手を塞がれる。

 

時には、すぐ近くを魔族兵が通り過ぎることもあった。

 

四人は息を殺し、ひたすら敵をやり過ごした。

 

「エレナさんが冷静だったからですよ」

 

「そう見えただけよ。内心は必死だったわ。四人とも絶対に連れて帰らなきゃって」

 

エレナは高橋の背中に回した腕に、少しだけ力を込めた。

 

そのとき、天幕の外から声がした。

 

「エレナ、終わった?」

 

ミレーナだった。

 

エレナは高橋と顔を見合わせ、くすりと笑った。

 

「いいわよ。ごめんね、ミレーナ」

 

エレナが答えると、ミレーナが天幕の入口をくぐって入ってきた。

 

寝台の上でエレナと抱き合っていた高橋は、思わず顔を赤くした。

 

「いいのよ。こんなのはお互い様よ。高橋、今さら恥ずかしがってどうするのよ。エレナの声、外まで聞こえてるんだから」

 

「あら、そんなに大きかったかしら?」

 

エレナは不思議そうに首をかしげた。

 

「……大きかったと思います」

 

高橋が小さな声で答えた。

 

「あら、そう。けっこう抑えたつもりだったんだけど」

 

エレナは少し意外そうな顔をした。

 

その様子を見て、ミレーナが吹き出した。

 

「あはは! エレナ、あなたねえ。まあ、二人が楽しそうで何よりだわ」

 

「もう、ミレーナったら」

 

エレナは笑いながら言い返した。

 

高橋はますます顔を赤くしていた。

 

「ところで、アルノーは?」

 

エレナが尋ねた。

 

「釣りに出かけるって。砲兵中隊の近くの川へ行ったわ」

 

「あら、そうなの。あの辺り、魚が釣れるのかしら」

 

「さあ? 本人は釣る気満々だったけど。こんな寒いのによくやるわよね。お酒も持っていったから、そっちが目的かもね」

 

「まあ、アルノーらしいわね」

 

エレナはくすりと笑った。

 

ミレーナは自分の寝台に腰を下ろし、靴を脱いだ。

 

「私はもうひと眠りするわ。エレナ、続けてもいいけど、今度はもう少し声を抑えてね」

 

「もう、ミレーナったら!」

 

エレナは笑いながら高橋に顔を向けた。

 

「私たちも、もうひと眠りしましょうか。裸のままのほうが気持ちいいわ」

 

「はい、エレナさん」

 

高橋はまだ少し顔を赤くしていた。

 

エレナはそんな高橋を抱き寄せ、毛布を肩まで引き上げた。

 

ミレーナは何食わぬ顔で自分の寝台に潜り込んだ。

 

天幕の中に、穏やかな静けさが戻った。

 

オリヴィエとアウレリアが連隊司令部に戻った頃だった。

 

曇り空の向こうから、聞き慣れないエンジン音が響いてきた。

 

「何の音かしら?」

 

オリヴィエが空を見上げた。

 

雲の切れ間に、小さな機影が見えた。翼を持った飛行機だった。

 

「敵機です! 魔族軍の航空機と思われます!」

 

警戒に当たっていた兵士が声を上げた。

 

連隊司令部の近くに配置されていた、師団から派遣された30mm対空砲の砲員たちが、慌ただしく動き始めた。

 

「対空戦闘用意!」

 

砲長の号令で砲身が持ち上がり、空を向く。

 

しかし、敵機はかなり遠方を飛行していた。

 

高度を保ったまま、戦線に沿って南から北へとゆっくり移動している。

 

対空砲の砲長は機影を追いながらも、射撃命令を出さなかった。

 

「射程外です! このままでは届きません!」

 

オリヴィエは双眼鏡を取り出した。

 

雲を背景に、敵機の姿が小さく見える。

 

「アウレリア、見える?」

 

「はい。偵察でしょうか。こちらの射程外みたいですが」

 

「そうね。ずいぶん慎重な飛び方をしているわ」

 

オリヴィエは双眼鏡を下ろした。

 

「こちらの対空砲の射程を承知しているのかしら」

 

「戦線に沿って飛んでいますね。前線の配置を確認しているのでしょうか」

 

「おそらくね。砲兵陣地や補給路、それに予備部隊の配置を調べているのかもしれないわ」

 

オリヴィエは再び空を見上げた。

 

「嫌なタイミングで現れたものね」

 

「先ほどの師団司令部の話と関係があるのでしょうか」

 

「分からないわ。でも、敵が攻勢を準備しているのなら、こちらの防御態勢を確認しておきたいでしょうね」

 

オリヴィエは近くの参謀を呼んだ。

 

「敵機の飛行方向と時刻を記録して。師団司令部にも報告をお願い。それから、各中隊に伝達。敵の航空偵察を警戒し、陣地の偽装を再確認するように」

 

「了解しました!」

 

参謀が司令部へ駆け込んでいった。

 

上空では、敵機が相変わらず一定の速度で北へ向かっていた。

 

30mm対空砲の砲員たちは、砲身を敵機に向けたまま待機している。

 

しかし、敵機が射程内に入る様子はない。

 

「撃てないのですかね」

 

アウレリアが対空砲を見ながらつぶやいた。

 

「届かないものは仕方ないわ。無理に撃っても弾の無駄よ」

 

オリヴィエは少し不機嫌そうに答えた。

 

「それにしても、向こうは好きなだけ見ていられるというわけね」

 

敵機はそのまま北へと飛び続けていた。

 

「アウレリア。連隊会議を開くわ。各中隊長とヴァルター少佐を招集してちょうだい」

 

「はい」

 

「対戦車防御の話だけでは済まなくなりそうね」

 

七年前、グリモフの戦車部隊は帝国軍の戦線を突破した。

 

そして今、敵軍の無線にその名前が頻繁に現れ、敵後方では戦車と思われる履帯痕が見つかっている。

 

さらに、戦線を偵察する航空機まで現れた。

 

オリヴィエには、それらが偶然重なったとは思えなかった。

 

「敵も、そろそろ動くつもりなのかしら……」

 

オリヴィエはそうつぶやくと、連隊司令部へと足を向けた。

 

一方、交代によって後方予備に回っていた第1歩兵中隊でも、兵士たちが空を見上げていた。

 

予備陣地では、井上翔太と川崎晴斗のいる分隊が、聞き慣れないエンジン音に気づいていた。

 

曇り空を背景に、一機の飛行機がゆっくりと北へ向かっている。

 

井上は目を細め、機影を追った。

 

「高翼で低速……観測機だな」

 

軍事好きの井上は、久しぶりに見る航空機に興味を示していた。

 

「こっちの世界に来て、初めて飛行機見たわ」

 

川崎も空を見上げた。

 

「燃料が貴重って、本当なんだな。あれ、何してるんだ?」

 

「こっちの配置を見てるんじゃないか? 空からだとよく見えるだろう?」

 

「配置って、俺たちの陣地か?」

 

「そうだろうな。塹壕とか砲兵陣地とか、上から偵察してるんだと思う」

 

川崎は改めて周囲を見渡した。

 

予備陣地には偽装が施されており、地上からでは簡単に見つからないようになっている。

 

「でも、こんなところまで見えるのかね」

 

「上空からだと、地上とは見え方が違うからな。道路の使われ方とか、車両の通った跡なんかも分かるかもしれない」

 

「へえ……」

 

川崎は再び空を見上げた。

 

「それにしても、ずいぶんのんびり飛んでるな。撃ち落とせないのか?」

 

「こっちの世界にはミサイルはないからな。あの距離なら司令部の対空砲も届かないよ」

 

「なんか腹立つな。こっちは見られ放題じゃないか」

 

「まあ、そういうことだな」

 

井上は空を見上げたまま、ため息をついた。

 

「砲撃がなくなったと思ったら、今度は飛行機か……嫌な予感しかしないな。この連隊、空と戦車への対抗手段がほとんどないし……」

 

「戦車? おいおい、戦車まで来るってのかよ」

 

「知らないよ。ただ、わざわざ飛行機を出してまで偵察するってことは、何かあるのかもしれないだろ」

 

「何かって?」

 

「さあな。攻撃の準備とか……」

 

川崎は顔をしかめた。

 

「おいおい、やめてくれよ。せっかく予備に下がって、少しは楽ができると思ってたのに」

 

「俺だってそう思ってるよ」

 

二人が見上げる中、飛行機はそのまま北へ飛び続け、次第に小さくなっていった。

 

川崎は空から視線を戻した。

 

「まったく、嫌なもの見ちまったな」

 

井上は答えなかった。

 

以前受けたG13の講習を思い出していた。

 

足元には、G13が収められた木箱が置かれている。

 

有効射程五十メートル。敵戦車の正面装甲は貫通できない。

 

講習では興奮していた自分が、今では馬鹿らしく思えた。

 

井上は木箱にちらりと視線を落とした。

 

できれば、もう触りたくなかった。

 

再び曇り空を見上げると、敵機はすでに北の空へと遠ざかっていた。

 

その日の夕方、ベルノ連隊司令部では緊急の連隊会議が開かれていた。

 

会議には連隊長オリヴィエ大佐、アウレリア大尉、浸透偵察小隊長ヴァルター少佐、そして各歩兵中隊長、砲兵中隊長、工兵中隊長らが出席していた。

 

机の上には、連隊の担当正面を示す地図が広げられている。

 

全員が席に着いたところで、オリヴィエが口を開いた。

 

「急に集まってもらって悪いわね。今日は師団司令部で緊急の会議があったの。その内容をアウレリアから説明してもらうわ」

 

アウレリアが立ち上がった。

 

「本日、師団司令部より重要な情報が伝えられました。軍団司令部は、近いうちに第7軍団正面で魔族軍の戦車部隊による大規模な攻勢が行われる可能性が極めて高いと判断しています」

 

会議室にざわめきが広がった。

 

「戦車部隊ですか?」

 

第2歩兵中隊長のリュート大尉が尋ねた。

 

「はい。根拠は二つあります。一つは軍団の通信解析部門からの情報です。最近、魔族軍の無線通信の中で、ある名前が頻繁に使われるようになったそうです」

 

アウレリアは一度言葉を切った。

 

「グリモフです」

 

その名前を聞いた古参の将校たちの表情が変わった。

 

「グリモフ……七年前の、あの将軍か」

 

誰かがつぶやいた。

 

「はい。七年前、第7軍団の防衛線を戦車部隊で突破した魔族の将軍です。ただし、現時点では本人がこの戦線にいると確認されたわけではありません」

 

ヴァルター少佐が腕を組んだ。

 

「グリモフか。嫌な名前が出てきたものだな」

 

アウレリアは続けた。

 

「もう一つの根拠は、我が連隊の浸透偵察小隊からの報告です。エレナ班が敵軍後方の林道で発見した履帯痕を、軍団司令部も重視しています」

 

「戦車の履帯痕か」

 

「はい。ただし、実際に車両を目撃したわけではありません。台数も不明です」

 

ヴァルターがうなずいた。

 

「その点は私も報告書で確認している。戦車が通行した可能性は高いが、現時点では断定できん」

 

「軍団司令部は、この二つの情報から敵が戦車部隊を集結させ、戦線突破を準備している可能性が極めて高いと判断しました」

 

アウレリアは地図に視線を落とした。

 

「ただし、敵がどの地点を突破しようとしているのかは分かっていません。我が連隊の正面とは限らないのです」

 

「だが、我々の正面に来る可能性もあるわけだな」

 

「その通りです」

 

アウレリアは資料を一枚めくった。

 

「次に対策について説明します。軍団司令部は、軍団および各師団が保有する対戦車砲を、可能な限り前線へ配備することを決定しました」

 

「それで、うちには何門来るんだ?」

 

「二門です」

 

「二門?」

 

何人かの中隊長が顔を見合わせた。

 

「五キロの正面を二門で守れというのか?」

 

アウレリアはうなずいた。

 

「第7軍団の担当戦域は広大です。対戦車砲の保有数も限られており、各連隊へ十分な数を配備することはできないとの説明でした」

 

オリヴィエが口を挟んだ。

 

「私も師団長に文句を言ってきたわ。でも、ないものは仕方ないそうよ」

 

苦笑する将校もいたが、その表情はすぐに引き締まった。

 

アウレリアが説明を続ける。

 

「その代わり、対戦車地雷とG13の追加配備が約束されました。具体的な数量と到着時期については、追って連絡がある予定です」

 

「G13か……」

 

リュート大尉が渋い顔をした。

 

「あれは五十メートルまで引きつけなければならないんだろう?」

 

「はい。しかも、敵戦車の正面装甲に対しては十分な効果が期待できません」

 

「つまり、側面を狙えということか」

 

「基本的にはそうなります」

 

会議室に重苦しい沈黙が流れた。

 

五十メートル。

 

敵戦車の機銃や砲にさらされながら、そこまで接近させなければならない。

 

歩兵中隊長たちには、その危険性がよく理解できていた。

 

アウレリアは最後の資料を手に取った。

 

「もう一点、本日午後、我が連隊の担当正面に魔族軍の航空機が出現しました」

 

「観測機か?」

 

「その可能性が高いと考えています。敵機は戦線に沿って南から北へ飛行しました。師団から派遣されている三十ミリ対空砲が迎撃態勢に入りましたが、敵機は射程外を飛行しており、発砲には至りませんでした」

 

「空から陣地を調べていたということか」

 

「目的は不明ですが、その可能性があります。すでに各中隊には陣地の偽装を再確認するよう命令が出されています」

 

アウレリアは資料を閉じた。

 

「以上が、本日の師団司令部からの情報と、その後に確認された敵機の動向です」

 

アウレリアが着席すると、オリヴィエが全員を見渡した。

 

「さて、聞いての通りよ。敵が戦車を使った攻勢を準備している可能性は高いわ。問題は、どこから来るかということね」

 

オリヴィエはヴァルターに顔を向けた。

 

「ヴァルター。浸透偵察小隊の偵察結果から、何か分からないかしら?」

 

「いくつか気になる点がある」

 

ヴァルターは立ち上がり、地図の前に進んだ。

 

「まず、エレナ班が履帯痕を発見したのが、この林道だ」

 

少佐は地図上の一点を指した。

 

「そして、ゲルフ班が敵陣地へ侵入したのがこの辺りになる」

 

ヴァルターは別の地点を示した。

 

「問題は、この二つの経路の間だ。今回の偵察では、ここを十分に調べられていない」

 

「未踏破の地域があるということね?」

 

オリヴィエが尋ねた。

 

「そうだ。森林が広がっているが、内部にどのような道路や空き地があるのか、まだ確認できていない」

 

ヴァルターは地図の中央付近を指でなぞった。

 

「一方、北側を探索したフリーダ班からは、戦車が通行できそうな大きな道路は発見できなかったと報告を受けている」

 

「北側からの進撃は難しいということですか?」

 

アウレリアが尋ねた。

 

「不可能とまでは言えん。だが、少なくとも現時点で確認できている道路と地形から判断すれば、北側は戦車部隊の進撃に適しているとは言い難い」

 

ヴァルターは地図上の第2中隊正面を指した。

 

「そうなると、最も警戒すべきはこの地域だろう」

 

「第2中隊の正面ね」

 

「そうだ。エレナ班の発見した履帯痕と、ゲルフ班の進出経路。その間にある未踏破地域が気になる。ここに戦車が通行できる経路、もしくは集結できるような待機所が存在すれば、敵は第2中隊の正面に進出してくる可能性がある」

 

第2中隊長のリュート大尉が身を乗り出した。

 

「つまり、我が中隊の正面が敵戦車の主攻勢地点になる可能性が高いと?」

 

「現時点では、最大の候補だと考えている」

 

ヴァルターは答えた。

 

「ただし、そのような経路や待機所が存在すること自体、まだ確認できていない。そこは誤解しないでもらいたい」

 

リュートは地図を見つめた。

 

「なるほど……。しかし、もしそこから戦車が来るとなれば、我が中隊の防御陣地がまともに攻撃を受けることになるな」

 

「その可能性があるわね」

 

オリヴィエが答えた。

 

「対戦車砲は二門しかない。全部の進撃路を守ることはできないわ」

 

オリヴィエは机の上の地図を見つめた。

 

「分散配置しても破られるわ。山を張りましょう」

 

会議室が静まり返った。

 

「第2中隊正面に、対戦車砲二門を集中させるということですか?」

 

アウレリアが確認した。

 

「ええ。五キロの正面に二門しかないのよ。分散させたところで、敵戦車が集中してきたら各個に撃破されるだけだわ」

 

オリヴィエは第2中隊の正面を指した。

 

「ヴァルターの報告から考えて、ここが一番怪しい。だったら、ここに戦力を集中させるべきよ」

 

第2中隊長のリュート大尉が口を開いた。

 

「ありがたい話ですが、敵が別の正面から来た場合はどうします?」

 

「そのときは、そのときよ」

 

オリヴィエはあっさり答えた。

 

「どこに来るか分からないからといって、全部を薄く守っていたら、どこも守れなくなるわ」

 

ヴァルターがうなずいた。

 

「理屈は通っている。ただ、まだ確認できていない経路がある。そこを調べれば、もう少し確信が持てるだろう」

 

「そんな時間があるかしら」

 

オリヴィエは地図を見つめたまま答えた。

 

「もう敵は動いているかもしれないわ。主要林道に偵察班を潜伏させましょう。まさか、この時期に道路のないところから戦車は来ないでしょうから」

 

ヴァルターはしばらく地図を見つめていた。

 

「確かにな。雪解けで地面がぬかるみ始めている。道路を外れて戦車を進めるのは難しいだろう」

 

「それなら、敵が通りそうな場所を見張っていればいいわ。戦車を発見したら、すぐに連隊司令部へ報告してちょうだい」

 

「承知した。各班を分散させ、主要林道を監視させよう」

 

アウレリアが尋ねた。

 

「敵に発見される危険はありませんか?」

 

「もちろんある。だが、道路に出る必要はない。少し離れた森林内から監視すればいい」

 

ヴァルターは地図上の林道を指でたどった。

 

「問題は通信だな。各班が離れた場所に潜伏することになる。報告をどう確実に届けるか、検討する必要がある」

 

「そこはあなたに任せるわ」

 

オリヴィエは第2中隊の正面を指した。

 

「対戦車砲二門はこちらに集中させるわ。地雷も第2中隊正面を厚くするつもりよ」

 

オリヴィエはリュート大尉に顔を向けた。

 

「リュート大尉、対戦車砲のチームが到着する前に、設置場所を選定しておいてもらえるかしら?」

 

「了解しました。候補地を選定し、射界も確認しておきます」

 

「お願いね。工兵中隊も最優先で協力してちょうだい」

 

工兵中隊長のダリオ・ベル大尉がうなずいた。

 

「承知しました。第2中隊に工兵を派遣し、対戦車砲の陣地構築を優先させます。地雷の敷設準備も進めておきましょう」

 

「助かるわ。ただし、対戦車砲が到着してから配置を変更することにならないよう、候補地は複数用意しておいてね」

 

「了解しました」

 

オリヴィエは再び地図を見つめた。

 

「五キロの正面を二門で守るなんて、普通なら無理な話よ。でも、敵の来る場所が分かっていれば話は別だわ」

 

そしてヴァルターに視線を移した。

 

「だから、あなたたちの報告が頼りなの。お願いね」

 

「承知した。各班の配置は私が決めよう」

 

オリヴィエは地図上の第2中隊後方を指した。

 

「それから、予備兵力の配置も変更するわ」

 

アウレリアが地図を確認する。

 

「第2中隊後方の予備陣地ですね」

 

「ええ。対戦車砲と地雷だけでは、敵戦車を完全に阻止できるとは限らないもの。突破された場合に備えて、後方の守りも厚くしておきたいわ」

 

オリヴィエは各中隊長を見渡した。

 

「現在、後方警戒に当たっている第3中隊の半数を主軸に、第1中隊と第4中隊の予備兵力も回してちょうだい。第2中隊後方の予備陣地を強化するわ」

 

第3中隊長のミラ中尉がうなずいた。

 

「了解しました。第3中隊の半数を配置転換します」

 

「第1中隊と第4中隊も、予備兵力を出せるよう準備しておいてね」

 

両中隊長も了承した。

 

リュート大尉が口を開いた。

 

「そこまで予備を集めていただけるのは助かります。しかし、他の正面が薄くなりませんか?」

 

「もちろん、その危険はあるわ。でも、戦車に突破されてから予備を集めていたのでは間に合わないでしょう?」

 

オリヴィエは地図を見つめた。

 

「第2中隊正面に山を張ると決めた以上、中途半端なことはしたくないの。対戦車砲も地雷も、予備兵力も、ここに重点を置きましょう」

 

アウレリアが配置変更を書き込んだ。

 

「各中隊の予備兵力を集めるとなると、指揮系統の調整も必要ですね」

 

「ミラ中尉にお願いするわ」

 

オリヴィエは第3中隊長に顔を向けた。

 

「第3中隊を主軸として、第1中隊と第4中隊から派遣される部隊も、あなたの指揮下に置くわ。第2中隊後方の予備陣地をお願いできるかしら?」

 

「了解しました。各中隊からの派遣部隊を統合し、予備陣地の防御態勢を整えます」

 

「お願いね。敵が第一線を突破してきた場合、最後に食い止めるのはあなたたちになるわ」

 

ミラ中尉は真剣な表情でうなずいた。

 

「承知しました」

 

オリヴィエは続けた。

 

「それから、戦闘が始まったら私もそちらに移動するわ。ここにいたのでは戦況が分からないもの」

 

ミラ中尉が少し驚いた表情を見せた。

 

「大佐も前方へ出られるのですか?」

 

「ええ。戦車が相手では、状況が目まぐるしく変わるでしょう。報告を待っているだけでは、判断が遅れてしまうわ」

 

オリヴィエは地図上の第2中隊後方を指した。

 

「予備陣地の近くに前進指揮所を設けるつもりよ。そこから各中隊の動きを見ながら、必要な指示を出すわ」

 

「承知しました。指揮所の候補地も選定しておきます」

 

「お願いね。戦闘が始まるまでは、私も連隊司令部にいるわ」

 

オリヴィエは、もう一度地図を見つめた。

 

「それから、もう一つ。司令部に配置されている三十ミリ対空砲も前へ出しましょう」

 

アウレリアが顔を上げた。

 

「対空砲もですか?」

 

「ええ。敵戦車の正面装甲には歯が立たないでしょうけど、随伴する歩兵には十分な効果があるはずよ」

 

リュート大尉がうなずいた。

 

「なるほど。戦車だけならともかく、歩兵まで一緒に攻めてこられると厄介ですからな」

 

「そうでしょう? 戦車を止められなくても、随伴歩兵を食い止めることができれば、少しは戦いやすくなると思うの」

 

アウレリアが地図を確認した。

 

「第2中隊の後方に配置するのですね」

 

「ええ。ただし、対空任務もあるから、前に出しすぎないようにしたいわ」

 

ヴァルターが口を開いた。

 

「三十ミリ砲なら歩兵には相当な脅威になるだろう。ただ、敵の砲撃を受ける危険もあるな」

 

「そこは承知しているわ。ベル大尉、対空砲の陣地についても検討してもらえるかしら?」

 

「了解しました。対戦車砲の陣地と合わせて候補地を選定します」

 

「お願いね。アウレリア、師団から派遣された砲だから、配置変更について師団司令部にも連絡しておいてちょうだい」

 

「承知しました」

 

オリヴィエは地図から顔を上げた。

 

「これで使えるものは全部使うことになるわね。あとは敵がこちらの予想した場所に来てくれるかどうかよ」

 

そして各中隊長を見渡した。

 

「それから各中隊も、今日の観測機は見たでしょう? 上空からの偽装も抜かりないようにね」

 

「了解しました」

 

「地上から見えなくても、空からは丸見えということもあるわ。塹壕だけじゃなく、砲兵陣地や補給物資、車両の隠蔽にも気を配ってちょうだい」

 

オリヴィエは地図に視線を落とした。

 

しばらく、誰も口を開かなかった。

 

対戦車砲二門。三十ミリ対空砲。追加配備される地雷とG13。そして第2中隊後方に集められる予備兵力。

 

考えられる限りの対策は講じたつもりだった。

 

しかし、それでも十分とは言えなかった。

 

オリヴィエは顔を上げ、各中隊長に向かって言った。

 

「一点賭けの大勝負ね。だけど、山が当たっても勝てる保証はないわ」

 

その言葉に、将校たちの表情が引き締まった。

 

「できれば、敵がこちらに来ないことを祈るだけね」

 

オリヴィエは一度言葉を切った。

 

「兵には言わなくていいけど、各中隊長は最悪の場合を考えておいてね」

 

リュート大尉が静かにうなずいた。

 

ミラ中尉も、地図上の予備陣地を見つめていた。

 

最悪の場合。

 

それが何を意味するのか、会議に参加した将校たちは十分に理解していた。

 

オリヴィエは再び口を開いた。

 

「敵がいつ動き出すか分からないわ。各部隊、直ちに準備に取りかかってちょうだい」

 

「了解しました!」

 

各中隊長が一斉に返事をした。

 

こうして、ベルノ連隊は対戦車防御の準備を開始することになった。

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