勇者連隊戦記   作:バグスター

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帝国歴232年3月後半、イジューム戦線


第2節 戦闘被害

魔族軍の大規模攻撃から三日が経過した。

 

ベルノ連隊司令部では、各部隊から提出された損害報告の集計がようやく完了していた。

 

アウレリア大尉は、数枚の報告書を手に、オリヴィエ大佐の執務机の前に立った。

 

「大佐、戦闘被害の集計がまとまりました。また、戦死者の埋葬準備も整いました」

 

「そう。報告してちょうだい」

 

オリヴィエは手元の書類を置いた。

 

「現時点で確認された損害は、戦死・行方不明百四十九名、負傷九十二名。合計二百四十一名です」

 

アウレリアは一度言葉を切り、報告書に目を落とした。

 

「最も損害が大きかったのは第2歩兵中隊です。戦死・行方不明百三十名、負傷二十九名。中隊としての戦闘能力は完全に失われています」

 

「……百三十人」

 

オリヴィエは小さく繰り返した。

 

定員百八十名の中隊である。

 

戦死・行方不明者だけで、その七割以上を失ったことになる。

 

「第2中隊の生存者は?」

 

「負傷者を含め、確認できた者は五十名です。ただし、重傷者も多く、直ちに戦列へ復帰できる兵士はわずかです」

 

「そうでしょうね……」

 

オリヴィエは報告書を受け取り、数字を一つずつ確認していった。

 

第2中隊の損害が突出していた。

 

敵戦車によって主陣地が突破され、続く魔族歩兵との白兵戦で多数の兵士が倒れた。予備兵力による反撃も行われたが、その時点ですでに中隊の大半が失われていた。

 

「ほかの中隊は?」

 

「第1、第3、第4歩兵中隊にも損害が出ていますが、第2中隊ほどではありません。砲兵中隊については、戦死・行方不明、負傷ともにゼロでした」

 

「砲兵が無傷だったのは幸いね」

 

「はい。また、負傷者の後送はほぼ完了しています。重傷者については、師団から派遣された医師の協力もあり、順次後方の野戦病院へ移送しています」

 

「医師たちにも礼を伝えておいて」

 

「承知しました」

 

オリヴィエは報告書を机に置いた。

 

「それで、戦死者の埋葬は?」

 

「収容できた遺体については、身元確認を進めています。埋葬場所は連隊司令部の後方に確保しました。工兵中隊による墓穴の準備も整っています」

 

「身元のわからない遺体は?」

 

「まだ数名残っています。認識票や所持品による確認を続けていますが、すべての身元が判明するとは限りません」

 

「……そう」

 

「また、行方不明者については、遺体が発見されていない兵士も多数います。捜索は継続していますが、すでに三日が経過しています」

 

アウレリアは、それ以上言わなかった。

 

オリヴィエにも、その意味はわかっていた。

 

第2中隊の陣地には、多数の魔族が侵入している。

 

魔族は人間やエルフを捕食する。

 

行方不明者の全員が、遺体となって発見されるとは限らなかった。

 

「……捜索は続けさせなさい。ただし、無理はさせないこと。敵が再び攻撃してくる可能性もあるわ」

 

「承知しています。現在は各中隊の警戒区域内を中心に捜索しています」

 

オリヴィエはうなずいた。

 

「埋葬は、明日から始められるのね?」

 

「はい。作業は二日ほどで終了する見込みです」

 

「わかったわ。埋葬が終わったら式を行いましょう。各中隊から代表者を出して、きちんと見送らせなさい。ただし、戦闘警戒は維持すること。全員を参列させるわけにはいかないでしょうから」

 

「承知しました」

 

アウレリアが報告書を閉じようとしたとき、オリヴィエが声をかけた。

 

「それと、アウレリア。埋葬式の神官をお願いできるかしら?」

 

「お引き受けいたします」

 

アウレリアは即答した。

 

旧エルディア王国の王族であるアウレリアは、水の女神エルディアに仕える神官でもあった。

 

戦死した兵士たちを弔うことは、彼女にとって当然の務めだった。

 

「ありがとう。私も参列するわ」

 

「承知いたしました。式の準備は総務課と調整して進めます」

 

「お願いね。それから、埋葬する兵士の名前を全員分、一覧にしておいて。所属と階級も。身元がわからない兵士についても、記録を残しなさい」

 

「はい。すでに総務課で作業を進めています」

 

「遺品も大切に保管しておいて。いずれ遺族に渡せるものは渡してあげたいわ」

 

「承知しました」

 

オリヴィエは再び損害報告書に目を落とした。

 

戦死・行方不明、百四十九名。

 

負傷、九十二名。

 

合計、二百四十一名。

 

ベルノ連隊は、今回の戦闘で大きな損害を受けた。

 

魔族軍の攻撃を撃退し、敵の有力な指揮官を倒したことは、戦術的には大きな勝利だった。

 

しかし、その代償は決して小さくなかった。

 

「……アウレリア」

 

「はい」

 

「第2中隊は、当分再建できそうにないわね」

 

「はい。補充兵を受け入れるにしても、指揮官や下士官の補充が必要です。現状では、中隊としての任務を与えることは困難です」

 

「でしょうね。軍団司令部にも報告を送っておいて」

 

「すでに送付しています」

 

「そう。あとは向こうの判断ね」

 

オリヴィエは椅子の背にもたれた。

 

「……百三十人か」

 

その声は、先ほどよりも小さかった。

 

「戦争なんだから、犠牲が出るのはわかってるわ。でも、こうして数字を突きつけられると……」

 

オリヴィエは言葉を切った。

 

しばらくの沈黙のあと、彼女は姿勢を正した。

 

「まあ、落ち込んでばかりもいられないわね。やらなきゃならないことが山ほどあるもの」

 

「はい」

 

「まずは、あの子たちをきちんと見送ってあげましょう」

 

「承知いたしました」

 

アウレリアは軽く頭を下げ、報告書を抱えて執務室を出ていった。

 

一人残されたオリヴィエは、しばらく机の上の損害報告書を見つめていた。

 

やがて、その書類を閉じると、次の報告書を手に取った。

 

戦死者を悼むことも、残された兵士たちを守ることも、連隊長である彼女の仕事だった。

 

今回の戦闘では、第20期召喚者にも甚大な損害が出ていた。

 

特に第2歩兵中隊に配属されていた三十九名のうち、三十六名が戦死・行方不明となっていた。二名は負傷し、無傷で生き残った者は、わずか一名だった。

 

彼らがこの世界に召喚されたのは、わずか八か月前のことだった。

 

日本では学生だった者、社会人だった者。それぞれ異なる生活を送っていた彼らは、突然見知らぬ世界に放り込まれ、兵士としての訓練を受けた。

 

帝国の言葉を覚え、銃の扱いを学び、ようやく一人前の兵士として戦場に送り出されたばかりだった。

 

その最初の戦場で、多くが命を落としたのである。

 

* * *

 

砲兵中隊の陣地では、水野香織二等兵が120ミリ榴弾砲のそばに腰を下ろしていた。

 

久しぶりの、まとまった休憩だった。

 

戦闘当日、砲兵中隊は朝から射撃を繰り返していた。

 

次々と送られてくる射撃命令に従い、砲弾を運び、装填し、発射する。その繰り返しだった。

 

砲声が収まってからも、弾薬の補充や機材の点検、次の射撃に備えた準備が続いていた。

 

幸い、砲兵中隊に戦死者も負傷者も出ていない。

 

陣地が歩兵の前線から離れた窪地に設けられていたこともあり、敵の攻撃を直接受けることはなかった。

 

だが、それは同時に、前線で何が起こっているのか、まったく見えないということでもあった。

 

水野が知っているのは、小隊長から伝えられた、ごく限られた情報だけだった。

 

敵の戦車が第2中隊の正面に現れたこと。

 

歩兵陣地で激しい戦闘が起こったこと。

 

そして、第2中隊が大きな損害を受けたこと。

 

それ以上のことは、ほとんど知らなかった。

 

何しろ水野は、まだ二等兵である。

 

前線の様子が気になるからといって、勝手に陣地を離れるわけにはいかない。

 

戦闘が終わってからも、命じられた仕事をこなすしかなかった。

 

(岡田君たち、大丈夫だったのかな……)

 

第2中隊には、同じ第20期召喚者の岡田修平がいる。

 

彼だけではない。訓練中に顔を合わせた同期が何人も配属されていた。

 

戦闘当日、水野は彼らを支援するため、必死になって砲弾を運んでいた。

 

だが、自分たちの撃った砲弾がどれほど役に立ったのかもわからない。

 

「はあ……」

 

水野は小さくため息をついた。

 

そのときだった。

 

陣地へ続く通路を、二人の女性兵士が歩いてくるのが見えた。

 

一人は伊藤千尋。

 

もう一人は川谷だった。

 

「あっ!」

 

水野は立ち上がった。

 

「伊藤さん! 川谷さん!」

 

大きく手を振る。

 

「水野先生!」

 

伊藤も水野に気づき、手を上げた。

 

久しぶりに見る同期の顔だった。

 

水野は思わず笑顔になった。

 

「二人とも無事だったんですね! よかったあ!」

 

しかし、近づいてきた二人の表情を見て、その笑顔が消えた。

 

伊藤はひどく疲れた顔をしていた。

 

そして川谷は、目を真っ赤に腫らしていた。

 

「……どうしたんですか?」

 

水野が尋ねると、伊藤は少し言いにくそうに川谷を見た。

 

川谷はうつむいたままだった。

 

「先生……まだ、知らないんですか?」

 

「え?」

 

「第2中隊のことです」

 

「ああ……大変だったって、小隊長から聞いてます。でも、詳しいことは何も……」

 

水野は二人を交互に見た。

 

「何があったんですか?」

 

伊藤は答えなかった。

 

代わりに、川谷が口を開いた。

 

「……城島君」

 

その名前を聞いた瞬間、水野は嫌な予感がした。

 

「城島君が……どうしたんですか?」

 

川谷の唇が震えた。

 

「城島君……死んじゃいました」

 

水野は言葉を失った。

 

「……え?」

 

「戦闘で……」

 

川谷はそれ以上言えなくなり、顔を覆った。

 

水野は、しばらく何も言えなかった。

 

城島。

 

第20期召喚者。

 

後方予備から第2中隊へ補充された、あの城島だった。

 

「……本当、なんですか?」

 

ようやく出てきたのは、それだけだった。

 

川谷は小さくうなずいた。

 

「今日……遺体安置所に行ってきました」

 

「…………」

 

「……城島君でした。ちゃんと……顔を見ました」

 

その言葉で、水野は理解した。

 

間違いではない。

 

似た名前の誰かでもない。

 

川谷は、自分の恋人が死んだことを、その目で確かめてきたのだ。

 

「川谷さん……」

 

水野は彼女の肩に手を伸ばした。

 

川谷は顔を上げようとしたが、涙があふれ、再びうつむいた。

 

「……私、まだ、信じられなくて……」

 

水野は何も言わず、川谷を抱き寄せた。

 

川谷は水野の胸に顔を埋め、声を殺して泣き始めた。

 

伊藤も黙って、その背中に手を添えた。

 

しばらくして、水野が小さな声で尋ねた。

 

「……ほかの人たちは?」

 

伊藤は少し迷ってから答えた。

 

「第2中隊は、本当にひどかったみたいです。まだ詳しいことが全部わかったわけじゃないんですけど……」

 

「岡田君は?」

 

「重傷で後送されたそうです」

 

「……生きてるんですね?」

 

「ええ。でも、かなりひどい怪我だって……」

 

水野は目を閉じた。

 

生きている。

 

それだけでも、今は救いだった。

 

「……そんなに、ひどかったんですね」

 

伊藤は黙ってうなずいた。

 

三人のすぐそばには、泥と煤に汚れた120ミリ榴弾砲があった。

 

戦闘当日、水野たちはこの砲を使い、何度も前線へ砲弾を送り込んだ。

 

あのとき、自分たちの砲弾が味方を救っているのだと信じていた。

 

けれども、砲弾が着弾する先で、味方の兵士たちがどのような戦いをしていたのか。

 

誰が生き残り、誰が死んだのか。

 

水野には何も見えていなかった。

 

自分たちの中隊には、一人の犠牲者もいない。

 

それなのに、ほんの数キロ離れた場所では、同じ日に召喚された仲間が大勢死んでいた。

 

水野は川谷の背中を抱きしめながら、初めてその事実を実感していた。

 

* * *

 

同じ日の午後。

 

第4歩兵中隊の山田直樹は、後方の補給所で見覚えのある顔を見つけた。

 

「……仁川?」

 

振り返ったのは、同じ第20期召喚者の仁川だった。

 

「おお、山田か」

 

「仁川! お前、生きてたのか!」

 

山田は駆け寄ると、仁川の肩をつかんだ。

 

「よかった! マジでよかった!」

 

「おいおい、痛いって」

 

「悪い、悪い。でも本当によかったよ!」

 

仁川とは訓練期間中からのアニメ仲間だった。

 

所属する中隊が違ってからも、顔を合わせれば日本のアニメやゲームの話で盛り上がっていた。

 

だが、今回の戦闘では、仁川のいる第2中隊が壊滅したと聞かされていた。

 

山田はずっと気になっていたのだ。

 

「怪我は? どこか撃たれたりしてないか?」

 

「大丈夫。かすり傷くらいだよ」

 

「そっか……よかった」

 

山田はもう一度、仁川の肩を叩いた。

 

しかし、仁川の表情は暗かった。

 

「……なあ、山田」

 

「ん?」

 

「第2中隊に配属になった20期で、無事だったのは俺だけだって……」

 

「……え?」

 

「ほとんど死んじまった。生きてる奴も重傷で後送されたってさ」

 

山田は言葉を失った。

 

第2中隊の損害が大きいとは聞いていた。

 

しかし、同期がそこまで死んでいたとは知らなかった。

 

「……そんなに?」

 

「ああ」

 

仁川は力なく笑った。

 

「俺さ、運がよかっただけなんだよ」

 

「どういうことだ?」

 

「戦車砲で、俺たちの掩体壕の入口が崩れちまってさ。土砂で完全に塞がれたんだ」

 

「えっ、それって……」

 

「中に閉じ込められたんだよ。出ようにも出られないし、外じゃ砲撃と銃声がずっと聞こえてるし……」

 

仁川は両手を見つめた。

 

「最初は必死で土を掘ったんだ。でも、また崩れてきてさ。どうにもならなかった」

 

「…………」

 

「そのうち、すぐ近くで銃声が聞こえ始めた。魔族が来たんだって思ったよ」

 

仁川の声が小さくなった。

 

「怖かった……。本当に怖かったよ」

 

山田は黙っていた。

 

「入口を掘り返されて、魔族が入ってくるんじゃないかって……。銃を構えてたけど、手が震えてさ」

 

仁川は自嘲するように笑った。

 

「俺、掩体壕の中で失禁しちまったよ。なさけないな……」

 

「……仁川」

 

「結局、石井軍曹たちが助けに来てくれるまで、ずっと閉じ込められてた。外で何が起こってるのかもわからなかったよ」

 

仁川は首を振った。

 

「俺が生き残ったのは、入口が崩れたおかげなんだ。あそこから出られなかったから、魔族に見つからなかった。それだけだよ」

 

山田には、返す言葉が見つからなかった。

 

「……俺も最初のころはワクワクしてたんだけどな」

 

仁川がぽつりと言った。

 

「銃を撃ったり、軍隊で訓練したりさ。アニメやゲームみたいで、ちょっと面白いって思ってたんだよ」

 

「……ああ」

 

山田にも、その気持ちはよくわかった。

 

「でも、実際に戦争になったら、そんなこと言ってられないんだな……」

 

仁川は遠くを見つめた。

 

「……佐々木のこと、笑えないや……」

 

山田は顔を上げた。

 

「佐々木?」

 

「ああ。あいつ、軍隊が嫌で逃げたじゃん」

 

「……そうだな」

 

「俺、あのときは馬鹿な奴だと思ったんだ。逃げたってどうにもならないのにって」

 

仁川は苦笑した。

 

「でも、俺も逃げたかったよ。あの掩体壕の中で、もう軍隊なんか嫌だ、日本に帰りたいって、ずっと考えてた」

 

「…………」

 

「外に出たら魔族に殺されるかもしれない。でも、あのまま埋まってても死ぬかもしれない。どうすりゃいいのかわからなかった」

 

しばらく沈黙が続いた。

 

やがて仁川が口を開いた。

 

「なあ、山田」

 

「ん?」

 

「前に石井軍曹、言ってたろ? 勇者連隊って、名前だけはかっこいいって」

 

「……ああ、言ってたな」

 

「俺、あのときは何言ってんだろうって思ってたんだよ」

 

仁川は小さく笑った。

 

「勇者連隊だぜ? いかにもアニメに出てきそうな名前じゃん。俺たち、なんかすげえ部隊に入ったんだなって思ってた」

 

「…………」

 

「でもさ……」

 

仁川はうつむいた。

 

「やっと意味がわかったよ」

 

山田は何も答えられなかった。

 

石井軍曹は実戦を経験した古参兵だった。

 

あの言葉を口にしたとき、彼は何を思っていたのだろう。

 

「……仁川」

 

「ん?」

 

「とにかく、生きててよかったよ」

 

仁川は少しだけ顔を上げた。

 

「……ああ」

 

二人はしばらく黙っていた。

 

やがて仁川が口を開いた。

 

「俺たち、あと何年戦わなきゃいけないんだっけ?」

 

「……十五年だろ」

 

「そうだったな」

 

仁川は空を見上げた。

 

「まだ一年も経ってないんだよな……」

 

山田は何も答えなかった。

 

いつもなら、アニメの台詞の一つでも引用して、気の利いた冗談を言っていただろう。

 

だが、今は何も思いつかなかった。

 

日本にいたころ、二人はアニメの登場人物が命懸けで戦う姿に胸を躍らせていた。

 

今、その戦場にいるのは自分たちだった。

 

そして、現実の戦争には、主人公だから生き残れるという保証など、どこにもなかった。

 

* * *

 

第7軍団司令部。

 

ライゼン大将は、参謀長から提出されたベルノ連隊の戦闘報告書に目を通していた。

 

魔族軍の大規模攻撃から三日が経過し、ようやく戦闘の全容が明らかになりつつあった。

 

「……ひどい損害だな」

 

ライゼンは報告書を机に置いた。

 

「はい。特に第2歩兵中隊は壊滅状態です。他の中隊にも損害が出ており、連隊全体の戦闘能力は大幅に低下しています」

 

参謀長が答えた。

 

「敵の攻撃を撃退したとはいえ、これでは戦闘継続は難しいな」

 

「はい。砲兵中隊は無傷ですが、歩兵戦力の損耗が大きく、現状では連隊としての防御任務を継続することは困難と判断します」

 

ライゼンはしばらく考え込んだ。

 

ベルノ連隊は領主軍である。

 

中央軍の部隊とは異なり、兵員の補充や指揮系統の再建には、領主側の事情も絡んでくる。

 

これほどの損害を受けた部隊を、最前線に置き続けるわけにはいかなかった。

 

「ベルノ連隊は、領主軍としての戦闘能力を失ったものと判断する。後任の部隊を派遣し、陣地を交代させろ」

 

「承知しました。師団司令部と調整いたします」

 

「交代が完了するまでは、周辺部隊にも警戒を強化させろ。これ以上、ベルノに無理をさせるわけにはいかん」

 

「はい」

 

ライゼンは次の報告書に手を伸ばした。

 

「それで、例の帽子はどうなった?」

 

参謀長は別の書類を取り出した。

 

「鑑定結果が届いています」

 

その表情が、わずかに引き締まった。

 

「ベルノ連隊が回収した魔族軍将官の制帽ですが、徽章と装飾から判断して、極めて高位の指揮官のものであることが確認されました」

 

「どの程度だ?」

 

「通常の将官が着用するものではありません。過去に回収された軍装資料との照合では、魔族軍の最高幹部級のものと推定されています」

 

「……最高幹部級だと?」

 

「はい。ただし、持ち主の個人までは特定できていません」

 

ライゼンは報告書を受け取った。

 

「帽子が発見されたのは、ベルノ連隊の狙撃手が敵高級将校とみられる魔族を撃った地点です。現場には血痕も残されていたとのことです」

 

「遺体は?」

 

「発見されていません。敵が撤退する際に運び去った可能性が高いと考えられます」

 

ライゼンは腕を組んだ。

 

魔族軍の最高幹部級指揮官。

 

そして、ベルノ連隊の正面で行われた大規模な戦車攻撃。

 

七年前の記憶が、脳裏によみがえった。

 

帝国歴225年。

 

グリモフ率いる魔族軍は、帝国軍の防衛線を突破した。

 

その攻撃によって第7軍団は大きく後退を余儀なくされ、ベルノ旅団は敵中に取り残された。

 

包囲された旅団は三昼夜にわたって脱出を試みたものの、ほぼ壊滅した。

 

あの戦いを指揮していたのが、グリモフだった。

 

「……グリモフか」

 

ライゼンが低くつぶやいた。

 

参謀長はうなずいた。

 

「その可能性はあります。実は、通信解析からも新しい報告が届いています」

 

「聞こう」

 

「戦闘終了直後に傍受された魔族軍の通信記録を再解析したところ、『グリモフ』という音が極めて頻繁に確認されました」

 

「以前から、その名は通信に出ていたな」

 

「はい。しかし、今回は様子が異なります」

 

参謀長は報告書をめくった。

 

「『グリモフ』という音とともに、『死亡』を意味すると考えられる音が、複数の通信で繰り返し確認されています」

 

ライゼンの表情が変わった。

 

「……死亡?」

 

「はい。魔族語の完全な解読には至っていませんが、過去の通信解析から、その音は死亡を報告する際に使用されるものと考えられています」

 

「つまり、グリモフが死亡したと?」

 

「その可能性が高いと、情報担当は判断しています。ただし、本人の遺体が確認されていない以上、確定情報とはできません」

 

「なるほど……」

 

ライゼンは椅子の背にもたれた。

 

戦闘報告書をもう一度開く。

 

ベルノ連隊の第2中隊は、魔族軍の戦車部隊によって突破されていた。

 

敵は歩兵を伴って陣地内に侵入し、さらに攻撃を継続していた。

 

戦況は、決して帝国軍に有利なものではなかった。

 

ところが、ある時点を境に敵の動きが一変した。

 

ベルノ連隊の浸透偵察班が敵高級将校を狙撃した直後、魔族軍の指揮に混乱が生じ、やがて攻撃部隊は撤退を始めたのである。

 

敵には、まだ戦闘を継続するだけの兵力が残っていた。

 

少なくとも、撤退を余儀なくされるほどの損害を受けていたとは考えにくい。

 

それなのに、魔族軍は攻撃を中止し、退却した。

 

その理由が、これまでわからなかった。

 

だが、これなら説明がつく。

 

狙撃された高級将校。

 

現場に残された最高幹部級の制帽。

 

そして、戦闘直後の魔族軍通信に繰り返し現れた「グリモフ」と「死亡」という音。

 

すべてが、同じ結論を指し示していた。

 

(……グリモフは、あそこで死んだのだ)

 

ライゼンは内心で確信した。

 

七年前、第7軍団を敗走させ、ベルノ旅団を壊滅に追い込んだ魔族軍の将軍。

 

そのグリモフが、今度はベルノ連隊の兵士によって倒された。

 

何という巡り合わせだろう。

 

「……参謀長」

 

「はい」

 

「この件は、まだ確定情報として扱うな。魔族軍の通信監視は継続させろ」

 

「承知しました」

 

「それから、ベルノ連隊の狙撃を行った偵察班だが……」

 

ライゼンは少し考えた。

 

「一度、軍団司令部に呼んでくれないか」

 

「偵察班を、ですか?」

 

「ああ。直接、話を聞いてみたい。敵将の様子や、狙撃の前後に何が起きたのか、詳しく知りたいのだ」

 

「承知しました。早急に手配いたします」

 

「いや、急がなくていい」

 

ライゼンは念を押した。

 

「ベルノ連隊は、今、戦死者の埋葬や負傷者の後送で大変なはずだ。陣地交代もある。まずはそちらを優先させろ」

 

「では、連隊が後方へ下がってからでよろしいでしょうか?」

 

「うむ。それでいい。偵察班の者たちも疲弊しているだろう。十分に休ませてからで構わん」

 

「承知しました。そのように手配いたします」

 

参謀長が退室すると、ライゼンは再び机の上の制帽鑑定報告書を手に取った。

 

七年前、グリモフの攻撃によって壊滅したベルノ旅団。

 

そして、その後継部隊であるベルノ連隊が、今度はグリモフを倒した可能性が高い。

 

ライゼンは小さく息を吐いた。

 

「……ベルノの連中が、仇を討ったか」

 

だが、喜んでばかりはいられなかった。

 

ベルノ連隊もまた、多くの兵士を失ったのである。

 

ライゼンは報告書を閉じた。

 

敵将グリモフの死亡が事実であれば、第7軍団にとって、いや、帝国軍全体にとっても極めて大きな戦果となる。

 

その確認は必要だった。

 

しかし、今はそれよりも先に、傷ついたベルノ連隊を戦場から引き揚げさせなければならない。

 

ライゼンは新しい書類を取り上げ、後任部隊の派遣命令に目を通し始めた。

 

* * *

 

翌日。

 

ベルノ連隊の埋葬地では、工兵たちによる作業が続けられていた。

 

連隊司令部から少し離れた後方の土地には、すでに数多くの墓標が並んでいた。

 

その墓標の間を、エレナと高橋が歩いていた。

 

二人は戦死した仲間たちの墓を一つずつ見て回っていた。

 

その中には、浸透偵察小隊の兵士の名前もあった。

 

だが、ミレーナとアルノーの名前はなかった。

 

二人は、まだ行方不明者として扱われている。

 

あの戦闘でミレーナは倒れ、アルノーも脚を負傷して敵地に取り残された。

 

その後、ヴァルター少佐たちによる捜索が行われたが、二人の姿を見つけることはできなかった。

 

遺体も発見されていない。

 

エレナはしばらく墓標を見つめていたが、やがて口を開いた。

 

「ねえ、亘一」

 

「はい」

 

「ミレーナとアルノーのお墓も作ってあげましょう」

 

高橋はエレナを見た。

 

「でも、二人の遺体は……」

 

「ええ、見つかっていないわ」

 

エレナは静かに答えた。

 

「でもね、お墓がないなんて、かわいそうじゃない」

 

「…………」

 

「私だって、死んだときにはお墓の一つくらい欲しいもの」

 

エレナは少し笑った。

 

「誰もお参りに来てくれないなんて、寂しいじゃない」

 

高橋は黙ってうなずいた。

 

「……そうですね。作りましょう」

 

二人は工兵に事情を話し、墓標の並ぶ場所の端に、二人のための場所を用意してもらった。

 

正式な戦死者の墓ではない。

 

遺体のない、二つの墓だった。

 

エレナと高橋は道具を借り、土を掘り始めた。

 

まだ冬の寒さが残る地面は硬かった。

 

高橋がシャベルを振るい、エレナもその隣で土を掘った。

 

「亘一、そっちはもう少し広くして」

 

「はい」

 

「そんなに深くなくてもいいわ。遺品を納めるだけだから」

 

二人は黙々と作業を続けた。

 

やがて、小さな穴が二つできあがった。

 

エレナは持ってきた包みを開いた。

 

宿営地に残されていた、ミレーナとアルノーの私物だった。

 

二人とも任務に出たまま戻らなかったため、天幕にはわずかな身の回り品が残されていた。

 

エレナはその中から、二人の遺品として埋葬するものを選んでいた。

 

「……ミレーナ」

 

エレナは小さく名前を呼んだ。

 

そして、布に包んだ遺品を穴の底へそっと置いた。

 

続いて、アルノーの遺品を隣の穴へ納めた。

 

高橋は二人の遺品を見つめていた。

 

つい先日まで、四人は同じ天幕で寝起きしていた。

 

任務に出るときも、休憩するときも、いつも一緒だった。

 

ミレーナは電信機を扱い、アルノーは周囲の警戒を担当していた。

 

高橋が二人と交わした最後の会話も、まだ鮮明に思い出せた。

 

あの戦闘の最中、二人が倒れたときのことも。

 

「……エレナさん」

 

「なあに?」

 

「二人が、もし生きていたら……」

 

エレナは手を止めた。

 

「そうね。そのときは、お墓なんか作るなって怒られるかもしれないわね」

 

少しだけ笑った。

 

「でも、それならそれでいいじゃない。二人が帰ってきてくれるなら、こんなお墓、壊してしまえばいいんだから」

 

「……はい」

 

高橋はシャベルを手に取った。

 

二人は少しずつ土を戻していった。

 

エレナも高橋も、黙ったまま作業を続けた。

 

やがて二つの穴が埋まり、土が小さく盛り上がった。

 

エレナは用意していた二本の墓標を立てた。

 

ミレーナ。

 

アルノー。

 

そこには、それぞれの名前が記されていた。

 

二人は墓標の前に並んだ。

 

「……ごめんね」

 

エレナが小さくつぶやいた。

 

「連れて帰ってあげられなくて」

 

高橋は何も言えなかった。

 

あの戦闘で、自分はグリモフを撃った。

 

その結果、魔族軍は撤退した。

 

だが、ミレーナとアルノーを救うことはできなかった。

 

エレナはしばらく目を閉じていた。

 

やがて静かに立ち上がった。

 

「さあ、亘一。戻りましょう」

 

「はい」

 

二人は墓標に向かって敬礼した。

 

そして、並んで埋葬地を後にした。

 

翌日、ここで連隊の埋葬式が行われる。

 

そのときには、ミレーナとアルノーも、他の戦死者たちと一緒に弔われることになる。

 

遺体のない、二つの小さな墓だった。

 

だが、そこには確かに、二人を忘れない者たちの思いが込められていた。

 

* * *

 

さらに翌日。

 

ベルノ連隊の戦死者の埋葬作業が、ようやく終了した。

 

連隊司令部から少し離れた後方の土地には、数多くの墓標が並んでいた。

 

工兵中隊が二日がかりで墓穴を掘り、収容された遺体を一人ずつ埋葬したのである。

 

墓標には、可能な限り所属と階級、氏名が記されていた。しかし、中には身元を確認できなかった者もいた。

 

また、行方不明となった兵士たちの多くは、遺体すら発見されていなかった。

 

戦闘から五日が経過した今も、彼らの消息はわからないままだった。

 

その日の午前、埋葬を終えた戦死者たちを弔うため、葬送式が執り行われることになった。

 

参列者の先頭には、連隊長のオリヴィエ大佐が立っていた。

 

その隣にはヴァルター少佐、そして各歩兵中隊長や砲兵中隊長が並んでいた。

 

各部隊から選ばれた代表の兵士たちも、その後方に整列している。

 

前線の警戒を緩めるわけにはいかないため、参列できる兵士の数は限られていた。

 

その中に、エレナ伍長と高橋亘一二等兵の姿もあった。

 

高橋は、目の前に並ぶ墓標の数に圧倒されていた。

 

戦闘が終わってから、これほど多くの戦死者が出たことは聞かされていた。

 

しかし、実際に墓標が並んでいる光景を目にすると、数字で聞くのとはまったく違っていた。

 

第2中隊だけでも、多くの兵士が倒れている。

 

その中には、同じ第20期召喚者の仲間たちもいた。

 

日本から召喚され、同じ場所で訓練を受けてきた者たちだった。

 

ほんの数か月前には、食堂で顔を合わせ、くだらない冗談を言い合っていた。

 

その彼らが、今は冷たい土の下に眠っている。

 

高橋は黙って墓標を見つめていた。

 

隣のエレナも、何も言わなかった。

 

二人の視線の先には、前日に自分たちの手で作った、ミレーナとアルノーの墓があった。

 

まだ新しい二つの墓標が、ほかの戦死者たちの墓と並んで立っている。

 

高橋は、その光景から目を離せなかった。

 

やがて、式を執り行う神官が姿を現した。

 

アウレリア大尉だった。

 

しかし、今日の彼女は軍服を着ていなかった。

 

身にまとっているのは、白い神官服だった。

 

飾り気の少ない、清らかな白い衣装である。

 

普段は帝国軍の大尉として、オリヴィエの軍事補佐を務めているアウレリアだが、本来は旧エルディア王国の王族であり、水の女神エルディアに仕える神官でもあった。

 

今日の彼女は、軍人としてではなく、神官としてこの場に立っていた。

 

アウレリアが祭壇の前に進むと、参列者たちは静かに頭を下げた。

 

冷たい風が吹き抜け、白い神官服の裾がわずかに揺れた。

 

アウレリアは並んだ墓標を見渡した。

 

そして、ゆっくりと口を開いた。

 

「水の女神エルディアよ」

 

澄んだ声が、静かな埋葬地に響いた。

 

「ここに眠る者たちは、己に与えられた務めを果たし、その命を終えました」

 

アウレリアは帝国共通語で祝詞を唱え始めた。

 

「彼らは故郷を離れ、家族と別れ、遠き戦場に赴きました。その身をもって仲間を守り、最後まで戦いました」

 

参列者たちは静かに耳を傾けていた。

 

「願わくば、女神の慈悲が彼らの魂に届かんことを。戦いの苦しみから解き放たれ、安らかな眠りが与えられんことを」

 

アウレリアは一度言葉を切った。

 

そして、今度はエルフ語で祝詞を唱え始めた。

 

高橋には、その言葉のすべてを理解することはできなかった。

 

だが、エルフ語の響きは、先ほどの帝国共通語とはまた違ったものだった。

 

静かで、どこか歌うような調子だった。

 

高橋の隣に立つエレナは、その言葉をじっと聞いていた。

 

アウレリアの唱える祝詞には、水の女神エルディアへの祈りと、死者の安息を願う言葉が込められていた。

 

帝国には、さまざまな神を信仰する人々がいる。

 

ベルノ連隊の兵士たちも同じだった。

 

ヒト族も、エルフ族も、故郷も信仰も異なる者たちが、同じ連隊で戦っていた。

 

アウレリアは、帝国共通語とエルフ語の双方で祝詞を唱え、彼らの冥福を祈った。

 

その声が途絶えると、埋葬地は再び静寂に包まれた。

 

しばらくして、アウレリアが参列者に向き直った。

 

「ここに眠るすべての兵士たちに、安らかな眠りが訪れますように」

 

そして深く頭を下げた。

 

オリヴィエが静かに敬礼した。

 

それに続き、ヴァルター少佐と各中隊長たちが敬礼する。

 

後方に整列していた兵士たちも、一斉に敬礼した。

 

高橋も右手を上げた。

 

目の前に並んでいるのは、ほんの数日前まで、自分たちと同じ戦場で戦っていた兵士たちの墓だった。

 

彼らの多くは、まだ若かった。

 

これから何年も生きるはずだった。

 

だが、その人生は、あの戦闘で突然終わってしまった。

 

高橋は墓標を見つめながら、静かに敬礼を続けた。

 

その隣では、エレナも同じように敬礼していた。

 

エレナの視線は、ミレーナとアルノーの墓に向けられていた。

 

二人の遺体は、まだ見つかっていない。

 

それでも、こうして名前を刻んだ墓標を立て、遺品を埋めることができた。

 

エレナは、二人がいつか帰ってきてくれることを願いながらも、今は静かに、その冥福を祈っていた。

 

少し離れた場所では、ヴァルターが厳しい表情のまま、墓標の列を見渡していた。

 

七年前の戦いでも、彼は多くの仲間を失っている。

 

そして今、再びベルノの兵士たちが大勢死んだ。

 

だが、彼らを弔ったからといって、戦争が終わるわけではない。

 

前線では、今も魔族軍との対峙が続いていた。

 

やがてオリヴィエが敬礼を解き、兵士たちもそれに従った。

 

白い神官服に身を包んだアウレリアは、もう一度、戦死者たちの墓へ深く頭を下げた。

 

冷たい風が墓標の間を吹き抜けていった。

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