長くなってしまったので前後編でお送りします。
それではどうぞ。
「――というわけで、パソコン部は今年、eスポーツ大会に出場します」
八月の半ば。冷房の効いたパソコン部室でレンが一枚のプリントを机に置いた。
『市民eスポーツフェスティバル レトロゲーム部門 二人一組・スコアアタック形式』
「顧問の先生から言われたんだ。今年は活動実績を一つも作れなかったら部の存続が危ないって」
「存続……」
ケイヤはがらんとした部室を見回した。パソコン部の部員は五人。部として認められるぎりぎりの人数だ。そのうち三人は一度も部室に顔を出したことのない幽霊部員である。
「つまり、僕たち二人で出るしかない、と」
「うん。種目は『スターダスト・ナイト』のスコアアタック。二人で交互にプレイして、合計点を競うんだって」
「……それは出るしかないですね」
ケイヤとレンは顔を見合わせてうなずいた。
自分たちの得意なゲームで部の存続がかかっている。断る理由はどこにもなかった。
「日程は?」
「八月二十日の土曜日。会場は市民ホール」
その日付を聞いた瞬間、ケイヤの動きが止まった。
「……二十日、ですか」
「うん。何かあるの?」
「軽音部の夏フェスの日です」
ケイヤはスマートフォンのカレンダーを開いた。八月二十日の欄には自分で入れた予定が一つだけ書き込まれている。
『夏フェス 中央公園野外ステージ 十五時から』
お礼のおでかけの日、洋食屋でミクと指切りをした約束だった。
レンがプリントの裏の時間割を確かめた。
「でもレトロゲーム部門は午前中だよ。九時開始で十二時には終わる予定。中央公園までは市民ホールから歩いて十五分くらいだし」
「……間に合いますね」
「うん。余裕で」
ケイヤはほっと息をついた。
午前中に大会を終えて、昼食をとって、それから夏フェスへ。完璧な計画だった。
――この時は、まだ。
*
それからの一週間、パソコン部室には毎日懐かしい電子音が鳴り響いた。
部室の隅に置かれた、古いブラウン管のテレビ。顧問の先生が倉庫から発掘してきた、年代物のゲーム機。画面の中ではドット絵の騎士が剣を振るっている。
「ケイヤ、三面のボス、また左に逃げすぎ」
「わかってはいるんですけど……あっ」
画面の騎士がボスの炎に包まれて倒れた。スコアが止まる。
レンは手元のノートに数字を書き込んだ。
「ケイヤの平均がだいたい八万点。ぼくが十二万点くらい。上位の大人のチームは二人で二十五万点は出してくるって噂だよ」
「つまり、あと五万点……」
「作戦を考えよう」
レンの目つきがいつもと違っていた。リンの前でおどおどしている時とは別人のようだ。ゲームのことになるとレンは人が変わる。
「ぼくが先攻で点数を稼ぐ。ボーナスステージで多少危険でも高得点を狙う。ケイヤは後攻でとにかく死なないこと。安定して最後まで行ってくれれば合計は伸びる」
「攻めと守り、ですね」
「うん。ケイヤはぼくより堅実だから」
ケイヤは少しだけ笑った。レンに勝ったことは一度もない。それでもレンは自分の得意なところをちゃんと見ていてくれる。
「……やりましょう。最後まで死なずに行きます」
練習を始めて四日目の午後。部室のドアが控えめにノックされた。
「失礼するわ」
顔をのぞかせたのはルカだった。片手に小さな紙袋を提げている。
「ル、ルカ先輩!?」
レンが椅子から転げ落ちそうな勢いで立ち上がった。
「軽音部の練習の帰りよ。差し入れを持ってきたの。大会に出るってミクから聞いたから」
紙袋の中には和紅茶のティーバッグと商店街の和菓子屋の最中が入っていた。
「ありがとうございます、ルカ先輩」
「どういたしまして。頑張ってね、二人とも」
ケイヤが頭を下げるとルカは優雅に微笑んだ。それから、ふと部室の隅のブラウン管に目を留めた。
画面には一時停止されたままの三面のボスが映っていた。
「……左上」
「え?」
「三面のボスは炎を吐く直前に首が一瞬だけ右に傾くの。その時に左上の隅に逃げれば炎は絶対に当たらないわ。三回目の炎の後に弱点が光る時間が二秒だけ長くなるから、そこで連続攻撃を――」
そこまで言って、ルカははっと口を押さえた。
部室に沈黙が落ちた。
ケイヤはぽかんと口を開けていた。レンは両手で顔を覆っていた。
「……ルカ先輩、詳しいんですね」
「ち、違うわ。今のは、その……ミクから聞いたのよ。ミクがケイヤ君から教わったって」
「僕、そんな話、初音さんにしたことありませんけど……」
「と、とにかく! 頑張ってね!」
ルカは紙袋をケイヤの胸に押しつけると、くるりと背を向けて足早に部室を出ていった。廊下を遠ざかる足音がいつもより明らかに速い。
ドアが閉まった後、ケイヤは首をかしげた。
「……レン。ルカ先輩って、もしかして」
「さ、さあ! 練習しよう、ケイヤ! 左上だって! 試してみよう!」
レンは真っ赤な顔でコントローラーを握りしめた。二人だけの秘密はなんとか守られた――ことにした。
ちなみにルカの言う通り左上に逃げると三面のボスの炎は本当に一度も当たらなかった。その日ケイヤの自己ベストは十万点を超えた。
*
大会の前日。ケイヤはミクにメッセージを送った。
『明日、午前中にeスポーツの大会があります。終わったらすぐに夏フェスに向かいます』
返信は一分もしないうちに届いた。
『ほんと!? 大会がんばってね! わたしもケイヤ君が来てくれるの楽しみにしてる!』
『ステージは十五時からだよ。最前列は無理かもだけど、ちゃんと見つけるからね』
画面の向こうでミクが跳びはねている様子が目に浮かぶようだった。
――ちゃんと見つけるからね。
ケイヤはその一文を何度も読み返した。それから少しだけ照れくさくなってスマートフォンを伏せた。
明日は二つの大事な約束がある。レンとの約束とミクとの約束。
どちらもちゃんと果たしてみせる。そう心に決めてケイヤはいつもより早く布団に入った。
同じころ、ネストのミクの部屋。
ミクはベッドの上で正座してケイヤからのメッセージをもう一度読み返していた。
『終わったらすぐに夏フェスに向かいます』
明日歌うのは全部で四曲。そのうち一曲はルカがこの夏のために書き下ろした新曲だ。リンとのハーモニーも何度も何度も練習してようやく納得のいく形になった。
準備は完璧だった。
それでも明日はいつものステージとは少し違う気がした。
――ケイヤ君が初めてわたしの歌を聴く日。
勉強を教えてもらった。お礼のおでかけをした。雨の日に部屋でうどんを食べた。プールに行って夏祭りで手をつないだ。
けれどケイヤはまだミクの歌を一度も聴いたことがない。ミクにとっていちばん大切なものをまだ見せていない。
そう思うと頭部の温度がほんの少しだけ上がった。
ミクは机の上の使い込まれたヘッドホンに手を伸ばし、もう一度だけ新曲のデモを聴き直した。
客席のどこかにケイヤ君がいる。その景色を思い浮かべながらミクは小さく口ずさんだ。
*
八月二十日、土曜日。午前八時半。
市民ホールの小ホールには古いブラウン管のモニターと年代物のゲーム機がずらりと並べられていた。会場のあちこちから懐かしい電子音が響いてくる。ステージ中央にはプレイ画面を中継するための大型モニターとそれにつながる大きな機材の箱。
参加者は二十組ほど。親子連れ、昔のゲーマーらしき大人、大学のサークルらしき集団。顔ぶれはさまざまだった。
「すごいね、ケイヤ。全部、本物の初期型の本体だよ」
「主催の人の私物らしいですよ。……緊張してきました」
「ぼくも」
レンは珍しく武者震いしていた。
ピアプロ学院パソコン部の出番は全二十組のうち、十二番目。予定では十時半ごろだ。
「これなら十二時には余裕で終わるね」
「はい。……今日は勝ちましょう」
「うん」
二人は小さく拳を合わせた。
ポケットの中でスマートフォンが震えた。ミクからだった。
『おはよう! 大会、ファイトだよ! 終わったら待ってるね』
ケイヤは画面を見て小さく笑った。
「ミクさんから?」
「……はい。頑張れ、と」
「じゃあ、なおさら勝たないとね」
レンがにやりと笑った。
大会は順調に進んでいった。
一組目、二組目、三組目。プレイが終わるたびに大型モニターに合計スコアが表示され、会場から拍手が起こる。前評判通り大人のチームの何組かは二十万点を超える高得点を叩き出していた。
「やっぱり、みんな強いね……」
「でも、届かない数字じゃありません」
五組目、六組目。時計の針は十時を回った。あと五組。予定通りに進めば十時半過ぎには自分たちの番だ。
異変が起きたのは七組目のプレイ中だった。
ぶつん、と嫌な音がした。
ステージ中央の大型モニターが真っ暗になった。続いて会場のスピーカーからざざざ、と耳障りなノイズが流れる。
「……え?」
客席がざわめいた。ステージ脇の機材の箱からうっすらと焦げ臭い煙が上がっている。スタッフが慌てて駆け寄り、電源を落とした。
しばらくして、司会者が硬い表情でマイクを握った。
「ええ、大変申し訳ございません。ただいま映像を中継する機材に不具合が発生いたしました。何分、古い機材のため代わりの部品を探しております。復旧までしばらくお待ちください」
ケイヤは腕時計を見た。
十時十分。
「しばらくって、どのくらいだろう……」
「……三十分くらいなら、まだ大丈夫です」
ケイヤは自分に言い聞かせるように言った。
三十分が過ぎた。
一時間が過ぎた。
スタッフたちが機材の箱の周りを慌ただしく行き来している。電話で誰かと話しながら、頭を下げている人もいる。参加者たちの間にじわじわと不安が広がっていった。
ケイヤは何度も腕時計を見た。そのたびに針は容赦なく進んでいた。
復旧したのは十二時を回ってからだった。
「お待たせいたしました。機材が復旧いたしましたので大会を再開いたします。なお、時間の都合上、八組目以降のプレイは昼休憩を挟んで、午後一時半からとさせていただきます」
会場から安堵とも不満ともつかない声が漏れた。
ケイヤの血の気がすっと引いた。
頭の中で計算する。午後一時半に八組目から再開。一組あたり準備も含めて、およそ二十分。八組目、九組目、十組目、十一組目。そして十二番目の自分たちの出番は――。
「……三時、過ぎ」
「ケイヤ……」
レンが青い顔でケイヤを見た。
ステージは十五時から。ミクの出番はその最初の曲から。
自分たちのプレイが終わるのは早くても十五時半。表彰式まで残ればもっと遅くなる。そこから走っても中央公園に着く頃にはステージはもう終わっている。
何度計算し直しても答えは同じだった。
*
昼休憩の間、ケイヤはロビーの隅のベンチでスマートフォンを握りしめていた。
ミクからの今朝のメッセージが画面に表示されたままになっている。
『終わったら、待ってるね』
「ケイヤ」
隣にレンが座った。手には売店で買ってきたおにぎりが二つ。一つをケイヤに差し出したがケイヤは受け取らなかった。
「行っていいよ」
レンが静かに言った。
「ぼく一人で出る。二人一組だけど、一人で二回プレイしてもいいか運営の人に聞いてみる。ダメなら棄権すればいいし」
「棄権したら部の活動実績が……」
「それよりミクさんとの約束のほうが大事でしょ」
レンの目は真剣だった。
「ミクさん、夏フェスのこと、ずっと楽しみにしてたよ。ケイヤに聴いてもらえるって。リンが言ってた。部屋で何回も新曲を練習してたって」
ケイヤは唇をかんだ。
――行きたい。今すぐにでも。
ここで立ち上がって市民ホールを飛び出せば十五時のステージに間に合う。ミクとの約束を守れる。
けれどケイヤは知っていた。
レンがこの大会のために毎晩遅くまでネストの部屋で練習していたことを。三面のボスで何十回も倒されながらノートに何ページも作戦を書き込んでいたことを。部の存続のことを誰よりも気にしていたことを。
そして二人一組の大会でたった一人でステージに立つことがどれだけ心細いかを。
もしここでレンを置いていったら、自分はミクの前で胸を張っていられるだろうか。
友達を置いて駆けつけた自分をミクは喜んでくれるだろうか。
――きっと初音さんなら。
ケイヤは勉強会の日々を思い出した。
わからないところをわからないと素直に言うミク。パンだけの昼食を見かねてネギ入りの卵焼きを分けてくれたミク。誰かを置き去りにすることをきっと一番嫌がるのはミク自身だ。
ケイヤはゆっくりと顔を上げた。
「……いえ。最後まで一緒に出ます」
「ケイヤ、でも」
「二人で練習してきたんです。攻めと守りで、二人で一つの作戦なんです。僕が抜けたら意味がない」
ケイヤはレンの手からおにぎりを一つ受け取った。
「それにもし僕がここで抜けたら初音さんに怒られる気がします。レン君を置いてきたの、って」
レンはしばらくケイヤの顔を見つめていた。それからくしゃりと顔をゆがめて小さくうなずいた。
「……ごめん、ケイヤ。ありがとう」
「謝らないでください。勝ちましょう。それが一番の言い訳になりますから」
ケイヤは震える指でメッセージを打った。
『大会の機材トラブルで出番が』
消した。
『初音さん、本当にごめんなさい。実は』
消した。
何度も書いては消した。どんな言葉を並べても約束を破ることには変わりない。言い訳をすればするほど言葉が軽くなっていく気がした。
最後に残ったのは短い文章だった。
『ごめんなさい。大会の機材トラブルで出番が午後三時過ぎになってしまいました。夏フェスに間に合いそうにありません。本当にごめんなさい』
画面の上で親指が止まる。
この送信ボタンを押せばミクとの約束が終わってしまう。
ケイヤは目を閉じた。
そして、ゆっくりとボタンを押した。
送信済み、の小さな文字が画面に浮かんだ。
送信ボタンを押した指がひどく重かった。
(第十一話 前編 了)
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
ちなみにこの物語に出てくる架空のゲーム『スターダスト・ナイト』はClaude君が考えてくれました。
次回「第十一話 届かなかった午後(後編)」
お楽しみに。