わたしが『ボーカロイド』になるまで   作:雪田琉摩

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今回、詰め込みすぎて1万文字を越えてしまいました。
それでは、どうぞ。


第十九話 騎士の復活祭と二人だけの秘密

 実力試験の翌週、水曜日。

 三日間学校を休んでいたケイヤがようやく登校してきた。

 朝の教室の扉が開いてケイヤが顔を出した瞬間、何人かの生徒ががたがたと席を立った。

「音無! もういいのかよ」

「試験中に倒れたときはびっくりしたよ」

「ほんとに過労だったの? ちゃんと寝てる?」

 あっという間に、ケイヤの周りに小さな人だかりができた。ケイヤは目を白黒させながら、「はい、もう大丈夫です」「ご心配をおかけしました」と、一人一人に頭を下げている。

 ふだん教室であまり目立たないケイヤがこんなふうに囲まれているのは珍しい光景だった。あの日、試験中の教室で倒れたケイヤの姿をみんな見ていたのだ。

 メイコも人だかりの端から顔をのぞかせた。

「音無君、もう平気なの?」

「はい。咲音さんにもご心配をおかけしました」

「ううん。よかった、ほんとに」

 メイコはほっとしたように笑った。

 レンが人だかりをかき分けるようにしてケイヤの前に出た。

「ケイヤ。もう大丈夫なの?」

「はい。レンにもご心配をおかけしました」

 レンは何も言わずにケイヤの肩をこつんと軽く小突いた。レンなりのおかえりの挨拶だった。

 ミクは自分の席からその様子を見ていた。

 本当は真っ先に駆け寄りたかった。だが金曜日にあの部屋で会ったばかりなのになぜか、近づくのが少しだけ気恥ずかしかった。

 その時、人だかりの隙間からケイヤと目が合った。

 ケイヤは周りに気づかれないくらい小さく胸の前で小指を立ててみせた。

 ――約束。絶対に無理はしない。

 ミクも机の下でそっと小指を立てて返した。それだけで十分だった。

 前の席のリンは人だかりのほうへ身を乗り出していて、それに気づかなかった。

 

 放課後。ケイヤは久しぶりにパソコン部の部室の扉を開けた。

 ブラウン管の前では先に来ていたレンがもうゲーム機の電源を入れて待っていた。

「おかえり、ケイヤ」

「ただいま、です」

 ケイヤがいつもの椅子に腰を下ろすと、レンは黙って二つ目のコントローラーを差し出した。

 画面の中で騎士が剣を掲げる。一面のあのテーマ曲が流れはじめる。たった数日離れていただけなのにひどく懐かしかった。

 

 二人で一面のボスを倒したところで、部室の扉が開いた。

「お、音無。体はもういいのか」

 顧問の先生だった。手には一通の封筒を持っている。

「二人いてちょうどよかった。お前たち宛てに手紙が届いているぞ。ゲームメーカーからだ」

 差出人の名前を見て、ケイヤとレンは顔を見合わせた。

 レンが封を切る。中に入っていたのは金色の箔押しが施された一枚のカードだった。

 

『招待状 ピアプロ学院パソコン部 御中

 「スターダスト・ナイト」三十五周年記念 一日限りの復活祭

 先日のeスポーツフェスティバル レトロゲーム部門の優勝チームとして、本イベントにご招待いたします』

 レンが震える指でカードを裏返した。

『・「スターダスト・ナイト」の続編「スターダスト・ナイトⅡ ~星降る城の約束~」旧ゲーム機版の限定販売

 ・オリジナルサウンドチームによる特別ミニコンサート

 ・なお、本イベントは関係者のみご参加いただけます。同封の入場券(三名様分)をお持ちください』

 

 三十五年前、企画だけで終わり発売されなかった幻の続編。それが当時のゲーム機で動く形で、一日だけ限られた人の手に渡る。そしてあの曲を作った人たちが目の前で演奏する。

 二人はカードをのぞきこんだまましばらく動けなかった。

「……レン」

「……うん」

「これ、本物ですか」

「……本物、だと思う」

「スターダスト・ナイトⅡ。企画書だけで終わったって、ずっと言われてた、あの……」

「うん」

「サウンドチームって、あの一面のテーマ曲の……」

「うん、うん」

 ケイヤは招待状を胸に押し当てて天井を見上げた。

 眼鏡の奥で目が潤んでいた。

「……生きててよかった」

「大げさだよ、ケイヤ……」

 そう言うレンは既に涙が頬を伝っていた。

 顧問の先生は「まあ、楽しんでこい」とだけ言って、苦笑しながら部室を出ていった。

 二人はしばらく何も言わずに招待状を見つめていた。部室のブラウン管には一時停止された騎士が静かに剣を掲げていた。

「入場券、三枚あるんですね」

 ケイヤが同封されていたチケットを数えて言った。

「う、うん。三枚。一人一枚で、別々に入れるみたいだね」

「三枚目、どうしましょうか」

「えっと……」

 レンの頭に真っ先に浮かんだのはピクセル堂の前で帽子とサングラスをかぶって慌てていた、あの人の顔だった。けれどそれをここで口にするわけにはいかない。

 レンが口ごもっていると、ケイヤは少し考えてからあっさりと言った。

「三枚目はレンが決めてください。優勝できたのはレンのおかげですから」

「え、いいの?」

「はい。……レンならきっと、一番喜ぶ人に渡すでしょうから」

 ケイヤは何気ない顔でそう言った。レンはなぜか背筋がひやりとした。

 

  *

 

 その夜。ネストの談話室。

 窓際のソファで和紅茶を飲んでいたルカにレンはおずおずと近づいた。周りに誰もいないことを確かめてから。

「ル、ルカ先輩。ちょっといいですか」

「レン君。どうしたの?」

 レンは無言で招待状を差し出した。

 ルカはカップを置いてそれを受け取った。

 そして目を落とした。

 ――そのまま、動かなくなった。

 まばたきが止まっている。

 五秒。十秒。十五秒。

「……ルカ先輩?」

 返事はない。レンはおそるおそるルカの目の前で手を振ってみた。

 反応がない。

 ――え、うそ。フリーズ? ほんとに?

 レンが青ざめて、ネストの管理室に連絡すべきかと本気で考えはじめた、その時。

 ルカの唇がかすかに動いた。

「繧ケ繧ソ繝シ繝?繧ケ繝医?繝翫う繝遺?窶ヲ窶ヲ!?縲?縺セ縺輔°縺ゅ?譏滄剄繧句沁縺ョ窶ヲ窶ヲ!?縲?莨∫判譖ク縺ョ陦ィ邏吶?繧、繝ゥ繧ケ繝医′荳?譫壹□縺鷹尅隱後↓霈峨▲縺溘≠縺ョ蟷サ縺ョ窶ヲ窶ヲ!?」

「え……?」

 ルカの口から意味不明の言葉が発せられた。

「ル、ルカ先輩……?」

 レンが覗き込むように首をかしげると、急にルカは立ち上がり、

「縺励°繧ゅし繧ヲ繝ウ繝峨メ繝シ繝?縺檎函貍泌・??縲?荳牙香莠泌ケエ縺カ繧翫↓縺ゅ?譁ケ縺溘■縺悟酔縺倥せ繝??繧ク縺ォ窶ヲ窶ヲ!?」

 と、またもや意味不明の言語とともに、今度は興奮した様子で絶叫した。

 レンはその場に立ち尽くしたままつぶやいた。

「どうしよう…… ルカ先輩が壊れた……」

 途方に暮れるレンが管理室に行こうとしたその時、ルカが腕を取った。

「レン君! これ、これ、どういうこと!? どうしてこれがここにあるの!?」

 ルカがぐいっと腕を引き、顔を寄せてくる。レンは思わずのけぞった。でも良かった、言語機能は回復したらしい。ただルカの興奮状態はまだ続いているようだ。

「そ、その、入場券が三枚あって……一枚、ルカ先輩にと思って」

 ルカの動きがぴたりと止まった。

「……私に?」

「はい。ルカ先輩が一番喜んでくれると思ったので」

 ルカはしばらく招待状を見つめていた。それからはっと我に返ったように周りを見回した。奇跡的に談話室にはまだ誰も来ていなかった。

 ルカは「こほん」と小さく咳払いをして、ソファに座り直した。乱れた髪を指先で静かに整える。

 そして招待状をそっとレンの手に戻した。

「……ありがとう、レン君。ぜひ行ってみたいわ」

 その声は少しだけ震えていた。

「でもこれはパソコン部への招待状でしょう。私が受け取るわけにはいかないわ」

 ルカは穏やかに微笑んでいた。けれどその指先が名残惜しそうに招待状の端から離れていくのをレンは見逃さなかった。

 レンは招待状をもう一度ルカの前に差し出した。

「これはパソコン部への招待状ではありません」

「え?」

「eスポーツの優勝者への招待状です」

 レンはカードの一行を指さした。『レトロゲーム部門の優勝チームとして』

「三面のボス、ルカ先輩の攻略アドバイスがなかったら、ぼくたちは優勝できませんでした。だからルカ先輩にも行く権利があると思います」

 自分でも驚くほどはっきりした声だった。耳まで熱くなっているのが自分でも分かった。

 ルカは目を見開いてレンを見つめた。

 それから、ゆっくりと招待状を受け取った。今度は両手で大切そうに。

「……ありがとう、レン君。とても、とても嬉しいわ」

「でも、残りの二枚は?」

「ぼくと、ケイヤです」

「ケイヤ君……」

 ルカの表情がわずかに曇った。

「ケイヤ君は、私が、その……ゲームが好きなことを知らないのよね」

「はい。二人だけの秘密ですから」

「だったら、会場でケイヤ君と顔を合わせるわけにはいかないわね」

「入場券は一人一枚なので別々に入れます。ぼくが二人が会わないようになんとかします」

 レンは胸を張って言った。言ってから自分がとんでもない約束をしたことに気づいた。

 ルカは少しだけ心配そうにけれど、とても嬉しそうに微笑んだ。

「頼りにしているわ、レン君」

 その一言でレンの迷いはすべて吹き飛んだ。

 

  *

 

 日曜日、イベント当日。午前八時。

 ネストのエントランスでつばの広い帽子と、大きなサングラスをかけた女性がこそこそと靴を履いていた。白いブラウスに長いスカート。帽子の下から桃色がかった長い髪がのぞいている。

「あれ? ルカ先輩?」

 背後から声をかけられて、女性の肩がびくんと跳ねた。

 振り返るとパジャマ姿のリンが寝ぼけ眼で立っていた。自販機に朝のジュースを買いに来たらしい。

「ど、どうしたんですか? ルカ先輩? その格好……」

「リ、リン。おはよう。これは、その……日焼け対策よ」

「九月の終わりに?」

「紫外線は一年中降り注いでいるのよ」

「サングラスも?」

「目にも紫外線は悪いの」

 リンは首をかしげて、ルカを上から下まで眺めた。それからにやりと口の端を上げる。

「ルカ先輩……もしかして、デートですか?」

「ち、違うわ!」

「えー、怪しいなー。誰とですか? ねえ、誰と?」

「と、とにかく、行ってくるわね!」

 ルカは帽子を深くかぶり直すと、逃げるようにエントランスを出ていった。いつもより明らかに足が速い。

 リンは缶ジュースを片手にその後ろ姿を見送った。

「ルカ先輩の恋バナか…… ちょっと監視対象に追加しようかな」

 その数分後、同じエントランスからレンが寝ぐせのまま飛び出していったことにリンは気づかなかった。

 

  *

 

 会場は電車で四十分ほどの隣の市の大きなイベントホールだった。

 入り口にはドット絵の騎士の巨大な看板。その下に入場を待つ人々の列ができている。ほとんどがケイヤの父親くらいの年齢の大人たちだった。

「すごい……本当に来たんだ……」

 ケイヤは看板を見上げてため息をついた。ポケットの中でスマートフォンが震える。

『おはよう! 今日、楽しんできてね。はしゃぎすぎないでね!』

 ミクからだった。ケイヤは小さく笑って返信した。

『はい。ちゃんとほどほどに楽しみます』

 隣でレンが落ち着きなくあたりを見回していた。

「レン、どうしたんですか? さっきから、きょろきょろして」

「な、なんでもない! すごい人だなって!」

 レンの視線の先、列の少し後ろにつばの広い帽子とサングラスの女性が並んでいた。

 ――ルカ先輩、目立ってる……。

 大人の男性ばかりの列の中で、帽子にサングラスの美女は明らかに浮いていた。周りの参加者たちがちらちらと振り返っている。変装のつもりが完全に逆効果だった。

 レンはそっとケイヤの肩を押した。

「ケイヤ、先に入ろう! 物販、早く並ばないと!」

 

 会場の中はまるで三十五年前に戻ったようだった。

 壁一面に飾られた当時の開発資料。手書きのドット絵の設計図。ゲームセンターの筐体の実機。そして会場の奥に幻の続編の限定販売コーナー。

 ケイヤとレンは販売コーナーの列に並んだ。

 ふと、ケイヤが顔を上げた。

「レン。あの人」

「え?」

「さっき入り口の列にいた、帽子の人。僕たちの三人後ろに並んでいますよ」

 レンの心臓が跳ね上がった。

 振り返ると確かに三人後ろにルカがいた。サングラス越しにも販売コーナーのパッケージに釘付けになっているのがわかる。

「ゲーム好きの女性って、珍しいですよね。……なんだかどこかで見たことがあるような」

「き、気のせいだよ! ほらケイヤ、あっちの開発資料、すごいよ! 一面ボスのボツになったデザイン画だって!」

「本当ですか!?」

 ケイヤは目を輝かせて、列から身を乗り出した。その隙にレンは後ろのルカに必死の目配せを送った。ルカは小さくうなずいて帽子のつばをさらに深く引き下げた。

 

 それからの数時間、レンの戦いは続いた。

 ケイヤがトイレに行こうとすると、その方向にルカがいる。レンは「あっちのほうが空いてるって!」と反対方向へ誘導した。

 ケイヤが開発資料の展示に夢中になっていると、ルカが隣のガラスケースにやってくる。レンは二人の間に体をねじ込んで壁になった。

 物販でケイヤが限定のサウンドトラックを手に取ろうとした瞬間、同じものに白い手袋の手が伸びてきた。レンはとっさにその手袋の主の前に立ちはだかり「ケイヤ、これ最後の一枚だよ、早く!」と叫んだ。手袋の主はすっと手を引っ込めてそそくさと別の棚に移っていった。

 その後、レンがこっそり同じサウンドトラックをもう一枚見つけて、ルカに手渡したのは言うまでもない。

「レン、今日は本当にどうしたんですか? 汗だくですよ」

「た、楽しすぎて……」

「僕も楽しいです。……でもほどほどにしないと」

 ケイヤはミクのメッセージを思い出して小さく笑った。

 レンはハンカチで額をぬぐいながら、心の中で叫んでいた。

 ――ルカ先輩のためなら、ぼくは何度でも壁になる。

 

 昼を過ぎる頃にはレンの体力はほとんど尽きかけていた。

 会場の休憩スペースで二人は売店のサンドイッチをかじった。レンのリュックにはついに手に入れた『スターダスト・ナイトⅡ』の限定版の箱。ケイヤの鞄にはサウンドトラック。見回してもつばの広い帽子は近くには見当たらない。

 レンはようやくほっと息をついた。

 ――このまま何事もなく終われば。

 

  *

 

 午後二時を過ぎた頃、会場の一角にひときわ大きな人だかりができていた。

 ゲームセンター版『スターダスト・ナイト』の試遊台。三十五年前の実機が当時のままの姿で置かれている。筐体の上には大きなモニターが据えつけられ、プレイ中の画面と『本日のハイスコア』のランキングが映し出されていた。

「ケイヤ、あれやろう!」

 レンの目がぎらりと光った。

 eスポーツフェスティバルの優勝者。その自信がレンの背中を押していた。ここで記録を出せばきっと会場の注目の的になる。

 列に並び順番が回ってくる。試遊台なのでもちろん無料だ。レンはスタートボタンを押し、レバーを握った。

 画面の騎士が走り出す。

 レンの指は迷いなく動いた。一面、二面。ボーナスステージの針の山を最小限の動きですり抜ける。三面のボスは左上。弱点が光る二秒間に連続攻撃を叩き込む。

 背後で見物人たちが小さくどよめいた。

 ゲームオーバーの文字が浮かんだ時、スコアは十六万点を超えていた。大会の時の自己ベストを二万点も上回る記録だった。

「やった……!」

 レンは誇らしげに筐体から離れた。ケイヤが「すごいです、レン」と拍手を送る。周りの大人たちも「若いのにやるなあ」と感心したようにうなずいていた。

 レンは少しだけ胸を張った。

 ――けれど。

 ここにいるのは『ただのゲーム好き』ではない。スターダスト・ナイトの『関係者』である。

 レンの次に試遊台に立ったのはひょろりとした男性だった。首から下げた名札には『元・開発チーム テストプレイ担当』とある。

 男性はスタートボタンを押すと、まるで散歩でもするような気軽さでレバーを動かし始めた。

 十分後、スコアは二十二万点。

 その次に立った眼鏡の女性は当時の雑誌の攻略記事を書いていたライターだった。二十五万点。

 さらにその次の作業着姿の男性は三十五年前のハイスコア大会の全国一位だった。三十一万点。

 次々と記録が塗り替えられていく。誰もが名前も知らない人たちだった。けれど誰もがこのゲームを三十五年間愛し続けてきた人たちだった。

 頭上のモニターのランキングでレンの十六万点はあっという間に下のほうへ押し流されていった。

「……ケイヤ」

「はい」

「ここ、怖いところだね」

「……はい。無名の猛者が山ほどいます」

 二人は肩を落として試遊台から離れた。

 

 その直後だった。

 人だかりの中から、すっと一人の女性が進み出た。

 つばの広い帽子に大きなサングラス。白い手袋を外してポケットにしまう。

 ――ルカ先輩!?

 レンは心臓が止まりそうになった。目立たないでって、あれほどお願いしたのに。

 女性はスタートボタンを押し、静かにレバーを握った。

 画面の騎士が走り出した。

 その瞬間、見物人たちのざわめきがぴたりと止んだ。

 動きが違った。

 敵の攻撃をほんのわずかな隙間ですり抜ける。剣を振るのは必要な時だけ。無駄な動きが一つもない。まるで画面の騎士が自分の意思で踊っているようだった。

 二面の途中で騎士が何もないはずの壁に向かって剣を三回振った。

 壁が崩れた。

「……え?」

 見物人の誰かが声を漏らした。

 崩れた壁の向こうに見たこともない部屋が広がっていた。星屑のように輝くドット絵の背景。聞いたこともない軽やかな音楽。

「隠しボーナスステージ……!?」

「嘘だろ、そんなのあったのか!?」

「三十五年やってて初めて見たぞ……!」

 大人たちが口々に叫んだ。元・開発チームの男性が目を見開いて画面に釘付けになっている。

 隠しステージの奥で小さな星形のアイテムがきらりと光った。

 ただ、その手前には左右から矢が途切れることなく騎士の行く手をふさいでいる。三キャラ分あるその矢の帯はどこにもすり抜けられる隙間はなかった。

「無理だ、あれは……」

 誰かがつぶやいた。

 しかし女性はためらわなかった。

 カシャカシャカシャカシャッと、レバーとボタンを叩く乾いた音が静まり返った会場に響いた。

 次の瞬間、画面の騎士の姿が一瞬だけ超高速で移動した。そして、降り注ぐ矢の中へまっすぐに突っ込んだ。

 連投される矢が騎士の体をギリギリでかすめてゆく。

 カシャカシャカシャカシャッ。また超高速移動で矢をすり抜ける。

 カシャカシャカシャカシャッ。もう一度。

「……ガチャダッシュ」

 三十五年前の全国一位だという、作業着の男性がうわずった声で言った。

「ガチャダッシュ……?」

「レバーとボタンを決まった順番で一瞬のうちに叩き込む。成功すれば騎士がほんの一瞬だけ超高速で移動できる。……当時、一部で噂になっただけの技だ。成功したヤツなんて、ほとんどいないからな。俺だって十回やって一回決まればいいほうだ」

 男性は画面から目を離さずに続けた。

「それを……連続で……一回もしくじらずに……」

 矢の猛攻を抜けた騎士が、星形のアイテムに手を伸ばした。

 それを取った瞬間、画面に『+100000』の文字が躍った。

 元・開発チームの男性が震える声でつぶやいた。

「あれは……テストの時に遊び心で入れたまま誰にも取れなかったやつだ。ガチャダッシュを連続で決めない限り、絶対に届かないように作った。テスト担当の俺ですら、一度も取れなかった。……社内じゃ、取得難易度SSSって呼んでたよ」

 

 女性の騎士は止まらなかった。三面、四面、五面。そのたびに見物人たちが見たこともないグラフィックが次々と画面に現れる。誰も知らなかった演出。誰も聞いたことのなかった効果音。会場中の人が息をすることすら忘れて画面を見つめていた。

 そして最後のボスが崩れ落ち、エンディングの曲が流れ始めた。

 頭上のモニターのランキングの一番上に最終スコアが表示される。

 五十一万点。

 先ほどのトップランカーに二十万点の差をつけていた。

 一瞬の静寂。

 それから会場が割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。

 女性は振り返らなかった。ポケットから白い手袋を取り出してはめ直し、帽子のつばを少しだけ下げると、何事もなかったかのように静かに筐体から離れていった。人だかりが自然と道を開ける。

 その背中をケイヤはじっと見つめていた。

 ――左上に逃げれば炎は絶対に当たらない。

 夏休みの終わり、パソコン部室で早口で攻略法をまくしたてた人の声がふと頭をよぎった。

「レン。今の人……」

「し、知らない人だよ! すごい人もいるもんだね! ほら、ケイヤ、そろそろコンサートの席取りに行こう!」

 レンはケイヤの腕を引っ張って全速力でその場を離れた。

 ケイヤは引っ張られながら、もう一度だけ振り返った。

 人だかりの向こうにつばの広い帽子が小さく揺れていた。

 

  *

 

 午後四時。イベントの最後を飾るミニコンサートが始まった。

 照明が落ち、会場が暗くなる。ステージの上に白髪まじりの男性が三人、楽器の前に並んでいた。三十五年前、あのゲームの音楽を作った人たち。

 最初の一音が鳴った瞬間、会場の空気が変わった。

 一面のテーマ曲。たった三つか四つの音だけで作られた、あのメロディ。それが今、本物の楽器を使い目の前で奏でられている。

 会場のあちこちから、すすり泣く声が聞こえてきた。

 ケイヤも目頭が熱くなるのを感じていた。隣のレンはすでにぼろぼろと涙をこぼしていた。

 曲がサビに差しかかった時だった。

 ケイヤはふと、通路を挟んだ斜め前の席に目をやった。

 つばの広い帽子の女性が座っていた。

 サングラスを外して、膝の上に置いている。両手で口元を押さえて、肩を小さく震わせていた。

 ステージからこぼれる光がその横顔を淡く浮かび上がらせていた。

 帽子の下から流れる、桃色がかった長い髪。涙に濡れた青い瞳。

 ケイヤは息をのんだ。

 ――ルカ先輩。

 一学期の図書室で筆箱のワッペンを見て、つぶやいた声。パソコン部室で三面のボスの攻略法を早口でまくしたてて、真っ赤になって逃げていった後ろ姿。そしてさっきの試遊台で、誰も知らなかった隠しステージへ迷いなく騎士を導いていたあの手。

 全部が一つにつながった。

 レンが今日一日、汗だくで走り回っていた理由も。

 ケイヤはしばらくその横顔を見つめていた。

 ルカはケイヤに気づいていなかった。ただステージの音楽にすべてを預けるように、静かに泣いていた。学校で見る凛とした部長の顔とはまるで違う顔だった。

 ケイヤはゆっくりと視線をステージに戻した。

 ――人には言いたくない好きなものもある。

 自分にもある。レトロゲームが好きなことを教室では誰にも言っていない。

 それにもう一つ。最近、胸の奥にしまっているまだ誰にも言えない気持ち。

 だから見なかったことにしよう。

 ルカ先輩がこんなふうに泣けるほど好きなものを自分が勝手に暴いていいはずがない。

 ケイヤはステージの演奏に静かに耳を傾けた。

 たった三つか四つの音で作られた、心に残るメロディ。その音が会場いっぱいに優しく響いていた。

 

  *

 

 帰りの電車の中で、レンは窓にもたれて眠っていた。膝の上には限定版の『スターダスト・ナイトⅡ』の箱が入っているリュックを大事そうに抱えている。

 ケイヤは窓の外を流れていく夕暮れの景色を眺めていた。

 ルカは別の車両に乗っているはずだった。レンが改札で必死にそう段取りしていたのをケイヤは見ていた。

 駅に着き、レンが目を覚ます。二人並んで改札を抜ける。

「ケイヤ、今日は楽しかったね」

「はい。最高の一日でした」

 ケイヤはそれから少しだけ間を置いて言った。

「……三枚目の人も楽しめていたらいいですね」

 レンの足がぴたりと止まった。半歩遅れてケイヤも立ち止まる。

「え……」

「いえ。誰だか知りませんけど。レンが選んだ人ならきっと、すごく喜んだと思うので」

 ケイヤは何気ない顔でそう言うと「行きましょうか」と、また歩き出した。

 レンはその背中を見つめたまま、しばらく動けなかった。

 ――ケイヤ、まさか。

 けれどケイヤはそれ以上、何も言わなかった。振り返りもせず、いつものように少しだけ猫背の背中で夕暮れの道を歩いていく。

 レンは小走りでその背中に追いついた。

 何かを聞こうとしてやめた。

 ケイヤが何も言わないなら、それでいい。それがケイヤの答えなのだと思った。

 ルカとの「二人だけの秘密」は今日もちゃんと守られた。

 ――たぶん。

 

 その夜。ネストの談話室。

 窓際のソファでルカはヘッドホンをつけ静かに目を閉じていた。膝の上には今日、会場で手に入れたサウンドトラックのケース。

 テーブルの上の和紅茶はすっかり冷めている。それにも気づかないままルカはヘッドホンから流れる音に合わせて、指先で小さくリズムを刻んでいた。ときどき口元がふっとほころぶ。

「……レン君には本当に感謝しないといけないわね」

 ひとりでそうつぶやくと、ルカはまた目を閉じた。

 

 その様子を談話室の入り口からリンがこっそりのぞいていた。手には廊下の自販機で買ったばかりのジュース。ルカの膝の上のケースはここからではジャケットまでは見えない。

 リンはスマートフォンのメモに一行を書き加えた。

 

『監視記録(番外編) ルカ先輩、朝、謎の変装で外出。夜、ご機嫌で帰宅。ヘッドホンで何か聴いてる。曲名、不明。相手、不明』

 

(第十九話 了)




ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次回「第二十話 くじ引きと隣のコート」
次回より『球技大会編』となります。
お楽しみに。
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