事実上、二人の初デートとなります。
日曜日の午前九時半。ピアプロ通り商店街の入り口にある、時計台広場。ケイヤはその時計台の下で三回目の深呼吸をしていた。
学院からも、ケイヤのマンションからも、ミクの住むネストからも歩いて数分。この街で待ち合わせといえば、たいていこの場所だった。
待ち合わせは十時。三十分も早く着いてしまったのは家にいても落ち着かなかったからだ。
服は昨夜から何度も着替えた末に、無難な白のシャツと紺のパンツに落ち着いた。それでもガラスに映る自分の姿を見るたびにこれでよかったのかと不安になる。
――これはお礼だ。勉強会のお礼。それ以上の意味はない。
自分にそう言い聞かせて四回目の深呼吸をしようとした、その時だった。
「ケイヤくーん!」
広場の向こうから、聞き慣れた声が飛んできた。
振り返ったケイヤは吸い込んだ息を吐き出すのを忘れた。
駆け寄ってくるミクは淡い水色のワンピースを着ていた。裾がふわりと揺れるたびに夏の日差しがその上で跳ねる。トレードマークのツインテールにはいつもとは違う白いリボン。肩から小さなポシェットを提げて、足元は白いサンダル。
制服姿しか知らなかったクラスメイトがまるで知らない誰かのように見えた。
「おはよう! ごめんね、待った?」
「い、いえ。今、来たところです」
三十分前から待っていたことは言わないことにした。
ミクはケイヤの前でくるりと一回転してみせた。
「どうかな? リンが選んでくれたの。変じゃない?」
「……変じゃ、ないです。その……似合ってます」
「ほんと? よかった!」
ミクはぱっと笑った。
褒められた。好ましい出来事。だから、笑う。
――いつもなら、そういう順番のはずだった。けれど今日の笑顔はその判断よりも少しだけ早かった気がした。
*
「今日は、ケイヤ君の行きたいところに行こう! お礼なんだから」
アーケードの商店街を歩きながら、ミクは張り切って言った。
「僕の行きたいところ、ですか」
「うん。どこでもいいよ」
ケイヤは少し考えてから、遠慮がちに口を開いた。
「じゃあ、あの……レトロゲームのゲームセンター、なんですけど」
「いつもレン君と行ってるところ? 行ってみたい!」
商店街の路地を一本入ったところにそのゲームセンターはあった。
薄暗い店内には古めかしい筐体がずらりと並んでいる。色あせたポスター、ちかちかと点滅する画面、どこか懐かしい電子音。最新のゲームセンターとはまるで別世界だった。
「わあ……なんだか、博物館みたい」
「だいたい三十年以上前のゲームばかりですね」
ケイヤの声が心なしか弾んでいる。学校では見たことのない顔だった。
店の奥には見覚えのある騎士の絵が描かれた筐体があった。
「あ、これ! ケイヤ君の筆箱の!」
「『スターダスト・ナイト』です。この店のは初期版なんですよ」
「ルカ先輩が言ってたやつだ!」
ミクは百円玉を入れてさっそく挑戦した。
――そして、一分もたたずにゲームオーバーになった。
「……あれ?」
「最初の敵、動きが変則的なんです。慣れないと、まず避けられません」
「アンドロイドの反応速度でも無理なの!?」
「反応速度よりパターンを覚えるゲームなので」
ケイヤが代わりにコインを入れた。慣れた手つきでレバーを操作し、迫り来る敵を最小限の動きでかわしていく。画面の中の騎士がまるで踊るように剣を振るう。
「すごい……」
ミクは思わず身を乗り出していた。
「ケイヤ君、かっこいい!」
「えっ」
ケイヤの手元がわずかに狂った。画面の騎士が敵の弾に当たって倒れる。
「あっ」
「あっ……」
二人の声が重なった。ケイヤは耳まで赤くして、咳払いをした。
「……レンにはまだ一度も勝ったことがないんですけどね」
「レン君、そんなに強いの!?」
「強いです。人間離れしています」
「レン君、人間じゃないよ?」
「……そうでした」
ミクはお腹を抱えて笑った。
*
昼食は商店街の小さな洋食屋に入った。
「今日はわたしのおごりだからね!」
「いや、さすがにそれは……」
「お礼だもん。随意金、今月はまだたくさん残ってるから大丈夫」
ミクは胸を張った。
アンドロイドに支給される月に一万円の自由なお小遣い。リンとのスイーツ巡りで毎月ぎりぎりになるのだが今月は試験勉強のおかげでほとんど手つかずだった。
ミクはメニューを見て、オムライスを選んだ。それから少し考えて店員を呼び止める。
「すみません、オムライスにネギのトッピングってできますか?」
「……ネギ、ですか?」
「はい。刻みネギ、多めで」
「……か、確認してまいります」
店員が厨房に消えていく。ケイヤは水を飲みかけた手を止めてミクを見つめた。
「オムライスに、ネギ……」
「合うんだよ? ケチャップの酸味とネギの香りが」
数分後、運ばれてきたオムライスの上には本当に刻みネギがたっぷりと載っていた。厨房の奥から料理人らしき男性が興味深そうにこちらをのぞいている。
ミクは一口食べて、満足げにうなずいた。
「ほら、おいしい! ケイヤ君も食べてみて」
差し出されたスプーンにケイヤは一瞬ためらった。それからおそるおそる口に運ぶ。
「……おいしい」
「でしょー!」
ケイヤはなんだか負けたような気分になった。
食後のデザートを待つ間、ミクはふと窓の外に目をやった。通りの向かいにカラオケ店の看板が見える。
「ねえ、ケイヤ君。午後、カラオケとか行く?」
「カ、カラオケですか」
ケイヤの顔がわずかにこわばった。
「すみません。カラオケはちょっと苦手で……。歌うのも、人前で声を出すのも、あまり得意じゃないんです」
「そっか。じゃあ、やめとこう」
ミクはあっさりとうなずいた。それから思い出したように手を打つ。
「あ、でも、歌を聴くのは好き?」
「聴くのは好きです」
「じゃあさ、夏フェス、見に来てくれる? ケイヤ君のおかげで出られるようになったステージだから、ケイヤ君にも見てほしいな」
ケイヤは少しだけ驚いたように目を見開いて、それから静かにうなずいた。
「……はい。必ず、行きます」
「約束だよ!」
ミクは嬉しそうに小指を立てた。ケイヤは戸惑いながらも、その小指に自分の小指を絡めた。
*
午後は川沿いの公園を歩き、本屋をのぞき、商店街の甘味処で冷たいジュースを飲んだ。
特別なことは何もしていない。それなのに時間は驚くほど早く過ぎていった。
気がつけば西の空が橙色に染まり始めていた。
時計台広場へ戻る道を二人は並んで歩いた。
「来週から夏休みだね」
「そうですね」
「ケイヤ君は夏休み、何するの?」
「特には……。父は単身赴任先ですし、母もほとんどそっちに行っているので。家でゲームでもしていると思います」
「一人で?」
「一人で、ですね」
ケイヤは何でもないことのように笑った。ミクはその横顔を見上げた。
「初音さんは?」
「わたしは軽音部の練習。あとはリンとスイーツ巡りかな。ネストにいると夏休みでもけっこうにぎやかなんだよ」
「そうなんですね」
会話が途切れた。
蝉の声がやけに大きく聞こえる。
夏休みになれば毎日教室で顔を合わせることもなくなる。勉強会はもう終わった。今日のお礼のおでかけも、もうすぐ終わる。
そう考えた途端、ミクの中にまたあの分類できない数値が生まれた。勉強会の最終日の夜よりも、図書室の前で空いた席を見た時よりも、ずっと大きなざわめき。
隣を歩くケイヤも黙ったままだった。何かを言いかけては口を閉じる。それを何度か繰り返している。
時計台が見えてきた。朝、待ち合わせをした場所。
ここで別れたら次に会うのは夏休みが明けてからになる。
「……ねえ、ケイヤ君」
ミクは足を止めた。
判断回路がいくつもの言葉の候補を並べる。
今日のお礼。
夏フェスの念押し。
二学期にまたね。
けれど口から出たのはそのどれでもなかった。
「夏休みも、会わない?」
ケイヤが立ち止まった。
夕日を背にしたミクの顔を見つめて、しばらく何も言わなかった。
それからゆっくりとうなずいた。
「……はい。会いたいです」
ミクはほっとしたように笑った。
その笑顔がどんな判断から出力されたのかミク自身にももうわからなかった。
(第六話 了)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回「第七話 部長さんの秘密」
ここから『夏休み編』となります。
レンとルカのお話しです。