あのメンバーの夏休みを描きます。
それでは、どうぞ。
夏休みに入って三日目の昼下がり。
鏡音レンは一人で商店街の裏通りを歩いていた。
珍しくリンからの呼び出しがない日だった。リンは朝からミクと一緒に隣町の新しいかき氷屋へ出かけている。軽音部の練習も今日は休み。普段ならケイヤを誘ってゲームセンターへ行くところだが、ケイヤは家の用事があるらしい。
つまり、今日のレンは完全に自由だった。
「……たまには知らない道でも歩いてみようかな」
強い日差しを避けるようにレンは建物の影が続く細い路地へと足を踏み入れた。
古い家と小さな店が肩を寄せ合うように並んでいる。クリーニング屋、閉まったままの喫茶店、猫が昼寝をしている自転車屋。
その一番奥に見慣れない看板がかかっていた。
『中古ゲーム ピクセル堂』
「……こんなところにゲームショップ?」
レンは思わず立ち止まった。この街の中古ゲームショップはケイヤと二人でほとんど回り尽くしたと思っていた。だが、この店は見たことがない。
ガラス戸の向こうには色あせたゲームのパッケージがぎっしりと棚に並んでいる。
レンの胸がどきりと高鳴った。
カランカラン、と古いドアベルが鳴った。
店内は思ったよりも狭く、そして涼しかった。天井近くまで届く棚にカートリッジやパッケージが隙間なく詰め込まれている。奥のカウンターでは白髪まじりの店主がのんびりと新聞を広げていた。
「いらっしゃい」
「こ、こんにちは」
レンは棚の端から一つずつタイトルを目で追い始めた。
知っているもの。名前だけ聞いたことのあるもの。まったく見たことのないもの。どれもこれも宝の山に見える。
そして、三つ目の棚の下段でレンの手が止まった。
「……うそ」
『ムーンライト・ラビリンス』
三十年以上前に発売され、出荷数が極端に少なかったことで知られる、幻のアクションゲームだ。しかも外箱と説明書がそろった完品。レンもネットの写真でしか見たことがない。
おそるおそる値札を確かめる。
――相場の半額以下。
「す、すみません! これ、ください!」
気がつくとレンはそのパッケージを抱えてカウンターに駆け寄っていた。
支払いは今月の随意金から出した。ゲームはAI学習用の嗜好品として経費申請もできるが審査には時間がかかる。その間に誰かに買われてしまうかもしれない。そんな危険は一秒だって冒せなかった。
「いい目をしてるね、君」
店主がにやりと笑ってパッケージを袋に入れた。
「それ、昨日入ったばかりなんだよ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
財布はずいぶん軽くなったが心はそれ以上に軽かった。
――ケイヤにも教えてあげよう。この店のことも、このゲームのことも。
レンはホクホク顔で袋を抱きしめ、ドアベルを鳴らして店の外へ出た。
そして、ちょうど店に入ろうとしていた人と正面からぶつかりそうになった。
「わっ、す、すみませ――」
「ごめんなさい、大丈夫――」
二人の声が同時に止まった。
つばの広い帽子に大きなサングラス。白いブラウスに長いスカート。帽子の下からのぞく桃色がかった長い髪。
変装のつもりなのだろうか。だが、その声をレンが聞き間違えるはずがなかった。
「……ルカ先輩?」
「……レ、レン君?」
巡音ルカはサングラスの奥で明らかに動揺していた。
*
「ル、ルカ先輩もこの店に来たんですか?」
「い、いいえ。私は、その……道に迷っただけよ」
「道に迷ってゲームショップの入り口に?」
「ああ、ここはゲームショップだったのね。全く全然少しも気づかなかったわ。ちょっと日差しが強いから、日陰に入ろうと思って」
ルカは帽子のつばをぐいっと引き下げた。いつもの落ち着いた部長の姿はどこにもない。
レンは期末前の図書室での出来事を思い出していた。ケイヤの筆箱のワッペンを見て、ルカがつぶやいた言葉。
「ルカ先輩。もしかしてゲーム、好きなんですか?」
「好きじゃないわ」
即答だった。
「レトロゲームなんて、まったく興味がないわ。ドット絵も、PSG音源も、何のことだかわからないわ。本当よ」
「……ドット絵とか、PSG音源とか、言ってないですけど」
「…………」
ルカの動きがぴたりと止まった。
その時、背後でドアベルがカランと鳴った。
「あっ、ルカさん! ちょうどよかった!」
店主が満面の笑みで顔をのぞかせた。
「やっと入荷しましたよ、例の『スターダスト・ナイト』の初期版サウンドトラック! 取り置きしてありますから!」
路地に蝉の声だけが響いた。
ルカはゆっくりと帽子を脱ぎ、サングラスを外した。その頬は夏の日差しのせいだけではなく、真っ赤に染まっていた。
「……ありがとうございます、店長さん。今、受け取りに入ります」
消え入りそうな声だった。
*
サウンドトラックの入った紙袋を抱えて、ルカは店を出てきた。
路地の日陰でレンと並んで立ち止まる。しばらく黙っていたが、やがて観念したように小さく息をついた。
「……ええ、そうよ。私レトロゲームが好きなの。中学の頃から、ずっと」
「中学の頃から……」
「特に昔のゲームの音楽が好きなの。今みたいにいくらでも音を重ねられる時代じゃなかった。使える音はたった三つか四つ。その限られた音だけであんなに心に残るメロディを作っていたのよ」
紙袋を見下ろすルカの目はいつもの厳しさとは違う、柔らかな光を帯びていた。
「私が曲を作る時もときどき思い出すの。音が少なくても伝わるものは伝わるんだって」
レンは息をのんだ。
軽音部の曲の多くはルカが作っている。あの曲たちの奥にこんな思いがあったなんて。
「でも、どうして隠してたんですか?」
「隠していた、わけじゃないのだけど……」
ルカは少し困ったように視線をそらした。
「部長が部活もそっちのけでゲームショップに入り浸っているなんて、後輩に示しがつかないでしょう。それに紅茶は経費で申請しているけれど、ゲームまで申請したら審査で趣味の内容を根掘り葉掘り聞かれるもの。だから、ゲームは全部、随意金でこっそり買っているの」
「それ、ぼくもさっきやりました……」
レンは自分の袋を少し持ち上げてみせた。ルカの目が袋の中のパッケージに吸い寄せられる。
「……レン君。それ、まさか『ムーンライト・ラビリンス』?」
「はい。箱と説明書付きです」
「完品……!」
ルカは思わず身を乗り出した。そして、はっと我に返って咳払いをする。
「……いい買い物をしたわね」
「ルカ先輩、今、目が輝いてました」
「気のせいよ」
ルカは、まっすぐにレンを見た。
「レン君。お願いがあるの」
「は、はい」
「今日のことは二人だけの秘密にしてくれる?」
二人だけの秘密。
その言葉がレンの頭の中で何度もこだました。
「も、もちろんです! 絶対に、誰にも言いません!」
「ありがとう」
ルカはほっとしたように微笑んだ。
それから、少しだけいたずらっぽく首をかしげる。
「その代わり、と言ってはなんだけど……。この先にももう一軒、いい店があるの。よかったら一緒に行かない?」
「……え」
「せっかく話の通じる人に会えたんだもの」
レンの答えは決まっていた。
*
それから二人はルカの案内で裏通りの小さな店を三軒回った。
古い攻略本ばかりを集めた古書店。ゲームのサウンドトラックだけを扱うレコード屋。レトロゲーム機の修理を請け負う電気屋の奥の小部屋。
どの店でもルカは店主たちと顔なじみだった。そして、どの店でもレンが知っている話をすると、ルカは嬉しそうに耳を傾けてくれた。
――これって、もしかして。
レンは隣を歩くルカの横顔をそっと盗み見た。
――デート、みたいじゃないか?
心の中でそう思った瞬間、顔から火が出そうになった。もちろんルカにそんなつもりがないことはわかっている。それでもこの夏の午後はレンにとって生涯忘れられない一日になる気がした。
夕方、商店街の入り口で二人は別れた。
「今日は楽しかったわ、レン君。また、いいお店を見つけたら教えてちょうだい」
「は、はい! ルカ先輩も!」
ルカは帽子をかぶり直しサングラスをかけて軽やかに去っていった。
一人になったレンは自分の袋の中の『ムーンライト・ラビリンス』を見下ろした。
ケイヤに教えようと思っていたピクセル堂のこと。
けれど、あの店はルカの行きつけだ。ケイヤに教えたらいつか店でばったり鉢合わせしてしまうかもしれない。そうなったら二人だけの秘密が秘密でなくなってしまう。
「……ケイヤには店のことはまだ内緒にしておこう」
ごめん、ケイヤ。心の中でそう謝りながらもレンの口元はどうしても緩んでしまうのだった。
*
「おかえり、レン。どこ行ってたの?」
ネストの廊下でかき氷屋から戻ったリンとはち合わせた。
「えっ。あ、えっと……散歩」
「散歩? そんな大きな袋抱えて?」
「……ないしょ」
「はあ? なにそれ、あやしー!」
リンに追いかけ回されながらレンは自分の部屋へと逃げ込んだ。
閉めたドアに背中を預けて、もう一度だけ今日の午後を思い出す。
二人だけの秘密。
その響きはどんな激レアゲームよりも、レンにとって価値のあるものだった。
(第七話 了)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回は「第八話 雨の日のネスト」
ミクとケイヤのお話しです。
ケイヤがミクの部屋に訪れる……?