俺達は悪い夢を見ているんだ。もうずっと。
俺には二つ下の妹と十二歳下の弟がいる。両親含め家族仲は良かった。....少なくとも母が亡くなるまでは。
母は弟を産んで直ぐに亡くなった。その後から少しずつ、俺達家族は綻び始めた。父は何かに取り憑かれたかの様に研究に没頭するようになり、その後暫くすれば同じ家に住んでいるというのに殆ど顔を合わせる事もなくなった。
生物学上そうであるとは言え「あれ」を父と呼ぶ気は、さらさらない。
両親が「居なくなった」後、幼い弟の面倒は俺と妹で見るようになった。俺達で賄いきれない部分は子守り用のロボットを作り、どうにかフォローした。今考えてみれば小学生の兄妹が赤子の面倒を見るなど何と歪な家庭環境だっただろうか。
ただ、それを大変だと思っても苦しいと思ったことはなかった。恐らくは妹も。
弟は、母が俺達に残してくれた一つの希望だった。
その希望には困難が与えられていた。弟は生まれつき身体が弱く、何度もその命の灯火は消えかけそうになった。何度も何度も存在しないであろう神を呪った。
何故弟が、変われるなら直ぐに俺の身体と交換してくれ、と。
弟は何とか数々の試練を乗り越えた。数年が経ち調子が落ち着いた頃、俺達兄弟は少しでも環境が良い場所で過ごす為に緑豊かな別荘で多くの時間を過ごす事にした。別荘の周りは豊かな自然が多く残り、澄んだ空気と四季折々の花々や動物達、そして夜空に煌めく無数の星と月がいつも近くにあった。
弟は昆虫が好きだった。あの別荘では良く俺と虫取りをして遊んだ。妹は虫が苦手で捕らえたカブトムシやカマキリを見せるといつも苦笑いしながら後退りしていたが、唯一蝶に関しては大丈夫だった様で俺が捕まえた後、よくふたりで楽しそうに眺めていた。
「短い一生を虫籠の中で過ごすのは可哀想だもの」
それに、辛いことも痛い事もしたくないんだ。
そう言って捕まえた蝶はいつも直ぐに野に返してやる。そんな弟を妹とふたりで優しい子だと感心していた。
弟はデュエルも好きだった。とは言っても幼い弟が自分でやるにはまだ難しく、俺と妹がデュエルしているのをいつもキラキラとした目で見ていた。
妹にはデュエルの才能があった。見るものを惹きつけ、他の人間とは一線を画す唯一無二の才能。そんな彼女に俺が勝てることはほぼ無かった。兄としての威厳を保ちたいところではあったが、楽しそうな妹と喜ぶ弟を見ているとそんなことはいつもどうでも良くなった。
妹は手のかからない子どもだった。母が亡くなってからは俺の前で涙を見せることすら無くなった。あいつは居なくなった母の代わりになろうとしていたのかもしれない。いつも笑顔で辛い顔を見せることもなく、ワガママひとつ言わなかった。
そんな妹に俺はいつも後ろめたさを感じていた。勿論弟は大事だが妹の事だって同じ様に大切だ。
妹には無限の可能性がある。こんな狭い家族と言う名の「世界」虫かごの中で閉じ込めておくのは心苦しい。
加えてその才能はきちんと磨けば間違いなく光り輝くであろうことは一番身近にいる俺がよくわかっていた。...そして本当は本人が広い空へ向けて羽ばたきたがっていることも。弟もまた、姉がいきいきとデュエルする姿が心底好きだった。俺達のことを考え迷う妹の背を最後に押したのは弟だった。
「姉さんがもっともっとデュエルしてる姿が見たいんだ」
弟の望みをを叶えるべく、自身の可能性への挑戦始めるため妹は進み出した。瞬く間に名は知れ渡りアイツは夢と希望の階段を駆け上がっていく。そして姉の勝利は弟に生きる力を齎すかの如く、弟は元気になっていった。
俺にとって妹と弟が笑顔でいてくれる事が何よりの幸福だった。先の見えない暗闇に僅かに差す光。それがあれば俺は、生きていける。いやそれだけが俺の生き甲斐といっても過言ではなかった。
しかし、その僅かな光さえ突如として奪われる。
「待て、待ってくれ!ハルトをどうするつもりだ!」
「ハルトには特別な力がある。これはDr.フェイカー様の命令なのだ。...さぁ行こうハルト、キミの力が世界の役に立つ。それはキミの為にもなる事だ、お兄さんとお姉さんに心配をかけるのはもう嫌だろう?」
「.....うん」
「ハルト、行くなハルト!!」
突然現れた父の部下を名乗る男はハルトを丸め込み俺の元から攫っていった。
何故こんな事に...、父の命令だと?仮にそうであったとしても俺達兄弟を引き裂くことなど許さない。
ハルトを取り戻す為、ハートランドシティへ戻った俺が見た光景は目を疑いたくなる様なものだった。
「...だれ」
「!?」
「忘れたのかい、ハルト。あれはキミの兄カイトだよ」
「兄さん...?」
「貴様、...ハルトに何をした!?」
虚な目をした弟を抱き締めながら父の部下ーーMr.ハートランドと名乗る男を問い詰める。男は態とらしい笑みを浮かべながら俺を見てきた。
「喜びたまえ、ハルトはアストラル世界と魂を通じることができたのだ」
「アストラル世界...!?」
「そう、アストラル世界を破壊する他に我々の世界を救うことは出来ない。ハルトはその為に選ばれた人間なのだよ。そしてそれは全てDr.フェイカー様の意思、そしてご命令によるもの」
「そんなもの、どうでもいい!ハルトを元に戻せ!!」
「それは無理だな、ハルトの心は既に此処にはない。そして病弱なハルトの身体はその力を使えば『いつ何が起きても』おかしくはない」
「!!」
「....だが、安心したまえカイト。ハルトの心と身体を治す方法を我々は見つけたのだ」
部屋の中にはホログラムの蝶が飛んでいた。視界の隅でちらつくその姿はあの別荘で捕まえた美しい蝶と同じだった。そう、あの日ハルトが可哀想だと逃してやった....、
次の瞬間、手を伸ばしたハルトが蝶を握り潰した。手を開くとそこには見るも無惨な姿に変わってしまった蝶が生き絶えていた。
「な....っ...」
「残念ながらその方法でしか、ハルトを救う事は出来ない...」
「なんだ!教えろMr.ハートランド!!」
「それは『ナンバーズ』を全て集める事」
「ナン、バーズ...?」
「そうだ、アストラル世界からきた100枚の特別な力を持つカード。それを全て集めるのだ。お前自らが『ナンバーズ・ハンター』となって!そうすればハルトの心は戻り、身体も良くなるだろう」
「ナンバーズ・ハンター....」
譫言の様にその言葉を呟く俺に向かってハートランドは態とらしく今思い出したという言い方で続ける。
「....そう言えばキミにはもうひとり、妹がいるようだね」
「!?」
「天城セツナ。...ほう、素晴らしい。数々のデュエル大会で優勝しているじゃないか。次期サイバー流後継者も夢ではない、なるほど...それは良い戦力になりそうだ」
「貴様...、妹に何をしようとしている?」
「そんなに警戒しないでくれたまえ。ナンバーズはデュエリストにしか取り憑かない。回収するためには相手とデュエルして勝利する必要があるのだ。これからナンバーズを『狩る』となれば戦力となる人間が多いに越した事はない。私の部下も優秀ではあるが、」
彼女もどうやら非常に高い能力を持つようだ。弟の為とあらば二つ返事で協力してくれるだろう。
是非『スカウト』してはどうかと思ってね。
手元の端末には妹が優勝トロフィーをもって微笑む姿が映し出されていた。つい最近大会で優勝した時のものだ。
口角を上げながらハートランドの指が液晶に映し出された妹の頭を撫でる。その動きに猛烈な憎悪と込み上げてくるような吐き気がした。
「(せめて、アイツだけは、)」
させない、絶対に巻き込みはしない。妹だけは。
アイツは何も知らなくて良い。やっとなんだ、これからなんだ、自分の好きな事を目一杯出来るのは。だから邪魔しないでくれ。こんな事は俺ひとりで十分だ。
「.....やめてくれ、」
「ん?」
「妹は、関係ない。アイツは巻き込まないでくれ。そのナンバーズとやらを集めるのは俺ひとりで十分だ」
「可愛い妹は巻き込みたくない、か。何とも美しい兄妹愛じゃないか。....しかしカイト、100枚のナンバーズを全て集めるというのは、」
「ナンバーズを集める為ならば、どんな事もする。
....俺を、誰にも負けない『最強のデュエリスト』にしてくれ」
「ーーamazing!なんと素晴らしい心掛けなのだ、カイト。きっとその思いはDr.フェイカー、いやハルトにも届く事だろう」
さぁハルトの為に一緒に頑張ろうじゃないか、心にも無いであろうその言葉を述べる悪魔の手を取る。
今の俺にはこれしか選べない。でも必ず、俺がハルトを元に戻してみせる。そしてまたあの頃の様に兄弟三人、穏やかに過ごす日々を必ず取り戻す。
例えその代償として地獄に堕ちることになるとしても、俺は構わない。
♯
ハートランドと話したそのすぐ後から『最強のデュエリスト』を作るという名目で俺に対する訓練が行われていた。
父直属の研究チームと名乗る研究者共と朝から晩まで顔を突き合わせ、時に数日間飲まず食わず睡眠すら取らぬままデュエルをさせられる事もあった。Mr.ハートランドの部下であるゴーシュとドロワもまた、俺と同じ訓練を受けさせられていた。
過酷。訓練はその一言に尽きる。特にナンバーズ・ハンターとして活動するためのフォトンチェンジ状態はかなりの身体的な負荷がかかる。朝目覚めて訓練を行い、気を失う様に眠ってはまた同じ朝を迎える。ひたすらその繰り返しを続けた。
妹は時間を見つけては定期的にこの家に帰ってきていた。全ての感情を無くしてしまったかのようなハルトに悲しみを堪えるように笑いかけ、出会うたびに顔色の悪い俺の心配をしていた。
何かおかしいと感じてはいるのだろう。ただ、一度「成すべきことを成せ」と俺が突き放してからは何も言わなくなった。
「(それで良い)」
幾ら才能があるとはいえ精々国内で王座を獲るくらいだろう。勿論それも凄いことではあるが。
その時は世界王者になってから家に帰ってこい、とでもまた突っぱねるつもりだ。我ながらとんでもない事を言う兄貴だと思う。
「(だがそれまでに、ナンバーズを俺の手で集め終えればいい)」
しかし俺はすぐに、妹の本気を見誤っていたことに気付かされる。妹は国内はおろか、極東アジア、そしてなんと世界までも制したのだ。アマチュアとはいえデュエリストの最高峰に到達したといっても過言ではない。
「(....仕方がない)」
手元にある二枚のナンバーズをオービタルへ渡す。対象者自体がなかなか見つかりにくいこともあり、正直回収の進捗状況は悪い。このままではまたハートランドがセツナをナンバーズ・ハンターにしようなどと言いかねない。
それならば、と手元の端末を操作する。悪魔から簡単には手の届かない絶海の孤島へ、彼女を逃す為に。
「どういうこと!?そんな話、聞いてない!何で勝手に決めたりしたの!?」
「丸藤校長から打診されていた筈だ。迷っていただろう」
「それは前の話で、」
「....デュエルアカデミアへの編入など、そう簡単に出来るものではない。よく勉強してくると良い」
「!私はハルトと兄さんと一緒にっ」
「お前が何を言おうと既に決定事項だ。卒業まで戻ってくる事は許さん。この後の飛行機でデュエルアカデミアへ向かえ」
突然のことに訳がわからないと言葉に詰まる妹に飛行機のチケットを押し付けて部屋の扉を閉めた。微かに聞こえる啜り泣く様な声には気付かぬフリをした。
憎まれようが嫌われようが構わない、妹が何処か安全な場所で笑っていてくれるならそれでいい。
それで良かったんだ。
♯
「お前...、何故此処に....」
「どうして今まで何も、私に言ってくれなかったの」
「......」
「黙ってないで、何か言ったらどうなの!?」
久しぶりに会う妹は目の前で烈火の如く激怒している。穏やかでいつも笑顔を絶やさないコイツがこんなにも、感情を露わにする瞬間を初めて見た。
「(いや、哀しんでいるのか)」
自分ひとり何も知らず『守られて』いた事に気づいてしまった。妹を守ったつもりが余計に傷つける事になってしまった。
ナンバーズ・ハンターになると言う妹を必死に止めるが、一度決めたら簡単には曲げない事を俺はよく知っている。いやそれでも、絶対に、
「ねえ兄さん、やる事が変わっても目的は変わらない。私ハルトの為なら何だって頑張れるよ。.....今までひとりにしてごめんね、お願いだから一緒に背負わせて。ふたりならきっとすぐに終わるよ」
俺を見上げながら泣きそうに笑う妹を見て、ぷつり、と何かが切れる音がした。俺は今どんな表情かおをしているのだろう。妹が抱きついて俺の背を撫でる。大丈夫、頑張らなくていいと繰り返し繰り返し呟く。
「....済まない、許してくれ....」
細くか弱い妹の身体を抱き締める。妹はずっと俺の言葉に小さく首を振り続けた。何故、どうして、こんな事になってしまったのだろう。俺が何処で間違えなければ弟はこんな目に合わず、妹の翅はねを折らずに済んだのだろうか。
後悔しても時は戻らない。お前ひとりも守りきれない、不甲斐ない兄で済まない。許してくれ、....いやどうかずっと愚かな俺を許さないでくれ。
無機質な廊下に自分の虚しい懺悔だけが、延々と響いていた。
♯
「ナンバーズの回収は順調かね、カイト」
「はい、Mr.ハートランド」
「それは素晴らしい。キミの、いやキミ達の熱いデュエルがこのハートランドシティに平和を齎すのだ。それで、ナンバーズは何枚集まったのだね?」
「オービタル」
「カシコマリ!カイト様、ソシテセツナ様ガオフタリデ現在マデ集メタナンバーズハ19枚デス」
「ーーfantastic!この短期間でこれだけ集めるとは、私の目に狂いはなかった!.....どうしたんだい、カイト」
「.....」
「そうか、どうやらキミは奪った魂の心配をしているんだね。仕方がないのだよ、今の我々の科学力ではナンバーズを持つ者達の魂ごと奪い取るしかない。
ーーだが、気にする事はない。ナンバーズを操る連中は邪気に取り憑かれ、欲望を増幅させた悪党なのだから」
「....本当にナンバーズを100枚集めればハルトは、弟は元に戻るんでしょうね」
「勿論だとも。ナンバーズを揃える事、それ以外にハルトを治す手立てはない。今はそれを信じるんだ。安心したまえ、キミ達のハルトを想う熱いハートはDr.フェイカーにちゃんと伝えておく」
「......はい」
「引き続きナンバーズを探したまえ。その分ハルトの治療も、セツナをこの道から解放することも早くなるのだから」
「......」
カイトが部屋を去った後、Mr.ハートランドの頭上には金髪の男の映像が浮かび上がった。
「どうかね?ナンバーズ回収の成果は」
「Dr.フェイカー様。全ては順調に進んでおります」
「そうか、それは結構。...人は大事なものを守る為に何かを捨てる。私がこの世界を守る為に人間を捨てた様に、カイト、そしてセツナもハルトを守る為に人間を捨てたのだ」
「はい、Dr.フェイカー様」
「いつかアストラル世界から使者が来ることは分かっていた。.....あの日あの時、間違いなくその使者はやって来た。
ーーそいつらを叩き潰せ!完膚なきまでに!!その残骸を、奴等の世界に送り返してやるのだ、それ以外に我々の世界が助かる道はない!!」
「ーー御意」
「あ、ハルト兄さんが帰ってきたよ」
「兄さん」
「ハルト、どうだ具合は」
やっとここに戻ってこられた。今の俺たちの家とも呼べるハートランドを見渡す広い部屋。
一面ガラス張りになっているその一画で、セツナとハルトは寄り添う様にして外を見ていたようだ。セツナから「報告は滞りなく終わった?」と尋ねられ肯定すると、そう、とだけ返ってきた。
「姉さん、兄さん」
「なあに」
「どうした」
「どうしてみんな笑っているの?ボクに必要なのは笑い声じゃないのに。ボクに必要なのは悲鳴なんだ、ボクが落ち着くのは。ボクにはもっともっと悲鳴が必要なの」
「、っ.....」
「ハルト...っ、」
昔の弟からは想像できないような言葉に俺もセツナも目を伏せる。違う、お前はそんな子じゃない。
「姉さん、ボクは変なのかな」
「.....いいえ、ハルト。きっと貴方は、」
「ーーお前は悪い夢を見ているだけだ」
「夢?」
苦しそうにハルトの隣で手を握りながら否定しようとするセツナを遮って、ハルトの肩に手を置く。
「ああ、悪い夢だ。....だが安心しろ、俺と姉さんが必ずその夢から醒ましてやる」
泣きそうなセツナの肩を抱き、虚空を見つめるハルトの肩に手を置きながら背に縋り付くように額をつけた。
大丈夫だ、俺が必ず。必ずお前達をこの悪夢から醒ましてやるともう一度胸に誓って。