初めて弟を抱き上げた時を、よく覚えている。
小さな小さな紅葉のような手が差し出した私の指をしっかりと握りしめた時、家族全員に温かな空気が流れた。
あの日兄と共に約束したのだ、「弟は自分たちが守る」と。それを聞いた両親は柔らかく笑っていた。
だから私と兄の世界は、弟を中心に回っている。これからもずっと。
ーー私は三人兄弟の長女として生まれた。二歳上の兄と十個下の弟と穏やかな日々を過ごしていた。
母は弟を産んですぐに亡くなった。父は母が死んでから前にも増して研究に没頭する様になった。もうずっと、顔も見ていない。
そんな家庭環境で、私と兄の優先すべきものは何よりも弟だった。十個以上も歳が離れていて親は...、最早居ないに等しい。
そんな環境で私は自ずと弟を守ることが果たすべき使命なのだと感じていた。兄は、きっと私以上に重く、兄弟を守らなければと責任の様なものを感じていたかもしれない。
弟は生まれつき少し身体が弱かった。空気の悪い都会を避けて、多くの時間を緑豊かな別荘で兄弟三人で過ごした。天気の良い日には兄と弟はよく虫取りに出かける事が多かった。...正直虫は苦手だったが、楽しそうな二人を傍で見ることは楽しかった。青く輝く蝶を捕まえた時は綺麗だね、と見せてくれる弟に捕らえた蝶を標本にでもするかとといかけると直ぐに野に放してしまった。
理由を尋ねると、「短い一生を虫籠の中で過ごすのは可哀想だもの」と答える弟に兄と二人、本当に優しい子だと感動したのを覚えている。
あの別荘は星も良く見えた。冬の夜には満点の星空や月が煌めき、息を呑むほど美しかった。星座の名前を言いながら指差す兄の横で弟の好きなホットチョコレートを飲みながら三人で天体観測を楽しんだ。
三人でよくデュエルもした。実際には私と兄が戦うのを弟が見ている形だったが。弟はとても楽しそうに私と兄のデュエルを見ていた。僕も大きくなったら出来るかなと話す弟に、私が教えるから一緒にデュエルしようねと約束をした。
私には兄の様な天才的な頭脳は無かったが、人に負けないデュエルの才能があった。これだけは唯一私が兄に勝てるもので、兄に負けることは一度もなかった。
ある時、運良くデュエルの大会に出られる時があった。それまでは弟のことを考えて家を長時間空けることを避けていたが兄が気を遣ってくれたのだ。そして何とその大会で優勝した。弟はとても喜んだ。満面の笑顔で「凄いや、姉さん!チャンピオンだよ!」「姉さんがもっともっとデュエルしてる姿が見たい」と。こんな小さな大会でそんなに喜んでくれるのかと少し照れ臭かったが、普段手放しで褒めない兄からも「お前ならもっと上にいける」と言われて嬉しかったのをよく覚えている。
本当は、デュエルが好きで誰よりも強くなりたかった。毎日寝る間を惜しんでデッキを組んでは試行錯誤した。うまく出来なかった日は悔しくて、ずっと次に対戦した時使える戦法を考えた。自分の考えた戦い方が通用する時もしない時もずっとワクワクした。
実際に色々な相手と戦うのはとても楽しかった。今まで弟の事を理由に蓋していた「より上へ、より強い相手と戦いたい、もっと強くなりたい」と言う気持ちが抑えられなくなっているのがわかった。
兄は直ぐに私の気持ちがわかったらしく「俺たちの事は気にするな、お前の好きにしたらいい。それにお前が勝てばハルトが喜ぶ」と背中を押してくれた。弟は「姉さんがデュエルしてる姿はカッコよくて勇気が出るんだ。僕も頑張るから、姉さんはデュエルチャンピオンになってよ」と此方も同様だった。
私はひとり別荘を離れ、更なる高みを目指す為に尊敬する師匠の元に行く事にした。その後壮絶な修行を耐え、史上最年少、そして女性初でサイバー流の正統後継者となった。並行して出られるときは大会に出ては勝ち続けた。立ちはだかる者たちは全て倒した。沢山の大会の、沢山の記録を塗り替えながら私の姿と名前は瞬く間に誰もが知るようになり、負けない私と戦う事を避ける者すら出るようになった。例え誰かの忌避や嫌悪の対象となろうとも、あの頃の私は「ああ背負う物があると人間ここまで強くなるのか」と他人事のように驚くだけだった。
大会が都心部で開催される関係上、別荘とは別の場所に住む事にした。兄と弟とは定期的に連絡を取るようにして帰れる時は別荘へ戻って僅かな時間でも兄弟と過ごした。いつも兄と弟は私の勝利を喜んでくれた。
弟の調子が芳しくない、不本意だが親父のところへ戻る事にした。
そう告げられたのは私が別荘を離れて数ヶ月後の事だった。兄の疲れた様子を見てはやっぱり家に帰る、と告げると「成すと決めたことをやり遂げてから帰って来い」と厳しく突き返された。
それがあの時兄に出来た最大限の優しさだったのだと、後から気づいた。
♯
ひたすら大会に出ていた中で出会った双子の兄妹がいた。私よりも二つ歳が下らしく、主に大会に出ていたのは兄の方で妹はその応援に良く来ていた。
自分も大会に出れば年齢で驚かれる事が多かったが、私より若い彼はより顕著だっただろう。舐められる事も少なく無かった筈だ。実際私が初めて戦った時も実力を疑ったが、デュエルをしてみて相手が素晴らしいセンスと才能の持ち主だということに気付かされた。きっとこれから厄介な、それ以上に良いライバルになれるだろうと胸躍らせた。試合には勝ったが、対戦後感想を述べた時に群青色に光る綺麗な瞳をこれでもかと広げて呆気に取られていたのは今も忘れられない。
歳が近く、お互い認める程に実力の高い相手などそう出逢えるものでない。何度か大会で出会う度に気づいた時には軽口を叩き合える位距離が縮まっていた。一方妹の方は最初私に負ける兄に怒り、私を嫌っている様子だったが、偶々困っているところを私が助けた事から懐かれたようで、気付けば兄なしで楽しくお喋りしたりデュエルをしたりする程仲良くなった。兄弟に男しかいなかった私は可愛い妹が出来たようで、凄く嬉しかった。兄の方からは「あまり璃緒を甘やかすな」とクレームを頂く事もままあったが、笑顔で受け流しておいた。
一度大事な試合の途中で、弟の調子が著しく悪いタイミングがあった。兄から連絡があり、「出場を辞退して家に帰る」「戻ってきてもお前にも俺にもできる事はない」と喧嘩になった時があった。兄からは苦しげに「ハルトを信じて祈るしかない、お前はハルトとの約束を守れ」と告げられた。
本当は全部投げ出して家に帰りたかった。
私が戦う理由は「弟の為」の筈なのに、肝心の弟が苦しんでいる時には何の役にも立たない。一体何のために私はデュエルをしているのかわからなくなった。
ひとり薄暗い控室の中で絶望している私を見つけてしまったのは凌牙くんだった。何があったのか問う彼に回らない頭ながらに自分の身の上を掻い摘んで話した。こんなこと聞いてきっと困るだろうと思いながらも、話す事で楽になりたかったのかもしれない。私の口から溢れる滅裂な言葉達を彼は黙って聞いてくれた。
「オレは、何もしてやれない。ただわかるのはお前がここで折れて立ち止まるような奴じゃないって事だけだ。.....お前の本気に、想いに、弟が応えないわけがねぇ」
大丈夫だ。しっかりしろ、勝ち続けるんだろ。
俯く私の頭をぎこちなく撫でる手は優しくて暖かかった。彼なりの真っ直ぐな激励が私の空っぽの胸に小さく灯りを灯したようだった。
俯いていた顔を上げて彼を見つめると群青色の綺麗な目の中に泣きそうな自分の姿が映っている。
そうだしっかりしなくちゃ、今は私に出来ることを。
...でも少しだけ。一瞬だけ寄りかかってもいいかな。
そっと彼の肩に寄りかかる。少し身体が跳ねたが、その後は何も言わずまた頭を撫でてくれた。
「(誰にでも、こんな事するのかな)」
ちょっとぶっきらぼうだけど、面倒見が良くてとても優しい人。これまで関わってきた中で十二分にわかっていた。そんな彼なら、他の誰かが辛い時にもこうやって慰めたりするのかもしれない。
途端に黒く、モヤモヤした感情が心に広がる。
「(それは凄く...嫌かも)」
出来るならその優しさを私だけに向けて欲しい、なんて心の中で思う。理由はわかる気がするけど、まだわからないフリをしていたい気がした。
その大会で優勝した後、兄から連絡があった。もう大丈夫だと。試合後に凌牙くんにもお礼を言った。敵に塩を送っちまったなと笑う彼に心から感謝した。じゃれ合いながら自分よりも歳下の男の子に救われてしまったなと少し恥ずかしくなったが、いつかこの恩を返せたらいいと忘れぬよう胸に刻んだ。
結局その年の全国大会の頂点に立ち、そのまま極東アジア大会も制した。世界大会に駒を進め、世界の頂点に立った。
「I would like to dedicate this victory to my younger brother and older brother.
I couldn't have won it alone.And respect to all the players who have fought until now.
I'm proud to have fought against them」
(この優勝は弟と兄に捧げたいと思います、ひとりではとてもここまで来れませんでした。そして今まで戦ってきた全てのデュエリスト達にリスペクトを。彼等と戦えた事を誇りに思います)
これで弟との約束を守ることができた。兄も文句は言わないだろう。暫くはデュエルはお休みして兄弟たちと共に過ごそう。
そう思って家に帰った矢先、兄から一方的にデュエルアカデミアへの転校が告げられた。元から師匠に声はかけられていたが、絶海の孤島であるあの島に拠点を置くことはとても考えられなかった。兄に対して抗議したが取り付く島もなく、すぐにアカデミアへ向かうこととなった。
『何か』があることはわかっていた。私をこの家から遠ざけておきたい何かが。でも兄に聞いても、オービタルに聞いても何も答えてはくれなかった。卒業までは家に戻って来るなと半ば追い出される形で、私は家をでた。
デュエルアカデミアに通うことになったこともあり、大会への参加頻度はぐっと減った。そもそもデュエルチャンピオンがその辺の大会にほいほい出るわけにもいかない。代わりにアンバサダーとして大会を盛り上げてほしいという依頼が増えて私がデュエリストとして活躍することは少なくなった。
過去を懐かしんでいれば望まずともあっという間に時は過ぎていく。そんな時、凌牙くんが予選大会を勝ち上がって全国大会に参加するという話が聞こえてきた。
デュエルチャンピオンになってからの一年間は割と忙しく、凌牙くんや璃緒ちゃんとデュエルどころか話をすることもままならなかった。
「貴方は今、どんなデュエルをするのかな」
目前に迫った全国大会がとても楽しみになった瞬間だった。
♯
遂に二度目の全国大会が開幕した。
私は極東アジア大会からの参加の為ただの見学だが、誰が勝ち上がってくるのかどんな勝負が待っているのかとても楽しみだった。やっぱり本命は凌牙くんだろうか。元からセンスと才能のある子だったが、最近の彼は本当に強くなった。大変上から目線だが前までは余裕で構えていられた部分もあったが今では気を引き締めないと足元を掬われるな、と思う位には成長している。今大会は凌牙くんが獲るか、実力者のⅣが獲るか、下馬評はその二択に分かれているらしい。Ⅳとも何度か対戦した事があり、彼の力は良く知っているが今の凌牙くんの実力なら届くかもしれないと思う位には二人の力は拮抗しているように見えた。これまでの戦績も五分とのことで私含め観客はこの二人の対戦を楽しみにしている。
全国大会の開幕前日、会場で出会った凌牙くんからある宣言をされた。
「オレは絶対にお前の居る場所まで辿り着いてみせる。だから、その日まで誰にも負けんな。そのお前をオレが倒してやる」
握った拳が、群青色の瞳が、私に真っ直ぐに向けられている。彼の本気がひしひしと此方に伝わってくる。
その瞳の中に尊敬以外の色が見え隠れしているようですこしむず痒さを感じる。
私は、デュエルのことを考えている時間が一番楽しい。でもその傍らに貴方がいたなら、きっともっと楽しい。
この感情を貴方が私のところまで辿り着いたら伝えてみようか。そしたら彼はどんな顔をするんだろうか。
「......面白いじゃん。その言葉、忘れないでよね」
貴方が私のところまで辿り着く日を楽しみにしている、約束ね。そう言うと彼の拳に自分の拳をぶつけた。次に会う時は一緒に極東アジア大会に行くときね、と。
でもそれが、凌牙くんと会えた最後の日になった。
同時に私が陽の当たる場所でデュエルを出来た最後の日にも。
「やあやあ久しぶりじゃないか、セツナ」
そのあとすぐに、『悪魔』が私に真実を告げに来た。
兄の隠したかった事実。弟の命を盾に取られたナンバーズハンターという拒否権のない役目。本来なら私に真っ先に白羽の矢が立つであろうその役目を兄はひとりで果たそうとしていた。
悲しみと怒りと絶望が胸の中で混ざり合う。やっと帰ってこれた家で再会した兄は酷く疲れた顔をしていた。
「私も一緒にナンバーズ集めるよ」
ボロボロの兄を抱きしめる。こんなに細かっただろうか。
譫言のように懺悔を繰り返す兄の姿に涙が出てくる。
ああ、私の世界かぞく。気づかない内に壊れてしまっていた。
元に戻す為には今持ってるもの全て捨てなくちゃならない。今まで勝ち取ってきた称号も自由にデュエルを楽しむことも、好敵手ライバルと交わした約束さえ果たす事は叶わない。
ただそれでも、何を犠牲にしても、やらなくちゃいけないことがある。
「......約束を、果たせなくてごめんなさい」
瞼の裏に不敵に笑う彼の姿が過った。そうか、大切なものというのは失ってから初めてその存在の大きさに改めて気付くのかもしれない。でももう、何もかも遅い。
幸せな思い出と淡い想いを閉じ込めて、二度と陽の目を見ぬように深い深い心の奥底に沈めた。
♯
「昨日の準決勝2試合目は神代凌牙選手が勝利し、明日の決勝戦はⅣ選手vs神代凌牙選手というカードに...」
駅前の街頭ビジョンが大々的に昨日の全国大会の結果を伝えている。あれから碌に試合も見られなかったが下馬評の通りあの二人が勝ち上がった様だ。凌牙くん、調子が良さそうで良かった。きっと明日も良い試合になるだろう。
少し買い物に出ただけなのに、寄り道してしまった。キャップを深く被り直して止めていた足を家へ向けて動かす。顔が割れているのでこんな大通りで長時間惚けていられない。
「(貴方が楽しくデュエルをして華々しく活躍しているところを観ることが、今の私の救い)」
全国大会が終わったタイミングで極東アジア大会の出場辞退を発表するつもりだ。私が人の目に触れる場所でデュエルをすることはもうないが、あくまでもプロではなくアマチュアなので引退という概念はない。しかし、アマといえ世界王者にまでなった人間がいきなり何の発表もせずに飛んでしまったら大騒ぎになる、との事でこの形にする事にした。早く言ってしまいたいと思う反面、何も言いたくない気持ちが綯交ぜになって気持ちが悪い。
ナンバーズ・ハンターになると決めてからここまで、フォトン・チェンジしてデュエルする訓練をずっと続けていた。兄の言った通り身体への負荷が凄く、慣れるまで数日かかったが今は大分上手く扱えるようになった。次にナンバーズの情報が出て来れば、私も回収へ向かう事になる。
兄は私がナンバーズ・ハンターになる事を了承はしたが、代わりに幾つかの「条件」をだした。そのうちの一つが使用デッキの変更だった。
「ナンバーズを回収する際『サイバー』を使用する事は禁じる。あれはお前という人間を象徴するテーマだ。暗躍には向かない」
確かに世間では私=サイバーというイメージが定着している。特にサイバー流の正統後継者にのみ所持が許される「サイバー・エンド・ドラゴン」に関しては勿論私しか使用者がいない。幾ら姿を変えようと出せば一発で正体がバレるだろう。
代わりにこれを使え、と差し出されたのは兄と同じ銀河ギャラクシーが主体で構築されたデッキだった。兄と同じ銀河眼の光子竜ギャラクシーアイズ・フォトン・ドラゴンも含まれてはいるが、私に切り札エースとして与えられたのは煌めくような虹色の翼をもつ銀河眼の光波竜ギャラクシーアイズ・サイファー・ドラゴンという名前のモンスターだった。
「このデッキで俺に勝てない様であれば、お前をナンバーズ・ハンターにするつもりはない」
さあ、どうする。と問われ思わず溜息を吐く。
「....私を誰だと思ってるの。サイバー達が使えなくたって私の強さは揺るがない」
舐めないでよねと呆れた様に言うとそれを聞いた兄さんはフッ、と鼻で笑った。
「良いだろう。ならばその力、俺に見せてみろ!」
「望むところよ。多少腕を上げたって聞いたけど、こっちは世界を獲ってるの」
私を甘く見た事、後悔させてやるから。と返すと研究棟の中にあるデュエルフィールドに足を踏み入れる。
『デュエルモード・フォトン・チェンジ!!』
『デュエル!!』
フィールド内に私達の声が反響する。
兄とデュエルするのは久し振りだったが、ハートランドの言った通り別人の様に強くなっている。
「最強のデュエリスト」を育成するためにクリスに稽古をつけてもらっていると言っていたが....これは中々、いやかなり厳しいかもしれないな、と思いながら慣れないデッキの回し方を必死に考えた。結局その日一日中デュエルして兄に勝てたのは最後の一戦のみだった。もう私が兄に勝てるものはひとつも無くなってしまったと、唯一のプライドさえ打ち砕かれた。
ピタリと家に帰る足がまた止まる。何やら騒がしいと思いきや、歴代の様々な大会入賞者のデュエル映像がビルにプロジェクションマッピングで投影されている。その中には楽しそうに、堂々とデュエルする私の姿もあった。サイバーエンドが攻撃を放つ姿を最後に違うデュエリストの映像に切り替わった。
「(......サイバーエンド、)」
ナンバーズを回収すると決めてからすぐに、師匠には連絡をしていた。暫くデュエルが出来なくなる、私では役目を果たせないからこのサイバーエンドをお返しする、と。
師匠は少し悩んだ後そのままでいいと言ってくれた。私はまだ若く悩む事を多い。そして、その時に側にサイバーエンドそれがあれば心強いだろうと。
そもそも師匠が認めた者で無ければ私に挑戦はできない。そんな者はそうそう現れない。
「俺も若い頃は悩み、時に間違う事もあった。君も困難にぶつかったのだろう。大いに悩み、君の答えを見つけてくれ。.....その時まで、サイバー流は俺に任せておけばいい」
その言葉に何も言えなかった。
サイバー流の後継者としての役目を、私はこの先も果たせないだろう。そもそもこれからする事は誇り高いサイバー流に泥を塗るに等しい。この子の持ち主に相応しくない。なのに手放せない、手放したくない。
サイバーエンドこのカードとは沢山の戦いを一緒に乗り越えてきた。私の心、魂と呼ぶに等しい大切なものだ。
するりと腰のデッキケースを撫でる。ごめんね、例え使えなくても、側にいて私を支えてほしいのと心の中で呟く。
雷鳴のようなドラゴンの咆哮が一鳴き、聞こえた気がした。
「ーーねぇ、お姉さん。さっきからボーッとしちゃって大丈夫ぅ?」
ハッと意識が戻る。いけない、またボーッとしていた。目の前には変わった服を着た小さな男の子が笑いながらひらひらと手を振っていた。
「っ、ごめんなさい。大丈夫だよ」
「そっかあ、声掛けてるのにぜーんぜん返事してくれないからボク心配になっちゃった」
まるで魂が抜けてるみたいだったよ、とからから笑う目の前の子どもに再度ごめんね、と返す。
何だか不思議な感じのする子だ。子どもの筈なのになんだか違和感を感じるような、何処かであった事があるような.....。
「あはは、そんなに見つめられたら穴が空いちゃうよお、セツナ」
「!」
「キミはやっぱり鋭いねぇ、僕の違和感に気付くなんて、」
ああ、曲がりなりにもあの憎きフェイカーの娘だからかな。
そう言うなり目の前の子どもが凄まじい威圧感を放つ。私達の周りがまるで強い憎悪と殺気で覆われているようだ。息がうまく出来なくて苦しい。
「バイロン、さん...?」
「...凄いな、この姿でその名前を言い当てるなんてさ。....でも今はトロンって名前なんだよね」
宜しくね、セツナと友好的にこちらに話しかける彼の目は全く笑っていない。
「大分前に、研究の最中に他の仲間と一緒に行方不明になったって...、その姿は...」
「へえ、フェイカーからはそう聞いてるんだね」
でも実際は違うよ、フェイカーは僕を裏切った。
異世界の扉を開けてボクを犠牲にバリアン世界と手を組んだ。死に物狂いで帰ってきたらこんな姿さ、笑えるだろ。
ペラペラと私に語られる言葉達に頭の整理が追いつかない。父がそんな事を?バリアン世界?幼児化?
困惑する私を尻目に、楽しそうにトロンは更に告げる。
「僕はねセツナ、フェイカーに復讐する為に戻ってきたんだ。僕が受けた仕打ちを、苦しみを、アイツにも味合わせてやる為に。キミ達兄弟にも皺寄せがいっちゃうけど、仕方がないよね。だって父親のした事なんだから」
「っ、」
「ーーああ、丁度今楽しい「余興」が始まったところだよ。一緒に観に行こうよ....、キミのだぁいすきな凌牙の、その妹が灼かれる姿をさ」
「!?どう言う事、何であのふたりが...。貴方が憎いのは私達家族だけでしょ!?」
「ほんとはねぇキミを洗脳してフェイカーを倒す刺客にしようかと思ったんだけど、」
キミは優しくて脆すぎる。いくら強くてもすぐに壊れるオモチャじゃつまらないからね。
僕はずーっとキミを見てたんだよ、セツナ。そしたらすぐ近くに優秀な駒になりそうな子がいるじゃないか。そう、神代凌牙だよ!凌牙にはキミと違って才能がありそうだ、復讐の鬼神になる才能がね。
だからその妹にも少し協力してもらうことにしたんだ、彼の心の闇を生み出す為に、ね。
紡がれる言葉の恐ろしさに身が震える。こいつは怪物
だ、でもこのこれを動かしているのは父への憎悪ただ一つ。私の父が犯した罪が、こんな怪物ものを作り上げてしまった。
いけない、無関係なあの兄妹を傷つけるなんてあってはならない。何としても守らなくては。
「....璃緒ちゃんはどこ」
「知りたい?行けばキミも危ないかもよ?」
「いいから早く!あの子に何かあったら、お前を絶対に許さない!!」
トロンの小さな肩を思い切り掴んで怒鳴りつける。余裕そうな笑みを崩さず話しかけてくる。
「いいねぇ、キミの心にも育ってるねぇ心の闇が。
ーーじゃあ行こうか、パーティ会場にさ」
その瞬間、眩しい光に包まれる。ぐにゃりと視界が歪む感覚がすると思うと段々と気が遠くなった。
♯
「ねぇ起きなよ、もうそろそろ面白いものがみれるよ」
「ぅ、」
折角連れてきてあげたんだからさあ、と言うトロンの声で意識が浮上する。頭がボーッとする。
緩慢な動きで上体を起こすとトロンの姿はなかった。気付けば見知らぬ路地裏に移動している。日の光が遮られる薄暗いこの場所は埃と僅かに下水の臭いがした。目の前には大きなゴミ箱があって向こう側からは私の姿は見えないだろう。
少し先から声が聞こえる。デュエルしている声だ。
はっと意識が覚醒する、璃緒ちゃんはどこだ。彼女に危機が迫って...。
目の前で戦っている二人を見る。向こうにいるのはⅣ?こちら側で戦ってるのは璃緒ちゃんか。
何故このふたりがと思った瞬間、Ⅳの使った魔法カードから突如炎が噴き出した。
「これで終わりだ!.....何!?」
「!?、っきゃ...」
「璃緒ちゃん!危ない!!」
「!テメェ、何でここに」
炎は瞬く間に周り一辺を焼き、璃緒ちゃんの頭上に灼熱の瓦礫を降らせる。
一心不乱に彼女めがけて走る。降り注ぐ瓦礫から彼女を守る様に覆い被さると、すぐに違う人間が私の上から私達を守る様に庇われる。
「っ、あっ...」
「くっ....」
衝撃が走ったかと思うと左肩が燃える様に痛む。
降ってきた瓦礫が当たって火傷したのだろう。歯を食いしばってどうにか痛みに耐える。私の上から瓦礫を防いだⅣは顔が大きく傷ついていて、痛みに顔を歪めている。私の腕の中の璃緒ちゃんは頭に瓦礫が当たったのか血を流しながら意識を失っており、早く病院へ連れて行かなければ危険な状態だ。
もう周りは火の海で息をするのもやっとだ。早く逃げなければ、焼け死んでしまう。意識のない璃緒ちゃんを右肩に抱える。体格の同じくらいの意識のない璃緒ちゃんを怪我した状態の私がこの環境下でひとり運び切ることは難しい。
「くっ、トロン!!俺はこんなこと、」
「Ⅳ!お願い、手を貸して!璃緒ちゃんを早く病院に、ここに居たらみんな死ぬ!」
「っち、クソ...」
「早く!!」
何か見えているのか虚空に向かって怒鳴るⅣに協力を求め、すぐに両サイドから璃緒ちゃんを抱えて歩き出す。
命からがらどうにか安全な所まで来るとうっ、と璃緒ちゃんから声が漏れた。
「!璃緒ちゃ、」
「凌牙.....」
「、っ」
「.....ごめんなさい、っ」
呟いてまた意識を飛ばした彼女に謝罪してもしきれない。こんなに危険な目に遭わせてしまった。
騒ぎに駆けつけた救急車がもうすぐ近くまで来ている。すぐ目に付くところに彼女を寝かせて、救急車の到着を見送った後足早にその場を立ち去った。
「Ⅳ、貴方どうして。どうしてこんな事を...」
「.....俺はトロンに従うだけだ。俺だけじゃねえ、俺たち兄弟はトロンの、父さんの復讐の為なら何だってやる。憎きフェイカーへの復讐の為なら何だってな。
ーーフェイカーの娘であるお前も例外じゃねえ」
次はお前のもつナンバーズを頂く、容赦はしねえ。
そう吐き捨てるように言うとⅣはすぐに姿を消した。
燃えるように痛む肩を抱えて何とかタワーに戻れば、直ぐにドロワと出会った。
ゴーシュとドロワとは出会いこそ悪かったが、直ぐに打ち解けて今は一緒にナンバーズ・ハンターの訓練をしている。今ではふたりとも頼れる兄と姉のような存在だ。
「!?何だその怪我は...、直ぐに病院へ行け!今カイトを呼んで、」
「だめ、呼ばないで」
「何を言ってるんだ!大火傷じゃないか...早く手当しなければ傷が残って、」
「兄さんには黙ってて、何も言わないで。病院へも行かなくて平気だよ大した事ない。それに、」
自分のせいなの、だから平気。弱々しく彼女の服を掴む。泣き顔を見せないように俯くとぽたぽたと涙が溢れて無機質な床に染みを作っていく。酷く困惑した様子のドロワが緩く私を抱きしめてくれた。
「(どこで、何をしていれば、こんなことにならなかったんだろう)」
考えても考えても、答えは見つからなかった。