「わっすまねぇ、ほんとにごめんな!」
どん、と衝撃が左肩に走る。痛みに顔を顰めると一人の少年が申し訳なさそうにこちらの顔を覗いていた。
よそ見していたのかどうやら私にぶつかってしまったようだ。
「...大丈夫だよ、気をつけてね」
「ああ!.....ってやべぇ、遅刻だー!」
謝罪もそこそこに慌ただしく彼は走り去っていく。
あれは中学の制服だった気がする。赤は1年生だったかな。
平日朝。ハートランド学園前。
今は1限が始まるまでギリギリの時間。悠長に歩いているのは私くらいで偶にみかける人間は皆、遅刻を回避するため全力で走っている。さっきの子間に合うといいけどな、と思いながら足を進めようと動かすとカチャと金属が擦れるような音がした。
「...何これ、ペンダント?」
ローファーの爪先あたりに転がる金色を拾い上げる。不思議な形をしていて首から下げられる様に紐が通してあるが劣化して切れてしまったようだ。材質はわからないが重厚感があり、安物でない事は明らかだろう。
さっきの子が私にぶつかった時に落としたのだろうが...、顔を上げて探すがもう後ろ姿も見当たらない。
手の中にあるペンダントは陽の光に当たってキラキラと輝く。大切な品、だろうか。紐が切れるほど長い間首に下げて持ち歩くのくらい。
別にあの子とは縁もゆかりもないが、このまま捨て置くのも何だか寝覚が悪い気がする。
はぁ、とため息をひとつ吐くとペンダントをしまって学校へ向けて歩き出す。まだ遠い校舎から始業のチャイムが鳴り響くのが聞こえた。
♯
「何だよ自習じゃねーかよお...」
「命拾いしたな遊馬」
「毎朝毎朝、懲りないんだから」
「うるせーなあ、って...無いっ!無い!皇の鍵が無い!!」
「どうしたの遊馬?」
「忘れ物か?」
「皇の鍵がないんだよおー!」
「皇の鍵って、あのいつも首に下げてるペンダントのこと?」
「その様子だと走ってきた時にどっか落としてきたんだろ」
慌てた様子で机やカバンをひっくり返す俺に気づいた小鳥と鉄男に皇の鍵がない事を説明するとやれやれ、
とふたりとも呆れ顔だ。
今朝は寝坊して急いで家を出たけど鍵は忘れずに首に下げていた筈だ。どこで落としたんだろうか。
走っているうちに何処かへ飛んでいってしまったのか、それとも何かにぶつかった拍子に...
「あー!!」
「びっ、くりしたぁ...もう今度は何よ!」
「あの時だ、学校に入ってすぐに女の人にぶつかったんだよ、オレ」
「何やってんだよ遊馬」
「やっぱり自業自得じゃない」
「だぁぁあうるせええ!きっとその時だ。とにかく、その人が拾ってくれてるかもしんねー!探すしかねぇ!」
「遊馬と同じ時間に登校してるって大分遅いけどこの学校の生徒かしら、特徴は覚えてるの?」
「あー、制服は着てたけどなんか小鳥とは違う感じのやつだったような...」
「高校の制服か?お前そんな年上の先輩にぶつかったのかよ」
「その他に何が覚えてないの?それじゃ絞り込めないわ」
ふたりにそう言われ思い出そうとするものの、猛烈に急いでいたせいで正直あまり記憶がない。
「うおおカッとビングだぜ、俺ええ」
「こりゃ無理だな」
「その人が学校の落とし物として職員室に届けてくれてるかもしれないし、一度先生に相談してみても
いいかもしれないわ、と続けようとした小鳥の声は教室の外から聞こえる大きな歓声で聞こえなかった。
興奮したような何人もの声が聞こえるが、何かあったのだろうか。
「何だ?何かあったのか?」
「凄い騒ぎみたい、ちょっと様子を見に行ってみましょ」
「お、おう」
外の騒ぎの原因を確認する為に扉から廊下へ出ようかと話していると、閉まっていた扉がガラリと動いた。
「あ、いたいた。朝の少年」
ひらひらと手を振りながらにこりとこちらをみて笑う女の人は確かに朝オレがぶつかった人に間違いなかった。
♯
「いたいた、『九十九遊馬』くん」
ひらひらと手を振りながら近づいていく。距離はあるが声が大きく「あの人朝オレがぶつかった女の人だ!」と周りの友達に声をかけているのが聞こえる。
「コレ、探してない?紐が切れて落ちちゃったみたいよ」
「!オレの皇の鍵!やっぱアンタが拾ってくれてたんだな!」
ほんとにサンキュー!と私が差し出したペンダントを受け取ると少年は満面の笑みを浮かべる。
やっぱり先輩じゃない、ちゃんと御礼言いなさいよね!あと敬語使いなさい!と隣の女の子はダメ出ししながらも遊馬がご迷惑おかけしてすみません、と謝ってくれたので気にしないでいいよと返しておく。様子を見るに随分仲がよさそうだ。
それにしても「皇の鍵」だなんてまた大層な名前の代物を拾ったものだ。
「落ちてるのに気づいた時には君もう居なくてさ。制服と外見だけなんとなく覚えてたからその辺の子達に聞いてここまできたのよ。九十九遊馬くん」
君有名人だねと笑うと、へへっ!そうでもないぜーと自慢げに胸を張る。隣の女の子はやれやれと頭を抱える。
「そういや名前聞いてなかったぜ!先輩、なんだよな?」
「そうだよ、中学じゃなくて高校だけどね」
「やっぱ先輩だったんだな!助かったぜ!…、えっと名前は」
「ああ、私は...」
「遊馬!お前なんて人に迷惑かけてんだ!」
いきなり大きな声がして3人ともびくりと体を震わせる。そういえばこの子私が来てから今まで俯いて何も喋らなかったが、どうしたのだろうか。
「て、鉄男?」
「どうしたの鉄男くん、いきなりそんな大きな声出して」
「大声だって出すさ!その人がどんだけ凄い人か、遊馬も小鳥も知らないのかよ!」
唇をワナワナと震わせ、興奮気味に拳を握りながら力説する彼の言っていることがさっぱりわからないふたりはキョトンとした顔を見合わせて首を傾げた。握り拳をプルプル揺らしながら鉄男と呼ばれた少年は続ける。
「その人は『天城セツナ』さん!お前の目指してるデュエルチャンピオンだぞ!!」
「...な、なんだってぇ!アンタがデュエルチャンピオン!?」
「お前目指してるって言う割に何でこういう情報に疎いんだ!?」
「!そういえば前にテレビで観たことあるわ。最年少デュエルチャンピオンだって」
「あー…、でも元だからね、元。一昨年の話だし」
覚えていてもらえるなんて光栄です、握手でもする?と鉄男くんに冗談で手を差し出すと「あああ、ありがとうございます!もう一生手洗いません!」と宣言された。そこまで喜んでもらって嬉しいが手は洗って欲しい。
三者三様のキラキラとした眼差しを向けられるが「今の私」には中々堪える状況だ。
「.....ここまで来るのもそうだったけど、暫く大会には出てないのに覚えててくれる人が多くてびっくりしちゃった」苦笑するとそりゃあそうですよ!と鉄男くんは鼻息荒く続ける。
「貴方は14歳で全国、極東アジア、そして世界王者にまで上り詰めた正真正銘の天才です!しかもサイバー流の正統後継者!もう凄すぎてオレ達機械族を使うデュエリストの間じゃ神様みたいな存在なんです!」
実際その影響で機械族を使用するデュエリストが増えたってニュースでも話題に...と鉄男くんは目をキラキラさせながらこっちに伝えてくる。
「いやいや神様なんて...大袈裟だなあ。私なんか全然普通の、」
「あー!これか!」
「えーっと...、『僅か14歳で世界の頂点に立った我が国の誇る最強デュエリストの一人。機械族、中でもサイバー流の使い手であり油断するとその圧倒的な力で一瞬で勝負を決められてしまう。その姿から国内外で「機械族の女王」「黒い稲妻」と呼ばれている。しかし 昨年、連覇のかかった極東アジア大会前に出場辞退を発表。その後公式大会への参加は無く今後の活躍が注目されている...』ってデュエルモンスターズ大会運営局のデュエリスト紹介に載ってるわ」
「え、まだそんなの残ってたの...、読まなくていいよそんなもの」
「お、動画もあるぜ!」
「こらこら、見なくていいってば!」
「こりゃ一昨年のハートランド市主催の大会だな。名勝負って話題になったやつじゃねえか」
「!」
鉄男くんのその一言にある人物の姿が浮かぶ。
それは初めて「彼」に会った試合だ。青く綺麗な瞳をした、藤色の特徴的な髪型をした男の子。私よりも歳下なのに、使用難度の高い水属性主体のデッキを巧みに使いこなすその姿には驚かされたものだ。
「水属性の貴公子」だなんて素敵な二つ名じゃない、と笑うと「ガラじゃねえよ」と苦虫を噛み潰したような顔で言っていたのが懐かしい。
彼にはセンスも才能もあった。本当なら今だって表舞台で活躍していたはずの素晴らしいデュエリスト。.....なのに、
彼は今、表舞台そこにはいない。
静かに拳を握りしめる。爪が皮膚に食い込む痛みがこれが現実なんだと私に改めて伝えてくる様だった。
三人は対戦動画に夢中な様で食い入る様にDパッドの画面を見ている。
一緒になって覗いてみると動画はダイジェストの様に途中途中編集されていて、今は勝負を決めた私のターンが流れていた。攻撃を通そうとする私に対して上手に魔法と罠カードを使ってくる彼だったが、それをカウンター罠とモンスター効果で捩じ伏せて私が試合を決めたのだった。
勝敗がついた後、握手しながら会話する私たちを一瞬映した後動画は終わった。
「すっ、げー....セツナも強ぇけど相手も凄え」
「何だか、上級者同士の戦いって感じだったわ」
「.....シャークってこの時からこんなにデュエル上手かったんだな」
「!鉄男くん、だっけ?彼のこと知ってるのね。
....この試合、懐かしいな。私、彼とはこの後何度もデュエルしたけどこの試合は特によく覚えてる。彼と戦うのはいつも楽しかったなあ。優秀な力をもっていて、でもそれに胡座を描かず磨く努力も出来る。本当に素晴らしいデュエリストだった」
「へえー、このシャーク?って人もそんなに凄い人なのね」
「なんか聞いたことねえ?その名前」
「......ああ、シャークはうちの学校の生徒だ。シャークは去年の全国大会に出場する位凄ぇデュエリストだったけど、大会で失格になってからは悪い奴らとつるむようになって....、今じゃアンティールールでデュエルに負けた奴のデッキを奪ったりする様な奴になっちまったんだ」
今じゃ学校一の札付きって呼ばれてみんな怖がって近寄らねえ....、セツナさんは知らなかっただろうけど...。
そう複雑そうな顔でいう彼に此方もそうなんだ、とさも深刻そうな顔をして答える。
「(知ってるよ、彼が落ちぶれてしまっていることは。そしてその理由が何かも、ね)」
治った筈の左肩が一瞬燃える様に痛む。顔を顰めながら右手で押さえると遊馬と小鳥と呼ばれた少女が心配そうに此方に声をかける。
「おい、大丈夫かよ」
「セツナさん?肩になにか...」
「大丈夫大丈夫。ちょっと筋肉痛なだけ。ありがとね、遊馬くん、小鳥ちゃん」
なんか凄え痛そうな顔してたから...、ならよかったぜ!と答える遊馬くんの言葉が胸に突き刺さる。
痛いよ、ずーっと。私が全て捨てた日から、彼等を不幸にしてしまったあの日から。肩なんか比じゃない、心がずっと軋み続けてる。
そう答えられるわけもなく「昨日遊びすぎちゃってさあ」と適当にヘラヘラ笑うと小鳥ちゃんも「それならよかったですけど...、気をつけて下さいね!」と笑っていた。
ふたりと話していると鉄男くんがハッとした様に私に問いかけてくる。
「でも、何であなたがこんな所に?デュエルアカデミアに通ってるって....」
「つい最近ここの高校に転校してきたの。まだ何回かしか来てないけどね」
「そうだったんですね!」
「まさかセツナさんと同じ学校に通えるなんて...夢見たいだぜ」
喜ぶふたりにニコりと笑いかけると、はいはい!はーい!と元気良く遊馬が話し出した。
「じゃあさ、じゃあさ!今からオレとデュエルしようぜ!」
「はあ!?何言ってんだ遊馬、いつもオレにすら敵わないのにセツナさんに相手にしてもらえるわけないだろ!」
「何だと!やってみなきゃわかんねぇだろ!」
「ちょっと、ふたりとも。セツナさん困ってるわ」
「ふふ、いやあ元気だねふたりとも」
でもごめんね、今はデュエルしてないの。
苦笑いしながらそう返すと言い合いをしていたふたりがピタリと止まった。
「何でだよ!デュエル辞めちまったのかよ!?」
「それはオレも気になって...1年前いきなり出場辞退したかと思ったらそれ以来大会にも出てないのは何でですか!」
「ふたりとも遠慮なく聞きすぎよ!」
いいよ小鳥ちゃん、ありがとね。と声をかけると遊馬と鉄男くんに向き直る。
「実は家の事情で1年前からちょっと忙しくって。…色々片付いたらまた復帰しようと思ってるんだけど、
今はお休み中なんだよね」
この学園に来てから何十何百と繰り返したセリフはすらすらと私の口から溢れていく。こう言えば深く追求してくる者はいないのだ。
「だから今はデュエルやってないの。ほら、デッキも持ってないし、ごめんね」
まあ、正確には『人様の前で見せられるようなデュエルは』だが。
腰にも手にも何も付けてないし持っていない事を見せると本当だ、と男の子二人は納得した様だ。
「そう、なんですね。事情はよくわかんないですけど、みんなセツナさんが戻ってくるの待ってますから!」
「おう!いつかデュエルしてくれよな!それまでカッとビングで特訓するぜ!オレ!」
彼等から純粋にデュエルが好きだと言う気持ちが伝わってくる。少し前までは自分も、こんな風にデュエルを楽しんでいたのに。
痛む心に気づかないふりをして、ありがとういつかやろうねとにこりと笑みを貼り付ける。
こんな話すつもりじゃ無かったのに長居し過ぎちゃったなと教室の時計を見ると次の授業開始が迫っていた。
「じゃあ、私はこれで」
「ああ!今度絶対、デュエルしような、約束だぜ!」
「ーーうん、約束」
またね、と三人に声をかけると教室を出て高校の校舎を目指す。廊下にはたくさんの生徒がいたがその視線の殆どが自分に注がれているのが分かる。ニコニコしながら手を振ると歓声が上がった。
表舞台から姿を消して1年経っても『天城セツナ』は今も変わらず人気者なのだと思い知らされる。こんな目立つんじゃ行動には気をつけなくちゃいけないな、と溜息をついた。
ふと立ち止まって窓ガラスに映った自分の顔をみる。
「(約束、だなんてどの口が言えんだろ)」
はは、と自分に向かって小さく嘲笑した。
みんなの想像する私はもう居ないのに。それでも人前で必死に「チャンピオンのセツナ」を演じてる自分はまるで道化だ。
他者から向けられる羨望や尊敬の眼差しにはもう絶望しか感じない。ずっと息苦しい。
教室にたどり着くまで後少しのところでDゲイザーが鳴っているのに気がついた。とっくに予鈴は鳴っていて辺りには誰もいなかったが発信者を確認しながら近くの空き教室へ入る。
「もしもし」
「...授業中じゃないのか」
「そう思うならなんで電話してきたんだよ」
「折角学校に行ってるのなら真面目に授業を受けろ」
「自分は不登校の癖によく私にそんなこと言えるね」
「ハルトの側を離れる訳にはいかないだろう。それに、そんな所に態々通わずとも卒業に必要な単位を取るくらい容易い」
「はいはい、流石は天才ジーニアス」
適当に椅子に腰掛けてDゲイザーに向かって話し続ける。画面にはsound Onlyと表示されており相手の姿は見えない。
「...ナンバーズを発見した。今晩一緒に狩りに出る」
なるべく早く帰ってこい、と電話口の主は伝えたことに満足したらしく一方的に電話を切った。
「.....今度は何処の誰の魂を奪い取るのかな」
暗くなったDゲイザーを転がすと頭を机に預けた。
たくさんの注目を浴びたからか、思い出さない様にしていた彼の話をしたからか、少し疲れた。
「ーーオレは必ず、アンタの所まで辿り着く。だからその時まで誰にも負けんな。そのアンタを、オレが必ず倒してやる!」
「.....へえ、面白い。その言葉忘れないでよね」
約束ね。そう言って笑い合って拳を合わせたのは遥か遠い昔な気がしてしまう。たった一年で私と貴方を取り巻く環境はこんなにも変わってしまった。
勿論、悪い意味で。
ねぇ凌牙くん。約束、果たせなくなってしまってごめんなさい。
貴方たちに降りかかった不幸は全部、私のせい。何度謝っても許されないことではない。貴方を助けたくても、とても顔なんて合わせられない。私は落ちる所まで落ちて、手は沢山の罪で真っ黒に染まってしまった。本当ならデュエルする資格すらない。できる事なら今すぐにでも消えてしまいたい。
口にできない懺悔を、心の中でもう何度繰り返しただろう。同じ学校に来たって、顔なんて合わせられる筈ないのに一体何をしてるんだろう。
「......早く誰か、私を地獄送りにしてよ」
空の教室にぽつりと言葉が浮かんで消える。私の気持ちなど、感情など関係ない。
一年前のあの日から、兄と共に何もしても、全て捨てても弟の為に生きると決めた。ただそれだけのために何枚ものナンバーズを回収してきた。全てのナンバーズを集め終えるまで、ハルトが再び笑顔を取り戻すまで、この足を止める事はない。
ーー例えそれが、罪なき者の魂を犠牲にしなくてはならないとしても。
窓の外を見る。さっきまでの晴天は嘘の様に、太陽は何処にも見えない。
今は灰色の雲が何処までも重く空に広がっていた。