「あはは。いい事言うねえ、遊馬」
闇夜に響く地面を蹴るヒールの音。女にしては少し低い声がオレの鼓膜を揺らす。声の主を忘れたことなど無い。ずっともう一度聞きたいと思った声に、一瞬呼吸が止まる。
月明かりがまるで舞台の女優を照らすかの様にその姿を鮮明に映し出すと、そこにはあの頃と同じ眩しい銀の髪を纏って薄く微笑む彼女の姿があった。
「ーー久しぶり、凌牙くん」
「....アンタ、なんで....」
ずっと会いたかったやつが目の前にいる。夢を、幻を見ているのかもしれない。
声が掠れて上手く話せない。聞きたい事だって言いたい事だって山程ある。何でこんなところに、今までどこに行ってたんだ、璃緒がずっと目を覚まさねえんだ、アンタは何でデュエル辞めちまったんだよ。でも、そのどれもが何故か喉につかえて出てこない。
困惑するオレの様子を見てまた優しくこちらに笑いかけた後、その笑みは途端に失望の色に変わった。
「....せっかく私が観に来てあげたのに、この程度の相手にこの体たらくは何?少し見ない間に、本当に腕が錆びついちゃったのかな?....そんなんじゃ永遠に私の所には辿り着けなさそうね」
「なっ、」
やれやれ、と穏やかな声色とは裏腹に手厳しい指摘がバンバン飛んでくる。これまで褒められることはあっても厳しい言葉を投げかけられたことはない。絶句して言葉を返せないでいると隣から彼女の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「セツナ!」
「遊馬、貴方も気合い入れなさい。そんなんじゃ勝てないよ」
「…彼女も来ていたのか」
「お、おう!わかってらあ!」
「!お前ら、知り合いなのか」
気安く話すふたりに関係性を尋ねようとした時、向こう側から叫び声にも近い興奮した声が聞こえた。
「ほお…、ありゃあ、天城セツナじゃねえか?」
「は、マジかよ!…うっわ、やっぱすっげえ美人じゃん、たまんねー!」
「なぜこんな場所にいるかは知らねえが、あんなイイ女に声をかけねえ手はねえな」
「おーいセツナちゃあん、そんなガキ共と喋ってないでオレ達と楽しいコトしようぜえ」
ぎゃははは、と海王の笑い声が響き渡る。明らかに彼女を軽んじた下品な物言いに苛立ちで何本か脳の血管が切れそうだ。
当のセツナは至極つまらないものを見るような顔を僅かに陸王と海王に向けるだけだった。彼女が何も言わないならと怒りに任せ言い返そうとした時、突如セツナから笑い声が聞こえてきた。
「あはは!何それ面白い!この私が?アンタ達みたいな雑魚と何しようって?とーっても不愉快だからそのヤニ臭い口閉じときなよ。あと寝言は寝て言いな、オジサン」
「…何だと?」
「ああ?もう一遍言ってみやがれ」
「あら、頭も悪けりゃ耳も悪いのねかわいそうに。優しいからもう一回言ってあげる。
ーーお前らみたいなイカサマクズ野郎とは関わるだけ時間の無駄なんだよ。とっとと地獄に落ちろ、カスが」
「……」
「こ、こっわ…姉ちゃんと同じくらいこええ…」
「彼女、相当怒っているようだな…」
陸王と海王を馬鹿にし鼻で笑いながら棘だらけの言葉を浴びせかけるセツナに隣の遊馬はすっかり震えあがっている。元から感情が高ぶると口調が荒くなることはあったが、基本的に穏やかな彼女がここまで苛立ちを全面に表している姿は見たことがない。それだけ奴らが彼女の地雷を踏んだということだろうが。
「テメエ、黙ってりゃつけあがりやがってこのクソアマがあ!」
「大体、お前が仲良く話してたそこのカスもイカサマ野郎じゃねえか」
「ああ、そうらしいね。…何してんのアンタ、バカなの?そんな基本的なルールも忘れちゃった?」
「、っ……」
「なっ、そんな言い方ねえだろセツナ!」
「イカサマ」という単語に反応した陸王が再びオレを指差しながら鼻で笑う。彼女も心底呆れたといった表情を隠しもせず「ありえない」と呟きながらオレを見据える。あの日からこの人に自分の犯した罪がバレることが、軽蔑されることがずっと恐ろしかった。その日が遂に来てしまった。
何も言い返せず視線を落としそうになった時、「…で?」とセツナが続けた。上げた視線の先の彼女はこちらではなく陸王の方を向いていた。
「…は?」
「一度違反で失格になったから、何?それだけって話でしょ」
「なっ、わかってんのか!全国大会の決勝だぞ!」
「そうね。たかがアマチュア大会の、たかが国内の一等賞を決めるってだけでしょ」
「てめえ…」
ははちょっと言いすぎかなあ、でもそれで?と返す彼女に陸王と海王は苛立ちながら歯ぎしりしている。確かにその返しは世界王者セツナにしか出来ない。
黙るふたりに用はないと言わんばかりに、今度はまたオレの方を向いて彼女は続ける。
「まあ、でも…、だから今日確認しに来たんだよね。本当に貴方が救いようのないカスに成り下がったのか、どうなのか。私はね、自分の目で見たものしか信じないの。だから見てるよ、貴方が今から私にどんな姿を見せてくれるのか。貴方のデュエルが偽物なのか、本物なのか」
「……」
「ねえ、凌牙くん。一度道を踏み外したら、もう二度と這い上がってきちゃいけないなんて誰が決めたの。勝手に諦めて、そこでお終いだって決めつけたりしないでもっと足掻きなよ。過去は変えられない、でもこの先は貴方次第で何とでも変えていける。いい?もう下を向くのも、後ろ振り返るのも許さない。そろそろ悪ぶって腐ってるのも飽きたでしょ?
貴方はもう、ひとりじゃない。一緒に戦ってくれる大切な友達がいるでしょう。ーー早く立ち上がって、前に進みなさい」
「セツナ、お前…」
「……いきなり出てきたかと思ったら、ずけずけと。勝手なことばかり言いやがって」
青みがかった灰色の瞳が真っ直ぐにオレだけに向けられている。真剣な眼差しでそう言った後、彼女は一層優しく微笑んだ。その顔に思わず息をのむ。奥歯を噛みしめていないと感情が溢れそうだ。苦し紛れの悪態を吐くとごめんごめん、と思ってもいないような軽い謝罪が返ってきた。
「ーーそんなに言うなら見せてやるよ、オレのデュエルを」
「シャーク!」
「……ええ、しっかりと見させてもらうわ」
オレの返答に満足そうに口角を上げるとくるりと背を向け、デュエルの邪魔にならない場所まで下がっていく。よく見れば近くには遊馬の友達もいるようだ。その姿にまた海王がセツナに噛みつく。
「おい!まだこっちの話が、」
「しつこいな、…わかったわかった。じゃあこのふたりに勝ったら遊んであげるよ」
うんざりしながらそれでいいでしょ、と彼女が言い放つと海王は隣の陸王と顔を見合わせニタリと厭らしい笑みを浮かべた。
「その言葉忘れるんじゃねえぞ」
「こーんなガキ共すぐに片づけて、すぐにオレ達の相手してもらうからよお」
陸王と海王は俄然やる気がましたようでこちらをより敵意に満ちた目で睨みつけてくる。上等だ、そんな口二度と叩けねえくらい粉々に噛み砕いてやるよ。
氷漬けにされたホープを見て不安そうにする遊馬にむかって声をかける。
「…遊馬」
「えっ、」
「このデュエル、勝つぜ」
「!」
あの人の見ている前で、もう無様なデュエルはできない。考えろ、ここからこのデュエルに勝利する道を。
「俺のターン!ドロー!」
♯
海王を倒し、怒り狂う陸王の猛攻を防ぐ凌牙くんと遊馬。罠カード「ラスト・エントラスト」の効果で凌牙くんから遊馬に1枚のカードが渡される。
「無駄な足掻きを…永続魔法「ツイン・ヴォルケーノ」発動!このカードは自分のターンのスタンバイフェイズに500ポイントのダメージを与え、更にこのカードを墓地に送ることで500ポイントのダメージを与える!」
「ってことは、」
「そうだ、奴のターンが来ればふたりのライフはゼロになる」
「これでオレ達の勝ちだ!」
「覚悟するんだな、がっはっは!」
「くっ…」
「諦めるな。まだオレ達に勝機はある」
「…オレのターン、ドロー!!」
手札を見ながら必死にこの次の一手を考える遊馬に、まるで気づけと言わんばかりに凌牙くんは横目で視線を送っていた。この試合はタックデュエルだ、ひとりでは勝てない。そして恐らくは先程凌牙くんが渡したカードが逆転の一手なのだろう。あのタイミングで、彼が無意味なカードを味方に渡すはずがない。それに遊馬が気づくことが出来れば…。
そう思いながら試合を見守っていると手札を選ぼうとした遊馬の指が止まり、静かに正面を向く凌牙くんを見た。
その瞬間、何かに気付いたように目を見開く。止まっていたデュエルがまた動き出した。
「オレは手札から魔法カード『死者蘇生』を発動!」
「ホープを特殊召喚するのか!」
「…いや、違うな」
「オレはシャークの墓地から『ブラック・レイ・ランサー」を特殊召喚!」
「はっはっは、どうして攻撃力の低い『ブラック・レイ・ランサー』を。やはりド素人だな!」
「それはどうかな」
「何!?」
「オレは手札から魔法カード『アーマード・エクシーズ』を発動!」
「…このタイミングでそのカードか、」
「え?」
「どういう、」
「この勝負、遊馬と凌牙くんの勝ちだよ」
私の言葉の意味にこちらを見ながら疑問符を浮かべる小鳥ちゃんと鉄男くんにいいから見てなと声をかける。
「アーマード・エクシーズ!?」
「オレが渡した、モンスターエクシーズ専用カードだ!」
「このカードは自分の墓地にいるモンスターエクシーズ1体を自分のフィールドにいるモンスター1体に装備する!現れろ!希望皇ホープ!希望皇ホープをブラック・レイ・ランサーに装備!」
そういうとブラック・レイ・ランサーの身体にホープがパーツのように装備されていく。金色の鎧を纏った黒い騎士が場に現れると、流石に陸王の表情にも冷や汗が滲む。
「はっ、いくら攻撃力が2500になろうとナンバーズはナンバーズでなければ倒せないのを忘れたか!」
「それが倒せるんだよ!」
「「何!?」」
「ブラック・レイランサーは『アーマード・エクシーズ』よりホープとして扱われる!」
「つまり、疑似的なナンバーズになれるんだ!」
「疑似的なナンバーズだと!?」
「それじゃヴォルカザウルスが…」
「行け!ブラック・レイ・ランサー!ヴォルカザウルスに攻撃!」
ブラック・レイ・ランサーの槍がヴォルカザウルスを切り裂くとすさまじい爆風と共に陸王のLPが削れていく。
「くっ、ぐああ!」
「更に『アーマード・エクシーズ』は装備したホープを墓地に送ることで」
「ブラック・レイ・ランサーの攻撃をもう一度可能にする!オレはホープを墓地へ送る。いけ、ブラック・レイ・ランサー!陸王にダイレクト・アタック!!」
「ばっ、バカな…」
「ブラック・スピアー!!」
黒い槍が陸王を貫くと、その衝撃と共に大きく吹き飛んでいった。LPはゼロとなり、ブザーの音が共に勝者を告げた後ARビジョンは崩れていく。
喜ぶ小鳥ちゃんと鉄男くんに良かったねと声をかけ、背を向ける。
「セツナさん?帰っちゃうんですか!?」
「うん、もう用はないからね。みんなも早く帰りな。…あ、遊馬にも伝えておいてね。「こんな夜遅くに出歩く悪い子は、怖い奴に魂を取られちゃうぞ」ってさ」
「は、はあ…」
「ふふ、じゃあね」
「待ってセツナさん!…シャークには、シャークには何か言ってあげないんですか!?」
去ろうとする私の手を掴み、顔を覗き込んでくる小鳥ちゃんに鉄男くんもそ、そうですよ!と続く。
「シャークのこと本物のデュエリストかどうか見極めるって言ってたじゃないですか!」
「…じゃあ、『私はおばあちゃんになるまで待つ気はないよ』とでも伝えておいて」
きょとんとするふたりにくすり、と笑う。小鳥ちゃんに掴まれた手をそっと外してもう一度それじゃあ、と告げるとその場を後にした。
♯
デュエルが終わりナンバーズを失うと、正気に戻った陸王と海王はそそくさと尻尾を巻いて逃げだした。遊馬の元にはすぐに友達ダチが駆け寄りその勝利を喜んでいる。オレはセツナと話すべくその姿を探すが、
「いねえ、」
さっきまで居たはずの彼女の姿が何処にも見えない。辺りを探すように見渡していると遊馬があっ、と声を上げた。
「そういえばセツナいなくね?」
「それは…」
「あー…、なんか、もう帰っちゃって」
「は?」
「おっ、シャーク!?」
「おい、本当かそれ」
「え、ええ。呼び止めたんだけど…「もう用はないから」って」
「アイツ…」
突然居なくなったかと思えばいきなり現れる。好き放題言っていったかと思えばまた勝手に居なくなる。あの女、どこまでこっちを振り回せば気が済むんだ。
チッ、と舌打ちし踵を返すとバイク置いてある場所まで歩き出す。まだそう遠くまでは行ってねえ筈だ、絶対に探し出してやる。
「ちょ、どこ行くんだよお前!…待てよ、『アーマード・エクシーズ』こいつを返すぜ!」
「…やるよ、そのカードは。ヘボデュエリストが、少しは成長したようだな」
「んな、ヘボってなあ!」
「フッ、じゃあな」
そう返しもう一度足を進めようとすると遊馬の友達ダチの女子の声が追いかけてきた。
「待ってシャーク!貴方に伝言よ、セツナさんから!」
「…アイツからオレに?」
「えっと、『私はおばあちゃんになるまで待つ気はないよ』だそうよ」
「!」
「はあ?なんだそれ」
「さあ、私もさっぱり…」
「…相変わらずオレを煽るのがうめえな」
「え?」
「どの方向へ行った」
「あ、あっちに歩いてったけど…」
セツナさんの消えた方向を指さすとシャークは何も言わず、足早にバイクに乗り込み伝えた方向へ走り去っていった。残された私たちはその後ろ姿を見送る。ふと、もう一つ伝えなければならないことを思い出した。
「鉄男くん、そういえばセツナさんから遊馬にも伝言なかった?」
「ああ、そういえば「こんな夜遅くに出歩く悪い子は、怖い奴に魂を取られちゃうぞ」だったか?」
「はあ?何だよそれ」
「早く家に帰りなさいってことでしょ。デュエルは明日にしましょ!」
そういって遊馬と鉄男くんと共に帰宅すべく歩き出す。
「(それにしても、)」
セツナさんとシャーク、一体どういう関係性なのだろう。セツナさんは遊馬に「そんなに仲良くない」って言っていたけれどそんな風にはとても見えない。隣でデュエルを見ていた彼女の横顔を時折見ていたがデュエル中のシャークを見守る眼はまるで好きな人を見つめているように楽しそうで嬉しそうだった。
もし今度会えたらそれとなく聞いてみようかな、なんて思いながら友人たちと共に夜の街を歩いた。
♯
美術館を出て、夜道をひとり歩きながら手早くDゲイザーを操作する。電話の相手は溜息を吐きながらも了承してくれる。
「…全く、オレを足にする女はドロワとお前くらいだぜ」
「ごめんごめん、ちょっとここから自分で帰るのめんどくさくなっちゃって」
「夜遊びした帰りに別の男を迎えに来させるたあ、カイトが泣くノリだな」
「いや、言い方ね」
いやむしろ烈火の如く怒り散らしてお前の遊び相手を消し炭にしそうだな、笑いながらと縁起でもないことを言い出すので兄さんには内緒にしといて、片棒担いだゴーシュもそうなるよと答えるとおお、おっかねえと更に笑った。
「そのあたりなら10分もありゃあ着くぜ。出来るだけ明るい場所でイイ子に待ってるんだな」
「はーい。ありがとう」
その会話を最後に通話は切れた。この近くには大きな道路が走っていてこの裏通りを使う人間はあまりいない。人も車も通らない道路の頭上には等間隔で街灯が並んでおり、その真下のガードレールに浅く寄りかかってゴーシュを待つことにした。闇夜には目立つ自分の髪を隠すようにまた深くフードを被りDゲイザーをしまうとはあ、と大きく溜息を吐く。
「(これでひと安心、かな)」
彼はもう大丈夫だろう、ほっと胸を撫でおろす。私のせいで大切なものを失わせてしまった彼に対して、行う贖罪としては微々たるものかもしれないが、これが今私にできる精一杯だ。きっと『あの頃のセツナの幻』は凌牙くんを救ってくれただろう。
はは、と静かな道路に自分の笑い声が響く。中々の女優っぷりではなかっただろうかと自画自賛した。これでこのまま、彼の前から消えれればミッションコンプリートだ。
ぼーっと夜空に浮かぶ月を見ながら待っていると車の走行音が聞こえてきた。徐々に近づくその音が近くまで来た事を確認してするとガードレールに寄りかかるのをやめ、フードを外した。
くるりと車道側に体を向けると減速した車が私の前で完全に止まる。助手席のウインドウが下がると中から陽気な声が私に話しかける。
「ほらよ、迎えにきてやったぜお姫様」
「ありがとー、助かる....」
そう声をかけながら後部座席に乗り込もうとドアを開けた瞬間、バイクのエンジン音が急速に近づいてくるのが聞こえた。振り向いた時小さかったライトの明かりはこの間にもどんどん大きくなっていく。
このまま無視して行けなくはないが、タワーまで追いかけて来られては厄介だ。
「......」
「?おいどうした」
「....いや、『友達』が忘れ物を届けにきたみたい」
少しお話ししてくるから、このまま待っててくれる?そう言いドアを閉めて車の後方に回ると丁度15メートル程度手前で赤紫色のバイクが勢い良く停車したところだった。
運転手はヘルメットをシートに放り投げてこちらに向かってくる。
「っ見つけたぜ、セツナ!」
「あら、見つかっちゃったね」
もう遅いんだから真っ直ぐ家に帰りなさいよ、と言いながらこちらも少し歩み寄る。彼の額には少し汗が滲んでいてあちこち走って私を探したんだろうなと直ぐにわかった。
近づいてくるなりまるで逃さないと言わんばかりに両手で二の腕辺りを強めに掴まれる。
「おまっ...、言いたい事だけ言ってまた消えやがって!オレがどれだけっ」
「あー、いやごめん。こっちにも事情が....」
「事情って何だよ!....まさか、それがデュエルを辞めなきゃならねえ程の理由か。ふざけんじゃねえ、そんなモンオレがぶっ潰して、」
「ちょ、ちょっと凌牙くん....、痛っ」
「!わりぃ、」
言葉がヒートアップしていくに従って私の腕を掴む力も比例するようにどんどん強くなる。これが14歳の力か?ゴリラじゃないのか?流石にストップをかけると彼は申し訳なさそうに顔を歪めながらパッと手を離した。
「......幻かと、思った」
「え?」
「アンタが現れた時も、居なくなった後探してる間もずっと、本当はオレが勝手に作り出した都合のいい幻を見てただけで、実はもう何処にも、アンタは居ないんじゃないかって....」
「......」
とうとうオレはイカれちまったのかと思った。笑えんだろ。
そう嘲笑しながら私から視線を背ける彼に、なんで返したら正解なのかわからなかった。
「(ある意味、正解なんだよな)」
彼の望み焦がれているであろう、真っ当な正しさの元に生きていた私セツナは死んでしまった。此処に在るのはただの「そうであったもの」でしかない。
ただそれは少なくとも、再び立ち上がった今の彼は知らなくていい事実だ。
「(まだ今は、まだ悪い女に騙されておきなよ)」
こういう時の直感は、当たる。きっと幾許もないうちに彼は真実を知ることになるだろう。最愛の妹を傷つけ、自身を陥れて破滅へと追いやったその原因が私だと。
ーーだからそれまでは、そのまま私の幻に囚われていればいい。
目を背け続ける凌牙くんの手をとり自分の方へ引き寄せる。高いヒールを履いていて良かった、今の私は彼よりも少し背が高そうだ。
驚いた顔の凌牙くんに抵抗される前に包み込む様に抱きしめる。心臓の音が聞こえる様に、左胸に彼の頭を抱き込んだ。
「なっ、に、してんだ!おま、」
「幻だと思う?」
「は、」
「私今ちゃんと、此処にいるよ」
聞こえる?心臓の音、生きてるでしょ?
アワアワと抵抗していた彼がその声を聞くとピタリと動きを止めた。
「ごめんね、いきなり居なくなっちゃって。貴方が大変な時に側に居られなくて、助けてあげられなくてごめんね。貴方は私が悲しい時に助けてくれたのに。
.....本当はずっと、こうして謝りたかった」
「.....何でアンタが、謝んだよ」
この言葉には何の嘘偽りもない。ずっとずっと言いたかった。言える日が来るとは思わなかった。
抱きしめながら何度も謝る私を、手持ち無沙汰に彷徨っていた彼の両腕が緩く抱きしめる。どちらかというと細くて華奢な見た目をしているのに、意外と筋肉質でがっしりしていてちゃんと男の子なんだなあと他人事の様に思った。彼の髪からシャンプーなのか香水なのかわからない良い匂いがふわりと香る。
「もしね、貴方が本当に本当に、どーしようもないほどのクズ野郎に成り下がっていたら私が引導を渡してやろうと思ってたんだけど...そんなの、あるわけなかったね」
うん、もう大丈夫だね。そう言いながら彼の髪を撫でると、背中を少し丸める様にして私に抱き締められていた凌牙くんが顔を上げる。
オレンジ色の街灯に揺れる青い瞳は薄く水の膜を張っていて、まるで海を閉じ込めた様な美しさだった。
私の背中回されていた右手が、するりと髪を撫でた後に頬に添えられる。その手に左手を重ねて彼を見つめるとはっと息を呑む音が聞こえた。
「っ...、ほんとに、タチ悪いな」
「それは褒め言葉かな」
「ハッ、貶してんだよバーカ」
そう言うと凌牙くんの綺麗な顔がすっと近づいてくる。あ、これはマズイ。咄嗟に空いてる方の手で彼の額にデコピンをかます。
「!ぐっ」
「それはダメ」
「痛ってぇな...誰がどう見てもそういう流れだろうが、空気読めよバカ」
「貴方は学校一の札付きでそれはそれは女遊びも沢山されてるでしょうけど、私は貴方とそういう事はしませーん。残念でした」
「あ?人のこと節操ないような言い方しやがって、誰がその辺の女なんかに手ぇ出すかよ。オレはずっとお前しか、」
その瞬間、パー!とクラクションの音が鳴り響きふたりして驚きで肩を揺らす。振り返ると運転席のウインドウが下り、ゴーシュが指でいい加減戻ってこいと合図しているのが見えた。
「ごめんね、もう帰らなくちゃ」
「....次は」
「ん?」
「次はいつ、何処に行けばアンタに会えんだよ」
それを言うまで絶対に逃さないと言わんばかりの視線にどきりと胸が音を立てる。
「....そうだね、貴方がちゃーんと学校に行くようになったらもしかしたら会えるかも」
「?どういう事だ」
「あれ、遊馬から聞いてない?私今、ハートランド学園に通ってるよ。高校の方。先輩ですよ、貴方の」
「....は??」
「ふふ、じゃあね凌牙くん。良い子は早く帰りな」
呆気に取られている彼にひらひらと手を振って車に乗り込む。出して、と告げると黒いセダンは街灯の照らす薄暗い車道を走り出した。
「邪魔したか」
「....いや、これ以上ないナイスタイミング。ほんとに助かった」
「やっぱカイトに報告するか」
「お願いだから勘弁して...」
「それにしてもお前に、ねえ」
「変な勘違いしないで。彼とは別に何でもないから」
「....お前、その顔で言っても何の説得力もねぇぞ」
「うるさい。黙って運転して」
「へいへい」
ミラー越しにゴーシュと会話した後に窓を下げる。夜風が気持ちいい。
「(顔、あっつい)」
戻るまでに冷まさなくちゃ、そう思いに応えるように車はスピードを上げながら夜の闇に消えていった。