▼ 第二レース場
模擬レース当日
芝一四〇〇メートル。六人ずつ複数組に分かれて走る形式で、公式戦ではないが、トレーナーがウマ娘の実力を把握する場として用意されている
既に本格化を迎えている生徒もいれば、中等部から内部進学してすでに何度かレース形式の練習を経験している生徒もいる。
全員が同じ条件というわけではないが、今の時期に一度レースを実施し、ウマ娘とトレーナーに縁をつくるという役割があった。
そしてリーベにとっては、これが初めての「レース」でもある。
「今日はどう走ればいい?」
「好きに走ってこい」
「……それだけ?」
「それだけ」
リーベが目を丸くする。
「作戦とかないの?」
「ない」
「ウチ、ソトどこを走る?」
「自分で決めろ」
「ペースは?」
「それも自分で」
俺は同じことを質問されるたびに復唱する。
「本当に自由に走っていいの?」
「ああ」
その言葉を聞いた途端、リーベの耳がぴんと立ち、腕を振り上げる。
「ヤッター!」
トレーナーとしての責任を放棄したような回答だったが、こいつは嬉しそうだな……。
もちろん、俺だって本当に何も考えていないわけじゃない。
俺が先に作戦を練れば、それらしいレースには出来るだろう。スタート後はこの辺りにいて、コーナーでは内を取り、残り何メートルで仕掛けろ——なんて指示を出せば、少なくとも無策よりは速く走れるはずだ。
でも、それじゃ意味がない。
今のリーベがレースの中で何を見て、何を選び、何を知らないのか。自由な走りだけでどこまでできるのかはここで把握する。
勝ち負けは、そのあとでいい。そう思っている。
「ハルも今日は好きに走ってこい」
担当——というわけではないが、いつもリーベとべったりなハルの指導も継続して行っている。ハルが望む限り協力は惜しまないつもりだった。
「私もですか?」
「ああ。こっちは何も指示しない」
「えっ、流石にちょっと不安です」
「ありきたりなアドバイスだが、練習だと思ってやってこい」
ハルは少し考えてから、不安そうに小さく頷いた。
「分かりました。やってみます」
「ハルちゃん、自由だって!」
「リーベちゃんは嬉しそうだね……」
「だって自由に走っていいんだよ?」
「私はちょっと怖いよ!」
同じことを言われても、反応は正反対な二人。
リーベは信頼されたとでも思っているのか、尻尾まで楽しそうに揺れている。逆にハルは、練習でこまめに指示を受けていたからか、全部自分で考えなければならないことに緊張しているらしい。
「クロノちゃんはどうするんだろ」
「本人に聞いてみたらどうだ?」
「聞こえていますよ」
少し離れた場所から冷静な声が飛んできた。
第一組の出走を控えたクロノが、ゼッケンを整えながらこちらを見ている。
「クロノちゃんは作戦ある?」
「勿論あります。展開はいくつか想定して、それぞれの対応策も」
「いくつか……」
リーベが俺を見る。
「私には?」
「ない」
「…………私との差がすごい」
クロノの耳が僅かに動いた。
「リーベさんは初めてのレースですから、寧ろその方が良いかもしれませんね」
「そうなの?」
「担当トレーナーは信じてこそ、でしょう?」
「そうだけど…………」
リーベが微妙に納得していない顔をしている。敢えてこれ以上はなにも言わない。自分で考えて欲しかった。
「では、私は先に行ってきます」
「怪我には気をつけろ」
「はい」
「クロノちゃん、一着取ってきてね! ダメだったら今日は私と練習だよ!!」
「勝手に条件を付けないでください」
「でもクロノちゃんなら勝てるよ!」
「……ありがとうございます」
ほんの僅かにクロノの表情が緩む。
「私も応援してるよ」
「ありがとうございます。ハルさんも次の組ですよね」
「う、うん」
「頑張ってください」
「クロノちゃんに言われると、なんか緊張してきた……」
「なぜですか?」
「だってクロノちゃん、すごく余裕そうなんだもん」
「私も緊張はしていますよ」
ハルがじっとクロノを見る。
「……全然見えない」
「表に出していないだけです」
「格好いい……」
クロノが僅かに眉を寄せる。
「では、今度こそ行ってきます」
「クロノちゃんいってこーい!」
「勝てるよー!」
二人の声に、クロノは小さく片手を上げて応えた。
そのままコースへ向かう背中を見送る。
模擬レースがこれから始まる。
リーベの走りだけじゃなく、今後競い合うかもしれないライバルたちの走りも見ておく必要がある。
♦︎
第一組の六人がスタート位置につく。
クロノは内から三番。
眼鏡を掛け直す仕草こそいつも通りだが、表情には僅かな硬さがある。さっき言っていた通り、少しは緊張しているらしい。
「クロノって、あの眼鏡の子か?」
横から沖野先輩が訊いてきた。
「そうです」
「見るからに速そうだな」
少し後ろにはテイオーとスズカもいる。
約束通り、三人揃って模擬レースを見に来てくれた。
周囲から騒めく声が聞こえる。そりゃそうだ。テイオーもスズカも選ばれし者しか参加出来ないドリームトロフィーリーグの選手なのだから。
「あの子、リーベのライバルなの?」
「本格化が被れば間違いなくそうなると思ってる」
少なくとも勝つのは簡単じゃない。寄ってきたテイオーに俺は本心を伝える。
——スタート地点に立つクロノを『視る』。
【クロノアーク】
スピード A
勝負根性 B
瞬発力 B+
パワー B
健康 B
賢さ A
精神力 B
柔軟性 D+
全体的に完成度が高い。このまま順調にいけば世代の星になることだろう。
ただし、欠点がないわけではない。
明確に低い柔軟性——窮屈な体勢から急に進路を変えたり、狭いところへ身体をねじ込んだりするような状況は、あまり得意ではないだろう。
それでもクロノの走りを見ていると、その弱点が目立たない。理由は単純だ。
——戦局を予想し、問題が起こる前に対処できるから。
バン!
ゲートが開き、六人が一斉に飛び出した。
クロノは無理に先頭へ出ず、前へ飛び出した二人の後ろへ収まる先行のポジション。外から一人が並びかければ、競り合う前に半歩だけ位置をずらして進路を確保した。
「落ち着いてますね」
スズカが呟く。
「そうだな」
集団が最初のコーナーへ入る。
内へ寄りすぎず、外へ膨らみもしない。
前が塞がってから動くのではなく、塞がりそうなら先にずれる。横から来られて窮屈になる前に、自分が走りやすい位置を取る。
判断が早い。
そして、その判断を実行出来るだけの能力もある。
「前の子、動いた!」
テイオーの声に合わせるように、残り四〇〇で先頭の一人が速度を上げた。少し掛かったのか、無理のあるスパートだ。
——クロノはすぐに反応した。
相手が完全に前へ出てから追い始めるのではなく、身体が前へ傾いた時点でほとんど同時に脚を伸ばしていた。
最後のコーナー。
前を走っていた一人の勢いが鈍り、アシがよれ最内が空いた。
その隙を見逃さず、クロノは迷わず空いているウチに陣取る。
直線へ入って残り二〇〇。先頭へ並び、そこから半歩、一歩と前へ出る。
大きく突き放すわけじゃない。
それでも最後まで後ろに詰め寄らせず、一着でゴールを駆け抜けた。
「勝った!」
リーベが身を乗り出す。
「綺麗に勝ちましたね」
「——ありゃ温存まで考えてるな。相当デキると見た」
スズカと沖野先輩の意見に俺も頷く。
クロノの走りに派手さはない。
その代わり、無駄も少ない。
自分の力を正確に自覚しているからこそできる、効率を突き詰めたレースだった。
「私とクロノちゃん、どっちが速い?」
隣から飛んできた質問に、ゴールしたクロノから目を離す。やっぱり気になるか。
「そりゃ一緒に走ってみないと分からないだろ」
「兄さんでも?」
「俺をなんだと思ってるんだ」
「……そっか」
少し考えてから、リーベはまたクロノを見つめる。
「じゃあ、一緒に走ってみたい」
「負けるかもしれないぞ?」
「それでも楽しそう」
即答だった。
その横でスズカが小さく笑う。
「リーベさんは、競うのが怖くないんですね」
「まだやったことないので分かりません!」
「ふふっ……それもそうですね」
知らないからこそ、怖がるより先に楽しみに出来る。
今のリーベにとって、レースはまだそういうものなのだろう。
「クロノちゃん、もう戻ってくるかな」
「少し待て。クールダウンしてからだ」
「じゃあその間に作戦考えようかな」
「さっき好きに走るって喜んでただろ」
「考えるのも自由でしょ?」
「それはそうだが」
さっそく何か考え始めたらしい。
もっとも、表情を見る限り大したことは考えていなさそうだった。
♦︎
「クロノちゃん! おめでとう!」
レースを終えて戻ってきたクロノを、リーベが真っ先に出迎えた。
「ありがとうございます」
「すごかった! 最後も全然慌ててなかった!」
「前が詰まりそうだったので、早めに進路を確保しただけです」
「それがすごいんだって!」
ハルも少し遅れて横から顔を出す。
「クロノちゃん、おめでとう!」
「ありがとうございます」
「本当に緊張してたの?」
「していましたよ」
「全然見えなかった……」
「表に出せば弱みになる可能性もありますから」
「やっぱり格好いい……」
ハルが感心したように呟く。
だがしかし、リーベは何故か納得していない。
「クロノちゃん、本当はちょっと手震えてたりしなかった?」
「していません」
「じゃあ緊張してないじゃん!」
「していました」
「ワケワカンナイヨー!」
リーベはワタワタと手を振り、大袈裟にクロノに迫る。
——こいつ、自分が緊張しいだから仲間が欲しいんだな……。
ハルが吹き出し、俺も先輩もスズカも釣られて笑う。
偶然だろうか、テイオーに似た反応で思わずニヤけてしまった。
クロノも迷惑そうな顔をしていたが、口元は僅かに緩んでいた。
「随分仲良いな」
沖野先輩が横から小声で言う。
「そうですね」
入学してからまだそれほど経っていない。
それでもリーベが二人と一緒にいる光景は、いつの間にか随分見慣れたものになっていた。
「次は二人の番ですね」
クロノがリーベとハルを見る。
「私もここから応援しています」
「うん!」
「ありがとう!」
「じゃあボクからも一個アドバイス!」
待ってましたとばかりにテイオーが手を上げた。
「レース中は、ずっと考え続けること!」
「ずっと?」
リーベが首を傾げる。
「そう! 今どこにいるか、前はどうなってるか、このままでいいのか。走ってる間も状況はどんどん変わっちゃうからね」
リーベとハルが揃ってテイオーを見る。
「最初に考えた通りに全部進むことなんてほとんどないし、その時その時で『今どうする?』って考え続けるのが大事! クロノちゃんもそうしてたでしょ?」
「なるほど……」
リーベが珍しく真面目な顔で頷いた。
「テイオーさんって、ちゃんと考えて走ってたんですね」
「どういう意味!? ボクをなんだと思ってたの!?」
「なんとなく、ビューンって走ってるのかと」
「ボクだって考えてるよぅ!」
ハルが堪えきれず笑い出す。笑上戸な彼女はお腹を痛そうに抱え込んでいた。
テイオーは不満そうに頬を膨らませたが、言っていること自体は間違っていない。
初めてレースを走る二人には、俺から細かい指示を与えるより余程いい助言だろう。
「スズカさんにもアドバイスをいただけますか?」
今度はハルが尋ねる。
「私ですか?」
スズカは少し考えてから、穏やかに口を開いた。
「そうですね……前を見て走ることでしょうか」
「前?」
「はい。前だけを見ていれば、迷うことも少ないです」
「なるほど……」
ハルが真面目に頷きかける。
「それに、前に誰もいない場所はとても走りやすいですよ」
「…………」
「…………」
俺と沖野先輩が揃ってスズカを見る。
「先輩」
「言うな。分かってる」
多分、先頭民族以外には通用しない論理だった。
「それって大逃げしろってことじゃん!」
「はい」
テイオーの指摘に、スズカは当然のように頷いた。
「前に誰もいなければ、自分の走りたいように走れますから」
「それが出来たら苦労しないんだよ!」
「なるほど!」
何故かリーベだけが目を輝かせる。
「じゃあ、前の子を全員抜けばいいんですね!」
「はい。それが一番分かりやすいと思います」
「リーベちゃんまで納得しないで!?」
ハルの声が響く。
クロノは口元に手を当てて笑いを堪えていた。
「……相性いいな、あの二人」
「妙なところで噛み合ってますね」
俺と沖野先輩は揃って息を吐いた。
「ハルさんは、無理にスズカさんの真似をしなくてもいいと思いますよ」
「うん。そうする」
「クロノちゃん!?」
今度はスズカが少しだけ驚いた顔をする。
「適性の問題です」
「随分はっきり言うな……この子」
キッパリ真顔で言うクロノに、先輩は頭を掻く。先輩の個性が埋もれるほどに個性強めのウマ娘たちだった。
そんなことを話しているうちに、第二組の集合を知らせる声が飛んできた。
「呼ばれてるぞ。ほら、行ってこい」
「うん!」
「行ってきます!」
二人がスタート地点へ向かっていく。
「リーベさん、ハルさん」
クロノの声に、二人が振り返った。
「頑張ってください」
「うん!」
「ありがとう、クロノちゃん!」
「ボクらちゃんと見てるからねー!」
「頑張ってください」
テイオーとスズカも続く。
リーベが大きく手を振り返し、ハルも少し照れくさそうに手を上げた。
そのまま二人が再び歩き出す。
「兄さん!」
途中でリーベがもう一度振り返った。
「絶対見ててね!」
「そのために来てるんだろうが!」
満足そうに笑って、またハルの横へ戻っていった。
初めてレースを走るリーベがどう動くのかはもちろん気になる。
けれど、ハルの走りにも同じくらい注目していた。
ここ最近、三百メートルを何度も繰り返しながら、崩れては直し、また崩れては直してきた。練習では少しずつ形になってきているが、その成果がレースに反映されるかは別の話——。
俺はスタート地点へ向かうハルを『視る』。
【ハルノオト】
スピード C
勝負根性 B+
瞬発力 D+
パワー D
健康 A+
賢さ C
精神力 B
柔軟性 D+
…………正直リーベとクロノには見劣りする能力値だろう。
ただ、健康A+だけは明らかに長所だ。
ここ最近一緒に練習を見ていても、走り方に無駄が多い割に疲労が残りにくい。息が上がらないわけじゃないし、長い距離をいくらでも走れるという意味でもない。
一日追い込んでも、一日休めばまた練習出来る。
間違えたら直して、もう一度。
それでも駄目なら、またもう一度。
そんなハルの努力を、俺は毎日のように見ていたから。
————二人が並んでスタート地点へ向かっていく。
少し前を歩いていたリーベが何かを言い、ハルが笑う。何を話しているのかまでは聞こえない。
その背中を、戻ってきたばかりのクロノが静かに見送っていた。
リーベがトレセンに来て、まだそれほど時間は経っていない。
それでも、もう一人で走るわけじゃない。
隣を走る友達がいて。
応援してくれる仲間がいて。
いつか競い合うかもしれないライバルがいる。
きっとこう言う関係を
——