落ちる、落ちる、落ちていく、暗い底、無限の空、あるいは……無。
俺という自我の元となる記憶が断続的に忘却と再生を繰り返し、そういえば俺は面接に来たんだと思い出すと、ふと落下の感覚が消えた。
足が付くことに安堵して力が抜けていく、が、また落ちては困るので感覚がある間に気合で立ち続ける。
「目を開けてるのか、閉じてるのか……」
ここは暗い、目を開けてても閉じても暗い、全く何も見えない、それに声も響かない、かろうじて自分の声が自分のなかに響くのが分かる程度、これは就活中にネットで拾った情報だが、こんな光も音もない無の世界では、人間の精神は1時間も持たないらしい。
タイムリミットは1時間だろうか、俺は足が付く限り走った、何も見えない中を全力で走る、壁にぶち当たる可能性や平衡感覚が狂って同じ所をぐるぐると回るのが怖い、しかし、発狂したくない、だから何処かに辿り着くまで真っ直ぐだろうと信じて走る。
奥の奥まで走る、きっとギャルはこのことを知っていて言ったんだろう、俺がこうなることを分かっていて、本人も楽しむようにしていたが……こうなって来ると社長と言う存在が人外なんじゃないかと思いたくなる。
それに、この場所だ、普通に暮らしていてこんな異世界みたいな環境に投げ込まれるなんてありえないだろう、実際は吸い込まれたんだが、ありえないだろ。
しばらく走ると体が温まる……どころか寒気がする、寒い、震えてくる、冷気が漂ってくる、冷気が強い方へ行くと何かありそうな気がしたが、このまま近寄ると氷になりそうだ、ギャル曰くひたすら奥を目指せばいいんだと言う、ならば、冷気を辿っていくのは寄り道に当たるのではないか、そう思うと足が冷気を辿りそうになる所を踏ん張って止め、無視するような軌道で走る。
また無限の闇の中へ走る、不思議とこの空間では疲れを感じない、いつまでも走っていられる、息切れ一つ無く走り続ける感覚は何と言うか、奴になった気分でもある。
奴の息切れした姿を見たことがない、涼しい顔して記録を出す、必死さとは無縁に思える奴の姿を俺は真似してる気分だ。
今度は室内灯より弱い光が闇のなかでボヤけるように光ったのが見えた、アレもまた寄り道になるのだろうか、目指す場所は最奥、この何処までも続く闇の奥とは一体。
これは一体何なのだろう、これが面接? 異世界の勇者でも選別したいのか。
改めてこんな異世界みたいな環境、こんな非現実的な、非科学的な環境で、俺はどんな顔をしてるのだろうか、感覚としては困ってるし驚いている、もう死ぬほど怖いし、泣きそうにもなる、けど、なぜかな、口角が上がってる気がするんだ。
良くも悪くも人生で一度だって味わうことがないような体験が、今、俺に起きている。
変な話、俺は喜んでいる、誰にも出来ない特別な体験をしていることに優越感を覚える、奴に少しでも近づけただろうか。
まだ深く、まだ奥に向けて走る、途中いくつかの意識を引っ張られるような感覚が続くが、ギャルが言う奥まで辿り着くまで真っ直ぐに走る。
そして、体感で1時間が経った頃、突如視界に光が溢れ、反射的に腕で目を覆う、光が闇を打ち消していくような光景が広がっているはずだ、目が光に慣れるまで、時間を要した。
目が光に慣れてくると、俺が何処に立っているのかハッキリしてくる、足元には青空、頭上には街並み、どちらも俺が知っている光景。
「えっ」
落ちては、いない。なのに視覚的には落下していくような錯覚、何が今起きているのか、正確に把握できてる自信がない、誰でもそうだと思ってる。
「俺ももう狂ったか?」
「そうではないさ」
俺の何気ないつぶやきに答えが帰って来た、それも足元から、首がちぎれるくらい無理して下を見ると、俺の足裏にピッタリとくっつくように立っている男がいる、鏡の上に立ったのかと思えば、それは俺ではない誰かだ。
その俺ではない誰かは俺の足元から離れていき、体を倒すと俺の立っている場所まで空間が波打ち、反転して俺と視線が合い、初めて声の主の姿と言うものを認識できた。
一目見て高価だと分かるビジネススーツに身を包んだ初老の男性、白髪混じりの髪は年齢を感じさせるので初老と言う、しかしその顔は竜を模したと思われる仮面で覆われ、口の部分だけが見えていた。整えられたヒゲはダンディな印象を与えてくれる。
「まずは自己紹介を、私はティアマト、と名乗っている」
「ティアマト……」
初老の仮面男性、もといティアマト、厨二病と言うにはここが異質すぎて逆に信憑性がある、ティアマト、その名前の意味する所は分からないが、ティアマト、かっこいいとは思う、正義の何某では無さそうだ、どちらかと言うと悪い方向に信念を持ってそうな人だ。
「そちらは?」
「あ、あー……六原綾人、です……」
「では、六原くんと呼ばせてもらうよ」
このまま話を進めるつもりか、仕方ない、異常だと分かっていることはあえて飲み込む、あとで疑問をぶつけることにしよう、でないと致命的な何かを見逃しそうな気がする。
ティアマトは頭上を指差す、そこには先ほど見たような街並みがある。
「見てご覧なさい、これが君の世界だよ、狭い、狭い世界じゃないか」
「……」
文句の一つでも言ってやろうか、でも下手な言葉で怒らせると何されるか分からないし、ティアマトの言葉も否定するところではない、事実だ、この頭上に見える街並みは俺の生活圏だ、狭いと言われれば狭いだろう、頻繁に旅行をしてるわけでもないのに。
俺が何の反応の示さないにも関わらず、ティアマトは構わずに話を続ける、仮面の下で粘着質の笑みを浮かべているだろう。
「君には友人がいたね、しかも仲違いしたとか……こんな狭い世界で、友人と仲違いすると逃げ場がなくてさぞ苦しいだろう?」
動揺した、すぐに顔を引き締めたが誰でも分かるくらい顔に出してしまった、ティアマトの視線に愉悦が乗った気がする、その証拠にアイツの口角が少し上がった。
「気になるかな?」
「思考が読めてる?」
「一部だけ、だがね」
確実にまともな人間ではない、あの受付のギャルもそうだろう、どういう存在なんだ、人間の姿をした化け物なのか。
気になる、気になりすぎて話が出来ない、どうせ思考を読んでいるなら、さっさと汲み取って教えて欲しい。
「六原くんはせっかちだな、仕方ない、先に教えよう、私たちは『
これが本当だと仮定して、何も反発を受けないのか、それとも反発されないくらいに小さい組織だったりするのか。
何のため、というのも気になるが。
「組織の目的については教えられないが敵については教えられる、『
正義の組織もあるんだな、安心したよ、俺は出来るならそっちがいいな、面接取りやめてそちらに行きたい。
「いや、六原くんは必ず私たちを選ぶだろうね」
「凄い自信ですね、向こうに行かないにしても、そもそも辞退するとは思わないんですか?」
「『神の光童』には早乙女童子がいる」
「…………だから?」
「さぁね、言ってみただけだよ」
ティアマトは笑うだけでそれ以上答えない、早乙女童子の名前を出せば俺が靡くと思ったのか、ああそうだ、靡きそうになる、俺が早乙女童子と同じ場所に居られない、どんな顔をして会えばいいんだ。
『神の光童』と『万魔の集い』、奴が向こうにいるなら俺は……と、考えている頭をリセットするように頬を叩く。
「なるわけ無いでしょ、こんな怪しい組織の一員に」
縁を切った相手が対立する組織にいる、だからどうした、俺には関係ない、そもそも世界を裏からどうこう出来る組織なんて関わりたくない、しかも超常現象付きだ。
ティアマトが考えを読んだのか、くっ、と笑う、笑ったと思った、口元だけしか見えてないから確信持てないが。
「もっともらしい回答だ」
ティアマトが指を鳴らす、それだけで世界は通常になる。
目を開いてその移り変わりを見ていたのに自分の目が信じられない、逆さの街も足場の空も、何もかも霞のように溶けてなくなり残った俺達はいつの間にか、オフィスの一角に立っていた。
半透明の仕切りで囲われたスペースにテーブル、対面にソファ、ちょっとしたドリンクスペースがある、いかにも休憩所といった風な所へと。
「座りたまえ」
体が勝手に動き、ティアマトの対面になるようソファに腰掛けた、座った途端にコーヒーが提供され何事かと見ると、ギャルがそこにいる。
「無事に辿り着いたみたいね! おめでとう! あと一息だよ!」
言いたいとこは言えたのかそのまま仕切りの向こう側へ去っていく、彼女には悪いがコーヒーに手をつけるのは怖い、ヨモツヘグイじゃないが、知らないうちに仲間にされてそうだ。
「あはは、発想豊かだ、ん、今日の豆は酸味が強いな……」
ティアマトは顰め面でコーヒーを評価するも飲む手は止まらない、ティアマトの言葉に何も信じられる部分がないので、どれだけ酸味が強いのかなどどうでもよい。
「まぁいい、『万魔の集い』として君をスカウトしたい、曰く六原くんには〝因果〟と呼ぶべきモノがあるのでね」
「因果……? 何の何に対する因果ですか?」
「早乙女童子と君さ、君は知らないだろうが、早乙女童子は『万魔の集い』を幾度となく窮地に追い込んできた、それこそ少年漫画のヒーローのように」
だから何だと言うのか、俺を人質にして憎き怨敵である早乙女童子を倒そうと? そんなことになるくらいなら俺は自殺を選ぶかもしれない。
「どうして早乙女童子は君の親友になったのか、気にならないか?」
「なるわけない、俺は奴と……」
言葉の先がでない、言い返すための言葉の材料が、俺のなかに存在しない。
俺は奴といつ、どうやって、親友と呼べるような関係になったか分からない、ずっと一緒に居た記憶はあるのに、言われてみれば明確に何か親しくなったキッカケを思い出せない。
ティアマトの言葉が俺の心に効く、奴がどうして親友になってくれたのか、逆に俺がどうして奴と親友になろうとしたのか、その部分だけが、言われなければ分からない小さい虫食いがあると気付いてしまう。
ティアマトは見透かす、俺の心を。
「それを知るまで、『万魔の集い』で活動してみないか?」
俺はそれを断れなかった。