Fate/mille fiore-フェイト ミルフィオレ-【完結】 作:おるか人
―――可哀想な子。
それが、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンが下した、衛宮士郎の評価だった。
イリヤスフィールが士郎にデートを持ち掛けたのは、何も二人で楽しく遊ぶことだけが目的ではない。
彼の人柄を知れば知るほど、むくむくと鎌首をもたげてきた可能性。それを確かめるために、彼女は士郎を連れ回していたのだ。
冬木の街並みや食を楽しみながら、イリヤスフィールはそっと士郎を観察した。
まさか。いや、そんなはずは。だがしかし―――そんな思いを胸に抱きながら。
果たせるかな。イリヤスフィールの予想は正鵠を射ていた。
―――衛宮士郎は、人間としてどこか欠落している。
だってそうだろう。衛宮士郎は『遊び』を知らなかった。
外食のおススメを聞いたら「あまり行かない」
お洒落な服を売っているのはどこかと聞けば「あまり知らない」
楽しい遊び場を聞けば「人伝に聞いた」
(なら貴方は、普段何処で何をしているの?)
自分のように外の世界を知らなかったわけでもなく。
世俗に関わる事を恥と切り捨てていたわけでもなく。
本当に何の理由もなく、趣味も、快楽も求めなかった。
(そんな無味乾燥の生き方を続けながら、何の成果も出ない魔術の鍛錬だけを、ただひたすらに十年間……?)
驚きを通り越して怒りを覚え、最後には―――憐みだけが残った。
(ああ、この子はキリツグだ。身に余る理想を抱いて、他の全てをかなぐり捨てて。……だから? だからこの子に何も言えなかったの? キリツグ……)
デートが終わるころ、イリヤスフィールは一つの決意を抱く。
(戦おう。これ以上馴れ合えば、きっと……私はこの子と戦えなくなる)
ちらつく雪の中、決別を告げるために士郎と視線を合わせる。
彼女の意図に気付いたのだろう。士郎が傷ついたような表情を見せた。
(そんな顔をしないで)
心のどこかにある『姉』としての想いが、切なく疼く。
けれど。ああ、けれど。この子をこれ以上聖杯戦争に、いや魔術に関わらせてはいけない。その一心で、彼女は情に蓋をした。
「シロウ、私は――――――――」
放たれる決別の言葉。
その直前に、
「はい、そこまで」
あまりにも無粋な水入りがあった。
* * * * *
「万条…………千、花!?」
人気の無い街並みの中。士郎とイリヤスフィール、二人分の驚愕を前に、千花は満足そうに笑う。まるで、悪戯が成功した子供のように。
「やあ偶然。士郎は昨日ぶり、アインツベルンは……さて、何年振りだったかな。とにかくオヒサシブリ。会いたかったよ」
「何で生きてる……!? お前は昨日、セイバーに」
「殺されたはず、だって? ふふ、生憎と錯覚でも幽霊でもないよ。単純に『生き返った』ってだけの話さ」
死んだはずの人間が喋っている。
有り得ない現実を前に、士郎はしばし言葉を失う。
それに代わって、イリヤスフィールが一歩前に出た。
「バンジョウ……まだ生きてたのね。本家を教会に潰されたって話だけど?」
「私たちはそう簡単には死なないし、死ねないんだよ。少なくとも、君たちが生きている限りはね」
訳知り顔で話す二人を見て、士郎の硬直が解ける。
「イリヤ……万条のこと、知ってるのか?」
「ええ。聖杯戦争の常連……他人の成果を浅ましく貪る、盗人の一族よ」
「くくっ。自分自身の成果を見失った君たちに比べれば、よほど建設的な生き方をしてきたと思うけどね」
「本家があれほど無様な死に様を晒したっていうのに、よくそこまで言えたものね。その面の皮の厚さだけは尊敬に値するわ」
ひび割れる空気。
時折頬に触れる雪の粒を、やけに温かく感じてしまう。
豹変してしまった白いお姫様をなだめようと、士郎が口を開こうとした時……それを遮るように、イリヤスフィールの鋭い詮索が飛んだ。
「それで、何の用?」
「宣戦布告」
間断無く返答した千花が、懐から『何か』を取り出した。
「ッ、それは―――――!?」
驚愕に目を剥くイリヤスフィール。
千花の手にあるのは、どこか薄汚れた、灰色の杯だった。
「
イリヤスフィールは無意識のうちに、己の心臓へと手を伸ばしていた。
(―――
胸を何度か撫でつけ、そこに目的の物が在る事を確認する。
安堵は束の間。今度は更なる衝撃が少女を打ちのめす。
ならば、
「イリヤ……!? どうしたんだ、何があった!?」
「心配はいらないよ、士郎。彼女は単にびっくりしただけさ。いや無理もない。自分が所持、管理しているはずの
今度は士郎が目を剥く番だった。
「なん…、…………だって? 聖杯…………!?」
まるで見せびらかすように示される灰色の杯を、士郎は改めて観察する。
第一印象は『身窄らしい』だ。
形状こそ厳かで、細部まで装飾の行き届いた見事なものだが―――その他がいけない。まるで塵や埃を擦り付けたかのような汚れが表面のあちこちにあり、内側から血が滲んでいるかのような、不気味な赤黒い紋様が見える。とてもじゃないが、一見してこれを『聖なる杯』とは受け取れない。
だが―――その杯は、恐ろしいまでの存在感を発していた。
見えない圧力が、眼球を通して士郎に訴えかけてくるのだ。アレは、使い方次第で世界をも滅ぼしかねない危険物である、と。
ならば外見はどうあれ、その正体は疑うべくもない。
これが、聖杯。
七人のマスター、七人のサーヴァントが求め争う、万能の願望器―――――――!
「万条、それをこっちに渡せ」
「あれ、士郎は聖杯なんかいらないんじゃなかったっけ?」
「ああ、いらない。けどお前にだけには、聖杯を渡すわけにはいかないんだよ」
―――じゃあ、繰り返そう。
千花があの日屋上で言った事を、士郎は決して忘れない。
「くふふ」
そんな士郎の内心を見通しつつ、千花は茶化すように笑う。
「落ち着きなよ、士郎。心配せずとも、この聖杯は紛い物だ。手にしたところで願いを叶えることなんか出来やしない」
「何だと?」
「さっき、少し口に出したろう? 本物の聖杯は……ほら、そこにいるアインツベルンの女のコがしっかりと保管しているよ」
そう言って千花が指さしたのは、イリヤスフィールだった。
―――イリヤが聖杯を持っている?
「そ、そうなのか、イリヤ?」
「……ええ」
「何だ、その辺は聞いてなかったのかな? 聖杯戦争はね、アインツベルン・マキリ・遠坂の三家が力を合わせて実現させた儀式なのさ。遠坂が土地を、マキリが英霊を律する令呪を、アインツベルンが聖杯の器をそれぞれ担当した。だから、冬木に器を持ち込むのはアインツベルンの役目なんだよ」
聖杯の中身は当然、聖杯の器に満ちる。
この戦争の最終目的を始めから所持しているというのが、主催者たるアインツベルンに与えられたアドバンテージなのである。
「そう、聖杯の器は私が持ってる。冬木に来る前から、ずっと、ずっと私の管理下にある。細工された形跡はないし、そもそもそんな真似を許す程、アインツベルンは馬鹿じゃない」
「イリヤ…………………?」
「なのにどうして、大聖杯は……私の器じゃなく、あなたの紛い物を『聖杯』と見做しているのかしら」
冬の冷気が、三人の間を駆け抜ける。
士郎には、今の発言の重大さが分からない。
しかしイリヤスフィールの全身から発せられる怒りが、事の重大さを否応無しに悟らせた。
「その顔が見たかった」
ぐちゃり、と。
千花の貌が愉悦に歪んだ。
「くはっ、ふふ、ふははは! あっはっはっはっはははははははは!!」
「な、何だ。何を笑ってる…………!?」
「士郎、君にも分かるように教えてあげよう。英霊が脱落するたび、聖杯の器には『中身』となる魔力が注がれていく。さっき言った、アインツベルンが持つ器にだ」
だが、と。千花は興奮冷めやらぬ様子で、灰色の器を天に掲げた。
「万条は聖杯戦争のシステムの一部を乗っ取る事で、わたしの持つコレを『本物の聖杯』だと誤認させる事に成功した! 昨夜キャスターが脱落した分の魔力は今、この杯の中に有る!」
「な、っ…………………………!?」
「分かるかい、士郎。彼女が持つ器は、あろう事か自分たちの作ったシステムに『偽物』だと門前払いを食らったのさ。滑稽な話だ。これを笑わずにいられるか!?」
夜の街に響く哄笑。
士郎は、黙って屈辱に肩を震わせる少女に、何も言う事ができない。
ひとしきり笑い終えた後、千花は肩をすくめて説明を補足し始めた。
「まァ、しかし。繰り返すけれど、この『
瞬間、灰色の聖杯は光となって弾けた。
光は綺羅星のような瞬きを夜気になびかせつつ、千花の体内へと消えていく。
「宣戦布告だ。君はわたしが持つ灰聖杯を奪い、本物としての矜持を取り戻して見せるがいい。わたしも近いうちに、君の持つ器を奪いに行く。その戦いの結果を以って、二百年来の因縁に決着をつけようじゃないか」
返答は魔術によって為された。
千花の得意気な笑顔は首から吹き飛び、脳漿や頭蓋骨の破片と共に、夜の歩道に真っ赤な血をぶちまける。
いつの間に編んだのか―――イリヤスフィールの指先から伸びる針金が、二羽の鷹を形作っている。アインツベルンに伝わる魔術の一種、貴金属の形態操作だ。以前は士郎を尾行する目的で使われたそれが、今度は嘴から無数の弾丸を放ち、千花の顔面を一塊の肉柘榴へと変えたのである。
「近いうちに? 因縁に決着? 随分とおかしな事を言うのね、バンジョウ。これだけ舐めた真似をして、あなた……ここから生きて帰れるとでも思っているの?」
夜の闇に浮かび上がる、魔術師の顔。
目の前の惨劇を『当然』として斬り捨てる彼女に、士郎は掴みかかった。
「ッ、イリヤ! 何もここまで」
「思っているとも。アインツベルン」
「する、事…………………………?」
顎が、歯が、鼻が、眼球が、頭髪が……失われたはずのそれらが首の根元からニョキニョキと生え揃い、千花は瞬く間に蘇生を果たす。
士郎は事ここに至ってようやく、昨日の光景が自分の錯覚でなかった事を思い知った。
「殺しなさい、バーサーカー!」
いつから其処にいたのか。
霊体化を解除し、姿を現した黒い巨人が斧剣を振りかぶる。
狙うは再び頭蓋。魔術師とはいえ、たかが人間にこの一撃は躱せない。襲い来る暴威は、数瞬の後に先の惨劇を再現するだろう。
(わたしのバーサーカーならできる。灰聖杯が宿る心臓だけは傷つけず、残った全身を死に絶えるまで殺し尽くす―――!)
イリヤスフィールの判断と戦術は、まったく正しかった。
惜しむらくは、遅い。
足止めの第一撃が放たれた瞬間に、千花の撤退準備は万端整っていたのだ。
ぶぉん、と。
バーサーカーの斧剣は空を薙いだ。
同じく霊体化で傍に待機していたアサシンが、タッチの差で千花の身体を攫っていったのだ。
「っ、バンジョウ!」
「慌てるなよアインツベルン。お前を殺すにはまだ早い。決着は近いうちに、だ」
交戦の意思は無いのだろう。千花はアサシンに抱かれたまま、風のような勢いで遠ざかっていく。
「あいつ……ッ!」
昨日のようにセイバーを召喚して後を追わせようかと悩んだその時、士郎の頭の中から仇敵の声が響いた。
『ああ。けれど士郎、君はもう少し焦った方が良いかもしれないよ』
「っ、この声……万条か!? どこから、」
『あんまりのんびりしていると、君は大切なものを全て失う事になる』
「なっ――――――どういう意味だ!? おい! くそっ、待て! 逃げるな万条!!」
『ふふ、あははっ。次に会った時、君は一体、どんな顔をしているのかな? 楽しみだ。はは、はははは…は』
笑い声の残響だけを残して、千花は消えていった。
程なくして、周囲に人気が見え始める。千花が撤退と同時に、人払いの結界を破壊していったためだ。
「く……っ!」
完全に召喚のタイミングを逃し、悔し気に歯噛みする。
そんな士郎の手をとって、イリヤスフィールは言った。
「分かったわ、シロウ」
「え、……何がだ?」
「あなたのお願いよ。事情が変わったわ、
―――――アインツベルンは、衛宮との同盟を受け入れます」
TO BE CONTINUED・・・
【作中捕捉】
■灰聖杯について
本文中で言及されている通り、アインツベルンから英霊の魂を横取りするためだけに創られた、万条製の聖杯です。千花は『願望器としての力は本物に劣る』と言っていますが、ちゃんと大聖杯と繋がっているので、七騎分揃えればどんな願いでも叶えられます(当然、アンリマユのせいでその願いは破壊を前提としますが)。故に上記の表現は適切ではありません。正確に言うなら、とある理由から『万条千花にとっては』本物に劣る紛い物なのです。
■イリヤ「可哀想なシロウ」
現在のイリヤは、HFにおける鉄心エンドのような心境。お姉ちゃん属性全開。果たして妹属性の出番はあるのか。
■遠坂「戦いたくないって……衛宮君、私は?」
原作において士郎が「良いやつだから戦いたくない」と意地を張った相手は凜ですが、本作では彼女がするはずだった味方ポジをイリヤがやっているので、その辺の感情もイリヤが引き受けています。あくまで相対的に見た時の話ですが、士郎から見た他のヒロインへの好感度は原作より下がっている模様。