Fate/mille fiore-フェイト ミルフィオレ-【完結】 作:おるか人
夢から浮上していく感覚。
聖杯戦争が始まってから都合三度目となるそれの中、士郎は確たる認識を得た。
「やっぱり……この夢は、向こうから流れてきてるのか」
この前のように、自分を現実へと引き戻そうとする力を感じる。
しかし、弱い。今なら簡単に抵抗できる。
「確かめないと」
何もかもが曖昧な世界の中で、士郎は想像する。
此処には地面がある。地面を踏みしめる足がある。世界を見渡す目があって、この世界にしがみつく手があって、それらに繋がる身体だって、当然ある。だから歩ける。俺は前に進むことができる、と。
一歩、一歩。
想像によって創造された肉体が、夢の世界を歩み出す。
目指すは、この夢の根源。この夢を士郎に見せているであろう―――――あの少年の許へ。
* * * * *
歩きはじめて数秒か、数分か。
そう長くない時間が過ぎた頃、士郎は目的地へとたどり着いた。
「な、何だよここ…………!?」
思わず、恐々とした呟きが漏れる。
無理もないだろう。夢の流れを遡っていった先にあったものは、あまりにもおぞましい光景だった。
足元を覆いつくす黒い泥。
辺り一面に突き立つ禍々しい墓標。
そこいら中で響き渡る、思わず耳を塞ぎたくなるような怨嗟の声。
地獄と言って差し支えない光景が、士郎の前に広がっている―――――。
「う、あ…………!」
猛烈な嘔吐感を覚え、士郎は身体をくの字に折り曲げた。
が、肝心の吐瀉物が口から漏れる事は無かった。視線を下に向けた瞬間、士郎の意識はそこにあったものに釘付けになってしまったからだ。
「っ、―――――――――!!?」
士郎の足元にあったもの。それは『人』だった。
全身が枯れ枝のように痩せ細り、皮と肉がぐずぐずに崩れて、目玉が眼窩からこぼれている。およそ『人』とは形容しがたい姿をした『人』だった。
その『人』は、今にも腐り落ちそうな指で士郎の脚を掴む。
「カら、だ」
隙間風のようなその音が『声』だという事に、士郎はしばし気付かなかった。
「からだヲ、よコせ」
「あ、ぁ………ぁあぁぁあああああああああああああッッ!!?」
そして気付いた時、士郎は本能的な恐怖から駆け出した。
幸い、あの『人』の手は見た目通りの貧弱さだったようで、士郎は足を振り上げただけで拘束から脱する事が出来た。
だが、それで「ああ、よかった」と安心はできない。
身体を寄越せ―――――あの『人』が口にした台詞は、簡単には頭から離れてくれない。
「からダ」「かラだ」「カらだ」「かラダ」「カラだ」「カラダ」「からダ」「かラだ」「カらだ」「かラダ」「からダ」「かラだ」「カらだ」「かラダ」「カラだ」「カラダ」「カラだ」「カラダ」
士郎の叫び声を呼び水に、足元の泥から大勢の『人』が湧き出て来る。
誰もが先の『人』と同じように見るも無残な様相を呈しており、常人より多く『死』を観念しているはずの士郎でさえ、恐ろしくて逃げ出す事しかできなかった。
「はぁっ、はぁ! っはぁ、はぁっ、はぁっ―――――――――!!」
十や二十ではきかぬ『人』の大群に追われる形で、士郎は謎の世界を奥へ奥へと走っていく。
当然だが、奥へ進めば進むほど入ってきた出口は遠ざかる。すぐに引き返すべきだったと後悔できた時には、既に退路は百を超える『人』の群れに覆われていた。
「くそっ、――――――ぅあ!?」
足元に現れた新たな『人』が、士郎の足を引っかけた。全力で走っていたところに、予想外の衝撃。体勢を立て直すことも叶わずにひっくり返ってしまう。
一度足を止めてしまえば、もうそれまで。次々に辺りから湧いてくる『人』達が、士郎の服を、身体を、髪を掴んで捕まえてしまう。いかに貧弱な力でも、数十数百となると恐ろしいもので、士郎はあっという間に身動き一つ取れなくなってしまった。
「からダ」「キれイ」「うらやマしイ」「ずルい」「しネ」「ほしイ」「ヨこせ」「あたタかイ」「ははハはハは」「くるシイ」「タすけテ」「ダして」「こコから」「おまエも」「ダしテ」「シね」「うれシい」「こんなハずじゃ」「よクも」「ユるさなイ」「ころシてやル」「おレのようニ」「だれモかレも」「しネ」「ホろべ」
矢継ぎ早に囁かれる呪詛の怒涛。
鼓膜が震える度に、自分の心までぐちゃぐちゃにかき回されていくような感覚。
「あ、がぁぁぁあああああ…………………………………………………………………っ!!」
あと数秒もしないうちに心が死んでしまう。
そんな確信を抱いたとき、何処からか、救いの声が降ってきた。
「黙れ、亡者共」
何もかもが腐り落ちそうな世界に響く、澄み切った命令。
同時に放たれた暴威が『人』の群れを容赦なく消し飛ばした。
「っは、ガハッ! げほ、ごほ、ごぼッ!」
呪詛から解放された士郎が必死に咳き込む中、救い主―――――万条千花がゆっくりと歩み寄る。
「やれやれ、いつも以上に鬱陶しいから何事かと思ったら……士郎、まさか君が此処に来ていたとはね」
「げほ、っ―――――ば、万条…………っ!?」
涙混じりの視界には、士郎の仇敵が立っていた。
この地獄のような世界でも、涼しげな顔立ちには些かの変化も見られない。違うところがあるとすれば、全身から何やらウツボのような生き物を生やし、さっきまで士郎を襲っていた『人』達をぐちゃぐちゃと食い荒らしている事くらいか。
千花は「まったく」と肩をすくめた。
「ラインを通じてちょくちょく知識を持ち出していたようだから、もしかしてとは思っていたけれど…………本当に此処まで辿り着くなんて驚きだ。けど、まだ早いよ。パーティには入念な準備が必要なんだ。いずれこっちから迎え入れるから、今日のところは帰ってくれないかな? そら、こいつらはわたしが抑えておくから」
よく分からない事を言うだけ言って、千花は士郎に背を向けた。
迷いなく去っていく背中を見てようやく我に返ったのか、士郎は「待て!」と静止を投げかける。
「なんだい? 亡者共を抑えるのも楽じゃな―――――」
「何であんな夢を俺に見せる?」
ピタリ、と。千花の歩みが止まった。
「今日の夢で分かった。フォレスティ一族は万条一族でもあった。なら、あの『夢』はお前と何か関係があるんだろう? 何でそんなものを俺に見せる? お前、俺に何を伝えたいんだ!?」
「…………何であの夢を見せるのか、か」
クルリ、と。千花が士郎に向き直る。
その顔は、いつか目の当たりにした狂気に染まっていた。
「そんなのは簡単だ。『何故、わたしが君を憎んでいるか』―――――それを分かりやすく教えるためだよ」
「お前が、俺を?」
全くの予想外、というわけでは無かった。
あの夢がフォレスティの、ひいては万条一族の歴史を紐解くものだとしたら、千花がたびたび見せる異常な攻撃性は、復讐心に根差すものだと想像がつく。そして千花はあの日、校舎の屋上で士郎の決意表明を聞いた直後に『冬木市大災害を再来させる』と宣言しているのだ。
恐らく、士郎が最も嫌がる事は何か? それを考えた結果があの言葉だったのだろう。
だが、分からない。
今までの夢で、聖杯戦争を生み出したというアインツベルン、マキリ、遠坂の三家に対する復讐心は語られたが、衛宮士郎に対するそれは未だ謎のままである。
「何で俺を憎むんだ? 俺はお前を知らない。会った事だってないはずだ!」
そう、衛宮士郎は万条千花に会ったことなどない。
そもそも万条などという家名にすら覚えはないし、仮に士郎が覚えていないだけだとしても、こんなに印象深い顔を思い出せないほど耄碌はしていない。
正真正銘、士郎と千花はあの日あの時が初対面だったはず。そんな相手に恨まれる筋合いはない。そんな当たり前の気持ちを、叫びと共に吐き出した。
「………………フ」
そんな当たり前のはずの気持ちを、千花は。
「ふふふ、ふふはははは、あぁははははははははははははっ!」
あっさりと―――――笑い飛ばした。
「ああ、そうだね。わたしと君は初対面だ。出会った事もない、話したこともない、正真正銘赤の他人さ」
「だったら、」
「
有無を言わさぬ絶叫が、士郎の反論を掻き消した。
今までにない怒気と狂気に染まった瞳で、千花は士郎の首に手をかけた。
「が、ぐっ――――――――――!?」
異常な膨張を見せる右腕が、万力もかくやという握力で士郎の首を締め上げる。
「お前が憎い! ああ、憎いんだよ衛宮士郎……わたしはお前が憎いんだ! 殺すだけじゃ足りない! お前の大切な人を一人一人目の前でなぶり殺しにして、身も心も原型を留めなくなるまで痛めつけて、糞と小便を垂れ流しながら無様に『いっそ殺してくれ』って懇願するお前に痰唾を吐きかけてやりたいんだよ!!」
「ご、ぉぶ…………ぁ、か」
「何で俺を憎むんだって? 何で? 何でって? お前の存在そのものだよ! お前が生きて息をしているだけで、わたしは憎しみで心がどうにかなりそうだ! だけど殺してしまったら、それこそこの気持ちを何処へやればいいか分からない。だから苦しめ! わたしのように、お前も生きて地獄を
最後の叫びと共に、千花は士郎を思い切りぶん投げた。
目標は出口。士郎がこの世界に入ってきた方角へ。
「づ、ぅ――――――――――――!!」
ズガン、と。士郎は冗談のような響きを上げて着弾する。
不思議と痛みは無かった。ただ、視界も痛覚も何もかもが曖昧に塗り潰されていく。
「士郎。君はいつか、もう一度この世界を訪れる。その時こそ、君の望む全てを教えてあげるよ」
唯一、距離も感覚も関係なくハッキリと聞こえる声。
それを最後に、衛宮士郎は夢の世界から叩き出された。
* * * * *
「――――ロウ、シロウ」
僅かなシートの揺れ、心配そうに自分を呼ぶ声。
それらに引っ張られる形で、衛宮士郎は目を覚ました。
周囲の風景は普段寝起きする寝室ではなく、タクシーの後部座席であった。
「セイバー……」
「ああ、シロウ。目が覚めましたか」
あからさまにホッとしているセイバー。
士郎は『どうしたんだ』と少し焦ったが、疑問はすぐに氷解した。全身がぐっしょりと脂汗に濡れているのだ。どうやら魘されでもしていたらしい。あんな夢を見たのでは無理もない。
「ゴメン、セイバー。心配かけた」
「気にしないでください。昨夜の疲れが出たのでしょう、やはりもう少し休むべきです。すみません
「いいんだ。少し…………悪い夢を見ただけだから」
士郎はぼんやりと視線を泳がせ、傍にある窓を見た。いや、窓にうっすらと映る自分の顔を見た。
酷い顔だった。すっかり血の気を失った土気色だ。
これじゃセイバーが心配するのも当然だな、と笑った。
「ああ、そうだ。これはただの…………」
一瞬、士郎の脳裏に紫色の髪が踊った。
もう二度と会う事の叶わない、愛らしい後輩の姿が。
「ただの……………」
ああ―――――本当に全てが『悪い夢』なら良かったのに。
衛宮士郎の悔恨を乗せて、タクシーは人気の無い郊外の道を走る。
遥か彼方。薄ぼんやりと朝霧にけぶる、アインツベルンの森へ向かって。
TO BE CONTINUED・・・