Fate/mille fiore-フェイト ミルフィオレ-【完結】 作:おるか人
苦痛と苦悩の
黄昏に響くあの声が、
だからわたしは、あなたを憎む。だからわたしは、あなたに感謝を捧ぐのだ。
あの声さえなければ、
あの声があったから、
わたしは――――――…
* * * * *
全ての『夢』の観覧を終えた士郎は、再び、かつて足を踏み入れた地獄に招かれていた。
足元を覆いつくす黒い泥。
辺り一面に突き立つ禍々しい墓標。
そこいら中で響き渡る、思わず耳を塞ぎたくなるような怨嗟の声。
そう。此処は、三度目の『夢』を見た際に訪れた地獄。
幾百、幾千の餓鬼に追いかけ回された、あの恐ろしい世界だ。
「……………………………、」
この世界が何なのか?
この世界が何を意味するのか?
この世界が何のために存在するのか?
今の士郎には、その全てが理解できていた。
「万条」
士郎は震えた声で、眼前に立つ少年に問いかける。
「お前は、…………お前の正体は…………」
否。問いかけようと、した。
――――お前の正体は■■■■なのか? と。
けれど、決定的な言葉が出てこない。答えなんて分かり切っているのに、いざ問うてしまった後に、「そうだ」と肯定されるのが怖かった。
何かの間違いだと。
何処かに自分の推測を否定する箇所があるはずだと。
事ここに至っても、まだ心の何処かに、往生際悪く足掻く自分がいた。
けれど、現実は。
どこまでも残酷な現実は、容赦なく、士郎の希望を打ち砕く。
「
数メートル先。
地獄の泥の中、士郎に背を向けたまま屹立する少年は、これまで頑と秘してきた解答を、あっさりと口にした。
「ぁ―――――――――――」
決定的な告白を耳にした士郎は、膝から崩れ落ちた。
英霊エミヤがそうだったように、彼もまた、どうしようもない絶望に心を押し潰されたのだ。
――――あの日、無数の声が俺に助けを求めていた。
俺は、その悉くを無視して歩いた。
自分だけは助かろうとして、必死に逃げたんだ。
そうして望み通り、俺は独りだけ助かった。
あの地区で生き延びたのは自分だけ。
知りたくは無かったのに、白衣の男が教えてくれた。
苦しんで死んだ人々を見た。
それと同じくらい悲しんでいた人々も見た。
その全てを、あらゆる苦しみを、自分は記憶しなくちゃいけないと思った。
ただひとり命を拾った自分が
彼らの死を受け持つのは当然だと思ったから。
(
精神を串刺しにされているような痛みと共に、衛宮士郎は回想する。
三度目の夢を見た後、かつてこの世界に足を踏み入れた時。
あの時、
俺は、
この少年に、
何と言った?
――――
――――
――――
「ぁ、あ…………うう、あ!!」
その途端、穏やかだった千花の様子は急変した。
瞳に憎悪を燃やし、衝動のままに士郎の首を締め上げた。
当たり前だ。
あれは、決して口にしてはならない言葉だった。
よりにもよって、
見捨てた自分が、見捨てられた彼に、
「あアあ、ああァあああアアああアアアああああァあああァあアあああああアアアアああァあああああああァ…………………ッ!!」
頭を抱えて地面に蹲る。
ごりっ、と。額が地面を擦る音が聞こえたけれど。士郎の神経は、痛覚なんて何処かへ置き忘れてしまっていた。
万条千花の正体とは何か?
それは、衛宮士郎の原罪
(どうしてッ……………!)
姿が変わったから?
声が変わったから?
名が変わったから?
――――
(忘れちゃいけなかった! 分からなくっちゃいけなかった! 俺だけは、他の誰でもない俺だけは、一目見た時に気付かなくっちゃいけなかったのに…………!!)
けれど、士郎は今の今まで千花の正体に気付けなかった。
否。本当はとっくに気が付いていたにも関わらず、気付かないフリを続けた。
何故か? その理由に思い当たった時、士郎の信念は完膚なきまでに砕け散った。
ずっと目を背け続けていた、
そう。『正義の味方』とは、あの日見捨てた人たちへの罪悪感ではなく。ただの―――――…。
* * * * *
「十年前のあの日、わたしは万条家八代目当主によって『フォレスティの血筋』を見出され、人体改造を受けた。フォレスティの知識と経験を受け止められる器となるように。灰聖杯を御する人形となるために。………‟
士郎の絶望など知った事かと言わんばかりに、千花は語り出す。
背を向けたまま、まるで他人事のように、己の十年間を、淡々と。
「魔術師の目から見ても無茶苦茶な人体改造だったよ。何せ十年前のわたしは、ただ『数代前にフォレスティ分家の血を継いでいて、錆び付いた魔術回路があるだけ』の一般人だったからね。血が薄まるごとに効力を弱まらせてゆく‟継承魔術”の観点からすれば、落第もいいところの欠陥素体………そんなわたしに賭けなくっちゃいけないほどに、万条は追い詰められていた」
だから、八代目万条は手を尽くした。
あらゆる手段で千花の素質を引き出し、あらゆる手段で千花の命を永らえさせた。
例えどれだけ乱暴に扱おうと、
「わたしの身体が死にそうになれば、脳に無理矢理『お前はまだ生きている』と錯覚させて乗り切った。わたしの心が死にそうになれば、時に麻薬めいた快楽を、時に地獄めいた辛苦を神経に直接刷り込んで立ち上がらせた。痛くて、苦しくて、楽しくて、可笑しくて、辛くて、嫌で、幸せで、嬉しい。何もかもぐちゃぐちゃで訳の分からない日々が、何年か続いた」
かの物理学者、アルバート・アインシュタインは、相対性を要約してこう語った。「熱いストーブの上に一分間手を載せてみてください。まるで一時間ぐらいに感じられるでしょう。ところがかわいい女の子と一緒に一時間座っていても、一分間ぐらいにしか感じられない」――――と。
その理論に沿うならば、千花の過ごした『数年』は、さぞ奇々怪々に感覚されていた事だろう。
「いくらか時間が経つと、そのぐちゃぐちゃの感覚に慣れてきた。すると今度は、幾千、幾万っていう他人の記憶と経験が流れ込んで来た。‟継承魔術”によって刻まれた、フォレスティの歴史そのものさ。今までフォレスティ一族が全世界でやらかした悪事や商売や研究の成果が、瀑布のような勢いで脳に叩き込まれてゆくんだ」
知識と経験の転写。
膨大と言うにも足りない量の情報が、千花の頭に無理やり詰め込まれていった。
けれど、脳がパンクしたりはしなかった。何故なら、‟継承魔術”とは
「それが終われば、今度は灰聖杯だ。わたしの身体を、器を介して冬木の霊脈に繋ぐ。そして最後に、大聖杯を、そして八代目万条を汚染している‟
改めて言葉にすると、それらは間違いなく、たった一人の人間に背負いきれるような代物ではなかった。どれか一つの要素だけでも、心が耐え切れず精神崩壊を起こしてもおかしくないモノだったはずだ。今も千花が生きているのは、ある種の奇跡と言っても良い。
その奇跡を引き起こしたのは、八代目万条か、それとも千花自身だったのか。
「どんなに辛くっても、どんなに苦しくっても、死にさえしなけりゃ、いずれは慣れる。でも気付いた時には、わたしは
――――ワタシハ、ダレ?
「遠坂が憎い?――――どうでもいい。
マキリが憎い?――――どうでもいい。
アインツベルンが憎い?――――どうでもいい。
フォレスティ一族の復権?――――どうでもいい。
この世に生まれ出たい………?――――そんな事、心の底からどうでもいい!
どれもこれも、わたしの気持ちじゃあない! 他人に勝手に植え付けられた、他人の勝手な願望だ。わたしには何の関係もない! なのにわたしは、そんなどうでもいい事を、さも自分の本心であるかのように錯覚してしまう!」
名前も、顔も、身体も、記憶も、全ては万条に与えられたモノ。
冬木市大災害によって焼き尽くされた『自分』は、およそ全てが身に覚えの無い新品に取り換えられてしまっていて、それを疑問にも思わない。自分の心はむしろ、それを当然のように受け入れようとする。
「ひょっとしたら、『わたし』なんて存在は始めからこの世にいなくって、自分は万条によって生み出された
けれど、千花の中にいる『わたし』が死んでしまう事は無かった。
十年もの間続いた地獄の中で、『わたし』は確かに息をしていた。
何故なら、
「そう――――
あの日、士郎が救いの手を差し伸べていたなら、万条千花が生まれる事は無かっただろう。だから、フォレスティの意思が士郎を憎む事はない。
そして‟
だから。衛宮士郎を憎む気持ちは。
それだけは、万条千花の素体となった者だけが抱き得る心情。この世でただ一つ、万条千花が『わたし』を認識するための
「―――――士郎、君は以前に問うたな?『何故、自分を憎むのか』と」
千花は、ここで初めて士郎に向き直った。
蹲り、絶望に身悶える子供を見下ろしながら、千花はいつかの問いに回答する。
「今一度繰り返そう。
千花が語気を荒げた瞬間、世界に満ちる泥が躍動した。
まるで千花に怯えるように、或いは千花に同調するように。
そして周囲に幾千と佇む餓鬼の群れもまた、千花の怒りに呼応している。
『オッ、オッ、オッ、オオーオッ!』
『オッ、オッ、オッ、オオーオッ!』
『オッ、オッ、オッ、オオーオッ!』
寄せては返す波の音。
響き渡る亡者の輪唱。
それらを背景に、千花の世界が崩れてゆく。
「分かったかい、士郎? 分かったなら、黙って生き地獄へ落ちてくれ。
「待て! 待ってくれ、万条………!」
その現象が夢からの覚醒を示すものだと気付いたのだろう。
士郎は顔を上げ、少年の去りゆく背中に手を伸ばす。
「やだ。待たないよ。………ああ、でも、そうだ。あと一つ。いや、二つだけ、君に言っておきたい事があったんだ」
その時の士郎が何を言おうとしたのかは分からない。
千花は士郎に構う事無く、勝手に話の続きを口にしたからだ。
「生きててくれてありがとう。――――それと、藤村先生によろしく」
その言葉で、士郎の頭にあった『何か』は吹き飛んでしまった。
前者の言葉にも、後者の言葉にも、それだけの衝撃があった。
士郎が二の句を紡げずにいるうちに、千花の背中は遠く霞んでゆく。もう、いくら手を伸ばしても届かない。
「バイバイ、士郎。次に顔を合わせた時が………きっと最後だ」
* * * * *
「―――――ウ!――――シロウ!」
士郎が目を覚ました時、一番に耳と目に届いたのはイリヤスフィールだった。
ずっと前から揺すったり呼んだりしていたのだろう。その姿にはどことなく必死さが伺えた。
「イリヤ………」
「シロウ! 大丈夫!? 痛いところはない!?」
寄せられる無垢の信頼、安堵の念。
それらを自覚した時、士郎は思わず少女から顔を背けてしまった。
「シロウ…………?」
不安げな声にも「大丈夫だ」と返してやる事が出来ない。
今の彼はただ、零れ落ちそうになる涙を堪えるだけで精一杯だった。
(俺は、どうしたらいい…………?)
TO BE CONTINUED・・・
【作中捕捉】
■千花の正体
十年前の冬木市大災害にて、士郎が見捨てた人たちの内の一人。それが、本作のオリジナルキャラクターである万条千花の正体です。
彼は、数多に存在するFate平行世界において、大災害の時にそのまま死んでしまったり、言峰に引き取られてギルガメッシュの餌になったり、フォレスティの記憶やアンリマユを受け入れられずに発狂死したりと、ほぼ100%の確率で死ぬ運命を背負っています。故に、本作のように『生きて士郎の前に現れる』というのは、まさに天文学的な確率の上に成り立つ奇跡である・・・という設定です。
■人格の混在
①A君はメジャーリーガーにサインボールをもらった事がきっかけで、プロ野球選手を目指す事にしました。
②そんなA君の記憶と経験を、B君に継承させます。
③すると、A君の『メジャーリーガーにサインボールをもらった』という記憶と経験を受け継いだB君は、その時にA君が抱いた感動も一緒に受け継いでしまうので、自然とプロ野球選手を目指し始めます。B君はメジャーリーガーに会ってなんかいないし、サインボールも貰ってないのに。
こんな感じに、どこからが自分の記憶で、どこまでが他人の記憶か分からなくなる・・・というのが、継承魔術最大の問題点である『人格の混在』です。こんな感じに記憶と経験をどんどん継承させていった結果、フォレスティ一族は自我が曖昧になっていき、論理も破綻していったというわけですね。