Fate/mille fiore-フェイト ミルフィオレ-【完結】 作:おるか人
――――衛宮切嗣は、アインツベルンを裏切った。
その凶報を聞かされた時、幼い私は一体、どんな反応をしただろうか。
嘘だ、と断じたか。
酷い、と卑劣な父を詰ったか。
あるいはただ、絶望に言葉を失っただけだったか。
………正解は分からない。何故なら私は、その時の事をよく覚えていないからだ。
私の記憶にあるのは、重々しい雰囲気で『裏切り者』の所業を語る、お爺様の姿だけ。
前後不覚になるほど泣き喚いたからか、それともショックで記憶が飛んでしまったのか。いずれにせよ、お爺様に呼び出された後の数日間の記憶は、私の頭に残っていない。
気付けば私は、明かりも点けず、暗い部屋の中でぼんやりと宙を眺めていた。
ぐちゃぐちゃな頭の中で思い返されるのは、キリツグと過ごした最後の日の思い出だった。
――――キリツグとお母様のお仕事、どれくらいかかるの? いつ戻ってくる?
両親が聖杯戦争に赴く直前、私はキリツグにそう聞いた。
キリツグは答えた。
――――父さんは、たぶん二週間もすれば戻ってくる。
………二週間なんて、とっくの昔に過ぎている。
なのにキリツグは、私の許に帰ってこない。
――――イリヤは、待っていられるかい? お父さんが帰ってくるまで、寂しくても我慢できるかい?
私は言った。我慢するよ、と。ちゃんとキリツグの帰りを待ってるよ、と。
その通り、私は我慢した。寂しくても泣いたりしなかった。ちゃんと約束通りキリツグの帰りを待ち続けた。
――――じゃあ、父さんも約束する。イリヤのことを待たせたりしない。父さんは必ず、すぐに帰ってくる。
むねのおくがどうしようもなく……………いたい。
――――『すぐ』って、
最悪の想像を浮かべては消し、また浮かべては消す。
そんな不毛な行為が、数えるのも嫌になるほど繰り返された頃。私は、何を思ったか城の外へ出た。そこで、あるものを見つけてしまった。
――――あ、……………。
呆気にとられ、小さな呟きを漏らしてしまう。
私の視線の先にあったもの。それは、キリツグと過ごした日々の欠片だった。
城の周囲に乱立する木々の群れの中、霜の降りた枝の先に小さく覗く――――クルミの冬芽。
――――次は、キリツグが日本から帰ってきてからだね。
――――そうだね………次こそは、父さんも負けないからな。
私は、キリツグと交わした何気ないやりとりを思い出して。
そして。
「………うそつき…………………」
その日。閉ざされた氷の世界に、小さな嘆きが溶けて消えた。
* * * * *
魔術回路とは、魔術師の素養を持つ人間の体内に存在する擬似神経の事を指す。
生命力を魔力に変換する力を持ち、幽体と物質を繋げる役割を担う――――つまり、魔術を扱う上では必須の器官である。これがあるから魔術師は魔術師足り得ると言い換えてもいい。現に間桐慎二は、魔術師の家系に生まれながら魔術回路をその身に宿さなかったため、魔術師としての道を閉ざされている。
魔術回路は、その本数が多ければ多いほど良いとされる。故に魔術師たちは、後世の子孫に多くの回路を発現させようと、あらゆる手段を尽くす。
要は、魔術回路という存在は――――魔術師にとっては己の才能そのもの。かけがえのない宝物なのだ。
イリヤスフィールは言った。
そのかけがえのない宝物を、アインツベルン一〇〇〇年の叡智の結晶を――――衛宮士郎に譲り渡す、と。
「ど、どういう事だ、イリヤ?」
「言った通りよ。私の魔術回路を、シロウに移植する。そうすればシロウは助かるわ」
士郎は訳が分からないと言った様子だった。
先程イリヤスフィールは「降伏しましょう」と言った。千花の要求を受け入れ、敗北を認めよう、と。その発言の真意も説明しないうちに、今の発言である。士郎でなくとも混乱は避けられないだろう。
「た、助かるって何がだよ? いや、それよりも降伏って、俺は――――――」
「………私だって、もう気が付いてるわ。シロウの身体の事………」
「っ、それは」
「隠さなくていいよ。もう、分かるもの。シロウの身体から、あいつと………バンジョウと同じ気配を感じるの。暗くて怖い、呪いの気配………」
士郎は言葉を無くした。
ああ、何という事か。気付かれてしまった。
この少女にだけは、決して気付かれてはいけなかったというのに――――――。
「少しずつ………大きくなってる。一分、一秒………ほんの少しずつだけど、時間が経つごとにシロウの温かさが消えていってる。代わりに別の何かが、その消えた穴に入り込んで、新しいシロウになろうとしてる。………どうして隠したりなんかしたの? いつの間に、こんな………もう、こんなにも酷い………っ」
話している最中、イリヤスフィールの顔がくしゃくしゃに崩れ、瞳からは大粒の涙が零れた。
「シロウは、本当にキリツグの息子なのね。私を守るとか言っておいて、心にもない約束を信じさせて、最後には勝手に、私のことを置いていくんだ………………!」
どん、と。イリヤスフィールの額が士郎の胸板を叩いた。
「何で私に近づいたの!? 何で私に優しくしたのよ!? あのまま、ただキリツグの息子だからって、馬鹿みたいに憎んだままでいられれば、こんな!………こんな気持ちにはならなかったのにッ!!」
「イリ、ヤ……………俺は」
「うるさい、ばか! 聞きたくない!」
士郎の胸の中。どんどんと、感情の赴くまま、イリヤスフィールの拳が士郎の胸板を何度も打ち据える。
幼い少女の腕力だ。それもまったく無作法なものである以上、日頃から身体を鍛えている士郎にとっては痛くも痒くもない。
けれど。涙声と共に放たれる攻撃は、身体よりも心に響いた。
「……………ぅ、ひっく………ぅぅぅ、ぅぅうううう~~~~………!」
士郎は何も言えなかった。
胸の中にいるイリヤスフィールを抱きしめる事すら出来なかった。
ただ黙って、泣き咽ぶ彼女に胸を貸し続ける事しか出来なかった。
(…………イリヤが、泣いてる………)
此度の第五次聖杯戦争で、士郎は何度、己の無力さを嘆いただろうか。
学園の屋上で、夜の境内で、夕暮れの公園で、新都の街並みで、アインツベルン城で………士郎は何度も、己の弱さを悔やんだ。もっと力が欲しいと願った。だが恐らく、今この時こそが衛宮士郎の人生において、最大の無力感を感じた瞬間だったに違いない。
(……俺が、泣かせた…………)
駄目だ、と思った。
だって、士郎は知っている。
例えば、そう。
大判焼きを頬張る時、
ロクに魔術を知らない士郎に呆れた時、
ショッピングモールで安物の服を冷やかす時、
UFOゲームで特大のぬいぐるみに目をつけた時、
ボウリングでストライクを逃した時、
雪景色の街でご機嫌にステップを踏んでいる時。
(イリヤは、イリヤはもっと……………!)
――――だから、駄目だと思った。
それは間違っていると思ったのだ。
それをさせてしまった自分が、どうしようもなく許せなかったのだ。
抱きしめてやりたかった。
けれど、泣かせているのは他ならぬ自分だったから――――。
「……………………………、」
数分はそうしていただろうか。
イリヤスフィールは涙を袖口で拭うと、赤く腫れた目で士郎を見た。
「………聞いちゃったの。今回の戦いで私が負けたら、お爺様はもう研鑽を打ち切るんだって。私はアインツベルンの最高傑作。私が生まれるまでに、どれだけのホムンクルスが失敗作として廃棄されたと思う? だのに、私はただ負けただけじゃない。………今まで卑賎な盗人と蔑んで来た魔術使い相手に手も足も出ず、儀式を乗っ取られて、挙句第三魔法の成就という悲願まで、奪われた………」
――――こんな酷い負け方をしたマスターは、今までに一人だっていないでしょうね。そう言って卑屈な薄笑いで己を蔑む彼女の眼からは、以前まで確かに灯っていたはずの誇りの火が、跡形もなく消え失せてしまっていた。
「もういいの。私はもう、アインツベルンへは帰れない。でも………シロウは違うでしょう? シロウには帰る場所がある。貴方はただ巻き込まれただけ。戦う理由だった、無関係な人たちへの被害も………降伏さえすれば、これ以上は出ない。ほら、シロウは降伏するべきなのよ」
「…………………………」
「元々『キリツグの責任』なんて言って、シロウを聖杯戦争に巻き込んだのは私だもの。その償いをしなきゃ………だから、シロウには私の魔術回路をあげる。魔力のパスを繋いで、そこから士郎の内にある呪いをこっち側に引っ張り出すわ。そうすれば、きっとシロウの身体は元に戻るはず」
「………………イリヤ」
「シロウの身体は治るし、私の魔術回路を手に入れる事で、魔術師としての力も強くなる。一石二鳥でっ」
「――――――イリヤッ!」
少女の肩を掴み、強い瞳で顔を覗き込んだ。
士郎の目は語る。「それは本気で言っているのか?」と。
「………シロウは」
イリヤは信じ難いものを見る目で、士郎を見返した。
「アイツと、戦うつもりなの……………?」
「ああ」
「どうして……………? 勝てるわけっ、ないじゃない…………!」
イリヤスフィールの自信は、とっくに砕けていた。
それもそのはず。万条千花は、本来彼女が持っていた聖杯の護り手としての役目を奪い、絶対の信頼を寄せていたバーサーカーを殺している。その上、七騎分の英霊の魂と、それによって大聖杯から引き出せる無尽蔵の魔力を持ち、ダメ押しに、霊体であるサーヴァントに対する絶対的な優位まで有している始末。
勝ち目の無い相手として、反抗の牙が根こそぎもがれてしまうのは無理もない話だった。
「シロウは、無関係の人たちが巻き込まれるのが嫌じゃなかったの? さっき、アイツが言ってたじゃない………『自分に逆らったら、周囲の人間も巻き添えにしてやる』って………シロウは、それでも戦うの? シロウは、それでいいっていうの……………?」
「いいわけない。――――ああ、いいわけがないだろう」
そう、いいわけがない。
だがそれでも、衛宮士郎は抗戦を選ばねばならない。
何故ならば。
「アイツの願いは、叶わないからだ」
「………………え…………?」
「聖杯じゃ、千花の願いは叶わない。でもきっと、あいつはそれを分かった上で行動してる。もう今更止まれないんだ。目を逸らすことでしか、前へ進めないんだ。そうして無意味な犠牲だけを増やしていく。そんな悲しい事を黙って見ているだけなんて、俺には出来ない」
千花をそんな救いようのない存在にしてしまったのは、士郎だ。
万条の記憶や‟
そう。十年前のあの日、士郎が犯した罪こそが全ての始まりだった。だから――――。
「あいつの復讐は、俺が終わらせなきゃいけないんだ」
士郎の決意を、イリヤスフィールはやはり受け入れ難いようだった。
これもまた当事者にしか分からない事だから、無理もない話である。
だからもう一つ、士郎はかけがえのない『戦う理由』を口にした。
「それに、イリヤを犠牲にして日常に帰る事なんて出来ない」
「!」
「俺はイリヤを護る。そう誓ったんだ」
セラに。
セイバーに。
何より――――自分に。
「何で、そうやって私に構おうとするの? シロウは知らないでしょう、私と違って…………。もしかしてセラに聞いたの? それともセイバー? 責任でも感じてるってわけ?」
「……………………?」
イリヤスフィールが何の事を言っているのか、士郎には分からない。
けれど、彼女の推測がまったくの的外れである事だけは読み取れた。
「イリヤの言っているのが何の事かは分からないけど………責任とかじゃない」
「じゃあ、なに?」
「………分からない」
「え?」
「上手く言葉に出来ないんだ。ただ俺は、そう――――イリヤに、笑っていてほしい………んだと、思う」
ぽかん、とするイリヤスフィール。
だが士郎は、言葉にした事で、己の内にある偽らざる気持ちを自覚した。
「ああ、そうだ。きっと………幸せ、だったんだ。イリヤの笑顔が、あんまりにも幸せそうだったから………
かつて士郎は、イリヤの笑顔に『何か』を感じた。
あの時はそれが何なのか分からなかったが………今なら理解できる。
イリヤスフィールは、衛宮切嗣に似ている。
正確に言うならば、十年前のあの日――――衛宮切嗣から感じたモノを、イリヤスフィールからも感じたと言うべきか。衛宮士郎の感じる『幸せ』………その
だから士郎は、命に代えてもイリヤスフィールを護りたいと思うのだ。
彼女は士郎にとっての『幸せ』――――何物にも代え難い、ただ一つの感情そのものなのだから。
「俺はまた、イリヤの笑顔が見たい」
想いを自覚した事で、士郎の裡から強い気持ちがふつふつと湧き出してくる。
「美味しそうにご飯を食べてるイリヤが見たい。俺の事をへっぽこだって頬膨らませて貶すイリヤが見たい。服屋で自慢げにファッションショーするイリヤが見たい。見慣れないゲームの筐体に戸惑うイリヤが見たい。ボウリングでストライクを取るぞって意気込むイリヤが見たい。デートの帰り道で、楽しそうに愚痴を漏らすイリヤが見たい」
一度堰を切った感情は、もう止まらない。
次から次へと、まるで濁流の様に押し寄せる。
「一度見たイリヤの姿を、もう一度見たい。
まだ見た事のないイリヤの姿だって見てみたい。
なあイリヤ、どうすればいい? どうしたらまた、あの時みたいに笑ってくれる…………?」
肩を抱いて、じっと瞳を覗き込む。
イリヤスフィールの瞳は、驚愕と困惑に揺れていた。
……………それからしばらく、無言のままに時間が過ぎる。
ありったけの想いをぶつけた士郎は、イリヤスフィールの返答を待った。
イリヤスフィールは、士郎の突然すぎる告白に、返す言葉を探していた。
縁側に腰掛ける二人を、綺麗な月だけが見つめている。
幻想的とさえ言える美しい景色の中、やがて答えをまとめたイリヤスフィールが、小さく、しかしはっきりと答えを述べた。
「ずっと私の傍にいて。私を置いていかないでっ………………!」
――――少年は今度こそ、少女の身体を力強くかき抱いた。
強く。華奢な身体を抱き潰してしまいそうなほど、強く。
「約束する。俺は、ずっとイリヤの傍にいる………………!」
「シロウっ、……………シロ、ぉ……………っ!」
夜に響く泣き声と共に、二人の影は一つとなる。
それは、長らく彷徨い続けてきた幼い魂が、還るべき場所を見つけた瞬間だった。
* * * * *
この日。
一人の少女が、死への諦念を捨てた。
一人の少年が、生きて帰る覚悟を決めた。
それは、とても小さな約束であり。
同時に、とても大きな進歩であった。
――――――誓いを此処に。
そうだ。こんなにも綺麗な月の下ならば、きっと一生忘れない。
ああ。だがしかし、もう一つ忘れてはならない事実がある。
それは、未だ彼らの戦いは続いているという事だ。
全てが終わった時、今日の誓いが破られずにいるかどうか。それは誰にも分からない―――…。
TO BE CONTINUED・・・
【ポエティックな作中捕捉】
■士郎とイリヤの相互シンパシー。
イリヤは、士郎に切嗣を重ねています。
士郎も、イリヤに切嗣を重ねています。
お互いに見ているところは違うけど、求めるものが同じなので、心が奇妙な噛み合いを見せているのです。
イリヤはきっと、自棄になるほど追い詰められなければ、士郎に縋らなかった。
士郎はきっと、千花を倒すという大義名分がなければ、イリヤを選べなかった。
これは、恋ではありません。
まして、愛でもありません。
二人の関係は悪く言って『傷の舐め合い』。
良く言って『執着』の域を出ません。
少なくとも、いまはまだ。