Fate/mille fiore-フェイト ミルフィオレ-【完結】 作:おるか人
――――あれから、どれだけの時間が経ったのだろう。
一日? 十日? 一ヶ月? 一年? 十年? それとも、もっと………?
万条千花の中で、時間の感覚は酷く曖昧で、身体の感覚はもっと曖昧だった。
全身がぬるま湯に浸かり、ぷかぷかと浮いている感覚。もはや恒常化してしまった痛みと苦しみの中で、それを延々と感覚し続ける。
たくさん叫んで、声が枯れた。
たくさん泣いて、涙が枯れた。
身体中ただ疲れ果てて、指先一本に至るまでが倦怠に包まれていた。
ココハ、ドコ?
ワタシハ、ダレ?
答えてくれる者は誰もいない。
泣き叫ぶ己を鼻息荒く観察していた老人も、いつしか何処かへ消えてしまった。
もはや惰性で浴びせ続けられる心身への拷問だけが己の全て。いっそ壊れてしまえば楽だったろうけど、慣れてしまったからそれも出来ない。
(………………よう)
こんな日々が、いつまで続くのだろう。
わたしはいつまで、こんな日々を送ればいいのだろう。
(………………てよう)
答えてくれる者は誰もいない。
ただ一人、いつ終わるとも知れぬ人体改造を受け続けるばかりだ。
あの老人曰く「あとは時間をかけてゆっくりと馴染ませていくだけ」らしいが、その『時間』がどれほどの期間に及ぶかは老人にも分からないという。
(いたいよう)
こんな日々が、いつまで続くのだろう。
わたしはいつまで、こんな日々を送ればいいのだろう。
(くるしいよう)
痛みには慣れた。
苦しみにも慣れた。
けれどそれは痛みを、苦しみを感じなくなったという意味ではない。
(たすけてよう)
痛みの余り気絶したりはしない。
苦しみの余り死んでしまったりはしない。
ただそれだけ。ただ――――それだけの事なのだ。
(しにたくない。やだよう。たすけて、だれか………)
痛みを感じている間、苦しみに喘いでいる間、千花はずっと声ならぬ声で叫んでいた。
たすけて、たすけて。十年前からずっと変わらない一言を、何度も、何度も。
しかし、その声が誰かに届く事は無かった。
………当然だ。何せ千花が囚われていたのは、認識阻害の結界が張られたアジトの地下の奥底にある棺の中。どれだけ叫んでも届かない。まして喋る事すら叶わぬ壊れた喉から出る『音』に、一体誰が気付けようか。
(だれ、か)
故に。
千花は『助けられた』のではなく、自分で勝手に『助かった』のだった。
(…………………?)
ある日のことだ。
千花の耳に、何者かの声が響いた。
自分が発したモノでない声を聞くのはずいぶん久しぶりだったので、千花は最初、それが何なのか分からなかった。
『……の兄ちゃ…、頑張…ー!』
『もう……っと、も…ちょっ…ー!』
後に知った事であるが、万条のアジトに張られた結界は、庭に植えられた大樹が起点となっているらしく、大樹に何かしらの異常が起きた際は、アジトにいる万条一族に自動で連絡が入るのだ。結界の効力はあくまで『アジトに何らかの不信を抱いた者』に対して発動するので、稀にだが、偶然の侵入者が発生する場合もある。
今回はまさにそのケース。この時、千花が聞いた声は、大樹に起きた異常………即ち『大樹の枝にボールを引っかけてしまった子供たち』や『そのボールを取り返えそうとアジトの敷地内に侵入した少年』の存在を知らせていたのだった。
(………なにか、きこえ、る? わたし、じゃ、ない?)
聞こえてくる声が自分が発したものではない事に気付き、千花はゆっくりと目を開く。
もはや完全に万条一族として肉体を改造されていた千花は、大樹を通じて外の情報にアクセスする事に成功した。既に八代目万条が老衰によって死亡しており、アジト内に居る万条一族が千花ただ一人だったために出来た芸当であった。
薄く開かれた目に、実に十年振りとなる『外』の世界が映し出された。
が、ずっと暗い地下に居て視力が退化していたのか、あまりに眩しくってなにも見る事が出来なかった。
(う、………………)
網膜に灼けるような痛みすら感じ、たまらず目を閉じてしまう。
だが次の瞬間に聞こえてきた声に、千花は痛みも忘れて目を見開く事となる。
『あれっ、ひょっとして士郎? おーい、しろーっ! 何やってんのー!?』
女性の快活とした声だった。
いや、そんな事はどうでもいい。
いま、この声は一体――――何と言った?
(し、ろ……………う?)
その名前は、千花の記憶に………否、千花の素体となった人物の記憶に唯一残る名前であった。
父の声を忘れ、母の温もりを忘れ、自らの顔立ちさえ忘れ果てた自分が、ただ一つだけ明確に記憶している名前。
しろう。
シロウ。
士郎…………………!!?
「ああ、あ………………ううああ!?」
痛みも苦しみも全てを忘れて、千花はかっと目を開く。
無意識のうちに魔術を用いて視力を強化し、薄ぼけた視界を強引に晴らしてゆく。
果たして、其処に居たのは赤毛の少年であった。
ああ、忘れるはずがない! 見紛うはずもない! この目に映る彼は、十年前、自分をあの地獄に置き去りにした少年………その成長した姿だった!
「あああ、ああああああう! ろ、う! しろう! し、ろ、ぉぉぉ、お……おおおおおあ!」
途端に、千花の全身から魔力が溢れ出す。
強化された肉体で、己を閉じ込めている棺を内側から何度も叩く。
がつん、がつんと。獣のような雄叫びと共に、何度も何度も、強く、強く!
「ああああああああああああああああああああッッ!!」
都合三十八打目にして棺は内から圧壊し、千花は培養液と共に外の世界へとまろび出た。
それは第五次聖杯戦争が始まる、およそ一ヶ月前。冬木市大災害より十年後の、とある冬の日の出来事であった。
* * * * *
そして現在。
運命に導かれた二人の少年は、身体一つで向かい合っている。
「残念だよ、士郎」
「………何がだ?」
「君が今、此処にいる事がさ」
そう言った千花の表情は、本当に沈痛そのものであった。
瞳の奥に憎しみが渦巻いている事は変わらないが、それ以上に悲しみが表出している。
「私は言ったはずだ。あの家で大人しくしていれば、今後の命は保証すると。逆らった時は、周辺住民への被害も厭わず攻撃を行うと。何故来た? 何故、歯向かったんだ? 答えろよ、士郎。君は正義の味方だろう? 正義の味方のはずだろう………?」
そう、これは『失望』であった。
千花はいま、士郎に『失望』しているのだ。
「なあ、千花。嘘だろう?」
「…………?」
「お前は言ったよな。聖杯の器が二つあれば‟
「へえ、どうしてそう思う?」
「たかが魔術師一人に何とかできる呪いなら、イリヤはあんなに怯えないはずだ」
この確信もまた、士郎が抗戦を選んだ理由の一つであった。
千花は‟
「ハハ、成程。それはご大層な信頼だね」
千花はケタケタと笑っているが、その眼は冷たいままだった。
「でも、それはあくまで『可能性』だろう? いくら君の中で確信があったからといって、それが事実とは限らない。今ここでわたしが肯定してあげない限り、決して『かもしれない』の域を出る事はないんだ。君は無責任な博打を張った。確証の無い情報にチップを賭けた。その事実に変わりはない」
「ああ。でもそれは、そうしてでもお前を止めなきゃいけないと思ったからだ」
「…………何だって?」
「なあ、千花。お前――――聖杯に何を願うつもりだ?」
唐突な話題の転換に、千花は眉を顰めた。
「何の話だい、急に?」
「当ててやろうか。『冬木市大災害を無かった事にしたい』――――だ。違うか?」
士郎の台詞に、千花はますます鼻白んだ。
「図星だろ。
「だから、急に何の話を――――」
「
鼻白んだまま、ピタリと硬直した。
「………どういう意味だい?」
「だって――――
言葉の意味を理解するにつれ、千花の表情は驚愕に彩られてゆく。
「フォレスティの記憶が教えてくれたよ。灰聖杯創造計画………万条一族は、お前を生み出す時、その寿命を考慮しなかった。大聖杯が起動してから、およそ一ヶ月。つまり、第五次聖杯戦争が行われている間だけ生きていればいい、そんな投げやりな気持ちで、人体改造は行われた。元々が無茶な話だったんだ、何世代も前に一度交わっただけの血の繋がりを辿って、一族の肉体を再現するなんて」
「………………………………、」
「成功した事が、一種の奇跡………だがその代償に、お前の身体は永くは保たない。それは『肉体の寿命』だ。薬や医療技術でどうにか出来る問題じゃない。どうにか出来るとしたら、それこそ『奇跡』にでも縋るしかない」
「………………………………、」
「でも、冬木の聖杯は『願望器』だ。肉体を延命させる事は出来るだろうけど、消えてしまった記憶を元通りには出来ない。だって、お前自身、自分の正体を覚えていないんだ。取り戻すべき記憶の内容なんて、分かるはずがない。
千花は何も言わない。
いや、何かを言おうとしているのだが、千花の唇は「あ」とか「う」とか小さく呻くばかりで、一つも言葉になっていない。ただ、視線だけが「止めろ」と「それ以上口にするな」と訴えかけてくる。
………本音を言えば、士郎だって口にしたくはない。
だって、ここから先は千花だけではない。衛宮士郎の傷をも切開する結果になるのだ。
心の奥から、己の叫びが聞こえてくる。
止めろ。言うな。何も言わず戦えば良いじゃないか。
これ以上、お互いを傷つける事に何の意味がある――――と。
(………でも、俺は言わなきゃいけない)
同じ地獄を生き延びた者として。
万条千花を生み出してしまった罪と、正面から向き合わなければならない。
「だから!………だから、お前はそもそもの原因を無くしてしまおうと考えた。冬木市大災害という過去そのものを消し去ることで、必然的に『あの事故に巻き込まれた自分』という事実を消し去ろうとした」
万条千花の胸中が、衛宮士郎には手に取る様に分かる。
だって――――きっと、自分も同じだったから。
「聖杯が万能の願望器なら、如何なる願いをも叶えられるというのなら、過去を変える事だって出来るはずだと。それが自分を救うただ一つの手段だと信じた……………!」
聖杯に託す願いなど無い。
かつて士郎はそう言ったが、果たして本当だろうか?
十年前の災害を消し去れれば。
あの地獄を無かった事に出来たなら。
魔術などに関わらない、本来の自分に戻れたなら。
そんな願いを全く抱かなかったと、言い切る事が出来るか?
衛宮士郎になる前の自分。
誰よりも近くにいた人たち。誰よりも優しかった人たち。
あの出来事で失われた全てを救う事が出来るなら。それら全てを取り戻すことが出来るなら、それはどんなに―――――…。
「だけど、起きた事を戻しちゃいけないんだ。だって、そうなったら全部噓になる」
「………………………………、」
「そんな願いが叶ったら、叶ってしまったら………今、ここにいるお前はどうなる? あの地獄を生き延びて、十年間苦しんで、俺と戦って、邪魔する奴を始末して! そうまでして生き延びようと足掻いたお前はどうなるんだよ!? 一体、何処に行けば良いんだよ!?」
「………………………………、」
「なあ、そうだろう!? 冬木市大災害が起こらなければ、万条千花は………ここに居るお前は生まれない! あの災害が起こらなきゃ、聖杯を勝ち取ろうとするお前は存在し得ないんだ! お前はそれで良いって言うのか? 苦しんで、苦しんで、苦しみもがいて! そうしてやっと掴み取った今じゃないか!? それを全部無かった事にするのが、お前の望みだっていうのか? 答えろ、万条千花!!」
――――それは、正しく『矛盾』であった。
千花は災害以前の記憶を全て失っている。ただ一つ確かな記憶である士郎についてすら、災害ありきのもの。即ち、今ここにいる『万条千花』という人間は、どうあっても冬木市大災害以後の世界にしか発生し得ないのだ。
詰まるところ、千花の願いとは『自殺』と何ら相違無いものと言える。
同じ願いが己の中にあったからこそ、士郎には千花の選択が、それが齎すであろう結末が分かってしまった。
以前から、おかしいなとは思っていたのだ。
千花は――――後の事を全く考えていない。
元より教会からも協会からも敵視されている身の上であるにも関わらず、四方八方に喧嘩を売りつけ、自分の存在を隠そうともしていない。
これでは、仮に聖杯を勝ち取って己の寿命を延ばせたとして、フォレスティの呪縛から解放されたとして、その後の人生は順風満帆とは言えないだろう。きっと『裏』の刺客に追われ続ける人生となるに違いない。
まさか、という疑念が湧いたのは、あの降伏勧告の時だ。
そして士郎には、その条件に合致する『願い』にも、思い当たる節があった。
最初から全てを無かった事にする。そう、決してヒトが踏み入ってはならぬ禁忌の可能性。過去改変という選択に――――…。
「………ああ、成程。そうか、そうだね。その通りだ」
長い沈黙の後、やっと口を利いた千花であったが、その表情からは感情というものが抜け落ちていた。
先ほどまで表出していた『失望』『疑念』『恐怖』………それらが抜け落ちて、がらんどうの虚の表情だけが残っている。
「わたしの心………君に見せすぎたかな。よりにもよって、鬱陶しいくらいニブチンの君に、口に出してもいない本心を読み取られるなんて」
情動を感じさせない表情のまま、ケタケタと嘲笑する。
今度は士郎ではなく、自分に向けられた………自嘲の笑みであった。
「でも、そうだね。死にたくないって一心で足掻き続けた結果、最終的に選んだ結末が『自殺』と同義のものだったってのは、何とも皮肉なお話だ」
そこでふと、千花は思い出したように独り言を呟いた。
「いや、待てよ? 考えてみれば………そもそも叶うのかな、この願い………? だって、冬木市大災害が起きたからこそ、第五次聖杯戦争はたったの十年で始まったんだ。災害が無ければ、例年通り五十~六十年後の開催になっていただろう。すると、十年のスパンで始まった今この第五次聖杯戦争は、そもそも存在し得ないことになる。パラドックスだ………新しい平行世界が生まれるのか、それとも叶えようのない願いとして無効化されるのか。………うむん、こんな単純な事に気付かないなんて、我ながらどうかしていたな………」
ブツブツと独り言を呟き続ける千花であったが、やがて士郎に向き直って。
「まあいいや。
あっさりと――――継戦の意思を示した。
「お前ッ…………!」
「君の言う通りだ、士郎。過去を無かった事にすれば、
千花の身体から、服から、どろりとした呪いが溢れ出す。
目に見えるほど濃縮された呪いの塊。重力すら感じる『黒』が猛然と渦を巻く。
「………ッ、待て! まだ話は!」
「士郎。わたし自身、気付いていなかった………いや、目を逸らしていた事を教えてくれたお礼だ。今度は君が気付いていないことを教えてあげるよ」
有無を言わさず。
呪いは濁流となって、正面に立つ士郎へと襲い掛かる。
「千花ァッ!」
「生き延びる事が叶わないのなら………せめて痛みも苦しみも、全てをゼロに戻せるのなら………ああ、構うものか。
本能的な恐怖に駆られ、士郎は宝具を構えた。
そして――――見た。濁流の向こうに立つ、余計なものが全て削ぎ落とされた千花の表情を。
「正論、偽善、綺麗事………よくもまあペラペラと御高説を垂れてくれた。けどね、どれも知るか、知った事か。どんな代償を払おうと、今更躊躇ったりしない。衛宮士郎に復讐し、失った過去を取り戻す。そうとも。わたしは、あの日からずっと、その為に生きてきたんだから…………!」
赤々と燃える憎しみの色。
研ぎ澄まされた憎悪の瞳。
士郎は見た――――‟
TO BE CONTINUED・・・
【作中捕捉】
■千花の寿命 ~ 戦犯・藤ねえ ~
本編で語られた通り、千花の寿命はかなり短いです。イリヤ以下です。
元々、人体改造が強引過ぎたというのも原因の一つ。あとは、千花の持つ灰聖杯は本来『聖杯が完成した時、その効果を横取りする』という役割を持っているので、極論、戦う必要がないのです。よって『最悪、第五次聖杯戦争が行われている間、生きてさえいればいい』という設計思想が基本にありました。
もちろん、千花の調整役を担っていた八代目万条も、完成度を向上させようといろいろやってたわけですが・・・結局、冬木市大災害より5年後に寿命で死去してしまいます。これにより灰聖杯は未完成となり、千花の寿命が改善されることもありませんでした。
(ちなみに、万条並びにフォレスティ一族は、第三次における‟この世全ての悪”の連鎖汚染によって、全員まとめて生殖能力を失っているので、この時点でフォレスティ一族と呼べるのは全世界で千花ただ一人となっております)
その後、千花は大聖杯が起動=聖杯戦争が始まる予兆を感じるまで、地下で一人孤独に『保存』され続ける事になります。そして本編第一話にて、第五次参戦を間近に控えていた千花は、藤ねえの「士郎」発言をきっかけに完全に覚醒を果たしたというわけです。
つまり、千花に残された寿命は『第一話の日付からおよそ一ヶ月ちょい』となります。