Fate/mille fiore-フェイト ミルフィオレ-【完結】 作:おるか人
アジト到着まであと二分。ライダーにそう評されたイリヤスフィール一行だったが、結果的に言うと、その目測は誤りであった。
前へ進む。亡者が立ちはだかる。倒す。また前へ進む。また亡者が立ちはだかる。また倒す。雨後の筍が如く次から次へと姿を現す敵をなぎ倒す度に、彼女たちの手は細かな無駄を削ぎ落とし、最適化されてゆく。もっと早く!――――と逸る心に追従し、彼女たちの足は動きを早める。歩みを進める毎に、目的地との距離は加速度的に縮まってゆくのだ。
「着いたっ………!」
達成の声を上げたのは、イリヤスフィールだ。
何と彼女たちは、英霊の見立てより五十秒早く敵アジトの門前へと立って見せた。
「お嬢様、お早く! また後ろで敵が湧き出しております!」
「分かってる。あと少し………」
アジトの敷地内にもウジャウジャと群がる亡者たちを忌まわしげに睨みつけるイリヤスフィールであったが、いざ突入、というタイミングで「おい、嬢ちゃん!」と頭の上から声がかかった。
ランサーの声だ。彼はアジトの塀に乗っかって『何か』を見ている。その声音に緊迫が伺えるのは、気のせいでは無いだろう。
「なに!?」
異常事態を察し、イリヤスフィールは『手短に話せ』という内心を隠さずに叫んだ。ランサーはその要望の通りに、至極単純な答えを返した。
「
「ッ!?」
今のタイミングで齎されるには、およそ最悪と言っていい情報だった。
かつて、遠坂凛は考えた――――『教会は不倶戴天の仇であるフォレスティの残党に対し、一切の容赦をしないだろう。御三家の手による討伐など、ただの建前。奴らは聖杯戦争の瓦解など意にも介さず、自らの手で確実に抹殺すべく、異端狩りの使徒をこの街へと送り込んでくるに違いない』――――と。
そう。まさしくその通り。
聖堂教会は『フォレスティ一族が生存している』という情報を監視役から受け取ったその瞬間、冬木に刺客を放っていたのだ。今まではアジトの存在や御三家への顔立て等、諸々の事情で厳重監視に留まっていたが、士郎達の突撃に端を発する亡者の大量発生等を受け、とうとう強硬手段に乗り出したのである。
「数は!?」
「近いのが四人、少し遠くに八人………いや、今しがた九人に増えた。このアジトを取り囲もうとしてるのか、周辺からバラバラに向かって来てるぜ。他はまだ見えねえが、これで全部じゃあ無いだろうよ」
「じゅ、十三人っ…………!?」
とてもではないが『残党狩り』に駆り出される人数ではない。しかも、ランサーの予想が確かなら、時間が経つほどにその数が増える可能性が高い。果たして教会は、どれほどフォレスティ一族を危険視していると言うのか?
「幸い、ヤバそうなのは遠くにいる奴の内の一人ぐらいだ。他はそれほどでもねえ」
慰めのように付け足したランサーだが、イリヤスフィールは全く安心できなかった。
そもそも代行者という存在が怪物の類義語であるというのに、ランサーの言葉を裏返すと『サーヴァントから見てもヤバい奴が一人混ざっている』という事実が示されている。
(――――どうする!?)
イリヤスフィールの明晰な頭脳が生涯最大の速度で回転し、即座に最適解―――代行者がアジトへ辿り着く前に戦いを終結させ、速やかに脱出する―――を弾き出す。
「戦略は変わらないわ! 速攻よ、ランサー! その槍で前方の敵を真っ直ぐに蹴散らして、シロウの許へ向かいなさい! ただし、振り返らないで! もう私とセラの事は気にしなくても構わないわ!」
「了解だ」
命令通り、すぐに駆け出したランサーだが、ふと一度だけ振り返ってこう言った。
「生き残れよ、嬢ちゃん? 坊主の為にもな」
返答は求めていなかったのだろう。ランサーは言うだけ言ったら再び駆け出し、花壇の周りに屯する亡者の一団を槍の一振りで蹴散らすと、そのまま地下へと消えていった。
「………言われなくてもっ!」
イリヤスフィールとセラは、ランサーの作りだした一本の空白をなぞり、地下への階段に駆け寄ってゆく。その中途に再び湧き出した亡者たちが立ち塞がったが、二人は決して立ち止まる事をしなかった。ひたすらに、最適化された動きで手を振い、脚を前へと進めてゆく。ただそれだけを繰り返し続ける。
「シロウ…………ッ!」
「士郎さん………!」
――――どうか、無事でいて。
一人は少年へ、一人は主へ。
同一にして別種の願いが、二人の胸中にこだました。
* * * * *
少女たちに先んじて地下へと降りたランサーは、犇めく亡者たちを事も無げに薙ぎ払いつつ奥へ、奥へと進んでゆく。
士郎の足でもたった二分で最奥まで辿り着けた単調な道筋である。事前に内部構造を把握したサーヴァントの健脚ならば、その進行速度は比にもならぬ。
――――が。
「止まれ」
最深部の一歩手前。
祭壇への道を隔てる門には。
衛宮士郎を除く全てを阻む、最後の障害が存在する。
「私は此処の門番を任されているのでな、許可の無い者を通すわけにはいかぬ」
黒く染まった羽織と色素の抜け落ちた真白の長髪を翻し。
その男は、当て嵌められた
「………よう、アサシン」
ランサーは、アサシンの姿を認めた時点で足を止めた。勢いのまま突っ込めば負ける――――それを確信させる威圧を、目の前の剣士から感じたのだ。
以前と比べ、ただ力が増しているばかりではない。アサシンの双眸からは確固たる『戦士の覚悟』が見て取れた。己の信念のためなら死すら厭わないと本気で思っている者の眼だ。ク―・フーリンは思い出す。あの眼をした戦士は、実力の強弱に関わらず非常に厄介だったと。
(わりーな、マスター。もうちっと踏ん張ってくれや)
この時点でランサーは、当初の目的であった早期決着のプランを放棄した。
令呪の縛りを脱した今の自分でさえ、確実な勝算が見えない。そんな強敵を前に余計な事を考える暇など有るわけがない。
(生き残れよ、坊主。嬢ちゃんの為にもな)
数秒前に少女に対して放った言葉を、今度は主に向けて独白する。
それきり、ランサーの思考はアサシンに集中し、他の一切を雑音として切り捨てた。
* * * * *
かつて千花は、ガンド撃ちで士郎を追い詰めた事がある。
改めて説明すると、ガンドとは、北欧に伝わる呪いである。その内容は『相手を人差し指で指す事で体調を崩れさせる』というものだ。中でも強力なものを『フィンの一撃』と呼び、こちらは直接的なダメージを与えるほどの効果がある。現代において人を指さす行為が失礼であるとされるのは、このガンドが由来であるともいわている。
「生き延びる事が叶わないのなら………せめて痛みも苦しみも、全てをゼロに戻せるのなら………」
千花が片手をゆらりと振り上げる。すると、それに倣うように、地面から染み出した黒い泥が天へ天へと持ち上がってゆく。数秒かけて一枚壁のような姿となったそれは、まるで『待て』をされた忠犬の如く、いったん動きを止めた。
「ああ、構うものか。
振り上げられた手を下ろす。
忌むべき目標へ、赤毛の少年へと人差し指を突きつける。
「受けろ、士郎。わたしの
ガンドと違って、その行為に魔術的な意味はない。
ただ『お前が憎い』とか『お前が気に入らない』とか『お前を苦しめたい』――――そんな気持ちが現実の所作として現れただけ。
たったそれだけの何の意味もないはずの行為が、いま、一切を呑み込む濁流と化して士郎に襲いかかった。
「あ、ッ…………………!?」
士郎の優れた視力は、一瞬のうちに脅威を正確に分析する。
高さ十メートル弱。幅は地下空間の端から端まで。速度も人が走るよりは遥かに速い。そしてあの津波の如き呪いの濁流は、魔力を喰う特性を持ち合わせている。結論――――無理だ。不可能だ。己の持ちうる防御手段では、どう足掻いても受け切れない!
「
咄嗟に口にしたのは、かつて赤い弓兵が唱えていた自己暗示の呪文。
今の士郎は、この一文が意味するところを知っている。
いつまでも消えない特異な投影。即ち、己が内に秘められた世界の特性を。
「弾けろッ!」
即座に虚空より投影・射出される多数の宝剣。それらは今にも津波が覆い被さらんとする地点に突き刺さり、盛大な爆炎を吹き上げた。
あの津波は、即ち聖杯の泥。アインツベルンの森でそうだったように、泥は魔力を喰らう。つまり、魔力の塊である投影品で直接攻撃したところで全くの無意味。ならば、どうするか。
(地形を変える………!)
計算された一撃が岩盤をひっくり返し、押し寄せる津波を僅かに割った。
士郎はすかさずその裂け目に飛び込み、津波の向こう側へと身体を強引にねじ込んでゆく。最中、袖口・爪先が微かに呪いに触れてしまったのか、一瞬ばかり頭の中が黒いナニカにかき混ぜられる感触を覚えたが、それだけ。後に残るのは、抉れた地面に飛び込んだ際の擦過傷ばかりである。
「――――千花ッ!!」
初撃回避――――大質量の着水音を背後に、士郎は叫ぶ。
それは問いかけだった。士郎は知っている。千花が十年もの間『生きたい』と………『死にたくない』と強く強く願っていた事を。辛く苦しい絶望の日々を耐え抜き、やっと手にした自由が
「答えろ、千花! どうしてッ!」
「答えたら、大人しくわたしの復讐を受けてくれるのか? わたしが聖杯を使って、過去を無かった事にするのを黙って見過ごしてくれるのか?」
違うだろう?――――と、第二撃。
黒い鞭。泥を固めて作られたのだろうそれが、数十の群れをなして士郎へと振るわれた。
「ああ、違う! 俺はお前を倒す。その事に変わりはない!」
「なら、何故聞きたい?」
脚力強化。
右へ、左へ、また右へ。士郎は、鋭く小刻みな方向転換で攻撃を躱し、少しずつ距離を詰めてゆく。
「覚えておくためだ!」
「何をッ?」
だが、数度回避を繰り返したことで、千花も士郎の動きを読み切っていく。
次は何処へ動く? どっちに躱そうとする? 敵の思考を読み取り、鞭を士郎へ向かってではなく『士郎がこれから向かおうとする場所』に向かって振るい始める。
五本目は避けた。六本目は掠った。七本目は………完璧に、士郎の腹部を捉えた。
「
当たるはずだった七発目が、何故か土壇場で外れた。突如として鞭の動きが狂い、軌道がズレたのだ。それは強張った表情よりもなお明白に、千花の動揺を示していた。
「俺は決めたんだ! イリヤを護る………その為にお前を倒す!」
動揺が残っているのか、続けざまの八本目、九本目も見当違いの場所を打ち据える。
その隙を逃さず、士郎は千花との距離を急速に縮めてゆく。残り――――十三メートル。
「お前を救うのは簡単だ。お前の言う通り、ただ俺が黙って、復讐を受け入れればいい! それは俺にしか出来ない事だ。復讐を遂げれば、きっとお前の心は晴れるだろう。ひょっとしたら、未来へ目を向けるきっかけになるかもしれない。どんな形であれ、衛宮士郎は万条千花を救う事が出来る! でも、俺はそれをしないと決めた。イリヤを護るために、お前を切り捨てた!」
鞭はもう当たらないと悟ったのか、千花が攻撃方法を切り替えた。
残る十本目から十七本目の鞭が内側から弾け、空中に無数の粒となって散らばった。その粒は物理法則など知った事かとばかりに宙で停滞を続けている。見よ――――かつて鞭だったはずの泥はテニスボール大の弾丸となり、士郎を撃ち抜かんとその照準を定めたのだ。
「だからせめて、俺は知らなきゃいけない! お前が何を思い、何を感じて、その結論を押し通そうとするのかを………俺が何を犠牲にして生き延びるのかを、心に刻み込まなきゃいけないんだ!」
放たれる弾丸の雨。
数にして二〇〇を超えるそれも、しかし今の士郎の歩みを阻むには及ばない。
鞭の時と同じだ。武器自体が意思を持って動いているわけではないのだ。士郎に照準を合わせるのも、何処へ撃つかを決断するのも千花ただ一人の役目。十七本の鞭から二百の弾丸に攻撃方法を切り替えたのは、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるの理論――――即ち『今の精神状態では士郎に当てられないかも』という彼の弱気からきているのだ。そこに士郎の勝機がある。
「お前の命と願いを犠牲にして生き延びた事を忘れず、これからを生きていく! それが、俺が十年前に犯した罪………俺がお前に出来る、せめてもの償いだと思うから!」
躱す。躱す。躱す。
弾の切れ目、僅かな偏りを見抜き、自分の身体を弾道から外し、逸らし、置き去りにしてゆく。無数の弾丸は一発たりとも士郎に当たらず、服の端を掠めて飛び去ってゆくばかり。彼我の距離は残り六メートル、五メートル、四メートル、三メートル………
「だからッ………だから、俺は――――――――ッ!」
今こそ士郎は投影する。
決戦が始まる直前にイリヤスフィールが見つけてくれた『切り札』を。
「まさか、それは!?」
剣の世界から零れ落ちたその剣を認識した時、千花が目をいっぱいにまで見開いた。
千花も気づいたのだ。いま、士郎が手にした
だが遅い。
距離を詰められている間も、千花にはどこか余裕があったのだろう。不死身に近い再生力、魔力を喰い尽くす泥、士郎の持ちうる戦闘手段では、とうてい自分は殺せまいと。だからこそ、ここまでの接近を許してしまった。取り返しのつかないところまで追い込まれてしまった。
「ッ、待――――――――――」
もちろん、士郎は待たない。
迷う事無く左手に握られた
その『切り札』………分類は
効果は対象に刃を突き立てる事で、あらゆる魔術を
本質は生前を『裏切りの魔女』と称された女の逸話を宝具として具現化したモノ。
真名を―――――――
「‟
その一撃は、まるで魔女からの意趣返し。
突き立てられた刃の効力によって、万条千花の肉体は完膚なきまでに
* * * * *
数時間前。衛宮邸での作戦会議の際、イリヤスフィールは言った。
曰く――――『万条の肉体には、不自然な程の肉体強化が施されている』と。
それに反論したのは士郎だった。何せ士郎には、千花と戦闘を行った経験がある。直接腕相撲でもして確かめたわけではないが、凛との戦いも含めて、それほど超人的な力を発揮しているようには見えなかった、と。
「いいえ、アイツは確かに強化されているわ。見れば分かる――――そうでしょう?」
イリヤスフィールが水を向けると、セラも、ランサーも、ライダーも………士郎と慎二を除くその場の全員がうんうんと当然のように肯定した。
確かに………『強化』は身体に魔力を流すのだから、魔術の心得があれば『見れば分かる』のかもしれない。士郎は一般的な魔術師ではなく、慎二はそもそも魔術師ではない。故に察せられなかったのだとすれば、分からなくもない話ではある。
「でも強化って………そんな風には見えなかったけどな」
フォレスティの知識を得て、実際に体験したからこそ分かる。強化の魔術による身体能力の向上は大したものだ。もし、もともと超人的な戦闘技術を持つ者が使えば、サーヴァントと正面からやり合う事だって出来るだろう――――そんな想像が浮かぶほどだ。
イリヤスフィールを疑うわけではないが………やはり、イマイチ納得がいかない部分がある。
「そこがおかしいのよ」
「どういう事だ?」
「結論から言うわ。
まさに発想の逆転であった。成程、それならば強化魔術が目立たない事にも納得がいく。
そして士郎には、千花がそれほど貧弱な理由にも心当たりがあった。
何の事は無い。十年間監禁され続け、一ヶ月前に―――それも当初の予定より早く―――目覚めたばかりの身体が筋骨隆々な方がおかしい。
「だからきっと、さっき見つけた『アレ』が切り札になる。無尽蔵に再生する肉体、魔力を喰らう泥………確かにほとんど打つ手無しだけど、それでもまだ、ゼロじゃない。時間をかけてでも取り出しておく価値はあるわ」
かくして、いつ儀式が終わるとも知らぬ状況の中で三時間もの時間を浪費するリスクと引き換えに、士郎は己の記憶から『切り札』を投影する事に成功した。
千花と聖杯の間にある繋がりを断つ。
強化・再生………千花の肉体に施された数多の魔術を完全に無効化する。
まさに一撃必殺、一発逆転の可能性を秘めた『切り札』として――――――……。
* * * * *
予想通り、効果は覿面だった。
否。予想外に覿面だったと言うべきか。
「がっ、ア…………ぎィぅゥお、アアがッ………ア」
千花は‟
「……………え……?」
士郎が呆然とするのは無理もない。
それはあまりにも凄惨な光景だった。
予想では、泥を操る力を失い、筋力も低下して戦闘能力を失う――――だけのはずだった。千花は恐らく再び強化の魔術を使って態勢を整えてくるだろうから、相手が立ち直るまでの対応こそが勝負のカギだと………‟
「な、何で。死、………死ん、だ…のか? 何、で―――――?」
混乱する士郎だが、答える声は無い。
千花はもはや物言わぬ骸――――いや、骸すら残さずいなくなってしまった。
後に残っているのは、黒ずんだどろどろの液体。かつて千花だったモノと、動揺の極みにある士郎ただ一人である。
何が何だか分からない。
何で? どうして? 一体? 渦巻く疑問に答えは出ない。
予想外過ぎる展開に士郎の頭脳はパニックを起こし、数秒の間だが何も考える事が出来なくなってしまっていた。
――――
「捕まえた」
耳の後ろから、ふっと吹きかけられる吐息。
悪戯めいたそれを感覚した時には、既に士郎の身体は背中から泥に覆われていた。
「それにしても、まさか『十年前の償い』とはね。うん………前から言おうと思っていたけれど、士郎? 君、
「な…ん、…………?」
「
どこかうら寂しい声を最後に、士郎の視界が黒く染まる。
周囲の音がおぼろげに霞んでゆく。
身体が何処か遠くへと堕ちてゆく。
―――― どうか、無事で ――――
遂には意識も途切れる寸前。
士郎は誰かの声を聞いた気がしたが、泥はそれすらも等しく、黒い水底へと呑み込んでいった。
TO BE CONTINUED・・・