Fate/mille fiore-フェイト ミルフィオレ-【完結】 作:おるか人
――――生死のいとま、アサシンは思い返していた。
あれは、山門の呪縛から解放されて直ぐの事だった。
「お侍さん、貴方のお名前を教えてくれますか?」
アサシンは答えた。
名など無い。この身は名も無き亡霊である、と。
大凡の魔術師からすれば期待外れも甚だしいこの回答に対し、千花は何と答えたか。
「なら―――――――……」
* * * * *
「…………う……」
少しの間、気を失っていたらしい。
目を覚ましたランサーは、仰向けに倒れているらしい自分の身体を起こそうとして――――すぐに、それが出来ない事に気付いた。
「……あーァ。こりゃ派手にやられたもんだ………」
右腕は根元から、左腕は二の腕から先が、右足は太腿から欠損し、残る左足も足首が千切れかけている。上半身と下半身も腹部から裂かれ、背骨と皮で辛うじて繋がっているような状態であり、人体の構造上、立てない事など当然で、もはや死体でないことがおかしいほどの重傷であった。彼の周囲はまさに血の海といった様相を呈している。
それでも彼が生きているのは、まず彼が『生存』においては比肩する者のいない英霊である事。そして、その身体が『霊体』という存在、現世の肉で無いことが原因だろう。見た目通りの重症である事は間違いないが、それと現実の尺度はイコールではないのだ。
とはいえ、これはもはや『生きているだけ』だ。
今の彼は、底板に穴を開けられた桶と同じだ。いかに魔力という水を注いでも、すぐにその穴から中身が漏れ出て空っぽになってしまう。こうなっては、いかなる治療も意味を為すまい。天命はここに極まったのである。
(負け………か)
召喚当初に望んでいた『死力を尽くした戦い』が叶ったからか。あるいは、せっかくのその戦いに『英霊の使命』という不純物を持ち込んだ己の不見識を恥じたからか。いずれにせよ、ランサーは『敗北』の二文字を思いの外すんなりと受け入れる事が出来た。
「よう、アサシン」
「………何だ?」
呼びかけると、ひどく億劫そうな声が返って来た。
見れば、近くで蹲るアサシンもまた、死体一歩手前といった様相であった。彼の傷はランサーと違って胸に孔が一つ空いているだけだが、それ一つがランサーの全身に刻まれた傷の全てを上回る力で、アサシンを死へと誘っている。
「名前、聞かせろよ。覚えといてやるぜ」
「………先の話を聞いてなかったのか?」
「確か、名も無き亡霊って言ってたな。………何だ、ありゃ名が知れてねえって意味じゃねえのか? 文字通り名前が無いって意味なのか」
「そうだ」
「お前さん程の奴がねえ」
ランサーは「もったいねえな」とぼやいた。
常識外れの長刀に読み辛い流麗な太刀筋、そして必殺の魔剣………ランサーにとっては非常にやり辛い相手であり、機会があってもまた戦いたいとは思わない。
出来ればやり合いたくない相手――――かのクー・フーリンにそうまで言わしめた剣士が名を上げる事無く死んだとは、実に勿体ない。世の無常を感じずにはいられない話だ。出来れば何かしらの名誉でもくれてやりたかったぜ、とランサーは小さく嘆いた。
「佐々木小次郎」
ポツリ、と。
小さく、しかしハッキリとした声で、アサシンは言った。
「………あ?」
「覚えておいてやると言うのなら………この名でいい」
そう語るアサシンは、あくまで満足気だった。
ランサーは知る由もない事だが、それは、アサシンの――――名も無き剣士の――――言葉ではなく、彼の主の言葉である。
かつて千花はアサシンに言った。
佐々木小次郎は架空の英霊。
なら別に、
「この
だから――――アサシンは『佐々木小次郎』を張り通す。
英名轟かす武人ではなく、主に名誉を捧げる侍として。それが彼の選んだ矜持であった。
「…………………………、」
ランサーは何も言わなかった。
アサシンもそれ以上何も言わなかった。
「――――――――――、」
話は終わり――――アサシンはすっくと立ちあがり、幽鬼のような足取りで再び門前へと帰ってゆく。
「おい、――――――」
ランサーが思わず声をかけるが、アサシンは聞く耳を持たない。
衛宮士郎を待ち受けた時のように、ランサーに立ち塞がった時のように、主より下された命を全うすべく歩を進める。………その足下に血を滲ませながら。
まだ敵は残っている。
まだ使命は終わっていない。
ならば私はこの身を賭そう、と。
一歩、
二歩、
三歩……………その瞬間が、彼の最期だった。
アサシンの足は三歩目を踏みしめる直前に消滅し、それをきっかけに、彼の姿は幻のようにほろほろと溶けて、解れて、崩れていった。
花は咲かず、
鳥は鳴かず、
風は吹かず、
月も見えない。
そんな、全く彼に相応しくない場所で、全く彼に相応しくない姿のまま、アサシンのサーヴァントはこの世から消滅していった。
「……………………………、」
ランサーは無言で、彼の死に様を見届けた。
かすかに残る魔力の残滓を、実に気に喰わなそうな目で睨みながら。
「ランサー!」
アサシンの消滅から僅か数秒後、イリヤスフィールとセラが地下の祭壇前へと辿り着いた。二人ともランサーの姿を見て一瞬だけ息を呑んだが、流石は一流の魔術師と言ったところか、すぐに平静を取り戻し、ランサーの許へと駆け寄ってくる。
「………………馬鹿野郎が」
小さな罵倒は、つい先ほどまで彼が存在していた場所に向かって吐き出された。
これじゃあ勝ち負けがあべこべじゃねえかよ、と。
「えっ、なにか言った?」
「いや、何でもねえ。それよりお嬢ちゃん、頼みがあるんだが―――――」
* * * * *
――――そして、時間は立ち戻る。
士郎が最後の令呪を輝かせたあの瞬間へと。
「撃て、ランサァァァァァァァァァァァァァ―――――――――ッ!!!」
その声をきっかけにランサーは門を潜り、祭壇へと踏み込んだ。
これはどういう事か――――アサシンに寸断されていたはずの彼の肉体は、元の姿を取り戻しているではないか。千切れていた両腕と右脚が元の場所へと返り咲き、パックリとクレバスめいて裂けていたはずの腹部も閉じている。全くの五体満足、完全なるクー・フーリンの姿がそこにあった。
もちろん、事の真相は何の事も無い。ただバラバラになった身体をイリヤスフィールの針金で無理矢理縫い付けただけの応急措置である。たった一回動ければそれでいい――――と、持ち前の生命力と令呪のバックアップを掛け合わせた、サーヴァントならではの力技であったが、背景を知らぬ千花にはさすがにそこまで察する事など出来はしない。
「小次郎ッ…………!?」
ランサーが門を越えた。それは即ちアサシンが敗れたという事である。その可能性自体は考慮していた千花であったが、つい数秒前にアサシンから『ランサーを討ち取った』と念話で連絡を受けたばかりだったので、眼前の矛盾に些か虚を突かれる形となった。
その間にランサーは神速の勢いで地を駆け、跳躍の体勢に入っている!
「‟――――――――――――
令呪の消滅、ランサーの強襲。
突然の危機に、千花は選択を迫られる。
どう行動すべきか――――迷っている時間は無い!
「‟
千花が選んだのは、聖杯の守護であった。
大量の泥が一気に地面から湧き上がり、千花とランサーの間に巨大な壁を形作ってゆく。
あの一撃をまともに受ければ跡形も残らない。かといって、このタイミングから回避は不可能。ならば正面から呑み込んでやる――――それが千花の考えであった。
実際、その判断は間違っていなかった。大軍宝具………マッハ2の速度と40キロメートルの射程範囲を持つランサーの切り札であっても、その本体が魔力の塊である以上、聖杯の泥は超えられない。かつて凜の砲撃を防いだ時とは違い、今の千花は聖杯の泥が持つ『魔力を喰う』という特性を最大限に発揮できるからだ。
「
全身の力、全魔力、魔槍の呪い………全てを最大限に開放し、ランサーは跳んだ。
そして放たれた最大最高の一撃。狙いは呪いの根源たる万条千花―――――――
「ッ!?」
千花が驚くのも無理はないだろう。
ランサーの槍は千花へではなく、全く見当違いの方向へと投擲された。
そして更に、当のランサーは槍を投擲した瞬間に
「………………!…………!?」
一体何が起きている!?――――と動揺している千花だが、状況はさら容赦なく動く。
ランサーの‟
槍から解放されたエネルギーが地下空間を揺るがし、抉られた岩盤がいくらか落石となって祭壇を襲ったものの、千花に直接的な被害は無い。
(………魔力は吸収されるだけだから、この落石を私に当てようとした………のか?)
いや、いくら何でも迂遠に過ぎる。何かもっと別の意図があるに違いない――――そう考え、泥を一部だけ解除して周囲を警戒するものの、相変わらず士郎は泥に捕らわれたままであり、まともに身動きなど取れそうにない。ランサーに至っては、地面への落下を待たずして既に消滅している。
「何だ、士郎? 君は何を……………」
その反応は偶然だった。
ほんの僅かに感じた悪寒。言葉では言い表せない根源的な感覚に従い、千花は背後を振り仰いだ。
「――――――――――――」
そこに在ったのは、白い翼。
魔槍の一撃によって穿たれた孔を駆け下りて来る、一匹の天馬―――――――。
「ライダーかッ!」
ランサーに次ぐ脅威を前に、千花は即座にありったけの泥を触手へと変化させ、天馬に差し向ける。
数にして四〇〇超――――士郎と戦っていた時とは比べ物にならない量のそれにより、天馬は瞬く間に絡めとられ、泥の中へと取り込まれてゆく。
「ッ、く!?」
だが、千花の表情はさらに焦燥を深めた。
天馬が触手に捕らわれる寸前、その背から一人の女が飛び降りるのを確認していたからだ。
「万条、千花―――――――――ッ!!」
蛇のような長髪を翻し、黒衣の女が弾丸のような勢いで千花へと迫る。
千花は再び無数の触手をライダーへと差し向けた。
「ぐゥあッ!?」
身を捩る、捻る、回転する………あらゆる手段でいくらかの触手を躱したライダーであったが、空中で出来る動きには限界があったのだろう。地上の千花まで残り8メートル、といったところで呪いの触手にその身を捕らわれた。
魔力で構成されたライダーの肉体は、一瞬のうちに泥によって食い荒らされてゆく。逃れ得ぬサーヴァントの宿命………底無しの黒い重力に引かれて消えてゆく。
よし、これで!――――そう一息吐きかけた千花であったが。
「シンジィィィィィィィィッ!」
ライダーの目はまだ死んでいなかった。
最後の切り札、虎の子の一手。彼女は懐から取り出した大粒の宝石を噛み砕き、最期の力を振り絞る。――――そして、猛る憎悪を双眸に込めたまま、右手に抱えていた間桐慎二を、千花に向けて投げ飛ばす!
「な、ぁっ―――――!?」
ライダーが千花に捕まった天馬を乗り捨てた時の再現だ。
ライダーは慎二に、千花に掴まった自分を
全ては万条千花を斃すため、千花に殺された間桐桜の仇を討つために――――――!
「おおおおおおおおおおおぁぁぁぁあああああああああ!!」
悲鳴か、雄叫びか。慎二は腹の底から声を絞り出しながら、千花へと突撃する。
残り7メートル、6メートル、5メートル、4メートル………千花も再び触手を繰り出して慎二を捕えようとするが、英霊の腕力で投げ飛ばされた人体は、急速な勢いで両者の間合いを詰めてゆく。
すぐに新たな泥の触手を差し向ける千花であるが、今度は天馬やライダーの再現にはならなかった。そう、本質がエーテル体のライダーと違って、間桐慎二は生身の人間である。流石に、泥に触れただけで分解する事は出来ない。
「さ、――――――ァせるかァッッ!!」
ならばと、千花は触手を用いて自分の眼前―――慎二の進行方向に多数の『膜』を展開した。
物理的に速度を緩める事で、強引に捕まえようという試みであった。
目論見通り、慎二は無数の泥に無抵抗のまま突っ込み、一本、二本、三本と泥の触手を突き抜けて行く。そのたびに、少しずつ速度を落としていった。
「捕らえたッ!」
残り2メートル3センチ。両者の間合いはそこで止まった。会心の叫びは、千花のものだった。
ライダーの死力は届かなかった。無数の泥に勢いを殺された慎二は、腹部にずるりと巻き付いた粘性の呪いに捕らわれ、遂に空中で静止したのだ。
「これでッ」
そう、これで決着である。
ランサーは消えた。ライダーも今に消える。これでサーヴァントは全滅。ならばもう、この冬木に千花を脅かせる者は存在しない。もはや恐れるものは何もない………千花には、そんな風に勝ち誇る暇さえ無かった。
「うがァあああああああああああああっ!!」
泥に捕らわれ、もはや成す術もないはずの慎二。
だが、それは本当に『はず』に過ぎなかった。そんな事を思っているのは千花ただ一人だった。
天馬も、ライダーも、慎二も………全てが囮。今この瞬間こそが、彼らの望んだ本命の瞬間だったのだから。
――――そう。千花は気付くべきだった。
未成年の男子一人が持ちうる重量は、例え多く見積もっても100キログラム前後。肥満体系でない慎二ならばその半分程度に収まるだろう。いかに英霊の腕力で投げ飛ばしたと言えど、そんな常識的な物理エネルギーで今の千花を害する事が出来るだろうか?
答えは当然、否だ。
ならば何故、ランサーはわざわざ最後の力を地上と地下を繋ぐことに使ったのか。何故、ライダーはわざわざこの場に、足手まといにしかならない間桐慎二を連れてきたのか。何故、慎二は呪いに捕らわれた今もなお、千花から視線を逸らそうとしないのか。
「――――――――――――あっ」
緊迫した空間に、どこか呆けた声が零れ落ちた。
* * * * *
「――――――――――――、」
その時。千花の眼には、全ての光景がスローモーションのように映っていた。
「――――――――――――、」
泥に纏わりつかれながら、右腕を振りかぶる慎二。
………その手に、何かが握られている。
「――――――――――――、」
あれは、何だ?
見覚えがある気がする。
「――――――――――――、」
そうだ、あれは………剣だ。
「――――――――――――、」
ぁ………
「――――――――――――、」
早く防御をッ――――身体が動かない! 何で!?
………ああ、
「――――――――――――あっ」
* * * * *
「くたばりやがれええええええええええええッ!!」
迸る咆哮。
万感の思いと共に投擲された慎二の‟
その時、その場にいた者達は音を聞いた。
ぱりん、と。まるで薄氷を踏み割ったかのような、小さな音を。
それはフォレスティ一族八〇〇年の歴史が崩れ去った音であり。
同時に、名も知らぬ誰かの夢が打ち砕かれた事を示す合図であった。
TO BE CONTINUED・・・
【作中捕捉】
■佐々木小次郎の名前
佐々木小次郎本人と呼べる人物は型月世界に存在せず、伝承にある佐々木小次郎の殻を被るのに最も適しているのがアサ次郎だと言うのなら、もう佐々木小次郎=アサ次郎で良いんじゃないか、というのが千花の意見。
燕返しを使える剣士=佐々木小次郎という、ちょっと哲学的な考え方です。アサ次郎が名無しだからこそ使える屁理屈。
■千花の肉体
フォレスティ一族は実子にしか継承を行えない都合上、婚姻外交のためにあらゆる分野・あらゆる相手に都合の良い肉体を『作成』する環境が整っていました。例を挙げればスポーツをする必要があるなら体格の良いマッチョマンにしたり、資産家の男に取り入るためにグラビアアイドルばりのスタイルグンバツ美女を作ったり。そうやって都合よく肉体をいじるにあたって、基本となる『素体』が存在します。
この素体は後から都合よく改造出来るよう、中肉中背で、髪も瞳も色素の無い無色で、生殖器すらも存在しない『無性』の肉体となっています。
九代目万条千花の作成にあたっては、外見に関してはどうでも良かったので、その素体を基準に肉体改造を受ける事になりました。結果、千花はキャラメイクで何一つ数字をいじらず、全部を中央値にしたような、姿かたちが整っただけの無個性な外見に仕上がりました。
フォレスティがまるで悪意なく行ったこれも『自分が何者なのか分からない。男だったのか女だったのかすら判然としない』と、千花のアイデンティティを大きく揺るがす出来事であり、改造以前の記憶をほぼ全て喪失している事と合わせて、自我を保つためには士郎への復讐心に縋りつくしかない・・・という状況に追い込まれることになったのです。
小次郎が一番同情したのはこの部分。自己証明の手段が復讐心しか存在せず、自分自身に何の価値も見出せないというパーソナリティが、燕返しという剣技に立脚する名もなき剣士に刺さったわけです。
似た者同士にして、本質的には正反対。それが本作のアサシン主従。
何も持ち得ず、報われず、ただ消えゆくだけの人生に、せめて一輪の花を添えてやろう。
―――それがたとえ、血色の仇花だとしても。