Fate/mille fiore-フェイト ミルフィオレ-【完結】 作:おるか人
Scene.07 少年の願い
【第五次聖杯戦争 一日目】
―――穂村原学園、屋上。
雲一つない快晴の空。煌々と降り注ぐ日差しが季節を一つ先取りした世界を作り出しており、眼下のグラウンドには普段より多くの生徒の姿があった。
彼らの遠い歓声に耳を澄ませながら、万条千花はポツリと呟く。
「みんな、楽しそうだなぁ」
ふふふ、とまるで母親のように笑う千花は、どこか得体の知れない色香を醸し出している。
「お昼休みは日向ぼっこって決めてたんだけど……身体動かすのも良いかもね? ドッジ、サッカー、バスケ……うぅん、迷うなあ。―――ねえ、士郎はどれがいい?」
花咲くような笑顔で話題を振られた時、士郎は知らず、生唾を一つ飲み込んだ。見た目の美しさはもちろん、動作の一つ一つから香り立つ魅力が、士郎の頭をひッ掴んでグラグラと揺らしてくるのだ。
ただそれは、この年頃の男子にありがちな劣情ではなく―――魔術という神秘に触れた者のみが感じ取れる、
「万条…………」
「あはっ。
どうしたの、急に?―――なんて。彼は当たり前のように、有りもしない過去を語る。
その埒の明かなさに苛立ち、士郎も強硬策を取る事にした。左手の包帯を解き、令呪を見せつける。
「――――――――――、」
瞬間、千花の表情が僅かに強張った。それを見て、士郎は己の考えが間違っていなかった事を悟る。
「万条、お前……やっぱり、
敢えて確認を取る士郎の問いかけに、千花は答えなかった。ただ、先ほどまでの蠱惑的な微笑を跡形もなく消し去り、その美しい顔を無表情に染めるのみだ。
(やっぱり……こいつは、魔術師だ!)
士郎は確信と共に、何時でも発動できるよう、令呪に意識を集中させた。
* * * * *
―――時間は昨夜に遡る。
衛宮切嗣―――己の養父が十年前に行われた第四次聖杯戦争の参加者だった、という事実がイリヤスフィールから告げられた時……士郎は胸を槍で刺し貫かれたかのような衝撃を覚えた。
十年前に冬木市で起きた戦い。それに参加していた養父。それらの情報から、士郎が冬木市大災害との関連を見出したのは必然だろう。
そして、これから行われるのは―――第四次に続く、第五次聖杯戦争だ。
(また、
肌が栗立つ感覚がした。
それは、衛宮士郎にとって到底許容できない事だ。
「私としては、サーヴァントを召喚してくれさえすれば文句はないわ。戦いに巻き込まれたくないって言うなら、令呪を破棄してもいいし、戦いが終わるまで私の城で匿ってあげてもいいよ」
イリヤスフィールからの提案に、士郎は二つとも首を振った。
「ありがとう、イリヤ。けど―――俺は戦うよ」
「…………何か、聖杯で叶えたい願いがあるの?」
「いや、そんなんじゃない。俺は、十年前のような悲劇を二度と繰り返させないために魔術師になったんだ。だから、第五次聖杯戦争がこの町で起こるっていうなら……また、あんな悲劇が起きる可能性があるなら……俺は、戦わなくちゃいけないんだ」
士郎が決意を語った時、イリヤスフィールは少しだけ気に食わなそうな表情を浮かべた後「なら、好きにすれば?」と言い捨てた。
……今の言葉のどこが、彼女の癪に障ったのだろうか。士郎は「どうしたんだ?」と問うたが、イリヤスフィールは「何でもない」とだけ返した。何でもある事は明らかだったが、彼女の断固たる拒絶を前に、士郎はそれ以上何も聞けなかった。
その後、戦う覚悟を決めた士郎に対し、イリヤは『勉強会』と称し、士郎に魔術の指導を行った。
その理由について、彼女は「マスターが初心者丸出しだと、サーヴァントが可哀想でしょ」と説明したが、真意の程は分からない。
とにかく、魔術回路の作り方、スイッチのON/OFFを切り替える方法……士郎が根本から勘違いをしていた部分については少年と少女の間でひと悶着があったものの、それ以外は士郎も最低限の知識は持っていたため、勉強会は大方スムーズに進んだ。
話が長引いたのは、イリヤスフィールが暗示について説明する際、「シロウは魔術に対する抵抗力がないから、敵に捕まらないように気を付けなさい」と口にした時だ。
「どういう事だ?」
「簡単よ。シロウのような“例外”でない限り、魔術師は簡易的な記憶操作や意識誘導を習得してるの。それらに対抗する術を持たない士郎は、魔術師に捕まった時点で、殺されるまでもなくゲームオーバーよ」
「記憶の操作? 魔術師って、そんな事までできるのか!?」
士郎は日々のたゆまぬ鍛錬で、そこらの不良には負けない程度に強靭な肉体を有している。……が、イリヤスフィールの言う通り、魔術師として半人前である以上、搦め手には無力だ。
例えば、聖杯戦争に関する記憶を奪われれば……それだけで、士郎には戦う理由がなくなってしまう。
(でも、記憶を操作するだなんて、そんなの一体どう…………待て、
暗示について自分なりに対策を巡らせようとした時……士郎は恐ろしい事に気が付いた。
「なあ、イリヤ。その記憶操作って、例えば……
そう、例えば。衛宮士郎から、万条千花に関する記憶だけを抜き取る事も……あるいは。
―――果たせるかな。イリヤスフィールは士郎の疑問に「ええ」と、一言で首肯してみせた。
「まともに魔術を修めた人間なら、それくらいは造作もない事でしょうね」
* * * * *
そして現在。士郎は、士郎から自身の記憶を奪ったであろう人物―――万条千花を屋上へ呼び出し、相対しているのである。
令呪を見せた時の千花の反応も、仲の良い友人が突然刺青を入れてきたことに対する驚き……というものではない。明らかに、敵対者を前にして警戒したような、動物的な反応であった。
「
「驚いた。雰囲気が違うとは思ったけど、一昨日とはまるで別人じゃないか。誰の入れ知恵かな……?」
消極的にではあるが、いま、千花は士郎の言い分を認めた。
「認めるんだな」
「うん。わたしは聖杯戦争の参加者……マスターの一人だよ」
そう言って、千花はシャツの下に隠された胸元を晒した。白磁のような肌に、血色の刻印が二画―――凜に魅せたものと寸分違わぬ令呪である。
が、士郎は凜と違い、令呪の使用跡など気にしないし、そもそも気にも留めなかった。
「なら、俺に暗示をかけたのもお前だな?」
「? 士郎に、暗示を?」
「とぼけるな。お前は暗示を使って、俺からお前の記憶を消したんだろう」
何でそんな事をしたんだ、と詰め寄る士郎。
自分の記憶が知らない間に書き換えられていた、なんて―――まるで
しかし、実のところ士郎は怒っているわけではなく、困惑しているのだ。イリヤスフィールとの勉強会で、前日の異世界現象が暗示である可能性に気付いた士郎だが……ハッキリ言って、そんな事をする意図が全く読めなかったからである。
が、それもそのはず。そもそも士郎は思考の前提を間違えている。
「ああ、なるほど。周りの皆は
「…………違うのか?」
「うん、違うよ。正しいのは士郎の方。万条千花は、間違いなく一昨日までこの学園に存在しなかった。わたしはね、学園中の人たちみんなに『万条千花という人物は、以前からこの学園にいた』っていう暗示をかけたんだよ」
想像以上のスケールに、士郎がアングリと口を開ける。
真実は、士郎の考えとは全く逆の真相だったわけだが……しかし、残る疑問は同一である。
「何でそんな事したんだ?」
「んー、理由はたくさんあるよ。この学園を昼間に堂々と調査したかったから、誰かさんをおちょくりたかったから、此処には聖杯戦争を有利に進める鍵があるから……その他、大小のもろもろがあったりなかったり」
「誰かさん……? もろもろって何なんだ?」
「士郎もマスターなんでしょ? なら、ライバルだからね。戦略はナイショだよ」
「む…………なら、他には何もしてないか?」
「他って、暗示以外にって事かな? わたしがこの学園の生徒に対してした事は、万条千花という人物に関する認識を、暗示で刷り込んだだけ。これは、家の名前に誓ってもいいよ」
他人の心の機微に関しては鈍い士郎だが、この発言は虚偽ではないという確信があった。
「そうか。あと、もう一つ聞いても良いか?」
「なに?」
「もし、聖杯を手に入れたら……何を願うつもりなんだ?」
これだけは確認しておきたかった士郎である。
千花は今のところ、かなりのグレーゾーンである。一成を始めとする生徒たちへの暗示は、記憶を『消した』なら、他人の尊厳を踏みにじる行為として士郎が憤りを覚えた可能性は高かったが、記憶を『加えた』となると、扱いとしては難しい。
奇妙な記憶改竄の意図は大部分が不明瞭だが、今のところ改竄した記憶を悪用している様子もないし、本当にただ、先の目的を達成するために必要な行為だから、というだけなら……特に被害を受けていない士郎が怒る事ではないのだ。
ゆえに士郎は、もしも千花が聖杯に託そうとする願いが他者に害を与えない類のものであるなら、この場で無理に戦う必要はないと考えていた。
士郎の願いは、聖杯戦争で無関係の人間に被害を出さない事。千花の方向性が士郎と一致するなら、とりあえずは味方として捉える事もできる。
周囲に迷惑をかけたくない、という人物だけが最後に集まり、正々堂々と雌雄を決する事ができれば、それが士郎にとっての最善。
つまり士郎はここに、敵マスターを説得する機会を得たのだ。
「そういう士郎こそ、何を願うつもりなの?」
「ん? 俺は聖杯なんていらない」
「ウソだあ。一昨日まで聖杯戦争の事を知らなかったんでしょ? 大した思い入れもないのに参加しようだなんて、聖杯が目的以外に何があるのさ?」
そう言われて、士郎はむっ、と言葉を詰まらせた。
確かに、他人から見れば今の言い分はウソと聞こえても仕方がないかもしれない。
「聖杯がいらないってのは本当だよ」
「じゃあ、何でわざわざ戦うの? あ、もしかして教会の事を知らないとか?」
「違う。俺は、こんなバカげた戦いに、無関係な人間を巻き込みたくないんだ。前回の聖杯戦争では、街でたくさんの犠牲者が出たって聞いた…………あんな事、絶対に繰り返させるわけにはいかない!」
途中、赤黒く燃える炎が士郎の頭を過ぎり、自然と語気が荒くなる。
「冬木市大災害、か」
千花が口にしたのは、士郎が今まさに思い浮かべていた過去。
「確かにアレは凄惨な事件だったね。そっか、士郎は……
「知ってるのか。……ああ、そうだ。あんな事、もう二度と繰り返―――」
「―――
まるで、「遊びに行こう」くらいの気軽さだったので……士郎は一瞬、彼が何を言ったのか理解できなかった。
「……………………なん、……だって?」
たっぷり十秒の沈黙を挟み、ようやく千花に、今の発言の真意を問い質す。
「ん? だから、さっきの質問の答えだよ。聖杯を手に入れたら何を願うか、ってやつ。さっきまではどうでも良かったけど……うん、決めた。わたしは、
にこやかに笑いながら。
万条千花は、あっさりと―――衛宮士郎を敵に回した。
「お前…………」
世界が赤く染まる。
眩暈で身体がグラリとよろける。
(本気だ)
こいつはきっと、聖杯を手にしたら―――本当に
この街に、士郎の記憶にあるあの悲劇を。十年前の光景を寸分違わず再現させるだろう。それもまた、確信として受け取った。
「お前ぇぇぇぇぇえええええええええええッッッッッ!!!」
迸る叫び。輝く令呪。―――膨大な魔力の炸裂と共に、衛宮士郎の剣が穂村原学園の屋上へと召喚される。
「出番だよ。おいで、小次郎」
何処に隠れていたのか。合図と共に和装の剣士が現れ、千花の前に立ち塞がる。
―――交差する神速の剣閃。
人の目には到底捉えられないその一撃を以って、第五次聖杯戦争は開幕を告げた。
TO BE CONTINUED・・・
【作中捕捉】
■士郎、残り令呪・・・二画。
命令内容は『セイバーの召喚』。