月夜を行く魔女は絵を描く   作:薄汚いメトロン星人

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月夜を行く魔女は絵を描く

 世は産業革命と言われてはいますが、まだまだこの世界では魔法の力で回っております。

 

 都会の夜、レンガ造りの建物から漏れる光は優しく闇の中に溶け込んでいきます。空の星々とぽっかり浮かんだお月様がきれいですね。

 

 そこを暖炉の火からあがる白い煙の伸びる中を一本の箒にまたがった少女がゆきます。

 

 キラキラと青い魔力のかけらを煌めかせながら箒にまたがった少女は空を飛びます。深い緑の髪は長くさらさらと風になびきます。その頭には大きなとんがり帽子。黒くて昔から魔法使いが好んでいるクラシックな形です。そこには三日月が刺繍されていました。

 

 少女は箒を操って高度をあげました。それだけで周りにきらっと魔力の光が弾けます。地上から彼女を見上げて指を指したり、驚いたりしている人々がいました。

 

「よっと」

 

 夜の真ん中で少女は箒の上に2本の足で立ちます。

 

 胸元に大きなルビーをつけた黒いコートには金の刺繍が施されていました。そして落ち着いた赤いスカートとヒールの高いブーツ。魔法でバランスを取っているのでしょうか。そのヒールの踵に箒を挟んでいます、

 

 彼女の前には夜の中の街があります。夜風がぴゅーとふいて彼女は帽子が飛ばないように手で押さえました。

 

「いい夜だね」

 

 彼女がマントを翻すと皮のベルトとそこにホルダーがありました。ホルダーを指でパチンと開けると中には数枚の長方形のガラスプレートがあります。その一枚を彼女は空中に放り投げました。

 

 彼女の前に星のような形の光がぱぁと弾けて、ガラスプレートを中心に光は透明なキャンバスになりました。彼女はさらに人差し指を立てて空に向けます。片目を閉じて自信に満ちた顔、少し微笑んでいるようにも見えますね。

 

 彼女が指を動かすと青、赤、緑、黄色、様々な光の形が彼女の指から形を成して宙に浮かんでいきます。それは魔力の絵の具、彼女はそのままキャンバスに指を走らせます。

 

 両手で音楽を指揮するように、夜の中で彼女はキャンバスの中に自分の魔力を込めていきます。ふと手を止めては「んー?」とかわいらしくうなっては、頭の上に電球がぴかーんと光ったように笑顔になっては手を動かします。

 

「こんなところかな!」

 

 彼女が言うと光がゆっくりと収束していきます。そして彼女の手の中に光をプレパラートのように閉じ込めた一枚のガラスプレートだけがありました。彼女はそれを満足そうに見ています。

 

「あははは。このルーナ様をなめんなよ、くそ師匠めぇ~!」

 

 両手を組んで夜の中で大笑いするルーナ、月は彼女を優しく見下ろしていました。

 

☆

 

 とある日、絵画の魔女。『ルーナ・シュガーライト』は激怒しました。

 

 今の魔法使いといえば教会に所属してお仕事をしています。それぞれの研鑽した魔法で仕事をして生活費を稼いでいるのでした。

 

 ルーナは自分の魔力で絵を描きます。今日はそれを納品しに来たのです。

 

 大聖堂で神に祈りをささげてから彼女は足取り軽く併設されている魔法教会の施設に足を運びます。そこには教会の仕事を請け負う人々がいました。彼女は受付に行ってホルダーに入った魔力の光を閉じ込めたガラスプレートを提出しました。

 

 様々な光を持つそれを教会の係員が受け取ります。

 

 その時彼女の後ろから声がしました。

 

「よぉ。ルーナ」

「げっ」

 

 振り返らずに「げっ」などと言ってしまうものですから、声の主はルーナのお尻を蹴飛ばしました。

 

「いった!? な、なんですか師匠!」

「師に挨拶もせずに『ゲッ』などというバカ弟子にはいい仕置きだろ」

「そんなに露骨には言ってませんよ、もーすこし、おしとやーかにいいましたぁ」

「全く、この子は……」

 

 師匠と言われた女性は灰色の髪の初老の女性です。彼女は深い藍色のマントを羽織っていました。丸メガネをかけた上品そうな女性ですが、弟子を蹴る程度にはやんちゃでもありました。

 

 アウロラ・ソデ  

 

 彼女は先代の『絵画の魔女』と言われた女性でした。ルーナはその弟子でした。弟子とはいってもルーナの方はむしろライバル視しているようです。

 

「ふふん。今回の仕事は相当な出来ですよ、師匠」

「どれどれ、君。それを貸してもらえないかな」

 

 教会の係員が少し戸惑いましたが、一枚のガラスプレートを布で丁寧に包んでから、両手で彼女に差し出しました。それを無造作に指で捕まんでアウロラはとりました。

 

「あ! 師匠ぉ、モー少し大切にて下さいよぉ」

「うるさい子だね」

 

 アウロラはガラスプレートを空中に投げました。それは光を放ち、あたりを染めていきます。いや……正確に言いましょう。この場所を魔法にかけていきました。

 

 ――湖の上でした。

 

 アウロラとルーナと巻き込まれてしまった教会の受付のお姉さんがそこに浮かんでいます。

 

 霧の中の湖。遠くに靄のかかる山々の見える幻想的な光景が広がっています。それは3人の心の中に入り込んだルーナの魔法でした。

 

「どうですか師匠! なかなかでしょう」

 

 ふふんと鼻を鳴らすルーナ。教会のお姉さんは「おおー」ときょろきょろと頭を動かします。アウロラは難しい顔で言いました。ポケットから最近はやりの紙煙草を出して指をぱちりと鳴らして火をおこします。簡単にやっていますがほんとは難しい火の魔法でした。

 

「まだまだだね。普通過ぎる」

「な、なああにぃ?」

 

 ルーナは抗議しました! 一生懸命に描いた魔法の絵です。しかしアウロラはふーと白い息を吐いてから言いました。

 

「いいかいルーナ、絵というのはうまいだけではダメなんだよ。これはどこかの山奥をそのまま描いただけだろう? お前がいないんだ」

「は、はあ? 私がいない?」

 

 なにいってんだこのばばあ、とルーナのかわいらしい唇が小さく動いて汚い言葉を出しました。

 

「聞こえているよ」

「ひえっ」

 

 アウロラがガラスプレートを手に取ると世界はそのまま閉じていきます。いつの間にか教会に戻ってきていました。しかしルーナの怒りはぷんすか収まりません。だけど師匠に殴りかかるわけにもいかず、闇討ちの算段を頭でつけただけで彼女は引き下がりました。とても謙虚だと、彼女は心に想います。

 

「もーいいですよ師匠。それよりもそれは仕事の納品物ですから返してください」

「はいはい」

 

 アウロラが教会のお姉さんにガラスプレートを返しました。それを見てからルーナは聞きました。

 

「それで次の依頼はどんなのですか?」

 

 教会のお姉さんは返します。

 

「ああ、次はですね。……ちょっと特殊なお話でして、アルドラ通りに住んでいるステラさんという一家の息子さん……って知っていますか?」

「いやー、知らないですね」

 

 ルーナは普通に知らないといいましたがアウロラはぴくりと眉を動かしました。

 

「そこの息子さんが盲目なのですが……どうしても一度世界を見てみたいと」

「なーんだそんなことかぁ。大丈夫、盲目だとしても私の魔法は心に描くから見ることができるから、じゃあその依頼――」

「やめときなルーナ」

 

 アウロラは止めました。ルーナは「はぁ?」と振り返ります。アウロラは煙草をふかしながら言います。

 

「盲目の子に手を出すのはやめておきな」

「何でですか?」

「何ででもさ」

「私の魔法は目で見るものじゃないのは教えた師匠が一番知っているはずじゃないですか」

「そりゃそうだ。私が一番知ってる、お前の腕じゃまだやめといたほうがいいよ」

 

 その言葉にルーナはかちーんときました。

 

「なぁんだってぇ!!」

 

 教会中に響き渡る声です、みんな驚いていました。ただルーナは止まりません。

 

「い、いいでしょう! 師匠! そこまで言うならこの私の実力をちゃんとわからせてあげるんだもんね!」

「…………これも修行か。だけどねルーナ。踏み入れたら逃げることは許されないよ」

「逃げるってこのルーナさ」

 

 ルーナ様と自分で言いかけて一応師匠に気を遣います。

 

「このルーナちゃんが逃げたりするわけないじゃないですか!」

 

 こうして激怒したルーナは新しい依頼書を教会のお姉さんからひったくって飛び出していきました。

 

☆

 

 そんなこんなでルーナからすれば最高の出来になった魔法の絵画である『都会の夜』は出来上がりました。通常であれば協会の人員が運ぶ絵画のガラスプレートを自分で依頼主まで運ぶことにしました。

 

 それは中央の街にある一軒家です。彼女はお昼時にそこを尋ねました。年老いた男性が迎え入れてくれ、中には同じくらいの女性もいました。おそらく夫婦なのでしょう。

 

 ルーナは箒を玄関に立てかけておいて防犯用に魔法をかけます。盗もうとすると魔法の絵の具で顔がべっとりとなる嫌がらせの魔法です。家の中は綺麗に片付いています。もともと物が少ないのもあるでしょうが、清潔な感じがルーナにはしました。

 

 階段は狭くルーナのマントがこすれてしまいます。上がりきると意外と明るい場所でした。通り側の窓を開いて、そこに一人の少年がいました。赤毛の彼は物音に振り返ります。

 

 その瞳には光がありません、白く濁っていました。

 

「だれ?」

 

 その幼い声に男性がルーナのことを紹介しました。だからルーナも言います。彼の名前は依頼の時から知っていました。

 

「こんにちはレオン君。私はルーナ・シュガーライト……『絵画の魔女』だよ」

「魔女……じゃ、じゃあ」

「ええ、描いてきましたよ街の風景を」

「ああ、はやく」

 

 レオンは立ち上がり手を両手に出して歩きます。

 

「早く見せて」

「おっと危ないよっ」

 

 ルーナは一度父親に目配せします。いいのかとその目は言っていますが男性は頷きました。男性は一度レオンの頭をなでてルーナに会釈すると下に降りていきます。

 

 ――ふふふと不敵に笑うルーナ。彼女は腰のホルダーをぱちんと開けて中に夜を閉じ込めたガラスプレートを取り出します。

 

「じゃ、早速行ってみますか!」

 

 ルーナはガラスプレートを投げます。そこから夜の星の様光が溢れていきます。部屋の中にいる2人の心に魔法の力が流れていき、その心の中にあの日描いた夜が広がっていきました。

 

 空に浮かんで書いたからか二人は空の真ん中にいました。

 

 綺麗に晴れ渡った星の空と月が浮かんでいます。

 

 眼下には大きな街が広がっています。そこを通る人々の影が伸び、家々からは灯りが漏れています。

 

 魔法の絵画の中でレオンは顔を上げました。

 

 彼の目には光が宿ることはありません。だけど今のこの光景は彼の心の中で見ることができました。

 

「あれ、はなに?」

 

 レオンは指さします。それは星でした。ルーナが言います。

 

「あれはアウンレスという星ですね。あそこから神様が私たちを見ているといいます」

 

 ふふんと得意げに星座のおとぎ話をしてあげるルーナ。レオンはただ「ほし……あれが星」と言いました。彼にとっては初めて見るものばかりでした。

 

 レオンは心沸き立つままに聞きました。

 

「あれは!? あれは何!? お姉ちゃん」

「あれはねぇ。えっと、なんだあれ」

 

 ルーナは何でも聞かれます。煙突も家も、道行く馬車もレオンにとっては初めて見たものばかりです。彼はこの絵画の中で手を広げてはしゃぎまわりました。

 

「きれい、きれい、綺麗だぁ。こんなに世界って綺麗なんだ」

 

 感動している姿にルーナは満足しました。心の底で「しめしめくそ師匠め」と思っています。依頼はうまくいったと彼女は思いました。

 

 レオンはまた空を見上げています。

 

「こんなきれいな世界をみんな毎日見ているんだ」

 

 彼の声はだんだんと小さくなっていきます。

 

「なんで……神様は僕には見せてくれないのかな」

 

 ルーナはその時「ぇ?」と目を見開きました。レオンは彼女を振り返ります。彼の光のない瞳から涙があふれていました。

 

「こんなのみちゃったら、僕、僕さ、みんなずるいっておもっちゃった」

「あ……え」

「お姉ちゃんも見て描いたんだよね。僕にはお姉ちゃんの姿は見えないけど」

 

 ルーナの姿は描かれていない魔法です。彼には彼女の顔はわかりませんでした。彼は寂しげに笑いました。

 

「いいなぁ……こんなに世界は明るいって知っちゃったら、僕の世界はこんなにも暗いんだってわかっちゃった」

「――っ」

 

☆☆

 

 夕暮れ。

 

 ルーナは箒を両手でもってぼんやりと家路に着きました。依頼は終わりました。仕事としては十分だったでしょう。だけど少年の寂しげな表情がルーナには忘れられませんでした。

 

 街の中を彼女は歩きます。

 

 ありふれた日常が過ぎていきます。行きかう人々、馬車や彼女と同じ魔法使いの格好をした人たちもそこいました。

 

 いつもなんとなく過ぎていくその光景は少年にとっては永久に手に入らないものなのでしょう。いつの間にかルーナは走り出していました。

 

「はあはあはあ」

 

 どこに行くでもなく彼女は走りました。途中で息が切れて走れなくなった時に膝を手について止まりました。彼女が顔を顔を上げると日が沈もうとしていました。

 

 街はずれの水路の前、石造りの橋の上でのことです。

 

「はあはあ」

 

 ルーナはベルトのホルダーから数枚のガラスプレートを出しました。そこには川や山や建物が魔力の絵の具で描かれています。それをルーナはつかみます。

 

「うあああああああああ!!」

 

 ガラスプレートを投げるとそれらは光のかけらを出して橋の下に落ちていきます。そして彼女はとんがり帽子のふちを掴んでぎゅうっと引き寄せます。

 

「う、うう。うああ」

 

 そのまま夜になるまで彼女はそこに居ました。

 

 月が顔を出して、星が光りだしたころに彼女に声をかける人がいました。

 

「ルーナ」

 

 ルーナが見ればそこにはアウロラが立っていました。

 

「師匠……」

「その様子じゃうまくいかなかった……いや、逆か。うまくいってしまったようだね」

「…………私、私、自分のことばかり考えて、世界を描いて、それをあの子に見せてしまって……。じ、自分のことしか見てなかった」

 

 ルーナの目から大粒の涙がこぼれていきます。絵画の魔女言います。

 

「あの子がこれからずっと……自分の世界が暗いって思いながら過ごしていくって思ったら、私は、どうしようもなくて、ああ、なんてことをしたんだって」

「…………」

 

 アウロラは泣いているルーナの近くに近寄る。その胸倉をつかんで引き寄せました。

 

「え、し、ししょう?」

「泣きたいなら大きく泣きな! 生きて、何かを描いていればね! どうしたって誰かの悲しみに触れることはあるんだ!!」

 

 アウロラの目が彼女を見ます。

 

「絵を描くってのはただ世界を映すことじゃない。心に触れることだよ。そこでいろんな感情と出会うことができる……聞きなルーナ。あんたが出会ったのはその一つなんだよ。だからルーナ」

 

 アウロラの声が優しくなります。

 

「絵をみてくれた人の……言葉の一つ一つは心の形なんだ。お前の依頼主からの言葉はお前の心に響きすぎるくらいに響いたんだろう……そこから何かを学びなさい。ルーナの心が感じたことを忘れないように覚えておきなさい……次に何を描くべきなのかはそこから生まれるのだから」

 

 ルーナを放してアウロラは微笑みました。皺の刻まれた彼女の顔は長い年月を渡ってきたことがルーナにはわかりました。ルーナは泣きながら彼女の顔を見ます。そして言いました。

 

「んな」

「なに?」

「んなことわかっているんですよ!!!」

 

 ルーナは言いました。

 

「私は今傷ついているんだから慰めだけでいいんじゃないですか!? 師匠!」

「なーに言ってんだい。お前にはちゃんと説教しないとわからないだろう」

「……ぐぐぐ、いいでしょうよ」

 

 ルーナは両手を組んで足を少し開く。

 

「ルーナ様がこんなことでへこたれるとでも思っているんなら、おーまちがい、ですからねっ!」

「泣きべそかいてたくせに」

「かいてません! これは……これは……ええい! ししょうのばーか。ばーか!」

 

 ルーナは走り出します。夜の街を彼女は駆けだしました。

 

 まっすぐに向かったのは彼女の工房です。ドアのカギを開けるのも面倒で足でぶち破ろうとしてむしろ跳ね返されました。足を抑えながら彼女は工房に入ります。

 

 机があります。そこの上には絵の依頼書が積まれていました。

 

「どっせい!」

 

 それを彼女が勢いよく地面に叩き落しました。ばらばらばらと依頼書が落ちていきます。代わりに彼女はベルトのホルダーの中からまだなにも描かれていないガラスプレートをとって机に並べました。

 

 彼女の工房の灯りはその日、落ちることはありませんでした。

 

☆☆

 

 とある夜のことでした。

 

 レオンは窓枠から夜風を浴びていました。彼の視界は黒くふさがっています。それを子供のころから気にしたことはありませんでした。ただ彼の部屋の引き出しにしまってある『夜の街』のガラスプレートを見てからいつも悲しい気持ちになってしまいます。

 

「…………このむこうに何があるんだろう」

 

 盲目の彼は両手を伸ばします。何かを掴もうとしていつも通りになにも――その手を誰かが掴みました。

 

「……え?」

「こんばんは、レオン君」

 

 その声は聞き覚えがありました。少し気の強そうなお姉さんの声を思い出します。

 

 そう、ルーナは箒に両足で乗り、窓の向こうから彼に手を伸ばしているのでした。

 

「お姉ちゃん」

「突然で悪いけど、私とデートしようか?」

「えっ、え?」

 

 少年の体はふわりと浮き、箒にまたがる形になりました。ルーナも「よっと」と言いながらまたがりました。

 

「しっかり捕まっててね!」

「ええ~?」

 

 二人の乗せた箒はすーっと空に上がっていきます。青い光を飛ばして。

 

「ど、どこにいくの?」

 

 少年の声をルーナは返しませんでした。代わりにホルダーから何枚かのガラスプレートを取り出します。それを少年の手に持たせます。もう箒は空中で止まっていました。

 

「これ」

「君が嫌ならいい。……あれから私もいろいろと考えて描いてみたの。よかったら見てもらえないかな」

「……でも、これを見て綺麗だったら僕。また、苦しくなっちゃうかもしれない」

「……」

 

 その言葉にルーナは目を閉じて苦し気に唇を噛みますが何も漏らしませんでした。二人はそのまますこしだけ空にとまっています。しばらくするとレオンが言いました。

 

「僕、見たいな。お姉ちゃんの絵」

「…………ありがとう」

 

 その瞬間にガラスプレートは光を放ち始めました。

 

 ――緑色が広がっていきます。緩やかに伸びた草木が柔らかくえがかれていました。

 

 川がありました。流れる水は青と水色の絵の具が混ざり、そこに色とりどりのスイレンが咲いていました。それは光を放ち、ぱあと世界を優しく照らしています。

 

 スイレンの花びらが舞っていました。

 

 レオンはその光景を見て「わぁ」と声に出します。初めて見る光景に彼は感嘆の声を上げました。街の光景ではなく、どこかの山の中なのかもしれません。

 

「あれが川ね。スイレンの花は私は好き」

「へー。スイレン……光る花かぁ」

「光らないよ」

「え?」

 

 ルーナの声にレオンは驚いた声を上げましたが、ルーナは口元に別にガラスプレートをもってきてチュッと唇をつけます。

 

 ――世界は一変しました。

 

 ここは市場です。大勢の人々が行き交い、様々な商品が売られています。がやがやと大勢の人たちの声がしてきそうですが、そこにいる人々は少し変わっていました。

 

 ちゃんと人の体をしていますが首から上が猫なのです。かわいらしい猫たちは白猫は魚を売り、黒猫は野菜を売り、三毛猫は何を買おうか悩んでいます。よく見れば遠くから両手を組んだ灰色の猫が警棒を持って市場で悪いことをしてないか見張っています。

 

 レオンは人の姿がこの前みた絵と違うということに気が付きました。

 

「あれ? なんかあれ、人だよね。なんか姿が違う」

「あれは猫たちだよ」

「猫!? ネコッってあの撫でたら柔らかいあの猫なの!? あんなに大きいの?」

「……ううん。猫はちっさくてかわいいの」

「で、でもあれは」

「レオン君」

 

 ガラスプレートをルーナはもう一枚掲げました。彼女はそれをぱっと指を放します。すると宙に浮いたそれから光があふれ出してきました。レオンはそれに一度顔を腕で庇いました。

 

 次に気が付いたとき、夜の光景が広がっていきました。ゆっくりと花が開くように。

 

 空にあまねく星が浮かび、青い流星が渦を巻く。どこまでも広がる星の河が様々な光を伴ってずっと、見えないほどの遠くまで登っていく。そのそばに大きな月が浮かんでいました。

 

 レオンはその光景に心を捕らえられました。彼ははっと顔をして周りを見ました。そこには一人の少女がいたのです。とんがり帽子の少女。動いたりしませんが笑顔でそこ立っていました。それは絵の一部でした。

 

「これが、お姉ちゃんの姿?」

「そう、どう? 本物のルーナちゃんはかわいい?」

「かわいいっていうのがよくわからないけど、きっとそうだとおもう」

「あんがと」

 

 素直に言われてルーナは顔をかきました。照れくさそうに。ただレオンの見ている彼女は動かない。彼は銀河の広がる空を見て呆然としています。

 

「綺麗」

「……」

「これが外の世界?」

「違うよ」

「え?」

 

 ルーナは自らの描いた世界の中で顔を上げました。

 

「これは私の描いた世界。実際にみた風景じゃない」

「……お姉ちゃんの描いた世界……?」

「うん。……私は今まで何かを描くときにそこに行ってそれをそのままに描いていた」

 

 銀河に手を伸ばす。心の中にある風景を描いた光の河に自分の手を重ねました。大きな世界を描いた小さな手が一緒に……そこにあります

 

「きっとまだまだこの『絵』も未熟なんだ。だけど、心の中に描いたものを描くことは……楽しかった。光るスイレンも、猫の市場も、この銀河の中の夜も」

「…………」

 

 レオンはその言葉にうつむきます。言葉はありませんがルーナは彼が何が言いたいのが分かった気がしました。彼の明日は真っ暗な世界に戻ることが分かっていました。

 

 だからルーナは彼の手を取りました。

 

 ルーナの手に温かい魔力の絵の具がありました。レオンは手のひらからだんだんと心の中にその温かさがにじんでくるような気がしました。

 

「私は『絵画の魔女』として絵を描いてきたけどまだまだだった。……レオン君の心に触れて傷つけることも考えられなかった。…………ああ……なんだかうまく言えないんだけど」

 

 ルーナはぎゅっと手を握った。

 

「たぶん、心ってキャンパスなんだ。そこに絵を描いて楽しかったり、悲しかったりいろんな感情を出すことができる……ああ、もう! もどかしい! だから! 私が言いたいのはさ!」

 

 ルーナは自分が気の利いたことがいえないことにもどかしさを感じました。だから彼女は心のままに叫びました。

 

「レオン君が自分の世界を真っ暗って言っているのが悔しくて悲しいから! 嫌だから! 君の世界に色を付けることだってできるってことを言いたいだけ! もしも、君が自分の絵を、自分だけの風景を心描くなら、私は……私は、手伝ってあげたい……」

 

 彼女は「ああああ」と頭に手をやります。

 

「ほんとっうまく言えない。ごめん。何言いたいかわからないよね。でも、でも、君の心の風景だってあるはずで……」

「…………」

 

 レオンは手の温かさを確かめるように握り返しました。

 

「……僕にもこんな世界を描くことができるかな?」

「……もちろん」

 

 

 銀河の『絵の中』ですべてがきれいに終わるわけではありません。

 

 それでもこの絵の中で二人は手をにぎりあいました。

 

☆☆

 

 ぐうう。

 

 箒を杖にルーナは朝方に家路に着きました。最近は仕事を断っていた関係でお金がありませんでした。

 

「とほほ」

 

 意外と魔力を溜めるガラスプレートは高いのでした。彼女の財布には数枚のコインしかありません。ただ彼女はいいことを思いついたという顔をします。

 

「そうだ。師匠が悪いんだから、朝飯をねだろ! よし! ついでに紅茶もかってにいれて、砂糖つかいまくってやる!」

 

 きししとルーナはとても悪い顔をしました。彼女は元気に王都を走り出していきます。

 

 

 

 

 

 

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