月夜を行く魔女は絵を描く 作:薄汚いメトロン星人
それはうららかな午後のことでした。
開いた窓から訪れた涼やかな優しい風が白いカーテンをゆっくりと揺らすような日のことです。
ルーナは床の絨毯の上で眠っていました。
彼女の周りには本が数冊広げたまま置かれていました。
その真ん中でむにゃむにゃと幸せそうに笑う彼女はどんな夢を見ているのでしょうか。少しだけおなかが見えている彼女が寝ている東方の赤い絨毯には繊細に縫い込まれた刺繡が施されています。
そこは彼女の師匠であるアウロラ・ソデの書庫でした。
人の背丈よりも大きな本棚が壁に沿って並び、そこにきちっと背表紙が見た目よく本が並べてあります。ここにあるのは歴代の『絵画の魔女』の残した魔法の言葉が残っていました。
絵画は遠い、誰も覚えていないくらい遠い昔から人々とともにあり続けました。それは人々の心が描く世界を、あるいはたとえその人がいなくなって、この世界から出かけていったとしても残り続けたものと言われていました。
書庫に一人の女性が入ってきました。黒のローブをつけた年老いた女性です。背の高い彼女こそがルーナの師匠であるアウロラでした。
彼女は床で寝そべるルーナを見てやれやれと首を振った後に固いブーツで軽く蹴とばしました。
「うぎゃっ!?」
ルーナは突然の衝撃に床を転がり顔を上げました。彼女がなんだと顔を上げるとそこには両手を組んで見下ろす彼女の師匠がいました。老いたとはいえ鋭い眼光を誇る彼女にルーナは一瞬ぐぐと怯みそうになりましたが、厚かましくも抗議しました。
「な、何するんですか! 師匠! 人がせっかく寝ているのに蹴って起こすなんて……!」
「ルーナ。あんたは勉強に来ているのだろう? ぐうぐう寝るなら家で寝な」
「ちょ、ちょっと休んでいただけですよ」
ふんと胡坐をかいて両手を組んで、ぷいっと横を向く深い緑の髪の少女。それがルーナ・シュガーライトなのです。
★
本棚に本をきっちりと片付けて、部屋の掃除をして、机を布巾で拭いてからルーナはふーと息を吐きました。
「まったく、あのおばあさんは人使いが荒いんだからさ」
「誰がなんだって?」
「げっ」
いつの間にか背後にいたアウロラにこっそりとつぶやいた言葉を全部聞かれてルーナは慌てました。
「ち、違うんですよ。最近受けた絵の依頼のおばあさんが」
「……ちゃんと謝れるなら紅茶を淹れてあげようと思ったのに、いらないんだね。お菓子もあるのにねぇ」
「えっ」
ルーナは計算しました。
謝って紅茶とお菓子なら、謝らないと損です。かちかちかちーんとルーナの頭の中で精密な時計よりも速く正確に思考はまとまりました。
「師匠……ごめんなさい」
「……はぁ、全くこの子は、口元がにやけているよ」
「……!」
あわてて両手で口元を抑えるルーナ。アウロラは苦笑しつつも「嘘だよ。わかりやすい子だね」と言いました。ルーナは全部見透かされているようで悔しくて、両手で口元を隠したままべーっと舌を出しました。
アウロラは言います。
「じゃあお茶を入れてあげるから、そのかわいい舌をしまいな。あと手を洗ってきな」
「!」
なんでわかったんですかという言葉を言いかけて、ごくりとルーナは飲み込みました。
少し時間が経ちました。その間にルーナは裏の井戸で手をきれいに洗いました。
窓際の小さなテーブルにルーナは座ります。彼女の目の前に白いティーカップがあります。アウロラはそこにティーポットを持ってお茶を注ぎました。
ティーポットの口から琥珀色の紅茶がゆっくりと注がれて、ふわっとその香りが広がります。ルーナはなんとなくその一瞬が好きでした。ティーカップに注がれた紅茶から白い湯気が穏やかに立ち上ります。
ルーナは紅茶の香りが好きでした。ただちゃんとお砂糖は入れます。だって貴重なお砂糖をお師匠さんのおごりで使えることはいいことです。蹴とばされた恨みもありました。
ルーナはお砂糖をいれて小さなスプーンで紅茶をかき混ぜませました。
アウロラも自分のお茶をいれて彼女の向かいに座ります。お茶菓子は陶器の皿にのった小さなイチゴのタルトでした。パイ生地にクリームとイチゴを載せたそれをルーナは手で取ってさくりと食べます。
「こらこらちゃんとフォークを使いな」
「もふってわふ」
「……口にものをいれて話をするんじゃないよ。女の子が」
ルーナはお菓子を食べて紅茶を飲んで、とあることに気が付きました。アウロラは一枚の紙を見ています。最近はやりのニュースペーパーかと思いましたがどうやら違うようです。
彼女が聞くとアウロラは少しにやりと笑いました。
「ああ、これから、東洋の絵師の描いたものだよ。ジャポーネという国が遠くにあるのは知っているだろ」
「ああ、なんかあれですよね黄金がいっぱいあるとかいう。いいなぁ。みんな成金なのかな」
「……たまに私は教育を間違えたんじゃないかって思うことがあるよ。……まあ、いいか、ほらこれを見てみな」
「まあいいかってなんですか? そもそも私はしっかりと工房で仕事を受けてやっていけているですからね……」
いいつつルーナは師匠からの紙を受け取りました。
頭を横から殴られたような衝撃がありました。
黒で描かれた一羽の鳥がいました。
白い紙の中に、尾の長い鳥が一羽だけ遠くに飛んでいくように描かれています。
墨、といわれるものをルーナは聞いたことがありました。黒の絵の具とのようなものと思っていましたが、彼女の目の前にいる一羽の鳥は黒の一色だけで光を受けたように陰影がありました。いちまいいちまいの羽がわずかな濃淡で描かれているのです。
そもそもこの「絵」は白の余白が世界の向こう側を描いていました。鳥の飛ぶ世界、何も書かれていないはずの「白」の余白の中に静かに世界が広がっていました。
その黒の鳥は写実的とはいえないかもしれません。あえて崩したであろう鳥の姿に彼女は「ふ、ふーん」というのが精一杯でした。
「そ、それでこんな絵をどこで手に入れたんですか? そもそもこんなぺらぺらじゃ、破けそうですよ」
「最近たまたまやってきたジャポーネから外交官の娘が……ああそうだ」
アウロラは紅茶を飲みながら、あえて何でもないように言いました。
「ルーナと同じ年くらいの少女が港で絵をかいていたのさ。それを一枚もらっただけだよ」
「……っ!!!」
同じくらいの年だぁ? とルーナは立ち上がりました。絵を握りつぶしそうになりましたがそれはしませんでした。描いた絵は大切にしたいのです。ただ彼女は言いました。
「師匠。ちょっと用事を思い出しました」
「あいよ」
アウロラは詳しく「用事」は聞きませんでした、ただルーナは紅茶を飲んで急いで残ったタルトを食べてから彼女の部屋を飛び出しました。
★
港には多くの船が停泊しています。
カモメが数羽飛んでいきます。
ルーナははあはあと息を切らして走っていきます。星の刺繍のあるマントをなびかせて月を描いたとんがり帽子が海風にもっていかれないように抑えながらでした。
人だかりができていました。
海辺には多くの人たちが集まります。荒くれ物の船員もそうですが。最近では他国の旅行者の立ち寄るおしゃれなカフェもありました。
スーツ姿のジェントルマン。
白いセーラー服を着た海兵。
近所のおばさまたち。もちろん船乗りもいます。
様々な人々が集まっていました。ルーナはそれをみてなんとなく「それだ」と思いました。彼女は人垣の中に飛び込んでいきます。
すると彼らの話が聞こえてきます。彼らは口々に遠くの国から来た絵師について話をしていました。どうやらあたりのようです。きっと珍しいからいろんな人が来ているのでしょう。
「ちょ、ちょっとごめん」
といいながら人の中に入っていくかわいらしい魔女に町の人たちは道を作ってくれました。この町ではほんのりとルーナは知られています。
人垣の真ん中にその少女はいました。
彼女は突然人垣からでてきたルーナを見て目を丸くしていました。
カフェの丸テーブルの上には一枚の紙に絵を描いている途中でした。
白い着物に『桜』を描いた彼女は袴とそして西洋的なブーツを履いていました。ほんのりと癖のある栗色の髪をリボンでまとめた大きな瞳の少女でした。
ルーナは勢いで来たのはいいのですが、普通に一番前に来てしまってしかも目も合ってしまったので困りました。二人の少女はしばらく見つめあっていました。周りの人たちは何が起こるのか少しワクワクしてた顔をしています。
ルーナは『絵画の魔女』として少しだけ名前が知られています。
まずはルーナが口を開きました。
「えっと、私はルーナ・シュガーライト。絵画の魔女といわれているの、あなたがジャポーネから来た絵師さんなの?」」
「??」
少女は困った顔をします。自分を指さして口を指さしています。何か言っていますがルーナには彼女の言葉の意味が分かりませんでした。どうやらこの国の言葉が話せないようです。
ルーナは自分を指さして言いました。
「ルーナ! ルーナ・シュガーライト」
そして少女を指さしました。ようするにあなたは? とルーナは聞いたのです、少女はそれが伝わったのかにやりと笑って立ち上がりました。背はほんの少しだけルーナより高いようです。
「オエイ……カワムラオエイ」
「カワムーラ!」
「の、ノンノン、オエイ」
ふたりは身振り手振りで自己紹介をします。そしてふたりはそれぞれオエイとルーナとわかりました。しかし二人とも言葉は通じませんでした。だからルーナが何をしに来たのかオエイにはさっぱりわかりませんでした。
ルーナも勢いで来ただけでなので自分で来ておきながら困ってしまいますが、ついさっき見たあの「絵」を思い出して悔しく思いました。だから彼女はマントを翻して手に紙を束ねた練習帳であるスケッチブックを取り出しました。
仕事にはガラスプレートを使い、魔法を閉じ込めますがあれは高いのでした。ルーナは左手に練習帳、そして右手を伸ばして人差し指に魔力を灯します。青い魔力が絵具代わりになります。彼女は指で鳥の絵をかきました。
練習帳に描かれたのは鮮やかな鳥の絵でした。周りの群衆はおーっと声を上げます。
オエイはそれを見て「はー」と感心したように見た後、ルーナの勝ち誇ったような「つら」をみてはっとした顔をしました。彼女の瞳がきらりと光ります。テーブルにあった紙を手に取り、さらに「筆」を執りました。それは彼女の袴の帯にはさんでいた筆入れ……これを矢立といいそこから引き抜きました。
筆を手にさっさっと彼女は絵をかきます。それはルーナがさっき見たものとは違うとてもデフォルメされた鳥でした。愛らしい小さな鳥が枝につかまっている場面でした。
ルーナとオエイの視線が交差します。ごごごごと互いに火花を散らします。
互いに言葉は全然わかりませんが、ルーナもオエイもそれぞれ何が言いたいのかはわかりました。ルーナは親指をたてて、後ろを指します。ついてこいと言っているのです。オエイもうなづきました。
二人の少女は人込みをかき分けて歩き出します。
港を並んで歩く彼女たちは少し肩を張って、なんとなく自分のほうが上だという感じでした。
「あっ」
ルーナが言いました。港に上がる魚を狙う猫たちがひなたぼっこをしています。彼女はスケッチブック代わりの練習帳を取り出してオエイに猫を指さしました。二人の視線は交差します。
そろーりそろーり二人は猫に近づいてお互いに紙を手にします。オエイも懐から髪を束ねた小さな冊子を取り出しました。それが彼女のスケッチブックなのでした。
猫たちを真剣に見つめる二人の少女。彼女たちは手元の紙に猫を描いていきます。猫たちはジトっとした目で妙に絡んでくる二人をちらっとみてからあくびをして寝そべっています。
先に書いたのはルーナでした。彼女のスケッチブック白の猫を写実的に描きました。それは大きな瞳にひげをした愛らしい猫の姿でした。
オエイも猫を描きました。彼女の冊子に書かれた猫は大きなあくびをしていました。猫としての愛らしさもありますが、そのしぐさを含めてデフォルメされた姿が印象的でした。
二人はお互いの絵を見てばちばちと火花を散らします。お互いに何か言いますが、互いに何を言っているのか全く分かりません。ルーナが両手を使って何かを伝えようとするとオエイはなぜか頭に猫の耳のようなジャスチャーをします。
しばらくして二人はそこを離れました。
街を歩きます。石畳の道を二人は進みました。
二人の少女は道行く馬車を見ては絵をかき
お花屋さんを見ては絵をかいて、あとお花屋さんのお姉さんにポーズをとってもらいました。
時計塔のある噴水広場で一緒に並んでアイスを食べた後、並んで時計塔をスケッチしてお互いに見せ合いました。
そこに言葉はありませんでした。ただただ絵をかいては見せ合って、表情とか手振りとか身振りで相手にいろんなことを伝えようとしていました。でも、今日初めて会った好敵手に対して互いに負けるわけにはいかなかったのです。
いろんなものを書いた2人のスケッチブック。
それぞれのページに馬車やお花、時計塔、アイス、子供や鳥あるいは冗談で書いた道行く人たちの絵が雑多に、所狭しと描かれていました。二人はそれをお互いに見せあってくすりとしてしまいます。
とある通りでオエイが立ち止まって何かを書き始めました。
ルーナが振り返って訪ねますがオエイはルーナを手で制します、まるで止まっていてほしいと言っているようにルーナは感じました。そこで彼女はあっと! と気が付きました。自分を書いているのだとわかりました。
それならば負けてはいられませんでした。ルーナもオエイを自分のスケッチブックに描きます。
ある意味これが本当の勝負な気がお互いにしていました。奇妙なことですが互いに向かい合って真剣に互いを見つめあっています。なんとなくルーナはここでうまく書けないと負ける気がしました。なのですこしほっぺたを膨らませるという微妙な抵抗をします。
オエイもそれに気が付きました彼女はべっ舌を出します。それにルーナはああっ! とスケッチがうまくできないので止まるように言います。自分から始めておきながら勝手でした。
絵をかきながらにらめっこして、ある時に二人は笑いだしてしまいました。ころころと笑っていると、もう時は夕暮れになっていることに気が付きました。
「あ、やば」
ルーナはそういいます。師匠の家に一度戻らないといけないのですがが、オエイにどう伝えようか悩んでいました。オエイは夕暮れを背にしてルーナに手を出しました。指を3つ立てて、そしてスケッチブックに船の絵をかきました、それは港の絵だとルーナはわかりました。
3日後に港でお互いの絵を見せる、ルーナにはそういわれたように思いました。正しいかどうかわかりませんが、彼女はうんと大きくうなづきました。オエイは伝わったことに安心したのかほっとかわいらしく笑いました。
★
夜にルーナは師匠の工房でスケッチブックを広げました。
そこにはオエイの姿があります。しかしこれをきれいに絵にして見せてやりたいと思いました。彼女はキャンバスを持ってきてその前でうなります。
「ううう、どうすればいいんだろう」
頭をひねり、悩みながら自分の魔力をゆっくりと溶かして絵具にしていきます。キャンバスの前で彼女が手を振れば鮮やかな色がそこに浮かびました。しかし彼女は納得がいっていないようでした。
「おや、まだやっていたのかい」
「あ、師匠」
アウロラが部屋に入ってきました。その手には温かいミルクの入ったコップがありました。彼女はそれをルーナに渡してあげると、ルーナは素直にお礼を言って受け取りました。
「ジャポーネから来た子とは友達になれたのかい?」
「……友達……ん、ま、まあそういうことかもしれませんね」
勝負していつの間にか遊んでいた気がした。アウロラはルーナの反応を面白がっているようでした。しかし彼女は言いました。
「あの子の父親はジャポーネの政府の人間でたぶん数日でこの国からも出ていくと思うよ」
「……えっ」
ルーナはコップに口をつけたまま止まりました。眼だけでアウロラにその先を問いかけていました。
「言ったままの意味さ、あの子も船に乗ってどこかに行くことになる。学ぶべきことがあれば今のうちに学んでおくことだね」
「…………。そう、なんだ」
3日後か、ルーナはそのことを思いました。その日もしかしたらあの港から出ていくのかもしれない。そう思うとなんだか寂しく感じて、でも寂しいなんて思うのはなんとなく悔しくて彼女は眼を閉じました。
ゆっくりと目を開いた彼女がはコップを置きました。温かいミルクが心をほんのり元気にしてくれました。
彼女はキャンバスに向かって立ちました。彼女の体から魔力が流れて両手から青・赤・緑のきれいな光がほとばしります。
彼女はオエイを描きました。
一緒に歩いた街で見せたいろんな表情を思いました。
たった一日のことをなんどもルーナは心の中で描いては、その中の彼女を想いました。
キャンバスに描かれていく一人の少女。栗色の癖のある髪をしたジャポーネの少女はその絵の中では噴水の広場の中で楽し気に通りを眺めていました。その横顔は幸せそうで、ルーナの見た彼女をそこに描いていきます。
ただただ心を込めて彼女は描きました。
そうして3日はあっという間に過ぎていきました。
あの港には大きな船が寄港していました。それに乗るために大勢の人々がいつもにまして集まってきていました。汽船というのでしょう。魔法の力ではなく蒸気の力で動く船はもうもうと煙突から煙を吐いています。これから世界のどこかに行くのでしょう。
ルーナはそこに布にくるんだキャンバスを手にして歩いていました。きょろきょろと誰かを探しています。絶対に会えないといけないと思いました。
だけど人が大勢いました。がやがやと大通りに集まる人の中から一人の少女を見つけることは難しいのかもしれません。
しかしルーナ・シュガーライトはそんなことであきらめるほどかわいげはありませんでした。彼女は近くのお店で一本の箒を借りてまたがるのではなく、両足をかけて乗りました。
ふっと風があたりに吹き抜けます。
すっと一人の魔女が飛び上がりました。
群衆は彼女を見て指をさしました。その中でルーナは叫びました。
「ルーナ様が来たんだから! どこにいるの!」
魔女の登場にざわめきが広がります。ルーナはそれ気にせず探しました。
群衆の中で声がしました。ルーナがみれば一人の少女が手を挙げています。それはオエイでした。あの日の姿のまま手には旅行鞄を持っていました。近くには身なりのいい人々がいました。しかしルーナには彼女しか見えていません。
ルーナは彼女のところまで文字通り飛んでいきました。すっと箒から降りてオエイの前に飛び降りました。その時ちょっと、ほんのちょっとだけ足をくじきました。
「う、うう」
ルーナを心配するオエイでしたがその彼女にルーナはキャンバスを渡しました。
オエイはびっくりしましたが、しかし彼女も旅行鞄の中から丁寧に箱に入れられた和紙を取り出しました。それをルーナに渡します。互いに顔を見合わせて一緒のタイミングで絵を見ました。
ルーナ前に彼女の描かれた絵がありました。
枝についた赤い花の描かれた下に、黒髪の少女が笑っている絵でした。ルーナの姿をいくつかの絵の具で描いた姿でした。
これはこの町でのことではないでしょう。
あるいはオエイの心の中の風景なのかもしれません。
柔らかな筆遣い、
鮮やかな花の絵
そして朗らかに笑う少しデフォルメされた自分の姿。
その向こうには白の余白がひろがる絵でした。
この絵は自分には描けないとルーナは思いました。心を込めたことが伝わってきました。うれしさと悔しさが混ざって少しだけ視界がにじみました。彼女はキャンバスを見ているオエイを見ました。
オエイも少し涙ぐんでいました。
その時ルーナは自分がオエイと同じことを思っているという気がしました。そう思うと――
「ぷっ」
ルーナは笑い、オエイもそれにつられて笑いました。お互いに交換した絵に対する思いはそれぞれの心の中に届いたのかもしれません。彼女たちはひとしきり笑いました。
汽船が音を出します。
出発の時間なのでしょう。オエイのそばにいた人たちが彼女に何か話しかけています。ルーナは寂しさを感じました。
ただオエイは彼女に振り返って言葉を伝えました。
やっぱりそれはよくわかりませんでしたが、ルーナはその言葉を覚えようとしました。
★
その日の夜も師匠の家に泊まりました。ルーナはもらった絵をどう保管しようかと考えていました。
普通の絵のようにしていいのかはわかりません。ただ、彼女は大切にしたいと思いました。
「そういえば師匠。最後にこんなこと言われたんだけどさ」
ルーナはスケッチブックにメモした言葉の音をアウロラに見せました。
「これなんて言われたかわかりますか?」
「いや……私がわかるわけないだろう」
「ですよねー。師匠じゃわかりませんよね」
「あのねぇ」
怒られそうなのでルーナは逃げました。彼女はもう一度スケッチブックを開きます。
「まあ、いつか調べてみよ」
スケッチブックにはただ『MATAASOBOUNE』と聞いた音がつづられていました。