これは見に行かねば、、、
ようやく頭が追いついてきて、私は跳ね起きた。
「え!?なに!?なんで大きく!?」
女の子は、得意そうに胸を張った。
「今の時代は何もかもが早いんですわ」
「…………」
どこで覚えたの、そんなインタビューみたいな言い回し…。
答えはすぐにわかった。女の子の足元で私のタブレットが光っていた。
画面の中では、ヤチヨが歌っている。
「いろはがずーっと寝てたから、これでずーっと見てたの」
「…それ、私のタブレット」
「うん。いろはの!」
ぐぅー。
女の子のお腹が、盛大に鳴った。
そういえば、夜のミルクをまだあげていない。
七時に寝かしつけてから、もう七時間。お腹が空くのも当たり前だった。
ちなみに私も、夕飯を食べる前に寝落ちしている。
ぐぅー。
今度は、私のお腹が鳴った。
女の子が、ぱちぱちと瞬きをしてこっちを見る。
私も、何も言えずに女の子を見る。
真夜中のワンルームに気まずい沈黙が流れた。
「…いろは、たすけてー?」
「……ちょっと待ってて」
冷蔵庫を開ける。
壊滅的な中身を見て見ぬふりしながら、そっと冷蔵庫を閉めた。
私は財布をつかんで、近所のコンビニに走った。
●
「はい、どうぞ」
温めたオムライスを女の子の前に置いて、自分の分も温める。
バイト先でもらって冷凍しておいた、賄いのタコライスだ。
「いただきます」
ローテーブルに向かい合って座り、スプーンを渡す。
私がスプーンを口に運ぶのを見て、女の子も真似をするように、左手でおそるおそるひと口目を運んだ。
もぐ、もぐ。
二回噛んだところで、動きが止まった。
それから、ものすごい速さでもぐもぐもぐもぐと噛んで、ごくん、と飲み込むなり、ばっとこっちを向いた。
「いろは!これ、なに!?」
「…オムライス」
「オムライス!大好き!!」
それから食べる勢いは止まらなかった。
すくっては頬張って、そのたびに目をきらきらさせて、足をぱたぱた揺らす。口の周りをケチャップで真っ赤にしながら、入っている食材を新しく見つけるたびに「これなに?」と聞いては食べていた。
あっという間に空になった容器を、名残惜しそうにスプーンでこそげている。
「…口の周り、すごいことになってるよ」
ティッシュで拭いてあげながら、ようやく少しだけ落ち着いて、私はこの子の顔を見た。
「…あの。あなた、どこから来たの」
女の子は、スプーンをくわえたまま窓の外を指さした。
カーテンの隙間から、白い月が覗いている。
「んー、あそこ?」
「…月」
「うん、月」
冗談を言っている顔じゃなかった。
「…じゃあ、なんでここに来たの」
「うーん、あんまり覚えてないんだけどー。毎日、すっごくつまんなくて。楽しいところに逃げたーいって、思った気がする」
逃げる。
その言葉に、ほんの少しだけ胸の奥がざらついた。
『黙って逃げるんは、一番あかんやり方や』
あの人の声が、頭の隅をよぎる。
「…逃げるのは簡単だけど、そのあとが大変だよ」
「えー、なんでー?楽しいほうがいいじゃん」
「毎日つまんないのなんて、当たり前だよ」
「えー!やだー!いろは、ほんとにそれでいいのー?」
まっすぐ聞き返されて、言葉に詰まった。
「…いいとか悪いとかじゃなくて。っていうか、なんで私の名前知ってるの」
「えー?知りたいー?」
得意げに笑う顔を見て、それ以上聞くのをやめた。
たぶん、まともな答えは返ってこない。
この子が何者かについて考えてみる。
月。光る電柱。三日で大きくなった女の子。
それから、もっとずっと昔から知っている、古いお話。
「…もしかして。あなた、かぐや姫なの?」
「かぐやひめ?」
●
「…ちょっと貸して」
タブレットのヤチヨを止めて、竹取物語を検索する。
教科書に載っているような挿絵を開いて、女の子に見せた。
「なにこれ?」
「竹取物語。昔々、竹を取って暮らしてる、竹取の翁っていうおじいさんがいてね。ある日、竹林の中に一本だけ光ってる竹があって、切ってみたら、中に手のひらくらいの小さな女の子がいたの」
「ふーん」
「おじいさんとおばあさんが大事に育てたら、その子はたった三か月で大人になって、すごく綺麗な娘になったの。それで、偉い人たちからたくさん結婚を申し込まれたんだけど、かぐや姫は、絶対に手に入らないような宝物を持ってきてって無理難題を出して、みんな断っちゃうの」
「けっこん?」
女の子が、わけがわからないというふうに首をかしげた。
きょとんとした顔に、一瞬、電柱の前で抱き上げた夜のことを思い出した。
…かわいい。
と思ったが口には出さなかった。
そんなことを考えている間、当の本人はわかったような、わかっていないような顔で画面を眺めている。
……と思ったら視線はさっきから、ちらちらと私の手元に向いていた。
「…おいしそう」
口の端から涎まで垂れかけている。
食べかけのタコライスだった。
「…話、聞いてた?」
「きいてたー。…おいしそう」
「…食べる?」
「いいの!?」
容器を差し出すと、両手で抱えるように受け取って、また目を輝かせる。ひと口食べた途端、足がぱたぱた揺れ始めた。
私の分はなくなってしまったけれど、まあいいか、と思えた。
「それで、なんだっけ?」
「…かぐや姫の話」
「そうそれ!続きは?」
画面をめくって、最後の一枚を見せる。
「かぐや姫はね、本当は月の人だったの。満月の夜に、月から迎えが来て。帝が兵隊を送って、おじいさんたちと一緒に守ろうとしたんだけど、誰も敵わなかった。最後にかぐや姫は天の羽衣を着せられて、地球のことは全部忘れて、月に帰っちゃうの」
「それで?」
「それで、おしまい」
「えーーーっ!!」
女の子が、ローテーブルをばんっと叩いた。
「なにそれ!バッドエンドじゃん!全部忘れちゃうんでしょ!?やだやだやだ!」
そのまま布団の上に仰向けにひっくり返って、両手両足をじたばたさせる。
「やだー!そんなのぜーったいやだー!」
「しょうがないよ。それが、このお話の結末なんだから」
「…それに、私はこの結末も好きだな」
「えー!?なんで!?」
「かぐや姫は、ちゃんと帰れたから」
言いながら、自分の声が少しだけ小さくなるのがわかった。
いるべき場所に、ちゃんと帰れた。
間違った場所に座り続けるんじゃなくて、自分本来の場所に。
それならきっと正しい。
女の子は、逆さまのまま私の顔を見ていた。
じたばたしていた手足が、宙で止まっている。
「…なに?」
返事はない。
瞬きもしないで、じっとこっちを見ている。
それから、がばっと起き上がった。
「決めた!」
「自分で、ハッピーエンドにする!」
布団の上に立ち上がって、魔法少女のようにポーズを決める。
「いろはも連れてく!一緒に!」
「…え」
迷いなんて、ひとかけらもない顔だった。
狭いワンルームの真ん中で、この子だけがやけにはっきり見える。
思わず目を細めた。
一緒に、か。
この子に手を引かれて、知らない場所まで走っていく自分を、ほんの一瞬だけ思い浮かべてしまった。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
もしも。
もしも、私も――
そこで、はっとした。
この子が「いろは」と呼んでいるのは、誰の名前だ。
ハッピーエンドに連れていかれるべきなのは、私じゃない。
私は、この身体をいつか返さなきゃいけない。
熱くなりかけた胸の奥が、すっと冷えていく。
「…私には無理だよ。ハッピーエンドなんて」
「やだー!連れてくのー!」
「無理だってば」
「連れてくもん!いろはも、ぜったい、連れてくもん…ハッピーエンドぉ…」
叫びながら、またころんと布団に倒れ込む。
じたばたが、だんだんゆっくりになっていく。
「…眠いんでしょ」
「ねむく…ない…ハッピー…エンド…ぉ…」
「……すぅ」
寝た。
三秒前まで騒いでいたのが嘘みたいに、ぐっすりと。
「…もう」
小さく息を吐いて、女の子の身体をそっと抱き起こした。
三日前は片腕で抱えられたのに、今はもう、両腕でもずっしり重い。
布団の真ん中に寝かせて、掛け布団をかける。
女の子はむにゃむにゃと何か言いながら、私の服の裾をぎゅっとつかんで離さなかった。
「…しょうがないな」
裾をつかまれたまま、隣に横になる。
すぐ近くで、すう、すう、と小さな寝息が聞こえる。
服の裾を握る小さな手は、あったかかった。
明日の朝起きても、この子がここにいたらいいな、と思ってしまった。
すぐに打ち消そうとして、打ち消しきれなかった。
「…ハッピーエンドに連れてく、か」
そんなの、無理に決まってる。
そう思いながら目を閉じたのに、気づいたら私はすとんと眠りに落ちていた。
こんなに寝つきがよかったのは、この身体で目を覚ましてから、たぶん初めてのことだった。
読んでいただありがとうございます。
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