お母さんはアルフィア31歳 作:人の心とかないんか
「今日も元気に働きましょう!」
闇派閥によるオラリオ襲撃の大惨事から、早くも3ヶ月が経過していた。
街のあちこちでは瓦礫の撤去作業や負傷者の救護が進み、人々は未だに深い傷痕に怯えながらも、懸命に日常を取り戻そうと奮闘している。
――だが、そんな街の復興ムードの裏側で、我が家(主に私と母)の間では、まったく別の意味で血を吐くような大抗争が繰り広げられていた。
「待て! その不穏な呪文の詠唱の口を閉ざせ!」
「嫌です! 労働力不足のオラリオ支店を立て直すために、布教活動をしているだけです!」
私はオラリオの裏道を全速力で駆け抜けながら、背後から迫る圧倒的な殺意――もといお母様の気配に冷汗を流していた。
街のあちこちで亡くなった方々に「今日も元気に働きましょう!」と辻魔法を施しまくっていたところ、お母様にガッツリ見つかってしまったのだ。
怒らせたら最後、容赦なくアイアンクローやゴスペルパンチの餌食になる。私は文字通り「お母様から逃げるための鬼ごっこ」に勤しむハメになっていた。
「はぁ、はぁ……! 一体どこまで追いかけてくるんですか、あの病弱美少女の皮を被った人間爆撃機は……!」
息を切らしながら角を曲がり、私が飛び込んだのは、街外れのすっかり忘れ去られたような「廃教会」だった。
うらぶれた石造りの建物で、ステンドグラスは割れ、周囲には雑草がボーボーと茂っている。人気(ひとけ)は全くない。ここなら一時的な隠れ場所として完璧なはずだ。
私は柱の陰に身を隠し、ふうっと息を整えた。
……しかし、その時だった。ふと、教会の祭壇の奥に、ひっそりと佇む一つの墓標が目に入った。
苔むした石板には、誰かが手向けたのか、すでに枯れ果てた花が添えられている。その碑文を何気なく読んだ瞬間、私の背筋にゾクリと冷たいものが走った。
「……え?」
そこに刻まれていた名前。そして、以前にお母様がほんの気まぐれか、あるいは苦渋に満ちた表情でポツリと口にした記憶が、脳裏でピタリと一致した。
(ここって……まさか、お母様が人生で一度だけ、ほんの一瞬だけ切なそうに語ってくれた――メーテリア叔母様が好きだった教会……!?)
しまった。よりによって、我が家最大のタブーにして、お母様が最も触れられたくない「姉妹」の聖地に逃げ込んでしまった。
もしここで私が見つかったら、ただの「深夜の墓地荒らし」よりも何倍も重い「精神的・物理的お仕置き」が確定してしまう。
やばい、一刻も早くここから脱出しなければ――!
「――みつけだぞ、ポチ」
背後から、静寂を引き裂くように冷徹な声が降ってきた。
「ひっ……!?」
振り返るまでもない。そこに立っていたのは、蒼白な顔に銀髪を揺らし、世界で一番怒らせてはいけない最強の魔導士――アルフィアその人だった。
彼女の纏う魔力は、怒りを超えて、すでに周囲の空間を歪ませるほどの重圧を放っている。
「こんな場所へ逃げ込むとは、お前の悪運もここまでだ。……私をここまで走らせて、お前はどれだけ私に余計な仕事を増やせば気が済むのか」
「お、お母様! 落ち着いてください! これはですね、歴史の勉強というか、聖地巡礼の一環で――」
「言い訳無用」
アルフィアが冷たく言い放つ。その表情は、普段の病弱な冷徹さ以上に、どこかピリピリとした苛立ちを含んでいた。
――無理もない。実はこの時、お母様は少し前に、とある「厄介すぎる道化師」と遭遇して散々ペースを乱された直後だったのだ。
彼女が言うには、街のあちこちで『道化師(ジェスター)』や『辻聖女(ペレグリン・セイント)』とか呼ばれる英雄たちが勝手に動き回っていたせいで、今回の闇派閥のテロによる被害が、思ったより出ていならしい。
(私と違って、そんな英雄みたいな救済をする変な人たちがいるなんて、オラリオって本当にすごいところだなあ……)
などと、呑気に感心している場合ではなかった。
「お前という人間は、本当に……!」
「ぎゃあああっ!? ちょっと待っ、メーテリア叔母様の前で娘をロケット花火にするのは教育上いかがなものかと――!」
私の抗議も虚しく、容赦ない『ゴスペルパンチ』が炸裂した。
物理法則とメーテリア叔母様の思い出を盛大に無視して、私はまたしても綺麗な放物線を描き、廃教会の屋根をぶち破ってオラリオの青空へと勢いよく射出されていったのだった。
――それから数分後。
オラリオの別の区画、人目につかない寂れた路地裏。
「いてててて……! 着地場所の選定が毎回ひどすぎます!!」
地面をゴロゴロと転がりながら、私は頭の上のタンコブをさすって涙を流していた。
ふと顔を上げると、そこはちょうど、先ほどのテロの爪痕が残る薄暗い小路だった。そして、その瓦礫の積み重なる傍らに、見覚えのある巨体の男が立っているのが目に入った。
「――おや?」
我が家の専属シェフであり、元・大英雄のザルドだ。
彼は腕を組み、険しい顔で路地裏の突き当たりを睨みつけている。その視線の先には、ひらひらとした奇抜な衣装を纏い、どこかふざけた、しかし底知れぬ気配を漂わせる一人の少年の姿があった。
――いや、その少年の顔をよく見て、私は思わず目をぱちくりさせた。
真っ白な髪に、赤い瞳。どう見ても、田舎の村で留守番をさせてきたはずの、我が家の可愛い「お兄ちゃん」――ベル・クラネルその人だった。
ただし、今の彼は、いつもの純朴なベルくんとはどこか違う。もっと遠い目をしていて、時空の歪みを背負ったような、複雑怪奇な雰囲気を纏う姿をしていた。
ザルドはその謎の道化師をじっと睨みつけ、低くドスの効いた声でこう言い放ったのだ。
「――避妊はしろ!」
…………。
……はい?
私の小さな脳みそが、完全にショートを起こした。
今、この元・大英雄は何と言ったのだろうか?
将来成長したお兄ちゃんにそっくりな人に、いったいどんな因果関係があれば、そんなド直球の下世話な忠告が飛び出すというのか。
頭上に無数のクエスチョンマークを浮かべながら、私は地面に這いつくばったまま、目の前で繰り広げられるシュールすぎる光景をぽかんと眺めることしかできなかったのだった。
エレボス「道化師はザルドに探させている。辻聖女はアアルフィアが追いかけてるぜ!」
ザルド(こいつクソガキの息子か!)
アルフィア(逃げ足の速さは、あいつ譲りか! 忌々しい!)