お母さんはアルフィア31歳 作:人の心とかないんか
――あれから数日。
オラリオの街は、完全に正気の沙汰ではない修羅場へと変貌を遂げていた。
闇派閥の暗躍が本格化し、街のあちこちから凶悪なモンスターが解き放たれ、大通りは血と硝煙の匂いに包み込まれている。
あちこちで冒険者たちが叫び、魔獣の咆哮が轟き、次々と尊い命が散っていく。街の治安維持に奔走するアストレア・ファミリアの面々も、限界を超えた総力戦を強いられていた。
本来であれば、これほどの大惨事は街全体の致命的な危機――のはずだった。
「おらぁぁぁっ! 前衛は押し込め! 後衛は魔法の準備だ!」
「ひゃあっ、やられた……! だ、誰か……!」
「おい、しっかりしろ! 死ぬな! ――って、そうだ! 誰か! 近くに『辻聖女』様はいねぇのかっ!?」
「いるぞ! 辻聖女様ぁ! うちの相棒を頼むっ!」
「……『今日も元気に働きましょう』」
「うおおおっ、治ったあああああ! ありがてぇ、辻聖女様万歳――っ!!」
……そう。
私が街のあちこちで「将来の労働資源確保」のためにこっそり施していた辻魔法が、いつの間にか冒険者たちの間で凄まじい噂として広まり、そして――最悪な方向で定着してしまっていたのだ。
――ガチィンッ!! と、凄まじい衝撃音が響き渡り、私は大通りのど真ん中で盛大に魔法を放つ。
背中に隠し持っていた「労務管理ノート」に急いで特徴をまとめておくことも忘れない。
「はぁ、はぁ……! ちょっと待ってください!」
私はただの、労働環境の改善とインフラ整備を志す一介のネクロマンサーであって、慈悲の心であなたたちを無償で救済しているわけではないんです!
私が必死に叫んでも、目の前で息を吹き返したばかりの冒険者たちは、私の小さな頭を「ぐりぐり」と乱暴に、しかし最高級の感謝を込めて撫で繰り回した。
「何を照れくさいことを言ってるんですか、辻聖女様!」
「そうだそうだ! あなたのおかげで、俺たちは何度死の淵から蘇ったことか……! もう死を恐れる必要はない! 守れ! 俺たちは辻聖女の魔法で何度でも復活するぞ――っ!!」
ウォオオオッ! と、周りの冒険者たちが謎のハイテンションで気勢を上げる。
……待て待て待て待て。
ちょっと待ってほしい。何だその「死を恐れるな」ってスローガンは!
労働基準法どころか、命の尊厳すら完全にどこかへ消え去っているではないか!
私の魔法は、あくまで「我が社のホワイトな労働力として永続的に働いてもらうための契約」であって、「何度でも生き返れる無敵の特攻部隊」になるための保険じゃないんだよ!?
しかし、戦場の興奮と恐怖が入り混じった狂気の前では、私の正当性など一瞬でかき消されてしまう。
気づけば、私は戦場のど真ん中で、まるで神輿の上にでも乗せられているかのように、多くの冒険者たちから「オラリオの守護神」「生ける奇跡」として大々的に祭り上げられてしまっていた。
「わっしょい! わっしょい! 辻聖女様を死なせるなーっ!」
「なんでやねん!!」
私の華麗なるツッコミも、爆発音と歓声にかき消されて誰にも届かない。
フィンからは「早くもオラリオの偶像になってくれて、大したものだ」とニヤニヤしながら背中を叩かれるし、神様たちからは遠くから「ご褒美です!」とむず痒いの眼差しを向けられるしで、私の精神的HPは完全にマイナスへと突入していた。
――なぜ、私のささやかな「上納金計画」が、いつの間にかオラリオ全土を巻き込んだ聖戦の真ん中に祭り上げられているのだろうか?
助けてくれ、お父様……!
私は早く田舎の村に帰って、静かに畑を耕すお父様を眺めてお母様と悠々自適に暮らしたいだけなんです――!!
オラリオ市街が闇派閥との総力戦。
狂乱の渦に包まれている中、私は「辻聖女」として無理やり神輿に担がれかける修羅場をどうにかこうにかすり抜けることにした。
周囲の歓声や怒号からこっそりと身を隠し、私がたどり着いたのは、誰も通らない静まり返った廃墟の影――人目につかない真っ暗な裏路地だった。
なぜ、そんな物騒な場所に急ぎ足で向かったのか。
それは他でもない。街の中心部から、遠く響いてきた『あの気配』を察知したからだ。
「……終わったようですね」
ドォンッ!! と、大地を揺るがすような最後の大爆発が収まり、あたりに不気味な静寂が訪れる。
【フレイヤ・ファミリア】の誇る最強の武人――オッタルと、かつての【ゼウス・ファミリア】の英雄にして、我が家の専属シェフ・ザルドによる、全力を賭した壮絶な一騎打ち。
ベヒーモスの肉を食らい続けたことによる劇物のような毒に蝕まれながらも、ザルドは己のすべてを燃やし尽くし、そして――その命の炎を消し去ったのだ。
私は足音を殺して、広場へと急いだ。
そこには、激戦の果てにボロボロになり、しかし微動だにしない巨体の男が一人、静かに横たわっていた。
「ザルドおじさん……!」
駆け寄って覗き込むと、ザルドは完全に息絶えていた。全身の皮膚や筋肉には凄まじい負荷がかかっているけれど、以前の毒死とは比べ物にならないほどの「戦闘用素材」としての仕上がり具合だった。
もしこのまま放置されれば、ギルドや他のファミリアに回収され、英雄の遺体として厳重に葬られてしまうだろう。そうなっては我が社のシェフがいなくなってしまう。
「ふふ、お疲れ様でした。働き詰めの人生の次は、我が社の永遠のホワイト労働が待っていますよ」
私は周囲に誰もいないことをしっかりと確認し、誰の邪魔も入らないこの真っ暗な裏路地まで運んで、手際よくザルドの全身へ手をかざした。
前世の社畜経験と、オラリオで手に入れた桁違いの魔力量を宿すスキル【虚空の魔力炉】が体内で静かにうねりを上げる。
よし。
私は息を吸い込み、いつもの最高に不気味で愛らしい詠唱を落とした。
「今日も元気に働きましょう!」
――ピカァッ!!
闇を切り裂くように、眩い固有魔法の光がザルドの巨体を包み込んだ。
【私の命令は絶対(マインドコントロール)】が発動する。
直後、完全に停止していたはずのザルドの心臓が、ドクン、と地響きのような重い音を立てて再び脈打った。
かつての「初回」の時と同様、ザルドの強靭な魂とステータスが絶対命令に対して激しくレジストを起こそうとするが、私のほうの魔力量はすでにレベルアップによって底上げされている。強烈な強制力が彼の脳髄と筋肉にガッチリと楔を打ち込んだ。
「ぐっ……お……おのれ……」
ガチガチと音を立てながら、ザルドがゆっくりと起き上がる。
その目はまだ完全に死者としてのうつろさではなく、自分の意思と絶対命令の狭間で激しく葛藤する「元・大英雄の意地」を宿していた。
彼は荒い息をつきながら、自分のこめかみを片手で押さえ、そして目の前にいる小さな私をぎょろりと睨みつけた。
「……お前……まったく、死んだ後くらいゆっくり休ませろってんだ……」
「何を言っているんですかザルドおじさん。我が社の専属シェフ兼最強の護衛が欠けたら、悠々自適に暮らせないでしょう? まずは今夜のまかないの仕込みからお願いしますね!」
「……くっ……!」
文句を言いつつも、ザルドはしっかりと立ち上がり、自分の巨大な体躯の調子を確認した。
「よし、誰にも見つかってませんね。今のうちに、こっそり私たちの拠点へ撤収しましょう!」
私は満足げに頷き、最強の右腕を引き連れて、喧騒に包まれるオラリオの街の影をすり抜けていくのだった。
ザルド(オッタルと戦っていたときより体が軽いな)
年老いた冒険者たち「力が戻る、病が癒える……! 衰えが嘘のようだ! これなら、今からだって名をあげることも夢ではない!」