別世界の元神がオラリオに来たのは間違ってるだろうか 再加筆版 作:さすらいの旅人
ここは迷宮都市オラリオ。世界で唯一、『
堅牢にして巨大な市壁に囲まれたこの都市は、外周へ向かうほど高層の建造物が立ち並び、逆に中心へ近付くほど建物の高さは低くなるという独特な構造を持っている。
その中心部には、まるで都市そのものを見下ろすかのように、五十階建ての白亜の摩天楼施設『バベル』が聳え立っていた。
昼夜を問わず冒険者たちが行き交い、神々が地上を闊歩するこの街の象徴である。
そのバベルの一角には、一軒の人気酒場が存在する。
『豊穣の女主人』。
冒険者向けの酒場でありながら、料理の評判を聞きつけた一般人も足繁く通う名店だ。
厨房から運ばれてくる料理の質は高く、店内の雰囲気も明るい。そして何より、そこで働くウェイトレスたちは種族こそ様々だが、誰もが目を引く美貌を持っていた。
そのため、今日も店内は開店から閉店まで客で埋め尽くされていた。
冒険帰りの冒険者。商談を終えた商人。観光で訪れた旅行者。そして店員目当ての常連客。
様々な客が押し寄せた結果、最後の客が店を後にした頃には、時計の針は深夜を指そうとしていた。
ようやく訪れた静寂。
油の弾ける音も、酔客たちの喧騒も消え去った店内に、一人の猫人の情けない声が響き渡る。
「きょ、今日も疲れたニャ~~……」
魂が抜けていくような声を漏らしながら、女性
普段は元気いっぱいに飛び回る彼女の耳も、今ばかりは完全に垂れ下がっている。
「それには同意です」
対する女性エルフ――リュー・リオンも小さく息を吐きながら頷いた。
表情こそ普段と変わらず冷静だが、その瞳には隠し切れない疲労の色が浮かんでいる。
人気店と言えば聞こえは良い。しかし、それは同時に忙しいという意味でもある。
注文を取り、料理を運び、空になった皿を下げる。常に店内を走り回り続ける仕事は、普通の人間なら数日で音を上げるほど過酷なものだった。
もちろん、それはアーニャやリューだけではない。他のウェイトレス達も、厨房で働く料理人達も、皆が等しく疲労困憊していた。
「リュー、今日の当番はおミャーだけでやってくれないかニャ~?」
アーニャは縋るような目でリューを見上げる。
もはや今すぐ床で寝たいと言わんばかりの有様だった。
「ダメです。サボっていたことがバレたら、ミア母さんに怒られますよ?」
しかし、返ってきたのは容赦のない即答だった。
「うにゃぁ……」
その名前を聞いた瞬間、アーニャの身体がびくりと震えた。
閉店後の作業として店内や倉庫の見回り当番が設けられており、今夜の担当はアーニャとリューである。
本来は一人で行うことが多いのだが、今日は偶然にも二人一組だった。
獣人とエルフ。普通なら少し珍しい組み合わせかもしれない。
だが、この『豊穣の女主人』ではそんなことは些細な問題だった。
もし種族間の諍いなど起ころうものなら、この店の女主人であり、従業員たちにとって母親同然の存在であるドワーフの女性が黙っていないからだ。
ミア・グランド。豪快さと厳しさを兼ね備えた女傑であり、この店の絶対的支配者。
そしてアーニャにとっては、何度も鉄拳制裁を食らった相手でもあった。
「ミア母ちゃんの拳骨は嫌ニャ……」
過去の記憶を思い出したのか、アーニャの耳がさらに垂れ下がる様子に、リューは小さく肩を竦めた。
実際、彼女も人のことは言えない。過去に何度かミアの逆鱗に触れた経験があるからだ。
結局、アーニャは渋々立ち上がった。
二人はいつものように見回りを終え、何事もなく一日が終わるものだと思っていた。
倉庫の方から慌ただしい物音が聞こえてくるまでは。
「な、何ニャ!?」
「今のは……倉庫の方から聞こえましたね」
猫人特有の鋭敏な聴覚を持つアーニャの耳がぴくりと動く。
同時にリューも表情を引き締め、物音がした方向へ視線を向けた。
店の奥にある酒類保管用の倉庫。その扉には、閉店後に確かに鍵を掛けていたはずだった。
にも拘わらず、中から何かが倒れたような音がしたのである。
二人は無言で顔を見合わせる。
「ま、まさか泥棒ニャ!?」
「だとしても、一体どうやって侵入したのでしょうか?」
倉庫の中には、ミアお気に入りの酒が大量に保管されている。高級酒はもちろん、長期間熟成させている果実酒まで存在する重要な保管場所だ。
そして二人には、嫌でも思い出してしまう記憶があった。
それは三年前、ある騒動によって倉庫が吹き飛び、保管されていた酒が全滅したことがある。
結果、ミアの怒りは天井を突破した。あの日の折檻は、今なお夢に見るほど鮮明に覚えている。
「ま、不味いニャ! もし酒が盗まれたなんて母ちゃんに知られたら大目玉確実ニャ!」
「……確かに、それは避けたいですね」
二人の顔が同時に青ざめた。思い出すだけで背筋が寒くなる。
見回り当番中に盗難を許したとなれば、自分たちにも責任が及ぶだろう。
そんな未来は全力で回避したいと、二人はほぼ同時に駆け出した。
そしてアーニャが素早く鍵を開け、勢いよく扉を開放する。
リューもすぐ後に続き、倉庫の中へ飛び込んだ。
そこで二人が見たのは――。
「コラァァァ! ここをミア母ちゃんの倉庫と知っての狼藉かニャ~~!?」
「
二人の予想は半ば当たっていた。
酒樽や木箱が並ぶ倉庫の中央には見知らぬ男が立っており、突然飛び込んできたアーニャとリューを見た途端、信じられないものを見るように目を大きく見開いた。
「!?!?!?」
男は狼狽した様子で聞き慣れない言葉を口にする。その反応は侵入者が見つかった時のものというより、予想外の存在に遭遇した者のそれだった。
しかし、アーニャにとってそんなことは関係ない。
「おミャー誰ニャ!? 一体どうやって忍び込んだニャ!?」
ビシッと指を突き付けながら詰問するも、男は何を言われているのか理解出来ない様子で辺りを見回しながら戸惑うばかりだった。
「―――――! ――――――!」
(一体どこの言葉だ? それに……)
リューは警戒しながら男を観察する。
先程から男が話している言葉は
それだけではない。服装も奇妙だった。オラリオには世界各地から人々が集まるが、それでもこの男のような格好は見たことがない。もし客として店に訪れていれば間違いなく印象に残っているはずだ。
だが記憶にない。つまり、少なくとも豊穣の女主人を訪れたことのある客ではないということになる。
そして何より理解出来ないのは、この男がどうやって倉庫へ侵入したのかだった。
扉は間違いなく施錠していた。唯一の窓も閉まっている。侵入経路らしきものは見当たらない。まるで最初からそこにいたかのような不自然さに、リューは小さく眉をひそめた。
もっとも、理由が何であれこの男の末路は決まっている。よりにもよってミア・グランドの倉庫へ無断で入り込んだのだ。事情を聞かれる前に鉄拳制裁が飛んできてもおかしくはない。
(少し同情しますね……)
そう思った次の瞬間だった。
「なにを言ってるか分からなニャいが、ミャーが捕まえてやるニャー!」
そう叫ぶなり、アーニャが床を蹴った。猫人特有の優れた脚力によって彼女の身体は弾かれるように前へ飛び出し、一瞬で男との距離を詰める。
その速度は並の冒険者では反応することすら難しい。豊穣の女主人で働いている彼女は単なる看板娘ではなく、『Lv.4』に到達した第一級冒険者なのだから当然だった。だからこそアーニャ自身も疑わなかった。次の瞬間には男を組み伏せ、侵入経路を吐かせているはずだと。
しかし、その予想は呆気なく覆される。
「ニャ?」
男の姿が消えた。否、消えたようにしか見えなかった。
視線を逸らしたわけではない。見失うような障害物があったわけでもない。それなのに、目の前にいたはずの男が忽然と視界から消失していた。
「き、消えたニャ!?」
「なっ……!」
アーニャだけでなくリューも息を呑む。二人とも場数を踏んだ冒険者だ。それ故に分かる。今起きたことが単なる見間違いなどではないことを。
刹那、リューの背筋を悪寒が走った。
「アーニャ、後ろです!」
「へ? ニャ――」
振り向こうとしたアーニャの背後には、いつの間にか男が立っていた。まるで最初からそこにいたかのように自然に。
男は慌てる様子も見せず、静かに腕を伸ばした。その動作には力みも無ければ敵意も無い。ただ近くにいる相手へ手を伸ばしただけのような、異様なまでの自然さだった。
トン、と。軽い音が響いた気がした。男の手刀がアーニャの首筋へ触れた瞬間、彼女の身体から力が抜け落ちる。
「にゃ……」
瞳から光が消え、膝が崩れ、そのまま床へ倒れ伏した。
あまりにも一方的だった。戦闘ですらない。
一撃。本当にたった一撃だった。
「アーニャ!」
リューの顔から余裕が消える。
アーニャ・フローメルは強い。単純な戦闘能力だけなら豊穣の女主人で働く者の中でも上位に入る実力者だ。その彼女が何も出来ないまま無力化された。
(馬鹿な……)
信じ難い光景に思わず目を見開く。
(あのアーニャを手刀一発で……?)
今この瞬間、リューの中で侵入者に対する認識が完全に塗り替えられた。
怪しい男ではない。危険人物でもない。それ以上だ。
少なくとも、この場にいる自分たちを容易に制圧し得るだけの力を持った存在だった。
男はそんなリューの警戒など意にも介さず、床に倒れているアーニャを見下ろしていた。何かを確認するかのように数秒ほど眺めた後、おもむろに膝を折り、その顔へ向かって手を伸ばそうとする。
「っ! アーニャから離れなさい!」
鋭く制止するも、男はまるで反応しない。無視しているのか、それとも本当に言葉が通じていないのかは分からない。だが、あと少しでアーニャへ触れられる距離まで来ている以上、悠長に考えている余裕など無かった。
「貴様ぁ!」
地面を蹴って飛び出す。
最悪、腕の一本でもへし折って止める。そう覚悟を決めた瞬間だった。
「人の倉庫で一体何騒いでいるんだい!?」
倉庫全体を揺らすような怒声が響き渡った瞬間、その場の空気が一変した。
リューは反射的に足を止め、男もまた声のした方へと視線を向ける。床に倒れているアーニャは気絶しているはずだったが、何故かその身体がびくりと震えていた。
「ミ、ミア母さん……!」
倉庫の入口に立っていたのは、『豊穣の女主人』を切り盛りするドワーフの女主人、ミア・グランドだった。
腕を組み、仁王立ちするその姿は、高位冒険者にも引けを取らない。長い年月を生き、数多くの冒険者達を見てきた者だけが持つ迫力があった。
そして何より、その顔には明確な怒りが浮かんでいる。
それを見たリューの表情が強張る。
三年前の騒動によって倉庫が吹き飛び、大切な酒の数々が台無しとなった時のことを思い出していたからだ。あの日、女主人がどれほど怒ったのかを身をもって知っているだけに、自然と背中を冷たい汗が流れていた。
一方で男もまた、言葉こそ理解出来ないながらも、ミアの放つ怒気だけは感じ取ったらしい。先程まで余裕を見せていた表情が僅かに変わり、目の前に現れたドワーフの女性を注意深く観察している。
「リュー、これは一体どういう事だい? アーニャが見慣れない男の前で寝てるように見えるんだが?」
怒りを抑え込んでいるからこそ逆に恐ろしい声音だった。
リューは思わず姿勢を正す。
「あ、いや……アーニャが倉庫へ侵入したと思われる賊を捕らえようとしたところ、返り討ちに遭いまして……ご覧の通りです」
「ほう」
短い返事。だがそれだけで空気がさらに重くなる。
リューは無意識のうちに背筋を伸ばしていた。
後ろめたいことがある訳ではない。それでも正直に報告しようとしてしまう辺り、自分がどれだけこの女主人を恐れているか思い知らされる。
事情を聞いたミアは、床に倒れているアーニャを一瞥した後、ゆっくりと男へ視線を向けた。
「どこの誰かは知らないけど、あたしの倉庫に忍び込むとは随分いい度胸してるじゃないか」
「――――――」
男は何やら言い返したが、当然ながら意味は分からない。
聞き慣れない言葉が倉庫の中へ響くだけだった。
「……?
ミアは僅かに眉を上げる。
オラリオには世界中から人間が集まり、様々な地方の言葉を耳にする機会も少なくない。だが男の使う言語は、そのどれにも当てはまらなかった。
「お前さん、一体何者だい?」
問い掛けるが、当然返答は通じない。
男はしばらく無言のままミアを見つめていた。
その視線に敵意は感じられないが、油断する気にもなれない。アーニャを一撃で気絶させた存在だという事実は変わらないのだから。
例えここから逃げ出そうと考えていたとしても無駄だろう、とリューは思う。男がどれほどの実力者であれ、この場にはミアがいる。
豊穣の女主人で働く者たちが絶対的な安心感を覚える理由がそこにあった。
男が妙な動きを見せれば即座に拘束できるよう身構えるリューだったが、当の本人は思いも寄らない行動に出た。
ゆっくりと立ち上がると、両手を肩の高さまで持ち上げたのである。
武器を持っていないことを示すような仕草で、まるで降参の意思表示にも見えた。言葉が通じない以上は身振り手振りで意思疎通を図ろうとしたのだろう。
リューもミアも彼の意図自体は理解できたが、理解できることと信用することは全く別だ。
警戒を解く理由にはならない。演技という可能性も十分にあり得る以上、視線を逸らすことすら出来なかった。
男はそんな二人の態度も承知しているかのように、ゆっくりとアーニャから距離を取りながら近付いてくる。そして十分な距離まで来たところで足を止めると、今度は胸の前へ片手を差し出した。
最初は何をしようとしているのか分からなかったが、すぐに理解する。男は握手を求めていたから。
「……?」
ミアが怪訝そうな表情を浮かべ、リューもまた眉をひそめた。
何故そんな事をするのか分からなかったからだ。
侵入者が、しかも追い詰められているような状況で握手を求める意味が理解できない。
それでも男は諦めず、敵意は無いと訴えるように手を差し出したまま二人を見ていた。
(よく見たらこの男、まだ坊主じゃないか)
先程までは倉庫の中が薄暗かったこともあり顔立ちまではよく見えなかったが、こうして近付いてきたことで分かった。目の前の男はどう見ても若い。いや、若いというよりまだ少年と呼んでも差し支えない年頃であり、自分より遥かに年下と思われる
普通なら、こんな怪しい侵入者と握手などする理由は無い。その場で拘束し、即刻かに突き出すべきだろう。
だが、ミアはそうしようとは思わなかった。
目の前の青年は確かに怪しい。倉庫にいた理由も分からなければ、どうやって侵入したのかも分からない。おまけにアーニャを一撃で気絶させるほどの実力まで持っている。しかし、その一方で青年の顔には悪意や害意といったものが感じられなかった。
むしろ、言葉が通じない状況に戸惑いながらも、何とかして意思を伝えようとしているように見える。だからこそミアは僅かに考え込む。
(何か訳ありなのかねぇ……)
もちろん警戒を解くつもりはない。
だが少なくとも、今すぐ殴り倒さなければならないほど危険な雰囲気も感じなかった。
一方で、その様子を見ていたリューは別の意味で緊張していた。
(私には無理ですね……)
エルフであるリューにとって、見知らぬ相手と不用意に接触するなど考えられない。ましてや相手は素性も分からない侵入者である。
だからこそ、自然と視線はミアへ向かう。この場で応じるとしたら彼女しかいない。
ミアもまた同じ結論に至ったらしく、小さく肩を竦めた。
「まぁ、握手ぐらいなら構わないさね」
そう呟くと、差し出された手へ自らの手を伸ばす。
もし良からぬ真似をするつもりなら、その瞬間に叩き伏せれば良い。それだけの自信がミアにはあった。
青年の方も、自分の意思が伝わったことを理解したらしい。安堵したように表情を和らげると、感謝を示すように軽く頭を下げた。
そして二人の手が重なる次の瞬間。
バチッ――!
乾いた破裂音と共に、繋がれた手の間から青白い火花が散った。
「っ!」
一瞬の衝撃にミアが目を見開く。
「ミア母さん!」
リューも血相を変えて声を上げた。
だが当の青年は慌てる様子も見せず、静かに両目を閉じている。
まるで何かに意識を集中しているかのように。
突然の異変に倉庫の空気が張り詰める。
やはりこの男は何か企んでいたのかと結論したリューは、即座に二人の手を引き離そうと身を乗り出した。
しかし――。
「成程。『
「「!」」
空気が凍り付いた。
つい今し方まで何を言っているのか全く理解出来なかったはずの青年が、自分たちと同じ
しかも発音に違和感は無い。まるで長年使い慣れていた言語であるかのような自然さだった。
驚愕で言葉を失う二人を余所に、青年はゆっくりと目を開く。その瞳からは先程まであった戸惑いが消え去っており、代わりに何かを理解したような落ち着きが宿っていた。
やがて彼は握っていたミアの手を離し、改めて二人へ向き直る。そして礼節を重んじるかのように深々と一礼した後、穏やかな口調で名乗った。
「見知らぬ自分のために付き合って頂き、感謝します。こんな状況で大変恐縮ですが、自分は隆誠・兵藤と申します」
そうして、先程まで正体不明の侵入者だった青年――兵藤隆誠は、初めて自らの名を明かしたのだった。
流れは今までと同じですが、出来るだけ加筆してみました。
思い切ってやってみましたけど、如何でしょうか? 続けても良いですかね?
感想お待ちしています。