別世界の元神がオラリオに来たのは間違ってるだろうか 再加筆版 作:さすらいの旅人
フレイヤからの配達依頼を終えて以降、これといった騒動に巻き込まれる事もなく、比較的平穏な日々を送っていた。とは言っても、店の方は相変わらず洒落にならないほど忙しい。
調理担当である俺は、開店から閉店まで休む暇もなく鍋を振り、食材を刻み、次々と飛んでくる注文を捌いている。客足が途絶える事など滅多になく、ピーク時ともなれば戦場さながらの有様だ。厨房に立つ人間達は皆汗だくになりながら働いており、俺もその例外ではない。
ただ、そんな慌ただしい毎日ではあるが、この世界に放り出された当初と比べれば、今の俺は随分と順応した生活を送れていると思う。
生活基盤は整った。仕事もある。世話になっている人達もいる。元の世界にいた頃とは何もかも違う環境だが、不思議な事に大きな不自由は感じていなかった。
もちろん、それとこれとは別問題だ。本来なら、俺は元の世界へ帰る方法を探し続けなければならない。
だが正直に言わせてもらうと、その件については半ば諦めかけていた。
いや、完全に諦めた訳ではない。ただ、現状で出来る事を考えた結果、今は『時期が来るまで待つしかない』という結論に達しているのである。
アザゼルが作った転移装置の暴走。その事故によって、俺はこの世界へ飛ばされた。
当然ながら、元の世界へ帰る方法として真っ先に思い付いたのは、次元の狭間を利用する事だった。しかし何度試してみても、肝心の次元を開く事が極端に難しくなっていた。
まるで見えない壁が存在するかのように、力が途中で押し返されてしまうのだ。確証は無い。
だが、俺を無理矢理この世界へ引き摺り込んだ空間そのものが、何らかの形で
もしそうだとしたら、今の状況にも納得がいく。普通なら問題なく出来るはずの事が出来ない。
それどころか、世界そのものから拒絶されているような感覚すらあった。だからこそ、俺は元の世界への即時帰還を半ば諦めている。
とはいえ、希望がまったく無い訳でもなかった。時折、試しに次元の狭間をこじ開けようとして分かった事がある。
それは、日数が経過するにつれて、少しずつではあるが次元に穴を開けられるようになっている事だ。
最初は針の穴程度だった。それが今では、ほんの僅かだが確実に広がっている。尤も、その広がりは誤差と言ってもいいほど微々たるものだ。
人どころか指一本通せる大きさにも達していない。とてもじゃないが、この状態で帰還できるとは思えなかった。
そこで俺は考えた。無理に戻ろうとして失敗すれば、今度こそ取り返しのつかない事になるかもしれない。
ならば焦る必要はない。確実に帰る為には、今は時間を置くべきだと。
それが一年なのか、十年なのか、それとももっと先なのかは分からない。だが、その間ただ待つのではなく、この世界について調べながら過ごそうと思っている。
未知の土地、未知の文化、未知の種族。知れば知るほど、この世界には興味深いものが数多く存在していた。
まあ、それでも
一応、転移装置を使用する前には、それなりの備えをしていた。もし転移装置の暴走で自分の身に何か起きた場合を考えて、
内容は簡潔だった。
『もし転移装置の暴走で自分の身に何か起きても、決して周囲に知らせるな。必ず戻って来るから』
そんな一文だけのメールだ。
イッセーがその言葉を守ったのか、それとも誰かに相談したのかは分からない。そこはアイツ自身の判断に任せるしかなかった。
だが恐らく、必要最低限として信頼のおけるリアス達には事情を話しているだろう。
何せ相手はアザゼルが作った転移装置だ。原因究明の為にも、様々な伝手を頼って調査しているはずである。
向こうで暴走した転移装置の解明が先か。それとも、俺が時間を掛けて元の世界へ帰還するのが先か。現状を考えれば、間違いなくそのどちらかになるだろう。
未来がどうなるのかは分からない。明日何が起こるのかすら予測出来ない。だが、だからといって立ち止まっていても仕方がない。今の俺に出来る事をやるだけだ。
そして現在、俺に与えられている最も差し迫った仕事は―――
「追加注文三十人前だ!」
「肉料理急げー!」
「神様! こっち手伝って下さい!」
……とても忙しい店の料理を作る事だった。
少なくとも、今この瞬間だけは世界の謎だの帰還方法だのを考えている余裕はない。
俺は溜め息を吐きながら包丁を握り直し、終わりの見えない厨房という名の戦場へ再び身を投じるのだった。
☆
「お前達、今夜は今まで以上に大忙しになるよ。ついさっき、が宴会予約してきた」
『えええぇぇぇぇぇ!?』
『はぁぁぁ~~~……』
「?」
夜の営業時間前。
俺達は開店に向けて仕込みや店内の準備を進めていたのだが、ミア母さんが放った一言によって店内の空気が一変した。
料理人であるメイ達は、まるで死刑宣告でも受けたかのような悲鳴を上げている。
一方で、ウェイトレス組のアーニャ達は悲鳴こそ上げなかったものの、揃いも揃って気の重そうな溜め息を吐いていた。
その様子はあまりにも露骨で、まるで厄介な災害でもやって来ると聞かされたかのようだった。
そんな周囲とは対照的に、事情を全く知らない俺だけが首を傾げている。
ロキ・ファミリアという名前を聞いた事はある。だが、ここまで嫌そうな反応をされる理由までは知らない。
「なぁシル、確か【フレイヤ・ファミリア】と並ぶ有名派閥だったよな?」
「はい。【ロキ・ファミリア】さんは、うちのお得意さんなんです」
シルは他の従業員と違い、どこか楽しそうな笑みを浮かべながら答えた。その表情を見る限り、少なくとも彼女自身は【ロキ・ファミリア】を嫌っている訳ではなさそうだ。
しかし、だからこそ余計に分からない。何故メイ達はあんなに絶望した顔をしているのか。何故アーニャ達は今にも胃を痛めそうな顔をしているのか。
聞いてみたい気もしたが、今は仕込みの真っ最中である。結局理由を尋ねる事なく、俺は手を動かしながら別の事を考え始めた。
それにしても、この世界にはフレイヤだけでなくロキまで存在していたとは。こうなると、他にも俺の知る神々と同じ名を持つ神がいると考えていいだろう。
考えてみれば不思議な気分だ。フレイヤという名の神と実際に対面した時も衝撃を受けたが、今でも時々思う事がある。
名前は同じなのに、俺の知る神とはまるで別人なのだと。同じ名を持ちながら全く異なる存在。それは俺にとって初めて経験する類の出来事だった。
果たして、この世界のロキはどんな性格をしているのやら。少なくとも、『
聞いた話によれば、【ロキ・ファミリア】は【フレイヤ・ファミリア】とは違い、オラリオの市民達から厚い信頼を得ているらしい。都市の安全を支える冒険者集団として名高く、その功績も多いのだとか。そして主神であるロキもまた、眷族思いの女神として知られているそうだ。
女神と言う情報を最初に聞いた時、俺は本気で耳を疑った。正直なところ、思わず『嘘だ!』と叫びそうになった程である。
俺の知るロキは、れっきとした男神だ。性格は最悪で、性根も捻くれている。無駄に頭が切れ、周囲へ迷惑を振り撒く天才。それが俺の知るロキだった。
そんな男神が女神になっているなど、簡単に受け入れられる筈がない。世界が違うと言われればそれまでだが。
しかし、だからこそ興味が湧く。この世界のフレイヤには多少警戒心の方が勝っていたが、ロキに関しては純粋な好奇心の方が大きかった。
一体どんな容姿をした女神なのか。どんな雰囲気を纏っているのか。どれほど俺の知るロキとかけ離れているのか。想像するだけでも面白い。
俺の知るロキは、性格さえ無視すれば端整な顔立ちをした美青年だった。
ならば女性になった場合はどうなるか。フレイヤにも劣らぬ美貌を持ち、少々背が高く、それなりに豊かな胸を持つ美神。
そんな姿になるのではないかと勝手に想像してしまう。もちろん根拠など何もなく、ただの俺のイメージだ。
それでも人間というものは、知らない相手ほど好き勝手に想像してしまう生き物である。
調理担当である俺は基本的に厨房から出る事はないし、接客に関わる機会もほとんど無い。
だが、それでも今夜ばかりは違った。忙しい合間を縫ってでも、一度はロキの顔を見てみたいと心に決める。
果たして俺の予想通りの女神なのか。それとも全くの想像外なのか。
周囲の従業員達がこれほど嫌そうな顔をしている理由も含めて―――今夜は少しばかり楽しみだった。
「よっ、ほっ、はっ!」
時間は飛んで夜の営業時間。
開店と同時に押し寄せた客達によって、店は瞬く間に満席となっていた。
店内では客達の賑やかな笑い声や談笑が飛び交い、ウェイトレス達の忙しなく動き回る足音が絶えず響いている。
そんな喧騒の中心とも言える厨房で、調理担当の俺は少しばかり本気を出していた。
いや、正確には出さざるを得なかった。
予想通りというべきか、【ロキ・ファミリア】の宴会予約によって注文量がとんでもない事になっているのだ。
通常営業だけでも十分忙しいというのに、そこへ都市最強クラスの派閥による宴会が加わればどうなるか。
答えは簡単だった。厨房が戦場になるのだ。だからこそ俺は、メイ達以上の速度で次々と料理を捌いていた。
特に大変なのが火を使う料理である。厨房で使用している
額から流れ落ちた汗が頬を伝い、首筋を濡らしていく。普通の人間なら一時間も立っていれば音を上げそうな環境だ。
だが、それでも俺は手を止めない。鍋を振るいながら隣の煮込み料理の様子を確認し、その間に焼き物へ手を伸ばす。
一つの料理を終わらせる頃には別の料理が完成し、更に次の作業へ移行する。並行処理もここまで来れば曲芸じみているかもしれない。
「ミア母さん、こっち頼む!」
「あいよ!」
俺がヘルプを頼むと、ミア母さんは待っていたかのように動いた。
まるで長年組んできた相棒同士のように、お互いが次の動きを読んでいる。
俺が食材を切ればミア母さんが火を入れ、俺が盛り付けを始めればミア母さんが次の鍋を準備する。互いに余計な言葉は必要なく、阿吽の呼吸と言ってもいい連携だった。
「す、凄いニャ……」
「あのミア母ちゃんと、あそこまで息が合うなんて驚きニャ……」
厨房を見ていたメイ達だけでなく、様子を覗いていたウェイトレスのクロエとアーニャまでもが目を丸くしていた。
二人とも完全に手を止めている。本来なら完成した料理をすぐ客席へ運ばなければならないというのに、まるで珍しい見世物でも見ているような顔でこちらを凝視していた。
そして案の定、料理が運ばれない。
「ちょっと二人とも、早く運んでくれないか!?」
「さっさと運びな!」
「「は、はいニャ!」」
俺とミア母さんから同時に怒鳴られた事で、二匹の猫娘はようやく我に返った。
慌てて皿を抱えると、そのまま転びそうな勢いで客席へ駆けていく。
全く。驚いてくれるのは嬉しいが、仕事はきちんとしてほしいものである。
ちなみに俺が楽しみにしていた【ロキ・ファミリア】だが、既に来店している。
今こうしてミア母さんと二人がかりで鍋を振るっている最大の原因こそ、彼らだった。
人数も多い。しかも宴会である。酒も料理も遠慮なく注文する為、厨房側はてんてこ舞いだ。
出来ればロキの顔くらいは見たい。楽しみにしていたのだから当然である。
しかし、この状況では客席へ視線を向ける余裕すらなかった。流石に手を止めて見物する訳にもいかない。
だから今は料理人としての責任を優先するしかないだろう。そんな事を考えながら働き続けていると、ようやく大量注文の第一波を捌き終える。
波が引くように注文票の数が減り、厨房にも僅かな余裕が生まれた。無論、それでも忙しい事に変わりはない。
気を抜けば次の注文が雪崩れ込んでくるが、先程までと比べれば天国みたいなものだ。
「リューセー、今度はアタシが厨房に専念するから、その間に休憩入んな」
「了解」
『えぇぇぇぇぇぇ!!!???』
俺が休憩を取ると聞いた瞬間、メイ達が揃って悲鳴を上げた。
まるで最後の希望が失われるかのような反応である。
いやいや、今日の俺は充分過ぎる程働いただろう。言っておくが、現在の俺は本気を出して一人で十人分近い仕事量をこなしている。
ミア母さんもそれを知っているからこそ、万が一に備えて休憩時間を与えてくれたのだ。
修行ならまだいい。肉体的な疲労はあっても、自分のペースで動ける。
だが料理は違う。火加減。味付け。盛り付け。注文の順番。一つでも間違えれば客に迷惑が掛かる。
大量の料理を作り続けるというのは想像以上に神経を消耗するのだ。正直、修行以上に疲れる時すらある。
「お願いリューセー行かニャいでぇぇ~~~!」
「休憩はもう暫く後にしてぇぇ~~!」
「私達の負担がぁ~~~!」
「………………」
厨房を離れようとした途端、調理中にもかかわらずメイ達が一斉にしがみ付いてきた。
腕。背中。果ては腰にまで。
まるで嵐に流されそうな人間が救命用の板にしがみ付くかのようである。
……頼られるのは悪い気分じゃないし、女の子達から必要とされているのは素直に嬉しい。
だが今の俺は、その気持ちよりも休憩したい気持ちの方が遥かに強かった。
「リューセーに甘えてる暇があったら、さっさと作りな!」
『ひええぇぇぇぇぇぇ!!』
ミア母さんの雷が落ちる。
メイ達は悲鳴を上げながら慌てて持ち場へ戻っていった。
流石である。この店でミア母さんに逆らえる者はいない。
ようやく休憩に入れそうだ。
そう思いながら厨房を出た、まさにその時だった。
客達で賑わうテーブル席の方角から、
ガシャァァァン!!
と、何かが盛大にひっくり返るような物騒な音が響いた。
それとほぼ同時に、
「きゃあっ!?」
「うわっ!?」
「お、おい何だ!?」
複数の悲鳴とどよめきが店内に広がる。せっかく訪れた束の間の休息は、一瞬にして吹き飛んだ。
「何があったんだ?」
俺は踵を返し、すぐさま店内へと戻り始めた。
そのまま調理服姿で客席へ出ると、そこには予想を遥かに超える光景が広がっていた。
見目麗しい金髪の少女が、何故か大暴れしていたのである。
椅子は倒れ、テーブルはずれ、周囲の客達は慌てて距離を取っている。
しかも少女本人は悪意で暴れている様子ではない。ただただ本能のまま動いているような危うさがあった。
「誰や! アイズたんに酒飲ませたアホはぁぁぁぁ!!??」
店中に響き渡る叫び声。
その声の主は、糸目で緋色の髪をした
最初は何事かと思ったが、その叫びで状況を大体察する。
なるほど。つまりあの子は、酒を飲んだせいで暴れているのか。
もしそうならかなり重症だぞ。酒癖が悪いとかいうレベルではない。これは完全に酒乱で、しかも力も強そうだ。
仲間らしき客達が必死に取り押さえようとしているにもかかわらず、誰一人として捕まえられていない。
身のこなしが異常に速いのだ。流石は上位冒険者と言ったところだろうか。一般人ならとっくに捕縛されている場面である。
しかしだからと言って、このまま暴れさせる訳にはいかない。俺の脳裏には既に最悪の未来が浮かんでいた。
このまま騒ぎが大きくなって店が壊れた後、ミア母さんが出てくる。そして全員まとめて地獄を見る。
……うん、何が何でもその前に止めるべきだ。
「ちょっとちょっと! 店の中で暴れないでもらえますか!?」
『!?』
次の瞬間、俺は超スピードを発動した。
客達の視界から姿が消えたかと思えば、既に暴れていた少女の目の前へ到達している。
突然現れた俺に、周囲から驚愕と困惑の声が上がった。
「なっ!?」
「いつの間に!?」
「どこから出てきたんだ!?」
だが、そんなものを気にしている余裕はない。
俺は金髪の少女の片腕を掴み、その動きを封じる。
とりあえず止まってもらおう。そう思ったのだが――
「!」
「って、おい!?」
少女は俺の顔を見るなり、それまで以上に反応した。まるで目の前に敵でも現れたかのように。
掴まれていない方の腕で拳を握り締め、そのまま勢いよく殴りかかってきたのだ。
しかも迷いがない。本気で殴る気である。
「不味い!」
「アイズ!」
「止すんじゃ!」
客席から焦った声が飛ぶ。
先程の男神と、エルフらしき女性、それからドワーフらしき人物が必死に制止していた。
だが酔っている少女は全く耳に入っていない。拳は真っ直ぐ俺の顔面へ向かって振り抜かれる。
周囲の客達も息を呑んでいる。中には悲鳴を上げそうになっている者までいた。
しかし――
「いい加減にしろ!!」
「!?」
俺は首を少し動かしただけで拳を回避した。
まるで止まって見えるかのような速度だった。
そしてそのまま。怒り半分、呆れ半分で少女の額へデコピンを放つ。
バチィィィィンッ!!
店内に乾いた衝撃音が響き渡った。普通のデコピンとは到底思えない音量である。
それを額へまともに受けた少女は、
「……ぁ」
その場で目を回した。
脳震盪でも起こしたように身体から力が抜け、そのまま仰向けに倒れていく。
ドサリ。
店内が静まり返った。
「ったく、手間を取らせやがって……」
『………………』
思わず本音が漏れる。
だが周囲はそれどころではなかった。全員が呆然としている。
目の前で起きた光景が理解出来ないらしい。
無理もない。手が付けられなかった少女が、たった一発のデコピンで沈んだのだから。
そんな沈黙を破るように、
「さっきの騒ぎは何だい!?」
厨房からミア母さんが現れた。
「あ、ミア母さん」
『!?』
だが彼女の姿を見た瞬間、客達の顔色が一斉に変わった。
先程まで驚愕していた者達が、今度は恐怖に震えている。
特に先程から騒ぎの中心にいた連中。つまり【ロキ・ファミリア】と思われる面々の顔色はどんどん青くなっていった。どうやら彼らもミア母さんの恐ろしさを知っているらしい。
「ん? 何でリューセーが此処に居るんだい?」
「ああ、それはね――」
俺は今までの経緯を簡単に説明した。
酒乱少女。大暴れ。仲間が止められない。俺が止めた。
要約するとそんな感じだ。
そして説明を聞き終えたミア母さんの額に、青筋が浮かんでいく。
表情もどんどん険しくなった。あ、これ駄目なやつだ。
「アンタ等の仕業だったのかい……!」
ドスの利いた低い声。
店内の温度が数度下がった気がした。
「あ、いや、ミア母ちゃん! これには深いわけが……!」
先程まで叫んでいた男神が慌てて弁解し始める。
しかし――
「この、アホンダラがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ミア母さんの怒号が炸裂した。
店内の窓ガラスが震え。
空気そのものが揺れたような錯覚すら覚える。
『ひぃっ!?』
客達が一斉に身体を跳ねさせた。
当然ながら俺も例外ではない。怒鳴られたわけでもないのに衝撃波のようなものを食らった気分である。
何か理不尽だ。俺、これ以上被害が大きくなるのを止めた側なんだが?
そんな事を考えながら周囲を見回していると――見覚えのある顔を発見した。
黒髪の少年冒険者。以前の休日に見掛けたあの少年だ。
「あ……」
そしてその青年はミア母さんの怒号を真正面から浴びた結果、綺麗に白目を剥いて床へ倒れていた。
……うん、巻き込まれたんだな。
少しだけ同情する俺だった。
☆
予想外の出来事が起きたが、隆誠は予定通り休憩時間へ移ろうと客達の前から立ち去っていった。
暴れていた少女を止めたとはいえ、本人からすれば店の被害を防ぐ為に動いただけだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
そんな隆誠を、客の一人が慌てて呼び止めようとする。
しかし、
「……」
その瞬間、カウンター越しにミアから鋭い視線が飛んだ。
まるで『休憩時間を邪魔するんじゃないよ』と言わんばかりの威圧感に、その客は思わず言葉を飲み込んでしまう。
結果として隆誠は振り返る事もなく、その場から離れていった。
ちなみに先程まで暴れていた金髪の少女はというと、
「アイズ、大丈夫か?」
緑髪のハイエルフによって介抱されている最中だった。どうやら完全に意識を失っているらしく、ピクリとも動かない。
額にはデコピンの跡がうっすらと残っていた。周囲の団員達はそんなアイズを見ながら複雑な表情を浮かべている。
酔っていたとはいえ、彼女は第一級冒険者。それをたった一撃で沈めた隆誠に対して、少なからず衝撃を受けていた。
「なぁなぁ、ミア母ちゃん」
「何だい? 今は見ての通り忙しいんだがねぇ」
【ロキ・ファミリア】の主神である女神ロキが、カウンターにいるミアへ声を掛けた。
「あのアイズたんを止めた、さっきの坊主は誰や?」
興味を隠す気もない様子で尋ねるロキ。
その問いに、ミアは露骨に眉を顰めた。
面倒な事になった。そんな感情が滲んでいる。
だが今度は団長のフィン・ディムナまでもが話に加わる。
「突然現れただけでなく、『Lv.5』のアイズを簡単に止めるなんて、只の一般人じゃないよね?」
その言葉に周囲で聞いていた団員達も無言で頷いていた。誰もが同じ事を考えていたからだ。
突然現れた見知らぬ青年。そして、その青年が誰も止められなかったアイズを簡単に気絶させた。
気にならない筈がなかった。そんな視線を受けながら、ミアは面倒そうに答える。
「リューセーは約一月前に入ったばかりの息子なんでね。詳しい素性なんて知らないよ」
「息子?」
ロキが目を丸くした。
「ミア母ちゃん、この店に男を雇ったんか?」
まるで予想外だったと言わんばかりの反応だ。
女好きで知られるロキは、美人揃いで有名な『豊饒の女主人』を大変気に入っている。
その為、大規模な宴会をする際は必ずこの店を予約していた。だからこそ
「あくまで厨房メインだよ。今アンタ等が食べてる料理の中に、アイツが作ったのも入ってるからね」
「マジか!?」
ロキの声が思わず大きくなる。
まさかあれほどの腕を持つ青年が料理人でもあるとは思わなかったのだろう。
「へぇ、随分と有望な新人だね。まさか冒険者から料理人に転向するとは……」
フィンは興味深そうに厨房へ視線を向けた。
アイズを簡単に止めるだけの実力者。普通なら冒険者として名を馳せていてもおかしくないと、自然とそう考えた。
だが――
「言っておくけど、リューセーは冒険者じゃないよ。何でも遠い異国からやって来たそうで、今も何処の【ファミリア】にも所属してないらしいさね」
『!?』
その言葉を聞いた瞬間にロキとフィンだけでなく、近くで聞いていたの団員達までもが驚愕した。あまりにも信じ難い話だったからだ。
神から
ましてやアイズは第一級冒険者。それを相手にして、あそこまで圧倒的な差を見せるなど普通は有り得ない。
酒に酔っていたとはいえ、その事実が変わる訳ではない。だからこそ彼等は驚いていた。常識そのものを覆された気分だったのである。
「ミ、ミア母ちゃん! その話もうちょい詳しくっ!」
ロキが勢い良く身を乗り出した。
「僕も聞きたいね。出来れば彼と一度話してみたいんだけど」
フィンも同様だった。
二人とも強い興味を抱いているのは明らかである。
しかも現在の隆誠はどこの【ファミリア】にも所属していない。その事実は彼等にとって見過ごせるものではなかった。
「喧しいっ! これ以上アンタ等に付き合いきれないよ! こっちは今忙しいんだ!」
「ひぇっ!」
ミアの怒声に、ロキが情けない悲鳴を上げた。
有名なが相手であろうと、ミアの態度は一切変わらない。
この店では女将であるミアが絶対。それは客であっても例外ではないのだ。
ロキは完全に勢いを削がれ、フィンもまた、それ以上追及するのは得策ではないと判断した。
(機会があれば、声を掛けてみるとしよう)
フィンはそう考えながら厨房の方へ視線を向ける。
酔ったアイズを止めてくれた礼をしたい。そう言えば話す機会くらいは作れるだろう。
もっとも、今この場でそれを口にすれば、ミアの怒りを買うのは目に見えている。
だから今は引き下がるしかない。とはいえ、なるべく早く接触したかった。
もしこの話が余所のまで知れ渡れば、間違いなく勧誘が始まる。どこの派閥にも所属していない実力者など、それだけで各勢力が放っておくはずがないのだから。
そう考えながら、フィンは静かに杯へ手を伸ばしたのだった。
☆
店内では未だに賑やかな声が響いているが、休憩室の中は比較的静かだった。
大量の注文を捌き続けた後という事もあり、俺――リューセーは椅子に腰掛けながら久しぶりに一息吐いている。
正直な話、身体そのものはそこまで疲れていない。けれど料理を作り続けるというのは想像以上に神経を使う。
火加減一つ、味付け一つ、盛り付け一つ。それらを何十皿も何百皿も作り続ければ、流石に精神的な疲労も溜まってくる。だからこそ、この休憩時間は非常にありがたかった。
そんな俺がゆっくりしている中、この場にはもう一人いた。
「おいシル、何でお前が俺と一緒に休憩してるんだ?」
向かい側に座っている薄鈍色髪の少女へ視線を向けながら尋ねる。
するとシルは悪びれた様子もなく、にこにこと笑みを浮かべた。
「ミアお母さんの怒鳴り声が今も耳に響きまして、休憩した方がいいかなぁ~って」
そう言いながら、自分の耳を軽く押さえてみせる。まるで自分も被害者だと言いたげだった。
確かに先程のミア母さんの怒号は凄まじかった。店内中に響き渡ったどころか、下手をすれば通行人にまで聞こえていたかもしれない。
しかしだからと言って――
「それはお前が休憩していい理由にはならないだろ……」
俺は思わず呆れた表情になる。
そんな俺の反応を見ても、シルはどこ吹く風だった。
「大丈夫ですよ~。少しくらいならきっとバレませんから」
「いや、絶対バレるだろ」
あのミア母さんが店員の人数を把握していない訳がない。一人消えれば即座に気付くに決まっている。
というより、気付かれない方がおかしい。シルもそれを理解している筈なのに、何故こうも余裕綽々なのか。
「……後で母さんに叩かれても知らないからな」
「ふふっ、その時はその時です」
全く懲りる様子がないどころか、むしろ楽しんでいるようにすら見える。
俺は半ば呆れながら肩を竦めた。恐らくあと数分もしない内に連れ戻されるだろう。
それもミア母さん本人か、あるいはアーニャ辺りが血相を変えて呼びに来るに違いない。
そんな未来が容易に想像できた俺は余計な事を言わず、ただ静かに見守る事にした。どうせ結果は目に見えているのだからと。
その間に俺は少しでも身体を休めておこうと、椅子の背もたれへ身体を預けるのだった。
そしてその頃の店内では――
「って、シルは何処ニャ!?」
料理を運びながら周囲を見回していたクロエが、ようやく違和感に気付いた。
忙しさのあまり見落としていたが、同僚の姿が何処にも見当たらない。
普段なら店内を軽やかに歩き回り、客達へ笑顔を振り撒いている筈なのにだ。
「確かリューセーの後に付いて行ったような気が……」
注文を伝票へ書き込みながら、ルノアが記憶を辿る。
忙しい最中だったが、休憩へ向かう隆誠の後ろをシルが付いて行った光景だけは覚えていた。
「え?」
「え?」
クロエとアーニャの動きが一瞬止まる。
そして次の瞬間――
「シルの奴、どさくさに紛れて勝手に休憩してるニャ!?」
アーニャの怒声が響いた。
自分達は注文の波に揉まれながら必死に働いている。
それなのにシルだけが涼しい顔で休憩している可能性に、猫娘の怒りは一気に爆発した。
「許せないニャ!」
「落ち着きなって」
ルノアが苦笑しながら宥める。だが彼女自身も若干不満そうだった。
何せ今夜は【ロキ・ファミリア】の宴会だ。
店内は大混雑。ウェイトレス達は全員走り回っている状況である。
一人欠けるだけでも負担は大きい。そんな中で勝手に戦線離脱されれば思うところもある。
しかし、
「違います」
リューが静かな声が割り込んだ。
「シルは気分が優れないから休んでいるんです」
きっぱりと言い切りながらも、彼女の手は止まらない。
注文を受け、料理を運び、客への応対をこなし続ける。まるで機械のような正確さだった。
「いや絶対違うニャ!」
「シルがそんな殊勝な理由で休む訳ないニャ!」
アーニャとクロエの意見は見事に一致した。
もっともリュー本人は気にしておらず、淡々と仕事へ戻ってしまう。
その姿を見た二人も、文句を言いながら持ち場へ戻るしかなかった。
一方その頃、地獄を見ているのはウェイトレス達だけではない。
「注文追加だよ!」
「こっち三番卓!」
「肉料理二つ!」
厨房もまた戦場だった。
普段なら隆誠が引き受けていた仕事の数々が、今はメイ達へ容赦なく襲い掛かっている。
「ひぃぃぃぃ……!」
「無理ぃぃぃぃ……!」
「手が足りないぃぃぃぃ!」
料理人達から悲鳴が上がる。
先程まで隆誠が一人で捌いていた量を改めて目の当たりにし、全員が戦慄していた。
普段なら自然に処理されていた仕事量が、自分達へ均等に降り掛かってきているのだ。
その負担たるや凄まじい。
そしてついに、
「リューセー! 頼むから早く戻って来てぇぇぇぇぇ!!」
メイを筆頭に、料理人達の切実な叫びが厨房中に響き渡った。
もはや誇張でも何でもなく、全員が本気で助けを求めていた。
しかし当の隆誠はその頃、休憩室で呑気に椅子へ座りながらシルと雑談している。
当然ながら、その悲痛な叫びはまだ本人の耳には届いていなかった。