別世界の元神がオラリオに来たのは間違ってるだろうか 再加筆版 作:さすらいの旅人
この世界に来て早くも一ヵ月以上が経った。
最初こそ右も左も分からず戸惑う事ばかりだったが、今ではもうすっかり順応していた。とはいえ、それはあくまで『豊穣の女主人』で料理人として働く生活に慣れたという意味だ。この世界そのものに馴染んだかと言われれば、まだ何とも言えない。
見知らぬ俺を従業員として拾ってくれたミア母さんには、感謝してもしきれない。もしあの時、ミア母さんが手を差し伸べてくれなければ、俺は無法地帯同然とも言われるオラリオの街を当てもなく放浪していたか、あるいは帰る手段を探しながら世界中を旅していた事だろう。
それはそれで構わなかったかもしれない。元の世界にいた頃から、一人で旅をする事に抵抗はない。むしろ知らない土地を巡るのは嫌いではないし、この世界にも興味は尽きない。
だが、帰らなければならない
俺の帰りを待っている仲間がいる。イッセー達に何の連絡もなく姿を消したままになるのは、どうしても申し訳なかった。向こうでは既に大騒ぎになっている可能性だってある。もちろん、帰れる保証はどこにもない。
だからこそ、最悪の場合はこの別世界で骨を埋める覚悟も決めていた。中途半端な気持ちで生きるつもりはない。この世界で生きるなら生きるで、自分の居場所を見つけて前に進むしかないのだから。
問題の次元の狭間については、未だに人が通れるほど広がってはいなかった。
穴そのものは確認できる。視線を向ければ、その先に何もない闇とも光ともつかない異様な空間が広がっているのも見える。だが、その状態はあまりにも不安定だった。
空間は絶えず揺らぎ、形を変え、今にも閉じてしまいそうな危うさを孕んでいる。とてもじゃないが安全に飛び込める状態ではない。無理に入れば、元の世界どころかどこへ飛ばされるかも分からなかった。
もっとも、初めて発見した時と比べれば多少はマシになっている。ほんの僅かではあるが穴は広がっていたし、揺らぎも以前ほど激しくはない。変化が見られる以上、やはり時間を置くしかなさそうだった。
帰れるのはまだ暫く先になりそうだ。そんな事を考えながらも、俺はいつものように早朝のトレーニングに励んでいた。
朝靄の残る冷たい空気が肺を満たし、身体を動かすたびに筋肉が熱を帯びていく。帰還の目処が立たない今だからこそ、出来る事をやっておくしかない。
この世界で生き抜く力を磨きながら、その時が来るのを待つ。俺は黙々と身体を動かし続けた。
「はぁぁぁぁっ!!」
「お、今のはいい攻撃だな」
気迫の籠もった声と共にリューが木刀を振るう。その一撃は以前と比べても格段に鋭くなっており、生半可な冒険者なら反応すら出来ずに叩き伏せられていただろう。だが俺は振り下ろされた木刀を難なく受け止め、そのまま軽く弾き返した。
現在、俺は以前に手合わせしたリューと木刀を使った模擬戦の真っ最中である。互いに真剣ではなく木刀を手にしているとはいえ、その速度は常人が見れば到底訓練には見えないだろう。木刀同士がぶつかる度に乾いた音が辺りへ響き、俺とリューはお互いの間合いを奪い合いながら激しく打ち合っていた。
あの時以来、リューはこうして時々俺の相手をしてくれている。いや、正しくは違うな。相手をしてくれているというより、自ら俺に挑んできていると言った方が正しい。初めての手合わせで敗北した事が余程悔しかったらしく、それ以来、時間を見つけては再戦を申し込んでくるのだ。
二回目の手合わせの時など酷いものだった。最初から一切手加減のない構えを見せたかと思えば、開始と同時に強敵へ挑むかのような気迫を纏って一気に距離を詰めてきたのである。凄まじい速度で迫りながら長柄の木刀を勢いよく振り下ろしてきたものの、既に動きを見切っていた俺はそれを難なく受け止め、そのまま反撃。予想以上にあっさり防がれた事でリューは動揺を隠せず、その隙を突かれてそのまま敗北した。
三回目では作戦を変えてきたらしく、一切の小細工を捨てて純粋な接近戦を選択していた。俺に反撃の機会を与えないつもりだったのだろう。途切れる事のない連続攻撃を繰り出し続けてきたが、俺からすれば全て視界の中で捉えられていた為、難なく防ぎ切る。最後は連撃の隙間に腹部へ少し強めの突きを入れ、そのまま後方へ吹き飛ばして勝利した。
四回目、五回目、六回目も内容に多少の違いはあれど結果は同じだった。俺の勝利とリューの敗北。それだけである。
「隙あり!」
「あ……」
アレンの事やら【フレイヤ・ファミリア】の事やらを考えてしまった所為で、ほんの僅かだが意識が逸れてしまった。その一瞬の隙を見逃すほどリューは甘くない。鋭い声と共に地面を蹴った彼女は、一気に間合いを詰めながら木刀による鋭い突きを放ってきた。
狙いは俺の胸部。普段のリューなら堅実さを重視して確実に一本を取りに来るのだが、どうやら今の隙だけは絶対に逃したくなかったらしい。その一撃には焦りと執念が混ざっていた。
だが――
「惜しい。あとちょっとで当たったんだが」
「ぐ……っ!」
木刀の先端は確かに俺の胸元へ迫っていた。あと数センチで命中していたかもしれない。だが咄嗟に空いていた左手を伸ばした俺は、そのまま木刀を掴んで止めていた。
リューは悔しそうに表情を歪めながら木刀を引き戻そうとする。しかし一向に動かない。当然だ。俺が力を込めて握ったまま離していないのだから。
そのまま何とか距離を取ろうとしていた彼女だったが、意識の大半が木刀を取り戻す事へ向いている所為で周囲への警戒がおろそかになっていた。真剣勝負であれば致命的な隙と言えるだろう。
だから俺は空いている右手の木刀を軽く振り上げると、そのままリューの頭へコツンと当てた。
「あっ」
「距離を取りたいからって、手合わせ中の相手から目を逸らしたらダメだ」
決して強く叩いた訳ではない。それでも勝負を決するには十分だった。
今回の手合わせは相手へ先に一撃を当てた方の勝利という形式だった為、これで決着である。
結果はいつも通りで、俺の勝ちだった。
リューはしばらく呆然とした後、悔しそうに唇を噛み締めながら木刀を握り直した。
「も、もう一度! リューセー、もう一度です!」
「やっても良いけど……その前に汗塗れの上着をどうにかした方が良いな。不味い所まで見えてるぞ」
「え?」
まだ再戦する気満々だったリューは、俺の言葉を聞いてきょとんと首を傾げた。
俺は無言のまま彼女が着ている白いタンクトップを指差す。
手合わせを始めてから既に三十分近く経っていた。本気で勝ちに来ているリューは序盤から全力で動いていた為、身体中から大量の汗を流している。その汗は当然衣服にも染み込んでおり、特に白いタンクトップは見るからに濡れていた。
ここで一つ問題がある。白い布というのは水分を含むと透けやすくなる。つまり今のリューは――大変よろしくない状態になっていた。
最初に気付いた時は注意するべきか少し迷った。だが放置したまま豊穣の女主人へ戻れば、被害者が俺だけで済まなくなる可能性が高い。主に常連客やら冒険者達やらが。
だから教えてやったのである。親切心から。決して他意はない。
リューは俺の視線を追うように自分の身体へ目を向ける。そして数秒ほど固まった後、自分がどんな状態になっていたのか完全に理解したらしい。
「~~~~~~~~っ!!」
瞬間、耳まで真っ赤になった。
普段は冷静沈着で滅多に表情を崩さない彼女が、今ばかりは見る見るうちに顔を赤く染め上げていく。
そして慌てたように木刀から手を放し、胸元を両腕で覆い隠しながら勢いよく背を向けた。
その動きは普段のリューからは想像も出来ないほど慌てふためいており、正直なところ少し新鮮だった。
同性に見られるのと異性に見られるのでは訳が違う。しかも相手は同年代の男だ。羞恥心を覚えるのも無理はなかった。
もっとも普通であれば俺の方も多少は動揺するべきなのだろうが、生憎とそういった反応はあまり無い。
聖書の神として長い時間を過ごしてきた記憶を持っている以上、女性の裸体そのものには今更大した衝撃を受けないのである。無論、だからと言って性欲そのものが無い訳ではないのだが。
「見られたからって非難しないでくれよ。俺の所為じゃないんだから」
「……ええ、分かっています……!」
背中を向けたまま返事をするリューだったが、その声には何とも言えない感情が混ざっていた。
理性では俺が悪くないと理解しても、感情が納得していない。そんな声音だった。
そしてちらりと振り返った彼女の目には、どこか恨みがましさのようなものまで宿っている。非常に理不尽だ。
結局、その日はそれ以上手合わせを続ける事なく解散となった。リューはそそくさと離れへ戻って行き、俺も木刀を片付けながら豊穣の女主人へ向かう事にしたのだが――問題はその後だった。
仕事中に目が合う度、リューが何とも言えない恨みがましい視線を向けてくるのである。
当然、その様子を見ていたシル達が面白がらない筈もなく、「二人の間で何かあったんですか?」「喧嘩でもしたんですか?」などと根掘り葉掘り聞いてくる羽目になった。
俺が何度違うと説明しても、何故か生温かい目で見られるだけだったのは言うまでもない。
「リュー、これ運んでくれ」
「分かりま――っ!」
昼時を迎えた『豊饒の女主人』は今日も繁盛しており、店内では店員達が慌ただしく動き回っていた。
俺もすっかり仕事モードへ切り替わっており、出来上がった料理をカウンターへ並べながらリューへ声を掛ける。
だが、料理を受け取ろうとしたリューは何故か途中で言葉を詰まらせた。
その理由は大体察しが付く。朝の手合わせで起きた、あの事故である。
どうやら俺の顔を見た瞬間、透けた服を指摘された時の事を思い出したらしい。こちらと目が合った途端、リューの白い頬がみるみる赤く染まっていく。
おいおい、まさかまだ引きずっているのか。
俺としては完全に事故だったし、その場で終わった話だと思っていたのだが、当の本人にとってはそう簡単に割り切れるものではなかったらしい。
その結果として、彼女は普段なら絶対に犯さないような失態を演じてしまう。
「あっ――」
カチャッ、と嫌な音が聞こえた。
リューの手元から、片付ける予定だった皿とコップが滑り落ちる。
彼女も慌てて掴もうとしたものの間に合わない。
次の瞬間――
ガシャァァン!!
派手な破砕音が店内へ響き渡った。一瞬だけ店の空気が止まる。
客達の視線が集中し、近くにいたシルやアーニャまでもが驚いたようにそちらを振り向いた。
そして、その音を聞き逃す筈がない人物がいる。
「リュー! 何やってんだい!!」
店の奥から飛んできたのは、まるで雷鳴のようなミア母さんの怒声だった。空気そのものが震えたような錯覚すら覚える。流石の俺も思わず肩を竦めてしまうほどの迫力だ。
「す、すみません!!」
リューは弾かれたように姿勢を正し、慌てて頭を下げる。しかし顔は未だに赤いままだ。
その様子を見ていたシルは何かを察したように口元を押さえ、アーニャは不思議そうに首を傾げている。
そして俺はというと――。
(いや、俺の所為じゃないよな?)
心の底からそう思った。
確かに朝の件の原因は俺が指摘した事かもしれないが、悪いのはどう考えても事故であって俺ではない。
にもかかわらず、皿の破片を片付けながらこちらをチラチラ見てくるリューの視線には、どことなく「元凶は貴方です」とでも言いたげな色が含まれていた。
非常に理不尽だよ。
そんな俺の内心など知る由もなく、ミア母さんの雷はその後もしばらく店内に響き続けるのだった。
☆
「もうっ! ダメですよ、リューセーさん。女性の胸を見るなんて」
「別に好きで見た訳じゃない」
昼のピーク時間を乗り越えた後、俺は厨房の後片付けを手伝っていた所為で昼食が少し遅くなっていた。流石に昼時ほどの慌ただしさは無くなっていたが、それでも『豊饒の女主人』の中はそれなりに賑わっている。
今日の昼食はミア母さんが作ってくれたパスタだった。豪快な見た目とは裏腹に味は絶品で、最初に食べた時は少し驚いたほどである。
シルもまた仕事の関係で昼休憩が遅くなったらしく、気付いた時にはトレーを持って俺の隣へ座っていた。
こうして二人きりで昼食を取るのは意外と珍しい。アーニャやクロエ、それにリューが混ざる事も多いからな。
そんな事を考えながらパスタを口へ運んでいると、シルは何か思い出したようにリューの事を聞いてきた。
朝から様子がおかしい理由。そして昼時の失態。当然といえば当然の疑問だった。
別に隠すような内容でもないと思った俺は、朝の手合わせで起きた出来事をそのまま説明した。するとシルは話を聞き終えた途端、頬を膨らませるようにして俺を見つめてきたのである。
そして冒頭の台詞だ。
「だから事故だったんだって。俺だって見ようと思って見た訳じゃない」
「でも見た事には変わりないじゃないですか」
「それを言われると否定出来ないな」
俺が肩を竦めながら答えると、シルはどこか納得いかない表情のままフォークをくるくる回していた。
だがその後、何故か彼女の表情が少し曇る。何かを気にしている様子だった。
「あのぅ、もしかしてリューセーさんは――」
「それは無い。俺は普通に女性が好きだ」
最後まで言わせる前に即答した。何を聞こうとしているのか何となく察していたからだ。
案の定、シルは目をぱちくりさせている。恐らく俺が女性に興味を持っていないのではないか、とでも考えていたのだろう。
以前にも言ったが、俺は別に性欲が枯れている訳ではない。
好きになった女性がいたら普通に意識もするし、男として健全な欲求だってある。ただ、それを表に出していないだけだ。
「そうなんですか? リューセーさん、この店で働き始めてから今まで一度も女の子関連の事故が起きなかったから、もしかしてって思ってたんですが」
「確かにそう思われても仕方ないかもしれないな……」
俺自身、言われてみれば妙な話だと思う。
普通のラブコメ主人公だったら、一ヶ月も働いていれば着替えだの入浴だの何だので最低一回は事故が起きている気がする。
少なくともイッセーだったら絶対に起きていた。むしろアイツの場合、事故ではなく故意に起こそうとする可能性すらある。
女性の着替えを覗こうとしたり、風呂場へ侵入しようとしたりする光景が容易に想像出来てしまった。もっとも、その場合は悲惨な末路を迎えるだろう。
ここにいる女性陣は見た目こそ華やかだが、全員が腕利きの冒険者だ。特にウェイトレスとして働いているリュー達など、普通の冒険者なら手も足も出ないほど強い。恐らく『女の敵!』と叫ばれながら徹底的に制裁される未来しか見えなかった。
「少なくとも俺は、お前達に不埒な行いなんか絶対しない。それは約束する」
そう言うとシルは一瞬だけ黙り込んだ。次第に口元が不満そうに尖っていく。
「……そこまではっきり言われると、私達に女としての魅力が感じられないように聞こえるんですが……」
さっきまでの軽い怒りとは別種の不満だった。
何というか、拗ねている。そんな感じだ。
「そんな事は無いぞ。シルは充分魅力的だと思ってるさ」
正直な感想をそのまま口にしただけだった。
愛嬌があって明るくて、人懐っこい。見た目だって可愛い部類に入るだろう。
だから素直にそう言ったつもりだったのだが、
「ふんっ。今更そんなお世辞なんか言っても遅いんですから……!」
シルはツンとした表情をしながら明後日の方向を向いてしまう。
だが耳だけはほんのり赤くなっていた。
何と言うか、こういう反応を見ると妙な既視感がある。
何故だろうか。全くの別人なのに、昔のフレイヤを思い出してしまうのだ。
不機嫌そうな顔。少し面倒くさいところ。だが内心ではそうでもないのが分かるところ。
昔、フレイヤがこんな風に不機嫌になった時はどうしていただろうかと記憶を探る。
そして自然と答えが浮かんだ。
「そう怒るな、フレイヤ。折角の可愛い顔が台無しだぞ」
そう言いながら頭を軽く撫でる。
昔はこれで機嫌を直してくれる事が多かった。
だから今回も深く考えずにやってしまった。
「…………えっ?」
その瞬間、シルが完全に固まる。まるで時間が止まったかのように。
目を見開いたまま、ぽかんと俺を見つめていた。
嫌がっている様子は無い。だが反応がおかしい。
そして数秒遅れて俺は気付く。
俺が見ていたのはフレイヤじゃなくてシルだ。完全に呼び間違えた。
「す、すまなかった、シル。君はフレイヤじゃないのに、また呼び間違えた」
「…………………」
謝罪する。だがシルは何も言わない。
普段ならすぐに「私はシルですよ」と笑いながら訂正してくる筈なのに、今日に限って無言のままだった。
ただじっと俺を見つめている。その瞳の奥で何かを考えているようにも見えた。
「シル? おーい、シルさん?」
流石に心配になって何度か声を掛ける。
すると数秒遅れてようやく我に返ったらしく、シルは小さく肩を震わせた。
「は、はいっ!?」
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫です! 何でもありません!」
慌てたようにそう答えるシルだったが、明らかに様子がおかしい。
そしてその違和感は昼休みが終わった後も消える事はなく、その日一日、シルはどこか上の空なまま仕事を続けていたのだった。
「『本日のおすすめ』出来た! 誰か運んでくれ」
「は~い♪ 私が運びますね~♪」
夜の時間帯となり、『豊穣の女主人』は昼とはまた違った賑わいを見せていた。
酒を求めてやって来た冒険者達の笑い声が響き、店内の空気も昼間よりずっと騒がしい。そんな中、俺は注文票を確認しながら慣れた手付きで料理を仕上げ、出来立ての皿をカウンターへと並べた。
すると声を掛けた直後、まるで待ち構えていたかのような勢いでシルが飛んできた。
しかも妙に機嫌が良い。いつも愛想は良い方だが、今日はそれに輪を掛けて上機嫌だった。
鼻歌でも歌い出しそうなほど軽い足取りで料理を受け取ると、そのまま笑顔全開で客席へ向かっていく。
何というか、昼休み以降ずっとあんな調子である。仕事に支障が出ている訳ではないので別に構わないのだが、流石に目立つ。
「何か今日のシル、いつもより機嫌良いね」
案の定、それに気付いたルノアが不思議そうな顔をしながら呟いた。
厨房の中からでも分かるくらいだから、ホールで働く人間なら尚更だろう。
「おミャー、昼休みの時に何かしたかニャ?」
今度はアーニャが怪しむような目でこちらを見る。
その質問の仕方だと、まるで俺が原因みたいじゃないか。
「さぁな」
だが俺自身、シルが何故あそこまでご機嫌なのか分かっていない。
昼休みに少し話をしたくらいで、それ以外はいつも通りだ。
だから適当に肩を竦めながら答えると、アーニャはますます疑わしそうな顔をした。
「絶対何か隠してるニャ」
「隠してない」
「怪しいニャ」
「だから知らん」
どうにも納得してくれそうにない。もっとも、シル自身に聞けば済む話だろう。
そんな風に思いながら次の料理へ取り掛かろうとした、その時だった。
「そこのバカ娘二人!!」
店内が一瞬静まり返るほどの大声が響く。
当然、その主は一人しかいない。
「調理中のリューセーに声掛けるんじゃない! 気が散るだろうが!!」
厨房の奥から飛んできたミア母さんの怒号に、アーニャが文字通り飛び上がった。
「は、はいニャ!!」
「私は声掛けてないのに!?」
何故か一緒に怒られたルノアが即座に抗議する。
だがミア母さんにそんな言い訳が通じる筈もない。
「同じようなもんだろうが! 暇なら手を動かしな!!」
「横暴だー!」
「ルノア、諦めるニャ!」
こうして二人は慌てて持ち場へ戻っていった。
そして俺もまた苦笑しながら包丁を握り直す。
相変わらずミア母さんの一喝は絶大な効果を発揮するらしい。
もっとも、その後もシルだけは終始ご機嫌なままであり、時々こちらへ向けられる意味深な笑顔については、最後まで理由が分からないままだった。