別世界の元神がオラリオに来たのは間違ってるだろうか 再加筆版 作:さすらいの旅人
異世界に来て早々、中年女性――ミア・グランドが大事にしていた酒を台無しにしてしまった事で、俺は突然の借金生活を送る羽目になった。
その結果、俺――兵藤隆誠は借金を返済する為、『豊饒の女主人』の従業員として働く事になる。しかも、自分の意思とは無関係に、半ば強制的にだ。
本来なら、そんな理不尽な話に付き合いきれるものかと、さっさと逃げ出していただろう。だが、この世界に来たばかりの俺には、それが出来なかった。
何しろ、この世界についての知識が圧倒的に足りない。言葉こそ不思議と通じているものの、それだけで生きていけるほど世の中は甘くない。この世界の常識も、文化も、人々の価値観も知らないまま放り出された状態だ。土地勘もなければ知り合いもいない。そんな状況で一人で生きていく自信は、正直なところあまりなかった。
それに、人間としての生活に馴染んでいる
自分がいた世界とどれほど文化が異なるのか。何が常識で何が非常識なのか。どのような価値観が社会を形成しているのか。
神として世界を眺めるのではなく、一人の人間としてその中に身を置く以上、そうした事を自らの目で確かめてみたいという思いがあった。そう考えると、嵌められたような形だったとはいえ、俺を無理矢理従業員にしたミア・グランドには感謝しなければならないのかもしれない。
この店で働いていれば、彼女や他のスタッフ達からオラリオについて様々な話を聞く事が出来る。街の成り立ちや仕組み、人々の生活様式。さらには冒険者という、この世界特有とも言える存在についても自然と知る機会に恵まれるだろう。
もしかすると、それこそがミア・グランドの狙いなのかもしれない。もちろん、法外な借金を背負わせて働かせるという手段を善意と呼んでいいのかは大いに疑問だ。しかし、オラリオについて何も知らない俺を追い出すどころか店に置き、食事や寝床まで用意してくれている事実は否定できない。
半信半疑ではあるものの、それが彼女なりの世話焼きであり、不器用な善意なのではないかと思わなくもなかった。
考えてみて欲しい。見慣れない服装をした得体の知れない男が突然現れたとして、普通ならどうするだろうか。身元も素性も分からない人間を自分の店に置き、しかも従業員として働かせるなど、余程の物好きか豪胆な人物でもなければまず有り得ない。
俺が逆の立場なら、警戒して即座に追い返している。それをしなかったという事は、ミア・グランドという人物は相当に肝が据わっているか、あるいは人を見る目に絶対の自信を持っているかのどちらかだろう。……まぁ、借金の額についてはどう考えても納得できないが。
ともあれ、不本意であろうと何であろうと、彼女が下した決定には従うしかない。今の俺には他に行く当てもなく、この世界で生き延びる為には多少の理不尽には目を瞑らなければならなかった。
因みに、俺が店で働く事になった際、女性スタッフ達は最初こそかなり戸惑っている様子だった。
当然だろう。この店は女性店員だけで構成されていると聞いている。そんな中へ突然男が一人放り込まれたのだから、困惑するなという方が無理な話だ。
それでも、ミア・グランドの決定に反対する者は誰一人としていなかった。俺はてっきり、男と一緒に働く事そのものを嫌がる者がいると思っていたのだが、意外にもそうした素振りは見られない。
単純に抵抗感が無いのか。それとも、ミア・グランドの決定に口を挟まないだけなのか。どちらなのかは分からないが、少なくとも表面上は受け入れられているらしかった。
もっとも、問題がまったく無かったわけではない。その最大の問題が、俺の住む部屋だった。
知っての通り、『豊饒の女主人』には女性しかいない。店とは別に設けられている離れの宿舎も当然女性専用であり、従業員全員がそこで共同生活を送っている。
そんな場所に男である俺が加われば、様々な問題が起きる可能性があるのは明白だった。その為、俺に割り当てられたのは宿舎ではなく、ミア・グランドの部屋の隣にある空き部屋だった。
ただ、その話を聞いた瞬間だった。女性スタッフ達が何故か一斉に俺へ同情的な視線を向けてきたのである。
憐れむような目。あるいは、これから不幸な目に遭う人間を見るような目。
そんな反応をされれば嫌な予感しかしない。当然理由を尋ねたが、誰一人として答えてはくれなかった。
ただ、「頑張ってくださいね」「応援してます」といった曖昧な言葉を掛けられるばかりだった。
……うん。何となくだが、聞かない方が身の為な気がする。知らない方が幸せな事実というものは、この世に確かに存在するのだ。
色々と先行きに不安しかない生活になりそうだが、それでも今の俺には前へ進む以外の選択肢はない。
借金返済に異世界生活。おまけに正体を隠しながらの従業員生活。問題は山積みだが、とりあえずは目の前の仕事をこなしていこう。
そう心の中で小さく気合を入れながら、俺はこれから始まる新しい生活へと思いを馳せるのだった。
☆
「何でおミャーが此処にいるニャ!?」
「ミア母さんより、今日から此処で働く事になりました、リューセー・ヒョウドウと申します。それと、昨夜は申し訳ありませんでした」
翌日。
従業員用の制服(勿論男用)を身に纏った俺は、スタッフ一同と顔合わせをした後、ミア・グランド(以降はミア母さん)から先輩から従業員としての指導を受けるよう言い渡された。
そして、その先輩というのが昨夜襲い掛かって来た獣人娘――アーニャだった。
厨房で対面した瞬間、彼女は俺の姿を見た途端に耳をぴんと立たせ、憎らしげな表情を浮かべながら指をさしている。
まるで信じられない物を見るような反応だ。まぁ、昨夜まで店内で騒ぎを起こしていた得体の知れない男が、翌日には従業員になっているのだから無理もないだろう。
一通り話を済ませると、彼女は渋々と言った感じで受け入れてくれた。納得したというより、納得せざるを得なかったという方が正しいかもしれない。それだけミア母さんには逆らえないんだろう。
「先に言っておくニャ。昨夜は確かに不覚を取ったけど、アレがミャーの本気だと思ってたら大間違いニャ! そこはちゃんと覚えておくニャ!」
「そ、そうですか……」
何もそこまで念を押さなくても良いと思うんだが……。
というか、随分と昨夜の事を気にしているらしい。
俺が内心少しばかり呆れてると、途端にアーニャは得意気な表情となる。
自信満々に胸を張り、尻尾まで機嫌良さそうに揺れていた。
「それじゃあ新入り、ここからはミャーが先輩として指導するニャ! おミャーを思いっきり扱き使って……もとい、ビシバシ扱いてやるニャ!」
「本音が駄々洩れですよ、先輩」
明らかに俺に対する恨みを晴らそうとする気満々な言い方だった。
俺が指摘しても、向こうは全く聞いてなく、ふんぞり返る様に言い放つ。
「『豊饒の女主人』の務め、その一……皮剥きニャ!」
そう言ってアーニャはジャガイモが入った材料入りの容器を俺に見せる。
中には今日使うのだろうジャガイモが山盛りに入っていた。
「このジャガイモ、全部おミャーがやるニャ!」
「良いですけど……」
少々腑に落ちない感じのまま、俺はまな板の上に置かれてる包丁を手にし、もう片方の手でジャガイモを持って皮剥きを開始する。
中身を深く切り過ぎないようギリギリの範囲で皮を切り、そして芽を取り、三十秒もしない内に剥き身のジャガイモが完成した。
後は同じ作業の繰り返しだ。
慣れた手付きで淡々と皮を剥いていく中、次第にアーニャだけでなく他の料理人達の視線がこちらへ向けられている事に気付く。
だが、今は特に気にせず作業を続けた。
始めて五分も経たない内に、さっきまで容器に入っていた多くのジャガイモは全て剥き身状態となった。
「はい、終わりました」
『………………』
俺が終わったと言っても、アーニャは未だに呆然としていた。
他の料理人達も含めてだ。まるで予想外の物を見せられたような顔をしている。
「……先輩?」
「っ! な、なんニャ!?」
「いや、だから終わったんですけど……」
「お、おミャー、何で男のくせに、そんな上手く出来るんだニャ!?」
「何で、と言われても……」
元いた世界で、オカマのローズさんから料理を徹底的に学んだだけだ。
あの人の指導は凄く為になるから、時折教えてもらっている。
野菜の皮剝きなんて、基本中の基本だ。これくらい簡単に出来なければローズさんに怒られてしまう。
それに与えられたジャガイモの量も少ない。俺はてっきり、大量の皮剝きをやらされるかと思っていたんだが、たかが二十個程度だ。正直、肩慣らしにもならない量だった。
「ジャガイモ以外の野菜もあるんでしたら、そちらもやりますが」
俺が大したこと無いように言うと――
「ふ、ふんニャ! ジャガイモの皮剝き程度で粋がるなんてまだ甘いニャ! 人参、玉ねぎ、その他の野菜も全部やるニャ!」
先輩としてのプライドが刺激されたのか、アーニャはまるで奥の手を出す感じで言い放った。
僅かに悔しそうな表情をしている辺り、思った以上に堪えたらしい。
「了解しました」
本日使う予定である野菜の皮剝きを本格的に始めようと、俺は少し本気を出す事にした。
ジャガイモ以上にあった多くの野菜の皮は手際良く剥かれ、料理人がすぐに使える食材となっていく。
包丁がリズム良く動く度に野菜の皮が落ち、次々と下拵えが終わっていった。
アーニャや他の女性料理人達が、まるで俺の包丁捌きに魅入られるように手を止めている中――
「アーニャ、いつまで突っ立てるんだい! 新入りのリューセーばかりやらせてないで、アンタもさっさとやりな!」
「は、はいニャ!」
調理中のミア母さんからの怒号により、アーニャはハッとして作業に取り掛かろうとする。
流石というべきか、ミア母さんの一喝だけで厨房の空気が引き締まった。
どうやらこの店で逆らってはいけない相手は、間違いなくあの人らしい。
「ば、バカな。私以上に上手く出来るなんて……!」
「嘘……! あの人、あんな簡単にやってる……!」
因みに俺の皮剝きを離れた場所から見ていた女性エルフ――リューと、本日顔合わせした女性ウェイトレス――シルが何故か信じられないように見ていたのは気にしないでおく。
二人とも、まるで珍しいものを見るような目をしていた。
俺としては当たり前の事をしているだけなのだが、この世界ではそうでもないのだろうか。
そんな疑問を抱きながらも、俺は黙々と次の作業へ取り掛かるのだった。
☆
「アホのアーニャに代わって、今度はミャーが教えるニャ。本当だったらおミャーを買出しに行かせたいところだけど、既にシルとリューが行ってるから今日は無しニャ」
「そうですか」
野菜の皮剝きなどの下拵えが終わったのは良いんだが、その後アーニャが何故かミア母さんに怒られ、仕事に専念するよう言われてしまった。
どうやら俺の指導係という立場でありながら、肝心の自分が仕事の手を止めていたのが原因らしい。
その結果、今度は彼女と同じ
相変わらず随分と適当な人選な気もするが、ミア母さんが決めた以上は従うしかない。
「う~ん、改めておミャーを見ると……やっぱり惜しいニャ」
クロエは俺の顔をじっと見ながら、そんな事を呟いた。
「何がですか?」
「せめて、あと五~六年若かったら、ミャーの好みのタイプだったんだがニャ~」
残念そうに肩を落とすクロエ。
何がそんなに残念なのか分からない。
「……あの、それで俺は次に何をすれば……」
心底如何でもいい情報を自ら口走るクロエに少々呆れつつも、俺は強引に本題へ戻る事にした。このままだと仕事の話より恋愛談義の方が長くなりそうだったからだ。
「皿洗いニャ」
そう言って彼女は料理で使った後の皿がある厨房を指した。視線を向けると、そこには既に相当数の皿や器が積み上げられている。
まだ開店してから間もない筈なのに、この量だ。やはり『豊饒の女主人』はかなり繁盛している店らしい。客の出入りも多かったし、その人気振りがよく分かる。
「野菜の下拵えが出来るおミャーの事だから、皿洗いも当然出来る筈ニャ」
「勿論」
料理に関する事は一通り学んでいる。当然、雑用同然である皿洗いも経験済みだ。
以前に義妹のアーシアへ効率の良いやり方を教えた際、大量にあった皿を綺麗に全部洗い上げた事があった。
その時は思わず感動したものだ。アレを見て流石は我が義妹だと感心した程に。
……まぁ、そう言った事は置いておくとして、だ。今は目の前の仕事に集中しよう。
早くしないと、次から次へと使用済みの皿が追加されていくのだから。
「流石におミャーだけやらせるのは酷だから、ミャーも一緒にやるニャ」
「あ、どうも」
皿洗いを始めようとすると、(一応)指導している立場のクロエも作業に加わろうとする。
最低限の面倒見はあるらしい。その辺りはアーニャより先輩らしかった。
互いにカチャカチャ、ゴシゴシと皿を洗っていく俺とクロエだが……スピードは俺の方が圧倒的に速い。
というより、クロエの洗い方に少々気になる点があった。
「クロエさん、そんな洗い方じゃ油が取り切れません。こうした方が良いですよ」
「へ? こ、こうかニャ?」
「違います」
クロエの洗い方が少しばかり下手だった為、俺は手本を見せながら教えていた。
洗う順番、力の入れ方、水の使い方。少し変えるだけで効率は大きく違ってくる。
ローズさんから叩き込まれた知識は、こういう場面でも役立つらしい。
「ですから、そんな雑な拭き方じゃ――」
「ウニャー! 何で先輩のミャーが新入りに皿洗いのやり方を逆に教えられなきゃいけないニャ~!」
遂にクロエが悲鳴にも似た声を上げた。
先輩としての立場が大きく傷付いているのかもしれない。
「あっ……」
数分後、俺の指摘にウンザリしてきたクロエが思わず拭いていた皿を手放してしまい、そのまま床に落としてしまった。
皿は床へと真っ逆さまに落ち――パリンッ、と言う乾いた音と共に真っ二つとなる。
一瞬だけ厨房の空気が静まり返った。
当然、この音は周囲にも聞こえているから――
「クロエ! 指導してるアンタが皿を割ってどうすんだい!」
「ご、ごめんニャ~!」
調理中のミア母さんが此方へ振り向き、クロエに怒号を放つのであった。
その迫力に周囲の従業員達まで肩を震わせる。やはりミア母さんは怒らせてはいけないと、俺は改めてそう認識した。
これはあくまで俺の個人的な考えなんだが、
昨日のアーニャもそうだったし、今のクロエも似たようなものだ。勿論、そんな事を口にしたら面倒事になりそうなので言わないが。
ミア母さんに怒られているクロエを余所に、俺は追加された使用済みの皿を洗う事へ専念する。
皿はまだまだ山積みだが、幸い作業自体は難しくない。
初日は(俺にとって)簡単過ぎる仕事であったが、まだ始まったばかりだ。今は余計な事を考えず、この世界の仕事内容や勝手をキッチリ覚えるとしよう。
そう考えながら、俺は次々と運ばれてくる皿を黙々と洗い続けるのだった。
☆
「ウニャ~! ミャー達は先輩なのに、何で母ちゃんに怒られなきゃならないんだニャ!」
厨房の裏手で頬を膨らませながら、アーニャが尻尾をバシバシと地面に叩きつける。その顔には納得できないという感情がこれでもかと滲み出ていた。
「理不尽ニャ! 新入りのくせに、先輩の顔を潰すなんて許せないニャ!」
クロエもまた腕を組みながら憤慨し、猫耳をぴくぴくと逆立てる。普段なら後輩を好き放題振り回している二人だけに、今回の一件はよほど面白くなかったらしい。
アーニャとクロエは酷く憤慨していた。
先輩として新入りをビシバシ扱き、上下関係というものを叩き込んでやる予定だった。ところが蓋を開けてみれば、逆に自分達の怠慢や問題点を後輩に指摘され、その直後に母親でもあり店主でもあるミアからこっぴどく叱られてしまったのである。
しかも後輩に正論をぶつけられたため反論の余地すらない。先輩としての威厳は地に落ち、面目は丸潰れだ。二人にとってはまさに屈辱以外の何物でもなかった。
「絶対に仕返ししてやるニャ……!」
「今度こそ先輩の恐ろしさを思い知らせてやるニャ……!」
揃ってゴゴゴゴゴと黒いオーラでも背負いそうな雰囲気を醸し出しながら、復讐計画を練り始めたその時だった。
「そこのバカ娘共! いつまでもサボってんじゃないよ!」
店内に響く怒声と共に、聞き慣れた足音が猛スピードで迫ってくる。
嫌な予感を覚えた二人が恐る恐る振り向いた瞬間――
「「ギニャァァァアアア!!」」
ゴツンッ!
店主ミアの容赦ない拳骨が、二人の脳天に見事な直撃を果たしていた。
あまりの痛みに頭を抱えて転げ回るアーニャとクロエ。耳はぺたりと寝そべり、尻尾もしょんぼりと垂れ下がる。
「客が待ってるんだよ! 暇があるなら一つでも仕事をしな!」
「み、ミャー達は作戦会議を……」
「そうニャ! これは店の未来を考える重要な――」
「ほう?」
ミアがにっこりと笑う。
しかしその笑顔には全く温かみがなかった。
「「申し訳ありませんでしたニャ!!」」
即座に土下座を決める二人だった。
その見事な手のひら返しに、周囲の従業員達も苦笑を浮かべている。
「……何かこの世界のウェイトレスってサボり癖が酷い気がする」
一連のやり取りを見ていた隆誠は、運ばれてきた注文票を確認しながらぼそりと呟いた。
もちろん全員がそうとは思っていない。だが少なくとも自分の周囲にいるウェイトレス達を見る限り、その評価を改める材料がほとんど存在しなかった。
視線の先では、説教を受けながらもしれっと逃げ出そうとして再びミアに捕まるアーニャとクロエの姿がある。
「いや、あの二人だけか……」
訂正しつつも、隆誠の目はどこか遠い。
果たしてあの二人が真面目に働く日は来るのだろうか。
そんな疑問を抱きながら、隆誠は次の仕事へと取り掛かるのだった。
感想と評価お待ちしています。