別世界の元神がオラリオに来たのは間違ってるだろうか 再加筆版 作:さすらいの旅人
迷宮都市オラリオに飛ばされてから、一週間以上が経った。
異世界で従業員として働くという初めての経験をするも、仕事自体はそれほど難しいものでは無かった。元の世界で得た経験を存分に活かせたお陰で、拍子抜けするくらいには順調だった。
初日には野菜の皮剥きや皿洗いといった基本的な雑用を難なくこなした事で、ミア母さんからは珍しく褒められた。逆に先輩である筈のアーニャとクロエは怒られていたが。
その日以降は掃除や買い出しなど、料理と接客以外の雑用も任されるようになったが、特に問題なくこなしていた。敢えて苦戦している事を挙げるなら、この世界の読み書きが未だに分からない事だ。買い出しの際に渡されたメモを見ても、何が書かれているのか全く分からなかった。
その為、メモに何が書かれているのか改めて聞き、それを俺のいた世界の言語――日本語で書き直した。
すると、そこで意外な事実が判明した。何と、この世界にも日本語が存在していたのである。流石に日本という国そのものは存在しないらしい。
だが、極東と呼ばれる地域には国家系ファミリア『朝廷』があり、そこでは日本語が使われているそうだ。
まさか異世界で日本語の存在を聞くとは思わなかった。オラリオに極東出身者はいないのかとミア母さんへ聞いてみたが、いたとしても居場所までは知らないらしい。
他の女性スタッフ達にも一応聞いてみたものの、返ってきた答えはほぼ同じだった。極東については知っていても、実際に極東出身者を知っている者はいないようだ。
だが、その中で一人だけ妙な反応を見せた者がいた。初めて会った女性エルフ――リューだ。
彼女だけは僅かに心当たりがありそうな反応を見せたものの、結局は知らないという結論で終わっている。
気のせいかもしれないが、他の者達とは少し違う反応だった。何か事情がありそうだった為、敢えて深く追及する事はしなかった。
極東出身者についてはいずれ調べるとして、今の俺にとって最も重要な問題は別にある。異世界の文字――
話せても読めないのでは不便が多過ぎる。買い出しのメモ一つ満足に読めない現状は流石にどうにかしなければならなかった。誰かに教わろうにも、なかなか都合良くはいかない。
まずミア母さんは論外だった。酒場の主人である彼女は毎日忙しく働いており、文字を教わる時間など取れる筈も無い。
先輩役であるアーニャとクロエも駄目だった。仕事についての指導ならしてくれるが、勉強関連は無理だと即座に断られたからだ。あの反応を見る限り、教える側になれるほど得意ではないのだろう。
俺と同じヒューマンでありウェイトレスのルノアやシルなら問題無いかもしれないと思ったが、こちらも難しかった。ルノアは猫娘達と同様に勉強が苦手な上、思考回路がゼノヴィア以上に脳筋だった。下手をするとゼノヴィアより酷いかもしれない。少なくとも教師役を任せたい相手では無かった。
そしてシルだが……何故だか彼女だけは遠慮させてもらった。普通に話す分には何の問題も無い。むしろ明るく優しく、店の中でも屈指の人気者だ。それなのに、何故か彼女には妙な違和感を覚える。
初めて話した際など、自分でも意味の分からない言葉が口を突いた。シルの顔を見た瞬間、何故か『フレイヤ』という名前が脳裏を過ったのだ。
何故あの時そんな言葉が出てきたのか、今でも分からない。ただ、その時からずっとシルに対してだけは説明し難い引っ掛かりを覚えていた。
それに加えて、この世界にもフレイヤという女神が存在すると聞いた時は少なからず驚いた。尤も、その女神は俺の知っているフレイヤとは別人なのだろうが。
……少し話が逸れたな。
ともかく、
理由までは聞かなかった。だが、恐らく警戒されているのだろう。エルフだからなのか、それとも俺個人に何か思う所があるのかは分からない。少なくともリューの中で、俺はまだ信用に値する存在ではないらしい。
「ふわぁ……」
異世界での生活にもある程度順応してきた俺は、今日もスタッフ達より早めに起床した。既にミア母さんは起きており、店を開ける為の準備を始めている。
最初に来た頃は時差ボケのせいで思うように眠れなかったが、今ではすっかり生活リズムも整った。決まった時間になれば自然と目が覚めるようになり、ようやく身体もこの世界での生活に馴染んできたらしい。
洗面所で顔を洗って眠気を吹き飛ばし、一通り身支度を整えた俺は庭へと向かった。
目的は早朝トレーニングだ。オラリオに来てからは仕事を優先していた為、鍛錬はほぼ後回しになっていた。
普段の生活に支障が出る程ではないとはいえ、身体が少しずつ鈍ってきているのは自分でも分かる。久しぶりに身体を動かして感覚を取り戻そうと思ったのだ。
いつものように
「ん?」
一人でも出来る鍛錬内容を考えながら庭へ向かうと、そこには既に先客がいた。
エルフのリュー・リオンだ。早朝の静かな空気の中、彼女は演武でもしているかのように木刀を振るっていた。
一振り一振りに無駄が無い。洗練され、研ぎ澄まされ、長年鍛え続けてきた者だけが辿り着ける領域にまで達している。
何より実戦慣れしているのが見て取れた。ただ技術を磨いただけの剣ではない。実際に何度も命のやり取りを経験し、その中で磨き上げられた剣筋だ。
それは見ているだけで理解出来た。エルフは基本的に魔法主体の種族だ。だからこそ、あそこまで近接戦闘に秀でているのは少々意外だった。もっとも、この店にはリュー以外にも相当な実力者が揃っている。
ミア母さんは当然として、アーニャ、クロエ、ルノア、そしてリュー。酒場のウェイトレスとは思えない連中ばかりだ。
何故そんな実力者達が揃って酒場で働いているのかは分からない。だが、何かしら事情を抱えているのだろう。俺みたいに、な。
そんな事を考えながらリューの演武を眺めていると、彼女が不意に動きを止めた。どうやらこちらの視線に気付いたらしい。
「……貴方でしたか」
「おはよう、リュー」
相変わらず少し警戒するような視線を向けてくるが、今更気にするつもりはないので、普通に挨拶を返す。
「見ちゃ不味かったか?」
「そんな事はありませんが……リューセーも朝稽古ですか?」
「ああ。仕事にも慣れてきたしな。そろそろ鈍った身体を戻そうと思って」
リューは俺を警戒していても、一応名前で呼んでくれる。
ミア母さんから従業員同士なのだから名前で呼べと言われているからだろう。
それでも最初の頃に比べれば多少は距離が縮まった方かもしれない。
多分。恐らく。……出来ればそう思いたい。
そんな事を考えながらリューの木刀を見る。
見る限り、あまり満足しているようには見えなかった。相手のいない稽古では物足りないのだろう。
「見たところ少し物足りなさそうだな。良かったら俺が相手しようか?」
何気なくそう提案すると、リューは僅かに目を細めた。
「……気持ちだけ受け取っておきます。残念ながら恩恵を持たない貴方では、私の相手は務まりません」
「ほう?」
一瞬だけアーニャを気絶させた件を思い出したのかもしれない。
だが結局、リューは断った。
その理由も分かる。この世界では神から与えられた恩恵により、人は本来を遥かに超える力を得る。
身体能力。反応速度。魔力。
あらゆる面で一般人とは比べ物にならない。だから恩恵を持たない俺では話にならない。そう判断したのだろう。
本来ならここで素直に引くべきなのだと思うかもしれないが、生憎と少しばかり癇に障った。
リューに悪意が無いのは分かっている。むしろ気遣いから来る言葉なのだろう。
それでも、恩恵が無いという理由だけで勝負にもならないと決めつけられるのは面白くなかった。
これでも元いた世界では、人間はもちろん悪魔、堕天使、ドラゴン、そして神とさえ戦ってきたのだ。もし
だから少しだけ認識を改めてもらう事にした。
俺が近くに置いてあった木刀を手に取ると、それを見たリューは呆れたような顔になった。
「何の真似ですか? 先程言った通り、貴方では――」
次の瞬間。俺は地面を蹴っていた。
「――っ!?」
風を切る音と共に一気に間合いを潰す。
気付けば木刀の先端はリューの首筋へ軽く触れていた。
「おやおや。まさかここまで簡単に接近を許すとは」
完全に予想外だったのだろう。
リューは目を見開いたまま硬直しており、さっきまで余裕を見せていた表情が嘘のようだ。
「お前もアーニャみたいに一撃で終わるかもしれないな」
敢えて挑発するように言う。
すると、リューはすぐさま後方へ飛び退いた。木刀を構える動作に一切の無駄が無く、先程までとは明らかに眼の色が違っていた。
「不覚を取りました。そして貴方を侮った事を謝罪します」
「って事は、相手してくれる気になったと思って良いんだな?」
「ええ。ですがリューセー、出来れば私をアーニャと一緒にしないで頂きたい。私は彼女のように簡単にはやられません」
「その台詞は俺に勝ってから言ってくれ」
そう言いながら木刀を構える。
対するリューもまた、本気の眼差しでこちらを見据えていた。
どうやら先程の接近は相当効いたらしい。リューは先程までの余裕を消し去り、本気の眼差しでこちらを見据えていた。
もっとも、さっきの一撃はリューが完全に油断していたからこそ成功したようなものだ。本気で警戒された状態ならそう簡単にはいかない。
だからこそ面白い。久々にまともな手合わせが出来そうだと思いながら――
「ぐっ!」
「おっ? 今度は受け止めたか」
先程と同じように一気に間合いを詰め、そのまま木刀を振り下ろす。
流石に二度目ともなれば対応出来たようだ。リューは即座に反応し、自身の木刀で受け止める。
木刀同士がぶつかり合い、乾いた音が庭に響いた。そのまま鍔迫り合いの状態となる。
だが、正確には少し違う。リューは必死に押し返そうとしているが、俺が敢えて動いていないだけだ。
「馬鹿な……! 本当に恩恵を持っていないのですか……!?」
困惑を隠せない表情だった。それも当然かもしれない。
恩恵の有無はこの世界において絶対的な実力差を生み出す。その認識があるからこそ、目の前の状況が理解出来ないのだろう。
「そんなものは無いな。それより、まだ俺を動かせないのか?」
「くっ……!」
必死に押し込もうとするリュー。だが、俺は一歩たりとも動かない。
しかし表面上は余裕を見せていても、内心では少なからず驚いていた。
押し込もうとする力が尋常ではない。単純な腕力だけで言えば、人間離れしていると言っても過言ではなかった。
並の下級悪魔程度なら、力任せに叩き伏せられてもおかしくない。
これが異世界の恩恵か。肉体を鍛え、経験を積み、その成長を加速させる。ある意味では成長型の
確かに、この力を知っていればリューが最初から俺を相手にしようとしなかった理由も分かる。恩恵持ちからすれば、恩恵の無い一般人など話にならない。それがこの世界の常識なのだろう。
詳しく調べてみたい気もするが、今は目の前の勝負に集中するとしよう。
それにしても――向こうが全然押し切れないでいるな。なら、今度はこちらから仕掛けるとしよう。
「そらっ」
「なっ!?」
鍔迫り合いを続けていた木刀へ少しだけ力を込める。ただそれだけだった。
それだけでリューの身体は大きく後退する。踏ん張り切れず、たたらを踏んで体勢を崩した。
好機だったので、俺はすぐさま木刀を頭上へ掲げる。
上段の構え。見れば誰でも分かる単純な構えだった。
「同じ攻撃は……!」
リューも当然読んでいる。先程と同じ攻撃だと。
だからこそ迎撃しようと木刀を構えた。
次の瞬間――
「がはっ!」
リューの身体が大きく吹き飛んだ。
上段から振り下ろされると思わせておきながら、同時に放った横薙ぎの一閃。
真上と真横。二方向からの攻撃。
その片方だけに意識を向けてしまったリューは、防御が間に合わなかった。
脇腹へ直撃した木刀の衝撃によって吹き飛ばされ、そのまま建物の壁へ激突する。
鈍い音が響いた。
「油断大敵だったな、リュー。今のはちょっとした技だ」
以前、祐斗との訓練でも使った技――“
恩恵を持つリューなら対応出来るかもしれないと思って少し期待していたが、どうやら真上からの攻撃を意識し過ぎていたらしい。
まぁ、一度見せた以上は次から通じないだろう。
「流石に二回目は通じな――」
そこまで言って俺は首を傾げる。
反応が無かった。リューが立ち上がろうとする気配も感じられない。
「……おい?」
嫌な予感がした。
慌てて近寄って確認した結果。
「……あ」
気絶していた。
「やっば……少しやり過ぎたか?」
思わず額を押さえる。
久しぶりの手合わせだったせいだろう。加減を少し間違えたらしい。
恩恵持ちだから多少は大丈夫だろうと考えていたが、思った以上に綺麗に入ってしまったようだ。
普段から
とりあえず回復術を掛けて――
「あっ、リューセーさん。さっき凄い音がしましたけど……って、リュー!? 一体どうしたの!?」
庭へ姿を現したシルが、地面に倒れているリューを発見して大慌てで駆け寄って来た。
こうして俺とリューの手合わせは強制終了となる。
その後、事情を説明すると――
「リューと手合わせ出来るだけでも凄いのに……勝っちゃうなんて。本当に冒険者じゃないんですよね……?」
シルは終始困惑した様子だった。
驚きと疑問が入り混じり、何とも複雑そうな表情を浮かべている。
まぁ無理も無い。恩恵を持たない一般人が、恩恵持ちの冒険者を打ち負かしたのだから。この世界の常識から考えれば意味が分からないだろう。
ちなみに気絶していたリューだが、シルの介抱によって目を覚ました後もしばらく呆然としていた。
恩恵を持たない俺に敗北したという事実が、相当衝撃だったらしい。
普段は冷静沈着な彼女が露骨に落ち込んでいる姿は少々珍しく、流石に少しだけ申し訳ない気持ちになったのだった。
☆
「冒険者でもないリューセーに負けた……しかも、一方的に……」
仕事中にも拘わらず、リューは酷く落ち込んでいた。
木製のジョッキを運びながらも視線は虚ろで、完全に上の空だ。
普段の彼女であれば考えられない有様だった。
「ちょっとリュー、今は仕事中よ! 前を見て、前!」
隣を歩いていたシルが慌てて注意する。
だが、肝心の本人には全く届いていなかった。
リューはぶつぶつと何かを呟きながら歩き続ける。
「恩恵を持たない相手に手も足も出なかった……私の鍛錬は一体……」
その直後。
ガタンッ!
運んでいた皿が盛大に傾いた。
「きゃあっ!? だから言ったのに!」
幸い落下する前に近くのアーニャが反射的に受け止めたが、あと少し遅れていれば大惨事だった。
にも拘わらず、リューは未だに現実へ戻って来ない。
「あらら。こりゃ重症だわ」
ルノアが面白そうに笑い、
「珍しいにゃ~」
クロエも呆れたように尻尾を揺らしている。
あの冷静沈着なリューがここまで取り乱す姿など滅多に見られないのだろう。
一方その頃。
そんな惨状を調理場から眺めていた隆誠は思わず苦笑してしまった。
「俺の所為とは言え……」
視線の先では、未だに魂が半分抜けたような顔で働くリューの姿がある。
普段は真面目で隙が無く、店の従業員達からも信頼されるエルフ。
そんな印象だっただけに、今の姿との落差が酷かった。
「リューって結構ポンコツなんだな……」
思わず零れた感想だった。
その直後、丁度聞こえていたらしいリューがギギギッと音が鳴りそうな勢いで此方を振り向く。
だが何か言い返そうとして、再び朝の手合わせを思い出したのか、そのまま肩を落としてしまった。
どうやらかなり深刻なダメージだったらしい。余りのポンコツ振りに、隆誠は呆れ半分、申し訳なさ半分の視線を送るのであった。