封印魔王は語らない   作:かにぱん。

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壊す力で、命を与える

 鉱山へ向かう荷車道に入ったころには日が高くなり、背後の荒れ地から届いていた戦の音も聞こえなくなった。

 レオンは汗を拭う兵の横を歩きながら、先ほど力を使ったことで自分の身体に変化がないか確かめていた。

 胸の奥にはまだ力が残り、炎と氷を放った両手にも傷はなく、歩くたびに外套の裾へ触れていた。

 

(向こうへ行って、また撃てば済む話じゃない。今度は人がいる)

 

 戦場の指揮を残る隊へ渡したヴァルガスは前方で道を確かめ、リシェルは使いから受け取った紙を歩きながら読み返していた。

 上段にいる者の名前と寝かされている場所が書かれた紙には追記が重なり、レオンが尋ねると、夜のうちに裏の出口へ出てきた労働者から聞いたものだという。

 

「その者は今どこにいる」

「下段で休ませています。中の者と呼び交わせるところまでは、シオンが確認しました」

 

 下段の選鉱場へ着くと救護の車が軒下を空けて待ち、守りを任された兵が上の坂へ盾を向けていた。

 最初に来た日には閉められていた小屋の戸も開き、布を干す縄の下で水を飲む者がこちらへ頭を下げる。

 彼らを守る兵と治療係が残り続けてくれたのだと確かめるだけで、レオンの足取りは少し落ち着いた。

 侯爵の馬車はここを通らず東の山腹を回ったと、出迎えた兵も告げた。

 

 シオンが現れたのは上段へ続く細い坂の手前だった。

 頭巾を外すと黒髪に細かな土が絡んでおり、シオンは外套の肩を払ってから一礼した。

 

「裏の出口は通れます。侯爵が表へ兵を集めた隙に、こちらの者が残る見張りを押さえて柵を開けました。昨日は担架を曲げられなかった箇所も、荷をどかして広げてあります。中にいる者へは、声をかけるまで出口へ押し寄せぬよう伝えました」

「こちらから上がる道とは、どこで繋がる」

 

 シオンは足元の土へ線を引き、表の坑口から小屋の脇を抜けて裏の出口へ至る屋根付きの通路を示した。

 寝かされた者のいる部屋は通路の途中にあり、表へ出ずにその通路を辿って裏の出口へ行けるという。

 ただし出口まで歩けた者の話だけでは、全ての部屋の人数は確かめられない。

 

「東の搬入路にも見張りを出しました。逃げる者がいれば合図させます。侯爵は表の坑口前におります。数人を縄で繋ぎ、兵の前へ座らせました。残る者の多くはまだ小屋の中です」

「そちらから運び出せる者は運び出せ。表にいる者はこちらで迎える」

「裏の道には人を残します。私は表へ回り、出てきた者を受けます」

 

 頼むと答えてからレオンは小さく息をついた。

 地図を一度見れば覚えられても、目の前にいない人をどの順番で運べばよいのかまでは分からない。

 担架を手にした者がシオンの仲間へ続いて裏へ向かうのを見届け、レオンはヴァルガスとともに表の坂を上がった。

 

 最初に見えたのは華やかな衣服ではなく、裸足を揃えて地面へ座らされた人々だった。

 背後へ回された手首から縄が一本に繋がり、そのすぐ後ろに剣を持つ兵が立っている。

 石段の上では侯爵が腹を上下させて息を継ぎ、脂汗に濡れた襟を指で引き広げていた。

 レオンの姿を見つけると侯爵は護衛を自分の前へ引き寄せ、その肩越しに顔を突き出した。

 

「そこで止まれ。それ以上近づけば、こいつらから死ぬぞ」

 

 声を聞いた一人が顔を上げかけ、後ろの兵に肩を押さえられて俯いた。

 レオンが足を止めると侯爵は荒く息をつき、胸元の飾りを握ったまま笑おうとする。

 

「フ、フヒッ……今度は撃てまい。焼けばこいつらも死ぬぞ。私を帰せ。帰せば解いてやると言っている!」

 

(戻れる場所があれば、また同じことをするつもりなのか)

 

 前に座る女の足には布も巻かれておらず、裸足の指の間には小石で擦れた跡が残っていた。

 目を合わせると女は何か言いかけて口を閉じ、兵の刃へ視線を動かす。

 

「まずその者たちから離れよ」

「命じるな。ここでは私が──」

 

 侯爵の声に重なって奥から人を呼ぶ声が上がり、表に立つ兵の一人が小屋の方へ振り向いた。

 裏から救助が始まったのだと分かった瞬間、侯爵も振り返り、こちらへ向き直った顔から引きつった笑みが消える。

 

「勝手に出したのか。止めろ! 誰でもいい、一人殺せ!」

 

 女の背後にいた兵が剣を持ち上げた。

 レオンが地面を蹴ると兵の剣が振り下ろされるより早く間合いが詰まり、左手は女の頭上で刃を掴んでいた。

 身体をひねって女から離れる側へ剣を引くと兵の指が柄を離れ、レオンは空いた右手でその柄を受け取る。

 握り直す間に黒い揺らぎが刀身を包み、兵が腰の短剣へ手を伸ばしたときには剣の柄頭が胸を打ち抜いていた。

 石壁へ叩きつけられた兵の口から血が溢れ、顎を伝って潰れた胸へ落ちた。

 崩れた身体に呼吸が戻らないのを横目に捉え、レオンは奪った剣を下げて人質の前へ立つ。

 

(また黒くなった。ここで振り抜いたら、人ごと小屋まで斬ってしまう)

 

 横から踏み込んだヴァルガスの盾が次の敵の剣を押し退け、後続の兵が人質の縄を切って地面から抱き起こした。

 レオンは奪った剣を身体の前へ立て、迫る刃を横へ払うだけにとどめる。

 それだけでも敵の剣は折れ、突き出した柄頭に盾ごと打ち飛ばされた兵が壁際へ崩れた。

 敵が剣を握る腕を引くたびにレオンは一歩進み、背後を通る裸足の足音が遠ざかるまで誰一人その先へ通さなかった。

 

「縄の切れた者から後ろへ! 立てぬ者には肩を貸せ!」

 

 ヴァルガスは二人の兵に最後の人質を預け、逃げ道へ迫った槍を盾の縁で弾いた。

 押し込んでくる槍の柄を盾と肩で受けるとヴァルガスの靴が地面を削ったが、踏みとどまった足は人質へ近づくことを許さない。

 槍が引かれる瞬間に踏み込んだヴァルガスの剣が敵の脇腹を貫き、シオンがその背後を駆け抜けて最後の人質を道の曲がり角へ導いた。

 

「こちらは通しました!」

 

 シオンの声が届くとヴァルガスは盾を持ち直し、レオンの脇へ並んだ。

 息は荒くても剣先は下がらず、その肩越しには誰も座っていない地面が見えた。

 

 侯爵は小屋の方へ退きながら、表と裏を繋ぐ屋根付きの通路を指さして叫んだ。

 

「閉じろ! 奥の奴らを出すな!」

 

 命令を聞いた兵たちが石を積んだ荷車を通路へ押し込み、柱へぶつけて横倒しにした。

 柱の折れる音とともに屋根が傾き、崩れた壁から太い梁の端が抜ける。

 荷車に道を塞がれて担架を抱えた二人が足を止め、その後ろに小屋から逃げてきた人々が詰まった。

 

 レオンは剣を通路脇の誰もいない地面へ突き立てて手を離し、落ちてくる梁の下へ飛び込むと両手を差し入れた。

 指先に重さが集中して梁の木が裂けたため、レオンは両腕と肩でも受けるように身体を入れ、崩れかけた屋根を支え止めた。

 瓦の破片が首筋へ降ったが痛みはなく、代わりに靴の下で石が沈んだ。

 

(軽くはない。でも、支えられる。動くな。このまま──)

 

 梁を持ち上げようと腕を少し上げただけで奥の壁からも土がこぼれ、レオンはそれ以上押し上げずに支える姿勢を保った。

 繋がる屋根まで動かさずに持ち上げたいが、どこへ力をかければよいのかが分からなかった。

 

「車をどかせ。人は裏へ通せ」

 

 脇へ駆け込んだ兵たちが横倒しの車から石を下ろし、足元へ板を敷いて通れる幅を作り始めた。

 リシェルはこちらへ来ようとしてレオンに止められると、崩れる屋根の下へ入らず、入口から小さな光を浮かべた。

 薄暗い通路の段差が照らされると、担架を持つ二人は足の置き場を確かめ、一度担架を下ろして持ち直してから裏へ進んでいく。

 

「陛下、そのままで。こちらから順に通します」

 

 リシェルの声を受けた者が小屋の中へ同じ言葉を伝え、待っていた人々が裏口へ向けて一人ずつ動き出した。

 レオンには手を出して運ぶ余裕がない。

 もし離れた人まで浮かせられたとしても、あの荒れ地で使った力のままなら身体ごと壁へぶつけてしまうだろう。

 

(運ぶのは皆に任せよう。俺はこの梁を離すな)

 

 肩へ掛かる重みを受け直すと、掌の下から木屑が散った。

 それを見た老いた鉱夫が担架の後ろから身を乗り出し、レオンの左側を指す。

 

「そっちは割れています。右へ、ほんの少し……そこなら」

 

 言われた方へ腕をずらすと梁の軋みが小さくなり、レオンはその位置で足を止めた。

 鉱夫は自分の頬を流れる血にも構わず、脇から差し込まれた支えの位置を兵へ教えている。

 

「よく見えるな」

「ずっと、この下で働いておりましたから」

 

 この鉱夫に教わらなければ、割れたところを支え続けて梁ごと裂いていたかもしれない。

 レオンは礼を言い、教わった位置を動かさずに次の担架を待った。

 


 

 表の坂へ回ったヴァルガスは盾を構え、腹を揺らして駆けてくる侯爵の前へ立ち塞がった。

 侯爵は足を止めると後ろの護衛を押し出したが、剣を持つその腕は上がらず、兵は横目で逃げ道を探している。

 

「何をしている、斬れ! 貴様らのせいで軍を失ったのだぞ!」

 

 主人に背を押された護衛が半ば転ぶように剣を突き出したため、ヴァルガスは盾で刃を外へ流して柄頭を肘へ叩きつけた。

 護衛が剣を落とす間に侯爵はもう一人の背へ隠れたが、その兵は剣を地面へ置き、両手を上げて膝をついた。

 

「腰抜けが! 金を払ってやった恩を──」

 

 逃げようとする侯爵の胸へ盾を当てると重い腹が弾み、尻から落ちかけた身体を両側の味方が押さえた。

 盾から伝わる重みを受けながら、ヴァルガスは歯を食いしばった。

 この手で石を投げ、兵へ人を殺せと命じた男が、今は他人の身体を盾にして逃れようとしている。

 

(ここで首を落とすのは容易い。だが陛下が人を救っておられる間に、ワシが勝手に裁くわけにはいかぬ)

 

「膝をつかせろ。刃を隠しておらぬか確かめる」

 

 腰の短剣を取り上げられると侯爵は顔を真っ赤にし、己の身を捜す兵へ唾を飛ばした。

 

「下賤の者が、私を誰だと思っている! 鉱山のことなら監督を殺せ。私に黙ってやったことだ!」

 

 つい先ほど人質を殺せと叫んだ口から出た言葉に、ヴァルガスは返事をせず拘束を確かめた。

 すぐ横の通路ではレオンが屋根を支え、その肩の下を担架が一つずつ通っている。

 六千の軍を崩した力を惜しげもなく木と石の重みへ差し向けながら、レオンは鉱夫の指図を聞き、まだ奥に人がいるかと尋ねていた。

 

「そんなものは捨てろ! 金なら出す。私と話をしろ!」

 

 侯爵の声にレオンが顔だけを向けたが、担架を持つ兵を待たせることはなかった。

 

「今、私が何を支えているか見えぬのか。」

 

 ヴァルガスは盾を握り直し、通路へ近づこうとする侯爵を押し戻した。

 先日の襲撃で刃を防げなかった悔しさは残るが、今もレオンは自分へ背を預けている。

 その背へ二度と敵を近づけぬことが、今ここで果たすべき務めだった。

 

「陛下のお邪魔だ。こちらへ来い」

 

 侯爵を囲んだ兵へ合図し、ヴァルガスは救助の道から離れた壁際へ連れていかせた。

 


 

 レオンは最後の部屋の確認をリシェルへ頼み、屋根を肩へ乗せたまま戻る兵を待った。

 梁の軋みを聞きながら、リシェルが名前を確かめる声を追う。

 奥の物置で見つかった二人は既に亡くなっていた。

 担架から垂れた手の爪には黒い石粉が詰まり、半開きの目が天井を向いていた。

 兵がその手を胸へ戻して瞼を下ろし、二人の顔まで毛布を掛けて運び出した。

 

(生きている人だけじゃ、なかったか)

 

 運ばれる毛布を見つめていると、頭上でまた木が鳴った。

 ここで手を離せば戻ってきた兵まで巻き込むと気づき、レオンは肩へ意識を戻す。

 遺された者へ何と言えばよいのかは、支え終えてから考えるほかなかった。

 

 出口で人数を数える兵と部屋を見て回る兵が声を交わし、裏口側の確認に回っていたシオンも最後に戻ってきた。

 小屋と物置を見終え、別の坑道へ続く口も、そこから出てきた者に確かめてもらったという。

 

「いま通れる場所には誰も残っておりません。担架を運んだ者も全員、外へ出ています」

「確認に入った兵は」

「ここにいる者が最後です」

 

 レオンは返事を聞いてから兵を先に離れさせ、支えを入れた場所を見た鉱夫の指示どおり、ゆっくり肩を下げた。

 木が重さを引き受ける音を確かめて腕を抜き、誰もいない通路から外へ出る。

 立ち入りを禁じる縄の外から振り返ると、傾いた屋根の下では、差し込まれた木の支えが折れかけの梁を受け止めていた。

 

「全員を照合できるまでは、見つからぬ者がいないと言い切るな。」

 

 それだけ伝えるとリシェルは名を記した紙を胸へ寄せ、下段でもう一度確かめると答えた。

 運び出した者は百を超えたというが、帳面の人数と今そこにいる顔が同じかどうかは、数字を聞いただけでは分からない。

 

 坂を下りる前に、シオンが兵に付き添われた細い男を連れてきた。

 侯爵の家令をしていると名乗った男は胸へ抱えた包みを差し出し、主人の命令で書いたものだと同じ言葉を繰り返す。

 

「私が決めたのではございません。印のある命令書も残っています。支払いの控えも、処分せずに……これがあればお分かりになるはずです」

「どこから持って出た」

「上の詰所でございます。逃げるときに。私まで兵と同じにされては困りますので」

 

 シオンは家令の言葉を遮らずに聞き、話が途切れてからレオンへ顔を向けた。

 

「監督官と呼ばれていた男は、下段で兵が見ております。この者と帳面を書いていたという書記も出てきました。話を合わせぬよう、別々に待たせています」

 

 包みを開いたシオンが紙の枚数と封のあるものを分け、受け取る前の状態をリシェルに見せた。

 家令がこれで助かるのだろうかという目を向けてきても、レオンはすぐには答えられない。

 

(自分を守るために持ってきたんだな。なら、この人の言うことだけで決めるわけにはいかない)

 

「預かる。お前のしたことは、お前の話とほかの者の話を聞いてから確かめる」

 

 リシェルが受け取った場所と相手を控える間、家令は侯爵のいる方を見ないように俯いていた。

 書き付けられる音がするたびに家令の肩が揺れたが、レオンにはそれが誰を怖れてのことかまでは分からなかった。

 

 下段へ戻ると治療係が車へ乗せる順番を決め、足に残った枷を外す職人の手元で小さな光が揺れていた。

 留め金が切られても赤く腫れた足首は変わらず、清潔な布を当てられた女が唇を噛んで耐える。

 レオンはその横で止まりかけたが、車へ移すために空けてある場所だと気づいて道の端へ退いた。

 

(帰れば終わりじゃない。それでも、まず帰ろう)

 

 午後の光が傾くころに最初の車が動き、後続は道の揺れを見ながら間隔を空けて進み始めた。

 下段へ残る守備と見回りの手配を済ませたヴァルガスが、最後尾の車の脇へつく。

 救出された人々から離したその荷台には、両腕を縛られた侯爵が兵に挟まれて座り、遠ざかる鉱山を睨み続けていた。

 

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