封印魔王は語らない   作:かにぱん。

2 / 12
ハーメルン初投稿です
ストックあれば毎日17時投稿目標


名も知らぬ王

 目を開けると鼻先から指一本ほどのところで黒い石が視界を塞ぎ、その縁から漏れる淡い光だけが表面の細い溝を照らしていた。

 横を向いても肩を動かしても硬い縁に触れるばかりで、馴染みの寝具を探る指は冷たい石の上を滑る。

 

(……どこだ、ここ)

 

 息を吸えば胸が広がり、指を開けば爪の先が石を擦って狭い空間を満たす乾いた音が耳の奥へ返ってくる。

 覚えている自分の部屋にこんな音を立てるものがあっただろうか。

 声を出しかけたもののすぐ外に誰かがいるかもしれないと思うと、知らない相手に居場所を知らせるのがためらわれた。

 

 息を抑えて耳を澄ます。

 人の声も足音も機械が動く低い唸りさえ聞こえず、いくら待っても静けさが変わらないので、目の前の石に両手を当てた。

 押そうとしても腕は思っていたより長く、肘を曲げるたびに石の縁へぶつかった。

 自分の身体なのに思うように動かせないことが、狭さ以上に不安だった。

 

「落ち着け。ひとまずここから出ないと」

 

 小声で言い聞かせながら押し上げると、石が拍子抜けするほど容易く浮いた。

 慌てて力を緩めたが間に合わず、蓋らしき石は横へ滑り落ちて床を打った。

 重い音とともに背中まで振動が伝わり、石はそのまま動かなくなる。

 そのまま身を固めて待っていても誰かが駆けてくる気配はない。

 ようやく首を伸ばしてみれば、開けた視界の先には梁も照明器具もない高い石の天井が広がっていた。

 

 身体を起こすにつれて厚い布が胸元から膝へ折り重なり、深い紫を縁取る金糸が淡い光を拾う。

 見覚えのない服よりもそれを握っている手の大きさが気にかかった。

 太い指から厚い掌へと目を移して以前よりずっと太くなった手首を掴むと、押さえたところに確かな感覚がある。

 

 紫がかった灰色の肌は光を受けたところだけ磨いた石のような鈍い艶を帯び、擦っても色は落ちなかった。

 押せば皮膚が動き、曲げれば関節が曲がるその手を作り物だと思い込むことさえできそうにない。

 

「……ここは、どこだ」

 

 今度ははっきりと声にした途端聞き慣れない低い響きが胸を震わせ、思わず触れた喉元で指に長い髭が絡んだ。

 

「髭?」

 

 頬から顎を撫でれば柔らかな毛の下には角張った輪郭があり、肩に落ちている銀白の髪も一本をつまんで引くと頭皮へ感覚が伝わる。

 付け髭や鬘であればまだ納得のしようもあるのに、何を確かめてもこの身体が自分のものであることばかりを突きつけられる。

 

 使い慣れた歯ブラシの色や駅へ向かう道のひび割れを思い浮かべ、その暮らしの中にいた自分の姿を探した。

 あの手にこんな厚みはなく髪もここまで長くなかったはずなのに、今は見知らぬ身体の内側から物を見ている。

 夢だと思えばいくらか楽になるだろうが、指に残る髪の感触も口の中の乾きも膝から滑る布の重さも、そう考えるには細かすぎた。

 

「夢ならもう少し分かりやすくしてくれよ」

 

 足を床へ下ろして立ち上がると、思っていたより長い脚が伸び、視界が大きく持ち上がる。

 この体格なら重いはずなのにふらつくこともなく、妙な服の裾を踏まないよう確かめる余裕まであるのがかえって落ち着かなかった。

 

 いままで横たわっていた石の寝台を見下ろすと内側に布を敷いた長い箱の形がはっきり分かった。

 側面には同じ模様が幾重にも刻まれ床へ落とした蓋の裏にも溝が続いているが、枕も毛布も、眠る者を気遣う品はどこにも見当たらない。

 

棺。

 

 浮かんだ言葉を振り払うように視線を外し誰もいない部屋を見渡した。

 左右の壁に細い灯りが並び奥には両開きの扉が一つあるだけで、窓も机も棚も椅子もない。

 床に積もった埃は薄くても壁の角では石の表面が丸く削れており、最近造られた部屋ではなさそうだ。

 

 電話を探す癖で腰へ手をやったところ、いつものポケットの代わりに幅広の帯と金属の留め具に指が触れた。

 留め具を帯から外して光へ向けると、磨かれた金属の曲面に深く落ちくぼんだ目と太い眉が映った。

 銀の髭に囲まれた口元まで確かめようと眉を寄せれば、映った顔もいっそう険しくなる。

 金属の歪みではなく、自分がそんな顔をしているのだと認めるしかなかった。

 

「……怖いな、俺」

 

 この顔と服では病院で説明を待つ患者と言い張るのも難しい。

 ほかに鏡の代わりになるものはないかと探してみても磨かれた金属はその留め具だけで、棺の外側に顔を寄せたところで紫の曖昧な影しか返ってこない。

 

 留め具を帯へ戻して壁に近づくと、灯りに炎の揺らぎがないことに気づいた。

 石に埋め込まれた細い線が内側から光っているらしく、指先を近づけても熱くはなく継ぎ目を覗き込んでも仕組みは見えない。

 手を離しても明るさは変わらず、知っている照明のどれとも違うので、それ以上触れるのはやめにした。

 知らない物を片端から押して出られなくなっては困る。

 

 棺へ目を戻すと横から見た蓋には掌ほどの厚さがあり、さきほどの重い音を思い出せば容易く持ち上がった方がおかしい。

 それでも片端に手をかけてみると重さは感じるものの持ち上げられてしまう。

 指を石と床の間に挟まないようゆっくり戻すと、力を込めた指の跡が縁に薄く残っていた。

 

 扉も壊してしまわぬよう力を加減し、大きな金属の環わに指を掛けた。

 環を引いたり横へ動かしたりしてから扉を押すと、ようやく石の内側で留め金の外れる音がした。

 壁の線が一斉に明るくなり、扉の縁を伝っていた光が途切れると、重い石の扉がゆっくり動き始めた。

 開いた隙間から埃が舞い、獣の毛と油、それに煙の匂いが流れ込む。

 

 開いた先の灯りには炎が揺れていた。

 その燭台を囲むようにいくつもの影が並んでいるのを見つけ、扉を開いた手が一瞬止まる。

 

 正面にいる老人は背が曲がっていても目線が高く、口元から覗く牙がまず目に入った。

 左右へ視線を走らせれば銀髪の女の耳は長く髪の間には黒い角があり、黒い甲冑を着た男は背こそ低いが、肩幅だけなら二人分はありそうだ。

 廊下の奥に至っては灰色の毛に包まれた長い鼻先が動き、狼としか思えない顔の下に服を着た身体が続いている。

 

(今は閉め直したら駄目な気がする)

 

 しかし誰も武器を向けてはこず、正面の老人が何かを言いかけたまま大きな手を震わせてその場に膝をついた。

 銀髪の女に続いて黒い甲冑の男も跪くと重い金属が床へ触れる音が次々と重なり、廊下の奥に並んでいた者たちも頭を下げていく。

 

「レオン・エイル・ヴァルド陛下」

 

 額を下げた老人の口からかすれた声で知らない名が呼ばれた。

 

「お帰りを、お待ち申し上げておりました」

 

 大きな肩が小さく揺れるのを見ても初めは何が起きているのか分からなかった。

 泣いているのだと気づいて傍らへ目を向ければ、銀髪の女まで唇を結びうつむいたまま何度も息を整えている。

 

(レオンって、俺のことか)

 

 背後を振り返りたくなってもあの部屋には自分しかいなかったのだから、ほかの誰かを呼んでいるとは思えない。

 名前が違いますと答えたところで、この身体の持ち主の名を呼んでいるのなら間違っているのはこちらの方で、謝ることも立ち去ることもできずに口を閉ざした。

 自分は王ではないと言えば、王の帰還を喜んで泣くこの人たちを失望させるかもしれなかった。

 

 せめて顔を見なければ話せないと、それだけを考えて口を開く。

 

「……面を上げよ」

 

 思ったより深く響いた声に老人が顔を上げると、涙の跡の残る頬に安堵のようなものが広がった。

 

「私めはオルドと申します。陛下のお留守をお預かりする執政官にございます」

 

 傍らの女も顔を上げ銀髪を肩へ流しながら名乗った。

 

「政務を補佐しておりますリシェルと申します」

 

 リシェルが次の言葉を継ぎかけるのを手で制し、レオンは跪く者たちの列へ目を向けた。

 全員の名を一度に覚えるより先に彼らがここで何を待っていたのかを確かめたい。

 

「いつから、ここに」

 

「数日前より封印に異変がございました。扉が開くまでは交代でお待ちするよう申し合わせておりました」

 

 オルドの視線を追って扉の縁を見ると、ついさきほどまで光を伝えていた溝はもう黒く沈んでいる。

 

「外からは開けられぬ扉でございましたが……ついに」

 

 オルドの声がまた詰まりかけても、後ろの者たちは笑うでも困った顔をするでもなく、続きを口にできるまで待っていた。

 その沈黙には急かす気配もなく、ここで泣くことが皆には少しも不思議でないらしい。

 

「待っていたのは、お前たちか」

 

「はい。私めの父も、その父も。城を守る者は皆、陛下のお目覚めを願っておりました」

 

 何世代も前から待っていたと聞かされ、オルドもかつて王に会ったのではなく、父祖からその帰還を待つ役目を受け継いだのだと分かった。

 リシェルが若く見えるのも当然で、ここにいる誰もが一度も会ったことのない相手のために開くかどうかも知れない扉の外で待ち続けてきたというのか。

 

「王が目覚めしとき、安寧が訪れる。私たちはその言葉を受け継いでまいりました」

 

 廊下を通る声を聞きながら、レオンはリシェルの礼服の袖口にある目立たない繕い跡へ目を留めた。

 背後の燭台も形は不揃いで、王を迎えるために使えるものを集めたように見える。

 何代も待ち続けてきた人たちに、何を願っていたのかと軽く尋ねることはできなかった。

 それでも自分に何ができると思われているのかまでは分からない。

 

(安寧って。俺は自分がどこにいるかも分かってないんだけどな)

 

 黙っている間にも何かを期待されそうで、レオンは廊下の先へ視線を逃がした。

 今は椅子と水が欲しく、せめて座って一つずつ話を聞かせてもらえれば、何から確かめるべきかも見えてくる気がした。

 

「立て。ここでは話しづらい」

 

「かしこまりました。謁見の間へご案内いたします」

 

 リシェルは立ち上がりながら涙を拭うと、もう整った表情で廊下の先を示している。

 オルドが脇へ下がり黒い甲冑の男も道を空けたので、レオンは大げさにならない程度に頷いて廊下へ踏み出した。

 背後で扉が閉じると、ひとりで落ち着く間もなく、この人たちの王として振る舞わなければならないのだと実感する。

 

 廊下を歩くにつれて色の違う石を継ぎ足した壁や下半分だけ新しく削られた柱が目に入り、古い城を直しながら使っているのだろうと見当をつけた。

 窓の向こうには暗い森と段々の畑が広がるばかりで、見慣れた電柱の影はなく遠くの屋根から煙が上がっている。

 その景色を眺めながら案内された広間には奥に高い椅子が据えられていた。

 

 太い肘掛けや棺にあったものに似た模様を彫った背もたれを眺めていると、リシェルはその傍らで足を止め、ほかの者たちは段の下へ控えた。

 残された場所が自分のものだと察して裾を払い腰を下ろしてみれば、椅子はあつらえたように身体へ合う。

 その収まりのよさがかえって落ち着かず肘掛けに手を置き直したところで、オルドが口を開いた。

 

「陛下、まずはお帰りを祝う支度を」

 

 言葉を遮るように慌ただしい足音が入口へ近づき扉の前で止まると、誰かが短く息を吸う音に黒い甲冑の男が振り向いた。

 

「何事だ」

 

「南の関所より急使です。至急お伝えしたいことがございます」

 

 リシェルが報告を受けてよいかと尋ねるように見てきたので頷くと、外套に泥をつけた兵が入ってきた。

 入ってきた兵は玉座を見ると一瞬足を止めたが、黒い甲冑の男に促されて跪き、顔を伏せたまま報告を始めた。

 

「王国の鉱山から逃れてきた者たちが庇護を求めております。追ってきた侯爵の兵が関所の外に居座り引き渡しを要求しております」

 

 衣擦れの音まで消えた広間で、リシェルの指が胸元で重ねた手の甲を押さえるのが見えた。

 鉱山から逃れた人々を武装した兵が追っているのだと理解し、レオンは無意識に握りしめていた肘掛けから指を離した。

 石にはもう薄く跡がつきかけている。

 

(待ってくれ。まだ誰の名前も、ろくに覚えていない)

 

「関所から判断を求めております」

 

 顔を伏せた兵の声が返事のない広間にもう一度響いた。

 

「このまま、守り通してよろしいでしょうか」

 

 答えを待っているのは、その兵一人ではなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。