封印魔王は語らない   作:かにぱん。

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救い出せても、傷は残る

 小屋の男がレオンの差し出した手を掴もうとしたが、力の入らない指はその掌を滑った。

 腕を引いて起こしてよいか分からずレオンが膝をつくと、後ろから来た治療係が小屋の男の顔を覗き込み、どこが痛むかを尋ねた。

 

「足です。右の。ここへ来る前に石を落とされて」

 

 灯りを浮かべたリシェルが戸口へ身を寄せると、小屋の男の右足首は布の下でも分かるほど腫れていた。

 レオンは昨夜エドが話した、石を選り分ける仕事へ回された者のことを思い出す。

 

「選り分け場にいた者か。エドという男を知っているか」

 

「あいつ、生きてるんですか」

 

 足の悪い男が半身を起こしかけたため治療係が肩を支え、落ち着いて呼吸するよう声をかけた。

 石を運べなくなってから選り分け場へ回されたことも、逃げる晩にエドが迎えに来たが歩けず残ったことも、途切れながら話す内容は昨夜の証言と重なっていた。

 逃亡騒ぎのあとに洗い場の小屋へ移され、そこにいた者たちと一緒に閉じ込められたのだという。

 

「エドは町で休んでいる。お前たちのことを聞いて来た」

 

「……あの馬鹿、戻ってくるなと言ったのに」

 

 足の悪い男が腕で顔を覆うと、埃のついた袖へ涙が吸い込まれていった。

 戻ってきたのはエドではないと訂正する言葉を飲み込み、レオンは担架を入れる邪魔にならぬよう戸口を空ける。

 

(あの人が話してくれなかったら、ここへ来られなかった。それでいいんだ)

 

 小屋には同じように咳をする者が何人も横たわり、空の桶だけが壁際に置かれていた。

 治療係が水を少しずつ飲ませる間にも、外へ出たい者が互いを支えて戸口へ集まる。

 順に担架へ移すので待つようリシェルが告げると、先に立てた女が担架の通り道を空けるため横へ退いた。

 助けを求める声の隙間で、ごめんよと何度も謝る声が聞こえた。

 

 治療係が救出した者を木陰へ寝かせていると、ヴァルガスの兵が片腕を垂らして戻ってきて地面へ座り込んだ。

 先ほど選り分け台の陰へ回った兵で、鎧の肩口には折れた矢が残っている。

 レオンが近づくと肩を射られた兵が立ち上がろうとしたので、慌ててそのままでよいと告げた。

 

「矢を防ぐ術は、使っていたのか」

 

「はっ。初めの矢は弾けましたが、次を受けたときに守りが破れました。立て直す間に、これを」

 

 治療係が鎧の留め具を外すと脇まで流れた血が現れ、肩を射られた兵は唇を噛んで顔を背けた。

 レオンの裂けた袖の下には傷一つないのに、肩を射られた兵はこうして血を失っている。

 守りが破られれば普通の身体だと教わった言葉の意味を、レオンは目の前で血を流す兵を見て思い知った。

 

(俺の前で平気な顔をするなと言ったのに。いや、平気じゃなくても立とうとする人なんだ)

 

「この者も帰りの車へ。交代を出してくれ」

 

「すでに下がらせております。ここからは手当てを受けるのが、お前の務めだ」

 

 肩を射られた兵はヴァルガスに言われてようやく肩の力を抜き、レオンに頭を下げてから治療係へ身体を預けた。

 矢を抜く手当てのため兵の周りに目隠しが立てられ、隣では手の甲を切った女へ別の治療係が掌をかざす。

 何節も続く低い詠唱に合わせて淡い光が傷を覆い、開いていた皮膚の端が少しずつ寄り合っていく。

 

「動かしてごらん。そう、少しだけ」

 

 手を負傷した女が恐る恐る指を曲げると傷の跡が引きつれ、治療係はすぐに手を支えて清潔な布を巻いた。

 光を消した治療係の額には汗が滲み、次の担架へ向かう前に桶から水を飲んでいる。

 

「今ので、治ったのか」

 

「開いていたところを塞いだだけにございます。深い傷や骨は別ですし、腫れも痛みもすぐには消えません。無理をなさればまた開きます」

 

 手を負傷した女は包まれた手を胸に抱いて頷き、無事な方の手で水の入った椀を取ると隣の怪我人へ差し出した。

 傷が塞がるのを見て、レオンは痛みまで消えたのだと思いかけていた。

 手を負傷した女が手当てを受けても痛みに顔をしかめるのを見ると、そんな都合のよい力を当てにして怪我をさせるわけにはいかなかった。

 

 レオンが二つ目の小屋へ担架を運ぼうとしていたところへ、選り分け場の奥から呼ぶ声がした。

 腐って傾いた梁が屋根板ごと戸口へ落ちかけ、担架を通す隙間を塞いでいた。

 中には立てない者がおり、横の窓から担ぎ出すには身体を大きく曲げなければならないという。

 

「切れば落ちます。まず支えを入れねば」

 

 救護に同行した職人が梁の両端を確かめ、地面へ角材を並べた。

 門扉を持ち上げた腕なら支えられそうだが、触れた途端に屋根ごと壊しては中の人々を埋めてしまう。

 

「私が持つなら、どこを持てばよい」

 

「梁の下へ当て木を添えます。両腕で当て木を受け、梁全体を持ち上げるようにしていただければ。真ん中だけを押せば割れるかもしれません」

 

(軽々持てるかどうかより、どこへ力をかけるかなんだな。分からないまま触るな)

 

 職人に当て木を置いてもらい、その下へ腕を差し込んでゆっくり立ち上がると、傾いていた梁が軋みながら元の高さへ戻った。

 腕にはほとんど重みが来ず上げすぎそうになったが、待ってくださいという声に身体を止め、職人の示す高さで支える。

 職人が梁の下へ支柱にする角材を差し込み、揺れを確かめて合図すると治療係が担架を抱えて小屋へ入った。

 

「そのまま、動かさないでください」

 

「分かった」

 

 持ち上げた梁の下を担架が次々とくぐり、埃を被った顔がレオンの腕のすぐ下を通り過ぎていく。

 礼を言おうとして咳き込んだ男へ声をかけたいのに、振り向けば肘が動きそうでレオンは正面を見つめたまま頷いた。

 最後の担架が外へ出てからレオンが梁を支柱へ預けると、職人は支柱の隙間へ板を打ち込んで固定し、小屋へ入らぬよう戸口に縄を渡した。

 

「お力添え、ありがとうございます。これで潰さずに済みました」

 

(さっきは人を殺して、今は人を出している。同じ手なのに、使い方一つで)

 

 爪の脇に残った黒い汚れを見ても、それが木屑なのか血の乾いたものなのか確かめる気にはなれなかった。

 何ができるかを知るには触ってみるしかないと思っていたが、人がいるところで試してよいわけではない。

 少なくとも今のように、どこをどう支えるかを尋ねる相手はいる。

 


 

 日が傾き始めるころ、下段にいた者の名前が一枚の紙へ集められた。

 助け出された男の一人は関所で兄を探してほしいと頼んだ負傷者の兄で、弟の名を聞くと担架の上で何度も頷いた。

 レオンが町へ運ぶ途中で関所を通ると告げると、負傷者の兄は会えればそれでよいと言って目を閉じた。

 その傍らでは別の者たちが紙に並んだ名前を確かめ、まだ戻らない仲間を探している。

 

「上です。坑道の向こうと、奥の小屋に。百人より少ないはずがない」

 

 長く荷運びをしていたという男が斜面を指すと、木々の間に細い坂と柵の影が見えた。

 下段で逃げた兵たちはその先へ引き上げており、近づいた斥候は曲がり角の奥から矢を射かけられたという。

 以前は坑道を抜けて裏へ出られたと別の救出者が話したが、今も通れるか、担架を運べる幅があるかは分からないという。

 

「前の冬には一度崩れました。別の口を使えと言われて……今、どこを塞いでるかまでは」

 

 レオンは斜面へ目を上げ、昨夜抉れた岩壁の深さを思い出した。

 道を塞ぐ柵だけなら壊せる。

 その向こうの岩盤と小屋まで崩したとき、土の下に誰がいるかは分からない。

 

(力が足りないから行けないんじゃない。何を壊すか、まだ分からないんだ)

 

「上にいる者を運び下ろせる道を調べる。別の出口もだ。中にいる者が動かされたら、見失わぬようにしたい」

 

「私どもで見張ります。まずは外側から。人を追う者と道を確かめる者を分けますので、見えぬところへ一人で入ることはさせません」

 

 門の方から戻ってきたシオンが答え、下段の柵沿いに置いた兵へ目を向けた。

 ヴァルガスは選り分け場の端に盾を置かせ、空いた建物を確かめて救護の場所を移すよう命じる。

 

「ワシはここへ残ります。上から人が逃げてきても守れるようにし、車が戻るまでの食料と水も確保いたします」

 

「夜の交代は足りるか」

 

「関所を空けずに人を回せるか、使いを出して確かめます。無理に追わせることはいたしません」

 

 下段の小屋に負傷者を寝かせる場所を確保し、荷の門から関所へ戻る道にも護衛を置いた。

 小屋へ補給する水と町へ人を運んだあと鉱山へ戻す車を決めて初めて、レオンは負傷者の第一陣とともにここを離れられると思えた。

 城で待つ者に運び出した人数を伝え、次の寝床を作らせることも必要だった。

 

「陛下。もう一つ、お耳に入れておきたいことが」

 

 シオンは声を落とし、門へ荷を引き取りに来た御者から聞いたと前置きした。

 人が逃げたという騒ぎの直後から近隣の駐屯地へ使いが走り、穀物を積む車もまとまって買い上げられているらしい。

 

「今日ここで起きたことより、前か」

 

「はい。御者の受けた注文は昨日のものです。私たちが来たのを見て初めて集め始めたわけではございません」

 

 返書を待ちながら話し合えるつもりでいたが、その間にも侯爵は兵を集めていた。

 どれほどの人数かと尋ねても今は分からず、レオンは数を決めつけぬよう自分に言い聞かせて頷く。

 

「荷の行き先も確かめてくれ。ここにいる者へ近づくなら、早く知りたい」

 

「承知いたしました。今夜の報告は関所へも回します」

 

 シオンはそう言って頭巾を被り直し、夜の見張りに入る者を呼ぶために柵沿いへ歩いていった。

 上段へ残る人々を思えば足を留めたくなったが、先を知らずに登れば助ける相手を危険にさらす。

 上段の監視と道の調査をシオンたちに任せてから、レオンは町へ戻る最初の車列へ向き直った。

 

「ここを閉じるな。まだ、戻ってくる者がいる。」

 

 ヴァルガスが盾を胸へ引き寄せて応じ、開いた門の左右へ兵が立った。

 

 町へ着くころには西の空に夕焼けが残るだけとなり、宿舎の軒にはいくつもの灯りが下げられていた。

 先触れを受けたオルドが人を降ろせるよう荷台と地面の間に板を渡し、メルハは入口で寝床の数を確かめながら人を二つの建物へ振り分けている。

 エドは運び込まれた足の悪い男を見るなり立ち上がろうとして治療係に止められた。

 足の悪い男のために向かいの寝床が空けられると、エドは座ったまま運び手へ何度も頭を下げた。

 エドと足の悪い男が言葉を交わし始めたので、レオンは声をかけずに次の車へ道を譲った。

 

 井戸の周りでは桶を持つ列ができ、飲み水を汲む者の横で汚れた布を洗おうとする者が腰をかがめていた。

 レオンは何気なく見過ごしかけて足を止め、そばのオルドへ顔を寄せる。

 

「あの布を洗った水は、どこへ流れる」

 

「井戸端の溝へ。普段はこれほど大勢で使いませぬゆえ、手狭になっておりますな」

 

(飲む水の桶まで、汚れた布のそばに置いてある。病気を増やしたら助けた意味がない)

 

「飲む水を汲む側と布を洗う場所を離せるか。汚れた水がこちらへ戻らぬところへ」

 

 オルドは溝の傾きを見てから洗い桶を庭の低い側へ移すよう頼み、汲む桶を洗濯に使わぬよう目印をつけさせた。

 メルハも余っている桶の数を確認してから頷き、足りないものは明朝に職人へ相談すると答えてから続けた。

 

「陛下は鉱山の汚れを町へ持ち込ませぬところまで、お考えなのですね」

 

「いや、今ここを見て気づいた。普段のやり方に無理が出るなら知らせてくれ」

 

(歴史の本で読んだことはあっても、下水道を作れるわけじゃない。まずは洗う場所くらい、俺でも聞ける)

 

 布の入った桶を運ぶ者を見送っていると、城へ出した使いが宿舎の入口に現れた。

 朝に侯爵のもとへ向かった使者が戻り、返書を持ち帰ったのだという。

 侯爵のもとへ送った使者によれば、返答を待つ間に鉱山から急報が入り、それを聞いた侯爵が面会を決めたそうだ。

 リシェルが灯りの下で封を確かめて開く間、レオンは寝床から聞こえてくる声に耳を傾けた。

 

「明日の正午、関所の外にて侯爵御本人がお会いになるとのことです。これ以上の立入りをやめ、連れ出した労働者を留め置くようにと」

 

「引き渡すためにか」

 

「文面では、面会の場で帰属を明らかにすると」

 

 宿舎の奥からエドの声が聞こえ、足の悪い男に薬を飲む前に少し待つよう言っていた。

 鉱山では帰ることさえ許されなかった二人が、今は誰に怒鳴られることもなく寝床で言葉を交わしている。

 レオンが返書へ目を戻すと、帰属という二文字が人々を侯爵の持ち物のように扱っている言葉に見えた。

 

「会おう。だが、返すために救ったのではない。」

 

 リシェルが返書を畳む前で、レオンはまだ鉱山に残っている者の名を記した紙へ手を伸ばした。

 紙を受け取った手は動かないのに、鉱山で人を斬った恐ろしさが今も腹の底に残っている。

 

(怖いに決まってる。明日だって何を言われるか分からない。でも、あそこへ戻せるか)

 

 レオンは残る者の名を最後まで確かめてから紙をリシェルへ返し、明日の支度を命じた。

 

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