Fate/stay night IF BEYOND THE EVER   作:Мир

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第十二話・幕間

幕間一 残されたもの

 

 五人が山門を出た後も、庫裏の明かりは消えなかった。

 

 倒れていた僧へ、繰り返し声がかけられている。まだ返事のない者もいた。毛布の端が持ち上げられ、冷えた足を覆う。廊下では、運び出す順番を確かめる声がした。

 

 本堂には、誰も入ってこなかった。

 

 雲が切れ、壊れた戸から月明かりが差し込んでいた。床に落ちた木片。抉れた柱。その先に横たわる男の身体には、布が掛けられていた。片方の靴だけが、その下から覗いていた。

 

 柱の影が動いた。

 

 月の光は、床板の同じ傷を照らしたままだった。それでも、板の継ぎ目に溜まった暗がりだけが広がっていく。

 

 木片が、一つ見えなくなった。

 

 転がった音はしなかった。黒い面は何も押しのけず、床を濡らすこともなく、男の足元へ届いた。靴先の輪郭が曖昧になる。次に布の端が沈み、白い皺が内側へ引かれた。

 

 脚が消えた。

 

 覆われた胸が、肩が、続いて沈んでいく。布の下から覗いた片手が、一瞬だけ月に照らされた。血の乾いた指は動かなかった。

 

 床板の形は残っていた。継ぎ目も、節も、そのままに、そこにあった身体だけが失われていった。

 

 暗がりは、男のいた場所のそばでもう一度揺れた。

 

 紫の衣は、すでに消えていた。主へ伸ばされた腕も、短刀を握っていた指もない。けれど、そこに留まっていたものがあった。

 

 主の傍らを離れなかった、キャスターの魂。

 

 黒い面の縁が、大きく波打った。

 

 内側へ窪み、また膨らむ。飲み込むものと、飲み込まれるものの境が、一度だけ白く裂けた。声は響かなかった。床の上を、光のない震えだけが走った。

 

 庫裏で誰かが人を呼んだ。

 

 返事があり、廊下の足音が遠ざかる。本堂へ顔を向ける者はいなかった。揺れは何度か繰り返されるうちに小さくなり、やがて見えなくなった。

 

 月明かりが、また床の傷を照らしていた。

 

 遺体も、白い布もなかった。

 

 別の棟では、目を覚まさない人々へ呼びかける声が、まだ続いていた。

 

 

 

幕間二 地下の音

 

 その夜、間桐邸の玄関には明かりがついていなかった。

 

 慎二は靴を乱暴に脱ぎ、廊下のスイッチを押した。ついた灯りに目を細める。

 

「おい。誰かいないのか」

 

 返事はない。台所まで行ってみたが、食卓の上は片付いていた。鍋も、皿もない。自分が帰ってきたのに、家の中では何一つ音が増えなかった。

 

「どいつもこいつも……」

 

 吐き捨てた言葉に、後ろの男は反応しなかった。玄関で足を止めることもなく上がり、家の奥へ目を向けている。

 

 慎二は男の前へ回ろうとした。昨日から、何を言っても思うような返事はなかった。強いことは分かっている。それなら、自分が使うべきだった。どこへ行くかも、誰を倒すかも、自分が決めていいはずだった。

 

「おい。勝手に歩き回るなよ。部屋なら上にある」

 

 金髪の男は、慎二を見なかった。廊下を進み、地下へ続く戸の前で立ち止まる。

 

「不愉快な臭いだ」

「そっちは、爺さんが使ってる。おまえの部屋じゃない」

 

 慎二の声は途中から小さくなった。男が戸を開けたからだ。

 

 湿った空気が上がってきた。その奥で、何かが擦れ合っている。慎二には聞き覚えのある音だった。ここへ戻るたびに、聞こえないふりをしてきた音でもあった。

 

 男は階段を下りた。止めるつもりで伸ばした慎二の手は、上着の背に届く前に引っ込んだ。

 

「……そっちは、行かなくていいって言ってるだろ」

 

 返事はない。

 

 数段下りたところから慎二が覗くと、男は地下室の入口に立っていた。湿った壁。積み上がった器具。床を覆う蟲の群れ。男の靴先へ向けて、黒い塊の表面がわずかに盛り上がる。

 

 金色の光が開いた。

 

 刃が突き立つ。

 

 先に音を聞いた慎二には、何が起きたのか分からなかった。次の瞬間、床に置かれていた器具が砕け、奥の棚が内側へ折れた。砕けた石が飛び散り、潰れたものの臭いが階段まで上がってくる。

 

「な……何してるんだよ、おまえ!」

 

 もう一つ、光が生まれた。

 

 壁際を這っていたものが消し飛び、その下に隠れていた溝が露わになる。逃れようと広がる黒い流れを、続く刃が貫いた。慎二は手すりにつかまり、落ちてきた埃から顔を背ける。

 

 音は一度では終わらなかった。奥で重いものが崩れ、細かな破片が段を跳ね上がった。慎二は腕で顔を覆った。何かを叫んだが、自分の声さえ聞き取れなかった。

 

 ようやく音が止んだ時、地下室の景色は変わっていた。

 

 器具の並んでいた場所は、瓦礫に埋もれていた。壁に残っていた線は大きく削られ、床の溝も途中で断ち切られている。黒いものが動いても、その先にはもう、潰れた棚と石しかなかった。

 

「ここは僕の家だぞ! 勝手に壊したら、爺さんが――」

 

 男が振り返った。

 

 慎二は口を閉じた。相手の目には、言い争いをする気配すらなかった。地下の惨状を説明するつもりも、何かを許してもらうつもりもない。

 

「ならば、片付けておけ」

 

 男はそれだけ言い、階段を上がってきた。

 

 慎二は狭い踊り場で身を引いた。肩が壁へぶつかったが、男は振り向かなかった。靴音が頭上へ遠ざかる。その音が聞こえなくなった後も、慎二はそこに立っていた。

 

 壊された棚の下で、何かがわずかに動く。すぐに崩れた石の陰へ隠れ、見えなくなった。

 

 どう手をつければいいのか、慎二には分からなかった。家の書物で読んだ術を思い出しても、それを動かす力が自分にないことは変わらない。

 

 爺さんが自分には触れさせもしなかったものを、あの男は足元のごみのように壊していった。慎二は、その男の前で顔を庇うことしか出来なかった。

 

 手すりを握る指に力が入る。

 

 爺さんが悪い。あんなものを飼っているからだ。

 

 そう考えて、ようやく上へ戻った。

 

 廊下の明かりはついたままだった。壁の絵が少し傾き、床に白い粉が散っている。慎二は地下への戸を閉め、掛け金を下ろした。指についた埃をズボンで拭い、もう一度、食事の用意がないことに腹を立てた。

 

 戸の向こうには、壊された工房が残った。

 

 そこに、間桐臓硯の命そのものはなかった。

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