Fate/stay night IF BEYOND THE EVER   作:Мир

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第十五話 午後の裏側

 目を開けると、障子が白かった。昨夜は、天井を見るだけでも気分が悪くなった。今は木目を目で追える。息を吸っても、喉へ何かがせり上がってくることはなかった。

 

 右手を開くと、指は思った通りに動いた。握ってから開くまで、どこかへ置き忘れているような感じもしない。ただ、肘を持ち上げると、肩の奥に重さが残っていた。

 

「お目覚めですか」

 

 布団の脇にいたのは、セラだった。畳んでいた布を置き、こちらへ向き直る。

 

「……おはようございます。イリヤは?」

「お部屋でお休みです。夜の途中で、私と代わりました」

 

 枕元の座布団には、もう誰も座っていなかった。そこへ目をやると、セラが水の入った湯呑みを差し出してくれる。

 

「エミヤ様が眠られたのを確かめてからです。お嬢様にも、お休みいただかなくては」

「うん。ありがとう」

 

 身体を起こす前に、少し待った。セラが背中へ手を添える。ゆっくり座り、水を飲んだ。冷たさが喉を通っていったが、胸の奥は静かなままだった。

 

 左の掌を見ると、砂を拭われて痛かったところには、薄い赤みが残るだけだった。指を曲げても皮膚が引きつれない。膝を動かしてみても、擦ったところの痛みはほとんどなかった。

 

「立っても、いいかな」

「先に、遠坂様をお呼びします」

 

 即座に返ってきた。勝手に立つつもりだったことを見透かされ、湯呑みを両手で持ち直す。セラは何も言わずに襖を開けた。

 

 *

 

 遠坂は、少し眠そうだった。けれど、俺が手を上げると、目つきはすぐにはっきりした。昨夜残っていた寒気と吐き気、それに右腕の感じを順に訊いてくる。

 

「寒くはない。気持ち悪いのも、今は。腕は動くけど、肩が少し重い」

「指の感じは?」

「戻ってる。自分で動かしてるって分かる」

 

 言いながら、もう一度手を開いてみせた。遠坂は指先に触れ、俺の反応を確かめてから、額にも手を当てた。

 

「まず、顔を洗いに行くところまで。歩いている途中で具合が変わったら、止まること」

「分かった」

 

 廊下へ出た。足の裏が板に触れる。一歩、もう一歩。昨日は何人にも支えてもらった道を、自分の足で戻れた。

 

 洗面所で水をすくう。顔を拭いていると、遠坂が戸口で腕を組んだ。

 

「そこから台所へ行こうとしない」

「まだ、何も言ってないぞ」

「鏡に映ってる顔が、そう言ってたわ」

 

 そんな顔があるものかと思ったが、否定すると嘘になった。

 

「朝ご飯は、もう出来るから。あんたの仕事は食べること」

 

 遠坂はそれだけ言って、先に居間へ戻った。俺は濡れた手を拭き直した。今朝は、人に言われるより前に座ろう。

 

 *

 

 台所からは、味噌汁の匂いがした。食卓には、普段より遅い朝食が並んでいた。セラが湯気の立つ椀を運び、リズが茶碗を置いていく。桜はもう座っていた。

 

「先輩。歩けるようになったんですね」

「うん。昨日より、だいぶ楽だ」

 

 隣へ座ると、桜は俺の右手を見た。俺は箸を持ち、ちゃんと指が動くところを見せた。

 

「桜の方は?」

「眠れました。少し、まだ眠たいですけど」

 

 言ってから、小さく笑った。

 

「今日は、先輩も座っていてくださいね」

「座ってるだろ」

「はい。今は」

 

 昨日までの俺の振る舞いを、よく覚えているらしい。こちらも桜へ同じことを言った覚えがあるので、言い返せなかった。

 

 廊下から足音が来た。

 

「シロウ、起きてたの」

 

 イリヤだった。髪は整っているが、まだ眠そうな目をしている。俺の姿を見つけると、入口で一度足を止めた。

 

「おはよう。ちゃんと眠れたか」

「それは、わたしが聞く方でしょう」

 

 そう言って、隣へ来る。俺の手を取って掌を見た後、顔を覗き込んだ。

 

「昨日みたいなのは?」

「ない。肩が少し重いくらい。遠坂にも、今言った」

 

 イリヤが遠坂を見る。遠坂が頷くと、イリヤはようやく俺の手を離した。

 

「じゃあ、食べてるところも見てあげる」

「そこまで見てなくても」

「わたしの席、ここだもの」

 

 すとん、と隣へ座る。反対側の桜が椀を渡し、イリヤは両手で受け取った。ふう、と息を吹きかける。その仕草を見ていると、赤い目だけがこちらへ動いた。

 

「何?」

「いや。イリヤも、ちゃんと起きてきたなと思って」

「シロウが呼んだら、もっと早く起きたわ」

「寝てていいよ。昨日、遅くまでいてくれたんだから」

 

 イリヤは口を開きかけ、味噌汁へ目を戻した。

 

「……じゃあ、その分は残さず食べてね」

 

 俺は頷いた。いつもより柔らかく炊かれた飯を、少しずつ口へ運ぶ。温かいものが腹へ入っても、気持ち悪くはならなかった。

 

 *

 

 朝食の終わりに、遠坂が桜へ声をかけた。

 

「昨日、間桐の家の前を通ったの。窓のところに、慎二がいたわ」

 

 桜の箸が止まった。

 

「兄さんが、ですか」

「ええ。顔が見えた。いつ戻ったのかまでは分からないけど」

 

 俺は茶碗を置いた。桜はしばらく椀を見つめ、それから小さく息を吐いた。

 

「そうですか。帰って、いたんですね」

 

 ほっとした声だけには聞こえなかった。何かを数えるように指が動き、膝の上で止まる。

 

「それなら、わたしも、一度――」

「帰りたい?」

 

 遠坂が訊いた。桜は顔を上げたが、すぐには答えなかった。

 

「……まだ、ここにいてもいいんでしょうか」

「いいに決まってるだろ」

 

 俺が答えると、桜は目を瞬いた。

 

「慎二が戻ったことと、桜が休むことは、別だから。着替えも、まだあるよな」

「はい。それは、大丈夫です」

「じゃあ、今日もいてくれ。俺も今日は、言われたとおり休むから」

 

 桜の目が、俺の茶碗へ落ちる。中身が空になっているのを見てから、小さく頷いた。

 

「……分かりました。先輩が立ったら、わたしも言いますからね」

「お手柔らかに頼む」

 

 隣でイリヤが笑った。

 

「二人もいると、逃げられないわね、シロウ」

「逃げないって」

 

 今度は、桜も少し笑った。遠坂は何も言わず、自分の湯呑みに口をつけた。

 

 *

 

 テレビから、知っている町の名前が聞こえた。深山南四丁目。片付けの途中で、誰かがつけた朝のニュースだった。住宅の並んだ通りに車が止まり、画面の端を制服姿の人が横切る。住人が相次いで体調を崩し、複数の家から病院へ運ばれたという。原因は、まだ分かっていなかった。

 

 俺は持っていた湯呑みを置いた。昨夜の公園が目の前に戻る。黒いものに腕が触れた時、身体の内側を持っていかれるように感じた。

 

 テレビに映っている家には、何も壊れたところがなかった。そこでも、誰かが眠れなくなるようなことが起きていたのだろうか。

 

「士郎」

 

 遠坂がこちらを見てから、庭側へ目をやった。俺は頷いた。

 

 桜は画面を見ていたが、やがて眠気をこらえるように目を伏せた。セラが休むように勧めると、今朝は片付けを手伝うとも言わず、自分の湯呑みだけを渡して部屋へ戻っていった。

 

 俺たちの相談は、その後だった。

 

 *

 

「調べる必要はあるわ」

 

 遠坂は地図を広げた。アーチャーも入ってきて、庭へ続く戸を閉める。

 

「ただし、ニュースだけで、昨夜のあれがやったと決めることは出来ない。どこに、どんな痕跡が残っているかを見ないと」

「俺も、行く」

「今すぐ立ち上がれって話じゃないの」

 

 遠坂に見据えられ、先を言うのをやめた。

 

「日中は、人の出入りも多いでしょう。わたしは一度家へ戻って、着替えと道具を取ってくる。アーチャーと、周りの様子も見ておくわ」

「夜に、みんなで?」

「ええ。行くなら、まとまって。調べる範囲を先に絞っておく。何かと戦うために歩き回るんじゃない」

 

 イリヤが、地図の上へ指を置いた。

 

「わたしも見るわ。セイバーたちが、動かずに見張っていられるように」

 

 彼女は、俺の返事を待たなかった。

 

「昨夜のものがいたら、近くまで確かめに行かない。それは、わたしも同じ」

 

 遠坂が頷く。セイバーは少し考えてから、俺へ向いた。

 

「夕方に、もう一度身体を確かめましょう。それまでに無理をして、夜の判断を誤ることは避けてください」

「分かった。今日は、稽古も休む」

「はい」

 

 即答だった。少しだけ残念だったが、剣を振る腕が重いままでは、昨日教わったことも確かめられない。

 

「昨日、最初に下がった時は、足を見なかったんだ」

 

 言うと、セイバーは俺の方を見たまま頷いた。

 

「見ていました。あの一歩は、動けていました」

 

 それだけで、少し嬉しかった。

 

「その後は、駄目だったけど」

「一つ出来たことと、あれに対処出来ることは別です。続きを急ぐ必要はありません」

 

 イリヤが隣で、そうでしょう、と言いたげに顎を上げる。遠坂が地図を畳んだ。

 

「昼は休んでいて。魔術の練習もなし。分かった?」

「それは、もう二人に言われた」

「なら、三人目よ」

 

 アーチャーが戸を開けた。何か言うかと思ったが、俺の顔を見て、薄く笑っただけだった。言われない方が腹の立つこともある。

 

 *

 

 昼食も、俺は食べる側だった。桜は一度起きてきて、温かいうどんを食べた。量は少なかったが、気分が悪いとは言わなかった。食後にイリヤと少し話し、セラに湯を注いでもらうと、自分から部屋へ戻っていった。

 

 俺の肩の重さは、その頃にはほとんど消えていた。だからといって、土蔵へ行こうとしたわけではない。本当だ。居間から廊下へ出たのは、食後の茶を淹れようと思ったからだった。

 

「どこへ行くの?」

 

 後ろから、声がした。

 

「台所。茶を淹れるだけ」

「わたしのも?」

「欲しいなら」

「欲しい」

 

 振り向くと、イリヤがもう隣にいた。

 

「熱いのがいい。あと、苦くないの」

「注文が増えたな」

「頼んだら作ってくれるんでしょう?」

 

 そう言われると、断る理由はなかった。戸棚にあったココアを見せると、イリヤの顔が明るくなった。小鍋へ牛乳を入れる。俺が鍋を持ったところで、セラが台所の入口に立った。

 

「エミヤ様」

「二人分だけです。終わったら、座ります」

 

 先に言った。セラは俺の手元と、横に立つイリヤを見た。

 

「では、それが済みましたらお休みください。洗い物はこちらでいたします」

「分かりました」

 

 イリヤが俺の袖を引く。

 

「シロウ、叱られる前に言い訳するの、上手になったわね」

「上手くなりたいことじゃないんだけどな」

 

 彼女は笑い、マグカップを二つ選んだ。俺はココアの粉を少しの牛乳で練ってから、小鍋の牛乳へ混ぜる。イリヤは柄の長い匙を持ち、底を撫でるように動かした。火を弱めると、甘い匂いが立つ。

 

「これくらい?」

「もう少し。沸く前に止めるから」

「昨日の卵みたいに、急がないのね」

「そう。見てる間は長く感じるけど」

 

 鍋の縁に、小さな泡が出来た。火を止めると、イリヤは匙を上げ、先に残ったものを見た。

 

「味見」

「熱いぞ」

「分かってるわ」

 

 息を吹きかけて、少し舐める。それから、俺へ向けて匙を持ち上げた。

 

「シロウも」

「俺は、カップに入れてからでいいよ」

「冷ましたのに?」

 

 じっとこちらを見る赤い目に促され、俺は少し屈んだ。匙の端へ口をつけると、イリヤは匙が動かないように手を止めた。甘さの後に、ココアの匂いが鼻へ抜ける。

 

「……うん。これでいい」

「そうでしょう」

 

 得意そうに言った後で、彼女は匙を見た。その匙には、さっき彼女も口をつけていた。俺も今さら、そのことに気づいた。

 

「カップ、取ってくれるか」

「うん」

 

 返事が、妙に素直だった。二人とも鍋の方を見たまま、俺がココアをカップへ注いだ。

 

 *

 

 縁側には、午後の日が差していた。戸は閉めてある。座布団を二枚並べ、膝へ毛布を掛けると、庭に出るよりずっと暖かかった。イリヤはカップを両手で持ち、窓の近くへ寄った。

 

「ここ、いいわ」

「暑くなったら、少し離れればいいから」

「今は、これくらい」

 

 俺も隣へ座った。イリヤがカップを口へ運ぶ。さっきより慎重に、一口だけ。飲んだ後、ほっとした顔になった。

 

「シロウのも、同じ?」

「同じ鍋から入れただろ」

「量は、そっちの方が多いわ」

「カップが大きいんだよ。足りなかったら、分けるから」

「じゃあ、残しておいてね」

 

 俺は自分の分を一口飲んだ。普段の茶よりずっと甘い。けれど、食後にゆっくり飲むなら、こういうのも悪くなかった。

 

 庭の低い枝に小さな鳥が一羽止まると、イリヤの目がすぐにそちらへ向いた。口元に持っていきかけたカップまで、途中で止まった。

 

「あそこ」

「ああ。来てるな」

「何を見ているのかしら」

「地面じゃないか。何か落ちてるのかもしれない」

 

 鳥が、枝を一つ移った。イリヤは音を立てずにカップを置く。もっとよく見ようとしたのだろう。こちらへ身体を傾けたので、肩が触れた。しばらく、そのままだった。

 

 鳥は地面へ下り、二度ほど首を動かした後、塀の向こうへ飛んでいった。

 

「行っちゃった」

「また来るよ。時々、あの木にいるから」

 

 イリヤは、空になった枝を眺めていた。俺は鳥の飛んだ方を見ながら、小さい頃に折った紙のことを思い出した。羽の形になるだけで嬉しくて、何羽も並べた覚えがある。

 

「紙で作る鳥なら、俺にも出来るけど」

 

 言うと、イリヤがこちらへ顔を向けた。

 

「魔術じゃなくて?」

「今日は、それは禁止なんだろ」

「そうだけど。シロウが、鳥を作るの?」

 

 どうも、信用されていない。

 

「見てみるか」

「見る」

 

 返事を聞いて、俺は立った。イリヤは毛布を押さえたまま、俺のカップまで自分の方へ引き寄せた。

 

「早く戻ってきてね。冷めちゃうから」

 

 *

 

 居間の引き出しから、書き損じの紙と鋏を持って戻った。裏の白い部分から、正方形の紙を二枚切り出した。盆の隅へ鋏を退けると、イリヤが一枚を取った。

 

「わたしも作る」

「じゃあ、同じように折ってみてくれ」

 

 最初は三角。それを開いて、反対の角を重ねる。イリヤは俺の手元を見て、すぐに折り目をつけた。指先で端を撫で、開いた紙を光へかざす。二本の折り目が、真ん中できれいに交わっていた。ところが、折り目に沿って紙を内側へ畳むところで、手が止まった。

 

「……待って。今、どうしたの」

「こっちを開いて、ここへ入れるんだ」

「もう一度」

 

 俺は紙を開き直した。ゆっくり畳んでみせると、イリヤも同じように指を入れる。だが、出来上がった形は、俺のものと裏表が違っていた。

 

「これ?」

「惜しい。そっちは、もう一つ後で開く方だ」

 

 手を伸ばしかけて、止めた。

 

「やっていいか?」

「駄目。わたしが折るから、教えて」

 

 紙を取り上げられると思ったらしい。イリヤは俺の手を避ける代わりに、座布団をこちらへ寄せた。

 

「シロウが向こうから見せるから、反対になるんだわ」

「隣なら、分かる?」

「もう隣でしょう。もっと、こっち」

 

 言われるまま寄ると、袖が触れた。イリヤは満足したように、自分の紙を俺の膝の近くへ持ってくる。

 

「この角を、こっちへ。下の一枚は動かさない」

「ん……これね」

 

 紙が、するりと畳まれた。

 

「出来た」

「うん。今のは合ってる」

 

 イリヤは俺の顔を見てから、紙へ目を戻した。口元が、少し上がっていた。

 

「次は?」

 

 続きも、並んで折った。細くなった端を引き上げ、片方の先を内側へ曲げる。羽を広げて胴の形を整えると、ようやく鶴になった。イリヤは出来上がった鶴を持ち上げ、横からも下からも眺めた。

 

「首が長いのね」

「鶴だからな。さっき庭にいた鳥とは、違うけど」

「こっちは、シロウのより少し上を向いているわ」

 

 確かに、嘴が少し高かった。

 

「元気がいいんだろ」

「そう。じゃあ、このまま」

 

 イリヤは自分の鶴を窓際へ置いた。俺も、その横へ並べる。二羽とも白かったが、彼女の鶴には、羽を広げる時に出来た小さな皺があった。

 

「飛ばないの?」

「投げたら、たぶん落ちる」

「シロウが作ったのに?」

「そこまで出来るなら、今ごろ庭中に飛ばしてる」

 

 イリヤは笑った。窓際へ顎を近づけ、二羽の顔を見比べる。

 

「わたしの方が、シロウを見てるみたい」

 

 首の向きのせいだった。俺の作った鶴を少し回すと、嘴の先が向かい合った。

 

「これでいいか」

 

 イリヤは、しばらく何も言わなかった。やがて、自分の鶴をほんの少し寄せた。

 

「うん。これがいい」

 

 *

 

 ココアは、もう熱くなかった。イリヤからカップを受け取ると、彼女が俺の肩へ寄りかかる。さっき鳥を見ていた時とは違い、今度は最初からそうするつもりで寄ってきた。

 

「疲れたか」

「少し。ずっと指を使ったもの」

「魔術を使うより?」

「慣れていることと、初めてすることは違うのよ」

 

 毛布の端が、彼女の膝から落ちかけていた。直してやると、イリヤはその中へ俺の左手を引き込んだ。

 

「手、冷たい」

「カップを持ってたから、温かいと思うけど」

「わたしの方が、温かいの」

 

 指が重なる。確かに温かかった。イリヤは俺の顔を見上げた。何か言うのを待っているようだったので、俺も、彼女の手を軽く握り返した。

 

 赤い目が、少し大きくなる。

 

「……シロウからするのは、ずるいわ」

「そっちが、先に持ったんだろ」

「今のは、違うの」

 

 何が違うのか教えてほしかったが、訊けば手を離されそうだった。俺は口を閉じたまま、庭へ目を戻す。

 

 肩に、彼女の重さがあった。昨夜も手を持っていてくれた。その時は、離されるのが怖かった。今は、離す理由がなかった。

 

「ねえ、シロウ」

「うん」

「退屈じゃない?」

 

 思ってもいなかったことを訊かれ、そちらへ顔を向けた。

 

「どうして」

「さっきから、座っているだけだから。いつもなら、何かすることを探しているでしょう」

 

 茶碗が残っていれば洗いたくなるし、土蔵へ行けば、やりかけのものが幾つもあった。けれど、今はどれも、ここを離れる理由にはならなかった。

 

「さっき、イリヤが折れなかったところ、ちょっと面白かった」

「……そこ?」

「教わるばっかりじゃないんだなって」

 

 肩を押された。たいして強い力ではなかったが、俺は少し笑ってしまった。

 

「じゃあ、次はもっと難しいのを教えて。シロウが得意になる暇もないくらい、すぐ覚えるから」

「待て。俺が折れるのは、あと船とか、そのくらいだぞ」

「なら、その船。鳥を乗せるわ」

 

 イリヤは窓際を見た。

 

「二羽とも乗る、大きいのね」

「……分かった。紙、もう少し要るな」

 

 立とうとすると、手を引かれた。

 

「今じゃない」

 

 俺は腰を戻した。イリヤは手を離さず、もう一度肩へ頭を預ける。

 

「今は、これでいいの」

 

 俺も、そう思った。

 

 *

 

 セラが菓子を持ってきた時も、俺たちは同じところにいた。盆にはビスケットが数枚と、温かい湯が載っている。セラの目が、一度だけ二人の膝を覆う毛布へ落ちた。

 

「お嬢様。お眠りになるのでしたら、お部屋へ」

「眠ってないわ」

「では、エミヤ様の肩をお使いになる必要は」

「あるの。今、使っているでしょう?」

 

 セラの眉が動いた。俺は、慌てて口を挟んだ。

 

「俺も、ここにいるから。もう少しくらい、いいんじゃないかな」

 

 言ってから、イリヤがこちらを見ていることに気づいた。

 

「シロウも、そう言ってるわ」

 

 すぐに、味方が増えた顔をする。セラは俺を見た。逃げるわけにもいかず、その目を見返した。

 

「……では、お身体が冷えないうちに。お二人とも、カップを持ったままお眠りになりませんように」

 

 盆を置き、膝に掛かった毛布を少し直す。窓際の鶴に気づくと、手が止まった。

 

「そちらは、お嬢様が?」

「首が上を向いている方が、わたしのよ」

 

 イリヤが答えた。

 

「よく出来ております」

 

 セラは少しだけ表情を和らげた。それから立ち、台所へ戻っていく。足音が遠ざかると、イリヤがこちらへ向き直った。

 

「シロウ、もう一度」

「何を?」

「さっき言ったこと」

「カップを持って寝るな?」

「セラの話じゃなくて」

 

 分かってはいた。けれど、改めて言えと言われると、喉のところで引っかかった。

 

「……俺も、ここにいたいってことだよ」

 

 イリヤが、俺の手を握ったまま動きを止めた。

 

「わたしと?」

「ほかに、誰がいるんだ」

 

 窓際の二羽を数えるわけにもいかない。イリヤは目を伏せた。

 

「そう」

 

 声が、小さくなった。それから、俺の袖を引いた。

 

「シロウ。こっちを向いて」

 

 言われた通り顔を向けると、イリヤが膝を少し立てた。近づいてくる白い髪に目を取られる。

 

 頬に、柔らかいものが触れた。一瞬だった。

 

 離れたイリヤが、俺を見ていた。耳のあたりが赤いのに、口元だけは得意そうだった。

 

「教えてくれた、お礼」

 

 俺は、自分の頬へ手をやりかけた。

 

「……鳥の?」

「ほかにも、いろいろ」

 

 そう言われても、思い当たるものを数えられる状態ではなかった。イリヤが笑う。俺がようやく口を開くと、彼女は先回りして訊いた。

 

「いやだった?」

「いやでは、ないけど」

 

 それだけは、すぐに言えた。言った俺も、聞いたイリヤも、その後は少し黙った。彼女は毛布の端を引き上げ、俺の手をもう一度つかんだ。

 

「じゃあ、よかった」

 

 その横顔を、俺はしばらく見ていた。

 

 *

 

 ビスケットは、途中でリズにも一枚渡った。盆を取りに来たリズは、空いた座布団と、身を寄せて座る俺たちを見比べた。何か言われると思ったが、伸びてきた指は菓子の方だった。

 

「これ、いい?」

「どうぞ」

 

 イリヤが皿を押した。リズは一枚取ると、窓際の鶴を眺めた。

 

「二羽」

「ええ。わたしと、シロウが作ったの」

「うん。仲良し」

 

 それだけ言って、盆を持ち上げる。何が、とは言わなかった。俺は追いかけて否定することも出来ず、イリヤはビスケットを持ったまま、しばらく下を向いていた。

 

 やがて、隣で小さく息が漏れた。

 

「……何だよ」

「何でもないわ」

 

 声が笑っていた。こっちまで可笑しくなって、俺も口元を押さえる。

 

 日差しが、座布団の端まで動いていた。イリヤの頭が、また俺の肩へ乗った。少しして、預けられた重さが変わる。話しかけようとして、そのままにした。目を閉じた彼女の呼吸は、さっきよりゆっくりだった。俺は空いている手で、毛布を上げ直した。台所では、水の流れる音がしていた。遠くで、セイバーが庭の戸を確かめている。いつもの家の音の中に、イリヤの静かな息が一つ増えていた。

 

 右腕を動かしても、もう重くはなかった。それでも、立ち上がろうとは思わなかった。

 

 *

 

「……今、笑ってたでしょう」

 

 突然言われて隣を見ると、イリヤが片目だけを開けていた。

 

「起きてたのか」

「今は起きてる。わたしが寝ているの、そんなにおかしかった?」

「おかしくはないよ」

「じゃあ、何で」

 

 寝ていたかどうかより、そちらが気になるらしい。俺は少し考えた。見ていて、何かが可笑しかったわけではない。起こす用事がなかったし、こうしていても時間を無駄にした気がしなかった。

 

「今日は、楽しかったから」

 

 口にすると、簡単だった。イリヤが身体を起こす。

 

「まだ、終わってないわよ」

「うん。そうだな」

 

 笑うと、彼女も少し笑った。

 

「船も、まだ作ってもらってないし」

「それは、明日でもいいか?」

 

 訊いてから、窓際を見た。小さな鳥を二羽乗せるなら、もう少し大きな紙が要る。

 

「今度は俺も、ちゃんと折り方を思い出しておく」

「途中で分からなくなったら?」

「二人で考える」

 

 イリヤは頷いた。

 

「じゃあ、それでいいわ」

 

 廊下の方で、玄関の開く音がした。遠坂の声と、セラの返事。イリヤはそちらを見た後、つないでいた手へ目を戻す。離すまでに、少し時間がかかった。

 

 *

 

 夕方、遠坂にもう一度、腕のことを訊かれた。上げても下げても、重さはなかった。指の感覚も、途中でずれたりしない。庭から廊下まで歩いて戻る間に、気分が悪くなることもなかった。

 

「昼は、何をしてたの」

「茶を飲んで、紙を折ってた」

「紙?」

 

 遠坂の目が、窓際へ動いた。並んだ鶴を見てから、俺とイリヤを順に見る。

 

「……そう。ちゃんと休んではいたのね」

「わたしが見ていたもの」

 

 イリヤが胸を張った。遠坂は持ってきた地図を広げ、アーチャーと見てきた範囲を示した。被害のあった家は、一軒だけではなかった。離れた家でも住人が体調を崩しており、その間の通りを夜に確かめるという。人が集まっているところや、立入りを止められている場所へ、無理に入るつもりはなかった。

 

「見る範囲は、ここまで。痕跡が続いていても、そのまま追いかけない。何か出てきたら退く」

 

 遠坂の指が、戻る道をたどった。セイバーとアーチャーが前後を見て、俺たち三人はその間を離れない。セイバーは今朝より楽に腕を動かしていた。それでも、使える魔力について訊かれると、余裕があるとは答えなかった。遠坂も、それを聞いて調べる範囲を決め直した。

 

 夕食を済ませる頃には、外は暗くなっていた。桜は汁物と飯を食べ、セラに明日の朝食のことを尋ねていた。手伝えるかと訊きかけて、俺に気づく。

 

「……起きてから、考えます」

「そうしてくれ」

 

 言うと、少しむくれた顔をされた。

 

「先輩も、ですよ」

「うん。今日は、ちゃんと休んだ」

 

 その言葉を聞いて、桜はイリヤの方を見た。イリヤが頷くと、ようやく安心したように椀を置いた。

 

 出かける前に、セラとリズへ今夜通る道を伝えた。桜は食事の後、もう部屋へ戻っている。息苦しそうなところも、熱に浮かされている様子もなかったと、セラは言った。それでも、異変があったら家を離れてほしいと頼む。セラは連絡先の紙を畳み、エプロンのポケットへ収めた。

 

「お嬢様も、どうぞご無理をなさいませんように」

「分かっているわ。セラたちもね」

 

 イリヤは鞄を受け取り、留め具を確かめた。玄関で靴を履く時、彼女が小さな声で訊いた。

 

「本当に、もう変なところはない?」

「腕も、足も。気分も、悪くない」

 

 立ち上がり、イリヤの顔を見る。

 

「でも、あれに会うのは怖い」

 

 言うと、イリヤは少しだけ目を見開いた。それから、頷いた。

 

「うん。わたしも」

 

 手が一度、俺の袖へ触れた。昼と同じように引かれるかと思ったが、その手はすぐに離れた。

 

 セイバーに続いて、俺たちは外へ出た。

 

 *

 

 深山南四丁目の通りは、夜になっても人がいた。角の先に車が止まり、家の前で誰かが話している。遠坂はその手前で足を緩め、別の道へ入った。日中に通って、どこまで行けるかを確かめてきたらしい。家と家の間に、細い道があった。洗濯物を取り込んだ後の物干し竿が見え、窓の向こうには明かりのついた部屋もある。その隣の家だけが暗かった。

 

「あそこも?」

「ええ。昼から、人の出入りがあった」

 

 遠坂が声を落とした。玄関の脇には、子供用の自転車が置かれていた。窓も、戸も、壊れていない。誰かが外から入ったようには見えなかった。それなのに、家の人は運ばれたのだという。

 

 塀の前で、遠坂がしゃがんだ。土へ指を近づけ、触れる寸前で止める。俺とイリヤは少し後ろへ立ち、セイバーは通りの先を見ていた。アーチャーは来た道を確かめている。

 

「何かあるのか」

「少し、黙っていて」

 

 しばらくして、遠坂が手を引いた。イリヤが入れ代わり、同じところを見る。俺には、普通の地面にしか見えなかった。小石があり、枯れた草がある。街灯に照らされた塀の影は、じっとしていた。

 

「……薄いけど、残っているわね」

 

 イリヤが言った。

 

「ええ。ただ、ここ一つでは、通った向きまでは追えない。次と比べたい」

 

 遠坂は手帳へ印をつけた。俺が地面へ目を戻すと、隣で鞄の留め具が鳴った。

 

「角の向こうを、先に見るわ。少しだけ待って」

 

 イリヤの掌に、小さな銀の鳥があった。羽が開き、低い塀の上へ飛び移る。彼女は目を伏せ、俺の袖をつかんだ。俺は動かなかった。セイバーがこちらへ半歩寄り、アーチャーは道の向こうへ目を向けたまま待つ。やがて、銀の鳥が戻ってきた。

 

「人はいない。曲がった先は、空き地の横まで見えたわ。その先は、塀で見えない」

 

 イリヤは目を開けた。俺を見て、袖から手を離す。掌へ戻った鳥を箱へ収める間、俺はその細い羽の輪郭を見ていた。昼に折った紙の鶴とは、手触りも重さも違うはずだった。

 

「行きましょう」

 

 遠坂が立った。セイバーを先頭に、次の家へ向かう。そこに残っていた痕跡も、俺の目では見分けられなかった。遠坂とイリヤが確かめ、言葉を交わし、手帳の印が増える。二人が同じ場所で顔を上げるたび、昨夜の黒いものがどこかに立っている気がした。だが、通りにそれは現れなかった。

 

 最後に確かめた路地で、遠坂が手帳を閉じた。

 

「残った感じは似ている。でも、これで昨夜のものと同じだと言い切るところまでは、まだ行けない」

「今から、先を追うのは?」

「ここからは続いていないわ。どこへ行ったかも、いつ通ったかも。この辺りをむやみに歩き回っても、分からない」

 

 遠坂は手を握って開いた。寒さだけではない、嫌なものに触れた後のような動きだった。俺は空き地の向こうを見た。道は、どこまでも普通に続いていた。

 

「今夜、気配が近づいたことはありません」

 

 セイバーが言った。アーチャーも頷く。

 

「ここまでだ。戻るぞ」

 

 誰も反対しなかった。

 

 帰り道で、右腕の具合をもう一度確かめた。歩き続けても、昨夜の気持ち悪さは戻らなかった。イリヤに訊かれた時も、そのまま答えた。それでも、暗い木の下を通る時には、目を向けずにいられなかった。

 

 *

 

 家の近くまで戻ったところで、セラの声がした。

 

「お嬢様!」

 

 いつもより、ずっと大きかった。セラは門へ続く道の手前、細い路地の入口に立っていた。こちらを見つけると、駆け寄ってきた。袖に土がつき、片方の髪が乱れていた。

 

「セラ?」

「皆様、こちらへ。桜様が――」

 

 俺は、彼女の後ろを見た。塀の陰にリズがしゃがんでいた。地面に敷かれた外套の上に、桜が横たえられている。膝に掛けられた布を、リズが押さえていた。

 

 そして、その隣に。

 

「……ライダー」

 

 口から、名前が出た。長い髪。目を覆うもの。学校で、セイバーと戦った相手だった。生きていた。そう思うより先に、彼女の左側を見た。腕へ巻かれた布も、脇腹を押さえている布も、黒く濡れている。

 

 セイバーが前へ出た。ライダーの右手が動きかけ、桜の肩で止まった。

 

「待ってください。今は、彼女を」

 

 声は静かだった。だが、その一言の後で、息を吸い直さなければならなかった。

 

「何があったの」

 

 遠坂が訊いた。セラはイリヤの無事を確かめるように一度触れてから、こちらへ向いた。

 

「城にいた、金髪の男が来ました。桜様のお部屋へ。こちらの方が、逃がしてくださったのです」

 

 俺は家の方を振り向いた。門の上に見える屋根は、いつもと同じだった。そこからでは、中で何が起きたか分からない。

 

「遠坂様のお宅へかけましたが、どなたもお出にならず……藤村様にもかけようとしていたところです」

 

 セラの言葉を聞き終えるより先に、俺は桜のそばへ膝をついていた。

 

「桜。聞こえるか」

 

 返事はなかった。呼吸はしている。額に触れると、夕食の時とは違う熱があった。目は閉じたままで、俺が呼ぶと眉だけが少し動いた。

 

「サクラ、シロウが戻りました」

 

 ライダーが俺の名前を呼ぶと、桜の唇が動いた。声にはならなかった。イリヤが隣へ来た。桜の手を取り、顔色を確かめてから俺へ向く。

 

「横にして診られるところへ。ここは冷えるわ」

 

 遠坂は立ち上がった。

 

「待ってください。床に広がった黒いものが、あの男を包みました。廊下にも広がっていましたが、その後は確かめていません」

 

 ライダーが言った。俺は昨夜、腕を覆ったものを思い出した。遠坂は家の方を見て、すぐにセイバーとアーチャーへ向き直る。

 

「アーチャー、セイバー。家の周りと道場、そこまでの道を。あの男がいないか、黒いものが残っていないか確かめて。客間には入らないで」

 

 二人が動いた。ライダーはその背中を見送り、桜へ目を戻す。立とうとしたが、左の腕が膝から滑った。

 

「ライダーも、動くな」

 

 言って、肩を支えた。近づくと、血の匂いがした。学校で向けられた杭を思い出したが、今、彼女の手には何もなかった。

 

「桜を、連れていくだけだ。一緒に来ればいい」

 

 ライダーは少しだけ顔を上げた。それから、頷いた。

 

 *

 

 セイバーが路地へ戻ってきた。

 

「道場と、そこまでの道を確かめました。男の姿も、黒いものも見えません」

 

 リズが桜の膝の下へ腕を差し入れ、俺は背中をすくい上げた。右腕には力が入った。二人で歩調を合わせ、セイバーの後へ続く。ライダーには遠坂とセラがついていた。家の奥へ続く廊下には、木の破片が落ちていた。客間の方では、柱の一本が欠けている。そちらへは寄らず、セイバーの示す道を進んだ。

 

 道場の灯りがついた。セイバーが敷いてくれた毛布へ、桜を下ろす。アーチャーは戸口へ残り、家の方を見ていた。

 

「セラ。布と、掛けるものを。リズは、もう少しこっちにいて」

 

 イリヤの声に、二人が応じた。イリヤは桜の脇へ座り、呼吸を確かめている。俺はリズから受け取った毛布を広げた。

 

 桜の手が、袖から出ていた。夕食の時には、この手で椀を持っていた。俺にも休めと言って、少し笑っていた。あれから、まだ大して時間は経っていない。

 

「先、輩……」

 

 声がした。

 

「ああ。戻った。ここにいるから」

 

 目は、はっきりとは開かなかった。俺はもう一度呼びかけたが、続く言葉は聞き取れなかった。

 

 向こうで、遠坂がライダーの傷へ布を当てていた。

 

「あなた、どうしてここにいたの。学校で、あの時――」

「生きています。あの時、私は呼び戻されました」

 

 ライダーの顔が、桜の方へ向いた。

 

「彼女が、私のマスターです」

 

 俺は手を止めた。慎二のことも、学校のことも、一度に頭へ浮かんだ。聞きたいことは幾つもあった。だが、目の前の桜は息をするだけでも苦しそうで、ライダーも傷を押さえたまま身体を揺らしていた。

 

「……後で、聞く」

 

 俺は、毛布を桜の肩まで掛けた。

 

「ちゃんと話せるようになってから。ライダーも、今は傷を見てもらってくれ」

 

 ライダーは何も答えなかった。ただ、桜へ向けていた顔を、わずかに伏せた。

 

 セラが布と、小さな手元灯を持ってきた。布をイリヤへ渡し、俺にも一枚差し出す。受け取って握り直すと、隣から小さく呼ばれた。

 

「シロウ。灯りを、もう少しこっちへ」

 

 俺は頷き、手元灯を引き寄せた。イリヤの手と、桜の顔が、その明かりの中に入った。

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