Fate/stay night IF BEYOND THE EVER 作:Мир
玄関を抜けた先で、凛は足を止めた。廊下に落ちている細かな破片は、壁から剥がれたものだった。足元の欠片を目で追うと、角を曲がった先にも同じ白い粉が続いている。外から見た家の形は、昨日と大きく変わっていなかった。門も、塀も、窓もあった。
「アーチャー」
「ああ」
返事はすぐ後ろから聞こえた。凛が廊下を進むと、アーチャーも続いた。彼は破片だけでなく、開いた扉や、その奥の暗がりにも目を向けていた。
「間桐くん」
凛は呼んだが、返事はなかった。もう一度、今度は少し声を張る。それでも、階上から下りてくる足音は聞こえなかった。
「返事、ないわね」
「留守とは限らん」
「分かってる」
凛は廊下の先へ向き直った。慎二を見つけて聞きたいことはある。だが、今ここで返事を待ち続けても、道場に残した桜の苦しさが軽くなるわけではない。ライダーは、処置の後に苦しむ姿を見たと言った。その処置が行われた場所へ、まず辿り着かなければならなかった。
*
奥へ進むほど、家の傷が増えていった。柱に深い切れ込みがあり、その向こうの壁が欠けていた。凛は立つ位置を変え、二つの傷を見比べた。
「同じ向き」
呟いて手を伸ばしかけ、触れる前に止めた。欠けた木の面には、まだ微かに魔力が残っていた。家を守るために施されたものと、外から加わったもの。その境を探ろうとすると、いくつもの痕跡が重なっている。
「何かが、ここを通ったのね」
「少なくとも、内側で壊されている」
アーチャーが先の扉を見た。凛は階段の入口へ灯りを向けた。下りていく段の途中にも、破片があった。下から吹き上げてくる空気は冷たく、湿っている。鼻の奥に残る臭いに、凛は一度だけ口を閉じた。アーチャーが前へ出た。
「足場を見てくる。少し間を空けろ」
「警戒は、頼んだわ」
凛は彼の背中を見送った。段を踏む音が続く。途中で一度止まり、それからまた階下へ遠ざかった。
「下りられる。ただし、最後の二段は端へ寄るな」
声を聞いて、凛も階段へ足をかけた。壁に手をつかず、一段ずつ下りる。最後の段の端は大きく欠け、向こう側が暗い穴になっていた。その先へ灯りが届いた。凛は、息を止めた。
*
床が、幾筋も抉られていた。壁に残った穴と、その下へ積もった石の欠片。砕かれた器の破片が混じり、元の置き場所も分からなくなっている。その間に、蟲の残骸があった。一つや二つではなかった。凛は灯りを持つ手を下げた。足元だけを照らし、踏み出す場所を選ぶ。潰れて形を失ったものもあった。乾いた外皮だけのものもある。動いているかどうかを、ひと目では見分けられないものも。
「踏むな」
アーチャーが言った。
「見えてる」
返事が強くなった。凛は口を閉じ、踏み出しかけた足を置き直した。蟲には、魔術が施されていた。かつて動いていたはずの仕組みを、壊れた形から辿る。すぐ読み切れるほど単純ではない。それでも、地下に棲みついた虫が、ただ踏み潰されたのではないと分かった。凛は膝を曲げ、近づきすぎない位置から一つの残骸を見た。
サクラの身体には、蟲が入れられています。聞いた時と同じ声で、その言葉が戻ってきた。寝具の上で、毛布を引き寄せた桜の手。顔を見ることが出来ず、布の端を何度も折った自分の手。凛は指を握った。
「……ここで」
その先は、声にならなかった。桜が何をされたのか、凛はまだ知らない。何年、何度、どんなふうに。目の前の残骸を見ただけで、分かったと言えることではなかった。けれど、ライダーの話を、もう言葉のまま遠くへ置いておくことは出来なかった。
視線を上げると、壁の近くに壊されずに残った一角があった。床の刻みがそこまで続き、途中から瓦礫の下へ消えている。凛はそちらへ灯りを動かした。
もう一度壊してしまいたいと思った。こんなものが残っていること自体が、腹立たしかった。イリヤから言われたことを思い出し、凛は手を開いた。ここへ来たのは、壊すためではない。
「アーチャー。あの壁際を調べる。近づけるか見て」
自分の声が、少し掠れていた。彼は何も言わず、先へ進んだ。
*
凛は持ってきた紙を広げ、床の刻みを写した。途中で途切れた線は、途切れたところまで描く。瓦礫で見えない部分は空け、その脇へ短く書き添えた。頭の中で補えそうな形も、紙には足さなかった。
「何が分かる」
少し離れたところから、アーチャーが訊いた。
「この蟲が、魔術のために作られていること。ここが、それを扱う場所だったこと」
凛は顔を上げずに答えた。
「同じものが桜の中にあるかは、戻ってから確かめる。壊れているものだけ見て、全部同じだったとは言えないわ」
「持ち帰るのか」
「今は、写したものだけ。生きたものを混ぜて連れて帰るのは御免よ」
アーチャーは壁の穴へ目を戻した。凛は、線を一本描き足した。指が滑り、線の端がずれた。そこを消そうとして、紙を強く押さえすぎていることに気づく。手首の力を抜き、紙の空いたところへ描き直した。
「入口の警戒は任せるわ。何か動いたら、すぐ教えて」
「無論だ」
返事の後、足音が離れた。凛は顔を上げた。アーチャーは階段と、室内の奥を交互に見ていた。こちらの手元を覗こうとはしない。凛は次の刻みへ灯りを移した。
*
壊された跡と、壊される前からあったものを分けていく。新しく抉れた石の面は白い。その下の溝には、古い汚れが残っていた。一晩で出来た痕跡ばかりではない。凛はそこで、手を止めた。
学校の廊下で会えば、桜はいつも挨拶をした。遠坂先輩、と。何でもない話をして、別れたことがある。士郎のことを口にして、桜が少し表情を変えたこともあった。その後で、桜はこの家へ帰っていた。自分は遠坂の家へ帰っていた。凛は目を閉じなかった。灯りを動かさず、溝の先を確かめた。
いま桜のところへ戻って、何を言えばいいのかは、まだ分からなかった。だからといって、何も持たずに戻りたくはなかった。
「ここまで、写せたわ」
紙を一枚、畳んだ。次の紙を取り出すと、アーチャーが近づいてきた。
「奥にも続いている。ただ、崩れている部分がある。今の足場では、見えるところが限られるぞ」
「残っているものを先に見る。無理に瓦礫を動かして潰したら、それまででしょう」
凛は立って膝についた粉を払い、その手を止めた。
「この壊し方、衛宮くんの家と似てると思う?」
アーチャーは、周囲を見た。
「多くの武器を打ち込まれたなら、こうなるだろう。だが、この穴だけでは、あの男の仕業だと決めるには足りん」
「……そうね」
凛も壁を見た。同じ者の仕業なら、なぜここを壊し、次に桜を襲ったのか。そう考えかけて、出来事の順番まで分かっているわけではないと思い直した。昨日の自分たちは、この地下を見ていない。慎二に会えれば、聞けるかもしれない。
「臓硯が、ここにいたかも分からないのよね」
「少なくとも、姿は見ていない。逃れたのか、初めからいなかったのかは、これから調べることだ」
凛は、蟲の残骸へ目を落とした。
「先を、お願い」
アーチャーが頷いた。凛は書き留めた紙をしまい、灯りを持ち直した。奥の壁に、まだ読める刻みが残っていた。彼の踏んだ場所を確かめながら、凛はその前へ進んだ。