Fate/stay night IF BEYOND THE EVER   作:Мир

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第二十六話 塞がれた退路

 二本目の刃は、低かった。アーチャーが弾いた最初の一投よりも、ずっと下。遠坂の膝へ向けて飛ぶ刃が、朝の日差しを細く返した。黒い剣が、それを地面へ叩き落とす。火花が散った時には、もう次が来ていた。

 

「凛、左へ!」

 

 遠坂が動く。その肩があったところを短剣が抜け、後ろの木へ突き立った。乾いた音がして、樹皮が飛ぶ。アーチャーは追わなかった。遠坂の前へ身体を入れ直し、建物の角へ白い剣を向ける。

 

 黒い影が、壁際を滑った。アサシンの姿が、見えなくなる。角の向こうへ消えたのではない。建物に沿って低く走るそいつを、俺の目が追い損ねたのだ。次に白い面が見えた時には、こちらへ向く角度が変わっていた。アサシンの左手が動いた。

 

 アーチャーの白い剣が、空中の刃を横へ弾く。

 

「右腕だ!」

 

 俺は叫んでいた。

 

「そいつの右腕、伸びるぞ! 昨日、セイバーを――」

「見ている。おまえはそちらを離れるな!」

 

 返事と同時に、アーチャーが前へ出た。赤い外套が翻る。右手の剣が、アサシンへ向かって飛んだ。

 

 白い面が傾く。黒い身体が横へ逃れ、剣はその背後の壁を砕いた。散った石の間を抜けて、アーチャーが間合いを詰める。空いた手には、もう別の剣があった。アサシンが身を起こすより早く、白と黒が交差した。短剣の音が、重なる。

 

 遠坂は、俺たちのいる側へ下がっていた。アーチャーが遠坂と建物の間に立ち、彼女を狙う道を塞いでいる。俺が息を吸ったところで、別の声がした。

 

「桜。今じゃ」

 

     *

 

 臓硯は、教会の入口に立っていた。戦っている二人を見てはいなかった。

 

「ここを離れよ。いつまでも立っておるな」

 

 桜の顔が、老人へ向く。すぐ近くで、また金属が鳴った。桜は肩をすくめ、ライダーの腕を掴んだ。

 

「ライダー。ここから……離れて」

「はい」

 

 ライダーが腰を落とす。桜の膝の裏へ腕が回った。昨夜の話が、頭をよぎった。あの天馬に乗られたら、また逃げられる。

 

「セイバー!」

 

 呼ぶより先に、彼女は動いていた。

 

「イリヤ、シロウを!」

「ええ。行って!」

 

 俺の前から、青い背中が消えた。芝地へ向けて跳んだライダーの進路に、風が走る。刃は見えなかった。だが、ライダーは空中で身体を捻った。桜を胸へ抱き込んだまま、片足を石畳へつく。地面を蹴り直した音と、セイバーが着地する音が重なった。二人の間で、鎖が鳴る。

 

「退いてください」

「そのまま行かせるわけにはいかない」

 

 セイバーの足は止まらなかった。ライダーが横へ動けば、同じだけ踏み込む。桜へ剣を向けてはいない。けれど、ライダーが抜けようとする先には、必ず彼女がいた。鎖の先が跳ねた。セイバーの肩を狙った杭が、途中で見えない何かに弾かれる。その隙に、ライダーが後ろへ下がった。

 

「サクラ。ここで待っていてください」

 

 芝の縁へ膝をつき、桜を下ろす。掛け物が広がった。桜が地面へ手をつくより先に、ライダーはもう立ち上がっていた。その背中が、桜を隠す。

 

 長い髪が、弧を描いた。今度の杭は、俺には見えなかった。セイバーの剣とぶつかった音だけがした。火花が、二人の顔の間に散る。

 

 ライダーが低く沈み、鎖を引いた。セイバーの足もとへ、銀色の線が回り込む。輪が閉じる前に、セイバーは踏み出してその中へ入った。

 

 風が地面を叩いた。ライダーの髪が大きく流れ、彼女の足が芝を削った。桜のいる方へは下がらず、横へ滑る。セイバーも、その動きへついていった。

 

「……あの傷で」

 

 臓硯が呟いた。俺にも聞こえた。セイバーは、剣を返していた。昨夜、肩で息をしていた姿とは違う。受けて、踏み込み、相手が戻す武器へ、さらに剣を重ねる。

 

 俺はその背中を見た。間に合った。昨日、あそこで諦めなくてよかった。

 

「シロウ、こっちを見て」

 

 イリヤの声がした。

 

     *

 

 靴のすぐ先で、石畳の継ぎ目が黒くなっていた。細いものが出てくる。一匹ではない。石の縁に沿って這い出した蟲が、重なりながらこちらへ向かっていた。

 

 俺は足を引いたが、踵の後ろにもいた。

 

「動かないで」

 

 イリヤが、俺の袖を引く。その指の間から、銀色のものが伸びた。コートの内側から取り出した、小さな線の束だった。丸めてあったものが解け、彼女の手の動きに合わせて細く広がる。短い言葉が聞こえた。

 

 銀線が跳ねた。俺の踵の後ろで地面を擦り、這い寄っていた蟲をまとめて弾き飛ばす。地面へ落ちた蟲は、まだ動いていた。線がもう一度走り、蟲の身体を断ち切る。黒いものが石の上へ散った。

 

「足もとを見ていて。わたしの後ろへ回られたら、教えて」

「分かった」

 

 答えながら、臓硯を見る。老人の足もとからも、蟲が離れていた。袖の下で、指の輪郭が崩れている。そこから落ちたものが地面へ溶け込むように散り、入口の左右へ広がった。背中が冷たくなった。老人の姿を見張っているだけでは、足もとへ来る蟲を見失う。

 

「桜!」

 

 遠坂の声に、顔を向けた。遠坂は石畳の外側を回り、桜へ近づこうとしていた。戦うセイバーたちの後ろへ、踏み込まないようにしている。

 

「立てる? そこから少し離れて」

「ライダーが」

「見えてる。だから、巻き込まれないところへ――」

 

 杭が鳴った。遠坂の足が止まる。ライダーはセイバーと打ち合いながら、桜の方へ半身を戻していた。遠坂との間に、鎖の先が落ちる。

 

「それ以上、近づかないでください」

「桜をここで寝かせておくつもり?」

 

 返事を聞く前に、俺は顔を戻した。黒い蟲の列が、イリヤの左へ回ろうとしていた。

 

「左から来る!」

 

 銀線が向きを変える。蟲の群れが、途中で二つに分かれた。一方が線に巻き取られ、もう一方が石の隙間へ落ちる。

 

「下がって、シロウ!」

 

 引かれるまま、足をずらした。さっきまで靴があったところで、蟲が跳ね上がった。イリヤが手を返す。銀の輪が締まり、黒い塊が潰れた。湿った音がした。イリヤは顔をしかめたが、指を止めなかった。

 

「地面の隙間に入ったら、そこから離れて。踏んで押さえようとしないでよ」

「ああ。けど、イリヤ一人じゃ」

「だったら、ちゃんと見ていて」

 

 彼女は俺を見ずに言った。

 

「見落としたら、二人とも噛まれるわ」

 

 俺は手を握った。見て、教えて、引かれた方へ逃げている。その間も、イリヤはずっと両手を動かしていた。

 

     *

 

 音が、近づいた。アーチャーたちだった。白い面が壁を離れ、こちらへ走る。俺たちの方へ来るのかと思った瞬間、横から飛んだ剣が、その足の前へ突き立った。

 

 アサシンは跳んだ。赤い外套が、その着地点へ迫る。短剣が、黒い剣の腹を滑った。アサシンの身体が斜めに倒れ、その姿勢のまま、足が地面を蹴る。逃げた先へ、アーチャーの白い剣が走った。アサシンがこちらへ来ようとするたび、進む先に剣を置かれている。

 

 短剣が弾けた。壁へ当たり、乾いた音を立てる。その音に、イリヤの短い息が重なった。俺は彼女へ向き直った。

 

 銀線の一つが、地面へ引き込まれていた。蟲が絡みついている。イリヤが引けば、絡んだ群れごと地面が盛り上がった。石と石の間から、さらに黒いものが出てくる。彼女は線を張ったまま、別の一本を走らせた。群れの上側が切れた。だが、残った蟲がまた重なり、その切れ目を塞いでいく。

 

「そちらに、いつまで構っておれる」

 

 臓硯の声がした。入口の前から、黒い塊が押し寄せる。地面すれすれの波だった。イリヤは片足を引いた。銀線が二本、交わる。蟲の先頭が裂けた。その後ろから、次が来た。切られたものを乗り越え、線の下を潜り、こちらの靴へ向かってくる。

 

 俺はイリヤの腕を引き、二人で敷石一枚分下がった。それから、また一枚。

 

 横では、セイバーの剣が鎖を跳ね上げていた。ライダーが、その剣へ杭を打ち込む。音が腹に響いた。誰も、ここへ来られない。来てもらうのを待っていたら、先に足を取られる。

 

 俺は足もとの石の欠片を見た。手に取って叩ける。強化すれば、何匹かは潰せるかもしれない。けれど、手を下ろした先にも蟲がいた。離れたところの蟲を払える長さが要る。散らばる前に、あの塊を止めるものが。

 

 白いものが、頭の中をよぎった。石だった。城の、割れた壁。そこへ広がっていく、白い霜。

 

     *

 

 思い出した。金色の男の後ろに並んでいた、幾つもの武器。その中の一本へ、目が吸い寄せられた。細い剣だった。

 

 見ただけで、こめかみが痛んだ。刃の内側を何かが通っている。斬るために尖らせた金属の、その奥。形と一緒に頭へ入り込んだものが、まだ残っていた。

 

 刺さった剣の周りで石が白くなっていたから、イリヤの肩を引き、あの壁から離れろと言った。

 

「シロウ?」

 

 呼ばれて、目の前へ戻る。イリヤの横顔があった。彼女の指が銀線を引き、黒い波をもう一度押し返す。俺は、何も持っていない右手を開いた。

 

 昨日は、鞘を作った。何も分からないまま、ここにあるものを取り出すつもりで、別のものを作っていた。鞘が出来たから、今度も出来る。それでは駄目だと、昨夜言われた。

 

 輪郭だけか。材質は。内部の構造は、どうだった。アーチャーの声が、耳の奥に残っている。

 

 俺はもう一度、あの剣を思い浮かべた。切っ先から、柄の端まで。初めは、見えていた形だけだった。細く長い刀身。握るための柄。その間を隔てる鍔。

 

 それを、頭の中で裏から見る。厚みがある。刃へ向けて薄くなる金属がある。どこを支え、どこへ力を通すのか。ただ中を埋めた塊では、あの剣にはならない。

 

 俺は歯を食いしばった。形を保ったまま、もっと内側へ意識を向ける。あの時、痛いほど頭へ入ってきたものを、探した。

 

「イリヤ」

「なに」

「剣を作る。少しだけ、止めていてくれ」

 

 彼女が一瞬、こちらを見た。

 

「どの剣?」

「城で、壁に刺さったやつ。イリヤを引っ張って、離れたところの」

 

 イリヤの目が開いた。

 

「あの、凍った――」

「ああ」

 

 前を向いたまま、頷いた。迫る蟲を見失わないよう、目は開けたままにした。イリヤが手を上げると、銀線が地面を離れ、俺たちの前で輪になった。

 

「なら、今よ」

 

 輪が、黒い波へ叩きつけられる。

 

「こっちは、わたしが止める」

 

 俺は息を吐いた。剣を作る。いま見えている形の、その先まで。

 

「――投影、開始」

 

     *

 

 魔力を通した。背筋の奥へ、熱が走る。肩が強張った。指を曲げそうになって、堪えた。まだ、握るものはない。作る前に力を込めても、何も掴めない。

 

 ――創造の理念を鑑定し、

 

 冷たさだけを思い浮かべるな。あの霜は、剣に触れた石へ広がったものだ。刃へ触れたものから熱を奪い、凍らせる。斬るための形に、その働きまで組み込まれていた。

 

 ――基本となる骨子を想定し、

 

 切っ先から、柄の端まで。長い刀身を支える芯。両側へ広がる面。刃へ至る薄さ。鍔と柄が、それをどう支えているか。見えていた輪郭の内側へ、一本ずつ筋を通す。

 

 ――構成された材質を複製し、

 

 光り方だけを似せても、剣にはならない。硬さ。重さ。力を受けた時のしなり。空いたところを、ただ金属で埋めるのでは駄目だ。城で頭へ入り込んだものを、形の奥から引き出す。

 

 ――制作に及ぶ技術を模倣し、

 

 なぜ、この薄さで刃を支えられる。どこを固め、どこへ力を逃がしている。出来上がった形から、それを作り上げた手順へ遡る。金属の内側を走る、冷たい力の道筋も。途切れそうなところへ、自分の考えを足すな。戻って、辿り直す。右のこめかみが痛んだ。閉じた扉を内側から押し開けられるような圧迫感があった。

 

 ――成長に至る経験に共感し、

 

 手首の向きが、僅かに変わる。まだ何も持っていないのに、指が柄を握る形を取った。知らない握り方だった。けれど、どちらへ刃を立て、どう引けば抜けるのかが、その形と一緒に浮かんでくる。俺の経験じゃない。剣が繰り返してきた動きへ、空の手を重ねる。

 

 ――蓄積された年月を再現し、

 

 あの城で見た刃の奥に、見たこともない長い時間がある。作られ、振るわれ、その形を保ってきた年月。目に焼きついた輪郭だけを写せば、そこが抜け落ちる。頭の奥が軋むのを堪え、その積み重なりごと引き寄せる。

 

 空だった掌に、硬いものが触れた。

 

 ――あらゆる工程を凌駕し尽くし、

 

 まだ、見るな。外に出来た形を確かめるより先に、中を終わらせろ。別々に辿ったものを、掌から剣先まで、ひとつに繋げる。金属の重さも、刃を支える強さも。その中を走る冷たい力も、積み重なった時間も。途中を空白にしたまま、出来たことにするな。そのすべてを、一振りの剣にする。

 

 銀線が鳴った。

 

「シロウ!」

 

 イリヤの声が近い。目の前で、黒い塊が持ち上がっていた。輪に絡んだ蟲の上を、別の群れが乗り越えてくる。足もとへ落ちる。落ちれば、イリヤの手では間に合わない。

 

 俺は、右手を握った。重さが、腕へ落ちた。

 

 剣があった。

 

 朝の光を受けた細い刀身が、俺の手から伸びていた。その切っ先に、白い息のようなものが絡む。息を吸うと、喉が冷たかった。

 

「後ろへ!」

 

 イリヤへ言い、右足を出した。上から来る塊へ、剣を合わせる。

 

 刃を立てる角度が、分かった。だが、手首が遅れた。このまま振れば、剣の腹をぶつける。肘を引いて握りを直し、落ちてくる先へ刃を入れる。

 

 重かった。空を切る時とは違う抵抗が、右腕へかかった。黒い塊が、刀身に触れる。その表面が、白く変わった。

 

 蟲が、離れようとする。離れる前に、隣り合った身体の間まで霜が走った。ばらばらだったものが、一つの塊になる。

 

 俺は腰を回した。刃が、抜けた。

 

 澄んだ音がした。黒と白が、目の前で砕け散った。足もとへ落ちた欠片が跳ねる。その先の石にも、薄い霜が広がった。

 

 俺が振り切った腕を止められずに一歩よろけると、イリヤが左腕を掴んだ。

 

「足を止めないで!」

 

 彼女が、蟲の途切れた方を指した。蟲がいない。今だけ、そこへ行ける。俺たちは、並んで走った。

 

     *

 

 石畳の縁まで出て、振り返った。さっき立っていた場所を、黒い群れが埋めていた。遅れていたら、足を覆われていた。

 

 俺は剣を前へ出した。刃から、白いものが流れる。柄の感触が、まだ掌に馴染まなかった。力を緩めれば、そのまま抜け落ちそうだった。

 

「……出来た」

 

 声にして、ようやく実感した。イリヤが剣から俺へ目を移した。

 

「うん。ちゃんと、あるわ」

 

 口もとが、少しだけ緩んだ。

 

「だから、こっちへ振らないでね」

「振らない。俺の後ろにいてくれ」

「後ろから来たら、わたしが止める。シロウは前をお願い」

 

 頷いた。息が、まだ速かった。剣を作る前から苦しかったはずなのに、今は別のところまで熱い。腕の内側が脈打ち、指先が僅かに震えていた。もう一本を考える余裕はなかった。これを、落とさない。

 

 俺は臓硯を見た。老人は剣を見ていた。

 

「……投影か」

 

 低い声だった。それ以上は、言わなかった。

 

 足もとの群れが、動き方を変える。凍った欠片の上を避け、左右へ分かれた。俺の剣が向いていない方へ回ろうとしている。

 

「右はわたし」

 

 イリヤが言った。銀線が、俺の横を走る。

 

 俺は左へ足を向け、蟲の先頭へ剣先を下ろした。触れたところが白くなる。その手応えに引かれ、押し込もうとした。

 

「深く入れないで!」

 

 声に従って、すぐに引いた。刀身の両側へ、黒いものが巻きつこうとしていた。凍った部分を剣の先で跳ね飛ばし、もう一歩下がる。

 

 俺の足は、セイバーのようには動かない。考えている間にも、別の群れが近づく。銀線が、それを横から払った。イリヤが一歩、俺へ寄る。

 

「そこ。今なら、まとめて止められる」

 

 銀の線が、重なった蟲を繋ぎ止める。その先へ、俺は鉄の刃を下ろした。初めの一撃より、小さく。重なったところへ刃を当て、白くなった表面を斜めに斬り払う。

 

 欠片が、臓硯の方へ飛んだ。群れの一部が崩れ、入口へ通じる石畳が見える。臓硯が、半歩退いた。

 

 その動きを見て、俺は息を呑んだ。退かせた。俺と、イリヤで。

 

 追いかけようとした足を、止めた。まだ、左右に蟲がいる。俺は左手を開き、イリヤのいる位置を確かめた。彼女の袖が、すぐそばにあった。

 

     *

 

「桜、こっちを見なさい!」

 

 遠坂の声がした。芝地の方へ目を向ける。桜が立ち上がろうとしていた。片膝をついたまま、ライダーへ手を伸ばしている。

 

「やめてください。もう、戦わなくて――」

 

 杭と剣がぶつかった。桜の声が、打ち合う音にかき消される。遠坂が一歩寄った。

 

「今、そっちへ行ったら危ないわ。立つなら、わたしの方へ」

「でも、ライダーが」

 

 桜が顔を上げた。セイバーの剣が、鎖を外へ弾く。ライダーの右手が跳ね上がり、身体が横へ流れた。俺は、倒れたと思った。違った。ライダーは片手を地面へつき、その腕を軸に身体を回していた。長い脚が、横からセイバーへ迫る。

 

 セイバーが半歩引く。蹴りが抜けたところへ、見えない剣が下りた。ライダーの手が、鎖を引いた。杭が戻る。その途中で張った鎖が剣と噛み合い、耳を刺す音がした。

 

 二人が離れたのは、ほんの一瞬だった。ライダーが桜へ向かおうとする。セイバーはその前へ入り、剣を低く構えた。

 

「桜を傷つけるつもりはない」

「なら、道を開けなさい」

 

 ライダーの返事が、鋭く響いた。遠坂は、桜から少し離れたところで止まっていた。伸ばした手を、桜はまだ取らなかった。

 

 俺は声をかけようとして、剣を引いた。足の先へ、蟲が来ていた。刃を合わせる。白くなった一匹が砕け、その後ろの数匹が散った。全部を見ていられない。それでも、目を離した先で何が起こるかが怖かった。

 

「シロウ。大丈夫、セイバーは止めてる」

 

 イリヤが言った。銀線が、俺の背後を払う。

 

「今は、こっち」

 

 俺は頷き、臓硯へ向き直った。その時、建物の方で、ひときわ高い音が鳴った。

 

     *

 

 白い剣が、横へ流れた。弾かれた短剣が宙を回る。アサシンが、アーチャーの懐へ入ろうとしていた。それまで壁沿いに動いていた黒い影が、今は真正面から近づいている。左手が開いた。また短剣が飛ぶ。アーチャーの顔へ向かっていた。

 

 その陰で、右の袖が動いた。布の中から、長い腕がほどける。昨夜、セイバーが斬りつけた傷が残っていた。それでも、関節の位置が伸びていく。黒い指が、赤い外套の胸へ走った。

 

「アーチャー!」

 

 俺は叫んだ。白い剣が、短剣を払っていた。その手は、胸の前にはない。

 

 届く。そう思った時、黒い剣が下から上がった。刃が、伸びた腕を横切る。細長い指が、アーチャーの身体へ触れる前に落ちた。

 

 アサシンの白い面が傾く。

 

「ギ、ィ――」

 

 掠れた声がした。黒い身体が、すぐに退いた。アーチャーは、もう一歩踏み込んでいた。白い剣がアサシンの左腕の下へ潜り、脇の下から胸を貫いた。

 

 音が止まった。アサシンの足が、石を擦る。後ろへ跳ぼうとした身体が、剣に留められていた。左手が、アーチャーの腕へ伸びる。黒い剣が、その手を外へ払った。アーチャーが、白い剣を引き抜く。支えを失った身体が、一度だけ膝を折った。白い面が下を向く。その輪郭が、薄くなった。

 

 俺は、息を止めていた。黒い衣が、朝の光の中でほどけていく。そこにいたものが、地面へ倒れる前に消えていく。

 

 アーチャーは剣を下ろさなかった。面のあった場所を見て、次に、その左右へ目を動かす。最後まで見届けてから、ようやく顔を上げた。

 

 俺には、もっと長い戦いに見えていた。剣が何度ぶつかったのか、数えることも出来なかった。けれど、勝負が決まったところだけは見えた。相手の腕が届く前に、切る。逃げる前に、踏み込む。そのための二本が、まだ彼の手にあった。

 

     *

 

 隣で、息を呑む音がした。イリヤだった。彼女の指が止まっていた。銀線の一つが、地面へ落ちる。

 

「イリヤ?」

 

 返事はなかった。開いた唇から、細く息が漏れる。目は、消えたアサシンの方へ向いていた。

 

 イリヤの足もとへ、黒いものが流れ込む。俺はイリヤの前へ出た。剣先を地面へ落とす。先頭の蟲が刃に触れ、白く固まった。そこへ後ろの蟲が重なり、凍った塊ごと押し出してくる。

 

 腕が、軋んだ。押さえ続けるな。さっき、そうしたら剣を取られかけた。

 

 俺は足をずらし、刃を斜めに引いた。凍った塊が割れる。空いた隙間へ、銀線が走った。

 

「もう、いいわ」

 

 イリヤの声だった。彼女は俺の背後で、指を動かし直していた。

 

「今のは」

 

 訊きかけて、言葉が止まった。朝に聞いたことを思い出したのだ。倒れたサーヴァントの魂を受け入れる器。

 

「……アサシンが、イリヤの中に?」

 

 イリヤは、小さく頷いた。俺は彼女の顔を見た。今朝は話として聞いていたことが、目の前で起きた。

 

「わたしは動ける。シロウ、前を見て」

 

 強い声だった。顔を戻す。臓硯が、消えたアサシンの方を見ていた。その目が、こちらへ戻る。イリヤへ。次に、俺の剣へ。俺は、彼女の前から退かなかった。

 

     *

 

「凛!」

 

 アーチャーが呼んだ。

 

「こっちよ!」

 

 遠坂が答える。赤い外套が、前庭を横切った。

 

「セイバー。こちらは引き受ける」

 

 ライダーの杭が、セイバーの剣を弾いた。鎖が戻る。その一瞬に、ライダーが桜の方へ動いた。セイバーが追うより先に、黒い剣が間へ入った。杭と、刃がぶつかる。アーチャーは、ライダーと桜の間へ入っていた。

 

「また、あなたですか」

 

 ライダーの声がした。

 

「昨夜の続きといこうか」

 

 アーチャーが剣を押す。ライダーはそれを流し、もう片方の杭を引き上げた。白い剣が、その先を受ける。二つの音が続いた。

 

「行け、セイバー」

 

 セイバーが、こちらへ向き直った。次の瞬間には、俺の前にいた。風が、石畳の上を走る。押し寄せていた蟲が、一筋に裂けた。セイバーが剣を返す。残った群れが横へ散り、イリヤが銀線でその先を払った。

 

「二人とも、怪我は」

「ないわ。シロウが、止めてくれたから」

 

 イリヤが答えた。セイバーが、俺の手にある細い剣と、その刃から流れる白い冷気を見た。彼女の目が、一度だけ大きくなる。だが、訊かなかった。

 

「持てますか、シロウ」

 

 俺は頷いた。

 

「持てる」

「では、私の後ろを。イリヤの側を守ってください」

 

 剣を握り直した。右腕は、重かった。それでも、何をすればいいかは分かっていた。

 

 セイバーが一歩進む。臓硯の足もとで、蟲が盛り上がった。人の腕ほどの太さになった群れが、彼女の足へ巻きつこうとする。見えない剣が、振り下ろされた。群れが割れる。その向こうで、臓硯が身を引いた。入口の段差を上がり、扉の陰へ下がっていく。

 

 俺は、桜の方を見た。遠坂が彼女の近くにいる。その二人から離れたところで、アーチャーとライダーの剣戟が続いていた。桜を残して、中へ行く。ためらった俺に、遠坂が顔を向けた。

 

「士郎! そっちを止めて。桜は、わたしが見てる!」

 

 臓硯の足もとから、また蟲が出た。俺たちの横を抜け、芝地の方へ向かおうとする。セイバーが踏み込んだ。剣を切り返し、その群れを入口の内側へ押し戻す。

 

「分かった。頼む!」

 

 遠坂へ返し、俺も前へ出た。イリヤが隣へ来る。俺は剣を彼女から遠い側へ向け、歩幅を合わせた。

 

     *

 

 入口へ上がる前に、一度だけ外を見た。ライダーが、アーチャーの剣を弾いていた。そのまま数歩離れる。アーチャーは追いすぎず、桜と遠坂へ目を配った。ライダーの手が、顔へ上がる。目を覆っているものへ、指がかかった。

 

「シロウ」

 

 イリヤに呼ばれ、向き直った。教会の中は、外より暗かった。扉のすぐ向こうで、長椅子が割れている。床に散った木片をセイバーが跨ぎ、その先へ剣を向けた。俺とイリヤも、その後ろへ続いた。

 

 蟲が、床の継ぎ目を走る。セイバーが止まった。左右の長椅子の間を、黒いものが引いていく。その先に、老人がいた。入口の光が、曲がった背へ細く届いている。臓硯は、俺たちを見ていた。

 

 俺は、剣先を上げた。細い刃が、礼拝堂の薄闇に白く浮かぶ。腕の重さも、指の震えも消えなかった。けれど、イリヤが隣へ並んだ時、俺はもう、彼女を後ろへ押しやろうとはしなかった。銀の線が、彼女の手へ戻っていく。

 

「まだ、持てる?」

 

 小さな声で訊かれた。

 

「ああ」

 

 頷いて、臓硯を見る。外で、剣と杭がぶつかった。俺はその音を背にして、イリヤと並び、セイバーの後ろへ一歩進んだ。

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