Fate/stay night IF BEYOND THE EVER 作:Мир
黒い封印を外す。灰色の瞳に、赤い外套が映った。アーチャーは、すでに横へ動いていた。
「凛、壁際へ。顔を見るな!」
声を残して、教会の角へ退く。遅い。ライダーは顔を向けた。その視界から外套が消える寸前、白い剣を握った指に変化が起きる。関節の動きが鈍り、親指の付け根から色が抜けた。
だが、そこまでだった。石の壁が、赤い弓兵を隠す。目を逸らしているだけなら捕らえられた。彼はライダーの手が封印に触れるのを見て、目が開く前から動いていたのだ。昨夜も、見られている。サクラの咳に止められた、あの動きを。
ライダーが外した目隠しを腰へ挟んで杭を振ると、鎖が唸った。狙うのは、敵の姿が消えた角。その縁を削るように杭を打ち込み、手前へ引く。腕へ魔力を流した。石が割れた。
砕けた壁材と一緒に、白い剣が飛び出してくる。ライダーが身を沈めると、剣が頭上を抜けた。その下を走り、鎖を引き戻すより先に、残る杭を突き出した。
黒い刃が受ける。押し切るつもりで足を進めた。アーチャーは正面から力を競わず、刃を傾け、杭を外へ流した。投げて空いたはずの左手に、再び作った白い剣がある。新しい白刃が腹を狙う。
ライダーは踵を浮かせた。身体を横へ倒し、ほとんど地面と平行になった姿勢から蹴りを放つ。アーチャーが肩を引いた。蹴りは外れたが、剣も届かない。その顔を、灰色の眼が捉える。彼の視線はライダーの胸より下にあった。
「目を逸らしても、逃れられません」
「そのようだな」
白い剣の切っ先が、僅かに下がる。左腕に来ている。ライダーがそこへ杭を返す前に、アーチャーは割れた角の向こうへ身体を引いた。刃が石を打つ。残った壁の端が崩れる音に紛れ、靴底が芝を擦った。
*
追い込める。だが、外壁の先へ入り込めば、サクラとの間に教会が挟まる。ライダーは踏み込みを止めた。
後ろから、短く吸い、少しずつ吐くサクラの呼吸が聞こえた。そのそばで、もう一人が何かを言っている。
「こっち。そこに立っていたら巻き込まれる」
「でも、ライダーが」
「分かってる。まず、こっちへ来て」
凛がサクラを壁際へ寄せようとしている。ライダーは眼を向けずに、声の位置を確かめた。教会の入口に近い。サクラはまだ、そこから動いていない。
今なら。身体の向きを変える。その一歩先へ、矢が突き立った。石畳が爆ぜた。足を引く。飛び散った欠片が頬を掠める。
次は胸だった。ライダーは杭で矢を打ち払った。打った手の内が痺れる。細い矢に見えたものは、弾かれて回ると、剣に似た刃の幅を露わにした。外壁の角から半身を出したアーチャーの手には、黒い弓があった。
彼は、ライダーとサクラを一直線に重ねていない。昨夜は、天馬の向きを変えた拍子に、前へ座らせたサクラが射線を横切った。アーチャーの弓が止まった。ライダーはその一瞬を使って、天馬を飛び立たせた。いま、サクラは入口のそばにいる。凛がその前へ出ていた。
ライダーは歯を食いしばった。左右へ跳べば、矢は躱せる。だが、そのたびにサクラへ近づく道を外される。矢を放つ敵は、自分からサクラを追おうとはしなかった。ライダーが向かう方へ、次の一射を置いて待つ。
ならば、撃つ暇を与えない。ライダーは正面へ向けて地を蹴った。矢が放たれる。首を傾けた。刃が耳のそばを抜け、紫の髪を散らす。避けた勢いを殺さず、鎖を横へ振り切った。
杭が、外壁を叩いた。アーチャーの身体が角から離れる。追う。弓を持つ手を狙う杭が黒剣に弾かれ、次の杭は白刃と噛み合った。もう弓はない。それでも、こちらの脚は止まらない。
剣が返るより速く脇へ回り、杭の先を上げた。アーチャーの右の上腕を裂く。赤い布の下に、違う赤が広がった。アーチャーの息が変わる。
ライダーはさらに踏み込んだ。この距離なら、もう壁へは隠れられない。その身体を見据える。左の剣を戻す動きが、遅れた。捉えた。杭を持つ腕へ力を込める。首ではなく、まず胸へ。避けられても押し込み、そのまま身体を石へ変えればいい。
黒い剣が割り込んだ。右手一本で、杭を押し上げられる。彼の左側に出来た隙へ、もう一方の杭を突き込もうとした。アーチャーが前へ出て、肩がぶつかった。間合いが潰れ、鎖が二人の間に弛んだ。
ライダーは膝を上げた。腹へ打ち込む前にアーチャーが身体を捻り、膝頭は外套を跳ね上げただけだった。白い剣が、左肩を切った。浅くはない。ライダーは地面を蹴り、後ろへ跳んだ。
血が、芝へ落ちる。割れた角の向こうへ、アーチャーの赤い外套も引かれていく。彼の左手の指は、柄に沿って硬く強張っていた。石化は消えていない。それでも、止めきれてはいなかった。
*
左肩を動かすと、痛みが脇腹へ走った。昨夜、塞ぎかけていた傷は、もう表面にはない。だが、そこへ新しい傷を重ねられた身体は、思ったほど軽くは動かなかった。
魔力を流す。裂けたところが、ゆっくりと寄る。修復を待っている時間はなかった。サクラが、また自分を呼んでいる。声が近づいた。来てはいけない。
「サクラ。そこを動かないでください」
返事の前に、凛の声が重なる。
「桜、待って。いま出たら」
ライダーは唇を引き結んだ。その言葉だけは、自分と同じだった。だが、それで任せることは出来ない。
サクラを連れて帰る。そう言った少年は、もう教会の中だ。サクラの言葉を遮っていた老人も、ここにはいない。残ったのは凛と、彼女のサーヴァント。どちらも、サクラが行こうとした道を塞いでいる。
ライダーは杭を持ち直した。昨夜と同じだけの時間があればいい。血で陣を結び、天馬を呼ぶ。この空へ出れば、サクラを抱いて離れられる。アーチャーを倒す必要はない。矢が届くより先に、二人でここを出ればいいのだ。
外壁から離れ、サクラへ向かう代わりに芝地の外側へ跳んだ。距離が開く。追撃を警戒していたアーチャーが、角から姿を出した。
ライダーは鎖を放った。低く。足を狙う杭に彼が跳び、空中で弓を引く。その矢を、ライダーは残る杭で弾いた。反動が肘まで来る。構わない。
同じ刃を、自分の首筋へ運ぶ。白い皮膚に、赤い線が開いた。血が浮く。その血を陣へと結ぼうとした瞬間。
二本目の矢が来た。ライダーは身体を捻った。矢の刃が、上げた左腕を掠める。血が散った。空中の赤も、陣を作る前に揺らいだ。
アーチャーは、着地と同時に走っていた。弓の代わりに、二本の剣を下げている。いま血を結ぼうとすれば、あの剣が胸へ届く。ライダーは首から杭を離した。陣へ注ぎかけた魔力を腕へ回し、黒い刃を受ける。
白い刃が続く。二本目を弾いた時には、最初の剣が戻っていた。押される。胸を見据える眼は、今も彼の動きを縛っている。左腕の返しは明らかに鈍い。だが、その腕が動ききる前に、右の剣が次の一撃を作る。こちらが退けば追い、杭を返せば受け、受けた勢いでまた前へ出る。
ライダーは膝を折った。白刃が髪を削る。低い姿勢から跳ね上がり、アーチャーの頭を越えた。彼の左肩へ鎖を投げ、巻きつけて引く。
アーチャーの身体が傾いた。そこへ蹴りを入れた。アーチャーが石畳へ滑る。靴の下で火花が散り、外套の裾が地面を擦った。
ライダーも着地する。膝が沈んだ。片手を地面につく直前で、こらえた。
この感覚は、覚えている。昨夜、サクラを地上へ降ろした時と同じだった。今度は、まだ飛んでさえいない。
*
教会の中から、木の割れる音がした。何かが倒れ、続いて重いものが床を打つ。サクラが入口の方を向いた。凛がその肩へ手を伸ばす。
ライダーは前へ出た。アーチャーも動く。ライダーがサクラへ近づこうとする、その斜め前へ。分かっていても、道を変えられなかった。
杭を振る。アーチャーが弾く。弾かれた杭を鎖で戻し、もう片方を突き出す。今度は白い剣が受けた。
音が変わった。鋼同士の澄んだ音へ、硬いものが軋む音が混じる。彼の左手だ。
ライダーは踏み込んだ。もう一度。さらに、もう一度。白い剣を戻せない角度へ押し、黒い剣だけで防がせる。彼の姿を視界から逃がさず、身体ごとこちらへ向き直らせた。
アーチャーの額を、汗が伝う。踏み替える膝も、先ほどより重くなっていた。こちらだけが削られているわけではなかった。
鎖を張る。杭を打ち込む。黒い剣が、上へ押し上がった。ライダーはその脇を抜けた。あと数歩。サクラへ手を伸ばせる。
だが、サクラの背後から、凛の声がした。
「桜、下がって!」
サクラの足が動いている。凛の腕を抜け、自分の方へ。来てはいけないと、言ったのに。ライダーは足の向きを変えた。先に、背後の剣を止める。サクラを自分とアーチャーの間へ入れてはいけない。
振り返る前に、鎖を回した。アーチャーの剣へ打ちつける。彼は止まらない。黒い剣が杭を弾き、残る白い剣が低いところを走る。ライダーは跳んだ。腹の下を、切っ先が通る。
空中から二つの杭を落とした。一つを剣で弾かれ、もう一つは彼の肩を掠めた。外套が裂け、血が飛ぶ。アーチャーは、膝を折らなかった。ライダーが地面へ戻る場所に、すでに足を置いていた。速さで追いつかれたのではない。サクラと彼の間へ、戻るしかなかった。
ライダーが左の杭を引き上げると、肩の傷が開いた。筋が引かれ、腕が半瞬遅れた。黒い剣が、そこへ入った。杭が外へ弾かれる。
白い剣は、まだ低い位置にあった。ライダーは右手を返した。間に合う。そう判断した腕へ、アーチャーの右腕が当たった。刃ではない。踏み込んだ身体そのものに押され、杭の先が外を向いた。
ライダーは腹を引いた。足が、地面を捉える。そこから跳ぶための力が、すぐには戻らなかった。
白い刃が横へ走った。右の脇腹から、腹へ。身体の内側へ、冷たいものが通った。
*
声が聞こえた。サクラだった。ライダーは声の方へ身体を向けようとして、膝をついた。片手を石畳へ置く。戻ってきた鎖が、足もとで鳴った。杭を握っているはずの手が、空になっている。
拾う。拾って、もう一度立てば。伸ばした腕へ、身体の重みが乗った。支えきれなかった。横へ倒れる。草が頬へ触れた。
ここまで来たのに。サクラとの距離は、もう遠くない。足音が、急いでいる。
ライダーは、顔を向けかけた。やめた。まだ、眼が開いている。
腰へ手をやる。黒いものに指が触れた。引き出そうとすると、傷へ力が入った。身体の奥から、何かがほどけていく。
魔力を流した。形を、繋ぎ留める。立ち上がるためではなく、いま崩れないために。
ライダーは目隠しを引き抜いて顔へ当て、指を後ろへ回して封印を戻した。視界が閉じた。自分を呼ぶ声が、近くなった。
アーチャーの足音は、こちらへ近づいてこなかった。息を吐く音がする。剣を握り直そうとしたのか、硬いものが小さく擦れた。彼はサクラの方へも踏み込まない。
ライダーは地面へついた手に力を込めた。まだ、何も任せていない。サクラを守ることを、誰にも。
身を起こそうとした。腕が震えた。もう片方の手を、声のする方へ伸ばす。
「ライダー!」
その声に返すはずの息が、喉で途切れた。代わりに、別の声がした。
「桜、足元を――」
「放してください」
ライダーの指が、草を掴む。サクラはすぐそばにいた。その足音が、止まった。