Fate/stay night IF BEYOND THE EVER   作:Мир

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第二十七話・幕間二 言えなかったこと

 鎖の音が、まだ耳に残っていた。ライダーは横たわった身体を起こそうとして、地面へ手をついた。指が土を掴む。けれど、それだけだった。肩がわずかに浮き、また落ちる。片脚が、芝を擦った。目を覆った布が、頬へ張りついていた。

 

 前に、赤い外套がある。アーチャーは剣を下げていた。こちらへ目を向けたまま、もう踏み込んではこなかった。その向こうで、桜が動いた。

 

「ライダー!」

 

 よろめきながら、さらに足を出す。掛け物の端が靴に絡み、桜の身体が前へ傾くと、凛がその腕を取った。

 

「待って、足が――」

「離してください!」

 

 鋭い声だった。桜は凛の手を振りほどこうとした。だが、足がついていかない。凛はもう片方の手を桜の背中へ回し、倒れる前に支え直した。

 

「離したら転ぶでしょう!」

「だったら、止めてくれればよかったじゃないですか!」

 

 凛の手が止まった。桜は凛の顔を見ていた。

 

「戦わないでって、言ったのに。ライダーは、わたしを連れていこうとしただけなのに」

 

 声は震えていたが、途切れなかった。

 

「どうして、こんなことをするんですか」

 

 凛の唇が開いた。返事が出るまでの短い間に、桜はまた腕を引いた。

 

「ライダーのところへ、行かせてください」

「行かせるわよ。だから、その足もとを見なさい」

 

 凛が身を屈め、靴へ絡んだ布を外した。桜は動かなかった。凛が差し出した手を、見下ろしている。

 

「……そうやって」

 

 低い声がした。

 

「いつも、先に決めるんですね」

 

     *

 

 ライダーは息を整えた。呼べば、桜は来る。その声を出そうとして、喉が詰まった。少しだけ、待つ。桜は立っている。凛も、そのそばにいる。アーチャーの剣は、もう桜へ通じる道を塞いでいなかった。

 

「勝手にいなくなったのは、そっちでしょう」

 

 凛が立ち上がった。

 

「帰ってきたら、あんたはいない。何があったかも分からない。身体だって、あんな状態で」

「戻ってきてほしいなんて、頼んでいません」

「だから探さなくていいっていうの?」

 

 凛の声も強くなった。

 

「昨夜から、ずっと捜してたのよ。見つけたら、今度は帰れないって言う。あの爺さんが何か言うたび、あんたは黙ってしまう。それを見て、そのまま帰れるわけないでしょう」

「だったら、わたしの話を聞いてくれればよかった」

「聞こうとしたわよ!」

「先に、帰るって決めてからです!」

 

 桜が掛け物を握り締めると、指の節が白くなった。

 

「連れて帰って、身体を診てもらって。それでよくなるから、言うことを聞きなさいって」

「よくなるからなんて、言ってない。まず調べなきゃ何も出来ないでしょう」

「だから、そういうところです」

 

 桜が言った。

 

「わたしがどうして嫌なのかより、何をすればいいかを、すぐに言う」

 

 凛の目が細くなる。

 

「嫌な理由を、言ってくれた?」

 

 桜が息を呑んだ。ライダーは、地面から顔を上げた。桜は俯かなかった。

 

「言えなかったら、分からないんですか」

「分からないことだってあるわよ」

「いつも、何でも分かってるみたいな顔をするのに」

 

 凛が口を閉じた。桜は何度か息を吸い直し、詰まりかける言葉を、無理に押し出していた。

 

「平気そうにしてないと、余計に惨めになるんです。見られたくないことだって、あるんです。それなのに、こっちを見て、どうしたのって」

 

 凛の指が動き、桜へ伸びかけた手が途中で止まった。

 

「……それなら、どうすればよかったの」

「知りません」

 

 桜は言った。自分で言ったその言葉に、追いつこうとするように、もう一度息を吸う。

 

「分からないです。でも、嫌だったんです。いつも、わたしだけが言えなくて。そっちは、何も困っていないみたいにしていて」

「困ってるわよ」

 

 凛が言い返した。

 

「今だって、困ってる。無理して立っているのを見て、支えようとしたら怒鳴られるんだから」

「そんな話をしているんじゃありません!」

「わたしは、その話もしてるの!」

 

 凛が、桜の足へ目を落とす。桜は一歩だけ、足を引いた。

 

「また、そうやって――姉さんは、いつもそう!」

 

     *

 

 その呼び声だけが、少し高く響いた。桜の唇が、開いたまま止まる。凛は、目を逸らさなかった。

 

「いつもそうって、何よ」

 

 取り繕う間も、聞き直す間もなかった。

 

「言いたいことがあるなら、最後まで言いなさいよ」

「言っています!」

「途中で、何でもありませんってやめるでしょう、あんたは!」

 

 桜の頬が赤くなった。

 

「そう言えば、姉さんはそれ以上聞かないじゃないですか」

「聞いたら聞いたで、嫌な顔をするくせに」

「姉さんだって、すぐに怖い顔をします」

「心配してるのよ!」

「それなら、そう言ってください!」

 

 凛の口が、一度閉じた。桜も、息を切らしていた。互いを見たまま、どちらも目を逸らさない。

 

「……言えばいいのね」

 

 凛が言った。

 

「心配してるわよ。こんなところまで来て、まだ分からない?」

「分かりません」

 

 桜は、今度はすぐに返した。

 

「怒っているようにしか、見えません」

「怒ってもいるの!」

 

 アーチャーが息を吐き、口を開いた。

 

「凛」

「分かってる!」

 

 凛は振り返らずに答えた。

 

「何がよ」

 

 続けて、桜が言った。凛が、桜を見つめた。

 

「今、何て?」

「何が分かってるんですか。アーチャー、まだ何も言っていません」

 

 赤い外套が、わずかに揺れた。アーチャーは二人を見ていた。今度のため息は、先ほどまでの剣戟とは別の疲れを帯びていた。

 

     *

 

 桜の声を、これほど続けて聞くのは珍しかった。ライダーは動かない手を、少しだけ握ろうとした。指先に、まだ土の感触がある。

 

 目の前の桜は、謝っていなかった。凛が言い返しても、肩を縮めて話を終わらせない。言葉が途切れても、そこでやめない。次の息を吸い、また声を上げる。

 

「姉さんは、昔からそうです。自分が出来るからって、こっちも出来ると思ってる」

「出来ないなら、手を貸すって言ってるでしょう」

「それも、頼む前にするんです」

「頼まれるまで見ていろっていうの?」

「少しは待ってください」

「待ったら、あんたは一人で済ませようとするじゃない」

 

 桜は言葉を詰まらせた。

 

「……姉さんに言われたくありません」

 

 凛の眉が上がった。

 

「何よ」

「自分だって、何でも一人で済ませようとするじゃないですか。心配されるのは、嫌なくせに」

「今、わたしの話をしてる?」

「姉さんが、言い出したんです」

 

 凛は返事をしかけて桜の肩からずり落ちた布を見ると、手を伸ばして掛け直した。

 

「ほら、また!」

「寒そうだったからでしょう」

「それくらい、自分で出来ます」

「さっきは踏んで転びかけたじゃない」

 

 桜が布の端を引いた。凛も離さず、二人は一度引き合ってから手を緩めた。布が、桜の肩へ落ち着く。

 

「そういう言い方をするから、頼みにくいんです」

「じゃあ、どう言えばいいの」

「普通に」

「普通に言ってるわよ!」

 

 桜の肩が小さく動き、掛け物が揺れた。笑ったわけではなかった。泣くのを堪えているようにも、何かを言い返したくて仕方がないようにも見えた。

 

「……声、大きいです」

「あんたもよ」

 

 ライダーの口もとが、わずかに緩んだ。何をすればよかったのか、答えは出ていない。それでも凛は、まだそこにいた。言い返しながら、桜がふらつくたびに、手を添えられるところに立っている。桜も、その距離から逃げてはいなかった。

 

 こんなふうに、怒れるのか。相手が言い返しても、次の言葉を出せるのか。ライダーは、もう一度、指を曲げようとした。今度は、土の感触が薄かった。

 

     *

 

 アーチャーがこちらを見ると、ライダーは顔を上げた。彼は何も言わず、地面についたライダーの手へ視線を落とし、桜へ戻した。

 

 ライダーにも、分かっていた。指の縁が、淡くなっている。身体の形を繋ぎ留めようとしても、離れていくものを戻せない。

 

 アーチャーが歩いた。

 

「そこまでだ、二人とも」

 

 凛と桜の声が、止まった。彼は凛を見てから、桜へ顔を向けた。

 

「続きは後にしろ。ライダーのそばへ行け」

 

 桜の顔が、こちらを向いた。ライダーは口を開いた。名前を呼ぶ前に、桜が動いた。

 

「ライダー」

 

 今度は、凛が道を塞ぐことはなかった。桜の腕を支え、その歩幅に合わせてついてくる。アーチャーが半歩退いた。桜が、ライダーの前へ膝をつく。掛け物が芝へ広がった。

 

「ごめんなさい。わたし――」

「サクラ」

 

 声を出せた。桜が顔を上げる。桜の息は、まだ整っていなかった。ライダーを呼ぶ声に、小さく鼻をすする音が混ざった。

 

「手を、貸していただけますか」

 

 桜はすぐに頷き、両手でライダーの手を取った。冷たくなった指を包み、土のついた掌へ、自分の掌を合わせた。ライダーは、その手に力を込められなかった。桜が、その分まで強く握った。

 

     *

 

「……どうしたら、いい?」

 

 桜が言った。言葉の終わりが、掠れていた。

 

「わたし、何をすれば。魔力が足りないなら、もっと」

 

 ライダーは、わずかに首を横へ動かした。

 

「どうして」

 

 手を握る力が強くなる。

 

「昨日は、ちゃんと。傷だって、よくなって……」

 

 ライダーは、桜の声へ顔を向けた。身体を支えていたものが、もう保てない。失われたところを埋めても、そこから自分を繋ぎ直すことは出来なかった。

 

「申し訳ありません」

 

 静かに言う。桜は首を振った。

 

「謝らないで。ライダーは、何も」

 

 声が切れた。その間に涙が一つ落ち、ライダーの手の甲へ触れた。

 

「わたしが、連れていってって、言ったから」

「あなたを連れていこうとしたのは、私です」

 

 桜の唇が震えた。

 

「私が、そうしたかったのです」

 

 そばにいたかった。桜の声が小さくなれば聞き取り、立てなければ支え、ここにいたくないと言うのなら、抱き上げて離れたかった。そのために、剣を持つ者の前へ出た。

 

 桜の手が、薄くなった指を逃がすまいとするように、また動く。

 

「……まだ、いて」

 

 その声は、はっきり聞こえた。

 

「怒ってもいいから。嫌だって言ってもいいから、いなくならないで」

 

 ライダーは握られた手へ意識を向け、握り返そうとした。指が、少しだけ動いた。桜が、顔を近づける。

 

「ライダー?」

「嫌では、ありません」

 

 もう、長くは話せなかった。

 

「あなたと、いたかった」

 

 桜の顔が歪んだ。涙が、次々と落ちてくる。

 

「わたしも」

 

 桜は言った。

 

「わたしも、一緒に。帰ろうって、言いたかったのに」

 

 桜の背後で、衣擦れの音がした。凛が、桜のすぐ後ろにいた。何も言わず、肩へ手を添えている。桜はその手を振り払わなかった。

 

「姉さん」

 

 桜が呼んだ。さっきとは、違う声だった。

 

「……分かってる」

 

 凛が答えた。今度は、言い返す声が続かなかった。凛は桜の背後に膝をつき、倒れそうな身体を支えた。

 

 ライダーは、凛の声を聞いていた。桜を支える手が、あった。

 

     *

 

 朝の風が、頬へ触れた。芝が擦れる音がする。ほんの少し前まで、自分もそこを走っていた。

 

 ライダーは、桜の方へ少し顔を向けた。名前を、もう一度呼びたかった。

 

「サクラ」

 

 桜は頷いて顔を寄せ、聞こうとしてくれる。

 

「帰って、ください」

 

 桜の息が詰まった。

 

「あなたが、帰りたいところへ」

 

 返事は、すぐには聞こえなかった。

 

「……うん」

 

 桜は何度も頷いた。握られた手に、また力がこもる。その返事が聞こえれば、十分だった。

 

 手の感触が、遠くなった。桜の手が離れたのではない。こちらから、触れていられなくなっている。

 

「ライダー」

 

 呼ばれた。声は、まだ届いていた。

 

「ありがとう」

 

 ライダーは微笑もうとした。出来たかどうかは、分からなかった。

 

 桜がライダーの手を、自分の頬へ引き寄せる。泣き濡れた肌が、掌へ触れた。

 

 最後に分かったのは、その温かさだった。

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