Fate/stay night IF BEYOND THE EVER   作:Мир

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第二十八話 戻った監督役

 濡れた布を折り返し、わずかに残った乾いたところを探した。顎を伝った水を拭き、次の息で胸が動くのを待つ。動いた。それを確かめてから、隣へ顔を向けた。

 

 管と身体の接ぎ目を見ていたイリヤの指が、止まった。

 

「イリヤ?」

 

 声をかけると、彼女は触れていた手を離し、自分の胸の前へ戻した。小さく息を吸い、赤い目を俺へ向ける。

 

 けれど、すぐには返事がなかった。

 

 前庭で見た姿が、頭をよぎった。アサシンが消えた後も、こうして一度、指が止まっていた。

 

「……また、なのか」

 

 イリヤは、少し間を置いて頷いた。俺が彼女の肩へ手を伸ばしかけると、イリヤが先に息を吐いた。

 

「平気。今は、もう」

 

 言って膝をつき直し、さっき見ていたところへ指を戻した。俺は、彼女の手から目を離せなかった。

 

 外で、誰かが。

 

「セイバー」

 

 呼ぶと、彼女もこちらを見ていた。

 

「外を、確かめてきてくれ。遠坂たちに、ここのことも」

 

 セイバーは、部屋の奥へ目を向けた。それから入口と、そこへ続く足もとを確かめる。

 

「分かりました。二人とも、ここで待っていてください」

「ええ。こっちは、わたしが見ているわ」

 

 イリヤが答えた。セイバーの足音が、地下聖堂へ遠ざかる。俺はイリヤの横へ膝をついた。

 

 訊きたいことはあった。誰だったのか。イリヤの身体は、本当に大丈夫なのか。だが、彼女の手は、目の前の人へ向いていた。

 

「俺は、何をすればいい」

「向こうの人も、息をしているか見てきて。身体は動かさないでね」

 

 俺は頷いた。

 

     *

 

 いくつもの足音が戻ってきて、俺は顔を上げた。

 

「シロウ。アーチャーは無事です」

 

 入口から、セイバーの声がした。息が、少しだけ通った。

 

 その後ろで、別の声がする。

 

「そこ、段があるから。ゆっくりでいいわ」

「はい」

 

 遠坂と、桜だった。俺は立ち上がった。部屋を出ると、地下聖堂の入口に三人がいた。遠坂が桜の腕を支えている。桜の肩の掛け物は片側がずれ、端に土がついていた。

 

 桜は、俯いていた。一段を下りきるたび、少し間を置く。遠坂は急がせず、その歩幅に合わせていた。

 

 後ろに、アーチャーがいる。外套の裾が汚れていた。右の袖には血があり、左手を身体の近くへ置いている。

 

 その後ろには、誰もいなかった。

 

「桜」

 

 呼ぶと顔が上がった。目の縁が赤い。

 

「先輩」

 

 それだけ言って、桜は口を閉じた。

 

 俺は近づいた。手を貸そうとすると、遠坂が先に身体の向きを変えた。

 

「こっちで少し休みなさい。座れるところを――」

「姉さん。少し、待ってください」

 

 俺は足を止めた。遠坂も立ち止まり、桜の顔を覗き込んだ。

 

「苦しい?」

「足が、まだ。急に引かれると」

「引っ張ってないわよ。……ごめん。ここでいい?」

 

 桜が頷く。遠坂はすぐそばの長椅子を確かめ、桜をゆっくり座らせた。掛け物を肩へ寄せ直す。

 

 俺は、二人を交互に見た。

 

「……姉さん?」

 

 口にすると、遠坂が振り向いた。桜も、こちらを見る。

 

「遠坂と、桜が?」

「姉妹よ」

 

 遠坂が言った。俺はもう一度、桜を見た。桜は小さく頷いた。

 

 名字が違う。桜は学校では、遠坂先輩と呼んでいた。さっきまで、あの前庭でも。いくつも浮かんだ疑問が、うまく言葉にならなかった。

 

「詳しいことは、帰る時に話すわ」

 

 遠坂は桜へ向き直り、掛け物の端を膝へ下ろした。

 

「今は、こっちを先にしましょう」

 

 声に、急かす響きはなかった。俺は頷いた。

 

 入口の方を見ると、イリヤが顔を出していた。二人を見て、それから俺へ目を向ける。俺が何か知っていたわけじゃないと、伝わったらしい。イリヤは訊き返さず、桜の前へしゃがんだ。

 

「サクラ。どこか、新しく痛めた?」

 

 桜は首を振った。

 

「わたしは……」

 

 そこで、声が止まった。

 

     *

 

「ライダーは、消えたわ」

 

 遠坂は、桜の肩から手を離さずに言った。

 

 俺は、二人の後ろを見た。そこにいないことは、もう分かっていた。さっき、イリヤに起きたことも。それでも、言葉になるまでは、どこか別のところにいるのかもしれないと考えていた。教会の入口を見張っているとか。桜を下ろして、少し離れたところへ立っているとか。

 

「……桜は、そばに」

「いたわ。最後は、話せた」

 

 遠坂が答えた。

 

 桜の指が膝の上で動き、何かを握ろうとして、掛け物を掴んだ。

 

 何と言えばいい。

 

 ライダーは、桜を支えていた。俺たちが近づこうとするたび、その前へ立っていた。ついさっきまで、そこにいた。

 

「先輩」

 

 桜に呼ばれ、顔を戻した。

 

「あの人たちは、生きているんですよね」

 

 桜は奥の部屋へ目を向けていた。俺は頷いた。

 

「ああ。まだ、調べているところなんだ。動かしていいか分からないから、イリヤに診てもらってる」

 

 桜は、俯いた。

 

「そう、ですか」

 

 息が震えた。遠坂が、肩の掛け物を押さえ直す。桜は、その手を避けなかった。

 

 イリヤが立ち上がった。

 

「ここで休んでいて。サクラの方も、後でちゃんと診たいから」

 

 桜は顔を上げ、小さく頷いた。

 

 イリヤは俺を見た。赤い目が、一度だけ静かに動く。俺も頷いた。誰が彼女の中へ入ったのかを、ここで訊く必要はなかった。

 

     *

 

 遠坂へ、地下を見つけた経緯を話した。セイバーが臓硯を斬ったこと。臓硯が最後に、地下を見ろと言い残したこと。階段の先で、まだ生きている人たちを見つけたこと。

 

 遠坂は奥の部屋を覗き、すぐには何も言わなかった。戻ってきた顔から、血の気が引いていた。

 

「……ここに、こんなものを」

 

 低い声だった。俺は遠坂を見た。知っていたのか、という言葉は出なかった。彼女は部屋から目を離せずにいた。

 

「言峰は、まだ戻っていないのね」

「ああ。俺たちが来てからは、見てない」

 

 遠坂が、強く拳を握った。

 

 アーチャーが、地下聖堂の奥から戻ってきた。俺たちが話している間に、出入りする場所を確かめていたらしい。

 

「今のところ、他に動いているものはない」

「外は?」

「周囲は見た。神父の姿はなかった」

 

 遠坂は頷いた。

 

「セイバー、入口をお願い。わたしはイリヤと、少し見てくる」

「分かりました」

 

 セイバーが階段の方へ移った。遠坂は一度桜を見てから、奥の部屋へ入る。俺も続こうとした。

 

「待て」

 

 呼び止めたのは、アーチャーだった。

 

     *

 

 彼は壁際を見ていた。俺が床に置いた剣の細い刀身が、薄い霜の中に伸びている。

 

「それは、おまえが作ったのか」

「ああ」

 

 答えると、彼の目が俺の右手へ動いた。

 

「……ずいぶん握り締めたようだな」

 

 俺が指を開くと、少しだけ引き攣れた。

 

「蟲を止めるのに、必要だったんだ」

「必要だったことと、無茶をしたことは別だ」

 

 言い返そうとして、やめた。最後の方は、抜こうと思っても剣が抜けなかった。こんな腕の状態で言い返しても、説得力はなかった。

 

「城で見た剣か」

「ああ。壁に刺さって、周りが凍ったやつだ」

 

 アーチャーは刀身へ目を戻したが、すぐには触らなかった。

 

「昨夜、言ったことは思い出したか」

「輪郭と、材質と、内側の構造だろ。考えた。……それだけじゃなかったけど」

 

 剣が出来た時のことを、思い返す。形を思い浮かべた。その形を、どう作るのか。どうして、あの刃から冷たい力が出てくるのか。辿っていくと、見た時には分からなかったものまで、手の中へ入ってきた。

 

「握り方も、分かったんだ。どこへ刃を立てればいいかも。けど、分かっているのに、腕が遅れて」

 

 アーチャーは、俺の手を見た。

 

「剣の経験まで辿ったか」

 

 その言葉に、顔を上げる。

 

「あれは、そういうことなのか」

「おまえが持たぬものが、剣にはある。それを写し取ったのなら、扱いの手掛かりも得られるだろう」

 

 彼は、俺の右腕へ顎を向けた。

 

「だが、おまえの身体まで鍛え上がったわけではない。分かったつもりで振り回せば、先にそちらが壊れる」

 

 俺は腕を下ろした。そう言われても、あの時は使うしかなかった。けれど、使えたことだけ覚えていたら、次は同じようにいかないかもしれない。

 

「それで。次は、どうすればいい」

 

 訊くと、アーチャーはわずかに眉を上げた。

 

「まず、その腕を休めろ」

「……それは、分かってる」

「なら、忘れる前に考えておけ。作った時、何を思い描いた」

 

 俺は剣を見た。

 

「あれを、もう一度?」

「ここで作れとは言っていない。同じ一本を作るつもりで、頭の中を辿れ。どこまで捉え、どこから曖昧になったか」

 

 低い声だった。

 

「出来た、で済ませるな。おまえが確かめるべきものは、おまえ自身のイメージだ」

 

 俺は黙った。彼はもう、剣から目を離していた。その左手が、一度開いた。指の動きが、ひどく遅かった。

 

「おまえも、腕が」

「魔眼の影響が残っている。気にするなら、余分な仕事を増やすな」

 

 言って、右の袖を押さえる。その布にも、血がついていた。俺は、それ以上訊かなかった。

 

「……分かった。覚えておく」

 

 アーチャーは返事をせず、階段の方を見た。

 

     *

 

 上で、靴の音がした。セイバーが身を起こす。アーチャーも、こちらから離れた。俺は奥の部屋へ顔を向けた。

 

「遠坂」

 

 呼ぶと、彼女はもう入口へ来ていた。足音は、止まらなかった。壁に沿って、ゆっくり下りてくる。

 

「ずいぶんと、奥まで入ったものだ」

 

 声が聞こえた。言峰だった。階段の下へ姿を現し、セイバーのところで足を止める。黒い服の片側に、裂けた跡があった。左腕を動かした時、その下に白い布が見えた。だが、立ち方も、声も、いつもの神父と変わらなかった。

 

「綺礼」

 

 遠坂が言った。

 

「今まで、どこにいたの」

「昨夜、客に追い出されてな。戻ってみれば、別の客が地下にいる」

 

 言峰の目が俺たちの後ろへ動き、開いた入口を捉えた。その向こうにいる人たちまで、見通すように。

 

 俺は前へ出た。

 

「あの人たちに、何をしていた」

 

 言峰がこちらを見る。その顔には、驚きがなかった。

 

「見たのか」

「見た。生きてるのに、自分じゃ動けない。身体が、あそこから離れないんだ」

 

 声が大きくなった。

 

「おまえの教会だろ。知らなかったとは言わせないぞ」

 

 言峰は、奥へ目を向けた。

 

「知らぬとは言わん。私が管理していたものだ」

 

 返事を聞いて、思わず拳を握った。痛みが走っても、緩められなかった。

 

     *

 

「何のためにだ」

 

 俺は訊いた。言峰は、俺の拳へ一度目を落とした。

 

「魔力の供給に用いていた」

 

 短い言葉だった。一瞬、何を言われたのか、分からなかった。管がある。水を送って、身体をそこへ留めて。生きている人間を。

 

「……あんな状態にして、まだ取るのか」

 

 言峰は、答えなかった。

 

 遠坂が、俺の横へ来た。

 

「誰に供給していたの」

「その話をする前に、聞いておこう。おまえたちは、あの者たちをどうするつもりだ」

 

 遠坂の顔が強張った。

 

「質問に答えなさい、綺礼」

「話している間にも、時間は過ぎるぞ」

 

 俺は、もう一歩踏み出しかけた。セイバーの手が、横から出た。押し戻されたわけではない。俺の腕へ、指が触れた。

 

「シロウ」

 

 呼ばれて、奥を見る。イリヤが、部屋の入口に立っていた。

 

「身体と、周りの仕組みが繋がっているわ。すぐに外して運べる状態ではない」

 

 言峰へ向けた声だった。

 

「管理していたのなら、どこを外してはいけないかも知っているのでしょう」

「知っている」

「なら、説明して。あのまま引き剝がすわけにはいかない」

 

 言峰はイリヤを見た。

 

 俺は、自分の拳を見た。握っているだけだった。目の前の神父を殴っても、あの人たちを運び出せるようにはならない。そのことが、ひどく腹立たしかった。

 

「助けろ」

 

 俺は言った。

 

「あそこから出して、治療を受けられるようにしてくれ。おまえが、ここまでやったんなら」

 

 言峰は俺を見た。

 

「元通りになると、約束はできん」

「だから放っておけなんて、言ってないだろ」

 

 息を吸った。

 

「生きてるんだ。今、出来ることをしてくれ」

 

 言峰は、少しだけ黙った。それから、セイバーへ顔を向けた。

 

「通してもらおう。状態を見なければ、話も進まぬ」

 

 セイバーが俺を見た。頷くと、彼女は道を空けた。言峰が俺のそばを通って部屋へ入り、イリヤも続いた。

 

     *

 

 俺は、入口から言峰の手を見ていた。言峰は、最初の一人のそばへ屈んだ。身体と、その周りを確かめる。イリヤに何かを訊き、彼女が短く答えた。

 

 言峰の指が、俺たちには触れてよいか分からなかったところへ向かう。手順を知っている。見ていると、また腹の底が熱くなった。

 

「衛宮くん」

 

 遠坂が、隣に立った。

 

「あとで、どうなったか確かめるわ。引き受けさせたままで終わらせない」

 

 俺は彼女を見た。

 

「あいつに、任せていいのか」

「全部信用しろなんて言ってない」

 

 遠坂は、言峰の手もとを見ていた。

 

「ただ、引き受けた約束を投げる人間ではないわ。……それくらいは、知ってる」

 

 声は硬かった。俺は、もう一度奥を見た。イリヤが言峰の説明を聞き、別の場所を指していた。言峰が答える。彼女は頷いたが、言峰の手もとから目を離さなかった。

 

「綺礼」

 

 遠坂が呼んだ。

 

「この人たちの救助と、必要な処置。引き受けるのね」

 

 言峰は、顔を上げた。

 

「ああ。移すための手配もする。いま抱えて出すことは勧めん」

「分かってるわ。だから、ちゃんとやって」

 

 遠坂は、そこで口を閉じた。言峰は再び屈んだ。俺も、近くの人のそばへ戻った。水の落ちる音は、まだ続いていた。

 

     *

 

 しばらくして、言峰が立ち上がった。イリヤは、最後に診ていた人へもう一度触れ、ゆっくり手を離した。あの部屋には、まだ人がいる。動かさずにどう状態を保つか、移す前にどんな処置が必要かを、イリヤも確認した。その確認だけでも、俺にはずいぶん長く感じられた。

 

 言峰は手配の連絡をするため地上へ上がり、やがて戻ってきた。俺たちは、地下聖堂で待っていた。桜は長椅子に座っている。遠坂がそばへ戻り、短く言葉を交わした。アーチャーは階段の方が見える位置に立ち、左手を確かめるように、一度握って開いた。

 

 俺は壁際の剣を見た。まだ、そこにあった。作れた、で済ませるな。今は、その言葉を覚えておく。

 

 イリヤが、俺の隣へ来た。

 

「座らないの?」

「……もう少ししたら」

 

 答えると、彼女は俺の右手を見た。

 

「力、入ってるわ」

 

 俺は手を開いた。掌に、爪の跡が残っていた。

 

「すまん」

「謝る相手は、その手よ」

 

 イリヤはそれ以上言わず、そばに立った。言峰が、こちらへ来る。

 

「さて。地下に用があって訪ねてきたわけではあるまい」

 

 俺は顔を上げた。聞くために来た。桜を見つける前は、そのつもりだった。

 

「聖杯のことで、話がある」

 

 俺は言った。言峰の目が、こちらで止まった。

 

「続けろ」

 

 遠坂が顔を上げ、イリヤも神父へ向き直る。俺は奥の入口を一度見てから、言峰へ目を戻した。

 

「今の聖杯が、汚染されているって聞いた。そのことを、確かめたい」

 

 神父はしばらく俺を見てから、静かに頷いた。

 

「どこまで知った」

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