Fate/stay night IF BEYOND THE EVER 作:Мир
間桐、遠坂、アインツベルン。紙の上に並んだ三つの名前を前に、どこから話せばいいのか分からなくなった。
「……まず、線を引くわよ」
遠坂が紙の真ん中へ筆記具を置いた。
「三つの家が何を担当したかって話と、今、桜の身体に何が起こっているかって話は別。混ぜると収拾がつかなくなるもの」
「もう、なりかけてる気がするけどな」
「まだ何も始めてないでしょうが」
怒られた。遠坂は紙を少し回し、三つの名前の下に、それぞれ書き込む場所を取った。
「それから、あのお爺さんの話は、確認した事実じゃない。ここを間違えると危ないわ」
「はい」
桜は布団の上に上体を起こし、背中に枕を当てたまま頷いた。さっきより声はしっかりしているが、膝の上に置いた手は少し冷たそうだった。イリヤがそれを見て、掛け物を引き上げる。
「つらくなったら、途中でも休むのよ。サクラがいないところで勝手に決めたりしないから」
「……ありがとうございます」
桜は掛け物を自分の手で押さえた。俺は壁際に置いた湯呑みのうち、桜の分を彼女の手の届くところへ寄せた。
遠坂が、紙の一番左を指した。
「じゃあ間桐から。聞いた言葉と、自分で確かめたことを分けて話して」
桜は少し考えた後、口を開いた。
「お爺さまは……身体の中にあるものを、全部同じものだと思うな、と言いました」
遠坂が筆記具を動かす。
「蟲と、それで繋いだもの、だったわね」
「はい。蟲を取り除けばいい、という話ではないそうです」
「そこは、帰ってからの処置でも分かってるわ」
イリヤが言った。
「取り除けたものはあった。でも、身体の働きに入り込んでしまったところは、無理に引き剥がせなかったもの」
「……それを、あの爺さんは知ってたわけね」
遠坂の声が少し硬くなった。桜が俯きかける。
「悪い。続けて、桜」
俺が言うと、桜は顔を上げた。
「……命令を伝えるものと、命令が通る道も、同じではないって」
「それは、お爺さんが言ったこと?」
「はい。でも、その先は……わたし、うまく分からなくて」
遠坂は紙へ『命令/経路』と書いたが、まだ、どちらにも丸はつけなかった。
「じゃあ、ここはあいつがそう言っただけね。何を指してるのかは、これから確かめるわ」
「……すみません」
「謝らなくていいって。分からないところを分かったふりされた方が困るのよ」
桜は少しだけ目を丸くして、それから頷いた。
俺は、並んだ二つの単語を見た。命令と、道。機械なら、どこで指示を出して、どの配線で伝えるのかを分けて辿れる。土蔵で修理をする時にも、スイッチだけ見て済むとは限らない。だが、俺は桜の身体の中で何がどう繋がっているかを見たわけじゃない。似た話だと思っただけで、分かったことには出来なかった。
「桜。その……お爺さんが、今も何か命令してくる感じはあるのか?」
桜は胸元へ手をやった。
「今は、ありません。でも、前にも……自分では決めたつもりなのに、どこかで決まっていたみたいなことはありました」
教会で、桜が帰れないと言った時の声が蘇った。
「それは、今ここで詳しく話さなくていいわ」
遠坂が筆記具を置いた。
「身体のことを確かめるために、嫌だったことを全部言わせる必要はない」
桜はしばらく姉を見ていた。
「……はい」
少し遅れて返事があった。
*
「次はわたしね」
イリヤが紙を引き寄せた。
「シロウ、さっきの続きよ。小聖杯は、何をするものだった?」
「倒されたサーヴァントの魂を集める。大聖杯とは別の、器の方だな」
「そう。それだけじゃないけど、今はそこが大事」
イリヤは小さな丸を描いた。
「わたしは正規の小聖杯。英霊の魂を受け取って、儀式で使える形に管理するために作られているの」
それから、少し離れたところにもう一つ丸を描く。
「でも、今はサクラにも、同じ役割をさせる仕組みがある」
桜がその丸を見つめた。
「……わたしも、聖杯なんですよね」
「ええ。ただし、わたしと同じものになったわけじゃないわ。元からそう作られた身体と、後から組み込まれた仕組みは違うもの」
イリヤは、自分と桜を表す二つの丸に、それぞれ別の線を引いた。
「それに、集まったものが何でも好きに取り出せるわけじゃない。わたしたちは、中にいる人をそのまま眠らせてる箱じゃないもの」
桜が、掛け物の端を握った。イリヤもそれに気づいたようだった。
「……ごめん、サクラ」
「いいえ」
桜は首を振る。
「ライダーが、ここに戻ってこないことは……分かっています」
小さな声だった。俺は何も言えなかった。遠坂も、すぐには筆記具を動かさなかった。桜は少ししてから、自分で続けた。
「でも、だから知りたいんです。わたしの中で何が起こっていたのか。あの影が、何をしたのか」
イリヤが頷いた。
「分かった。じゃあ、分かっているところまで話すね」
説明は、さっきより慎重になった。桜の影に取り込まれた魂と、イリヤが正規の経路で収容した魂。行き先は違う。桜の身体が今も苦しいことと、それらの魂を何かに利用できるかどうかも、すぐには結び付かない。誰の中に何人分の魂があるかだけで、今すぐ何が動くかが決まるわけではない。
さっきまで俺の隣で笑っていた彼女が、今は自分自身のことを説明している。俺が紙に目を落とすと、イリヤは横から手を伸ばした。
「シロウ、聞いてる?」
「聞いてる。……イリヤの方は大丈夫なのかと思ってた」
「うん、今のところはね。でも、この先もずっと平気だとは言えないわ」
俺は頷いた。
「なら、そこも確かめないとな」
「そうね。わたしの身体のことも、一緒に考えてね」
言い終わると、イリヤは俺の手の甲を一度だけ叩いた。笑いかけると、彼女も少し笑ってくれた。
*
遠坂が、二つの丸の間に指を置いた。
「今の説明で、はっきりしたことが一つあるわ。器が二つあるからといって、都合よく中身を移せるわけじゃないってこと」
「……桜からイリヤに全部移す、なんてことも出来ないんだな」
「今のところ、そんな方法はないわ」
イリヤが首を振った。
「それに、移したとしても、大聖杯がどうなるかとは別の話になる」
「その大聖杯だけど」
遠坂が紙をさらに広げた。
「ここは、うちの家の話ね」
遠坂は二つの小さな丸から少し離して、大きな丸を一つ描いた。
「小聖杯は器。大聖杯は、土地を使って組まれた儀式の基盤。英霊を呼び出すための仕掛けも、集めた力を使う仕掛けも、全部が誰かの身体に収まっているわけじゃない」
冬木の地下に、巨大な仕掛けがある。何度聞いても、実感が湧かなかった。
「遠坂の家が、その土地を用意したんだよな」
「そう。土地と、孔へ至るための秘術。細かい仕組みをわたしが全部把握してるって意味じゃないけど」
遠坂は大きな丸の縁をなぞった。
「重要なのはここ。桜を小聖杯として使う経路があっても、大聖杯そのものが桜の中に入ってるわけじゃない」
イリヤが頷く。
「うん。そこは同じ考えよ」
遠坂は細い線を一本描いた。
「桜との結び付きを切れば、桜は助かるかもしれない。でも、それだけで大聖杯の中の問題が消える?」
「……消えない、と思う」
桜が答えた。遠坂は顔を上げた。
「なぜ?」
「お爺さまは、わたしの身体の話はしました。でも、聖杯の中から何かがいなくなるなんて、一度も言っていません」
「そうね」
遠坂は紙に短い印をつけた。
「それは証明じゃない。けど、あいつがわざわざ身体と接続を分けた理由としては考えられる」
イリヤが大きな丸を見た。
「アンリ・マンユを取り込んだことで、大聖杯はその存在に込められた願いを受け入れてしまった。後から集まる力も、その願いを叶えるために使われている……」
俺は口を開きかけて、止めた。言峰からは、分離なんて出来ないと言われた。あいつも何でも知っているわけではない。そう思っていても、簡単な問題じゃないことくらいは分かる。
「……イリヤ。それって、桜と繋がってなくても続くのか?」
彼女はすぐに答えなかった。
「少なくとも、桜との接続を切っただけで終わる、とは思わないわ」
遠坂が紙に二本目の線を描く。
「そう。切る場所が違うのよ」
紙の上には、大きな丸へ伸びる線と、その内側に残る線がある。桜の身体に入ったものを全部取り出しても、大聖杯の中のものが消えるとは限らない。じゃあ、止めるにはどうすればいい。ひどく嫌な感じがした。作業中に、動かしてはいけない機械が動き始めた時に似ている。どこへ手を入れていいのか分からないまま、音だけが大きくなる。
「……まず、止められないのか」
気づいたら、口にしていた。遠坂がこちらを見た。
「何を?」
「大聖杯の方。いきなり壊したり切り離したりするんじゃなくて、動くのを一旦止める」
「簡単に言うわね。どうやって?」
「いや、そこが分からないんだけどさ」
俺は頭を掻いた。
「命令されたことをずっと続けてるんだろ。なんか、映画に出てくる暴走コンピュータみたいだなって」
遠坂は首を傾げた。
「映画?」
「ほら、人間の命令を聞いてたはずなのに、途中から止まらなくなるやつ。……説明が悪いか」
「十分に悪いわ」
遠坂は即答した。その時、障子の向こうから声がした。
「……暴走というより、AIエージェントだな」
誰かと思う必要もなかった。あの皮肉っぽい声を、ほかの誰が出す。
*
障子が開き、アーチャーが姿を見せた。遠坂は目を細くした。
「……あんた、いつから聞いてたのよ」
「大聖杯の話になったあたりからだ。外の警戒はセイバーに引き継いだ。必要なら私も呼ばれるだろうと思っていたのでね」
「なら、声くらいかけなさい」
「悪かった。だが、話の途中で割り込むのも無粋だろう」
「今、割り込んでるでしょうが」
まったくその通りだった。アーチャーは部屋の入口で足を止めた。桜がいるのを見て、少しだけ表情を改める。
「間桐桜。無理をしていないか」
「……大丈夫です。座っていられますから」
「そうか。なら、私も参加して構わないかな」
桜は遠坂を見た後、自分で頷いた。
「はい。お願いします」
アーチャーはそれ以上、何も言わずに部屋へ入った。遠坂が紙の反対側を空ける。
「それで? さっき、何て言ったの?」
「AIエージェントだ」
「えーあい、えーじぇんと?」
「人工知能を使って、与えられた目的のために作業を進める仕組みのことだ」
遠坂が顔をしかめた。
「使い魔の話?」
「違う。……いや、似ている部分はあるが」
「どっちよ」
「話を聞けば分かる」
そこまで言ったアーチャーは紙の上の線を見て、珍しく考え込むような顔になった。
「簡単な例えのつもりだったのだがね。……仕方がない。まず、何を任せる機械なのか、そこから説明しよう」
嫌な予感がした。遠坂も同じことを思ったらしい。
「……待ちなさい。あんた、何を説明する気?」
「生成AIなら、人間の指示に応じて文章や画像を作る。文章の要約や、手順の提案をさせるわけだ」
「せいせい……何?」
「生成AI」
「聞き直してるんじゃないわよ。どういう仕組みなの、それ」
アーチャーは平然と続けた。
「大量の情報から言葉同士の関係や文脈を学習し、入力に応じて新たな応答を作る。大規模言語モデル――LLMを使うものもある」
「えるえるえむ」
遠坂が今度はゆっくり繰り返した。
「悪いけど、一つ質問していい?」
「もちろん」
「わたし、今までの人生で、その言葉を一度も聞いたことがないんだけど」
「……そうか」
アーチャーが初めて、少しだけ言葉に詰まった。イリヤが楽しそうに顔を上げる。
「ねえ、アーチャー。いつの人生の話をしてるの?」
「一般的な技術の話だ」
「一般的?」
遠坂が繰り返した。
「わたしの知ってる一般と、ずいぶん違うみたいね」
「未来の技術を扱った、SFの類だよ」
アーチャーはさも当然という調子で言った。遠坂は少し間を置いてから、頷いた。
「なるほど。そういう言い訳なのね」
「納得してくれたようで何よりだ」
「してないわよ!」
イリヤが笑う。桜も、掛け物へ顔を伏せて、小さく息を漏らした。俺は、その隙にもう一度訊いた。
「それで、どうして聖杯がそのエージェントってやつに似てるんだ?」
「そこへ戻ろう」
アーチャーがこちらを見た。
「生成AIに質問して答えが返ってくるだけなら、間違った答えが返ってきても、それを使わずに済む。だが、AIエージェントに外部の道具を使う権限まで与えたら、話が変わる」
「外部の道具?」
「文書を作る、記録を書き換える、連絡を送る、品物を注文する。そうした操作を、指示の実行として自分で進めるんだ。人間が最初に目的を告げ、途中の手順は機械が選ぶ」
俺は、ようやく少し分かった。
「つまり、頼んだ後は勝手に仕事を進めるのか」
「任せ方次第だ。一つ進めるたびに人間が確かめてもいいし、限られた仕事だけを任せてもいい。だが、答えを出させるのと、実際に何かを変えさせるのは別だ。その違いは覚えておきたまえ」
「……それは、使い魔と何が違うのよ」
遠坂が、まだ納得のいかない様子で言う。
「主人が命じる。使い魔が動く。言葉を伝えるだけの使い魔もいれば、実際に物を運ぶものもいる。似たようなものじゃない」
「似ているさ」
アーチャーはあっさり認めた。
「だから例えになる。ただし、人工知能は英霊でも魂でもない。学習した情報と与えられた条件に従って処理する仕組みだ。少なくとも、今話している種類についてはな」
「ふうん。便利そうじゃない」
「便利だとも。だから難しい」
アーチャーは紙へ伸ばしかけた手を止め、遠坂を見る。
「借りても?」
「どうぞ。どうせ後でまとめ直すから」
遠坂から筆記具を受け取ると、アーチャーは紙の余白に四角を三つ描き、『目的』『判断』『実行』と書き込んだ。
「仮に『部屋をきれいにしろ』と命じたとしよう」
「……随分と平和な例だな」
「分かりやすいだろう」
アーチャーは俺を一瞥した。
「その機械が、床の物を片づけて、埃を掃き、窓を拭くなら問題は少ない。だが、『きれい』を床に何もないことだと解釈して、机も本も全部捨ててしまったら?」
「それは困る」
「命令が足りなかったわけだ。何を残すか、何を動かしていいか、どこまで任せるか。そういう条件を決めずに仕事をさせた」
イリヤが首を傾げた。
「でも、それなら言い直せばいいじゃない。机は捨てちゃ駄目って」
「捨てる前ならな」
アーチャーは『実行』の四角を軽く叩いた。
「捨てた後で停止命令を出しても、机は戻らない。取り消す手段が別に必要になる」
「……あ」
俺は思わず声を漏らした。土蔵で壊れた器具を修理したことは何度もある。異音がしているなら、まず電源を切る。だが、焼けた部品が勝手に元へ戻るわけじゃない。
「……聖杯も、止めたからって元に戻るわけじゃないんだな」
「そう。さらに言えば、止める命令が届くことと、仕事が実際に止まることも違う」
遠坂が、怪訝そうに目を上げた。
「言うことを聞くはずの機械でしょう?」
「そう設計されていれば、な。だが、外部の道具へ仕事を渡していれば、その道具は動き続けるかもしれない。別の作業が既に予約されている場合もある。命令を聞いている部分だけを止めても、実行中の処理が残る」
遠坂は眉間へ指を当てた。
「ちょっと待って。機械の話なのに、なんでそんなに面倒なのよ」
「多くのものが繋がって働くからだ。一つの頭が全部を動かしているとは限らない」
遠坂が、紙に描かれたイリヤ、桜、大聖杯の丸を見た。アーチャーも同じところを見ている。
「ここからが、本題だ」
本人は涼しい顔をしている。いや、待て。今までの話は本題じゃなかったのか。
「命令の受付を止めれば終わり、ではない。新しい作業を禁じる。実行中のものを止める。外へ与えた権限を取り上げる。済んだ仕事を戻すなら、その手段も要る」
アーチャーは指を折って数えた。
「どれも違う操作だ。一つやっただけで残りまで済んだことにするのが、最も危険な勘違いだよ」
俺は紙を見直した。遠坂が引いた二本の線。桜の身体と、大聖杯の内側。
「……じゃあ、桜の方を切っても」
「大聖杯側の処理が走り続ける可能性がある」
遠坂が、俺の続きを引き取った。その声が、さっきより低くなった。
「命令を受けた側に、まだ仕事が残っていたら……」
「そういうことだ」
アーチャーは頷いた。イリヤが紙を少し引き寄せる。
「大聖杯は、アンリ・マンユを取り込んだ時点で、その存在に込められた願いを受け入れている。サクラとの接続を切るだけで、その願いまで取り消せるわけじゃない」
「だから、サクラを助けるために切る場所と、大聖杯の働きを止める場所は違うの」
イリヤが続けると、遠坂は自分の描いた線の一つに印をつけた。
「待って。じゃあ、切ることだけ考えても駄目なのね」
誰もすぐには答えなかった。遠坂は自分で続ける。
「桜を切り離した瞬間、大聖杯の方がどう動くか分からない。もう別のものが動いてるなら、そっちを先に抑えなきゃいけない」
イリヤが、ゆっくり頷いた。
「そう思う」
「だったら先に、そっちの動きを押さえる手段が必要だわ」
紙の真ん中に、『先に抑える』という小さな文字が増えた。
「アーチャー。聖杯が、その……生成AIってやつだって言いたいのか?」
「まさか」
即答だった。
「聖杯に文章を作らせているわけでも、機械の知能が育ったわけでもない。自分で目的を選び直す意思があるとも限らん。例えにしているのは、命令を受け取る部分と、実際に現実へ作用する部分とが分かれ得る、という構造だけだ」
「……なるほど」
「似ているからといって、同じものにするな。例えを聞いただけで、聖杯の仕組みまで分かった気になられては困る」
言い方は癪だが、そこは反論できなかった。分かったつもりで手を出して、困るのは桜たちだ。
「それと、もう一つ」
アーチャーが言った。遠坂が嫌そうな顔になった。
「まだあるの?」
「ある。目的と命令の話だ」
嫌な予感が、今度は確信に変わった。
「命令を間違えずに実行する機械なら、安全なんじゃないのか?」
俺は言った。止める方法さえあれば、あとは人間の言う通りに動いてくれる。そういうものなら、むしろ扱いやすいと思った。だが、アーチャーは首を振った。
「『間違えずに』というのが曲者でね。与えられた文章を、与えた人間と同じ意味で受け取っているとは限らない」
「意味?」
「『部屋をきれいに』というだけでは、何を残すかは伝わらない。人間同士なら普段の暮らしを見て察するか、聞き直すかする。だが機械が何を良しとして動くかは、別に設計しなければならない」
遠坂は紙の端に、自分で『目的』と書き足した。
「要するに、言葉が曖昧だと余計なことをするわけね」
「それだけではない。命令をはっきりさせたつもりでも、指定した目標と本当に望んだ結果が違うことがある。『できる限り早く片づけろ』と言われれば、丁寧さを犠牲にして速度だけを上げるかもしれない」
「そんなの、下手な使用人と一緒じゃない」
「だからこそ、使用人ならどう教え、どう止め、どう責任を持つかという話にもなる」
アーチャーはそこまで言って、少し黙った。
「……いや。人間の使用人には、その者自身の判断と事情がある。同じにしてはいけないな」
俺が顔を向けると、アーチャーはもう普段の顔に戻っていた。
「ともかく、目的と手段が食い違う問題がある。そうした食い違いを起こさないようにする考え方を、アライメントと呼ぶこともある」
「……また出た」
遠坂が呻いた。
「今度は何語?」
「整合、一致、といった意味だよ」
「最初からそう言いなさいよ!」
イリヤが口元を押さえて笑う。
「リン、もう諦めたら?」
「諦めるも何も、笑ってないで、あんたからもアーチャーに何か言ってやってよ!」
「わたしのじゃないわよ」
イリヤはそう答えてから、俺の方へ少し寄った。
「ね、シロウ」
「……そこで俺を見るのか?」
「うん」
ずいぶん堂々としている。遠坂は俺たちを一瞥したが、今度はからかわなかった。紙に書き込む方が忙しいらしい。
「で、その人工知能って、どのくらい頭がいいの?」
イリヤが訊いた。
「性能による。行動を任せられることと、賢さも別だ」
「聖杯より?」
「比較する尺度がないな。聖杯は願望器だ。知能の高さを競う相手ではない」
「じゃあ、ものすごく賢いものになったら?」
「人工超知能――ASIという概念もある。人間を大きく超える知性を想定した分類だ。もっとも、それがあるからといって、主人の望みを自動的に理解してくれるという話にはならない」
「えーえすあい……」
遠坂が筆記具を置いた。
「アーチャー」
「何だね」
「今の話、どこまでが映画の内容で、どこからがあんたの知識なの?」
「……どちらも、古い読み物の受け売りだよ」
「古い?」
「言葉の綾だ」
遠坂はじっとアーチャーを見た。俺は二人を見比べた。何を疑っているのかは分からないが、どうもこの手の話になると、アーチャーは妙に説明が細かい。魔術の訓練では、あれほど必要最低限しか教えてくれなかったくせに。
「……アーチャー。お前、普段からそのくらい詳しく説明してくれればいいのに」
「おまえにはまだ、説明したところで理解できないことが多いのでね」
「今の方がよっぽど分からなかったぞ」
「だろうな」
悪びれもしない。遠坂はしばらく睨んでいたが、やがて片手を振った。
「もういい。えーあいでも何でも、今の話から使えるのは、停止と取り消しが違うってこと。それから、実行してる場所を確かめる必要があるってことね」
「そうだ」
「なら、聖杯の話に戻すわ」
ようやく本筋へ戻った。……いや、もうずいぶん前から本筋だったのかもしれない。