Fate/stay night IF BEYOND THE EVER   作:Мир

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第三十三話 三つの家(前編)

 間桐、遠坂、アインツベルン。紙の上に並んだ三つの名前を前に、どこから話せばいいのか分からなくなった。

 

「……まず、線を引くわよ」

 

 遠坂が紙の真ん中へ筆記具を置いた。

 

「三つの家が何を担当したかって話と、今、桜の身体に何が起こっているかって話は別。混ぜると収拾がつかなくなるもの」

 

「もう、なりかけてる気がするけどな」

「まだ何も始めてないでしょうが」

 

 怒られた。遠坂は紙を少し回し、三つの名前の下に、それぞれ書き込む場所を取った。

 

「それから、あのお爺さんの話は、確認した事実じゃない。ここを間違えると危ないわ」

「はい」

 

 桜は布団の上に上体を起こし、背中に枕を当てたまま頷いた。さっきより声はしっかりしているが、膝の上に置いた手は少し冷たそうだった。イリヤがそれを見て、掛け物を引き上げる。

 

「つらくなったら、途中でも休むのよ。サクラがいないところで勝手に決めたりしないから」

「……ありがとうございます」

 

 桜は掛け物を自分の手で押さえた。俺は壁際に置いた湯呑みのうち、桜の分を彼女の手の届くところへ寄せた。

 

 遠坂が、紙の一番左を指した。

 

「じゃあ間桐から。聞いた言葉と、自分で確かめたことを分けて話して」

 

 桜は少し考えた後、口を開いた。

 

「お爺さまは……身体の中にあるものを、全部同じものだと思うな、と言いました」

 

 遠坂が筆記具を動かす。

 

「蟲と、それで繋いだもの、だったわね」

「はい。蟲を取り除けばいい、という話ではないそうです」

「そこは、帰ってからの処置でも分かってるわ」

 

 イリヤが言った。

 

「取り除けたものはあった。でも、身体の働きに入り込んでしまったところは、無理に引き剥がせなかったもの」

 

「……それを、あの爺さんは知ってたわけね」

 

 遠坂の声が少し硬くなった。桜が俯きかける。

 

「悪い。続けて、桜」

 

 俺が言うと、桜は顔を上げた。

 

「……命令を伝えるものと、命令が通る道も、同じではないって」

 

「それは、お爺さんが言ったこと?」

「はい。でも、その先は……わたし、うまく分からなくて」

 

 遠坂は紙へ『命令/経路』と書いたが、まだ、どちらにも丸はつけなかった。

 

「じゃあ、ここはあいつがそう言っただけね。何を指してるのかは、これから確かめるわ」

「……すみません」

「謝らなくていいって。分からないところを分かったふりされた方が困るのよ」

 

 桜は少しだけ目を丸くして、それから頷いた。

 

 俺は、並んだ二つの単語を見た。命令と、道。機械なら、どこで指示を出して、どの配線で伝えるのかを分けて辿れる。土蔵で修理をする時にも、スイッチだけ見て済むとは限らない。だが、俺は桜の身体の中で何がどう繋がっているかを見たわけじゃない。似た話だと思っただけで、分かったことには出来なかった。

 

「桜。その……お爺さんが、今も何か命令してくる感じはあるのか?」

 

 桜は胸元へ手をやった。

 

「今は、ありません。でも、前にも……自分では決めたつもりなのに、どこかで決まっていたみたいなことはありました」

 

 教会で、桜が帰れないと言った時の声が蘇った。

 

「それは、今ここで詳しく話さなくていいわ」

 

 遠坂が筆記具を置いた。

 

「身体のことを確かめるために、嫌だったことを全部言わせる必要はない」

 

 桜はしばらく姉を見ていた。

 

「……はい」

 

 少し遅れて返事があった。

 

     *

 

「次はわたしね」

 

 イリヤが紙を引き寄せた。

 

「シロウ、さっきの続きよ。小聖杯は、何をするものだった?」

「倒されたサーヴァントの魂を集める。大聖杯とは別の、器の方だな」

「そう。それだけじゃないけど、今はそこが大事」

 

 イリヤは小さな丸を描いた。

 

「わたしは正規の小聖杯。英霊の魂を受け取って、儀式で使える形に管理するために作られているの」

 

 それから、少し離れたところにもう一つ丸を描く。

 

「でも、今はサクラにも、同じ役割をさせる仕組みがある」

 

 桜がその丸を見つめた。

 

「……わたしも、聖杯なんですよね」

「ええ。ただし、わたしと同じものになったわけじゃないわ。元からそう作られた身体と、後から組み込まれた仕組みは違うもの」

 

 イリヤは、自分と桜を表す二つの丸に、それぞれ別の線を引いた。

 

「それに、集まったものが何でも好きに取り出せるわけじゃない。わたしたちは、中にいる人をそのまま眠らせてる箱じゃないもの」

 

 桜が、掛け物の端を握った。イリヤもそれに気づいたようだった。

 

「……ごめん、サクラ」

「いいえ」

 

 桜は首を振る。

 

「ライダーが、ここに戻ってこないことは……分かっています」

 

 小さな声だった。俺は何も言えなかった。遠坂も、すぐには筆記具を動かさなかった。桜は少ししてから、自分で続けた。

 

「でも、だから知りたいんです。わたしの中で何が起こっていたのか。あの影が、何をしたのか」

 

 イリヤが頷いた。

 

「分かった。じゃあ、分かっているところまで話すね」

 

 説明は、さっきより慎重になった。桜の影に取り込まれた魂と、イリヤが正規の経路で収容した魂。行き先は違う。桜の身体が今も苦しいことと、それらの魂を何かに利用できるかどうかも、すぐには結び付かない。誰の中に何人分の魂があるかだけで、今すぐ何が動くかが決まるわけではない。

 

 さっきまで俺の隣で笑っていた彼女が、今は自分自身のことを説明している。俺が紙に目を落とすと、イリヤは横から手を伸ばした。

 

「シロウ、聞いてる?」

「聞いてる。……イリヤの方は大丈夫なのかと思ってた」

「うん、今のところはね。でも、この先もずっと平気だとは言えないわ」

 

 俺は頷いた。

 

「なら、そこも確かめないとな」

「そうね。わたしの身体のことも、一緒に考えてね」

 

 言い終わると、イリヤは俺の手の甲を一度だけ叩いた。笑いかけると、彼女も少し笑ってくれた。

 

     *

 

 遠坂が、二つの丸の間に指を置いた。

 

「今の説明で、はっきりしたことが一つあるわ。器が二つあるからといって、都合よく中身を移せるわけじゃないってこと」

「……桜からイリヤに全部移す、なんてことも出来ないんだな」

「今のところ、そんな方法はないわ」

 

 イリヤが首を振った。

 

「それに、移したとしても、大聖杯がどうなるかとは別の話になる」

 

「その大聖杯だけど」

 

 遠坂が紙をさらに広げた。

 

「ここは、うちの家の話ね」

 

 遠坂は二つの小さな丸から少し離して、大きな丸を一つ描いた。

 

「小聖杯は器。大聖杯は、土地を使って組まれた儀式の基盤。英霊を呼び出すための仕掛けも、集めた力を使う仕掛けも、全部が誰かの身体に収まっているわけじゃない」

 

 冬木の地下に、巨大な仕掛けがある。何度聞いても、実感が湧かなかった。

 

「遠坂の家が、その土地を用意したんだよな」

「そう。土地と、孔へ至るための秘術。細かい仕組みをわたしが全部把握してるって意味じゃないけど」

 

 遠坂は大きな丸の縁をなぞった。

 

「重要なのはここ。桜を小聖杯として使う経路があっても、大聖杯そのものが桜の中に入ってるわけじゃない」

 

 イリヤが頷く。

 

「うん。そこは同じ考えよ」

 

 遠坂は細い線を一本描いた。

 

「桜との結び付きを切れば、桜は助かるかもしれない。でも、それだけで大聖杯の中の問題が消える?」

 

「……消えない、と思う」

 

 桜が答えた。遠坂は顔を上げた。

 

「なぜ?」

「お爺さまは、わたしの身体の話はしました。でも、聖杯の中から何かがいなくなるなんて、一度も言っていません」

 

「そうね」

 

 遠坂は紙に短い印をつけた。

 

「それは証明じゃない。けど、あいつがわざわざ身体と接続を分けた理由としては考えられる」

 

 イリヤが大きな丸を見た。

 

「アンリ・マンユを取り込んだことで、大聖杯はその存在に込められた願いを受け入れてしまった。後から集まる力も、その願いを叶えるために使われている……」

 

 俺は口を開きかけて、止めた。言峰からは、分離なんて出来ないと言われた。あいつも何でも知っているわけではない。そう思っていても、簡単な問題じゃないことくらいは分かる。

 

「……イリヤ。それって、桜と繋がってなくても続くのか?」

 

 彼女はすぐに答えなかった。

 

「少なくとも、桜との接続を切っただけで終わる、とは思わないわ」

 

 遠坂が紙に二本目の線を描く。

 

「そう。切る場所が違うのよ」

 

 紙の上には、大きな丸へ伸びる線と、その内側に残る線がある。桜の身体に入ったものを全部取り出しても、大聖杯の中のものが消えるとは限らない。じゃあ、止めるにはどうすればいい。ひどく嫌な感じがした。作業中に、動かしてはいけない機械が動き始めた時に似ている。どこへ手を入れていいのか分からないまま、音だけが大きくなる。

 

「……まず、止められないのか」

 

 気づいたら、口にしていた。遠坂がこちらを見た。

 

「何を?」

「大聖杯の方。いきなり壊したり切り離したりするんじゃなくて、動くのを一旦止める」

 

「簡単に言うわね。どうやって?」

「いや、そこが分からないんだけどさ」

 

 俺は頭を掻いた。

 

「命令されたことをずっと続けてるんだろ。なんか、映画に出てくる暴走コンピュータみたいだなって」

 

 遠坂は首を傾げた。

 

「映画?」

「ほら、人間の命令を聞いてたはずなのに、途中から止まらなくなるやつ。……説明が悪いか」

 

「十分に悪いわ」

 

 遠坂は即答した。その時、障子の向こうから声がした。

 

「……暴走というより、AIエージェントだな」

 

 誰かと思う必要もなかった。あの皮肉っぽい声を、ほかの誰が出す。

 

     *

 

 障子が開き、アーチャーが姿を見せた。遠坂は目を細くした。

 

「……あんた、いつから聞いてたのよ」

「大聖杯の話になったあたりからだ。外の警戒はセイバーに引き継いだ。必要なら私も呼ばれるだろうと思っていたのでね」

「なら、声くらいかけなさい」

「悪かった。だが、話の途中で割り込むのも無粋だろう」

「今、割り込んでるでしょうが」

 

 まったくその通りだった。アーチャーは部屋の入口で足を止めた。桜がいるのを見て、少しだけ表情を改める。

 

「間桐桜。無理をしていないか」

「……大丈夫です。座っていられますから」

「そうか。なら、私も参加して構わないかな」

 

 桜は遠坂を見た後、自分で頷いた。

 

「はい。お願いします」

 

 アーチャーはそれ以上、何も言わずに部屋へ入った。遠坂が紙の反対側を空ける。

 

「それで? さっき、何て言ったの?」

「AIエージェントだ」

「えーあい、えーじぇんと?」

「人工知能を使って、与えられた目的のために作業を進める仕組みのことだ」

 

 遠坂が顔をしかめた。

 

「使い魔の話?」

「違う。……いや、似ている部分はあるが」

「どっちよ」

「話を聞けば分かる」

 

 そこまで言ったアーチャーは紙の上の線を見て、珍しく考え込むような顔になった。

 

「簡単な例えのつもりだったのだがね。……仕方がない。まず、何を任せる機械なのか、そこから説明しよう」

 

 嫌な予感がした。遠坂も同じことを思ったらしい。

 

「……待ちなさい。あんた、何を説明する気?」

 

「生成AIなら、人間の指示に応じて文章や画像を作る。文章の要約や、手順の提案をさせるわけだ」

 

「せいせい……何?」

「生成AI」

「聞き直してるんじゃないわよ。どういう仕組みなの、それ」

 

 アーチャーは平然と続けた。

 

「大量の情報から言葉同士の関係や文脈を学習し、入力に応じて新たな応答を作る。大規模言語モデル――LLMを使うものもある」

 

「えるえるえむ」

 

 遠坂が今度はゆっくり繰り返した。

 

「悪いけど、一つ質問していい?」

「もちろん」

「わたし、今までの人生で、その言葉を一度も聞いたことがないんだけど」

 

「……そうか」

 

 アーチャーが初めて、少しだけ言葉に詰まった。イリヤが楽しそうに顔を上げる。

 

「ねえ、アーチャー。いつの人生の話をしてるの?」

「一般的な技術の話だ」

「一般的?」

 

 遠坂が繰り返した。

 

「わたしの知ってる一般と、ずいぶん違うみたいね」

 

「未来の技術を扱った、SFの類だよ」

 

 アーチャーはさも当然という調子で言った。遠坂は少し間を置いてから、頷いた。

 

「なるほど。そういう言い訳なのね」

「納得してくれたようで何よりだ」

「してないわよ!」

 

 イリヤが笑う。桜も、掛け物へ顔を伏せて、小さく息を漏らした。俺は、その隙にもう一度訊いた。

 

「それで、どうして聖杯がそのエージェントってやつに似てるんだ?」

 

「そこへ戻ろう」

 

 アーチャーがこちらを見た。

 

「生成AIに質問して答えが返ってくるだけなら、間違った答えが返ってきても、それを使わずに済む。だが、AIエージェントに外部の道具を使う権限まで与えたら、話が変わる」

「外部の道具?」

「文書を作る、記録を書き換える、連絡を送る、品物を注文する。そうした操作を、指示の実行として自分で進めるんだ。人間が最初に目的を告げ、途中の手順は機械が選ぶ」

 

 俺は、ようやく少し分かった。

 

「つまり、頼んだ後は勝手に仕事を進めるのか」

「任せ方次第だ。一つ進めるたびに人間が確かめてもいいし、限られた仕事だけを任せてもいい。だが、答えを出させるのと、実際に何かを変えさせるのは別だ。その違いは覚えておきたまえ」

 

「……それは、使い魔と何が違うのよ」

 

 遠坂が、まだ納得のいかない様子で言う。

 

「主人が命じる。使い魔が動く。言葉を伝えるだけの使い魔もいれば、実際に物を運ぶものもいる。似たようなものじゃない」

 

「似ているさ」

 

 アーチャーはあっさり認めた。

 

「だから例えになる。ただし、人工知能は英霊でも魂でもない。学習した情報と与えられた条件に従って処理する仕組みだ。少なくとも、今話している種類についてはな」

 

「ふうん。便利そうじゃない」

「便利だとも。だから難しい」

 

 アーチャーは紙へ伸ばしかけた手を止め、遠坂を見る。

 

「借りても?」

「どうぞ。どうせ後でまとめ直すから」

 

 遠坂から筆記具を受け取ると、アーチャーは紙の余白に四角を三つ描き、『目的』『判断』『実行』と書き込んだ。

 

「仮に『部屋をきれいにしろ』と命じたとしよう」

「……随分と平和な例だな」

「分かりやすいだろう」

 

 アーチャーは俺を一瞥した。

 

「その機械が、床の物を片づけて、埃を掃き、窓を拭くなら問題は少ない。だが、『きれい』を床に何もないことだと解釈して、机も本も全部捨ててしまったら?」

 

「それは困る」

「命令が足りなかったわけだ。何を残すか、何を動かしていいか、どこまで任せるか。そういう条件を決めずに仕事をさせた」

 

 イリヤが首を傾げた。

 

「でも、それなら言い直せばいいじゃない。机は捨てちゃ駄目って」

 

「捨てる前ならな」

 

 アーチャーは『実行』の四角を軽く叩いた。

 

「捨てた後で停止命令を出しても、机は戻らない。取り消す手段が別に必要になる」

 

「……あ」

 

 俺は思わず声を漏らした。土蔵で壊れた器具を修理したことは何度もある。異音がしているなら、まず電源を切る。だが、焼けた部品が勝手に元へ戻るわけじゃない。

 

「……聖杯も、止めたからって元に戻るわけじゃないんだな」

 

「そう。さらに言えば、止める命令が届くことと、仕事が実際に止まることも違う」

 

 遠坂が、怪訝そうに目を上げた。

 

「言うことを聞くはずの機械でしょう?」

「そう設計されていれば、な。だが、外部の道具へ仕事を渡していれば、その道具は動き続けるかもしれない。別の作業が既に予約されている場合もある。命令を聞いている部分だけを止めても、実行中の処理が残る」

 

 遠坂は眉間へ指を当てた。

 

「ちょっと待って。機械の話なのに、なんでそんなに面倒なのよ」

 

「多くのものが繋がって働くからだ。一つの頭が全部を動かしているとは限らない」

 

 遠坂が、紙に描かれたイリヤ、桜、大聖杯の丸を見た。アーチャーも同じところを見ている。

 

「ここからが、本題だ」

 

 本人は涼しい顔をしている。いや、待て。今までの話は本題じゃなかったのか。

 

「命令の受付を止めれば終わり、ではない。新しい作業を禁じる。実行中のものを止める。外へ与えた権限を取り上げる。済んだ仕事を戻すなら、その手段も要る」

 

 アーチャーは指を折って数えた。

 

「どれも違う操作だ。一つやっただけで残りまで済んだことにするのが、最も危険な勘違いだよ」

 

 俺は紙を見直した。遠坂が引いた二本の線。桜の身体と、大聖杯の内側。

 

「……じゃあ、桜の方を切っても」

 

「大聖杯側の処理が走り続ける可能性がある」

 

 遠坂が、俺の続きを引き取った。その声が、さっきより低くなった。

 

「命令を受けた側に、まだ仕事が残っていたら……」

 

「そういうことだ」

 

 アーチャーは頷いた。イリヤが紙を少し引き寄せる。

 

「大聖杯は、アンリ・マンユを取り込んだ時点で、その存在に込められた願いを受け入れている。サクラとの接続を切るだけで、その願いまで取り消せるわけじゃない」

 

「だから、サクラを助けるために切る場所と、大聖杯の働きを止める場所は違うの」

 

 イリヤが続けると、遠坂は自分の描いた線の一つに印をつけた。

 

「待って。じゃあ、切ることだけ考えても駄目なのね」

 

 誰もすぐには答えなかった。遠坂は自分で続ける。

 

「桜を切り離した瞬間、大聖杯の方がどう動くか分からない。もう別のものが動いてるなら、そっちを先に抑えなきゃいけない」

 

 イリヤが、ゆっくり頷いた。

 

「そう思う」

 

「だったら先に、そっちの動きを押さえる手段が必要だわ」

 

 紙の真ん中に、『先に抑える』という小さな文字が増えた。

 

「アーチャー。聖杯が、その……生成AIってやつだって言いたいのか?」

 

「まさか」

 

 即答だった。

 

「聖杯に文章を作らせているわけでも、機械の知能が育ったわけでもない。自分で目的を選び直す意思があるとも限らん。例えにしているのは、命令を受け取る部分と、実際に現実へ作用する部分とが分かれ得る、という構造だけだ」

 

「……なるほど」

 

「似ているからといって、同じものにするな。例えを聞いただけで、聖杯の仕組みまで分かった気になられては困る」

 

 言い方は癪だが、そこは反論できなかった。分かったつもりで手を出して、困るのは桜たちだ。

 

「それと、もう一つ」

 

 アーチャーが言った。遠坂が嫌そうな顔になった。

 

「まだあるの?」

 

「ある。目的と命令の話だ」

 

 嫌な予感が、今度は確信に変わった。

 

「命令を間違えずに実行する機械なら、安全なんじゃないのか?」

 

 俺は言った。止める方法さえあれば、あとは人間の言う通りに動いてくれる。そういうものなら、むしろ扱いやすいと思った。だが、アーチャーは首を振った。

 

「『間違えずに』というのが曲者でね。与えられた文章を、与えた人間と同じ意味で受け取っているとは限らない」

 

「意味?」

「『部屋をきれいに』というだけでは、何を残すかは伝わらない。人間同士なら普段の暮らしを見て察するか、聞き直すかする。だが機械が何を良しとして動くかは、別に設計しなければならない」

 

 遠坂は紙の端に、自分で『目的』と書き足した。

 

「要するに、言葉が曖昧だと余計なことをするわけね」

 

「それだけではない。命令をはっきりさせたつもりでも、指定した目標と本当に望んだ結果が違うことがある。『できる限り早く片づけろ』と言われれば、丁寧さを犠牲にして速度だけを上げるかもしれない」

 

「そんなの、下手な使用人と一緒じゃない」

「だからこそ、使用人ならどう教え、どう止め、どう責任を持つかという話にもなる」

 

 アーチャーはそこまで言って、少し黙った。

 

「……いや。人間の使用人には、その者自身の判断と事情がある。同じにしてはいけないな」

 

 俺が顔を向けると、アーチャーはもう普段の顔に戻っていた。

 

「ともかく、目的と手段が食い違う問題がある。そうした食い違いを起こさないようにする考え方を、アライメントと呼ぶこともある」

 

「……また出た」

 

 遠坂が呻いた。

 

「今度は何語?」

「整合、一致、といった意味だよ」

「最初からそう言いなさいよ!」

 

 イリヤが口元を押さえて笑う。

 

「リン、もう諦めたら?」

「諦めるも何も、笑ってないで、あんたからもアーチャーに何か言ってやってよ!」

「わたしのじゃないわよ」

 

 イリヤはそう答えてから、俺の方へ少し寄った。

 

「ね、シロウ」

「……そこで俺を見るのか?」

「うん」

 

 ずいぶん堂々としている。遠坂は俺たちを一瞥したが、今度はからかわなかった。紙に書き込む方が忙しいらしい。

 

「で、その人工知能って、どのくらい頭がいいの?」

 

 イリヤが訊いた。

 

「性能による。行動を任せられることと、賢さも別だ」

 

「聖杯より?」

「比較する尺度がないな。聖杯は願望器だ。知能の高さを競う相手ではない」

 

「じゃあ、ものすごく賢いものになったら?」

 

「人工超知能――ASIという概念もある。人間を大きく超える知性を想定した分類だ。もっとも、それがあるからといって、主人の望みを自動的に理解してくれるという話にはならない」

 

「えーえすあい……」

 

 遠坂が筆記具を置いた。

 

「アーチャー」

「何だね」

「今の話、どこまでが映画の内容で、どこからがあんたの知識なの?」

 

「……どちらも、古い読み物の受け売りだよ」

「古い?」

「言葉の綾だ」

 

 遠坂はじっとアーチャーを見た。俺は二人を見比べた。何を疑っているのかは分からないが、どうもこの手の話になると、アーチャーは妙に説明が細かい。魔術の訓練では、あれほど必要最低限しか教えてくれなかったくせに。

 

「……アーチャー。お前、普段からそのくらい詳しく説明してくれればいいのに」

 

「おまえにはまだ、説明したところで理解できないことが多いのでね」

 

「今の方がよっぽど分からなかったぞ」

 

「だろうな」

 

 悪びれもしない。遠坂はしばらく睨んでいたが、やがて片手を振った。

 

「もういい。えーあいでも何でも、今の話から使えるのは、停止と取り消しが違うってこと。それから、実行してる場所を確かめる必要があるってことね」

 

「そうだ」

 

「なら、聖杯の話に戻すわ」

 

 ようやく本筋へ戻った。……いや、もうずいぶん前から本筋だったのかもしれない。

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