Fate/stay night IF BEYOND THE EVER   作:Мир

47 / 52
第三十四話 願いへ届く準備(後編)

「次、魔力ね」

 

 遠坂は、二つに分けた紙のうち片方を新しく広げた。紙には俺とセイバーの名前があり、その前にイリヤの名前が置かれている。矢印はイリヤから俺へ、俺からセイバーへ続いていた。

 

「今までの接続確認と、今日確かめることは違うわよ」

 

「分かってる。繋がってるかどうかじゃなくて、どれくらい流せるか、だろ」

 

「それだけじゃないわ。二つを同時に使ったらどうなるかも」

 

 イリヤが紙を指した。

 

「わたしからシロウへ渡して、シロウが使う。そこからさらにセイバーにも渡すの。同じ時にね」

 

「……なるほど」

 

 セイバーは庭に面したところで待っていた。先ほどまでの礼装試験と短刀の投影を見ていたが、今度は自分が試す側だ。

 

「シロウ。私のことは気にせず、まず自分の状態を伝えてください」

 

「ああ。でも、セイバーの方も無理するなよ」

 

「はい。負荷を上げる前に、必ず知らせます」

 

 セイバーは俺の返事を待っている。俺は頷き、自分の手の感覚をもう一度確かめた。イリヤが俺の隣へ来る。

 

「手、貸して」

 

 左手を差し出すと、彼女はその手を包んだ。繋いである経路を通り、身体の内側へ細い流れが届く。

 

「……来た」

 

「うん。最初はいつもくらいね」

 

 魔力が回る。以前なら無理に押し開こうとしていたところへ、外から力が届く。ありがたいが、こっちが受け止めきれる量まで増えたわけじゃない。

 

「遠坂。今のはどうだ?」

 

「安定してる。まずは自分で、簡単な強化をしてみて」

 

 言われたとおり小さな木片を手に取り、輪郭を確かめて魔力を通す。強化は成立した。いつもより余裕がある気がしたが、気のせいかもしれない。

 

「そこで止めて。……今は、確かにシロウの方で使えてるわ」

 

 イリヤが言った。遠坂が頷く。

 

「じゃあ、次はセイバーへ。急に量を増やさないでね」

 

 俺はセイバーの方へ意識を向けた。繋がっている道は、前からある。ただ、以前はそこへ通せるものが少なかった。セイバーが戦い続けるために、足りないものがあると分かっていても、どうにもならなかった。今は、イリヤから届いた分がある。自分の内側で乱さないように、道へ流す。

 

 セイバーが顔を上げた。

 

「……届いています」

 

 その声に、胸が少し軽くなった。

 

 遠坂は自分の用意した宝石に触れている。

 

「両方へ行ってる。けど、まだ軽い負荷ね」

 

「うん。増やす前に言うわ」

 

 イリヤが答えた。

 

 俺は手の中の木片を置いた。

 

「次は、こっちも少し使ってみる」

 

「何を?」

 

 イリヤが訊く。

 

「さっきの短刀を、もう一度」

 

「いいわ。でも、苦しくなったら、形にする前でもやめてね」

 

 俺は頷き、空いた右手を開いた。セイバーがゆっくり息を吸った。彼女の周囲の空気が、わずかに張り詰める。鎧の一部が魔力を受けて輪郭をはっきりさせ、すぐに落ち着いた。

 

「これ以上は?」

 

 セイバーが遠坂へ問いかける。

 

「少しなら。だけど、まだ宝具を使う必要はないわ。今日は魔力が届くかどうかを見てるんだから」

 

「承知しました」

 

 遠坂は少し考えてから、セイバーへ視線を向けた。

 

「もう一段だけ、負荷を重くしたい。鎧を維持したまま、短い間だけ魔力放出を高められる? 周囲へは出さないで」

 

「可能です。ただ、これだけで聖剣を解放した時の負荷まで確かめられるわけではありません」

 

「ええ。それでいい。ここで聖剣を撃つつもりはないもの」

 

 セイバーが頷いた。

 

「シロウ、負担が増します。違和感があればすぐに知らせてください」

 

「ああ。その間に、俺は短刀を作る」

 

 イリヤの指が、俺の手を軽く握った。

 

「次、少し増やすわよ」

 

「……ああ」

 

 流れが太くなり、思わず肩へ力が入った。俺は意識して息を吐く。セイバーへ届く量も増えたのが分かる。まずは、その流れを乱さないように意識を向けた。

 

 セイバーの足元で、衣擦れに似た小さな音がした。鎧が一度、強く輝く。その外へ力が漏れることはなかったが、彼女が短い間にまとった魔力量は、俺にも感じられた。その流れを保ったまま、頭の中で短刀の構造を辿る。さっきの手応えは、まだ残っている。

 

 魔力を引き出した瞬間、セイバーへ向かう流れがわずかに揺れた。思わず息を詰めかけ、ゆっくり吐く。あちらへ渡す分まで、こっちに引き込まない。開いた右手に、二本目の短刀が現れた。その間も、セイバーの鎧を包む力は途切れなかった。遠坂の宝石が光り、すぐに静かになる。

 

「……二つ、出来てたのか?」

 

「ええ。投影している間も、セイバーへの供給は続いていたわ」

 

 遠坂が答えた。

 

「ただ、あんたが短刀を出す瞬間、そっちの流れが少し揺れた。完全に別々の道みたいに使えるわけじゃないのよ」

 

 イリヤが俺を見る。

 

「変な感じ、ない?」

 

「少し熱い。でも痛くはない。さっきより、一度に考えることが多いな」

 

「分かった。これ以上は増やさないで」

 

 だが、イリヤの手にも力が入った。

 

「イリヤ」

 

「平気。……ううん、平気っていうより、今どのくらい渡してるか、ちゃんと分かってる」

 

「ならいい。でも、疲れたら言ってくれ」

 

「うん。シロウもね」

 

 遠坂の声がした。

 

「そこまで。いったん供給を普段の量まで戻しましょう」

 

 イリヤが流れを細くすると、セイバーもまとっていた魔力を抑えた。俺は短刀を見直し、手の中へ収めたまま息を吐いた。

 

「……どうだった?」

 

 遠坂はすぐには答えなかった。宝石と紙を見比べ、さらにイリヤとセイバーの顔を見てから口を開いた。

 

「思っていたより、ずっと余裕がある。セイバーへあれだけ回しながら、衛宮くんの投影にも応えられた。わたしが一人で二人分を支えるとしたら、このくらいの供給は欲しいところね」

 

 遠坂は紙に二本の線を引いた。

 

「単に経路が繋がってるだけじゃないわ。短い間なら、まとまった量を二人へ同時に回せるところまでは確かめられた。ただし、長時間や聖剣の全力解放まで試したわけじゃないから、そこは別よ」

 

「セイバーは?」

 

「戦うために必要な魔力の補充について、以前とは比べものにならないほど安定しています」

 

 セイバーが答えた。

 

「それに、シロウが同時に魔術を使っていても、供給が途絶えなかった。これは大きい」

 

 俺はイリヤを見た。彼女は少し疲れた顔をしていたが、胸を張っている。

 

「ほらね。繋いだだけじゃないでしょう」

 

「……ああ。すごいな、イリヤ」

 

 言うと、彼女は嬉しそうに笑った。

 

「もっと褒めてもいいのよ?」

 

「本当に助かった。俺一人じゃ、セイバーを支えながら剣を作るなんて出来なかった」

 

 イリヤは一度目を丸くした。それから、俺の手を握り直して笑った。

 

「ふふ。そうでしょう? だから、これからはちゃんと頼ってね」

 

「ああ。頼りにしてる」

 

「うん。それでよろしい」

 

 遠坂がこほん、と咳をした。

 

「上出来よ。そこは文句なし。ただし、今試した分だけだからね。いくらでも流せると思わないこと」

 

「ああ」

 

「特に、イリヤが礼装を使って大聖杯を制御する時。衛宮くんへの供給も、セイバーへの中継も、全部同時に続けることになるかもしれない」

 

 イリヤが遠坂を見る。

 

「そうね。どれを優先するか、決めておかなくちゃ」

 

 アーチャーが頷いた。

 

「魔力が足りるかだけではない。必要な時に必要な場所へ届くか、だ。今の試験で、少なくとも二つの経路が働くことは確かめられた」

 

 あいつは俺を見た。

 

「おまえも、魔力を受け取ったからといって気を大きくするなよ。出来るようになったのは補給だ。剣の扱いまで上達したわけではない」

 

「……それは、もう分かってるよ」

 

 手元の短刀は上手く作れた。けれど、相手が動いていたら。同じ場所へ正しく届かせられるのか。その答えは、ここで魔力がどれだけ流れても、まだ出せなかった。

 

     *

 

 桜が目を覚ましたと聞いたのは、試験を片づけてからだった。セラに案内されて部屋へ向かうと、桜は布団の上に起き、湯呑みを両手で持っていた。

 

「先輩。……お疲れさまです」

 

 俺は首を振った。

 

「まだ出かけたわけじゃないからな。桜の方はどうだ?」

 

「少し眠れました。さっきより、身体は楽です」

 

 そう言ってから、桜は遠坂とイリヤの方を見た。

 

「準備、進みましたか」

 

「進んだわよ。まだ確かめるところはあるけど」

 

 遠坂は桜の隣へ座り、書き込みをまとめた紙を広げた。

 

「何を作ったか、どこまで試したか、順に説明するわ。分からないところがあったら止めて」

 

 桜は頷いた。俺が持っていた包みへ、彼女の目が移る。

 

「それは……?」

 

「ああ。あの寺で見た短刀を、作ってみた」

 

「……契約を切るための、ですか」

 

「うん。でも、試したのは遠坂が用意した術だけだ。桜の身体に触れたわけじゃないし、これで全部うまくいくって分かったわけでもない」

 

 桜はしばらく包みを見つめてから、顔を上げた。

 

「……見ても、いいですか」

 

「もちろん。ただ、刃には触れないでくれ」

 

 包みを少し開き、短刀の柄と刃の一部だけを見せた。

 

 桜は息を吸った。

 

「……不思議な形ですね」

 

「ああ。普通の剣には見えないだろ」

 

「でも、これが……」

 

 その先を、桜は言わなかった。俺は短刀を包み直した。

 

「桜が決めるまで、勝手には使わない」

 

 そう言うと、彼女は俺を見た。

 

「……はい。ありがとうございます」

 

 遠坂が紙を指した。

 

「切る対象の方は、まだ本番での確認が要るわ。それから、桜の身体に残るものは別。ここも変わらない」

 

「……お爺さまのことも、ですよね」

 

 桜が言った。遠坂の目がわずかに険しくなる。

 

「ええ。あいつがまだ中にいることまで、短刀でどうにか出来るとは考えてない」

 

 イリヤが桜のそばへ寄った。

 

「痛いところや、変な感じがした時はちゃんと教えて。次へ進む前に必ず確かめるわ。無理だと分かったら、先の手順には進まないから」

 

「はい」

 

 桜は頷いたが、その顔に少し影が落ちた。遠坂がすぐに問いかける。

 

「どうしたの?」

 

「……いえ」

 

 桜は湯呑みを見下ろした。

 

「こういう時、ライダーがいたら……何て言うのかなって」

 

 誰も、すぐには答えなかった。桜の指が、湯呑みの縁を静かに撫でる。

 

「わたし、いつも考えるのを任せていたわけじゃないんです。でも、隣にいてくれたから。何か言おうとすると、ちゃんと聞いてくれて……」

 

 最後の方は声にならなかった。

 

 遠坂が、桜のすぐそばへ手を置く。

 

「……うん」

 

 それだけだった。俺には、ライダーの代わりに言えることなんてなかった。イリヤも何も言わず、桜が顔を上げるまで待っていた。やがて桜は息を吐き、遠坂の紙へ目を戻した。

 

「……ごめんなさい。続けてください」

 

「謝らなくていいわ。今、無理に続けなくてもいいんだから」

 

 遠坂が答える。

 

「それに、桜の身体の話なんだから。あんたが聞きたい時に聞けばいい」

 

 桜はしばらく黙っていた。

 

「……でも、今日は聞きたいです」

 

 桜は顔を上げ、小さいながらもはっきりした声で言った。

 

「わたしにも、何か出来ることがあるなら」

 

 イリヤが頷いた。

 

「あるわよ。サクラが今、どう感じてるか教えてくれるだけでも、大事なことだもの。それに、儀式の時は、自分の身体に何が起きたか分かるのはサクラ自身でしょう」

 

「……はい」

 

「でも、無理して見張り続けなくていいの。わたしたちも見るから」

 

 桜の口元が、少しだけ緩んだ。

 

「……分かりました」

 

 遠坂はそこで紙を畳んだ。

 

「じゃあ、説明はここまで。続きは状態を確かめながら。今日はもう一度休んでおきなさい」

 

 桜は抗議しかけたが、結局頷いた。俺は部屋を出る前に、振り返った。

 

「桜」

 

「はい、先輩」

 

「何かあったら、呼んでくれよ。もう、自分だけで抱えなくていいから」

 

 桜は少し驚いた顔をした。

 

「……先輩も、ですよ」

 

「え?」

 

「先輩こそ、何でも自分だけでしようとしますから」

 

 遠坂が小さく吹き出した。イリヤが、俺の袖を引く。

 

「ね。みんな見てるでしょう?」

 

「……分かったよ」

 

 何だか、どんどん言い返せなくなっている。けれど、それが少し嬉しいことも、もう隠す気にはなれなかった。

 

     *

 

「さて、最後に一つ、私から確認しておきたいことがあります」

 

 セイバーが口を開いたのは、皆がもう一度居間へ戻った時だった。手には剣がない。けれど、彼女がこちらを見た時、その場の空気が少し引き締まった。

 

「万一、儀式が予定どおりに進まなかった場合です」

 

 遠坂が紙を開いた。

 

「まずは新しい操作を止める。顕現の抑えは、保てる間は保って退避の時間を作る。そこまで無理になったら、すぐ退くわ」

 

「はい。ですが、それで収まらない場合も考えておくべきです」

 

 イリヤは静かに頷いた。

 

「大聖杯の方が、こっちの操作を受け付けなくなるかもしれないものね」

 

 セイバーが俺を見る。

 

「シロウ。私には、聖剣があります」

 

「……エクスカリバーか」

 

「はい」

 

 彼女はそこで言葉を区切った。

 

「魔力が足りるかどうかは、先ほどの試験で見通しが得られました。ですが、今回の場所では、戦いの最中に解放することはできません」

 

 俺は大聖杯のある地下を思い浮かべた。狭い場所。俺たちが入る通路。そこにある、壊してはいけないもの。

 

「……周りごと吹き飛ばしかねないからな」

 

「それだけではありません。私たちが守ろうとしているもの自体を破壊することになります」

 

 イリヤは口を閉じた。遠坂も頷く。

 

「正常化して願いを使うつもりで行くのに、途中で聖杯を壊したら元も子もないわ」

 

「では、どういう時なら使える?」

 

 アーチャーが訊いた。セイバーはすぐに答えた。

 

「全員の退避を確認した後です。制御が失われ、このままでは大聖杯の危険を止められないと判断した場合、私は残って聖剣による破壊を試みます」

 

「……それは」

 

 俺は言葉を失いかけた。セイバーは首を振った。

 

「成功する保証も、その後に何も起こらない保証もありません。ですが、危険が広がるのを見ているだけには出来ない」

 

「退路は?」

 

 アーチャーの問いに、彼女は一瞬考えた。

 

「現地で射線と足場を確かめます。退避する者たちの通路へ、聖剣の光を向けるわけにはいきませんから」

 

「君自身も含めて、逃げる算段をつけておけ。最後に残る者が無事だと決まっているわけではない」

 

 珍しく、アーチャーの声に皮肉がなかった。

 

「承知しています」

 

 セイバーが答えた。俺は手を握った。聖杯を壊せば、イリヤを救うために準備してきたものも失う。だから使いたくない。でも、それを理由に、何が起こっても続けようと言うわけにもいかない。

 

「……その時は、みんなで退くんだな」

 

「ええ。まずは全員の命を守ります」

 

 セイバーが頷く。イリヤはその顔を見た。

 

「わたしも、自分で動けるうちは退くわ。けど、動けなくなった時は……」

 

「私が運びます」

 

 セイバーが答えた。

 

「いいえ、あなたは最後に残る役でしょう?」

 

 イリヤはすぐに首を振った。

 

「シロウかアーチャーか、動ける人にお願いする。セイバーには、するべきことがあるもの」

 

 俺が口を開くより先に、イリヤがこちらを見た。

 

「シロウ。わたし、抱き上げられるだけの荷物じゃないからね。動ける時は、自分で動くわ」

 

「……分かってる」

 

「でも、動けない時はちゃんと頼む。だから、勝手に一人で残らないで」

 

 その言葉に、胸を突かれた。セイバーの話を聞いた時、俺はたぶん、最後に残って何か出来ないかと考えた。何をするのかも決めずに。

 

「……うん。約束する」

 

 イリヤは少しだけ目を細めた。

 

「ほんとに?」

 

「ああ。俺が無理して、イリヤたちが戻れなくなったら困る」

 

 答えると、彼女が頷いた。

 

「そう。困るのよ」

 

 遠坂は紙へ『制御不能――退避』と書き込み、その下に『仲間の離脱確認後、聖剣による破壊を試みる』と続けた。

 

「新しい操作は中断する。抑えを保てなければ退く。聖剣は、みんなが退いてから。……この順番ね」

 

「ええ」

 

 セイバーは、はっきりと答えた。

 

     *

 

「……まだあるわね」

 

 遠坂が最後の紙を取り出した。

 

「敵の話」

 

 アーチャーが腕を組んだ。

 

「ようやくそこへ戻るか」

 

「忘れてたわけじゃないわよ。こっちの準備が出来なきゃ、向こうに備えても始まらないでしょう」

 

 遠坂が紙の端へ『ランサー』と書き込むと、それを見ただけでセイバーの表情が変わった。

 

「……まだ、残っている」

 

 俺が言うと、遠坂が頷いた。

 

「しかも、誰のサーヴァントなのか分からない」

 

 以前、あいつは偵察のように衛宮邸へ現れた。セイバーとライダーが対応し、俺たちの様子を探って去っていった。あの時はその直後に真アサシンが現れ、考える余裕もなかった。あいつが何を調べ、誰へ報告しているのかは、いまだに分からない。

 

「聖杯へ向かうところを、見逃してくれるとは思わない方がいいわね」

 

「そうでしょう」

 

 セイバーが頷いた。

 

「あの槍の速さは侮れません。こちらが人数を揃えたからといって、簡単に退けられる相手ではありません」

 

「マスターが令呪を使う可能性もある」

 

 アーチャーが言う。

 

「居場所も、意図も分からん。こちらの予定を知られている前提でも、知られていない前提でも動けるようにしておくべきだ」

 

「……そのマスターに、こっちの動きがどこまで伝わってるかも分からないんだよな」

 

 俺の問いに、遠坂が頷いた。

 

「ええ。知られていないつもりで動くのは危ないわ」

 

 アーチャーはセイバーと視線を交わした。

 

「敵が来れば、まず私とセイバーが止める。おまえたちには、儀式のために残しておく仕事があるだろう」

 

「それで押さえきれなかったら?」

 

「その場で判断するしかない。初めから儀式担当を前へ出すな、というだけの話だ」

 

 イリヤが腕を組んだ。

 

「わたしだって戦えないわけじゃないわよ」

 

「知ってる」

 

 俺は答えた。

 

「だからこそ、何をするか決めておいた方がいいんだろ。イリヤにしか出来ないこともあるんだから」

 

 彼女が俺を見る。

 

「……うん。そうね」

 

 遠坂は紙の空いたところへ、短く書き足していった。セイバーとアーチャーは敵を止める。俺と遠坂は、必要ならその間に動く。イリヤと桜は儀式の準備を保ち、危険な場所から離れる。相手がどう出るか分からない以上、これ以上細かな約束は作れなかった。

 

「……あと、一つだけ」

 

 セイバーが言った。

 

「たとえ戦いに勝っても、私の役目が終わるわけではありません。大聖杯のところで、最後に聖剣を使える状態でいなければ」

 

「ああ。だから、ここで全部使い切らないようにする」

 

 俺が答えると、セイバーは頷いた。アーチャーが口を開いた。

 

「とはいえ、敵が手加減してくれるという期待は捨てておくことだ。温存したくても、全力を出さねば通れない場面はある」

 

「分かってるわよ」

 

 遠坂が紙を重ねた。

 

「だから、その時はその時。何も起きない前提の予定表だけ作って、安心した気にならないこと」

 

 アーチャーは笑った。

 

「よく分かっているじゃないか、凛」

 

「……あんたに言われると腹が立つわね」

 

 俺たちが動く間、あの槍を引き受けるのはセイバーとアーチャーだ。

 

     *

 

 ひととおり話が終わった時には、庭の色が変わっていた。いつの間にか日が傾いている。

 

 居間の端には、使った紙と道具が並んでいた。擬似礼装は銀糸が引っかからないよう布を掛けてある。二度目に投影した短刀も、最初の一本と分けて刃先を包んだ。どちらも簡単に消える様子はなかったが、持ち出すものを増やすほど扱いが難しくなる。保管する場所は俺が伝え、扱い方と使う前の確認はアーチャーと遠坂に相談した。礼装の投影部分についても、使う前にもう一度変化がないか確認することになった。

 

「エミヤ様」

 

 セラが盆を持って来た。

 

「皆様、お食事の前に少し休まれてはいかがでしょう」

 

「……もうそんな時間か」

 

「ずいぶん前から、そういう時間です」

 

 相変わらず容赦がない。

 

「桜は?」

 

「お休みになっています。目を覚まされたら、食べられるものをお持ちします」

 

「そっか。ありがとう」

 

 セラは一度頷き、イリヤの方へ視線を移した。

 

「お嬢様も。これ以上お続けになるのでしたら、わたくしからお止めします」

 

「もう終わったわよ、セラ。今日はね」

 

「でしたら結構です」

 

 イリヤは口を尖らせかけたが、すぐに俺を見る。

 

「ほら、シロウ。これでおしまい。ちゃんと休むのよ」

 

「イリヤもだろ」

 

「ええ。だから、一緒に休むの」

 

 当然のように言われて、返事に詰まった。遠坂が紙を持ったまま顔を上げる。

 

「……もう隠す気はまったくないのね、二人とも」

 

「隠すようなことじゃないでしょう?」

 

 イリヤは不思議そうに答えた。俺は、少し考えた。

 

「……ああ。俺も、イリヤと一緒にいたいし」

 

 遠坂の目が細くなる。

 

「……衛宮くん」

 

「何だよ」

 

「この人、たまに真っ直ぐすぎるのよね」

 

 イリヤの顔を見ると、さっきまで得意そうだった本人が、何故か目を逸らしていた。

 

「イリヤ?」

 

「……今のは、急に言うのずるい」

 

「え。だって本当だし」

 

「そういうところよ!」

 

 遠坂が堪えきれずに笑った。アーチャーは、卓の端へ使わない紙を片づけながら、小さく息を吐く。

 

「今日一番、扱いの難しいものがよく分かったな」

 

「……何だよ、それ」

 

「おまえに説明しても、また同じ結果になるだけだろう」

 

 あいつまで笑うのか。

 

 イリヤはようやく俺を見た。目が合うと、少しだけ口元を緩める。

 

「……でも、嬉しかった」

 

 小さな声だった。

 

「うん」

 

 俺も頷き、彼女の手を取った。今度は、誰かに言われる前に。

 

     *

 

 休むために縁側へ出ると、冷えた空気が頬に触れた。イリヤが隣へ腰を下ろす。俺もそこに座り、庭を見た。

 

 土蔵の戸は閉まっている。あそこにあるのは、教会から持ち帰った剣だ。一本だけ、まだ確かめなくてはいけない。セイバーが鍵を預かり、俺と一緒に見ようと約束してくれている。今日、用意した短刀とは違う。教会から持ち帰って以来、ずっと形を保っている剣。

 

「……次は、あれも見なくちゃな」

 

 俺が呟くと、イリヤが土蔵へ目を向けた。

 

「うん。セイバーとの約束があるものね」

 

「あと、出かける準備も」

 

「それから、帰って来てからのことも」

 

 顔を向けた。イリヤは庭を見たまま、俺の手を握り直した。

 

「買い物。約束したでしょう?」

 

「ああ。覚えてる」

 

「じゃあ、何を買うかはまだ決めないでね。二人で見るんだから」

 

「分かった。イリヤが選ぶの、楽しみにしてる」

 

 彼女が笑った。その笑顔を見ていると、今日使った魔力のことも、まだ残る敵のことも、少し遠くなった。それでも、全員で帰れるだろうかと考えると怖くなる。礼装も短刀も、まだ本番で使ったわけじゃない。

 

「シロウ」

 

 イリヤが呼んだ。

 

「なに?」

 

「さっきから、また難しい顔になってる」

 

 思わず、自分の頬に触れかけた。イリヤが笑う。

 

「大丈夫。全部考えるなって言ってるわけじゃないわよ」

 

「……うん」

 

「でも、今はここにいるでしょう?」

 

 彼女は繋いだ手を少し持ち上げた。指が触れ合っている。外から流れ込む魔力とは違う、ただの温かさだった。

 

「ああ。ここにいる」

 

「うん。それならいいわ」

 

 俺は、少しだけ肩の力を抜いた。

 

 次は、また剣を手に取る。その剣を使わずに済めばいいとは思わない。使わなければ届かないところがあるのも、もう分かっている。それでも、剣を握るためだけに今日の準備をしたわけじゃない。

 

 イリヤと買い物に行き、桜が自分の足で歩いて、またこの家でご飯を食べる。そんなことを、本当に続けられるようにするためだ。

 

 イリヤが肩を寄せてきたので、俺も彼女の方へ少し近づいた。

 

 土蔵の戸は、まだ閉まっていた。確かめるのは、次でいい。今はただ、二人で暮れていく庭を見ていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。