Fate/stay night IF BEYOND THE EVER 作:Мир
土蔵の鍵は、思ったより小さかった。セイバーが手のひらに載せて見せてくれたのは、ありふれた真鍮の鍵だった。俺がこの家で、何年も使ってきたものだ。それが他人の手にあるだけで、妙に落ち着かなかった。
「……預けっぱなしで悪かったな」
「いいえ。変わった様子はありませんでした。ですが、確かめるのでしょう?」
「ああ。今日こそな」
セイバーが頷いた。
昨日は、礼装と短刀の試験で日が暮れた。夕飯を食べた後も遠坂は紙を広げようとして、セラに止められた。俺も人のことは言えない。寝る前に短刀の様子をもう一度見に行こうとして、イリヤに袖を引かれた。結局、全員が休み、翌日の朝の片づけを終えたところで、ようやく土蔵へ向かうことになった。
「シロウ」
呼ばれて振り返ると、イリヤが廊下を歩いてきた。
「置いていくつもりだった?」
「いや。呼ぼうと思ってたところだ」
「本当に?」
「本当だって。……一緒に来るか」
「うん」
即答して、俺の隣へ来る。差し出された手を取った。指先は、まだ冷えていなかった。セイバーが少しだけ目を伏せた。
「何だ、セイバー」
「いえ。鍵を持っているのは私ですから、先に参りましょう」
そう言って歩き出す背中を追った。庭は昨日と同じだった。手入れの途中の木、踏み慣れた敷石、少し湿った土。土蔵だけが、朝の光の中で妙に重たく見えた。あそこにはまだ、俺が作った最初の一本がある。
*
鍵穴のあたりに手を当てると、金具は冷たかった。セイバーが鍵を回す。固い音を立てて閂が外れた。戸を引くと、土蔵の奥から空気が流れてきた。
「……お」
思わず声が出た。春先の水に手を浸したような、湿り気のない冷たさだ。外は寒いというほどではないのに、戸の向こうだけ季節が違う。
「増えてはいないようですね」
セイバーが床を見る。剣を置いた辺りに、白いものが見えた。踏み込むと、靴の下で小さく鳴る。霜だった。昨日より広がったかどうか、見ただけでは分からない。だが、土蔵全体が凍りついているわけでもなかった。
近づくと、剣は入口近くに空けた土間の、二つの煉瓦の上に横たわっていた。セイバーと二人で置いた時のままだ。俺は膝をついた。
「触る前に、下を見せて」
イリヤも隣に屈んだ。煉瓦の縁は白く曇っていた。指先を近づけたイリヤが、そこで止める。
「ここまでは冷えてる。でも、土間まで傷めてる感じはしないわ」
「土蔵の方は?」
「ずっと置いておけば、分からないわよ。だから、持っていく前に確かめるんでしょう?」
「ああ」
俺は右手を開き、閉じた。あの時は、紐を引くのにも苦労した。今は指が思ったとおりに動く。痛みもない。
「右手」
イリヤが言った。
「うん。もう普通に動く」
「よかった」
イリヤはそう言った後も、俺の手を見ていた。
「……ありがとう。あの時、無理するなって言ってくれて」
「言っただけじゃ、あんまり聞いてくれなかったけどね」
「それは……うん、悪かった」
素直に謝ると、イリヤは目を丸くした。
「シロウ、今日はどうしたの?」
「そんなに珍しいか?」
「ちょっとね」
笑われた。セイバーがすぐそばへ来た。俺は、煉瓦の上の剣へ目を戻した。柄から伸びる細い刀身。鈍い光を返す刃。その縁にはうっすらと白さがまとわりつき、刀身の下だけ空気がわずかに揺らいで見える。城の石壁に突き立っていたあの剣を、教会で俺が作り、使い、持ち帰った。その一本の形は変わっていなかった。
「……残ってる」
自分でも間の抜けた言い方だと思った。
「残しておいたんでしょう、シロウ」
「そうなんだけどさ」
イリヤはくすりと笑った。俺は柄へ手を伸ばした。セイバーが少しだけ位置を変え、刃先の前から退く。
握る。
冷たい。だが、握れないほどではない。掌にある重さも、教会で初めて持ち上げた時のものだった。あの時は、形にするだけで精一杯だった。思うように振るえず、イリヤの銀糸が蟲を捕まえた隙に、ようやく間に合わせた。今なら、この重さにどちらへ引かれるのか、少しだけ分かる。
慎重に立ち上がると、刀身に沿って白い息のようなものが流れた。
*
「……嫌なものだった?」
剣を見ていたイリヤに訊いた。
「何が?」
「これ。あの城で見た時は、俺たちを狙ってきたものだから」
イリヤは剣を見た。赤い目の中に、小さな白い刃が映る。
「嫌いだったわよ」
答えは、すぐに返ってきた。俺は口を閉じた。
「だって、あの時は怖かったもの。シロウもセイバーも危なかったし、バーサーカーだって……」
そこまで言って、イリヤは黙った。俺は剣を下げた。
「……ごめん」
「どうしてシロウが謝るの?」
「いや。わざわざ思い出させること、ないと思って」
「わたし、忘れてないわよ」
強い声ではなかった。イリヤは、少し間を置いてから続ける。
「だから、これはあの城の剣だって分かる。でも、教会でシロウが持った時は、わたしも手を貸したでしょう?」
「ああ」
「あの時は、これがあってよかったと思ったわ」
彼女は俺の右手を見た。
「すごく心配もしたけど」
「……ああ。それも覚えてる」
「なら、いいの」
イリヤは剣から目を離した。
「どこから持ってきたものかは変わらない。でも、今はシロウが使うんでしょう?」
「そうだ」
「だったら、次はちゃんと上手に使ってね」
そう言って笑った。俺は剣へ目を戻した。城で見たものを、教会で俺が作った。イリヤも手を貸してくれた、その一本を今日も持っていく。
「……ああ。そうする」
答えると、セイバーが一歩下がった。
「では、外で確認しましょう。ここで振るうには、少々狭い」
その声に、俺は剣を持ち直した。
*
庭の空いた場所へ移った。セイバーが距離を取り、俺の足元を見た。
「まず、構えてください」
「ああ」
剣を上げた途端、刃に気を取られた。
「足が止まっています」
セイバーの指摘は早かった。
「……まだ動いてないぞ」
「動き始める前から、止まっているのです」
言い返そうとして、やめた。右へ踏み出せるように立っていたつもりが、重心は後ろへ残っている。剣の重さを支えることに意識を使って、足を出す準備が出来ていなかった。
「もう一度」
セイバーが言った。俺は構え直した。彼女は手にした木の棒を、こちらの剣へ向けず、俺の肩から少し外したところへ突き出す。
「相手がここへ来たとしたら?」
「……退いて、横から剣を出す」
「それでは間に合わないでしょう。退く足を先に」
一歩下がると、足元の砂利が鳴った。
「そうです。剣の切っ先だけで距離を決めないこと」
彼女は、もう一度棒の位置を変えた。今度は最初の一歩が出た。だが、剣を動かしたところで手首が遅れた。セイバーはすでに棒を引いている。
「……駄目か」
「いえ。今の方がよい」
顔を上げる。
「足を出す判断は、先ほどより早かった。ただ、刃の重さを見積もっていません」
「……見積もりか」
「はい。使える剣だからといって、身体がそれに追いつくわけではない」
そう言いながら、セイバーは持っていた棒を下げた。
腕を下ろした。
「一回、考えていいか」
「もちろんです」
刀身の長さを見た。昨日作った短刀とは違う。刃先を少し動かすだけで、持つ手の方にも重さが戻ってくる。柄を握り直して肩の力を抜き、さっきと同じ動きを一つだけやり直した。今度は、剣の先が遅れなかった。
「はい」
セイバーが頷いた。その小さな頷きが、嬉しかった。
「……よし」
「ですが、ここまでにしておきましょう」
「え、まだそんなに」
「体力の問題だけではありません。冷気が敷石へ移っています」
足元を見れば、石の縁が白くなっていた。剣を振るたび、同じところへ冷たい空気が流れていたらしい。
「……悪い」
「今、気づけたのなら十分です。本番で初めて気づくよりは」
セイバーはそう言って、棒を置いた。俺は、霜のついた石を踏まないよう、足を移した。
*
「……なるほど。足が滑る前に気づいたのは、進歩と言っていいか」
声の方を見ると、縁側にアーチャーが立っていた。
「いつから見てた」
「おまえが足を止めて、剣だけを動かそうとしていたあたりからだ」
「最初からじゃないか」
「安心したまえ。改善したところも見ている」
そう言いながら庭へ下りてくる。アーチャーは霜のある敷石を避け、少し離れた場所から俺へ目を向けた。
「見せてみろ。その剣を」
柄の方を向けて渡すと、受け取ったアーチャーは刀身を傾けた。振りもしない。ただ、光の下でわずかに角度を変える。
「これが、教会で作ったものか」
「ああ。それからずっと消えてない」
「ふむ」
あいつの目が細くなる。
「……何だよ」
「おまえは、この剣が冷気を生むことを知っていた。だから敵を凍らせようとした。間違いではない」
「でも、それだけじゃ足りないんだろ」
「そうだな。たとえば、今ここでおまえが相手と斬り結んだとする」
アーチャーは剣を持ち上げず、切っ先だけを少し左へ向けた。
「相手が退けば、冷気が追うとは限らん。逆に、相手が踏み込んで来たなら、冷気が広がる前におまえの懐へ入っているかもしれない」
「……速い相手なら、そうなる」
「遅い相手でも油断は出来ん。よほどの間抜けでない限り、一度見た攻撃を同じようには受けてくれんからな」
そこでアーチャーは、刀身の下の空気を見た。
「冷えるのは、剣に触れたものだけではない。だが、影響する場所はおまえが思うほど都合よく選べないようだ」
「……石が凍った」
「見ていた。おまえの足元も、敵の足元も、同じ地面だ」
俺は敷石を見た。自分が踏まなければ済む話でもない。イリヤも、遠坂も、同じ地面を動く。
「じゃあ、立つ位置から決めないといけないのか」
「その通り。剣を振るより先に、どこへ足を置くかを考えることだ」
セイバーが横で頷いた。
「私も、その点を伝えようとしていました」
「だろうな」
アーチャーに返された剣を持ち直すと、重さが右腕に戻ってきた。
「あのさ。アーチャー」
「何だ」
「もし、これが使えなくなったら……どうすればいいと思う?」
折れるか、落とすか、相手に奪われるか。考えたくなくても、その時は来るかもしれない。アーチャーはすぐには答えなかった。
「おまえなら、どうする」
また質問で返された。
「……退く。まず、それ以上やられないようにして。別の手があれば、使う」
「別の手とは?」
「手近なものを強化するとか。……投影なら、もう一度」
最後の言葉で、あいつの眉が僅かに動いた。
「そうか。なら、最初に何が必要だ?」
「時間と、魔力」
「それだけか」
俺は考えた。教会であの剣を作った時は、形にするだけで精一杯だった。しかも、持って走るだけで重かった。使い方を確かめる間もなかった。
「……何を作るか、ちゃんと分かってること」
「悪くない」
アーチャーが答えた。思わず顔を上げる。
「今、褒めたか?」
「現時点ではな」
「……何だそれ」
「褒められて気が緩むようなら、取り消そうと思っている」
ひどい話だ。
「もう一度作るにしても、相手は待ってはくれません」
セイバーが言った。
「だから、武器が使えなくなった時のためにも、退く方向を考えておくことです」
「ああ」
俺は頷いた。アーチャーはそれ以上剣のことを言わず、庭の反対側へ目を向けた。
「おや。魔術師たちも揃ったらしいな」
*
遠坂は小さな箱を持っていた。イリヤは、その隣で銀色の細い線を指へ巻き直している。
「剣の具合、どう?」
遠坂に訊かれ、俺は氷剣を下げた。
「変わりないと思う。冷気も残ってる。ただ、扱いは……」
「まだまだって顔してるわね」
「そこまで言ってないだろ」
「言わなくても分かるわよ」
遠坂は俺の足元を見た。
「あー。霜。ちゃんと試したのね」
「今はもうやめた」
「なら結構。次はこっち。大がかりな攻撃はしないわよ」
遠坂が箱を開けると、中には小さな石と、色の鈍い宝石が一つあった。
「これ、使うのか?」
「もう魔力を使い切った石よ。これ以上、まともな術の弾にはならないわ。位置を合わせるために持ってきたの」
遠坂は箱から取り出した石を、庭の端へ二つ置いた。
「仮に、あそこから敵が来るとするでしょう?」
「ああ」
「わたしは距離を取って援護する。あんたはここ。イリヤはその後ろ」
「……わたしも決めていい?」
イリヤが口を挟んだ。
「もちろん。そっちの糸で、何が出来るか確かめたいもの」
「じゃあ、シロウはもう少し右へ」
「え?」
「そっちの方が線が届くわ。動いて」
言われるまま、俺は一歩動いた。イリヤが手首を返す。銀糸が細い線を描いて、庭の石の間を通った。真っ直ぐ伸びたかと思うと、途中で緩く輪になる。その輪の向こうに、遠坂が置いた石がある。
「ここを通る相手の足を止めるつもりなら、先に輪を置いておけるわ」
「けど、相手が飛び越したら?」
「もちろん、それも出来る。だから、わたしがずっと捕まえておくとは思わないでね。動く方向を変えるだけでも、シロウには少し時間が出来るでしょう?」
「……ああ」
「それを見て、わたしが援護を入れる」
遠坂が箱を軽く振った。
「衛宮くんが、そこから一人で全部決めようとしなくてもいいってこと」
「分かってる」
「本当に?」
今度は遠坂が言う。イリヤまで、笑ってこっちを見ていた。
「……二人とも、そこまで信用ないか」
「あるわよ」
イリヤが答えた。
「でも、シロウが自分だけで何とかしようとしたら、わたしたちの方が困るもの」
言われて、もう一度二人の立ち位置を見た。俺の後ろに、二人ともいる。そっちの援護が届く場所から、動くのだ。
「……じゃあ、一回やってみよう」
遠坂が頷いた。イリヤは銀糸の輪を作る。俺は剣を構える。ただし、刃は石の方へ向けたまま、必要以上に近づけない。
「行くわよ」
遠坂が足で転がした小石が動くと、銀糸の輪が狭まり、そこを通ろうとするものを絡め取るように閉じた。俺は半歩踏み込み、銀糸の輪から少し外れたところへ刀身を出した。冷たい空気が流れ、石の近くの地面が白く曇る。
「そこまで」
イリヤが言った。
俺は動きを止めた。すぐには剣を下げず、足元を見た。霜は、こちらまでは広がっていない。
「……どうだ」
「さっきよりいい」
セイバーが答えた。遠坂も頷く。
「ただし、わたしが本当に宝石を使う時は、今より速いわ。こっちの声ばかり待ってると間に合わない」
「なら、光が見えたら」
「見る前に身体を動かしてもらう時もあるわよ。そこは合図を決める」
俺たちは立ち位置を変えた。今度はイリヤの銀糸を先に置かず、声を合図にして動かす。二回目は俺が早く踏み込みすぎ、三回目は冷気が銀糸に近づきすぎた。
「ちょっと、シロウ。わたしの糸まで冷やさないでよ」
「悪い。風向きみたいなのがある」
「風向きじゃないわ。冷えた空気が落ちてるの」
イリヤは剣の下を指差した。
「ここを見れば分かるでしょう?」
確かに、白いものは刀身から真っ直ぐ飛んでいくわけではない。低いところへ流れ、地面を伝う。もう一度場所を変えてみる。遠坂は俺たちを見比べた。
「……なるほどね。こういうの、口で説明するよりずっと早いわ」
「何が?」
「誰の邪魔になるかってこと」
銀糸に近づきかけた冷気を見た。剣だけ見ていれば、気づかないところだった。アーチャーは少し離れたところから、その様子を見ていた。
「……何か言うことあるか?」
「今のところはない」
「それはそれで落ち着かないぞ」
「必要になれば、遠慮なく言うとも」
そう言ったあいつの目は、剣ではなく俺たち三人の立ち位置を追っていた。
*
「ねえ、シロウ」
合図の確認が終わった後、イリヤが指に残った銀糸を巻き取った。
「その剣、少し持っていてもらえる?」
「……俺が持つのが普通じゃないか?」
「そうじゃなくて。じっとしてて」
「ああ、うん」
俺は剣を下げ、柄を握ったまま動きを止めた。イリヤが一歩近づき、俺の手元を覗き込んで指先へ軽く触れた。
「魔力は?」
「今は……ちょっと使った。昨日ほどじゃない」
「うん。ちゃんと言えたわね」
彼女の指が、俺の手の甲を滑る。触れられて、俺たちの間を流れる魔力を意識した。昨日の試験の時のような強い流れではない。必要な分だけが静かに届いている。
「足りなくなったら言って。だからって、無理にたくさん流したりしないから」
「分かった。イリヤの方も、疲れたら言ってくれ」
「言うわよ。約束したでしょう?」
「ああ」
俺が答えると、イリヤは顔を上げた。
「……それにしても」
「何だ?」
「この剣、ちょっと悔しいわね」
「どうして」
「今はシロウがずっと持ってるんだもの。わたしも、さっきから手を取ろうと思ってたのに」
しばらく意味が分からず、剣を握った右手と、空いている左手を見比べた。
「……左なら空いてるぞ」
差し出すと、イリヤは少しだけ目を丸くした。
「じゃあ、こっちはわたしのね」
「手くらい、いつでもいいぞ」
「言ったわね、シロウ」
イリヤは笑って、俺の左手を取った。
「あとでやっぱり駄目って言っても、聞いてあげないんだから」
「ああ」
俺は握り返した。剣は右手にある。左手にはイリヤの指がある。これなら、どちらもちゃんと持てる。
……いや、今は剣をしまう方が先か。
「ちょっと待って。剣をしまってから、また手を繋ごう」
イリヤが笑った。
「うん。ちゃんと待ってあげる」
その向こうで、遠坂が大きく息を吐いた。
「……あんたたち、真面目な話をしてるのに、どうしてそうなるのよ」
「何だよ、遠坂。今のは魔力の確認だろ」
「最初の十秒くらいはね」
「……そこまで数えたのか」
「数えるまでもなかったわよ」
イリヤが、俺の手を握ったまま得意そうに言った。
「リンだって、ちゃんと聞いてくれてたんでしょう?」
「ええ。聞かなかったことにしたいくらいね」
遠坂はそう言いながら、少しだけ笑っていた。その笑い方を見て、俺もつられて笑った。
*
昼を回る頃、庭での確認は終わった。俺は剣をもう一度板で覆い、布を巻いていたが、教会から運んだ時に使った紐は少し固くなっていた。冷えて傷んだところは、引けば繊維が切れそうだった。
「これ、新しいのに替えよう」
言うと、リズが頷いた。
「持ってくる」
「悪い。紐は土蔵の棚にあるから」
「分かる。さっき見た」
リズは土蔵へ戻っていった。セラは剣から少し離れて、巻き方を見ている。
「布が濡れたら、また凍りますね」
「そうなんだ。刃に貼りつかないよう、板を挟んでる。……でも、手で運ぶだけで冷えてくる」
「お嬢様の衣類に触れないようになさってください」
「分かってるよ」
俺が答えると、セラは一度こちらを見た。
「エミヤ様の服も、です」
「……それも、分かってる」
言い終わる前に、イリヤが笑った。
「セラ、シロウのこと心配してくれてるのね」
「持ち運ぶ道具が周囲を傷めるようでは、困りますので」
相変わらずの返事だった。けれど、替えの布も用意してくれている。剣を包むためだけでなく、持っている間に冷えた場所を拭く布まであった。
「……ありがとう、セラ」
「お礼は、帰ってからお願い致します」
そう言って、セラは包みの端を押さえてくれた。リズが新しい紐を持って戻ってくる。リズと二人で結び直すと、刃の周囲に余計な隙間が出来ずに済んだ。持ち手を作ろうかとも思ったが、剣の柄を動かすと引っ掛かりそうだったのでやめた。
「これなら、移動中は大丈夫そうだな」
「『そう』、ですね」
セラは確認するように言った。
「ああ。途中で様子が変わったら、確かめるよ」
「そうしてください」
包みを持ち上げる。軽くはなかった。片手で長く運べば、どこかでぶつけるだろう。セイバーが手を差し出した。
「移動中は私も持ちます。必要になれば、すぐ受け取れるように」
「……助かる」
俺は包みを渡した。セイバーの手に渡ると、包みの揺れがぴたりと収まった。これなら俺も、道中は周りに気を配れる。
*
居間へ戻ると、遠坂が卓に細長い包みを二つ並べていた。
「衛宮くん。こっちも確認しといて」
薄い布の中に、短刀の柄の形が浮かんでいる。昨日、俺が投影したルールブレイカーだった。二本のうち一本目は、アーチャーに指摘された構造を直し、遠坂の札に触れて術を断ったものだ。二本目は、その構造を辿りながら、セイバーへの供給を強めたまま投影したものだった。
「両方、残ってたか」
「残ってる。片方だけ消えてたら、さすがに先に呼ぶわよ」
遠坂は包みをほどいた。形はよく似ている。異様に曲がった短い刃、薄い柄。どちらも、刃の付け根まで輪郭がはっきりしていた。俺が二本目を手に取ると、握った柄の先に短い刃の重さが落ち着いた。
「……昨日、最初の一本を直した時と、同じ感じだ」
「じゃあ、こっちも働きを確かめましょう」
遠坂は新しい札を二枚取り出し、卓へ並べた。指が線をなぞると、二枚の間に薄い手応えが生まれる。
「昨日と同じ術よ。これを断って」
俺は繋がりを確かめ、術のかかった片方の札へ、短刀の刃をそっと触れさせた。手応えが抜ける。遠坂が一枚を持ち上げても、もう片方からは反応が返らなかった。
「……こっちも切れてるわね」
遠坂は二枚の札を確かめてから、俺へ目を戻した。
「でも、握った感じだけで判断しないで。人の身体に使おうって道具なのよ」
遠坂の声が少し硬くなった。俺は刃先を見た。人を傷つけるだけでなく、魔術的なものまで断ってしまう短刀だ。
「桜との繋がりは、まだ本番で確かめるんだよな」
「そう。あの子の身体に何が通っているかは、わたしとイリヤが最後に確認する。ここで試した札と、桜自身は違うんだから」
俺は頷き、短刀を布へ戻した。
「……一本は、予備か」
「予備にも出来る。でも、刃の側へ別の礼装を詰め込むのはやめましょう。運んでいる間に何に触れるか分からないもの」
遠坂は、俺が持つ一本と予備に回す一本を、それぞれ別の包みに入れ直した。
「二本とも、無理に持とうとしなくてもいいわよ」
「でも、俺が投影したものだし」
「だからこそ。何かあった時、どこに何があるか他の人も分かるようにした方がいい」
俺が二本とも抱えて動けなくなったら、予備まで取り出せなくなる。俺は片方を受け取った。
「じゃあ、もう一本は遠坂が持っててくれ。俺が動けなくなっても、取り出せるように」
「分かった。予備はわたしが持っていく。宝石とは別にしておくわ。ただし、予備があるからって、最初の一本を雑に扱うんじゃないわよ」
「そんなつもりはないぞ」
「念のためよ」
遠坂が笑った。イリヤもそこへ来て、短刀の包みを覗き込む。
「シロウが持つのはどっち?」
「二本目。今、こっちも札で確かめた」
「うん。それならいいと思うわ」
彼女は俺が包みをしまうのを見届けてから、卓の端を指した。
「次は、わたしの番ね」
*
擬似礼装は、朝から布をかけられたままだった。イリヤがそれを持ち上げる。昨日は、出来上がるまでに何度も調整していた。銀糸の線が不自然なところへ寄り、アーチャーが作り直し、遠坂が魔力の流れを変えた。今は、その跡が整えられている。衣そのものというより、白い布を中心に、銀色の線と小さな金具が働きを受け持つ礼装だった。形だけ見ても、何が出来るのか分からない。
「外れてないわね」
イリヤは指で線の端を確かめた。
「でも、やっぱり向こうで繋がなきゃ、最後までは分からない」
「大聖杯のこと?」
「うん。わたしが触れられるところまで、ちゃんと届くかどうか」
遠坂が卓へ紙を置いた。
「昨日確かめられたのは、礼装が勝手に暴れないことと、止める操作に応じること。向こうの状態までは、ここじゃ分からないわ」
「ああ。こっちで出来る試験は済んだんだよな」
「ええ。だから今のうちに、手順も確認しておくの。向こうじゃ途中で考え直せないところも出てくるから」
俺は頷いた。準備はした。けれど、あそこへ行くのは初めてだ。遠坂が紙の端を押さえた。
「イリヤ。士郎からセイバーへの供給は、昨日の状態で維持できそう?」
「ええ。ただし、わたしが主制御へ入る時は、流す量をちゃんと決めるわ。同時に大きな力が要る場面もあるでしょう?」
「なら、手順は変えない。セイバーの方も、状況を伝えて」
「はい」
セイバーが答えた。アーチャーは縁側へ腰を掛けていたが、そこで顔を上げる。
「凛。私への供給も忘れるなよ」
「忘れるわけないでしょうが」
「君は、いざとなると自分の分を削りかねん」
「……どの口が言うのよ」
遠坂は溜息をつき、紙へもう一本線を書いた。イリヤから俺を通り、セイバーへ。それとは別に遠坂からアーチャーへと、二つの流れが並ぶ。
「無茶しないでよ、あんたも」
遠坂が言った。アーチャーは肩を竦めた。
「必要とあらば、君に相談しよう」
「相談する前に勝手に始めそうなのが問題なのよ」
そこまで言い合ってから、二人とも口を閉じた。イリヤが礼装を畳む。
「それじゃ、これも持っていくわね」
「……自分で持つのか?」
「わたしが使うものだもの。包むのはセラにも手伝ってもらうけど」
彼女は一度こちらを見た。
「シロウは、その剣を忘れないでね」
「ああ」
俺も頷いた。